雑文

人類に愛はまだ早い、いや永遠に早い=利他主義なんてやめておけ論 「幸福な王子」は究極のハード・ボイルドだ!(2)


それは、ワイルドが同性愛者だからでない

オスカー・ワイルドは、一八五四年に生まれ一九〇〇年に亡くなったアイルランド系イギリス人作家です。アイルランドの高名な科学者であり文筆家の父と、これまた優れた社会改革運動家であり詩人の母の次男として恵まれた環境に生まれました。オックスフォード大学を卒業後は、小説家となりました。劇作家でもあり文芸批評家でもあり、稀代のダンディでもあり、十九世紀末のイギリスのファション・リーダーでもありました。ほんとうに「スター」でありました。

しかし、何よりもこの作家がこれだけ現在でも有名なのは、彼が一八九五年に恋人の父親から、同性愛という「犯罪」を犯したと告訴され、二年間の重労働刑を受けたからです。このいきさつは、一九九七年製作で、日本では一九九八年に公開された『ワイルド』という映画が描いています。見ましたか?イギリスの刑法では、一九六七年まで同性愛行為は犯罪でした。それは、「自然にそむく行為」であり「男性間のわいせつ行為」であり「人間と獣の、あるいは男同士の自然にそむく性交」(肛門性交)だから、性犯罪として規定されていました。女性の同性愛に関しては、禁じる法律はありませんが、それは女がやっていることなど一顧だにする必要はないという、女性差別が当然であった時代背景のせいです。社会的に影響力のない女が何しようと関心はなかったというだけのことですから、問題は別です。

現在の私たちから見れば、当事者どうしの合意があって私的な場でする行為に関して、法律が介入してくるのは奇異に見えます。「ほっとけ!」とか、「誰を好きになろうと勝手だろう!二人きり(三人もしくは四人でもいいが)で合意でやってることに口出しするな!ストーカーやセクハラや強姦にならなければ、いいんだよ!」と言いたくもなります。

イギリスではなんで禁じられたのでしょう?日本には、古代よりそんな法律は存在したことがありません。それは性行為を子孫生産という使命、大義のための手段としてだけ規定してきたキリスト教(会)のせいです。そういうことになっています。生殖に貢献しない性行為を冒涜的で非道徳的としておとしめる歴史は西洋では長いです。肛門性交を想像させる後背位性交を、キリスト教は「悪魔の行為」として禁じました。アフリカを伝道した宣教師はアフリカ人に正しい性行為の体位を教えねばなりませんでした。ですから性交体位の正常位をミッション・スタイル(宣教型)もしくはミッション・ポジション(宣教体位)と呼びます。アホらしいですね。宣教師って暇な連中ですね。

『アンネの日記』やフランクル博士の『夜と霧』やスピルバーグの映画『シンドラーのリスト』などを、あなたもご存知でしょう。しかし、ユダヤ人虐殺のナチスが強制収容所にたたきこんで虐殺したのは、ユダヤ人だけではありませんでした。アーリア人種の純潔と繁殖を守ることを目的としたナチスにとっては同性愛者も排除・抹殺の対象でした。このことは、一般には知られていないことですが、歴史的事実です。

有名人や文化人が同性愛者であることを隠さなくなったり、同性愛者差別を法律で禁じるようになったのは、同性愛先進国アメリカ合衆国でも最近の現象です(未だに禁じている州もあります)。エイズが同性愛者の性病であるなどというデタラメがはびこった一九八〇年代という試練の時期も彼らは耐えねばなりませんでした。残念ながら、日本では、一般的に、まだまだ「おかま」とかいう差別語がはびこっていたり、同性愛者と異装愛好者とトランス・セクシュアルとトランス・ジェンダーの区別もつけられなかったり、公共機関の会場を同性愛者に貸さないような地方自治体まであったぐらいです。しかし、こうした愚劣さは、是正される方向に進んでいます。あたりまえだ。文明とはそういうもんだ。

ところで、私が、「幸福な王子」は子どもの手に負える童話ではないと前述したのは、その作者が、同性愛解放運動における聖なる殉教者、オスカー・ワイルド(ちなみに、ニューヨークのゲイ居住地区であるグリニッジ・ヴィレッジのクリストファー通りには彼の名前を冠した書店があります。昔はレズビアンの御夫婦が経営していたんだけど。)だからではありません。同性愛者ワイルドが書いた童話ですから、同性愛的テーマがこの童話の中にあるから、子どもには無理だと言うつもりではありません。そりゃ、確かに、この童話の中にはこんな記述だってあります。

(以下引用)

かわいそうなちいさなツバメはだんだん寒くなってきました。でも王子のそばをはなれようとしませんでした。ツバメは王子をとても愛していたのです。(略)けれども、とうとうツバメは自分の死が近づいていることを悟りました。ツバメは最後の力を振り絞って、もういちど王子の肩にとまりました。「さようなら、いとしい王子さま」とツバメはつぶやきました。「王子さまの手にキスしていいですか」「いよいよエジプトに行くのだね。安心しました。小さなツバメさん」と王子は言いました。「ここは長くいすぎたよね。でも、手ではなくて、わたしのくちびるにキスをしておくれ。わたしもあなたを愛しているのだから」

〔大橋洋一訳「幸福な王子」『ゲイ短編小説集』(平凡社・一九九九年)より〕

これは、明らかに男どうしの愛の行為を描いています。文学作品の従来は見えなかった、見ようとはされなかった、もしくは見えているのに見えないふりをされて無視されていた同性愛的主題を明らかにする研究は、特に一九八〇年代後半から九〇年代にかけて盛んにされてきました。

この童話の内容を、もう一度思い出してみましょう。小学校低学年のガキにお話する調子で始めます。ある街に「幸福な王子」と呼ばれる美しい彫像が建てられていました。刀の柄にはルビーが、両目にはサファイアがはめられた、それは豪華な金色の立像です。ある日、通りかかったツバメがこの像の台座で休もうとしたら、ツバメは濡れてしまいました。なぜならば、幸福な王子の像が泣いていたからです。王子は、この街の貧しい人々を思い泣いていたのです。ツバメは早く南に帰りたいのに、秋が過ぎ冬が迫っているのに、街の貧しい人々を助けたい王子の願いを聞いて、王子の目や刀の柄にはめられている宝石や王子の体をおおっていた金箔を一枚一枚はがして、貧しい人々に届けます。ある雪の夜、ひかり輝いていた「幸福」の象徴であった王子が、もう何も人に与えるものがなくなったとき、みすぼらしい汚い彫像になったとき、ツバメは力尽きて凍え死にます。同時に、王子の鉛の心臓も割れて王子も死にます。

私は、酔っぱらうと「マッチ売りの少女がかわいそうだ」とか「人魚姫がかわいそうだ」とか言いながら泣く人物を知っております。その人物は「ツバメがかわいそうなんだよ!王子と死ぬんだよ!雪の夜に!」と言って泣くときもあります。常日頃、大人としての冷静な判断や規律を要求される中年の人間が、酔って心の足枷を解くとき、子どもの頃に知った童話を思い出し泣くのです。

それはさておき、ツバメは王子の義に殉じるわけです。王子は貧しい人々を救う義に殉じる。いわば、ツバメは王子が自らの死を賭けて為したいことを手助けして死ぬのです。日本でも東京大学の大橋洋一先生は、この童話にある同性愛的欲望を指摘されておられます。このふたり(一個と一羽)の関係を「強固な意志をつらぬく年長者とそれを看取る若者」という同性愛関係の一種の変奏、もしくは「死を契機に絆を強くする師匠と弟子の物語」の童話版とも読めると、大橋先生は論じておられます。つまり、これは作家ワイルドが夢見た究極の愛の形の表象であったかもしれないわけです。実際にワイルドが愛し、身の破滅の原因となったアルフレッド・ダグラスという十七歳年下の恋人の美青年は、師匠を理解し愛し見守る弟子どころか、単なる甘やかされた貴族の馬鹿ドラ息子でした。その美しいが、あまりに凡庸で無能で浅はかで酷薄だった男は、天才オスカー・ワイルドが愛したということだけで、歴史に名をとどめています。

キリスト教が同性愛を禁じたことは、さきにもお話したのですが、しかし、イエス・キリストとその弟子たちの関係に同性愛を見る学者は少なくありません。それは、当然のことでしょう。十二人の男が全てを棄てて、キリストに従ったというのが事実ならば、キリストという人物が非常に好きでなければ、できることではありません。単に「義」のため「使命」のためだけでは、人は動きません。生々しい豊かな感情の裏打ちがあってこそ、人は動きます。日本屈指のキリスト教学者である田川建三先生は、キリストを痩せた陰鬱ないかにも深刻げな人物として描くのが定番であるが、十二人の男たちが離れがたかった人だったのだから、キリストはものすごく楽しい陽気で面白いひょうきんな人物だったのではないか、ひょっとしたら丸々と太っていたかもしれないと、書いておられます。少なくとも、十二人の男たちに「ついていく!」と 思わせるに足るだけの魅力の持ち主であったことは確かでしょう。通常の男集団の中心人物とは違って、キリストには体力も権力も財もないのですから、彼の魅力は純粋に人間的、人格的なものであったでしょう。そうしたキリストと弟子たちの関係に、同性愛的欲望がまじっていても、不思議ではありません。

といっても、作家が同性愛者であることが、「幸福な王子」を私がハード・ボイルドと呼ぶ理由ではないことは、ここでくり返しておきます。あとで、かなり詳しく申し上げますが、実は、全く関連しないわけではないのです。でも、直接には関係しません。