アキラのランド節

完全休業の8日間 [02/14/2005]


2月6日から13日までの8日間は、痛くて不快で退屈だった。2月6日の日曜日の夕方あたりから、体のあちこちに鈍い痛みが出てきた。断じて花粉症の症状ではなかった。これは神罰なのだった。

2月17日から25日まで7泊9日のゼミ海外研修旅行でニューヨークに行くので、6日の日曜日の午後に、旅の安全と無事を神社に祈願しに行った。うちの大学の英国国教会のチャペルにいる舶来の神様は、なにか頼りない感じで、参加者への強力なる守護など期待できそうもないので、ガキの頃から馴染んだ産土(うぶすな)の熱田神宮ならば、先祖代々の長いおつきあいに鑑みて参加者総勢14名を、しっかり守ってくださるにちがいないと、勝手に信じ込んだ。やはり日本人は日本ネイティヴの神様の管轄ではないかと。私は、ちゃんと封筒にお玉串も用意して真剣に参拝したのであります。

ところで、最近の神社は、なんで普通の週末でも、ああも参拝者が多いの?初宮参りの赤ちゃん抱いたファミリー以外に目立つのは、うるさい躾の悪い甘やかされきった馬鹿(孫)ガキにふりまわされている老夫婦混じりのファミリー。こいつらが、ほんとギャーギャーうるさい。

名古屋市内で静かな森があるところは少ないので、散歩がてら森林浴のつもりで神社に行っていた私は、やたら最近増えたこの種の「社会性欠落ファミリー集団」参拝者の弛緩しきった傍若無人のうるささとマナーの悪さに不快感が募りだしている。ああいう馬鹿は入場制限してほしいよ。ギャーギャーとガキが騒ぐのを野放しにしておきたいのならば、イオンのショッピングモールにでも行けよ。孫を甘やかしてサルにするしか他にやることがない老人は、さっさと死ねよ。年金の支給なんかとめてやれ。兵糧攻めにしてやれ。

あと、なにゆえか若い参拝者が増えている。なんで?若い子たちというのは、いろいろだ。アベックに、3,4人の友人連れに、ひとりだけで来ている青年や少女もいる。受験生には見えないがなあ・・・彼らや彼女たちは、うるさくないのです。

それから、神社で結婚式をあげるカップルも増えているような感じだ。花嫁さんの友人らしき若い女性たちがロングドレスの裾を引き上げながら、玉砂利をハイヒールで歩きにくそうにヨチヨチ踏みしめている。

それはさておき、そのとき家人が、神社の受付というか窓口(正式には何と呼ぶの?社務所か?)で売っている水晶のブレスレットだか念珠だかを、なにゆえか指差した。私は、思わず「そんなもんニセモンだって。いまどきの日本人なんか信じられないんだから」と、口走っていた。売店(?)にいたブーたれた感じの清潔感のない巫女さんや、昔の市役所の窓口によくいた類のオッサンよりもやる気のなさそうな神官さんにも、バッチリ聞こえたようだった。学期末試験と入試と花粉症と英語英米文学科存亡の危機に疲れていたのでしょうか、私が神社の中で、そういうマイナスの言葉を発するとは不覚でありました。水晶なんか本物だろうがガラスだろうがプラスチックだろうが、どうでもいいことなのに、私は、ついしょうもない無駄口をたたいてしまったのであります。私が内心では「男のオバサン」と罵倒してやまないある種の同僚たちと同じ水準になってしまったのであります。

案の定、月曜日の朝には私の体調は、完全におかしくなっていた。木曜日に予定されていた高校への出張講義を、同じ学科の他のスタッフに代わってもらうよう入試課に依頼した。出張講義を引き受けておきながら休むなど、初めてのことである。

しかたないです。出張講義は、私はもう何年間も何回もやってきたのだから、たまには、勘弁してもらう。スタッフは公平にこき使うべきなんだから。使えないスタッフばかりだとしたら、そんな連中を雇ってしまった、もしくは性懲りもなく雇い続けている大学が悪いんだから。厳しい競争にさらされている中堅私立大学が、何をいつまでも呆けたことやっているのか。

火曜日の夕方あたりから、さらに容態が悪くなってきた。これは言わでもいいことを口走った私に対する神様からの戒めであると同時に、神様がくださったチャンスかもしれないと、思い直した。つまり、「ここはしっかり休んでおけ、英語英米文学科が消えてもいいではないか、今はダラダラと休養しておけ。どうせ職場などというものは、理不尽でハチャメチャで不公平なものである。基本的には生活費稼ぐためにだけ、しがみついている場所ではないか。ほっておけ。食っていけて、アイン・ランドの翻訳と研究ができればいいではないか。あとのことはどうでもいいではないか。余分なことは考えるな。空騒ぎに連動するな。今は体調を直せ」と、神様は私に言っておられるのかもしれないと、思い直した。

また、神様は「2月17日からのニューヨークゼミ研修旅行の添乗員&現地ガイドをきちんと務められるように、ちゃんと体調を良くしておきなはれや〜(名古屋弁ならば、良くしておかんといかんがね〜かな)」と、私に告げておられるのかもしれない・・・もしくは、「あんた、このままでは駄目なんだよ、あんたの人生をここでゆっくり考えたら、人生を立て直してみることを考えたら?」とも、私に告げておられるのかもしれない・・・お告げとは、心優しく都合のよいものである。

水曜日の私は、体中があちこちひどく痛む状態だった。

アイン・ランドも体中が痛かったのですよ。ランドは1957年の晩秋に『肩をすくめるアトラス』を14年間の構想と執筆のすえやっと出版したのだが、それからはうつ状態と体中の痛みに悩まされた。渾身の大作は大いに売れたのではあるが、書評はほとんど酷評だった。特に左派系のNew York Timesとか Washington Postの書評はボロクソであった。ランドは、そうなることを予想してはいたのであるが、といっても、やはり落ち込んだ。弟子がいくら賞賛してくれても、弟子は弟子であって身内だからさ。やはり「外部」からの理解と評価が欲しかった。理解されない孤独のうえに、大仕事を完遂させた後の疲労と50代の更年期障害が重なったのだろう。このあたりから、陽気で闊達だったランドが苛々と偏狭に怒りっぽくなってしまった。

25歳年下の弟子兼愛人のナサニエル・ブランデンも、ランドのうつ状態と交互にやってくる怒りの暴発にはお手上げだった。何とかしないとまずいのではないかと、夫のフランク・オコーナーにナサニエル・ブランデンは相談したけど、夫のフランクは「君が何とかしたら」と妻の若き愛人に冷たく言うだけだったとか。

ともかく、うつ状態のランドを何とか元気づけて、もとの陽気でエネルギッシュな師匠にしたくて、ナサニエル・ブランデンは講演会だのセミナーだの企画したりした。ついには、NBI(Nathaniel Branden Institute)を設立して、本格的にランドの思想Objectivismの紹介と伝播をもくろみ、組織の会員を募り、会報も出版し始めた。

しかし、ランドの精神状態にはムラがあり、傍から見ると、そこまで言うことはないのに・・・と思われるような感情的な大人気ない対応を講演会の質疑応答などで、自分のファンにしがちであった。講演会などで、すぐカッとなって質問者を罵倒するようなイメージのアイン・ランド像ができあがったのは、この頃のことだ。ナサニエル・ブランデンが師匠兼愛人のために善意でしたことは、ランドのためになったのかどうか・・・20代のブランデンには、わからなかったのだろうなあ、50代のランドの状態の意味が。

今でこそ、後進国日本でも更年期障害対策に関する本はいっぱい出版されているけれども、更年期というのは女性ばかりでなく男性にもある過渡期だと知られつつあるけれども(中高年男のセクハラって更年期のホルモンバランスの異常のせいだってさ)、それだってアメリカでさえ、やっと1970年代からのことであって、1950年代のアメリカでは、まだまだそういう症状の存在自体が一般的には認知されていなかった。ブランデンもランドの夫のフランクも男だから、女性の更年期障害なんてもちろん知らなかったし、数年もすればおさまるもんだという知識もなかった。ランド自身が、自分の状態がわからなかったのだろう。かわいそうになあ・・・最低1年くらいはニューヨークからも弟子たちからも離れて、プレスなど無視して、とことん休息すればよかったのになあ。そうすれば、また別のアイン・ランドが誕生していたのかもしれない。

若い愛人兼一番弟子(の野心)に駆り出されて、講演会だのセミナーだの会報出版だの、そんなことで自分を露出するようなことはしないほうが、ランドの脳のためにも、精神のためにも、よかったのではないか。

更年期から晩年にいたるコースは、若い頃のように、やむくもに頑張れば開けるというものではなく、敵を作ってやいのやいの騒いで元気が出るようなものでもない。

人間って、男も女も、更年期という中年の危機から老年への入り口までが、一番対処に困難な時期であって、だからこそ最も重要な転機であって、ここをどう通過するかで、その人間の人生の質が決定されるのかもしれない。老後という決算期が決まってくるのかもしれない。ねえ・・・ガキの頃も、青春期も、中年期も、老年期も大変なのにねえ。中年期から老年期への過渡期と入り口まですらも大変なのですよ。ここで名誉欲や支配欲に翻弄されて我執で頑張ると、不必要な軋轢をあちこちに作り毒を撒き散らし自分も見失う。反対に弛緩油断して怠惰を決め込めば、あとは痴呆老人といいますか、認知症への道があるだけですからねえ。

私は、60歳過ぎの同僚たちを、実はすごく注意して観察しているのだ。若い頃は、更年期あたりの40代や50代の同僚たちを観察していた。嫌悪感に耐えながら見てきたし、今も見ているんですねえ。人のふり見てわが身を直せ、ですからねえ、ほんと。

実際のところ、アイン・ランドが「思秋期」の嵐(思春期の嵐もあるが、思秋期の嵐というものもある)を通過して、かつての自然な明るさをとりもどしたか否かは、誰も書いていないので、よくわからない。最後まで、アイン・ランドのそばにいた弟子たちは、ランドの否定的なイメージを作るような類のことを口にするはずは金輪際ないし、ナサニエル・ブランデンもバーバラ・ブランデンも、生身で知っていたのは、63歳までのアイン・ランドでしかない。ランドの人生は、そこからまだ14年続いていたのだから。

体中が痛いのでは本も読めず、水曜日は寝ている以外は何もできなかったので、私は、アイン・ランドの人生を考えながら、自分の状態もいろいろ考えるはめになった。

木曜日も体中が痛くて、私は「ぐるじい・・・ぐるじい・・・ぐるじにあ・・・」とブチブチ言いながら、ふとんかぶってうなっているしかなかった。そんなとき、アイン・ランドの初評論集のThe Virtue of Selfishnessの翻訳の版権が取れたというビジネス社からの連絡が携帯電話に入った。そのときだけは、なぜかはっきり元気な声が出た。版権所持組織のThe Ayn Rand Instituteは、先週は「アイン・ランド生誕100年記念会議」(短縮版を4月にニューヨークでもやる)を開催していたはずだ。それまでは準備で忙しかったのか、承諾の返事を送ってくるのに2ヶ月以上かかっている。きっと、あそこも更年期なんだろう。

金曜日には痛みは軽くなったが、声が出なくなった。背中だけはやたら痛む。すでに亡くなってひさしい母を何度も呼ぶが、もちろん幽霊はお粥なんか作ってくれない。自分でレトルトのお粥を温める。

土曜日も声が出なかった。肩がバリバリに凝っている。わけがわかりません。しかし、この前テレビで細木数子が作っていたやり方のおにぎりを食べたいという欲望に突き動かされて、ご飯炊いて作って食った。細木数子と上沼恵美子の紹介する料理は作りたくなるなあ。あの二人は、ケーキとかムースとか、世の中にあってもなくても、どっちでもいいようなものは、いっさい取り上げず、実質本位だからいいなあ。

次の日曜日には一週間ぶりに外出した。父の命日が2月18日なのだが、17日からニューヨークだから、今のうちにお墓まいりしておこうと思い立ち、平和公園(名古屋市内にある大霊園地帯)に出かけ、防寒用完全武装して、スポンジで墓石を拭き洗い、タオルで顔がうっすら映るまで磨きたてた。夕方また調子が悪くなったが、外出して、寒風吹きすさぶ中で墓石洗いできたのだから、何とか快方には向かっているのではないかな。

結局、2月15日締め切り(ほんとは去年の10月末が締め切りだった)の『指輪物語』の原稿は、落とすことになった。金になど全くならない原稿ではあるが、約束した原稿は原稿である。あああ〜〜文学研究畑の原稿がドンドン書けなくなってゆく。こうやって、私はドンドン落ちこぼれてゆく。いったい私は、どこに流れていくのでしょう。大河へ流れていくのでしょうか。大海原でしょうか。『指輪物語』のフロドやビルボやガンダルフのように灰色港から西方のUndying Landをめざすのでしょうか。なんで、いい方向へばかりに流れていくと仮定するのでしょうか。ははは。

話は逸れますが、しかし、あの大長編物語をよくぞあそこまで映画化できたもんだよね。そう思いません?あの映画化作品は、原作を愛する者にとっても、大いに納得できる出来です。特に第三部完結編のThe Return of the Kingの最後の一時間の出来は素晴らしい。みなさん、あのフロドは、年を取るのがゆっくりのホビット族ですので、あれで50歳だか51歳の設定なんですよ〜〜知ってました?フロドは私だ・・・私は、いつ指輪を火の山の火口に投げ入れることができるのか。でも指を食いちぎられるのはかなわんなあ・・・何言ってんだか・・・いっぺん言ってみたかっただけです。

ともあれ、いやがおうもなく、この8日間は休養した。寝るしかなかったから、ひたすら眠った。白痴的にダラダラ眠った。人生の変わり目には、人間はやたら眠くなるとか聞きましたが、ほんとかな。

というわけで、2月17日から25日まで留守をさせていただきます。3月6日がアイン・ランドの命日でして、バスをチャーターして集団でアイン・ランド夫妻のお墓参りに行ってきます。『水源』と『肩をすくめるアトラス』を霊前に捧げてきます。置きっぱなしにすると、ゴミにされるから、ちゃんと2冊とも持って帰ってきますよ〜〜あ、41丁目のBook Off(まだあるかな)に売ってこようかな。そうすると、誰か日本人が買って読んでくれるかも。Public Libraryに寄付するという手もあるな。

みなさま、風邪にはくれぐれもお気をつけください。疲労を軽く見てはいけません。たまには全てを放擲して一週間ほど寝込みましょう。魂も、ゆっくりのんびり休ませてあげましょう。いや、魂を起こしてあげましょう、というのが正解かな。

(追記:出版社が『指輪物語』の原稿を3月末まで待つと言ってくださった。嬉しい!ニューヨークから帰ったら、必死で書くぞ!すっごく面白いもの書くぞ!集めまくった資料がこれで無駄にならずにすむ。嬉しいなあ〜〜♪)