論文
ディズニー・アニメーションとフェミニズムの受容/専有
―『ムーラン』における女戦士の表象をめぐって―

4 『ムーラン』と日本

以上,『ムーラン』におけるフェミニズム表象の可能性と危険性について指摘されたのであるが,最後に,日本における『ムーラン』の特異な危険性について,論じたい。それは,日本におけるフェミニズムの困難さと通底する問題である。

実は,ムーランのような女性像は,日本人にとっては「懐かしい女性像」ではなかろうか。ここで,もう一度,『ムーラン』と日本アニメ『もののけ姫』の関連について思い出してみたい。デイズニー・アニメ側が『もののけ姫』に刺激されたと仮定して,彼らを刺激したその様相は,野生の少女サンやタタラ衆を率いる女頭領エボシのアメリカ人にとっての異文化の魅力もあいまった新鮮な勇姿であったろう。「守られるお姫さま」も美しいが,「守るお姫さま」は,守ってあげる面倒がないだけにもっと美しい。しかし,日本は,伝統的に「守られるお姫さま」はいない文化なのである。

1998年にニューデリーで「子どもの本を通じての平和」というテーマで開催された第26回国際児童図書評議会(International Board on Books for Young People)において,日本の美智子皇后が日本語版,英語版ともに録音した「子供時代の読書の思い出」(“Reminiscences of Childhood Reading”)と題する基調講演を,ビデオ録音放映という形ではあったが,担当した。この講演内容の質の高さは評判となり,日本国内でも放映されたり出版もされた。この講演において,美智子皇后は幼い頃の読書体験のなかで,感銘を受けたものとして『古事記』の子ども向け再話の中のヤマトタケルノミコトとオトタチバナヒメの別離に言及した。父の景行天皇からうとまれて諸国平定の旅を強いられ,放浪と苦難の末に嵐の海に飲まれようとする「王子様」を助けるために,このお姫さまは竜神の怒りを押さえて海を静めるために,入水する。美智子皇后は,この神話から愛が時にこのような過酷な自己犠牲を強いるものであることに,子ども心に身の引き締まるような畏怖を感じたと語る。日本の代表的女性が,この「守るお姫さま」に幼少の頃に感動したということは,実に象徴的なことである。

日本の民話は,このような一種の「守るお姫さま」に事欠かない。「安寿と厨子王」の姉は弟を救うために入水し白鳥となって母や弟を見守る。「雪女」は,貧しい平凡なきこりの家に嫁に行さ,姑に孝養をつくし良き子も多く産んで家事万端怠りなく老けることもない。「夕鶴」の鶴の精は,愚かな夫のことばに「よひょう,あんたのことばがわからない」と悲痛な声をあげても,夫を喜ばせるために自らの羽を抜いて布を織る。日本の民話や伝説は,このような健気な女たちでいっぱいである。まるで,日本の女は,守ってもらうには,あまりに男の頼りなさや弱さが目につき理解できるので,つい守ってあげてしまうという風情である。

アニミズムの地母神信仰を源泉とする形而下的女神信仰を駆逐し,唯一絶対の形而上的男性神を立ち上げたユダヤ・キリスト教伝統のない日本人は,「命を生産するもの=自然=大地=母=女」という隠喩化の図式を,精神風土により濃厚に温存させ,女を尽きせぬ資源としてあがめ依存し活用し消耗させることを,「自然化」してきた。そのアニミズム的女性観は,女自身も内面化しているものであり,これは日本におけるフェミニズムの浸透を遅らせてきた。なぜならば,抑圧者たる男は被抑圧者たる女に依存し甘え,被抑圧者たる女は,それを自分の力が行使されている,支配がなされていると考えるからである。加害者(男)の奇妙な被害者意識と,および加害者意識の欠如。被害者(女)の奇妙なる優越感と被害者意識の欠如。こうした加害者と被害者の間にある葛藤/対立の隠ペいと抑圧は,家庭のような私的領域で特に有効に機能するので,性差別が社会に蔓延していると実感されにくい,という現象がいまだに日本にはある。結果として,欧米に比較して,日本では,男女間の緊張と葛藤が,可視化されにくいし意識化もされにくい。会社組織においても,女性に期待されることは,暗に「職場のおかあさん」「職場のチーママ」であり,それを演じている限りは情緒的には居心地が良い現象は残っている。職場における性差別の撤廃の必要性が当事者の女性労働者に認識されない原因のひとつでもある。

したがって,こうした日本のような文化文脈のなかでは,『もののけ姫』に登場する森の生き物を守るために戦う少女も,社会の底辺にいる人々を組織してタタラ衆を形成し鉄を生産しそれを売ることで共同体を守るエボシにしろ,攻撃的な「戦う女」ではなくて,実質は「懐かしい優しいおかあさん」なのである。伝統的に日本の女に期待される役割を,彼女たちも,また担っている。1996年の日本に,こういう女性像が,また先祖帰り的に描かれたということは,まだまだ不十分とはいえ,フェミニズムが表層的には広まり,女が自己実現という「遅れた近代人」をするのに忙しく,「おかあさん」などする余裕も義務も感じないようになった現代における,男の郷愁的意義申し立てであるのかもしれない。もちろん,私たちは,それに耳を傾ける必要は全くない。

そして,こうした「戦う女」=「懐かしい優しいおかあさん」が,必ず美少女として造型されることに,また日本特異な事情がありそうである。日本の「守ってあげるお姫さま」は,正確に言えば,母の心を持ち母を実践するために戦う少女である。日本は,先に指摘したように,アニミズム心性の母性信仰文化圏であるが,その母性を,母性にふさわしい成熟した女の中に見い出すのではなく,ごく若い女や少女の中に期待するのである。それは,民話の世界ばかりではなく,現代のコミックなどにも共通する。コミックにおける女性表象の分析は,小谷真理や斉藤美奈子,斉藤環によってなされてきているが,古くは手塚治虫の『リボンの騎士』から武内直子の『美少女戦士セーラー・ムーン』,さいとうちほの『少女革命ウテナ』,貞本義行の『新世紀エヴアンゲリオン』,宮崎駿の『風の谷のナウシカ』や,『もののけ姫』など,日本における戦闘美少女の系譜は華麗である(斉藤(c)214−17)。これは,アメリカにはない現象であるし,デイズニー・アニメにおいても,『ムーラン』が初めてなのである。これも,その起源が『もののけ姫』であると准測される理由である。なぜ,日本では,戦う成人女性ではなくて,戦う少女なのか?単に「守るお姫さま」という日本の伝統の派生物とするだけでは,処理できない問題がここにはある。

この「戦闘美少女」希求には,一見ひよわな日本家父長制のねじれた支配欲が見える。守ってはもらいたいが支配はされたくない日本の男の欲望,搾取はしたいが責任はとりたくない日本の男の幼稚な支配欲とエゴイズムが透いて見える。母的守護は欲しいが,母には直面したくない欲望。より正確に言えば,母なるものを都合良く利用したいが,母なるもの全体を受け入れることからは逃避する姿勢である。母なるものという,より大きなものに飲み込まれることの恐怖である。日本のアニミズム的精神風土から母性神話に呪縛された男の母親恐怖と,その恐怖を慰撫するための母の断片化という心理的母殺しから生まれた少女志向。まるで,それは「弱い疲れたお父さん」の妻との葛藤から逃避する,娘への不当で過剰で臆病で卑劣な依存だ。ほとんど子ども虐待である。これは,女の物象化という,女へのねじれた支配欲の変型でしかない。

かつて,大平洋戦末期の沖縄戦において,洞くつに逃げ込んだものの米軍に追い詰められた人々が,男が降伏の意志表示をしても攻撃されるかもしれないと考えて,幼い少女に白旗をかかげさせて洞くつから出して前方に歩かせて,男たちが離れて後に続くという降伏手段がとられたことがあった。それは,米軍のカメラがとらえた事実である。しかし,これは実に日本の男らしい降伏手段である。尋常ならざる極限状況とはいえ,これを,かなりみっともない惨めな卑劣な行為として見るのが,世界の通常の感覚ではなかろうか。家父長体制のもとでは守られ保護されるがゆえに支配され搾取もされるのが「女・子ども」であるが,支配はしても保護はしない日本の家父長体制は,難破する船から逃げるのは,まず女と子どもという西洋の家父長体制と比較すると,実は家父長の名に値しない依存と甘えと無責任と現実逃避の性向に満ちた「男の子ども」によって運営されている。

はっきりと,葛藤と闘争がある西洋の支配と被支配をめぐる男女間の力関係と比較すると,日本の男女関係に表立った緊張が欠如している平和な様相の根底には,このような日本の男の依存と支配をめぐる欲望の屈折と,「守る母」としての表層的な権力の行使によりナルシスチックな幻想の支配欲に自足して,「被害者に甘える加害者/被抑圧者に依存する抑圧者」である男を寛大にも赦し励ましさえする日本の女の無意味な健気さが,存在する。このような精神風土において,フェミニズムの浸透が,逆説的に,伝統的「守るお姫さま」=「母という尽きせぬ資源=消耗させてもまた使える自然」という女性像を,疑似フェミニズム表象として呼び返してしまう危険は,実に大さい。

こうした風土に,『ムーラン』を置いたらどうなるだろうか。言うまでもない。「戦闘美少女」希求文化は,より適切で鮮やかな表象を与えられて,さらに生き延びる。日本における『ムーラン』受容は,アメリカにおけるそれよりも,多分どこにおけるそれよりも,危険である。フェミニズムの大衆通俗文化メディアにおける受容は,このような文化的偏差も考慮にいれる必要があることの例として,日本と『ムーラン』の親和性を,それについて懸念しつつ,最後に言及した。

(本論は,1999年10月31日に金沢学院大学で開かれた第28回日本イギリス児童文学会研究大会のシンポジウム「カルテュラル・スタディーズとしての英語圏児童文学/文化研究の方法論」において口頭発表された内容を大幅に加筆訂正したものである。)