アキラのランド節

「アイン・ランド生誕100年祝賀会議」報告の1:ARIの戦略 [5/29/2005]


世の中には、インプットが好きな人間と、アウトプットが好きな人間の2種類があるらしい。私は、無駄に無意味にインプット型のようで、時間があると、読みたい本を読みふけってしまって、読みふけるあまりに時間が過ぎて、書くべきことも書かずに、論文にして発表することもなく、ついでに読書を中断するのが嫌で、教授会をさぼってしまうことも、たまにある。いろんな委員会に出ているので、教授会で論議されることを、あらかじめ知る立場にあるもんだからさ、今日の教授会は、しょうもないことでもめるなあ・・・終わるのは9時以降になるだろうなあ・・・まったくもって貴重なる時間の無駄使いになるなあ・・・と予測がついたりすると、もう・・・

授業も学内雑務も研究もおざなりで、給料だけのために体を職場に運ぶ、という人々の真似ができるほど、私は厚かましくない。授業と研究は忘れて学内雑務大好きで政治ごっこ大好きという人々ほど、暇でもない。授業だけ熱心で、研究や学内雑務はしないというほど、学生に心理的に依存していない(資質のある学生は、自分で勝手に勉強するもんよ)。研究と学会活動だけで、授業と学内雑務は手抜きで平気というほど、非社会的な寄生的オタク学者にもなれない。授業も学内雑務も研究もちゃんとできるような、能力や体力は、もちろんさらさらない。

この調子では、何事にも中途半端な私は、50代半ば頃には、いよいよ大学という場所を辞めざるをえなくなるなあという確信が日々募りますね。まあ、50代半ばというのは、昔ならば定年の年ですからね、そこらあたりで辞めるのは道理にかなっているのかも。それまでに雇用形態の多様化が実施されて、給料半分はカットだけど授業と研究だけやってていいよ、となれば嬉しいなあ。みんな一律適材不適所の「悪平等主義」のはびこる日本の大学では無理か。

こう思うからといって、別に、森田裕之(もりた・ゆうじ)氏とそのお仲間が書いた『独立・自営のススメ』(早月堂書房、2005年5月、1700円&TAX)に影響されたわけではないですよ。それほど自惚れてはいないです。

この本は、「技術士協同組合」(http://www.cea.jp/)という、国内のみならず海外の企業や政府のプロジェクトの技術コンサルタントを務める脱サラしたエンジニアさんたち(国家試験を受からないとprofessional engineer「技術士」ではない!)の団体の活動を紹介している。と同時に、「技術コンサルタント」という業務を遂行させ、独立を維持成功させるために必要な条件や方法や行動を提示している。ただし、「技術士協同組合」の理事長でもある著者の森田裕之氏の個人史や、21人の技術士の方々の体験談もありで、読んで堅苦しいということはないです。正直で率直な本です。

たとえばさ、外部の助っ人として企業にはいりこんで、プロジェクトが成功したら、その企業から「はい、おさらば」と去ってゆくというのは・・・これカッコはいいが、難しいではないですか。西部劇の『シェーン』じゃないんだからさ、「はい、おさらば」と荒野に去って行った後で力尽きちゃいけないし(あのシェーンは撃たれているんですよ。最後の去っていく場面で馬上のシェーンの片腕がたれさがっているでしょう?死ぬ予定なの)。その企業にあまりに入り込んではいけないけれども、かなり入り込まないと問題が見えてこないし。なにしろ、「技術コンサルタント」なんだから、「うまく実際にできて、かつそれでコスト削減できて、利益も出せる」というのが、当たり前なんだから。企業に終身雇用で飼われている「ぬるい」社員ではできないことを遂行することが、外部からの助っ人には期待されているわけだし。だけど、あくまでも、その成果は企業のものになる。

外部からの助っ人は、また内部の人間関係に依存した「ぬるい」連中の嫉妬も買いやすい。敵視もされるかも。だって、優秀な「技術コンサルタント」に依頼するほうが、終身雇用の社員エンジニアより報酬も低くてすむし、仕事も信頼できるとなれば、無能怠惰な(もしくは環境の甘さのために無能になってしまった)社員エンジニアなんか無用だって、あからさまわかってしまうし。

こういう職業は、ほんとうに専門的に熟練し、かつ精神的に自立していないと、勤まらないハードなものだ。「外人部隊の傭兵」の斉藤さん(こんな日本人がいるんだねえ!すごい)に似て、戦いそのものに尽きぬ関心があるというような、技術そのものの向上と伝播と成果そのものに関心があるという「プロ中のプロ」でないと勤まらない。私は、読みながら「うわあ・・・かなわんわあ」と思った。この技術士というのは、女性がいないみたいだけど、このハードさは、「男」の世界ですわ、ほんと。グダグダ能書きばかりの「オッサン」の世界ではない。

しかしなあ、外部委託といいますか、outsourcingというものは、もうすでにここまで進んでいるのですねえ!企業の根幹たる技術製作という面にまで浸透しているのですねえ!となると、極端に言えば、社長だけ「正社員」でOKなんじゃない?市役所ならば、市長だけ「正社員」でOKなんじゃない?私立大学ならば、理事長だけ「正社員」でOKなんじゃない?国家ならばさ、首相だけ日本人でさ、財務大臣や外務大臣は、広く世界に公募して人材を集めるんでもOKだったりして。ははは・・・公募したら、内閣のほとんどが、ユダヤ系だったりして。

あ、実は、グローバリズムって、こういうことなのか?産業の空洞化とか、人件費の安い国で商品が作られるんで価格破壊のデフレで慢性不景気とか、そんなことがグローバリズムの本質ではなくて、人類ほとんどが外人部隊で傭兵になるってことなのか。それは、へたすれば、その「ほとんど」以外の「少数」の好きにされるということでもあるなあ。その「少数」が見えないというのが、困るなあ。見えないと憎むこともできんしなあ。その「少数」は、ロックフェラーとかロスチャイルドとからしいけど、パパラッチも、こういう「隠れたる本当のセレブ」の写真を激写してちょうだい。どこかの国の頭の悪い元王妃のビキニ姿とか、チンケなタレントの不倫現場とか、どこかの市役所の公務員の常時休憩状態なんか、どうでもいいから。

どちらにしても、否が応でも、人間は、独立&自営するしかなくなるということだよね。それも、心から精神から、カイシャからもクニからも独立し、自立するわけか。まあ、これって人間存在の基本に返るだけのことかもしれない。カイシャもクニもなくなると、魂のよりどころを求めて、ほんとうの意味での高等宗教が生まれるか、もしくはカルトが増えるな。覚醒か、もしくは一層の愚昧。魂の勝ち負けもはっきりついてくるのだ。

ところで、「アイン・ランド生誕100年祝賀会議」報告をやっと書きます。

Ayn Rand Centenary Celebration Conferenceは、2005年4月23日(土曜日)と24日(日曜日)に、ニューヨークはマンハッタンの真ん中のMarriot East Sideホテル(上の下の部類のホテルやね)で開催された。土曜日は、午前9時から午後5時45分まで。日曜日は、午前9時半から午後3時まで。受付は、両日とも、一時間前から。会場に設置された座席は144席で、あと補助椅子が20脚ぐらい。座席の前には長いテーブルがあり、そこに各自用のボールペンとメモ帳が置かれていて、ミネラル・ウォーターの入った水差しとコップ数個も各長テーブルにふたつは置かれていた。なかなか気が利いています。

土曜日は、まだ空席もあったが、日曜日は、座席は補助席も含めて、みな埋まっていた。一応、盛況みたいでした。会場の外には、受付と売店が設けられていて、ランドの顔写真がプリントされたTシャツとかバッジとか、ランド研究の本とか、ランドの思想を弟子の哲学者が開設したCDセットとかが、売られていた。受付兼売店の近くには、コーヒーやお茶やキャンディなどをセルフ・サーヴィスで提供する給湯用大ポットとかカップとかのセットが2箇所に設けられていた。よくあるConferenceの風景ですね。

参加者は、主催者のThe Ayn Rand Institute(以後ARIと記す)の何らかの関係者もしくはこの組織の催しに参加したことがある(らしき)人々と、私のような無関係に個人で出席している人々の2種類。年齢層はいろいろ。若い学生のような人もいるし、年配の方々もいるし、男女差も均等。人種は圧倒的に白人系。アジア系は、土曜日には私を入れて2人だけ。アフリカ系は土曜日にはひとりだけ。日曜日にはアジア系は私ひとりだけ。日曜日にはアフリカ系は2人だけ。

時間進行に沿って書くのではなくて、印象が強烈だった出来事の順から書こうと思います。

いろいろな「出し物」があったけれども、最高に面白かったのは、最後の出し物だった。他の出し物と違って、ハンドアウトもなんにも渡されずのスライドを映しただけのARIの現会長(president)であるヤーロン・ブルック(Yaron Brook)氏による“ARI and the Future of Objectivism”という講演だった。その講演内容は、「いかにアイン・ランドのためにARIが努力してきているか」という実践報告と将来への展望だった。

私は、それまでの「出し物」は、「へ〜〜」という感じで聴いていただけだった(半分すらも聴き取れないけど)けれども、この講演では、メモを取るのに必死になった。そのメモを後で読み返しても、何が書いてあるかわからないくらいに、必死でメモった。この「報告」がこうも遅れたのは、そのせいもあるのです。すみません。

ブルック会長は、まだ若くて(40代始めかなあ?もっと若いかも)、ハリソン・フォードとウイリアム・ハート(『蜘蛛女のキス』でゲイの囚人を見事に演じていた名優ですね〜最近見ないなあ)を足して割って、細くして小柄にしたような感じのハンサムな方です。知的な品のいい清潔感漂う明るい優等生という感じの方です(私がこう書くと皮肉に聞こえるのは、どうしてだろうか?)。

みなさん!ARIという組織は、Ayn Randの作品と思想を広めるべく、以下のような活動を1980年代半ばから実践してきたのです!以下は、講演内容の箇条書きメモです。

(1)毎年、高校の国語の教師約40,000人に、「アイン・ランドの『水源』と『アンセム』を課題図書に選びませんか?そうしたら、お望みの生徒数分の冊数を無料で進呈しますよ。無料で進呈するからといっても、別に他に条件などつけませんよ」という手紙を、見本の書籍もつけて送る。この郵便代が去年で約$432,000。

(2)「じゃあ下さい!」と返事が来るのは、郵送した手紙のうち2.5パーセント。その承諾の返事が来た高校に送る書籍の総数は477,000冊。本代は$2,907,000。

(3)この「高校に課題図書無料セット進呈」プロジェクトの総費用は、$3,339,000。このプロジェクトのために、アイン・ランドの『水源』や『アンセム』を高校の課題図書として読むことになる高校生の数は、毎年2,385,500名ほどになる(20年のべで数えると・・・・すごい!)。

(4)ついでに、『水源』と『アンセム』の賞金つきHigh School Essay Contestを開催する。「参加しませんか〜」と26,000の高校に案内書を送る。毎年、『水源』には5000名のコンテスト参加者がいる。『アンセム』には9500名の参加者がいる。その大量の応募エッセイは、けっこう文法の間違いや、スペルの間違いも多くて、全部に目をきちんと通すのは、大変だそうだ・・・ここまでが高校生相手の戦略。

(5)大学レベルでは、上記の戦略で育て上げた(元)高校生を核にして、各大学の中にAyn Rand Clubを結成する。そこにARIが出向いて、Objectivismの講義をする。また、ARIが主催する毎年夏季に開催されるObjectivism Conferenceに参加するよう促す。これは、ARIのなかでもObjectivism Academic Center(OAC)が受け持つ。

(6)OACは、2001年には、Objectivismの「4年間プログラム」を立ち上げた。一年目では、Objectivism入門編であり、論理的に書く訓練をする。2年目では、アイン・ランドの哲学をより深く検証する。3年目と4年目では、哲学の歴史を学び、思考の技術(Art of Thinking)を習得する。このプログラムを受講してARIより認定された学生には、修了書(Certificate)が与えられる。これを授与されたら、Objectivismを人に教えられる。現在のOACは、大学院レベルのObjectivism学習プログラムを作成中。こうした学生のための奨学金制度なども整備したいので、準備中だとか。

(7)以上の過程を終えた学生の中には、大学院に進学し、哲学を専攻し、博士号をとり、大学教員になる者もいる。彼らや彼女らは、勤務先の大学の講座にObjectivismやアイン・ランドを加えるべく努力する。

今のところ、いささかなりともランドの哲学に言及する講座や、経済学部でランドが寿ぐ資本主義の道徳性とかのテーマの講座などを持っている大学は、以下の大学。ノース・キャロライナ大学シャーロット校と、ケンタッキー大学とデューク大学(アイヴィー・リーグですねえ)と、クレストン(Cleston)大学と、ハイ・ポイント(High Point)大学と、ノース・キャロライナ大学のチャペル・ヒル校とピッツバーグ大学(ここにはThe Ayn Rand Societyの会長の哲学の教授がいます)と、あと1大学のみ(名称不明。自分でメモした字が読めんのよ)。文学関係では、“Business and Literature”という講座で、アプトン・シンクレアの小説(19世紀末から20世紀初頭のアメリカ産業界の腐敗を描いた)と並んでランドの『肩をすくめるアトラス』を読ませる試みもある。あ、これ面白そう。

(8)ARIは、地域コミュニティにも働きかけている。カリフォルニア州オレンジ郡(ARIがある場所)の共和党の若い人たちの連合(Young Republicans)や、ロータリー・クラブや、ユダヤ人コミュニティ・センター(Jewish Community Center)でも、講演活動をする。ロータリー・クラブということは、フリー・メイソンかな?

(9)プレスへの適度な露出も実践している。全米的に有名な新聞(Wall Street Journal, Los Angels Times, New York Daily News, New York Postなど。民主党系のNew York Timesや Washington Postは含まれない)はもちろん、ローカルな新聞にも、ARIの活動の広告を出したり、編集責任者に投書する。このeditorに手紙を書いて、その投書が新聞に掲載されるのは、けっこう効果があるとか。2004年には14の放送局のインタヴューに出演したりして、その出演時間数の総計はローカル局で4478分だった。全米ネットワークで、2000分だった(カウントするの大変だよね)。

(10)職業訓練的社会活動(Professional Outreach Program)として、ARIでは、経営管理訓練プログラム(management training program)を準備している。そのシミュレーションも兼ねて、Hutchington Technology, INCという企業では、「ビジネスで指導力をつけるためのプログラム」(Business Leadership Development Program)でアイン・ランドの『肩をすくめるアトラス』を社員に読ませたりしているそうだ。Saxo Bankという銀行では、頭取がアイン・ランドの信奉者で、行員全員に『肩をすくめるアトラス』を読ませるべく、大量に書籍購入をしてくれるし、企業内講演会もARIに依頼してくるとか。すみません、この会社と銀行に関して、まだ調べてないです。スペルも確認してないです。多分、実在すると思うが。

(11)ARIの活動として、様々なランド研究書を出版すると同時に、まずは、ランドの未発表の日記とか手紙とか写真とかノートとか、もろもろの「第一次資料」の複製を製作して、きちんとした「アイン・ランド資料保管庫」(Ayn Rand Archives)を整える。それらを公開する博物館(Ayn Rand Museum)も創設する。

以上が、講演内容の大雑把なメモです。

そういえば、この「アイン・ランド資料保管庫」をもとに、すでに、ジェフ・ブリッティング(Jeff Britting)氏著のAyn Rand(Overlook Duckworth, 2004)というランドの小伝が出版されている。豊富な写真つきで、今まで知られていなかったことが多く記述されていて、面白い!短いものですから、気楽に読めますので、お奨めします。

この本のおかげで、私がこの「ランド節」で書いてきたことも、事実ではなかったことが混じっていたということがわかった。たとえば、ランドはソ連時代にパリやロンドンに行ったりと、渡米前に外国旅行をちゃんと経験していた。ベルリンには親戚もいて、渡米はこの親戚にも助けてもらっていたので、女の子独り旅では断じてなかったのだ。革命の最初の頃ならば、財産整理してソ連から脱出する機会は、ランドの家族にも、まだまだあったのに、父親が「こんなアホな騒動はすぐに治まるよ」と楽観的だったので、逃げ損ねたとか。もし、このときランドの一家がドイツに逃げていたら、アイン・ランドという作家は生まれていなかったろう。

それはともかく、アイン・ランドを直接は知らない読者は、ナサニエル・ブランデンとバーバラ・ブランデンのふたりが別個に書いた伝記によってでしか、ランドの人となりのイメージを掴めなかった。このふたりの伝記が、良きにつけ悪しきにつけ、アイン・ランドの一般的イメージを形成してきてしまったことは事実だ。ARIの人々は、ランドに破門されたナサニエル・ブランデンとバーバラ・ブランデンの書いてきたランド伝が、抑圧された恨みと悪意に染まった虚偽だらけの自己正当化の産物であると批判してきたが、いよいよ本格的にその批判を出版し発表し始めたのだ。

つい最近は、この両ブランデンの記述の矛盾を分析した本が出た。ジェイムズ・S・ヴァリアント(James S. Valliant)氏のThe Passion of Ayn Rand’s Critics: The Case Against the Brandensというタイトルの本だ。言うまでもなく、このタイトルは、バーバラ・ブランデンが書いたThe Passion of Ayn Randに、あてつけたもの。

この本が、また面白いのよ・・・いずれランド節でも、あらためて紹介します。アイン・ランド研究は、まだまだ生々しく闘争中なんです。むふふ。

続いて、バージニア工科大学のショシャーナ・ミルグラム(Shoshana Milgram)教授が、ARI公認アイン・ランドの本格的伝記を執筆中だとか。かなり大部のものになるらしい。お〜〜読むのが楽しみです。このミルグラム教授は、ランドの弟子であり、かつジョン・スタインベックの研究者としても知られている文学研究者の女性です。なんと、6月に京都で開催される「国際ジョン・スタインベック学会」で発表なさる。なんとなんと、『水源』と『エデンの東』の比較研究を発表なさるのである。私は、またも教授会さぼって、京都に聴きに行くぞ・・・しかたないよ!!

ちなみに、この「国際ジョン・スタインベック学会」の元会長のテキサス大学エル・パソ(El Paso)校のミミ・レイゼル・グラッドスタイン(Mimi Reisel Gladstein)教授も、代表的アイン・ランド研究者でありますよ。なんか、スタインベック文学とランド文学は親近性があるのかなあ。私は、特にあんまり感じないが・・・ふたりとも、人間知に満ちたケレン味豊かな実に巧みなストーリー・テラーではありますが。あ、スタインベックは、『怒りの葡萄』(The Grapes of Wrath)が有名ですが、私は小説としては『エデンの東』(East of Eden)が一番いいと思う。ただし、ジェームズ・ディーンのあの映画は、原作の後半をちょっといじくって映像化しただけですから、あの映画だけ観て、あれがスタインベックだと思わないように。『水源』と『摩天楼』のギャップ以上の、とんでもない落差ですから。

さて、話が脱線しました。ARIの戦略の話でした。まるで企業の戦略会議のプレゼンテーションみたいなARIの若き会長の講演内容の話でした。

いや、まあ、私は人づてで、こうARIに関する批判とか聞いてはいたのではありますが、ロス・アンジェルスから自動車で30分くらいの小さな町に位置する、この研究所といいますか「アイン・ランドとその思想伝播組織」が、たった20人くらいしかスタッフがいないのにも関わらず、これだけのことを実践して、アメリカ国内のアイン・ランド読者を増やすべく努力してきたということに、大いに感動した。素直に感謝した。

まあ、バックにどういう組織があるんかいな?ヒモなんかついてないか?という疑問はさておき。

実際に、1970年代の後半あたりになると、さしものアイン・ランドの小説の売れ行きも落ちてきた。だから、弟子の元ARI会長だったレオナルド・ピーコフ氏(lLeonard Peikoff)が定期購読者を募って「アイン・ランド・レター」(The Ayn Rand Letter)なる通信を発行して、その購読費で師匠のランドの経済的安定を図ることもしたぐらいだ。なんと頼もしい立派な弟子であろうか。

つまり、ほっておいたら、いくらランドの小説が面白くても、読者数はジリ貧になることが目に見えていた。だって、アイン・ランドの作品は大学のEnglishつまり英文科(アメリカで言えば国文科)で教える古典としてカウントされていないし、アメリカ文学史にもろくに載っていないのだから。そうなると、当然、英文科(アメリカで言えば国文科)出身の高校の国語の先生は、アイン・ランドの作品を課題図書に選ばない。

なんで、今の日本の読書習慣のない大学生ですら、夏目漱石を知っているのか?太宰治を知っているのか?森鴎外を知っているのか?それは、国語の教科書に載っているからだ。国民の古典として学校で教えられないと、文学作品は残っていかないし、「読まれ続ける」こともないのだ。教科書に載るということは、大きなことなのだ。

アイン・ランドの作品は、アメリカの国語の教科書には載っていない。私は、アメリカの高校の国語の教科書を取り寄せたことがあるから、それは知っている。また、私が卒業した南山大学の英米文学概論のテキストは、当時のアメリカの高校生の国語の教科書だった。厚さが8センチもある大部な本だった。それは、あらゆる時代の作家や詩人の作品のアンソロジーだった。アメリカ人の神父が教えていたから、そういうテキストを使ったのだろうけれども、1970年代のその種のものには、もちろんアイン・ランドなんて言及もされていなかった。第二次フェミニズムの旗手たちのエッセイは載っていたが。

ほっておいたら、誰にも読まれない・・・読まれないならばアイン・ランドの作品のすごさ偉大さも理解されない。だから読まれる状況を作らねばならない。というわけで、高校の課題図書として、ランドの本を無料提供することを思いついた人は偉い!!

無料で進呈するからという申し出に乗って、課題図書として、『水源』と『アンセム』(このふたつは高校生向けの青春文学で、『肩をすくめるアトラス』は大学生ぐらいにはならないと理解できない大人の文学ということになっています)を選ぶ高校というのは、そりゃ教育予算の少ない高校でしょうよ。かつ図書館の蔵書の充実度もいまひとつの貧乏州(いわゆるCorny States=とうもろこし畑ばかりの州)の公立学校でしょうよ。マサチューセッツ州とかヴァージニア州みたいな教育にも潤沢な予算を割ける税収の多い州の学校ではないでしょうよ。金持ちの子弟が通う年間授業料4万ドル以上の中高一貫教育の全寮制私立学校(Preparatory School)ではないでしょうよ。『ビバリーヒルズ白書』に出てくるような私立の有名高校でもないでしょうよ。

お坊ちゃんやお嬢ちゃんは、アイン・ランドを読まんでもいいよ。読む必要もない。馬鹿でも祖先の遺産で食っていけるんだから。自分で稼いで自分で生きていく人間こそ、貧乏州の公立高校の志ある生徒こそ、アイン・ランドの読者にふさわしいではないの。ハワード・ロークだって、オハイオ州という「とうもろこし州」出身の苦学の「奨学金少年」だったのだ。

課題図書だから図書館で探して読みなさいよ〜買いなさいよ〜と言っても、買いもしないし図書館にも行かないガキの多い高校の国語の先生や管理職の方々にとっては、無料で学生数分の課題図書をドンと寄付してくれるという申し出は、ありがたいに決まっている。そのセットをもらえば、次年度の学生もそれを使用できるし。

そうだったのか・・・あの1998年に、ランダムハウスが実施した「20世紀の英語で書かれた小説ベスト100」の一般読者投票で、アイン・ランドの小説が上位10位のうち、1位と2位と7位と8位を占めたという事実の背景には、このようなARIの努力があったか!この事実は、ARIの「功績」だったのか!死してなお、こういうことを弟子たちにさせるアイン・ランドって、どういう人???すごいではないの。とてつもない魅力のある人だよね。

ここまで書いて楽しかったけれども、疲れました。ここらで中断します。パソコンを長時間いじくっていると、電磁波のせいか喉も渇くし、肌も荒れるし、気分も少し悪くなる(きっとIT関連企業の人々の癌罹患率は高いだろう)。まだ掃除もしていないし、2クラス分の英語のテストの採点も残っているし、ゼミで学生が報告する予定の本もまだ読んでない。明日は教育実習生の引き受け先の中学校へ出張です。お近いうちに、また。