Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)

第8回 文明って何?  [08/10/2008]


Civilization is the progress toward a society of privacy. The savages’ whole existence is public, ruled by the laws of his tribe. Civilization is the progress of setting men free from men. (Part Four Howard Roark 18 in The Fountainhead)


(文明というのは、個人が個人でいることができる社会建設に向かって人間が進歩する過程である。野蛮人とは、その在り様が丸ごと属する部族の掟に支配される大衆そのものである。文明とは、人間を人間から解放する進歩の過程なのだ。)

★私が愛してやまない小説『水源』(作者のアイン・ランドより好き)を全部読む時間はない!という方は、小説第4部のクライマックスである「コートラント住宅爆破裁判」のハワード・ロークによる最終弁論だけをお読みください。この小説が伝えたいことは、そこにほぼ集約されております。そのなかでも、上記に引用した文は、短いながらも、ランドの思想を凝縮しています。

★アイン・ランドが言うところの文明というのは、上記の引用文が示すように、個人が個人でいることが可能な社会をめざすことです。個人が個人でいることが可能な社会とはどういう社会でしょうか?個人のプライヴァシーが保たれるには、「個人が占拠できる空間と個人が自由に使っていい時間と物の総体」が必要です。つまり、土地なり部屋なりの空間と、その空間に滞在して過ごしてもいい自由と、空間を埋める物(家具とか衣類とか食料とか)を個人が所有していて、その所有していることに対して、誰にも犯されない権利(所有権)があるという状況が、“a society of privacy”です。

★言うまでもなく、こういう社会の前提には、その個人は他の個人と取替えがきかない独自のものであると考えるエトスがあります。この種のエトスは、どうやって生まれるのでしょうか?まずは、個人が環境(他人を含む)に侵犯されない独自の自分という意識を持つことを肯定することが前提となります。では、「自分という独自な存在としての自意識」は、どうやって生まれるのでしょうか?それは、自分の孤独な時間や、自分の邪魔されない思考から生まれます。それには、自分が占拠できる空間と自由にできる時間と自由に使える物が前提となります。じゃないですか? 最初に物質的条件ありきなのです・・・食うにも住むにも事欠く無産下層階級からは優れた宗教家も思想家も生まれません。

★つまり、アイン・ランド的文明は、物質的豊かさが実現された社会でないと「立ち現れてはこない」のです。衣食住すべてにわたって生産性、流通性が高くならないと、個人に、その個人専用の空間と物がいきわたりません。生産性や流通性が高くなる政治経済制度は、科学技術の発展が促進した大量生産が可能にした近代産業資本主義です。

★文明というのは、ズバリ、「物質的豊かさの大衆化」です。「誰もが物質の豊かさを享受することを通して、自分個人の人生の充実を実現していけるような社会&それによって他人の人生も尊重しあう社会」が文明社会ですよね。ある特権的な人間(個人にせよ集団にせよ)だけが特定の空間を占拠し所有権があるような社会は文明化された社会ではありません。ある集合名詞(家族だの部族だの国家だの公共だの社会だの)だけが特定の空間を占拠し所有権がある社会も文明化された社会ではありません。

★「物質的価値観に毒されて心を失った現代社会」なんていう言い方が世間にはびこっていますが、「物が足りないがために起きる強奪略奪戦争状態」に比較すれば、はるかに素晴らしいです。飢餓や戦死などの強制暴力死より、「うつ病患者の激増と自殺者の増加」のほうが、まだましです。頭の弱い人々が「心を失う」程度ぐらいまでに物質的豊かさが普遍的になった世界は、きっと今の世界より素晴らしいでしょう。

★アイン・ランドが言っていることは、そういうことであって、そのあたりを考えずに、ランドがpro-capitalistだから蛇蝎視(だかつし)するという、ある種の人々の短絡が、私には理解できません。衣食足って個室も自由時間も持っているのに、自分個人の人生も他人の人生も大事にしていなさそうな人々が多い現代の日本の問題について、ランドは述べているのではないのです。

★人間は霊的生き物でもありますが、物質でもあるのだから、まずは、すべての個人が個人水準で物質的豊かさを享受できる社会にすることが基本だ、という話なのです。

★資本主義を超えるシステムねえ・・・いっそ、どんどんどんどん大量生産して、「お値段はお客さんにお任せします〜〜好きな値段で持っていって〜〜無料にはしません。施しはしません。払える分だけ払って〜〜」となったら、過剰生産も在庫もなくなって、全部「売れる」のではないかなあ。世界にあまねく「売れる」のではないかな。1円だけ出す客もいれば、100万円出す客もいるかもしれないので、倒産しない程度に、従業員に給与が出せて、投資家にふつーの配当が出せるくらいに企業はやってゆけるのではないかなどと、考える私は、人間って、いいものを不当に安い価格で手に入れ続けて平気なほどには歪んでいないと思う私は、根がお気楽な(隠れ)人間性善説派なのでしょう。やっぱり馬鹿ですね。だけど、この手は、試してみる価値があると思います。特に日本人相手ならばね(やっぱり、私って強烈に愛国者だよな)。