アキラのランド節

ほんとに個人的雑感 [12/10/2001]


女はおしゃべりだとよく言われますが、私の観察によると、おしゃべりなのは男の方でして、女のおしゃべりなどには世間は耳をかしませんから、意外に女はしゃべっていませんよ。聞いてくれるのは、せいぜい行きつけのブティックのママ(通販利用ばかりの私には関係ない)くらいではないの。3分間、女が話し続ければ、「でしゃばり」と非難されますが、男は30分話しても、そうは言われません。男のおしゃべりには、一応耳を貸す習慣があるものなのです、この世間には。特に、きょうだいに女しかいないという男性には無駄口をたたく傾向が強い。多分、男だからということだけで、家庭内でチヤホヤされたのだろう。しょうもない話でも黙って聞いてくれる女がそばにいつもいたということだろう。つまらん話を延々として、3秒黙ると喉が腐るという風情の男性にそれとなく兄弟構成を聞くと、男だけの兄弟で育ったのは、あまりいない。そのかわりに、どうでもいいことでも、すぐ口に出す気安さがあって、その方が親しみやすくて気楽だという説もある。気が優しいのか弱いのか知らないが、この種の男たちは、彼らが強引に言い立てるときは、わがままが許されるような条件のある場所だけという、内弁慶さがある。それだけ用心深くもある。現代の日本のような社会では、こういう男のほうが生き易い(かった?)だろう。公務員とか大企業の社員には、こういう資質が身を守る術になるのかもしれない。

男だけの兄弟で育った男は、おおむね雄弁ではあっても、気楽にしゃべるという傾向は薄いようだ。とっつきも悪い。男兄弟で育つと闘争になりやすくて、「おしゃべり」ではなく「雄弁」でないと勝てないのかもしれない。こいつらは、闘争的でかなり強引であるし、迫力あるよ。だけど、やはり息子がいたら、こういう男であって欲しいなあ、と勝手に密かに思っている私は、フェミニスト。だって、正直そう思うのだから、しかたないよ。矛盾抱えて生きるのが人生よ。私に息子がいたら、中学生ぐらいになったら、寄宿舎にでも放り込んで息子の教育からは手を引くね。私の性格だと、息子の顔色見て甘やかすより、殴りつける方だから、反対に息子に殴り倒されて怪我します。殺されかねません。自分の人生を守るためにも息子は捨てる。男ばかりの闘争の中に投げ込む。その方が、息子のためにもなるよね。自分の身の安全にもなる。それくらい、男というのは手に負えんよ。女は人間だけど、あいつらは、亜人間ですよ。女に男の教育はできません。「私の愛情できっと彼を変えてみせる!」とか女が思うのは勝手だけれども、それで変わる男なんていませんね。男が変わるとしたら、人間力で女に負けていると認めることができたときだけです(あ、女はもっと変わりませんから、悪しからず)。よく息子に入れあげる母親の例があげられるけれど、息子といっても、所詮他人ではないか。なんで自分の人生を犠牲にしてまで入れあげるのか。入れあげても、男は母親なんぞ捨てるものだ。その点に関してだけは、野村沙知代は立派である。息子のために自己犠牲などしない。親子関係でも闘争だ。弱い奴が利用されるだけよ。人間力の希薄なほうが負けるのよ。老後の孤独が恐いならば、一家にひとりは親離れできない駄目男を育てておくのがいいのかもしれない。何の話か?

今日は、特にくたびれ果てているので、話はいつもよりも、さらに散漫になるな。どうして、こんなことを書いているかというと、実は私の楽しみのひとつは、勤め先の「教授会」において、「男のおしゃべり」と「男の雄弁」の差異というものを見物、見学することだからであります。先日、私は生まれて初めて、勤務先の近所にあるコンビニで、ナントカ・ゴールドとかいう液体栄養剤が小さなビンにはいったのと、ナントカという眠気覚ましのカフェイン抽出とかいう液体が小さなビンに入ったものを買って、飲んだ。私より、8歳くらい若い男性の同僚が買っていて、「これ効きますよ」と言ってレジに並んでいたので、真似して買った。一度、こういう「オヤジくさい」ことをしてみたかったのと、その日の昼下がりから4時間以上は必ず続く教授会があるのに、前日に雑本読んでいて、翌日返却予定のテスト採点を始めるのが遅れて(テストは、レポートは、コメントペーパーは絶対に次のクラスで返却する!という鉄則がUCバークレイの授業法の本に書いてあった)就寝時間が午前4時だったので、少しふらふらして寒気もあったからだ。前の名古屋のプロテスタント系女子大勤務時代には、こういう場合は、迷わず必ずサボって、さっさと帰宅していたものだ。あそこの教授会は、田舎の中学校の生徒会じゃあるまいし、実に無内容で退屈な「いい子ぶりっ子御意見拝聴会」みたいな茶番であったから、サボることに何の咎めも感じなかった。今は、好奇心で私は出席するのである。眠気覚ましのアンプル飲んででも、私には聞く価値があるのである。せっせと、レポートやテストの採点をしながら、同僚の男たちの「おじさんの主張」を聞くのが面白いのである。紛糾すれば紛糾するほど、楽しい。その紛糾は、ちゃんと理詰めであるので、聞くに値するのだ。私は自宅が名古屋市にあり、大阪に出稼ぎに来ている単身赴任者なので、キャンパス近くに1DKの部屋を借りているので、夜の10時過ぎまで会議があっても、帰宅時間を気にする必要もない。チョコレート数枚は必ずバッグに常備している。空腹になれば、それを食べればいい。

相手が年長者だからとか、まだ若いからとか、女だからとか、外国人だからとか、勤務期間が長いからとか、学部長だろうが学長だろうが、全く関係なく、理が通っていないと、ルール破りだと、はっきり非難する。容赦しない。外国人スタッフは、アメリカ人もイギリス人もフランス人もペルー人も韓国人も台湾人も中国人も(他学部にはイラン人も)いるが、全く特別扱いはしない。給与はいっしょで、日本の組織で働いているのだから、いっさいが日本語だ。翻訳されないと会議で何が議論されているかわからないような外国人スタッフは、どんどん無視される。誰も同情しない。だから、外国人もガンガン意見を言うし、怪文書も流す。実に、はっきりと明解で、単純で清清しく荒っぽい。声もガンガン荒立てながらで、実に楽しい。こういう空気のところだから、無駄口たたくばかりで、現実認識の希薄な、自分の狭いプライドの中でナルシスティックに生きてきた英米文学研究者の意見など、ひとたまりもなく退けられる。「やむにやまれぬ気持ちで申し上げるのですが」と、上品な老教授が、いかにも上品な口調で無意味な意見を開陳しようものならば、いっせいに言葉の銃弾が飛んでくる。名門女子大あたりに長くいて、女に立てられて、やっと立ってこられたという風情の男性教授など、私の勤務先では誰もお守りしてくれないし、誰も立ててくれないので、「不遇感」が濃厚なようだ。朝、私が挨拶しても、挨拶し返せないくらい傷ついていらっしゃるご様子である。宮内庁にでも就職すればよかったのに。自宅が遠いから、朝の一限目の授業(9時20分のどこが早いのか?)は入れないでくれと、言ったことがあるくらいだものなあ、その繊細さはオイタワシイ限りです。私は名古屋から始発で来るよ。他の同僚は、岡山から真夜中に車で来てる。金を得て働くことを、なめてはいけないよ。

こういう場所だから、女が「芸者」やっても、通用しない。愛嬌振りまいて、媚びて何とか男社会を居心地よく渡ろうとする女の同僚も、いないわけではなかったが、そういう技法が全く通用しないところなので、ふと見渡すと、そういう女はどこかに転任している。派閥にぶら下がって守ってもらおうとか、敵を作らずに誰からも好かれたいとか、こういう類の人間関係に依存しすぎるタイプは、女性の組織人にも多いものだが、派閥を利用はしても、必要に応じて派閥から利用はされても、依存はしないというタイプでないと、やっていけないのが私の勤務先である。残るのは、愚痴も言わずに、黙々と仕事しながらも、言うべきことは言うが、つるまない骨太な女たちばかりだ。日本において、大学教員を占める女性教員の割合は約10%である(短大や女子大や家政系に限れば25%くらいである)。アメリカでは40%。イギリスでは25%。フィリピンでは80%(これは教員の給与が低くて社会的地位も低いので、男性がなりたがらないから女性の比率が大きい。フェミニズムの成果では全くない)。私の勤務先でも、女性教員の数の割合は10%だ。しかし、その存在感は30%だと思うよ。

ようするに、私は自分の職場が、単純な好悪の感情を超えて、好きなのだ。前の職場では、好悪の感情は抜きにして、職業人として尊敬できる同僚は、その力量を認めざるをえない同僚は、男女問わずほとんどいなかった。「男のおばさん」や「アカデミック・ゲイシャ」など文学系学会だけで、たくさんだ。今は、好き嫌いの感情を超えて、一人一人の同僚が見学に値する。眺めていて飽きない。どうも、男性の同僚たちは、男兄弟で育ったような連中が多いのかもしれない。まことに立派に荒っぽいのが多い。女の同僚は、男の兄弟の顔色など見ないで、男の兄弟の犠牲になどならずに、伸び伸び生きてこられたような比較的恵まれた家庭に育った連中が多いのかもしれない。正直言って、40歳をいくつか過ぎて、こういう職場に来ることができた我が身の幸福を、私はありがたく満喫しています。大学って、偏差値だけでは測れない、中に入って働いてみないとわからない、独自の空気、ノリ、柄ってものがあります。前の勤務先と違って、今の勤務先は、休講も遅刻も雑用をさぼるのも、やれる雰囲気ではない。昔は考えられなかったが、今の私は、クラス開始時間5分前には教室でスタンバイしている。朝一番のクラスだと、10分前に教室の前で準備体操していて、学生に嘲笑われている。厳しいが、甘えは許されないが、しかしあっけらかんと機能だけで動いている職場というのは、最高だ。自分の幸福を書いてしまって、すみません・・・・