アキラのランド節

未婚男性に捧げる一文(その2) [01/06/2002]


年が明けた。正月も終わった。暮れには何をしたのかな。クリスマスの日の昼下がりは、秋までニューヨークにいたので支払うのを忘れていた2001年度の学会費を、やたらあれこれ入会している協会や団体の年会費とともにドッサリ振り込みに郵便局に行ったな。ついでに、退会届もドッサリ出した。惰性で入ってきた学会なんか、もうどうでもいいよ。いつ死んでもいいように、やりたいことだけやる。中東ばかりでなく玄界灘の向こうも、はっきりきな臭くなってきたらしいし。日本は、アメリカの不沈空母らしいし。まあ、私がいる限り沈まないでしょ、と唐突に全く無茶苦茶に、無根拠に非論理的に思う。私は、そういう性格である。大学倒産時代における勤務先の大学も、私が、そこにいる限り大丈夫である、と思う人間である。30日の昼下がりは、『無法松の一生』の戦前版と戦後版をNHKで続けて放映していた。何度見ても、泣けてくるよね、あの戦前版の方は。高貴なる魂とは、あの無学な人力車夫にある。坂東妻三郎という役者は、ほんとうに男らしい大きな豊かな魅力がある。「無法松」は、私の理想の人間像だ(文学研究的には、こういう私の思いは、階級と文化を異にする人間に、自らの願望を投影するエキゾチズムと言いますか国内版オリエンタリズムと非難されてしかるべきです)。大正生まれから、男優が軽く小さくなるんだよね。大正生まれあたりから、女優は下品に小賢しくなる。何の話だったか。そうだ、「未婚男性」に結婚相手として、こういう女はやめておけ、と書いていたのだった。で、「ひとり遊びのできる女」にしておけ、と書いたのだった。ひとり遊びできるような真に有能な女が、あなたを好きになるかどうかは、別として。

しかし、2002年が来て、気持ちが変わってしまった。まあ、好きになったらおしまいよ。どう見ても、悪妻にしかならんような女でも、好きになったら、しかたないもんね。だから、ま、好きにしてください。私だって、何が結婚の決め手でしたか?と学生に聞かれても、答えに窮します。「成り行きで・・・」と言うしかない。「センセイ!おつきあいするきっかけは何でしたか?」と可愛らしい上品な女子学生に聞かれて、「性的好奇心」と正直に答えたら、軽蔑された。そんなもんよ、現実は。よく考えたようで、いい加減である。まあ、人間には、不幸になる権利だって、傷つく権利だってあるのだから、誰でもいいよ、何でもいいよ。運任せですねえ、ほんと。それに、一生懸命生きていると、不幸とか幸福とか、運とか不運とかどうでもよくなってくるんだよね。生きていること自体が嬉しくて、やりたいこといっぱいで、あとはどうでもいいことになる。他人のことなど構っていられなくなるからね。馬鹿女の一匹や二匹は飼育しておいても構わん、勝手に遊んでろ、という気になる。いないよりは、退屈しないだろうという気にもなる。はっきり言って、女房のことなど忘れてしまう。と思う。悪妻につぶされる男は、その程度のものだし、つぶされたからといって、不幸とも限らないし。定番の良妻なんか、うっかり平凡な男が持てば、結果的には依存してしまって、甘やかされて、一層く〜だらない無能な気の利かない注意力のない幼稚な男になる。こういう男は、50代あたりから、はっきり呆けてくる。良妻持っても、凡人じゃ使い方もわからんのは、金や情報と同じよ。苦労するぐらいで、よろしい。頭脳の若さ保持用に、一家にひとりは悪妻を常備しましょう。

しかし、それでは実も蓋もない。やはり、これだけは言っておこう。ギリギリ、これだけは、確かだから。「勇気のない女」だけは、結婚相手に選んではいけない。「気力のない女」だけは、関わらない方がいい。下品でもいい。馬鹿でもいい。ブスでもいい。毎日見ていても慣れることができないほど気に障るブスなんていない。いたら美容整形してもらえばいいから。昔ヤンキーだった、でもいい。自分の人生に起きる様々なことを、きちんと迎え撃つことができる気力のある女であればいい。臆病な女が一番いけない。臆病な女は自分を守ることだけで精一杯だから、どんな汚いことでも、卑しいことでもやる。結果的にそうなる。そんなことするほど追い詰められてもいないのに、すぐパニックになる。自己憐憫と被害者意識だけで心が充満する。それぐらいしか心の容量がない。私は、友人には、臆病な女は選ばない。こういう女は必ず裏切る。必ず嫉妬深い。必ず偽善的。必ずいい子ぶりっ子。そして、自分を突き放して眺めるユーモア感覚もない。えてして、こういう女は「堅実で真面目で気が優しい」ように見えるが、内実は、視野が狭くてセコイだけ。この手の女は、「可憐ではかなげ」に見えたりもするんだよね。単に小ずるくてセンスが悪くて貧乏くさいのが、哀れっぽく見えるだけ。言うまでもないけれども、勇気のある女は、必ずしも「気が強い女」「勝気な女」「やたら元気な女」とは一致しない。将来のことが心配でたまらず、要領よく生きる道ばかり探っていて、損得ばかりを計算していて、利用できそうな人間物色に神経をめぐらせ、他人の顔色をうかがい、誰かが自分より楽して得しているのではないかと、ひがみっぽく嫉妬深く、他人との比較の中でしか自分を把握できず、不安にかられてやたら動き回り、しゃべり回るというタイプの女は、単に負けず嫌いで向こう気だけは強いけれども、心はびくびくと揺れてやまない神経症風。こういうのは、「臆病な女」より騒々しい分だけ、もっと加害性がある。

こういう女たちは、概して「小利口」である。お馬鹿な女の子は楽観的だ。現在にしか生きていなくて記憶力が悪いし想像力もないから、過去のことは忘れるし、先のことは考えない。無用心極まりない。今やるしかないことを素直にやるので、事実としてたくましい。すっごく優秀な女性は、トコトン考えて、トコトン想像力を働かせるから、恐れることは何もないなと判断して、理知的に勇気が出せる。無頓着な蛮勇をふるえるほどお馬鹿でなく、中途半端な自分の小賢しさを自覚できるほど優秀でもない水準の女には、とりわけ気をつけよう。私は、女でも男でも「似非インテリ」は大嫌いだ。こういう小利口な女(男)に随分と迷惑をかけられてきたからね。こういう小利口な女(男)の卑しさというものに、随分と嫌な思いをしてきたからね。けっこう、教師やってる女(男)に多いよね。ついでに父親が教師とか公務員だったりしたら、もう絶対信用しないね。話しても退屈だしね。でクリスチャンだったりしたら、ひたすら避けるね。女の選択に迷ったら、私に見せてください。5秒見つめさせていただければ、私にはその手の「勇気のない小利口女」は、わかります。自分でわかる方法ですか?それは、あなた自身が「勇気のない小利口男」でなければ、すぐわかります。接していると、なんとな〜く活力が殺がれる感じ。盆栽みたいに刈り込まれる感じ。安心感はあるのだけれども、自分がちんまりまとまってしまう感じ。血が騒がない感じ。そういう感じ。あなたが、「勇気のない小利口男」であると、勇気のある女に出会うと、無自覚に嫉妬して憎むでしょう。気後れしている自分に、むかつくでしょう。「勇気のない小利口男」は、自分のくら〜い感情を直視できるだけの気力も素直さもありませんから、自己分析もできません。朝日新聞でも読んでろ!

恐れてもしかたないし、心配してもしかたないし、悲観的になってもしかたないと、ともかくやり抜いてみせるさと、他人を利用などしなくても何とでもなるさ、これが私の人生よ、文句あるか馬鹿!と半ば乱暴に大雑把に決めこんで、にんにくいっぱいの大盛ラーメン食ってる潔い女でないといけない。どんなに上品でも、お勉強できても、美人でも、育ちが良くても、それができない女は、人間として小さくて卑しい。まともな男ならば、結婚相手の精神の矮小さ、卑しさだけは、耐えられないものだよ。あとは、何とでもなるけれども、結婚相手の精神の矮小さと卑しさだけは、見えないうちに、あなたという人間を侵食する。それに耐えていると、その矮小さ、卑しさが伝染して、あなたの心が腐食する。あなたが非常に心情が優しい繊細な男性ならば、ストレスで癌になる。ほんと。女をなめてはいけないよ。このことを素直に認めない男は多いが、選んだ女によって男の人生の幅が決定されることは、確実にある。強がってはいけない。やばいと思ったら、すぐ逃げてください。相手が妊娠していようが、婚約不履行で騒いでも構いません。離婚もいたしかたない。プロミスかアイフルでお金借りてきて渡して、頭下げて、逃げてください。