アキラのランド節

未婚男性に捧げる一文(その1) [12/24/2001]


私が思うに、今の日本で一番面白いサイトは、「副島隆彦の学問道場」である。ここの主宰者、副島隆彦氏による「今日のぼやき」最新号(http://www.soejima.to/)の内容は、いつもの国際、政治、経済問題ばかりではなく、「人間は中年以降が大事」という人生論だった。いわゆるハンサムと言われる某有名人たちを例えにして、「男の顔」について述べておられる。言っておきますけどねえ、俳優でもあるまいし、20代や30代ですっきりと爽やかな容姿の男なんて、中年過ぎれば貧相で貧弱なもんである。髪がサラサラなんて男は、必ずはげる。肌がすっきりと清潔な男は、しわの多いくすんだ顔つきになる。若い頃に、ダサダサで油っぽくて、足が臭くて、ついでに胴長というのは、内臓も丈夫で風邪もひかないぞ。女へのプレゼントに「図書券」選ぶくらいの「わかってない」男だと勤勉だし、中年以降もっとよくなるよ。いや、ほんと。何を言っているのか。そうだ、副島氏は、いずれ「悪妻論」も書きたいと言っておられる。これは、まことに大事な大事な話題であるよ。こういう人生で切実に大事なことは、なかなか誰も正直に教えてくれないものだ。大学とか学校って場所は、個人の人生を決定する「金とセックス」については、ほんとうはな〜んにも教えてくれない。教師の人生体験って、だいたいが、ひどく貧困だからね。参考にはならんよね。そろそろ初老に達しようかという女教師が「清純派」を売りにしたがる世界よ。はにかみながら微笑まないでね。目じりの皺が恐いから。教師って、若い頃から「世間から認めてもらいたい世捨て人」だもん。一番、情報に疎い。だから、若者は、コンビニで、こっそりBig Tomorrow(っていう雑誌まだある?)みたいな通俗処世訓雑誌を立ち読みするしかないのだ。かわいそうに。

私は男に生まれなくて良かったと思っているが、それは女なんかと結婚するのはかなわん、ということに理由は尽きる。私が男だったら、ゲイだったのではないか。大変だぞ、女は。で、このHPを、読んで下さる若い未婚の男性に本文を捧げます。参考にして下さい。しっかりと何度も何度も読んで、妻とか(結婚後の)愛人にする人物を決めるときの参考にしていただきたい。こういうことは、自分のゼミでもなかなか言えない。私立大学の文学部の常として、学生は女子学生が多い。だから、私のゼミも女子学生が圧倒的に多い。つい、女性の立場から、「くだらん男と結婚して自分の人生を搾取されない方法」という話になってしまう。たとえば「国立大学の理科系の男は、勉強ばかりで遊んでないから女を知らんし、センスもないので、一番騙しやすい。特に地方の国立大学理科系はねらい目である。世間一般に言われる<お嬢さん>の格好してれば、ひっかかる。髪はロングでストレート。花柄の清楚なワンピースとか、白いフェミニンなシャツとか、そんなもんで簡単に騙せる。少々野暮ったいぐらいがいいの。イケテルのはまずいの。そういう子は、遊んでる奴と思い込むからね、イモは。ゴージャス系には気後れするからね、そいつら。貧乏だからね。人間というものを知らんからね。清潔感とうぶな感じの演出ね。そこんとこ、よろしく。大昔の吉永小百合に大竹しのぶね。ダサい松嶋奈々子ね。井川遥風の癒し系演出ね。デイトは手作り弁当ね。ただし理科系でも、医学部の学生にはこの手は効かない。ほんとにセンスのいい美人でないと駄目。こいつらは、けっこう裕福に育っていてセンスがいいから。医学部でも貧乏な家の出身の秀才だと同業者と結婚するし、気が弱いと気の強い看護婦と結婚するし、うっかり良心的な奴だと国内外の無医村に行くから関係ないもんね。」とか、無茶苦茶なことを言っている。ゼミの教室の片隅で、数少ない男子学生は、「おばはん、心底アホや」という皮肉な冷たい顔で、私を眺めている。もはや、その種の視線にも慣れてしまって、びくともしないのが、中年という存在の輝きである。何を言っているんだか。

ただし、この文は、ただただ安定を望み、変化を憎悪し、現状維持を望むような実質的には「生きながら死んでいたい方々」、つまり根本的に非常におとなしく無気力ではあるけれども、割り勘の宴会となると、やたら飲んで食いまくるような、いじましいくらい「堅実」な、「公僕ではない公務員」体質の方を、対象としておりません。教師的もしくは文化左翼知識人的「世間からチヤホヤされたい世捨て人」も、対象としておりませんので、悪しからず。ともあれ、下記の条件を満たす女を選びましょう。

(1) ひとり遊びができる女=人間依存症ではない女=支配欲の希薄な女。
まともな男が、マイホーム・パパになんか心からなれるはずない。休日のマーケットに行くと、「心ここにあらず」の面持ちで買い物につきあっているご亭主がいますが、「こんな時間浪費したくないなあ。でもいっしょに来ないと彼女の機嫌が悪くなるし・・・」とでも考えているのだろうか?女房に新鮮な野菜の見分け方の薀蓄を傾けているご亭主もいますが、多分公務員だよね。それか教師だな。教え癖がどこでも出るんだ。貧乏臭い奴。

まともに働いている男にとっては、せっかくの休日を女房や子どもにつきあって繁華街をうろつく時間なんて惜しいだけだろう。不機嫌にもなるよな。しかし、あからさまに不機嫌な顔もできないし。まともで優秀な男であればあるほど、仕事はどんどん増えていく。その仕事が面白いからどんどんやっていく。仕事は、その人間の能力を少し超えたものが課せられるから、力振り絞って、やっと完遂できるものだ。まともな男が結婚したからといって、女房と遊んでいられるか。今時の若い男性だと、終身雇用制も正社員制度も崩壊しつつあるのだから、職場も雄々しく潔く未練なく転々としなければならないだろう。そんなときに、亭主の境遇に一喜一憂するような女房では困る。亭主の勤め先の世間での高い知名度が亭主よりも好きだ、では困る。いい意味で、亭主に無関心に、自分の人生を自分で作って楽しめるような女でないと困る。亭主と遊んでないと、時間がつぶせないような「一人遊び」ができないような女は困る。夫といっても、他人なんだからさ、過剰に入れ込んだって、しかたないよ。他人のことは他人のことなんだから。

干渉的な世話女房的な、いかにも「日本の妻」っているが、自分で自分の時間が管理できないだけのことで、自分のやりたいことなんかないわけで、他人を構ってないと暇がつぶれんのよ。他人に力を行使していないと充実しないぐらいに、自分の内面が空虚なのよ。日本の「良妻賢母」には、こういうのが混じっているからね。「世話好きでマメな女」は、権力欲が強いのが多いよ。他人を動かしてないと気がすまないということは、他人依存症、人間依存症でもある。これで専業主婦で、ついでに馬鹿だと、家庭内でしかその力を行使できないKitchen's Queenとなるしかない。亭主とガキは奴隷にならざるをえない。アメリカ映画の『普通の人々』に出てくる支配的で通俗で世間体ばかり気にする母親って、日本では、もっといるぞ。広義の意味で言う「人の褌で相撲取る女」よね。ここで、「食い込むばかり」と下品なことは言わないように。よくよく、このあたりを性欲に負けずに観測して、貴重なる人生の時間を侵食されませんように。

続きは(2)に書きます。みなさま楽しいクリスマスを。クリスマスだろうが、正月だろうが、誕生日だろうが、何も気にせず、イヴェントなど何の期待もせずに、「出会い」など何も関心なく、プレゼントは数ヶ月前に自分用に自費で買ってしまっているという、平常心と自立心に満ちながら餃子食ってられるのも、中年の栄光よね。その点、若い子は、ほんと可哀想だよね。いや、ほんと。