『クィア批評』〔2004年12月〕
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『クィア批評』 藤森かよこ編 世織書房、2004年12月刊 426頁、税込み4200円
★本書の目次
1 序論:リバタリアン・クィア宣言(藤森かよこ)
2 クィア理論:セジウイックとバトラーのクィア(岩田和男)
3 バイセクシュアリティ論:忘却/取り込みの戦略(竹村和子)
4 19世紀レズビアン・テキスト論:「ロマンティックな友情」の表象(渡辺和子)
5 現代レズビアン論:政治的に感じる女たち(村山瑞穂)
6 反存在的性愛論:いかにして<真実の愛>を消費するか(谷本千雅子)
7 クィア的古典再読論:逆流する愛と聖父のジェンダー(佐々木英哲)
8 クィア・フィルム論:二重化する欲望、あるいはクィア戦略(大橋洋一)
9 ゲイ・テクスト論:ゲイテクストと私小説(岩田和男)
10 明治ホモソーシャル論:強制的異性愛体制下の青春(藤森清)
11 クィア的谷崎再読論:近代小説における性的関係の表象(金子明雄)
12 日本男色論:日本近代文学における男色の背景(小森陽一)
13  おわりにかえて(藤森かよこ)

★本書冒頭部分から抜粋
「フェミニストやレズビアンやゲイなどの性的マイノリティが生きやすい社会とは、どういうものだろうか?あまりに問題設定がナイーヴに過ぎるだろうか?私は人間の心の解放とか意識革命とかいうものを信じていない。フェミニストやレズビアンやゲイなどの、いわゆる「性的逸脱者」(現行の支配的性分化において、フェミニストは性的逸脱者である)=大多数の人間がとる性的慣習でない性的行動をとる人間に対する差別や嫌悪や反感やスティグマ化への志向が消滅することはないだろう。人間とは、その程度のものであろう。 問題は、多数派に承認されることではなく、多数派の是認などなくとも少数派が生きることに支障のない環境の整備だ。すべての価値を多元的に認め合う人々が共存する寛容な社会を形成することは、私の人間観では不可能である。「何をやっているんだか・・・あの連中は」と互いに互いを思いつつ、潜在敵意的に共存しつつ、個人の自由な生き方が侵害されないし、侵害しあわないことが可能なシステム作りならば、人間にもできるだろう。要するに、冷戦状態こそが平和なユートピアなのではないか。そういうシステムについてのヴィジョンを、実にぼんやりしたヴィジョンではあるが、ここで私は考えて見たい。」(藤森かよこ「序論:リバタリアン・クィア宣言」より)

★藤森より一言です
日本初のクィア批評論集です。同性愛と異性愛を脱構築するクィア理論の観点から編まれた文学批評&映画批評論集です。私は、序文「リバタリアン・クィア宣言」を書いています。

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