掲示板アーカイヴ 2004年03月
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 投稿者:AS  投稿日:2004年3月31日 22時35分15秒

藤森先生、レスありがとうございます。
And Quiet Flows the Vodka, or When Pushkin Comes to Shoveは書名です。ここに http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0810117886/250-0723687-6873061 売ってます。
お察しの通り、私もナボコフに興味を持っています。私の専門は一応ロシアよりなのでRandのような作家もロシア文学からの影響関係もどうしても考えてしまいますね。その点についてはどうお考えでしょうか。

再再度のお願い 投稿者:藤森かよこ  投稿日:2004年3月28日 12時16分44秒

笠井潔さんの『国家民営化論』(光文社、1995年)が復刻されるように、ご協力いただけませんか。これは、日本人による初のリバタリアニズムによる国家論なのです。この人物の評論としては、本書は最高のものなのに、もう手に入らないのです。

私がこの方を凄い!と思う理由のひとつは、フェミニズムやゲイ・レズビアン研究や家族制度とか、そういうジェンダー関連問題も射程にいれているところなのです。こういう知性は、日本の男性には非常に稀なことです。日本の男性ですと、かなりの知識人でも、ジェンダー関連の問題には無知を「誇り」、その問題を嘲笑するという形式でそこから逃避し、彼らが誇る知力のひ弱さと、それが支える精神の脆弱さを露呈するのですが。

吉本隆明の『共同幻想論』以外に、なんてすごいんだ!と心底震えるように夜中ベッドで起き上がってまんじりともできなかったほど私が感動した評論が、これなのです。

http://www.fukkan.com/vote.php3?no=20457

居る無頼人さんへ再び 投稿者:藤森かよこ  投稿日:2004年3月28日 12時4分7秒

え?ということは、著作権者が、これはオープンソースです!と宣言していても、その配布、改良、再配布には制限がついているのですか、今の法律は?余計なお世話ですね、ほんとに。

もういい加減にしてほしい。国家などなくても、人間は生きていけるし、最初はそうだったのだし、途中から王権が強大になったりしたけど、ろくでもない政府はいらん、という建前になった。政府というのはロクでもなくなるんだって、必ず。大きな政府支持とか、社会主義とか、高度福祉社会とか、そういう奴隷の安寧が欲しい奴は、他人の稼ぎや業績をぱくって生きたいだけのトコトン冷酷な人間たちなのだから。もしくは、他人の金で他人を助けて、自分が助けたような顔したい支配欲の強い連中だな。

私は、講演会で受付やってます。いらしたら、お声をかけてください。

知的所有権 投稿者:居る無頼人  投稿日:2004年3月27日 13時19分38秒

>このcopyleftは、オリジナルなsoft作った人間の知的所有権については、どう考えるのですか?

個人のオリジナリティ(知的所有権)は否定しません。著作物であるソフトウェアを利用するにあたっての制限に反対する。ということになります。

http://www.opensource.jp/osd/osd-japanese.html
http://www.opensource.jp/osd/osd-japanese_plain.html
http://oooug.jp/start/licence/copyright.html

副島さんの大阪の講演会には行く予定です。

居る無頼人さまへ 投稿者:藤森かよこ  投稿日:2004年3月27日 2時22分58秒

あ、おひさしぶりです。お忙しい毎日をおすごしのことでしょう。私は、すっかり疲れが出ました。新年度からは、無理しないようにしないとな〜居る無頼人さんは、3月30日夕方からの副島隆彦氏の講演会にいらっしゃるのですか?

このcopyleftは、オリジナルなsoft作った人間の知的所有権については、どう考えるのですか?

知的所有権とか言い募って、欠点だらけの不備なsoftを消費者にそのまま押し付け続けて、ろくに速やかに改良もせずに恥じない企業の横暴と、それと癒着した政府の干渉と規制を排するには、知的著作権というものの見直しは必要と思います。しかし、こういう出方があったか・・・Libertarianismは、厳しい思想だ!

TMさまへ 投稿者:藤森かよこ  投稿日:2004年3月27日 2時2分22秒

またまたまた貴重なる報告を、ありがとうございました。

確かにランドはObjectivismの説明で、現実は人間の思惑に関係なく厳然として在る客観物だから、人間は理性を駆使して=「全ての重要な事実にもとずく論理的な推論」に基づいて、もっとも自己に利益になる行為を決定し選択し実践せい、ほんとうにそうすれば他人とも利害が一致する書いていますが、いろいろな例やケースをあげて、わかりやすく説明はしていません。そこを弟子軍団がいろいろケースを考えて、説明しているわけですね、その勉強会では。なるほど、なるほど。

ロックの自由思想とスミスのユートピア資本主義とベンサムの功利主義に、アリストテレスの「各人の価値に応じた事物の配分」を支持する配分的正義(つまり階層秩序が前提されている、一種のエリート主義か)が、ごちゃ混ぜになっているのが、ランドの思想だと言えば、身も蓋もないのですが、「人間の理性を非常に信じている」という点が、古典的自由主義やリバタリアニズムとは、違う・・・この人間の力信仰、「人間教」というのが、魅力的な小説を生み出した源泉なんですが、これはほとんど宗教にあと一歩にあるようなもので・・私も悩むところです。

ASさまへ 投稿者:藤森かよこ  投稿日:2004年3月27日 1時41分48秒

体調が悪いのと、久しぶりに10日間ほど大学の仕事がなくて家にこもっていられたので、本ばかり読んでPCもいじりませんでした。こういう自閉期間がないと、やってられません。私って、金があったら全く世間と付き合わない人間だろうなあ・・

『国家民営化論』の復刻投票に清き一票を、ありがとうございます。

亡命者の文学にご興味があるとは、ASさんもナボコフ研究をなさっているのですか?ところで、このAnd Quiet Flows the Vodka, or When Pushikin Comes to Shoveというのは、本のタイトルですか?アメリカのアマゾンや、古本ネットで検索しても、出てこないなあ・・

copyleft 投稿者:居る無頼人  投稿日:2004年3月25日 9時37分37秒

とてつもないタイプミスをしてしまったので、以前の投稿を削除して投稿しなおしです。


藤森様。「水源」の発売日決定おめでとうございます。
こちらでは究極のリバータリア二ズム運動として「オープンソースムーブメント」が動いています。ソフトウェアの配布に関してコピーライト(著作権)ならぬ、コピーレフト(日本語訳がありませんね)を主張するというものです。再配布の自由、改良の自由、そして、それによって生じるトラブルに対しては自己責任というものです。
このFree Software Foundationの 「Free as in Freedom」なかなかいい響きだと思いませんか。

これからは、国に対して主張するのは「ライト(権利)でなくレフトという自由」ですね。ご理解いただけますか?

第4回Ayn Rand Societyの勉強会(1) 投稿者:TM  投稿日:2004年3月23日 14時1分11秒

今晩アインランド協会の第4回目の勉強会に行ってきましたので報告させていただきます(第3回はうっかり忘れて参加できませんでした)。毎度長文になりますがご容赦ください。テーマは「アインランドの正義」というもので、講師はこの大学の哲学の女性教授でした。主な主張は「正義とは利己主義である」「平等主義は不正義である」などというもので、例によって現代の支配的な社会通念的からして明らかに異端なものでした。
まず人種差別や性差別などを例に、正義とは「人々を客観的に評価すること、彼らが値するようなやりかたで扱うこと」ということであるとします。つまり、客観的に見て本当はその大学に入るに値する学力をもっているのに、人種を理由に入学を拒否するのは不正義だということです。しかしここでランドのいう客観性とは「神の視点から見ること」でもなく、「全ての異なる見方や要求を調整すること」でもありません。客観性とは「論理の方法による現実への厳格な支持」を意味するといいます。つまり「全ての重要な事実にもとずく論理的な推論」なのだそうです。そしてこの「重要な事実」の、何が重要かというのは各人の価値観によって決まるとされます。

第4回Ayn Rand Societyの勉強会(2) 投稿者:TM  投稿日:2004年3月23日 13時53分20秒

つまり自分の目的が与えられて、その目的を達成するという観点から他人を評価する上で重要な事実を決めるということです。これが望む結果を得るために最善の方法なのだそうです。例えば強いホッケーチームをつくるという目的が与えられたとき、ルックスで決めるのは不正義であり、その目的を達成するうえで最善の方法ではありません。しかし、俳優のオーディションではルックスの良さは重要な事実となり得ます。つまり、自分の目的、利己心に忠実であるほど、それにしたがって他人を「客観的」に評価でき、彼らをそれぞれに値すべき方法で扱うがゆえ、正義が実現されるというわけです。逆に言えば目的を実現させるためには、自分はそれに「値する」人間にならなければならず、それは努力を通じて達成されます。その意味で、それに値しない人間も値する人間も同じように扱う平等主義は不正義だと断罪されるのです。
まあもちろん異論があるのは容易に想像がつきます。一応、と思って僕は簡単な質問をしました。それは「例えばロールズの正義の第一原理に見られるように、モダンリベラルの思想においては、正義は何かしら人々に「何を望んで良いか」ということを教えるものである一方

第4回Ayn Rand Societyの勉強会(3) 投稿者:TM  投稿日:2004年3月23日 13時52分8秒

客観主義においては、人々は何を望んでも良く、正義はそれらに基礎付けられているように思えるのですが、どうなんでしょう!?」というものです。つまりモダンリベラルのアイデアでは、一応正義と善が分離しているとはいえ、正義は各人の善に対して何らかの制約を加えるもので、例えば殺人は「他人の同じ程度の自由と両立し得る最大限の自由に対する権利をもつべきである」という正義の原理に反するという意味で正当化できません。これに対して教授は「ランドは人々がどのような望みを持って良いかについては、明示的に語らなかったけれど、ロールズには明らかに反対でしょう」とだけ答えました。このような個人の権利から論を組み立て正義のルールを導くロジックは、何もランドの思想だけの特徴ではなく、リバータリアニズムや古典的自由主義と同じもののように思えるのですが、ランドは自らの客観主義とこれらの保守思想とをはっきり区別していたようです。この辺の議論がイマイチ僕にはまだわかりません。まああんまりこういう哲学的な話に深入りするのは、時間のムダという気もしますが。

 投稿者:AS  投稿日:2004年3月22日 0時55分16秒

投票しときましたよ。再販されると良いですね。
それはそうと最近読んでいたロシア文学史のパロディー本(And Quiet Flows the Vodka, or When Pushikin Comes to Shove)の中の「紋切り型悪魔の辞典」にRandについての項目が。

Rand, Ayn. The key to her works is that she's Russian. Founder of Capitalist Realism.

「資本主義リアリズム」とはよく言ったものですね(笑)。

『水源』の発売日が決まりました。4月20日! 投稿者:藤森かよこ  投稿日:2004年3月18日 10時26分17秒

みなさま、遅れに遅れていた『水源』の発売日が、わかりました。
4月20日だそうです。私自身は、編集者の方から4月最初のころならば大丈夫と聞いていたのですが、諸事情で、4月20日というのが確かなところらしいです。

私は無名で実績もないので(私としては実績があって金があるけど無名という状態が欲しいのですが、だってこの状態が一番自由だから、しかし今は金もなければ名前もなく実績もないです)、出版社にメイル送っても返信されないことが多々あり、信頼できる方からの情報で、やっと、そこまでわかりました。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

また同じお願いです 投稿者:藤森かよこ  投稿日:2004年3月15日 12時34分56秒

何度もお願いします。ASさんも、勉強のあいまに、どうぞ清き一票を・・・

笠井潔さんの『国家民営化論』(光文社、1995年)が復刻されるように、ご協力いただけませんか。これは、日本人による初のリバタリアニズムによる国家論なのです。笠井さんは、実は私の憧れの独立自営売文家(リバタリアンの作家)ですが、この人物の評論としては、本書は最高のものなのに、もう手に入らないのです。

この方のヴァンパイア・シリーズとかエンターテインメント小説は有名ですが、この方、ほんとうによく勉強していらして、『日本型悪平等起源論』(光文社・1994年)という島田荘司氏との対談も、非常に面白かったです。この本も、今では手に入らないんだなあ。

私は、職業柄、プライドばかり高い似非インテリにはうんざりしてる。馬鹿優等生にはうんざりしている。でも、この方はすごいなあと思う。実質学歴は中卒(大検で大学に入って除籍されたから)だそうですが、ほんとに面白い思索家でもあるのです。

http://www.fukkan.com/vote.php3?no=20457

お礼 投稿者:AS  投稿日:2004年3月15日 1時53分15秒

藤森先生ありがとうございます。We, the Livingをとりよせて読んでみたいと思います。私は亡命文学に興味があっていろいろ読んでいるのですが、Randのようなアメリカに大きな影響を与えている作家がいたことは大変面白いです。
お体にお気をつけて、仕事がんばってください。

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