アキラのランド節

若く美しい女は人間好きであってはならない [05/09/2002]


最近、私の大学の先輩と単なる知人がセクハラ事件を起こした。先輩は私立の女子大教授。知人は国立大学の教官。先輩は辞職した。知人は半年停職&その後一年間講義は担当しないというペナルティ(これペナルティになるのか?休暇じゃないか?)を課せられた。どちらも女子学生と恋愛がこじれて女子学生が訴えたというケース。大学の教師やっている男には幼稚なのが多いから、「自分で自分のナニも拭けない幼稚な女の子」をうっかり相手にして騒がれるのよね。事がややこしくなると、この手の女は自分で処理できんのよ。つまり、そんな女だけが、この種の幼稚な男を相手にするのよ。どっちもどっちの、くだらなさだ。大学のセクハラ委員会(こういうのを置けと文部科学省からお達しが来たので、どこの大学にも今はあるよ)も、単純で正統なるセクハラならいざしらず、こんな「痴情のもつれ」なんか調べさせられるのはかなわんよね。こういう「痴情のもつれ」調査こそ、アウト・ソーシングした方がいいのになあ。同僚が、研究室でやったかやらないか、何回やったか、合意があったか、なんて調べる身にもなれよ。私は、勤務先のセクハラ相談員は、絶対に引き受けたくないわ。単純セクハラでも、痴情のもつれにせよ、なんで若い女の子は、ああも無用心なのか。教師など見るからに痴漢面しているのが多いのに、一目見て「やばい、こいつは」と思わないのか?生き物としての勘が鈍ってるのは、命取りだぞ。

だいたいです。女の子たるもの、新聞や小説や映画やテレビでも、いやというほど「女の子は気をつけないと、ろくでもない男に、ろくでもないめにあわされる」という例を見るはずだ。「人を疑ってはなりません。誰にも親切にね。笑顔を絶やしては駄目よ」なんて偽善を、娘に教える親は馬鹿である。美人の娘に、そんなことを教える親は、特に特に特に馬鹿である。教師だって、本当に良心的な人間ならば、そんなこと女の子に教えない。幼稚園の先生こそ、童話のもとになっている民話の残酷さとむきだしの生存競争を学んで、ガキに教えないと。「知らないオジサンにも、知ってるオジサンにも、ヘラヘラ笑っちゃ駄目よ〜〜パパもおかしいときは、センセイに言いなさいね〜〜ママはパパに気を使って、マリちゃんを守ってくれないかもしれないでしょう〜〜」って。ほとんど、内田春菊の自伝の世界だな。この漫画家の母親は亭主が娘に猥褻行為をしているのを知っていながら、自分の身の安泰のために娘を馬鹿亭主に好きにさせた。自分が食っていくためにである。自分で食っていけない女は、こういうことになるのだ。フェミニストでない女は娘でさえ売るのだ。亭主が義父だったのが救いだ。

しかしこういうので、実父というケースもあるのだ。アメリカに多いらしい。Stephen Kingの『ジェラルドのゲーム』(Gerald's Game)や『ドロレス・クレイボーン』(Doroles Claiborne)は、そういう小説です。後者は、映画『黙秘』になっている。キャシー・ベイツが、娘に猥褻なことをした亭主を殺す母親の役をしてアカデミー主演女優賞をとった。この母親は、メイドをして馬鹿亭主もろとも家族を養っていたのだ。だから、亭主を完全犯罪で殺せた。女房に殺されるような男だから最低の男である。こういう男は生まれる値打ちもなかったから、完全犯罪で削除されてよい。道徳的に正しい。Stephen Kingの父親は蒸発して、彼と彼の兄は母親に養われ育てられた。だからこそKingは、こういう立派な女性が造形できた。『黙秘』は、いい映画なのに、日本ではヒットもしなかったな。このままいけば、いずれこういう問題は日本でも起きます。日本の父親の劣化はとどまらず、娘に癒してもらおうという「大人気ない卑しい弱い父」が本格的に出現するでありましょう。そのとき、日本の母親は娘を守るのか? 自分が食べていくために、娘を馬鹿亭主に売るのを、馬鹿庶民貧乏家父長制という。

根拠はないが、以下のことは事実でありましょう。50人の男にひとりは人格障害者=サイコであり、2人は痴漢であり、3人はカッとなると暴力が押さえられないDV男であり、4人はアル中であり、5人はストーカーである。6人には虚言癖があり、7人は病的に怠惰であり、8人は強烈馬鹿母親系マザコン(立派母親系マザコンはよいのである。母親のチェックは怠りなく。男は母親に似る。精神の貧しさも豊かさも男の場合は、母経由。)である。つまり、ほぼ安全なまともな男とは、50人中14人しかいないのである。しかし、何を悲しむことがあろうか。14人も「まとも」なのだ。そう思って、後の36人と関わらないように用心してちょうどいい。「男を見たら痴漢と思うこと」は、若い女の子の「教養」です。中学や高校の生徒手帳の最初のページに、評語として印刷されるべき知恵である。

だいたいです。この世の真実というものは、人権も男女平等も幻想です。弱肉強食が実相です。殺されたら殺され損。弱くて運が悪ければ、無用心ならば、ひどいめにあうのです。女の子は、いざとなれば体力的には男の子に負ける。白兵戦になれば負ける。緒戦は勝っても、だんだんスタミナが尽きてくる。太平洋戦争みたいなもんである。あなたが、カンフーの達人でなければ、マグナムでもイサカ・ショットガンでもぶっ放して早々とけりをつけられないのならば、負けるのです。負ける戦争はしてはいけないのです。

また、女の子はうっかりすれば妊娠する。妊娠した結果を引き受けるのは女の子であるなんてことは、もう散々言われて古典的なことなのだが、古典的でも何回も何回も繰り返ししつこく言っていいのだ。それに文句言っても、しかたないよ。私は、ほんとは今の科学ならば、生理なんて数時間で終わらせることができるのではないか?妊娠なんて必要のないものではないのか?もうみな試験管ベビーでいいのではないか、人工授精でいいのではないか、と思っている。なんで10ヶ月間もカルシウムとか他の栄養素取られて腹にかかえていなくてはならないのか?しかし、これ以上女に楽をさせるのは、女を自由にするのはまずいという理由からか、単なる知的怠惰からなのか、生殖の問題は、今のまんまの原始的スタイルで捨て置かれている。これも、ロスチャイルドやロックフェラーの陰謀だろうか?産婦人科の先生、どうでしょうか?

ともあれ、女の子にとって現実が不公平だと騒いでも、現実そのものは変わらない。50人中36人の危険男が消えることはない。こういう危険男を罰する法律があっても、こういう連中は消えない。永遠に消えないと思う。50人中36人の比率も小さくならないと思う。この36人をかたはしから死刑にするというわけにはいかないのだ、残念ながら。私は、別に男性嫌悪者ではないよ。いちいち嫌悪するほどの関心はないんだよ。ただ、女の子の身を案じるだけよ。現実を指摘しているだけよ。

であるからして、この36人が野放しになっている世界におけるサバイバルの手段として、女の子には「人間嫌い」になることを、私は薦めます。「人といっしょにいてもあまり面白くない」「人としゃべっていても退屈だから、自分で何かやっている方が楽しい」「人とつるんでいると、自分の時間が侵食されるようで、もったいない気がする」という心性を培うべきだと思う。だいたい、他人を判断する場合、その他人にいっさい何の期待もないと、恃むことがいっさいないと、ほぼ正確に相手が把握できる。あんたに、スケベ根性があったり、相手を利用しよう=相手に頼ろうとか計算していると、判断を間違える。そのためには、人間はおおむね嫌いで、関わるのは面倒くさいという姿勢の方が、よいのである。

海外旅行で日本女性が殺されたりするが、旅行なんかに「出会い」を求め期待しないように。まともな男が、旅先で女の子に声かけて、つきまとうか?つーの。うちのゼミ旅行でニューヨークに行っても、こっちが油断していると、女子学生は地元の馬鹿白人男たちに話しかけられて、作り笑いしながらもじもじしている。「知らん顔していなさいよ!なんでああいう馬鹿相手にするの!笑顔なんか作るんじゃないよ!」と叱ると、「知らん顔してると怒らせる気がして・・・悪気はないみたいだし・・・」とくる。「先生みたいなこと言ってると、もてなくなるし・・・・」なんて言うのもいるな。あのねえ、50人中36人の馬鹿にもててどうするのか?その36人に好かれないと、不幸なのか?税金でもかけられるのか?今の日本の法律だと一人としか結婚できないぞ。ボーイフレンドなんか何人もいると、あんたの記憶力ではゴッチャになってしまい、名前すら間違えるだろう。ひとりでいるより馬鹿といっしょの方がいいという根性が、やばいのよ。もてない自分を、自分自身が認められないという根性が、諸悪の根源なのよ。私は、無人島でも好きな人間といっしょでなければ、独りの方がいいよ。嫌いな奴といっしょにいるはめになるならば、そいつを海に返さねば。そういう思いが生きる支えになったりして・・・偏屈な私。

ああああ〜〜〜学会の発表原稿もハンドアウトもできていないのに、こんなん書いちゃって〜〜ついニュー・カレドニア島での日本人女性殺害事件に頭にきてしまったのだった。若く美しい女性の方々へ。「人間嫌い」であることが、あなたの身を守り、あなたの判断力を確かなものにするのです。愛嬌は、50人中14人の男のためにとっておいて、あとの36人は「幽霊」として扱いましょう。幽霊相手に、ヒューマニズムは必要ありません。

ところで、全国の大学のセクハラ教員の出身大学リストを、どこかのプレスが調べてくれないものか。よく「日本の大学ベスト30」とか特集しているが、「セクハラ男養成大学リスト」も発表してよ。どこの学部出身が多いかも調べてよ。今後の人事の参考にするからさ。「ああ〜〜東京大学工学部ですか〜〜それはちょっとおおお〜〜」とかいうことになるかも。いえいえ、たとえばの話ですから・・・・ほほほ。他意はございません。