アキラのランド節 |
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土曜日の昼下がりのつぶやき [11/27/2004]今日は土曜日。昨夜は、会議が夜の9時半過ぎぐらいまであった。今日は起きたものの、くたびれ感が残っているので、昼食は作らずに、天ぷら用に買っておいた2本のさつまいもを、ふかして食った。おいしかった。 私は、桃山学院大学も勤めだして9年が経過するのであるが、実は、いつまでたってもOL気分である。これは、今まで勤めたことがある公立短大においても女子大においても、そうだった。 OL気分とは何か?組織の末端で働いてはいるが、そこに骨を埋める覚悟はさらさらないというか、時間と労力を売っているだけの兵隊の気分である。ただし、持ち場は必ず守るし、組織の歯車としての義務は必ず果たすという覚悟は持っている兵隊の気分である。ややこしいことは男性社員や総合職の女性社員などの将校たちが決めればいいのであって、兵隊は、将校連中がどんなにおかしな決定をしても命じられたことはやるしかないが、あとは自由にしたいんだから、厄介ごとは持ってこないでくれ、将校がやるべきことは将校がやれ、兵隊に依存するな、期待するな、甘えるな!という気分である。 将校というのは、大学運営の雑務もできるし研究もできるし教育もできるという優秀な人間である場合もあれば、研究と教育は諦めて大学運営と学内出世だけにエネルギーを集中した人間の場合もある。兵隊とは、研究や教育はしたいが、大学運営の雑務はこなす資質もないし関心もないという人間である。あと、教員スタッフ(faculty)には雑務も研究も教育もやる気ないし、やれないという人間たちがいるが、その割合は全体の2割ぐらいかな。その理由はいろいろだ。鬱病の人もいるし、何の病気なんだか病欠ばかりの人もいるし、介護老人をかかえた人もいるし、早期痴呆になったが症状が反社会的とまでは進行していない人もいる。企業体は、成員の福利厚生の役目もしている共同体と考えれば(考えれば、だ)、2割ぐらいはこういう人々がいるのもしかたないよ。こういうのは、予備兵でもないし、軍隊用語ならば「組織内実質的脱走兵」なのかなあ? ともあれ、兵隊にとって会議などは迷惑である。兵隊は、自分の目の前の仕事にしか関心がない。将校の名前さえ覚えられないくらい、組織全体から心理的に離れている。会議などは、勤務先にかなり関与している将校たちが勝手にやっていればいいのだ。将校といっても、そこで教師をずっとやっている人間なのだから、いいアイデアも知恵も出るはずもないし、経験もないし、劇的な改革もやれやしない。だから何を話し合おうが時間の無駄なのだ。 ところが、来年度の私は、やたら会議ばかりが多い委員をいくつもいくつもいくつもやることになっている。あなた、私は忙しいんだよ!ランドの翻訳もいっぱいしたいし、ランドに関する論文も翻訳したいし、ランドの評伝も書きたいんだぞ。だから、エネルギーを授業だけに注ぎ込むということはできないのであるが、比較的には、客観的には、私の授業手抜き度はきわめて小さいらしい。だって、つい昨日知らされたのであるが、私の毎学期ごとの「学生による授業評価」は、いつもダントツにいいのだそうだ。女性の同僚が、他学部の自己評価委員から聞いたといって、教えてくれた。知らなかったなあ!しかし、あんまり嬉しくない。びっくりしたよ。いいのかねえ?そんなことで?私程度で?大丈夫なのであろうか・・・? ともかく、教師&ランド研究者としての私をつぶすような会議は、極力短時間ですむように、プレッシャーをかけまくる。将校連中が無駄口たたきだしたら、すぐに「議事進行!」と言う。私の貴重なる時間を侵食させないように、冷たい視線と霊気で口を封じる。呪いで癌細胞を体内に生じさせてやる。馬鹿め。会議を老後の唯一の楽しみにするな!変えてもしかたないようなことは、いじくるな!馬鹿な参謀がろくでもない作戦たてると、良心的な兵隊は死ぬはめになる。背後から兵隊に撃たれたってしかたない。自業自得だ。 話題を変える。先週の日曜日の21日の午後に、高校のときのクラブ(新聞部に入っていた)の同窓会があった。いつもは、同窓会通知の葉書が来ても忘れてしまうので、返事も出したことがない。今回は、仲のよかった一年先輩の女性から誘われたんで、たまたまその週末は名古屋にいたんで、出席することにした。秋は気持ちがいいしね。年がら年中、秋だといいなあ。 同窓会が開かれた和風レストランに出かけても、最初のうちは誰が誰だか全然わからなかった。認識できたのは、誘ってくれた先輩の女性と、これも先輩の新聞部の部長やっていた男性のふたりだけだった(この人物は、誰もが入試に集中する「3年生の秋」に、生徒会長に立候補して当選したユニークというか変な人であり、部員の面倒を良く見てくれた親分肌の人物だったので、印象が強かったのである)。なにしろ30年以上が経過しているのだから、しかたない。しかし、自己紹介というか、近況を発表しあうようになって、私の記憶の暗闇の中から、だんだんとうっすらではあるが、制服姿の高校生の顔がいくつもいくつも浮かんできた。いやあ〜〜人間って、忘れてしまっているようで、しっかり脳の奥にはその映像もそのときの感覚も保管されているものなのですねえ!! 4人の子持ちの主婦の姿の奥に、無口でおとなしかった可憐な高校生の姿が見えてきたり、お子さん二人も大学を卒業して安心したのか、ちょっと弛緩した感じが漂い始めている中年男性の向こうに、ひょろりと背の高いやせっぽちの学生服姿の男の子が見えてきたりした。みんな、いい感じの年のとり方をしていて、明るくて屈託がなくて気持ちのいい人たちばかりだった。まあ、同窓会に出席する奴で、不幸の真ん中にいるってのはいないだろうけどさ。 変な感慨ではあるが、私が思ったことは、「そうか、私は、高校時代はこういう部員たちといつも遊んでいたんだ。私の高校生活はなかなかに幸福なものだったのだ!」というものだった。これは発見だった。ひさしぶりに旧姓で呼ばれ話しかけられた。彼女たちや彼らの記憶の中にいた高校生の私は、明るいのを通り越して、どこかで頭が破けているみたいに騒ぎまくる陽気で闊達な少女だったらしい。で、自分の名前の平凡さが気に入らなくて、自分の名前を「小百合」だと言い張っていたらしい(アキラじゃないのか?ともかく日活映画か)。新聞部の日誌には、イラスト付きでしょうもない雑文ばかり書き散らしていたらしい。テープレコーダー持って栄とか広小路(という繁華街が名古屋にある)に取材(?)に出かけて、通行人の意見を聞いて録音していたらしい。全く記憶にありません。信じられない。う〜ん・・・私は、孤独で神経質な女の子だったはずだが・・・public imageとprivate imageは乖離しているものだと書いたのは、岸田秀さんだったっけ。『ものぐさ精神分析』(青土社)だったっけ。 あ、『水源』のこととか、このHPのこととか、アイン・ランドのこととかも、近況発表のときに、しっかり宣伝してきましたよ。誰か読んでくれるかなあ!?うちの学生で『水源』買ってくれた文学部の女子学生は、なんと彼女のお母さんがはまってしまって、そのお母さんは、お仕事が忙しいのに、今度は『肩をすくめるアトラス』を読んでくださっているそうだ。むふふ・・・この前は、法学部の男子学生が、「先生、まだ第一部だけど、だんだんはまってきた。ヘンリー・キャメロンって男だね!」とか話しかけてくれた。なんて、言うじゃない? だけどさ・・・4年生のアイン・ランドゼミでさ、ランドを卒論で取り上げる学生は、ひとりもいないのですよ。なんでよ・・・まあ、テーマはアメリカに関することなら何でもいいのだけどさ。核兵器保有の問題とか、ユダヤ人問題とか、日系アメリカ人の戦後保障とか、AIDS問題とかの方が面白いというわけか・・・残念!切腹! うちの年配の同僚でさ、『水源』読んで下さった方がいるんだけど、「あれは面白いけど、ロングセラーにはならんでしょう。無理でしょう」と言いやがってさ・・・けっこうこの方には好感持っていたのだけどさあ、もう消えていいよ、あんた。 |