アキラのランド節

ゲマインシャフト? [11/01/2001]


先日、学生に余談で(私のクラスは余談が多いのだけれども)Gemainschaftと Gesellschaftの話をするはめになった。すでに英語化して久しいから英和辞典にも載っている。その説明によると、前者の説明を「共同社会。親密な相互の感情を特徴とする自然的に発生した有機的社会関係、それに基づく集団。」とある。後者に関しては、「利益社会。人為的、間接的な結合に基づく集団。」とある。前者の代表は家族とか部族とかの運命共同体みたいなものだ。後者はある機能の遂行を目的とした集団、組織だ。でも、私は、人間の集団はみなゲゼルシャフトでしかない、だから救われるのだ、と話した。家族だって、機能・利益集団である。家族の機能に貢献しない成員は邪魔であり、排除されてもしかたないのであり、機能不全ならば解散していいのだ、直喩にせよ比喩的なものにせよ、一家心中などというものは全くくだらないものだ、と話した。ゲマインシャフトというのは幻想であり、夢であり、みなが個人的に勝手に思っている分にはいいが、これを口に出す奴は絶対に信用しないほうがいい、たとえば国家はゲマインシャフトだと政治家が国民に言うときは、国民が守るべき義務以上の貢献を国民に強いることで、国家が国民を搾取するときだ、ある集団をゲマインシャフトだと言い募るとき、誰が言っているのか、そう言う事で誰が利益を得るのか、ちゃんと見極めねばならないと、話した。

昔、名古屋のプロテスタント系の女子大に勤めていた頃、組合の団交で、理事長や学長がくっだらないことばかり言い募り、あげくのはてには「私とみなさんの信頼関係に基づいて・・・私の人格を信頼してくださるならば・・・」とか話し始めた。で、うんざりして「ここは労働者と管理側との労働条件に関する折衝の場なのだから、人格とか信頼とかそういう個人的なことは関係ないのだ。職場という機能集団における労働条件を話し合うのであって、あなた方の人格など私には関心ないのだ。」と、私は答えた。そうしたら、同じ組合員のドイツ語の教師が「僕は藤森さんみたいに考えておりません。僕はここをゲマインシャフトだと考えております!僕にとっては運命共同体で大切な場所です!!」と、激した調子で口をさしはさんだ。馬鹿とちがうか??私は、たかが職場を運命共同体と考える彼の姿勢に驚いたが、もっと驚いたのは、そう断言する彼が非常に無能で、同僚からも学生からも馬鹿にされている人物であり、その言動が、どう見ても「運命共同体」集団に対して行うようなものではなかったことだった。職場に愛情があれば、あんな無能ではいられないものだ。少しは努力するものだ。機能集団としての職場ならば、どんなにその職場に忠誠心があっても、無能であるならば、職場の機能に貢献しないならば、排除される。しかし、運命共同体ならば、その共同体に属しているということだけで、帰属は守られる。前述の同僚は、彼の職場に寄生していたいだけなのだろう。依存していたいだけなのだろう。確かに、彼にとっては、職場はゲマインシャフトなのだろう。彼は、利用される値打ちもない「忠誠心」しか持っていないのだから、職場がゲゼルシャフトだと言った私に反発せざるをえなかったのだ。実に薄気味の悪い人物であった。

自分が属する集団をゲマインシャフトだと言い立てる奴には気をつけよう。その集団の寄生虫でいたい人間だけが、臆面もなく、それを言い立てる。その集団の機能に貢献している人間は、こんな「甘えのお化け」みたいな幼稚で醜悪なことは言い立てない。黙って、機能を遂行しているだけだ。それが集団に対する一番の愛情というものだ。無能な愛情など、搾取でしかない。日本人は、愛情と搾取を混同させてる奴が多いから気持ちが悪いよ。