第7回Ayn Rand Societyの勉強会(1) 投稿者:TM 投稿日:2004年4月29日 1時0分45秒
昨夜、Ayn Rand Societyの勉強会に行ってきましたので報告させていただきます。講師はAmy Peikoffという女性。はっきりと自己紹介はありませんでしたがARI代表の奥さんらしいです(でも年齢は30代後半くらい)。彼女はテキサス大学の哲学部の講師をしていて、UCLAでJD(Judicial Doctor)、南カリフォルニア大学で哲学のPh.D.を取得しているらしいです。テーマは"The Moral basis of Copyright"(「著作権の道徳的基礎」)ということで、文字通り著作権を擁護する内容のものです。まず彼女は現在のアメリカの著作権に関する支配的な考え方は間違っているとします。それは、社会の学術研究促進のために著作権をコントロールするというもので、議会が著作権の期間や範囲を「社会のため」という名目で規定します。著作権が無いと、人々のインセンティブが無いし、かといって著作権がいつまでも続くと社会の発展を阻害するという考えです。彼女はこれは単なる功利主義で、いかなる道徳的基準も、権利についての考え方も無いと言います。
第7回Ayn Rand Societyの勉強会(2) 投稿者:TM 投稿日:2004年4月29日 0時56分49秒
そこで彼女が主張するのは、私的所有権による著作権へのアプローチ。ランドはCapitalsim: Unknown Ideaの中で著作権について述べているそうで、そこでは著作権は「所有権にかんする法的手段」と考えられています。所有権の考え方はロックが主張したように、労働によって作り出された価値にその基礎をおきます。ここで著作権とは知的労働を通じて想像された価値に対する個人の排他的権利であり、それを作り出した人は当然そこから生活に必要な利益を得る権利があるとします。その意味で著作権は所有権であり、言い換えれば、生存への権利なのです。それは価値を創造した者の完全な支配下に置かれるべきものなのです。しかし政府はそうした権利を、"public domain"という考えのもと、著作権の期間を限定することで侵そうとします。
とはいえ、彼女もランドも著作権の有効期間を限定することに対して必ずしも反対なわけではありません。ただしその理由付けが今の支配的な考えのように「社会のため」ではなくあくまでも「作り出した人の生活のため」でなくてはならず、目安として著作権を持つ人のことを誰も直接知らないようになるまでは著作権は保護されるべき、とします。
第7回Ayn Rand Societyの勉強会(3) 投稿者:TM 投稿日:2004年4月29日 0時55分40秒
ここで彼女は最近流行の"Copyleft"の考え方に言及し、はっきりと反対を唱えます。"Copyleft"は現在の支配的な功利主義的の考え方においては優勢ですが、所有権として著作権をとらえた場合、到底正当化できないそうです。"Copyleft"支持者の好む例として以下の話があります。昔飛行機が開発されたとき、私有地の上空を飛ぶのに当時のコモンロー(慣習法)は土地の上空まで所有者の所有権が及ぶとしていたため、飛行機をその土地の上空を飛んで欲しくない農場主が飛行機会社を訴えました。で、結局飛行機が飛べないというのでは都合が悪いということで、土地の所有権はその上空まで及ぶというコモンローが否定されたそうです。"Copyleft"支持者はそれと同様に、個人の著作権も新たなインターネットという道具の前に制限されるべきだ、と考えるのです。しかし彼女はそれは違うと言います。上空の所有権の場合、実際には土地の所有者は使用できないのだから、問題無いが、現在のインターネットは個人の生きる権利としての著作権をも侵害している、からだそうです。また"Copyleft"支持者が好んで引用するジェファソンも、「ジェファソンはそんなこと言ってない」と論難します。
わがままの美徳 投稿者:Aaron 投稿日:2004年4月28日 1時33分13秒
こんにちは。僕はアメリカ人なんですけど、日本語でこんなサイトを見つけるのは本当に嬉しい。自分の日本人の彼女にアインランドの哲学を説明しようとしてるけど、なかなか理解できないみたいで、直接何かを訳したらいいかもしれないと思った。だいたい1章を訳したけど、どうやって日本語に訳す表現がたくさんあります。どうか教えてくれれば本当にありがたいです。
”Selfishness”。アインランドが使うようには「わがまま」だけでいいですか?「自己主義」はだめですか? ”concern with ones own interests"はどう訳せばいいですか?それと、”interests”という言葉がよく出てきますが、”関心”でいいですか? ”whims” ”package−deal” ”values” ”価値”でいいですか? ”moral code”この場合、codeのところに引っかかってます。 ”beneficiary” ”double standard” ”self−inflicted” ”self−esteem” ”self−interest”
こんな長くなると思わなかったですが、教えてくれると本当に嬉しいです。
Aaron Little
TMさまへ感謝 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月18日 1時38分8秒
ランド関係の講演会の御報告をありがとうございます。資金はARIが出しているのでしょうが、ランドの本の印税だけで、何とかなるとは思えない・・・ランド関係ならば、企業家の寄付もあるかもしれませんね。ランドの弟子たちって、結局ARIの代表のペイコフ氏にせよ、ランドの伝記を書いたバーバラ・ブランデンにせよ、ランドの遺産で食ってきたようなものです。ステイタスは、「ランドの弟子だった」、これしかない。師匠の手書き原稿を1ページづつ古書店に売れば、結構な収入になりますし。それは高級古書店で署名入り写真つきで額装すれば、10万ドルで売りに出されて、買う人がいるんだから。死して、なお弟子を食わせるアイン・ランドは偉大だ!!!
「アイン・ランドの思想であるObjectivismの考えのもと作られた私立高校で哲学を教えている」人?どういう高校で、どういう人かなあ?そういう高校があるのか・・・それは初耳でした。リアルな現場にいるご報告は違いますね。また、よろしくお願いいたします。
マイクさまへ 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月18日 1時23分21秒
励ましのお言葉を、ありがとうございます。 ロングセラーになって欲しいですよ〜〜長く長く読んでもらいたいですよ〜〜ほんと。一攫千金?そんなん、私の人生の辞書にはないです。残念ながら。金は欲しいですけどね。だって、金は自由を買えるから。選択肢が増えますから。
やはり、日教組には嫌われそうな内容ですよね、あれは。『小説家のために』という映画で、こんな台詞があったような・・・夢に挫折して教師になった人間は、大変優秀な教師になるか、それか危険な教師になる。才能ある学生を伸ばせないというか、嫉妬するとか・・・なんとか。『水源』は、まさにそういうシーンから始まる。
自らの切れやすさを反省 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月16日 16時53分26秒
とうとう切れまして、『水源』の出版社の社長さんに、「早く出してください!」の直訴メイルを送信いたしましたら、すぐに社長さんからお電話をいただきまして、事情を説明していただきました。
ああいう具合に説明して下されば、私だって切れなかったのに・・やはり、社長になる方は、対応も説明も違う。うまい!私は、自らの切れやすさと短慮を反省いたしました。
みなさん、ビジネス社はいい出版社です。社長さんが、とてもいいです。お騒がせいたしました・・・
第6回Ayn Rand Societyの勉強会(1) 投稿者:TM 投稿日:2004年4月16日 16時24分7秒
『水源』発売延期とのこと、非常に残念です…。
今回はAyn Rand Society主催の勉強会ではなく、講演会です。どこからカネが出ているのか知りませんが(明らかに会費からではありません)、学生新聞に大きな広告を打って、学内でも大き目のオーディトリウムで行われました。講師は哲学のPh.D.をもっているという作家。ARIのサマースクールの講師をしたりThe Fountainheadの解説本を書くなど筋金入りのようです。客の入りは広い会場にバラバラと4分の1ほど。内容としては、資本主義の世界化の素晴らしさについて。資源が無いのに栄える香港と資源があるのに貧乏なソ連の比較、南北朝鮮の格差、ニュージーランドやチリでは新自由主義的政策が成功など資本主義の成功例だけが紹介されます。彼はまた、西洋で生まれた資本主義と自由主義は、そうした価値をもたなかった国々にもアメリカを通じて広がっているということを強調します。例えば日本。アメリカが日本を権威主義、軍国主義の国から、アジアで最も自由な国に変えて「あげて」、その結果日本は今日の経済成長を見せた。彼は"America created an economic giant, which was good!"と嬉しそうにはしゃぎます。
第6回Ayn Rand Societyの勉強会(2) 投稿者:TM 投稿日:2004年4月16日 16時13分44秒
なぜ、資本主義は良いのか。彼によれば、それは理性と自由重視、つまり個人主義的だからです。ソ連のような集団主義では、人々の能力はそれに応じて評価されない。アイン・ランドの言うように、全ての価値は"reasoning of mind"、"rational mind"から来る。精神の自由、合理主義の精神があって初めて本当の価値が見出され、良いものがわかり、良いものが作られる。集団主義や権威主義体制はそうした精神の自由を脅かし、時にポルポトのカンボジアや、毛沢東の中国のように教育程度の高い者を邪魔者として抹殺するから価値を生み出さないし、「非効率」で「悪」なのです。で、彼の話は最後、どうやって資本主義を世界に広げるか、ということで終わります。まず相互の利益を生み出す国際自由貿易を推進する。関税を無くし、国の規制の無い、完全に自由な貿易体制を作る。世界の国々が相互依存的になれば戦争も無くなる。彼はキューバやイラクへの経済制裁にも反対し、権威主義の国とも自由貿易を行うことを主張します。経済的自由はやがて政治的自由も生み出すからです。
第6回Ayn Rand Societyの勉強会(3) 投稿者:TM 投稿日:2004年4月16日 16時12分39秒
で、次に資本主義、自由主義は他の制度やイデオロギーに対して、経済的政治的優越性をもっていることを自覚する。資本主義は唯一の高貴なシステムである、と彼は言います。アメリカの建国の父達の精神やアメリカの権利章典は世界で最も価値がある思想である、など…。そして最後に、個人主義は普遍的なものであり、アイン・ランドの思想を学生や子どもに教えなければいけない、ということ。実際、彼はアイン・ランドの思想であるObjectivismの考えのもと作られた私立高校で哲学を教えているそうです。 以上のように、今日は敵がいないこともあって、明らかなプロパガンダ、アメリカ万歳の資本主義教の説教でした。さらに驚いたことに、講演後の会場からの「その国の経済的自由が増えれば、GNPも増えると言っていたけど、経済的自由と経済格差の関係はどうなの?、広がるんじゃないの?」との質問に答えて、彼は「それは悪いことなのか? 格差は大きければ大きいほど良いんだ!なぜなら人々はみんなそれぞれ違うのだから」と言います。これはすごい発言です。これについていける人は果たしているのでしょうか?。さすが愛国右翼の本領発揮といったところです。
ロングセラー 投稿者:マイク 投稿日:2004年4月16日 12時23分13秒
この本はロングセラーとなるからあせらずにがんばってください。確かに100万冊の大台に乗るのは時間がかかるかも。でも毎年結構の数が売れると。一攫千金は財布では得られないかも、でも哲学のマインドシェアーをかなりとれものと思いますよ。 アメリカでこの本が大学生・高校生を中心に注目を得ているように、日本でも同じような注目をえられるのでは。
”日教組が図書館から排除!”ってニュースでも起きれば別だけどね<笑>
マイク
ほんとは、私辛いんですよね。 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月13日 23時27分46秒
ジレンマなんですよ。アイン・ランドの作品の面白さをよくわかるような出版社ならば、版権とってほっておかないで、さっさと翻訳のプロの方に任せたでしょう。で、もっと早く日本で紹介されていたかもしれない。
つまり、私が翻訳できたのは、ランドの価値などわからない、別に特にランドの翻訳を出版したいとも思っていない(なのになぜ版権持ってたのでしょうね?不思議)出版社が版権を持っていたからなのです。このジレンマ。この皮肉。
正直言いまして、うんざりしてます。忍耐の時期ですね。
また発売時期が延期されました〜5月連休明けみたいです 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月13日 10時49分23秒
今日、出版社のビジネス社に確認いたしましたら、『水源』の出版は、5月頭になるとのことです。ゴールデンウイーク明けってことかなあ?表紙も、私が選んだものは、「90年代頭風」なので、変えるかもしれないとのこと、やはり私の感覚は、年とってるんかんしらん。もう、これはしかたないですよね。自分で出版社でも作らなければ、好きにはできないでしょう。それに、プロの目というのは、大切ですし。
また、出版社は、売れる本から先に作りますので、この種のものは、どんどん後回しになるのも、しかたないと思います。なにしろ、価格が5000円近くだというのでは・・・・もう・・・みなさま、ご近所の図書館に希望購入図書でお願いして、買ってもらってください。
管理人さんに、ランド節の新しいのを送っておきましたので、近日中にUPされると思います。いかにも、春らしい日が続きますね。みなさま、お元気で。
白井さまへ 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月9日 9時5分22秒
こんにちは〜白井さん。『水源』の出版があまりに遅れてきてしまったので(あんなに校正とかに時間がかかるとは思わなかったし、また去年は意味なく忙しかった)、ほんとに出版されるのだろうか・・・と半信半疑の感じです。もう、いろいろなことで、疲れきっております。今年は、のんびりしたいなあと思っているのですが、8月の末まで、しっかりしょうもない論文の締め切りがいくつかあります。やだやだ・・・教授会は意味なく長いし。教授会に出るのがいい時間つぶしになるオッサンたちは、ほんと余裕があっていいよなあ・・・
『国家民営化論』は、読みやすい本ではありませんね。通常のリバタリアニズム(経済学ではオーストラリア学派の別派でニューヨーク学派と呼ぶらしいが)から勉強して、ああいう構想を書いたというのではなくて、自身の作家としての想像力と現実への観察力が結実した国家論を書いたら、リバタリアニズムと同じ見解で、しかももっとラディカルだった・・・といういわくの本なので。
居る無頼人さまへ 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月8日 18時42分29秒
いろいろご教示ありがとうございます。また、別の掲示板でも『国家民営化論』の内容を紹介してくださり、ありがとうございました。この本に関する書評のような解説文を書きたいのですが、時間がないのです。体力も能力もないのですが。3月中に処理しておかなければならないこともまだ片付いていないので、疲れるし、なにか春で桜も最後の満開だというのに、イライラしてますねえ・・・
TMさまへ感謝 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月8日 18時38分59秒
TMさまへ、ありがとうございます。ほんとに貴重な情報ですね。この報告が、完結されましたら、まとめて別コーナーを作ってUPさせていただきたいと思います。
今回の報告も、ランドが大雑把に言い切ったところの隙間を、きちんろ論理的に生めて整理するという作業がなされたわけですね。自由を政治的自由と、社会的、物質的、心理的に分けて、最も必要なのが政治的自由と説明してゆくのは、とてもわかりやすいなあ。なるほど。自由に関する概念が、混乱しやすい日本人には、まず「自由」と「気まま勝手」とは違うことから話さないといけないので、ほんとに疲れる・・・
遅ればせながら 投稿者:白井要 投稿日:2004年4月7日 23時14分42秒
「水源」出版おめでとうございます。いよいよですね!
「国家民営化論」「日本型悪平等起源論」図書館で借り出してようやく読み終えました。たぶん自分が社会的に未熟であるからだとおもいますが、私は後者のほうが面白く読めました(う〜、自分にはまだまだハードルが高いと痛感<リバータリアニズム)。 ちょっとネタばれになっちゃいますが、学生時代に太宰を読んで以来「平等という概念はまもらねばならぬフィクションではないのか?」とずっとおもっていたので笠井氏の主張は嬉しかったです。
そういえば「日本型悪平等起源論」は、現在文庫で出ているようです。Amazonで五つ星でした。
このあと教えて頂いたカミール・バーリアにとりかかります(こちらも図書館で探しました)。前述の二冊ももう一回読み返したいし、「水源」発売までに間に合うかな。。
マイクロソフト、ついにオープンソースに 投稿者:居る無頼人 投稿日:2004年4月7日 10時41分55秒
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040407-00000001-cnet-sciより転載します>>>
マイクロソフト、ついにオープンソースに--CPLでソースコードを初公開
Microsoftは米国時間5日夜、SourceForgeというオープンソースソフトウェア開発サイトで、同社のある製品のソースコードを公開した。これまで自社技術のベースとなるコンポーネントを一般に公開することには強硬に反対していた同社にとって、今回の動きは大きな方針変換となる。
Microsoftが公開したのは、Windows Installer XML(WiX)の ソースコード だ。これは、同社のWindows製品用のインストールパッケージを、XMLソースコードでつくるためのツールを集めたもの。SourceForgeサイトに掲載された情報によると、Microsoftが公開した実際のコードでは、ソフトウェア開発者がWindowsセットアップパッケージ開発に利用できる環境がサポートされているという。SourceForgeは、さまざまなオープンソース・コラボレーションプロジェクトがリソースの提供に利用しているウェブサイト。
第5回Ayn Rand Societyの勉強会(1) 投稿者:TM 投稿日:2004年4月6日 16時4分2秒
昨夜アイン・ランド協会の勉強会に行ってきましたので、またまた懲りずに報告させていただきたいと思います。講師はシカゴ大学で政治学と経済学のBA、テキサス大学で哲学のPh.D.を取得後、テキサスA&M大学(保守的なテキサスでも最も保守的な大学の一つで、現役軍人学生の数が全米一)で教えているという人で、テーマは「自由とは何か?」という非常に広いものでした。内容は彼の博士論文からのもので、これは近々本として出版されるらしいです。 彼はまず、政治哲学の伝統に従って自由という概念を二つに分けます。一つには、消極的な自由(negative liberty)すなわち「〜からの自由」、二つには積極的な自由(positive liberty)すなわち「〜への自由」。で、ここからは彼のオリジナルだそうで、「授業のレポートとかではくれぐれも書かないように」と冗談めかして言った後、さらに消極的な自由を「政治的自由」と「社会的自由」、積極的な自由を「物質的自由」と「心理的自由」に分けます。
第5回Ayn Rand Societyの勉強会(2)投稿者:TM 投稿日:2004年4月6日 16時2分40秒
昨夜アイン・ランド協会の勉強会に行ってきましたので、またまた懲りずに報告させていただきたいと思います。講師はシカゴ大学で政治学と経済学のBA、テキサス大学で哲学のPh.D.を取得後、テキサスA&M大学(保守的なテキサスでも最も保守的な大学の一つで、現役軍人学生の数が全米一)で教えているという人で、テーマは「自由とは何か?」という非常に広いものでした。内容は彼の博士論文からのもので、これは近々本として出版されるらしいです。 彼はまず、政治哲学の伝統に従って自由という概念を二つに分けます。一つには、消極的な自由(negative liberty)すなわち「〜からの自由」、二つには積極的な自由(positive liberty)すなわち「〜への自由」。で、ここからは彼のオリジナルだそうで、「授業のレポートとかではくれぐれも書かないように」と冗談めかして言った後、さらに消極的な自由を「政治的自由」と「社会的自由」、積極的な自由を「物質的自由」と「心理的自由」に分けます。
第5回Ayn Rand Societyの勉強会(3) 投稿者:TM 投稿日:2004年4月6日 16時1分22秒
でもこうした強制はアイン・ランドによれば、「アンチ・マインド」つまり精神を否定し、麻痺させることに他なりません。ここでいう精神とは、"light and evidence"というコトバで表され、論理と事実を意味します。要するに強制によって、論理と事実による推論が否定され、そうした思考自体が麻痺させられてしまうというのです。これはソ連など社会主義国で行われたことである、とされます。だから、強制はだめ。そしてそうした強制から人間を守るのが政治的自由だ。だから、政治的自由はことさらに大切なんだ、というのが結論です。 まあ政府による強制に反対するために政治的自由が必要なんだという考えはよくあるものですが、強いて言えば、そうした政府による強制は別の自由の概念から来ているのだと主張し、またなぜ強制は悪かというのをランドに依拠して論じたというのが、彼の議論の特徴なのでしょうか。
ついでにレッシグについても調べてみました。 投稿者:居る無頼人 投稿日:2004年4月6日 2時32分33秒
F. A. ハイエクを祖とするシカゴ学派だそうです。したがって、レッシグもリバタリアンの流れの中にある人ということができます。
1960年代までシカゴ大学に在籍していたF. A. ハイエクは、民主主義のもとにおける市場経済がもっとも効率的な社会体制であることを主張し理論化した。これを新自由主義という。1970年代初めのシカゴ大学の学者たちは、この新自由主義に基づいて、経済分析の枠組みを他分野に積極的に応用したため、「経済学帝国主義」とまで揶揄されるほどだった。「法と経済学」も、そうしたシカゴ学派の活動から生まれた分野だ。レッシグ教授は、その流れをくむ一人だ。<中略>レッシグ教授は、1998年に発表した『新シカゴ学派』と題した30ページほどの論文で、自らの理論的枠組みについて説明している。彼のいう「シカゴ学派(法学)」と経済学でいうシカゴ学派とでは、ややアプローチが違うようだ。以下の「新 / 旧シカゴ学派」とは、レッシグ教授の用法に従っていることに注意してほしい。・・・・・」
植田さんへ 投稿者:フジラー 投稿日:02月22日(金)00時18分24秒
藤森教授が貴兄の本を書評されたことに、真摯に感謝いたらいかがですか。小生は植田氏の応答をお待ちもうしあげますよ。
I am an active Libertarian 投稿者:居る無頼人 投稿日:2004年4月6日 0時53分12秒
同僚さま、オープンソースイニシアチブの創設者エリックレイモンドのホームページをよくみていたら彼自らリバタリアン宣言をしていました。ストールマンとレイモンドは政治思想に対しては微妙にスタンスがことなりますが、レイモンドの方が熱心なようです。少なくともオープンソースムーブメント=ソフトウェア界のリバータリアニズム運動という見方はまとはずれではないようです。「ソースコードの反逆」GLYN・MOODY著ASCIIにもはっきりとその記述がありました。
I am an active Libertarian
If you are a U.S. citizen, and you think freedom is worth extending, both on and off the net, please consider joining the national Libertarian Party and your state affiliate.
Internet technology has huge libertarian implications. I believe broad availability of Internet access, and thorough exploitation of its function as an electronic spot market, may someday be a major factor in the obsolescence of government itself.
『水源』発売日について再度お知らせ 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月4日 13時32分49秒
Ayn RandのThe Fountainheadの翻訳『水源』の出版は、遅れに遅れてきましたが、4月20日に発売とのことです。「訳者あとがき」の校正もすんでおりますので、もう今度は確かでしょう。
「4月になったのにまだ出ないのか?」とお問い合わせを下さった方々に、お礼を申し上げます。韓国純愛ドラマ『冬のソナタ』ブームがずっと続いておりまして、私もああいう美男美女の清新恋愛物語(ああいう美男美女に限る。当然だ。映像で中途半端な容貌なんぞ見たくない。美男美女しか映画やテレビに出るな!)は好きですが、『水源』のとてつもなく硬質なラブ・ストーリーも、いいですよ!
同僚さま&居る無頼人さま 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月4日 13時20分38秒
オープンソースに関する数々の興味深い御教示、ありがとうございました。
ややこしい・・・・
再再再度のお願い 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月4日 13時18分10秒
もう定期的に何度もお願いさせていただきます。
笠井潔さんの『国家民営化論』(光文社、1995年)が復刻されるように、ご協力いただけませんか。これは、日本人による初のリバタリアニズムによる国家論なのです。この人物の評論としては、本書は最高のものなのに、もう手に入らないのです。
私がこの方を凄い!と思う理由のひとつは、フェミニズムやゲイ・レズビアン研究や家族制度とか、そういうジェンダー関連問題も射程にいれているところなのです。こういう知性は、日本の男性には非常に稀なことです。日本の男性ですと、かなりの知識人でも、ジェンダー関連の問題には無知を「誇り」、その問題を嘲笑するという形式でそこから逃避し、彼らが誇る知力のひ弱さと、それが支える精神の脆弱さを露呈するのですが。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=20457
まとめ 投稿者:居る無頼と 投稿日:2004年4月4日 1時34分29秒
以下、のようにフリーソフトウェア、オープンソース運動を行っている人たちは、リバータリアニズムとの関連性を否定しているが、共通点は多いし、それを指摘する議論は多い。リバータリアニズムとは何か?ということを理解してもらうのにフリーソフトウェア、オープンソース運動を引き合いに出すことは、的外れではないと思われる。
Libertarian support of free software 投稿者:居る無頼人 投稿日:2004年4月4日 1時2分2秒
Libertarian support of free software The following link will take you to an article printed in the September 2002 edition of the Region magazine from the Federal Reserve Bank of Minneapolis.
The article was reprinted substantially in the March 2003 issue of REASON Magazine, a publication devoted to libertarian and objectivist (Ayn Rand's philosophy) thought. It is interesting to see libertarians of one bent seem to endorse the idea of dissolving the patent and copyright powers. While on the one hand, libertarians despise government granted monopolies of any sort, they have strong respect for proerty rights. Perhaps this dispute comes down to scarcity of resources?
http://minneapolisfed.org/pubs/region/02-09/napster.cfm
The original economics article is also linked below at:
http://www.minneapolisfed.org/research/sr/sr303.pdf
Eric Askanase
The Free Software Movement - Anarchism in Action 投稿者:居る無頼人 投稿日:2004年4月4日 1時0分12秒
Thus the free software concept is libertarian. It is also socialist in that everyone has an equal right to these four main freedoms. Also, the right to charge a fee (even make a profit) does not give one the right to stop others giving it away. In practice, this means that published free software is almost without exception available for no monetary charge over the Internet. In practical terms free software means that not only can you give your friends free CD copies of GNU/Linux, which you have downloaded from the Internet (2) without breaking the law, but you could also get your programmer friends to modify, say, one of the Indymedia code bases to add extra features, or to make it more suitable for your group's website. Non-programming users often contribute to the community by submitting bug-reports (fixed much faster than in proprietary software projects) and writing documentation.
Is "open source" software a libertarian idea? 投稿者:居る無頼と 投稿日:2004年4月4日 0時58分36秒
いくつかネット上で議論があったので転載します。
Is "open source" software a libertarian idea? Libertarians like ideals such as decentralisation and voluntary co-operation. This makes some libertarians ideological supporters of Linux and other open source software (software where the code can be worked on by anyone from their bedroom).
Certainly decentralision and voluntary co-operation are good things. The problem with open source is that it largely rejects a key ingredient of the market economy: the entrepreneur. Sure, there are entrepreneurs who take open source software, package it with support contracts and sell it. But the dispersed programmers who code just for fun have different incentives from those who have a day job with Microsoft or Apple. Many code just because they get to use the software themselves, or to increase their repuation as a coder. These are worthwhile ends...
フリーソフトウェア運動のリバタリアニズムに対する立場 投稿者:居る無頼人 投稿日:2004年4月4日 0時48分4秒
フリーソフトウェア運動のリバタリアニズムに対する立場を書いたコメントがあった。 彼らの立場は「フリーソフトウェア運動はリバタリアニズムを支持しない。しかし、有益と述べている。」あくまで政治思想からは中立という立場だと思われる。しかし、フリーソフトウェア運動からリバタリアニズムを連想した人がいるように、共通点は多い。
知的所有権に反対するリバタリアン的主張、Roderick T. Long 著 Comments on Roderick Long's Article by Richard Stallman フリーソフトウェア運動はリバタリアニズムを支持しませんし、 私たちはこの論文に 全く賛成というわけではありません。しかし独占的ソフトウェア 擁護のため持ち出されるある特定の主張を論破するには 有益です。
Re;オープンソースに関して 投稿者:居る無頼人 投稿日:2004年4月3日 22時25分9秒
有益な補足をしてくださりありがとうございます。
>もっとも、ストールマンやレイモンド、レッシグとランドの関係は寡聞にして知りません。
ストールマンとランドは直接関係はありません。私がここの掲示板でオープンソースを紹介するとき、「リバータリアニズム運動のソフトウェア版」と紹介しました。植田信氏は「レイモンド氏の意見は、アダム・スミスのコンピュータ・ソフト版なのでしょう。」と言及しています。「オープンソース」の考え方とリバータリアニズムは似ているところがあります。「オープンソース」を政治思想と結びつけようと考える動きもあるようです。
しかし、ストールマンはこのような動きに対してはきわめて、冷淡、無関心の姿勢です。「オープンソース」を政治思想と結びつけることによってソフトウェアの自由という彼ら本来の目的がひずめられるのを恐れているのかもしれません。
もっとも、日本のように、自由のない社会ではそういうことも必要ではと思います。
オープンソースに関して 投稿者:同僚です。 投稿日:2004年4月3日 13時23分39秒
お疲れのようで後半が貼り付けられてなかったので直接貼り付けます。
オープンソースについては色んな本が出ていますが、今思い出すものでは
水谷雅彦, 越智貢, 土屋俊編著『情報倫理の構築』 http://indus.andrew.ac.jp/cgi-bin/limedio/limewwwopac/book?bibid=1040103 が1章を割いて解説しているのがうまくまとまっていると思います。
もっとも、オープンソースについて話をまじめにしようとすると、ストールマンの発言(たとえば)『フリーソフトウェアと自由な社会 : Richard M.Stallmanエッセイ集』 http://indus.andrew.ac.jp/cgi-bin/limedio/limewwwopac/book?bibid=1077060
レイモンドの『伽藍とバザール』 http://indus.andrew.ac.jp/cgi-bin/limedio/limewwwopac/book?bibid=767520
レッシグの『コモンズ』 http://indus.andrew.ac.jp/cgi-bin/limedio/limewwwopac/book?bibid=1006100
などは必読だと思います。 もっとも、ストールマンやレイモンド、レッシグとランドの関係は寡聞にして知りません。
コピーレフトについての補足1 投稿者:無頼 投稿日:2004年4月3日 2時22分43秒
他の掲示板で有益な補足をしていただいたので以下に転載します。
コピーレフトという著作権行使の形態は、コンピュータの個人利用が始まった頃の苦い体験を教訓として考え出されたもののようです。
MS-WindowsどころかMS-DOSもパーソナルコンピュータすらない頃、コンピュータ利用の中心は大学などの研究室であり、研究者や学生は自分がやりたい操作を自分でプログラムを組んで達成していたそうです。そして、できたプログラムは周囲に無償で公開し、それを入手した人々は各々の使い勝手に合わせて改変改良してまた公開、そうして次々と吟味改良されていくのが当然という風潮だったそうです。
コピーレフトについての補足2 投稿者:居る無頼と 投稿日:2004年4月3日 2時21分5秒
ところが、そうして多数の人々が無償で改良したことによって高度に発展したソフトウェアを企業がコピーし、新たな改良を付け加えた上でソースコードを公開せずに販売するというケースが出て来ます。そういった企業は多数の研究者の努力の成果を踏み台にしながら、彼らのコミュニティになんら寄与しない形で利益を得たわけです。
このような行為に腹を立てた研究者の一人が、自分の書いたプログラムコードやその派生物が常に改変可能な状態に置かれることを求めるという、従来とは逆転した形での著作権行使の方法を考案し、これにコピーレフトという呼び名がつけられた、ということのようです。
「オープンソース」の注目すべき点 投稿者:居る無頼と 投稿日:2004年4月3日 2時18分30秒
他の掲示板での私のコメントを転載します。
「オープンソース」の注目すべき点は、マイクロソフトのような企業に独占状態に対し、民事裁判や独占禁止法の行使という政府の介入なしに、ボランティアコミュニティの自発的共同作業が、それに対抗できることを示したということです。 マイクロソフトの一連の裁判というのは政治的な側面もあるのでじょうが、政府による独占禁止法の行使はなにかと問題を残すように思えてなりません。しかし、選択の自由を自らの努力によって確保しようという、ユーザー個人のささやかな抵抗、自助努力の蓄積が、政府による独占禁止法の行使という政治的介入よりも力があるということを示した例として私は注目しているということです。
オープンソースについてのコメント 投稿者:居る無頼と 投稿日:2004年4月3日 2時7分33秒
居る無頼とです。以下、一票いれておきました。
>笠井潔さんの『国家民営化論』(光文社、1995年)が復刻されるように、ご協力いただけませんか。
副島さんの講演会はお会いできてよかったと思います。副島さんとは初対面ではなく昨年一度お会いしているのですが、藤森様とはお会いする機会はいままでありませんでした。なかなか、こういう機会はありませんね。オフ会感覚でお会いするというのもなかなか乙なものです。
オープンソースについてのコメントを掲載していただきありがとうございます。いろいろ勉強になります。植田さんの掲示板にもオープンソースについて投稿して有益なレスがありました。今度オープンソースをテーマに論文にまとめてみようと思っています。勉強の意味もかねて副島さんのリバータリア二ズム掲示板にも投稿してみようと思います。最近 リバータリア二ズム掲示板は死んだような感じなのでたまにはいいかと、、。
ASさまへ(2) 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月2日 15時13分30秒
それよりも、私は今ロシアの行く末に非常に関心があります。以前に、栗本慎一郎さんの『パンツを脱いだロシア人』(光文社)を読んだときから思うようになったことですが、ひょっとしたら、あのロシアはアメリカよりもヨーロッパよりも、リバタリアン的無政府国家になるかもしれないという、大逆説、大逆転がありえるのではないかと・・・政府というものの弊害を骨身に沁みて知った人々でしょう、ロシア人は。
今のロシアの政府なんて外交やってるだけで、まだまだ税の徴収システムも機能していないでしょう。共産党政権下では、国営企業の口座から税金を好きにしょっぴているだけだったんだから、税の徴収なんかに苦労したことがないで、やり方がわからない。目端の利いた国民は、政府なんか頼りにしないで自由市場で勝手にやっているでしょう。その市場では、マフィアが牛耳っていますが、それなりの秩序が生成されているからこそ、経済は機能しているわけです。年金だけに頼って旧体制にしがみつきたい一部の老人は餓死して、ホームレスになるしかない子どもは多いけれど、これは過渡的現象であって、ひょっとして・・・と私は期待しているわけです。ロシアは面白い・・・
ASさまへ(1) 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月2日 15時2分57秒
ご教示ありがとうございました。さっそく、アマゾンに注文しました。
ランドのロシア性ねえ・・・Chris Matthew Sciabarra氏(私のランド研究コンサルタントの方ですが、スカバラと発音します。バのところにアクセントです。サイアバラと表記している本がありますが、間違いです。)が、ランドはもろほんとロシアの知的風土の産物である!と論じたAyn Rand:The Russian Radicalという本を書いておられまして、これは絶対に私は翻訳したいものなのですが、私には、いまひとつよくわかりません。
アメリカのあるナボコフ研究者は、ランドとナボコフを比較して"Strange Bedfellows"という意味深なタイトルの論文を書いていまして、その中でランドをポップなドストエフスキーだと述べていました。
ジョアンナ・ハッブス著堀内徳明訳の『マザー・ロシア---ロシア文化と女性神話』に紹介されているように、ロシアの強い女性像は、ランドのヒロインのなかにも生きています。そのヒロインたちは骨太で、赤軍の女性将校みたいな感じがあるものなあ・・・
ランドに関する言及また発見! 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月2日 14時45分45秒
例の映画化もされたThe Virgin Suicides(邦題『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』)を書いたJeffrey Eugenides(ジェフリー・ユージェニデス)の新作の翻訳、ピューリッツアー賞受賞作Middlesex(『ミドルセックス』早川書房)に、ランドが登場しています。
半陰陽のために彷徨する主人公の両親が、ソクラテスから始まる全115巻の世界の名著シリーズThe Great Booksを買い込んだのですが、ホットドッグのチェーン店経営で成功する父親が、そのシリーズの中にアイン・ランドが入っていないとがっかりする場面があります。ははは。
この小説も、やはりランドものより面白くない・・・私は、在る小説を初めて読むとき、ランドのより面白がらせてくれ!と念じて読み始めるのですが、まだ会っていません。
著作権について同僚から御教示いただきました。 投稿者:藤森かよこ 投稿日:2004年4月2日 14時13分58秒
著作権について、同僚の方から以下のようなご教示を受けました。ありがとうございました。
ああ・・・私は、3月中に済ませなければならない仕事がまだまだ終わらず、クタクタへとへとのまま新学年度を迎えることになりました・・・しんどい。今年度は、おとなしく出張もせず、静かに授業と勉強にいそしみたいです。
>「著作権者が、これはオープンソースです!と宣言していても、その配布、改良、再配布には制限がついているのですか、今の法律は?」と書かれていますが、現行の著作権法では「制限」がついているわけではありません。むしろ「配布、改良、再配布」すべて保護される「権利」と捉えているべきでしょう。言い換えるなら、著作権者はその著作物の利用方法や条件を定めて他人へ利用許諾することができ、どのような条件にするかは原則として自由に決められるとされています。つまり、オープンソースは、「配布、改良、再配布」の権利を主張しません。という宣言だと理解できるかと思います。
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