アキラのランド節

私のプチ大量交換日記 [12/19/2004]


師走ですな。週日は走り回り、土曜日はへばり寝込み、日曜日にやっと正気になるという日々が続いているが、もう少し経てば冬休みになる。風邪引きたくないので、レモン汁に蜂蜜入れて熱湯注いだものとか、生姜すって黒砂糖入れて熱湯注いだものとか、飲みまくっている。体温=内臓温度が低くなると、免疫力が落ちて風邪になりやすいどころか、癌にもなりやすいんだって。

うちの同僚の奥さんが乳癌の手術が治ったとかで、そいつが私の体型を一瞥して、「フジモリさん、あなたの体型は典型的に乳癌になる。確実になるよ」と言いやがった。なってたまるか。そんな暇があるか。私は、毎朝にんじんジュース、りんごジュースをジューサーで作って飲んでいるんだぞ。石原結實医師の『クスリはいらない!石原結實式体温を上げて病気を治す』(宝島社)や『生姜でしゃきっと!―Dr.石原結實が自信満々!!プチ断食から万病退治まで』(ビジネス社)をちゃんと読んで実行しているんだぞ。朝は小林旭さんのCDかけて景気をつけて、ついでに片岡慎介氏の『ツキを呼ぶ魔法の絶対テンポ116』(ビジネス社)についていたCDも聴いているんだぞ。確かにテンポ116というのは効果があるな。マザー・グース(英米の民間伝承の童謡の総称)も、だいたいテンポ116前後だもんな。人間にとって快適な、脳と身体を適度に活性化するテンポってあるんだよね。

さあ、学生のコメントペーパーをチェックしなければ。

ゼミや英語のクラスはさておき、私の講義科目においては、学生は必ず講義の最後にその日の講義内容に関するコメントペーパーを提出しなければならない。その出席票兼コメントペーパーに私のコメントつけて次回のクラスのときに返却する。実に原始的な方法。だけど、この方法は、パワーポイント使って講義するより効果的だ。少なくとも、学生の理解度の把握のためには、この手にまさるものはない。学生にとっては短時間にサッサとまともな日本語で講義内容に関する質問や短評を書く訓練になる。いいコメントや質問は講義の最初で紹介し読み上げる。この方法は、前回のクラスの復習を兼ねることにもなるし、前回のクラスでの私の説明不足の補足にもなる。

学生全員のペーパーにコメント書くことも、週2回開講のクラスでも、70名や80名の受講生ならばどうということもないけれど、これが150名ぐらいになると・・・時に死ぬ思いになるんだよね。私がいい加減にチェックすれば、学生もいい加減なことしか書かないから、雑なことはできない。この作業は、はっきりと私には負担だ。この作業がなければ、かなり本読めるだろうなあ。すべてのコメントペーパーを読み上げたいような「大当たり」の日もあれば、「てめーら、中学生か!」と怒鳴りたくなる幼稚な内容ばかりの「大はずれ」の日もあるしなあ。

ぐだぐだと愚痴ってはいるが、私はこの方法をやめる気はないです。自分が大学生の頃に何を考えていたか忘れてしまったしね、子どももいないので、今の若い子が何を考えているのか私にはさっぱり見当もつかない。ついでに、相手が何を考えているかを思いやるとか推量するとかいう類のことが、昔から苦手なのだ。人情の機微なんか知らない。忙しいから、学生とおしゃべりに興じながら情報を得るということもできない。だから、一方通行にならない授業をしようと思うと、つまり、きちんと「応答」をしようと思うと、この手しかないのだ。

それにさ、講義開始前や講義後に、最前列の机の上に並べられた学年ごと学科ごとに分けられた返却分コメントペーパーに群がって、自分のペーパーを探している学生を眺めていると、なんか不憫な気持ちになってしまって。ひょっとしたら、彼女たちや彼らは、意外と「応答」というものに飢えているのかもしれない。

講義方法に関する苦情とか質問ではない、身の上相談事もしくは身の下相談事を書いてくる学生もいますよ。

「24歳の兄が母に甘やかされて育ったせいか、働きもせず家にひきこもっています」とか。この場合は、「なるべく早く家を出ましょう。日本の母親は、息子はやたら保護して甘やかして、娘には冷淡なくせに、いざとなれば娘に依存する傾向があります。そうなる前にさっさと逃げましょう。お兄さんの問題はお兄さんの問題なので、お兄さんが解決するしかありません。あなたが関与してもしかたありません。家を出たら実家に近寄らないようにしましょう」と書いて返却する。このケースの場合、「あんたの父親はどうなっているんだ?男としての生きかたを息子に見せてきたのか?何代にも渡る親子関係と家族の精神風土の矮小さと歪みが、兄の姿に集約されて現れている」とか書いてもしかたない。私は、彼女が救われれば、それでいいんだ。母親と兄貴なんて静かに実質的心中でもしていればいい。どこかで起きた事件みたいに、両親が引きこもりの息子に殺されるのは自業自得だが、兄弟や姉妹まで殺されることはないよ。

「アルバイト先の男の社員の人たちが、私が可愛いからもてるだろうとか、男と遊んでいるんだろうとか、セクハラみたいなことばかり言います。いやで仕方ありませんが、ペイはいいのでバイトはやめたくありません」という相談もある。「若い可愛い女の子に性的なことをほのめかしてからかうのは、普通の男性の慣習です。悪気はないけれども、さぞ不愉快でしょう。特に暇なあまり能力のない男性は、そうやって時間をつぶすしかやる事がないのです。そんな連中のために、せっかくペイのいいバイトをやめるのは、確かに馬鹿馬鹿しいです。礼儀は守りますが、必要以上のことはその種の人々に話しかけず、無駄口はたたかず、何か性的なこと言われたら聞こえないふりするか、『は?』という顔してボ〜〜と相手を眺めるか、キョトンとして無関心そうに相手を一瞥するか、明るく陽気に大きな大きな声で『いやだああん〜〜!!セクハラですよ〜〜!!』と笑って言いましょう。この台詞を咄嗟に言えるようになるまで、毎朝大きな声で練習しましょう。休憩時間は、その種の人々は避けて、本を読んでいましょう。仕事そのものに集中し、人間関係には気を使わずに頭を使いましょう。同時に、まともな男性を判別できるようになるために、その種の人々の生態をさりげなく観測しておきましょう」と、コメントペーパーの裏側に長々と書いておく。

なかには、いまどき純情(おお、懐かしき言葉!)な相談もある。「一度に二人の人を好きになりました。いけないことでしょうか?」とか。「青春期にはよくあることです。私は中学生のとき、各クラスに好きな男の子がいましたから、休憩時間になると各教室に出かけて彼らの顔を見物に回っていたので、毎日忙しかったです」と書いておく。

珍しく男子学生からの相談事もあるよ。「友だちの彼女が好きになりました。盗ってもいいでしょうか」とか。こんなこと相談するまでもないのに。これは私をからかっているのかな?と、チラリと思うこともあるけれども、まあ「彼女の承諾さえあれば、問題ありません。どうぞ、どうぞ、ご遠慮なく」と書いて返却しておく。恋愛に仁義なんかあるか。

笑えない相談もあるな。「女難で苦しいです。僕ははっきり言ってすごくもてます。相手は年上のブスばかりです。別れようとすると、『あなたを殺して私も死ぬ』とおどされます。やっと別れられたと思うと、またブスが出現します。高校の頃から、そうでした。もう女には疲れました。どうしたら、いいでしょうか」というのもあった。この学生に関しては、いったいどういう人物なのか関心があったので、また「女難」と自称するぐらいだから、よほどいい男かもしれんと思って、ならば会っておこうかと好奇心に負けて、彼には研究室に来てもらったことがある。確かに、気の強い思い込みの強いストーカー気質の頑固なブスが好きになりそうな色白ひょろりとした痩せ型倦怠風浮遊系の男の子であった。気が優しいというか、ノーと言えないというか、ムードだけは破滅派太宰治みたいというか、のんびりと漂っているというか。北風にひとり向かって歩いているみたいな殺気立った隙のないキリリとした男の子ならば、女も寄ってこない。「色気」って「つけ入る隙」ってことでもあるからね。「もてる」というのは「無用心」ってことでもある。

このケースでは、私としては、「大きな由緒正しい清浄な感じの神社に行って、きちんとお祓いしてもらったらどうか?」と答えるしかなかった。まさか、ナチスの制服とか旧日本帝国陸軍の制服でも着ていなさいとは言えないしなあ。彼はもう卒業したかな。ともかく刃傷沙汰にならないように、私も祈ってるね。

これは、大昔に流行していた、私自身は馬鹿にしてやったことのない(そんな相手もいなかったが)「交換日記」のプチ大量版だろうか?

こういうことは同僚には話したことがない。「小学校みたいなことやって馬鹿なんじゃないか」とか、「そんなことしているから、あんたはまともな研究者になれないんだよ」と思われるのが落ちだし。でも、学期が進むにつれて、講義回数を重ねるにつれて、確実に学生の書くことは、まともに大学生らしいものが多くなってくる。多くなってきたところで、学期も終わりに近づくというわけだ。まあ・・・要するに、「応答」に飢えているのは、学生ではなくて私なのでしょう。恵まれない教師に愛の手を。