アキラのランド節

『水源』の誤訳(その1) [12/24/2004]


先日、初めて、プロの建築家の方から、『水源』に関する反応をいただいた。とても嬉しかった。建築設計事務所を経営なさるかたわら、『インド建築案内』(ToTo出版,1996)とかアンリ・スチールラン著の『イスラムの建築文化』の翻訳(原書房、1987)などのインド建築やイスラム建築に関する著書や訳書も多く出版しておられる神谷武夫さんからである。

と同時に、誤訳のご指摘もいただいた。誤訳や校正ミスに関しては、自分でもいろいろ見つけているが、みなさんもご協力ください!『水源』をお読みくださったみなさん!誤訳を見つけたら、是非ともお知らせください!増刷されるとき(いつその日が来るのか・・・?)には、出版社に必死にお願いして、誤訳を訂正させてもらえるよう努力します。この先、長く読まれることになる小説ですからね、極力、完全な翻訳にしておきたいですよ。

私の今までの人生は、はっきり言って、ろくなもんじゃなかった。幸福ではあったが、頭はすこぶる悪い日々だった。努力はしてきたが、これでもめいっぱいではあるのだが、知能指数というか記憶力というか思考力というか、そのあたりに資質上の大問題というか遺伝学的限界があって、迂闊で馬鹿で不注意で穴だらけの人生であった。私が過去を振り返るのが嫌いなのは、誇れるものが何ひとつないからだ。振り返っても不快なんよ。だから、せめて『水源』の翻訳くらいは、まともなものにしておきたいんだよね。こんな私が教師やっていていいのだろうかとも思うけど、そこは笑って許して。

ですから、このランド節に「誤訳情報」も載せようと思います。情報をいただいたら、ここで紹介させていただこうと思う。今日は、その第一回めであります。

以下の「紹介文」は、建築家、神谷武夫さん主宰のウエッブサイト『神谷武夫とインドの建築』の「お知らせ」というコーナーから転載させていただいたものです。もちろん、神谷さんのご許可は得ておりますよ。このHPで書いたことなんか、よそのサイトでけっこう無断転載されたりしていますがね、私は紳士だからそういうことはしないんだよ。

<以下、『神谷武夫とインドの建築』より転載>

映画 『摩天楼』 の原作小説の日本語訳がこの夏に出版された、と言えば、年配の建築関係者なら誰もがエッと驚くことだろう。 映画とは題名が異なる上に、訳書ではそのことが強調されていないし、そのような宣伝もなされなかったから、建築雑誌でも全く紹介されなかったので、この本のことは、建築界にはほとんど全く知られていないからである (出版社の販売戦略のミスだと言えよう)。

多くの人はあの映画に原作小説があったということさえ知らないかもしれないが、私以上の年配の建築家なら、一度はあの映画を見たことがあり、強く記憶に残っているはずである(日本での公開は1951年)。あの映画を見たことが建築家を志すきっかけになったという人も、私の一世代上の建築家には珍しくない。 (実はもう 1本そういう映画があり、これは原田康子の小説 『挽歌』 (1956) の映画化で、当時の人気俳優、森雅之が主人公の建築家を演じ、昨今の 『冬のソナタ』 のようなヒット作となった。 この映画を見て建築家になろうと思った人も多かったという。)

  『摩天楼』 では、主人公の建築家を当時のハリウッドの大スター、ゲイリー・クーパーが演じ、ヒロインをパトリシア・ニールが演じた。 私がこの映画を見たのは、たしか学生時代にテレビ放送でだったから、放送時間にあわせてところどころカットされていて、少々話がわかりにくかったが、全体としては、何という楽天的なハリウッド映画かと、あきれたものだった。 「ゲルツェンとロシアの風景」 に書いたように、当時の私はむしろ 「戦争の真の終り」 のような シリアスな映画における建築家像の方に リアリティを感じていたのである。

しかし、今年の初めに、あるオーストラリアの女性 (その父親はフランク・ロイド・ライトを偏愛する建築家であるという) から 「ライトをモデルにした建築家の小説」 があり、しかも実に面白いという話を聞いた。 それが、この "The Fountainhead" で、早速本を取り寄せてみると、それはまさに あの映画の原作であることがわかった。 (「摩天楼」 という映画の邦題が あまりにもうまい命名だったので、その原作も "The Skyscraper" というのだろうと思い込んでいたため、話を聞いた時には気がつかなかった。)

ところが これを読み始めたものの、あまりに長い小説なので 途中で中断したままになってしまった。 その翻訳が最近出版されたことを知ったので、やっと日本語で全編を読むことができたわけだが、それは記憶にある映画の印象とは ずいぶんと趣を異にしていた。 映画では、この小説の ハーレクイン・ロマンス的な面だけが描かれていたのだが、原作は むしろ一種の観念小説とでもいうべきものである。

ここにはストーリーは書かないが、日本に旧・帝国ホテルの設計もした天才的建築家 フランク・ロイド・ライトをモデルとする ハワード・ロークという孤高の建築家が主人公であり、その師としての建築家 ヘンリー・キャメロン (そのモデルは言うまでもなく、ルイス・サリヴァンである) も登場する。 このヒロイックな建築家の系列と対比的に カリカチュアライズされて描かれるのは、ピーター・キーティングやガイ・フランコンといった、真の才能はないにもかかわらず 現実世界で名声を獲得する保守的建築家たちである。 (彼らのモデルは特定の誰かではなく、世俗的成功を修めた建築家一般だといえよう。)

この黒白の構図は初めから終りまで固定されたままで、それぞれの内面的葛藤と成長というものが描かれないために、これはアメリカで累計 700万部を売る 超ベストセラーとなったかわりに、通俗小説の烙印を押されてしまうことになる。 それだけ、一般アメリカ人の 建築家に対するイメージ形成には、巨大な影響を与えたことになる。  しかし、作者のアイン・ランド (1905-82) が描こうとしたのは、人間と この世界に関する観念なのであって、それを表現するのに最もふさわしい職業分野として、建築家を選んだのに過ぎない。 彼女は人間の卑小さを嫌悪する。 凡庸な精神と依存心、偽善と怠惰、付和雷同と自己欺瞞、大衆性と無名性、等々を嫌悪し、寄生虫的人間やセコハン的人間を憎む。 (そうしたものを大衆に植え付けようとする、極端な人格として描かれるのが、エルスワース・トゥーヒーという建築評論家である。)

彼女が求めるのは、孤立を恐れぬ高邁な独立心であり、自己の欲望に正直な人間であり、何物にも規制されない創造的能力であり、低劣な集団からの迫害と徹底的に闘う精神である。 そうしたあり方が可能ではないかと感じたのが建築家という自由業であり、そして それを象徴するかのような 同時代のフランク・ロイド・ライトを見出したからこそ、彼女の理念を体現する主人公を 建築家と設定したのである。

彼女は直観的に 建築家の持つ 2面性を見抜いた。 市民社会に奉仕するプロフェッション (献職) としての建築家と、自己実現をめざすクリエイターとしての建築家と。 利他主義を奉じがちな前者をランドは否定し、後者の 「利己的な (金銭や地位に対してではない)」、創ることそれ自体を目的とした 自己中心主義の姿勢こそが社会を動かし、発展させる原動力だと断じる。 それは創造者であり、無から有を産み出す存在であり、その強固な意志を何物も妨げることのできない 絶対者である。

近代の分業化の社会にあって、人間はそのメカニズムの部品のような存在になってしまった。 歯車の一員として他者の間に埋没し、黙々とその役割を果たすことこそが善である とされる、あるいは、人間が歯車の一員としてしか存在しえないようなシステムに 否応なく組み込まれてしまった。 ランドには、それが我慢ならない。 人間は単独者として、自ら全体的な価値を創り出す存在であるべきだし、自己の欲望を全面的に押し出してこそ、はじめて世界における意味のある存在だと考えるのである。

そして 近代以降の社会を見渡したとき、そうした存在が可能であるかに見えたのは、政治家と建築家であったのだろう。 政治家の場合には 社会の、あるいは国家のアーキテクトであったとしても、調停家としての役割を果たすことが最大限に要請されるし、そうではない自己実現の道を選ぼうとするなら、衆愚政治による大衆操作の支配者となるほかはない。 一方、建築家の場合は、現代社会にあっては珍しく 歯車の一員としてではなく、神のような創造者として、無から有を、ひとつの全体像を、しかも巨大なスケールのモニュメントを 自分の力と才能で創ることができる、と考えたのである。 現実には存在しそうもない絶対者として、ハワード・ロークという建築家を造形したのだった。

アイン・ランドは 自己の思想を 「オブジェクティヴィズム」 (客観主義) と名づけたようだが、私には、「唯一者とその所有」 を書いたドイツの哲学者 マックス・シュティルナー (1806-56) のアナーキズムが一番近いのではないかと思われる。 ヘーゲル左派に属しながら、自我とその唯一性を すべての価値の根源におき、実存主義の先駆ともなったシュティルナーの思想こそ、主人公のハワード・ロークに与えられた本質ではなかろうか。

訳者の藤森かよこ氏は アイン・ランドの作品と思想に完全に没入してしまい、ランドの研究とその思想の普及のためのサイトを立ち上げている。 訳書には十分な解説が書かれていないので、藤森氏のランドに対する理解と解釈は、そちらを見ていただきたい。 「藤森かよこの 日本アイン・ランド研究会」 

現代の小説ではなく、書かれてからすでに 60年も経った (歴史的?)文学作品の翻訳には、その成立事情や評価の変遷についての詳しい解説が添えられるべきではなかったかと思う (全体が 1,000ページを超えるのだから、解説に 20〜30ページを充ててもおかしくない)。

その場合には当然、様式主義に対立したモダニズムの建築と 1930年代のアメリカの建築界の状況の解説が必要であったろうし、また、建築面における翻訳チェックを誰か建築関係者に依頼していれば、さらに良い翻訳となり、建築家たちにも違和感なく読まれたことと思う。 (例えば、「建築設計事務所」 とは言うが、「設計建築事務所」 とは言わない、とか、「パリの芸術学院」 ではなく、「パリ美術学校 (ボザール)」 と言う、とか、Reinforced Concrete は 「強化コンクリート」 ではなく 「鉄筋コンクリート」 と訳す、とかいったぐあいに。)

ところで、インターネット時代の本の流通のしかたは面白い。 日本語版はソフトカバーで、大部数でないせいであろう、税込み 5,250円もするのであるが、その原書をインターネットでカリフォルニアの古書店に注文したところ、ハードカバーの The Bobbs-Merrill Company 版が航空便によって わずか 3日で届き、 しかも価格は、送料込みで 19ドル (2,050円) という安さだったのである。

とは言え、この大長編小説を英語で読むのは骨が折れる。 日本語訳の本書が広く読まれることを期待するものである。

<以上、転載終わり>

神谷さんは、またメイルで、「人名の翻訳ですが、トゥーヒー を トゥーイー に、ロイス を ルイ にしたのは何故だろうかと、不思議に思っています」と質問してくださった。以下のような内容を、神谷さんにはメイルでお伝えした。

<以下、私が神谷さんに送信したメイルの部分的コピペ> トゥーイー(Toohey)は、最初はトゥーヒーと表記していましたが、The Fountainheadの朗読テープを聴いていましたら、トゥーイーと発音していたので、そうしました。

  それから、ロイスの件ですが、ルイ・クックという表記は、完全に私の勘違いなのです。勘違いのまま、最後まで気がつかなかったのです。Loisをフランスのルイ王の Louisと読み間違えたのです。しかも、フランス語読みしてしまって、英語読みで「ルイス」ともしなかったという二重の無茶苦茶なミスです。これは、原書とつきあわせての校正のときも気がつかずにそのままにしてしまったのです。お恥ずかしい限りです。朗読のテープは主要なところしか読んでいませんから、彼女の名前の発音を聞いて自分のミスに気がつくこともなかったのです。

実は、神谷様に指摘されるまで、この馬鹿なミスには全く気がつかなかったのでした。これも増刷のときに必ず訂正いたします。出版社はいやがるでしょうが、こういう馬鹿なミスを放置はできません。ほんとうに恥ずかしいことです <以上、コピペ終わり>

情けない奴だよね、私って。

ところで、神谷さんがお書きになったように、『水源』の解説は、アイン・ランドのこととともに、建築に関する解説も必要だよね。増刷するときに、もしくは文庫にするときには、どなたかプロの建築家の方に「建築史から見た『水源』」という一文を書いていただかないといけないな。ね。いっそ神谷さんが、書いて下さらないかなあ・・・と人様をあてにするのはいけないか・・・というか、私が建築についても勉強するべきなんだな、きっと。本のページ数が増えると価格がもっと高くなると言う理由で、ギリギリ最低限の字数の「訳者あとがき」しか書かせてもらえなかったけれども、次の機会があるなら、きっちり「解説」を書かせていただこう。

だって、私は『水源』の方が、アイン・ランドより好きなんだから。『肩をすくめるアトラス』は凄い大作だけれども、もし『肩をすくめるアトラス』を『水源』より先に読んでいたら、私はこのウエッブサイトを立ち上げることはなかったと思うよ。それは、間違いない。

ところで、神谷さんのウエッブサイトで、神谷さんの建築作品の写真を拝見しますと・・・やはりカッコいいのですよ・・・私好みのコンクリート打ちっぱなし風の。私の母校の南山大学の建物は、フランク・ロイド・ライトの弟子であったアントニン・レイモンド(この人、太平洋戦争中は日本空襲シミュレーション用の木造建築バラックを作っていた人でもあり、日本焦土化計画の手先でもあったわけですが)による設計です。神谷さんの作品は、そのレイモンドの作品を思わせて、かつもっと温かなものです。

私は中学生のとき英検の試験で会場になっていた南山大学に行きまして、そのコンクリートうちっぱなしのデザインに「ああ!!カッコいい!」と乙女心にも深く深く衝撃を受けてしまったものでした。それがトラウマ(?)となって私は、他の大学は落ちて、というか「落として」、南山に行くことを無意識に選んだのかなあ・・・そうか、建築デザインと私は、かくも「運命の絆」があったのだ!なんて、勝手に思ってろ!

ああいうデザインで『アイン・ランド研究所』を建てることができるのならば、いいのになあ・・・そうなったら、私は執着心が出すぎて死にたくなくなるだろうから、やばいかも。まあ・・・夢を見るのはタダだし、税金もかからないから、いっぱい夢見ておこう。