アキラのランド節

今年は私の「脱英米文化崇拝教」元年 [6/5/2005]


 「アイン・ランド生誕100年祝賀会議」報告の続編を書こうと思ったけれども、私はその時に本当にしたいと思ったことしかできないんで、今日はその気にならないので、他のことを書きます。

 今年の2005年は、いろんな本を読み漁ると、ろくでもないことが本格的に起こる年らしい。EU憲法が、フランスとオランダの国民投票で否決されたと聞いて、エマニュエル・トッドの『帝国以後---アメリカシステムの崩壊』(石崎晴己訳、藤原書店2003年)を思い出した。この『帝国以後』の中で、2005年あたりにEUは崩壊するだろう、ユーロも破綻するだろうと、トッドさんは書いていた。ひょっとして、予言は的中か??

なんでEU不可能かというと、フランスやドイツやイタリアやイギリスや、ともかく民族性も文化も違うクニ同士が、同じ基準と貨幣で生きていく(ヨーロッパ内)グローバリズムなんて無理だから。

このトッドさんの本の大雑把なメッセージは以下のようなもんです。アメリカは民主化をイラク侵攻の大義名分にしたけれども、国民が字を読み書き計算できるようになると、男も女も自分の人生のレヴェル・アップを欲望するようになるんで、そうなるとガキばっかり生んでいると人生がつぶされるから人口調節(産児制限)するようになるんで、そうなると若年人口も減って世情も安定して(要するに革命とか暴動とかは、血の気の多い食えない若者たちの不満の表出でしかないと)、より一層の生活の充実と自由と幸福を追求するようになるんで、そうなると横暴な政府など許さなくなるわけで、だから、民主化と近代化は、どこにだって「それぞれの文化に応じて」「それぞれのやり方」で、進行するものなのだ、だからイスラム世界だって近代化はしていくのだ、時間が解決することなのだ、だから世界の民主化近代化を進めるのがアメリカの使命なんて言い立てて余計なことをするな、ヨーロッパとロシアと日本は手を結んで、アメリカの暴走を止めないとまずい、日本もいつまでもアメリカの好きにされてんじゃないよ!日本やヨーロッパの富に寄生しているのがアメリカなんだから、でも日本とヨーロッパだけが手を組んでも駄目で、なんでかっというとアメリカは軍事国家だからさ、ロシアはまだまだ核兵器いっぱい持っているからさ、だからヨーロッパと日本はロシアと連携しないと駄目で、そうなるとアメリカはもう好きにできなくなるよと。こういうことです。

この本は、私が2003年に読んだ本の中でも「ベスト1」の面白さだった。

トッドは、1950年生まれのユダヤ系のハンサムなフランス人の人口学者だ。家族民俗学者でもあるらしい。この人は、1972年の時点で、乳幼児の死亡率から今後10年から長くても20年くらいの間にソ連は崩壊するだろうと予言して、それが的中したので、俄然注目を浴びた人だ(子どもの小動物への虐待の多発からソ連に蔓延するアノミーを指摘して、小室直樹氏もソ連帝国崩壊を予言していたが)。 トッドさんは、それぞれの国民の人間関係の基本たる農民家族形態(歴史的には国民の大多数は農民であり、その家族形態は現代にも受け継がれているそうだ)の分析から論じていた。トッドさんの論証から行くと、日本人とドイツ人はやっぱり似てる。韓国人と日本人も似てる。

なぜかと言うと、ドイツと日本と韓国の農民家族形態は、長子相続で、長子は親と同居し、相続した長子以外は家を出て独立するという形で追い出されるんで、つまり長子は特別扱いにして、他のメンバーもそれに協力して、長子以外は軽視されるんで、人間関係に序列ができて、外部には排他的になりやすいと。こういう人間関係のエトスに育つと、個人主義的ではなく集団主義的になり、かつ外国人や異人種にも差別しやすくなると。そのかわり、長子には徹底的に投資していい人材にするべく家族が協力するんで(お姉ちゃんたちが働いて頑張って金を家に入れて弟に学問させるとか、長男のために弟や娘は進学を諦めるとかね)、人材養成には効率がいいと。韓国や日本の急速な近代化は、この家族内人材養成の効率の高さの成果であると。

反対に、フランスの農民家族は、相続はみな平等に均等だったんだそうだ。成長すると、親の家から出て行くんだそうだ。相続して勝手に核家族作って各自の生き方をするんだそうだ。だから、一致協力みたいなところはなくて個人主義的ではあるが、外国人排除意識は比較的希薄だと。兄弟間に序列がなくて、分け前もいっしょだけど、別個の生活を作らないといけないという基本的人間関係は、排他性は育まないと。フランスでは、フランス語を話して、フランスの法を守る「市民」ならば、それでOKだと(そういえば、フランスの代表的文豪バルザックは、黒人だったらしいね、アルジェリア系だったのかな?)。

英国(と、その派生物のアメリカ)の農民家族では、相続は平等でもなく、必ずしも長子が相続するとは限らず、出来が一番いいとか、たまたま親と住んでいたとか、何らかの理由で兄弟姉妹の仲で誰かひとりが相続して、親と同居する。これは一種の子ども間能力主義の査定結果みたいなもんで、兄弟間に序列はできないが、かわりに兄弟間は競争的になり、個人主義的になると。ただし、誰かが相続という点で勝つと、他の兄弟は家を出ると。こういう家族形態は、やはり「出て行く者がいて、排他的になって、秩序が保たれる」ということで、外国人差別に結びつきやすいと。だから、英国(と、その派生物のアメリカ)は、移民国家のくせに、執拗に人種差別的なんだと。

厳密に言えばロシアと中国だけに共産党革命が起きたのは、もともとロシアや中国(って言っても両国とも広いし多民族なんだけど・・・)の農民の家族形態が、成人しても独立せず、叔父さんの家族も叔母さんの家族も、いとこも、はとこも、出戻り(離婚したって意味ね)のおねえちゃんも、頭のおかしいおにいちゃんも、子どもが死んだ親類のおばあちゃんも、居候も大家族でワイワイ暮らす大家族制の非個人主義的な共同体的なものだから、私の稼ぎは人のもの、人の稼ぎは私のものみたいな感覚の共産主義にフィットしたからだと、トッドさんは説明している。へ〜〜 ただし、中国や旧ソ連で、毛沢東とかレーニンとか、個人を偶像化して神格化して独裁者を作ったのはなぜかといえば、グチャグチャにつるんで生きるのが好きな家父長制大家族的国民は、「大パパ」がないと社会的には安定しないんで、独裁者という「大パパ」が心理的に必要だった、とまでは書いてないです。私の勝手な推理です。ははは。

あ、そう言えば、今や地球上に唯一残存する共産党国家ということになっている北朝鮮の「悦び組」の美人たちは、韓国で金正日の写真が印刷された垂れ幕が雨に濡れたときに、「お父様がおかわいそう」と泣いていたっけ。テレビで放送されていたな。

あなた・・・お父様ってさあ・・・私は、正真正銘のファザコン娘だったが、父親が亡くなって、大いに解放もされましたえ。心細くもありましたが、悲しく寂しくもありましたが、「おおお〜〜これでうるさいのはいなくなった!好きにしたるでえ〜〜!」という、せいせいした感情も正直はっきりありましたえ。「パパ」なんか、「大人」にはいらんわ。

ああ、そうか、アグネス・チャンが昔ガキ連れて高級レストランに行って入店を断られて怒って、それに対して作家の林真理子さんがが「大人の行く場所にガキなど連れて行くな!」と批判して、それに上野千鶴子さんがアグネス・チャンを擁護して、「フェミニズム論争」になったのは、いつのことだったか。1980年代の半ば頃だったかなあ。中国では、大家族でワイワイとレストランに行くのは当たり前だから、アグネス・チャンにしてみればガキ連れが悪いなんて、どうにも思えなかったのだろうね。あの問題は、フェミニズムの問題ではなくて文化差、家族形態の差の問題だったのだ。 ニューヨークでも、ガキ連れで入れるまともなレストランは、中華料理店だけだもんね。ガキの躾が悪くて騒いで店にいささかでも迷惑かけた場合は、チップを50パーセントぐらいは支払うけどさあ。ガキは、ベビー・シッターに頼めって!それが嫌ならば、レストランになんかに来るな!それか、ガキの口にガムテープを何重にも張って椅子に縛りつけておけ!あ、子ども虐待?

話が逸れました。

さきほどのトッドさんの本は、その信憑性はさておき、私に初めて「アングロ・サクソン系文化圏」「英米文化圏」以外の文化圏への関心を掻き立てたのであります。で、最近、さらにさらに派手に、その関心を掻き立てた本があります。この本を読んだおかげで、私は、これから、本格的に、ヨーロッパもアジアもアフリカも南アメリカも行くぞ!と決めた。今年の夏は、その手始めに、ロシアに行く。これはアイン・ランドの故郷を見たいがため。来年の3月くらいは、インドに行く。決めた。

なんでインドか?近いうちに、うちの大学の文学部の大学院から英米文学専攻が消えるらしいんよ。「英語圏文化学専攻」になるらしいんよ。私は「英語圏文化学研究」なるものを、しないといけなくなったらしいんよ。ならば、英国のインド植民地化の現代に残る後遺症というか、英国文化をとりこんだアジアと英国の政治的文化的キメラ国家インドの現代の姿みたいなもんをやってみようかと、ただいま資料を収集中であります(インドでは、けっこうアイン・ランドは受けているらしいよ)。

2005年は、ほんと私にとって「脱英米文化崇拝教元年」なんですよ。

じゃあ、いままでは英米文化崇拝教信者だったのかって?いや、他のことは知らないわけだから、結果的にそうなっていたわけよ。無自覚だったわけよ。

私に「脱英米文化崇拝教」を自覚的に決心させたのは、ロベルト・F・藤沢(1933-)という方が書いた『世界史の欺瞞』(明窓出版、2001年出版, 1200円&TAX)という本であります。すっごく面白いのに、ネット書店のアマゾンでは誰もレヴューを書いていなかった。隠れたるある種の名著でっせ、この本は。

この本は、世界規模から見た日本人の歴史的無知からくる硬さを、様々な歴史のエピソードで解きほぐしてくれる。系統的に書かれている学問的本ではありませんよ。テーマが掘り下げてあるわけでもなく、参考文献のリストがついていることもなく、年表がついているわけでもなく、「つれづれなるままに話しました〜」形式の、はっきり言えば「まとまらないエッセイ集」です。しかし、え!?と驚くような事実の紹介があり、一度読み出したら止まらない面白さなんであります。

ほとんど知られていないみたいなのは、このタイトルがいけないのかも。このタイトルでは、なんか太田龍さんの著作っぽく見えるではないですか(あ、私は、この方の本も好きで読んでいますが・・・ランドをロスチャイルドの愛人とネットに書いておられる方です)。内容に即した正しいタイトルは、「日本人が知らない世界と歴史の断片集!英米文化圏だけに目を向けていては世界も歴史も知ることはできない!日本人よ、英米文化圏の呪縛から自らを解放せよ!」であるべきだ。

たとえば、その一例。第2次世界大戦の末期、米軍が非道なことを日本にしないように、他の中立国どうし連携して、アルゼンチンの軍艦がちゃんと太平洋で「監視」してくれていたのだって。私は、このくだりを読んで泣いた。アルゼンチンよ、ありがとう。子どもの頃に、あなたの国名を卑猥な冗談に使って連呼してごめんなさい。これも、日露戦争で戦った軍艦がふたつとも、アルゼンチンの軍艦の中古品の改良船だったという縁があったからだ。だから、日露戦争のとき、日本の勝利をアルゼンチンは我がことのように喜んで新聞も日本について盛んに温かく報道したそうだ。

実は、アルゼンチンの軍人が東郷元帥の軍事コンサルタントとして日本海海戦でも、付き添っていたとか。実質的には参謀だったのかも。今までにも英国の将校が付き添っていたという話は聞いたことがあるが、これって実は英国で軍事教育を学んだアルゼンチン人の軍人のことだったんじゃないの?こういう経緯もあって、東郷元帥はアルゼンチンでは尊敬されてきたそうだ。そういう経路で東郷元帥のことはアメリカ人も知っていて、アメリカのニミッツ提督の憧れは東郷元帥だったとか。

欧州基準で言えば、歴史的には、英国なんて紳士どころか、たちの悪い国。由緒正しくヨーロッパ連合の核を作ったのは、スペインであり、その力はハンガリーやオーストリアのドイツ語圏まで及び、今でも隠然として欧州を動かしているとか。南アメリカが、「アメリカの裏庭」なんてとんでもなく、欧州と強い文化的人種的紐帯を持ったもうひとつの欧州であるとか。だからこそのブラジルやアルゼンチンの先進国ぶりがあるとか。

ナチスの残党が、なんで南アメリカに逃げたか、やっと私は合点がいった。スペイン系ばかりでなく、ドイツもフランス人もイタリア人も多いのだ、南アメリカには。

あなた、知ってましたか?ニューヨークに世界初のガラス張りビル建てたのもブラジルの建築家ならば、ライト兄弟よりも2年も早く飛行船を発明して、300キロも飛んだのもブラジル人だったのですよ。ブラジルのサントス・ジュモンだったのですよ。この人は、航空機学の草分けとなった天才だったけれども、自分の研究が第一次世界大戦のとき、フランスに買われたものの、それが大量の殺人兵器(爆撃機)を生み出したことで、がっかりして自殺したとか。

次のことも私は全く知らなかった!太平洋戦争の頃、日本のスパイとして、メキシコ人やスペイン系の南アメリカ人は、アメリカに入って軍事情報をさぐっていたということを。そのために、処刑されたり殺されたりしたスパイも多かったということを。

実は、第二次世界大戦のとき、メキシコとスペインと日本の間には密約があったそうだ。メキシコとスペインは、日本の諜報活動を助ける。そのかわりに、日本が勝ったら、アメリカにテキサスやニューメキシコをメキシコに返還させ、カリフォルニアをスペイン系の独立国にさせるって。ついでに、日本人をメキシコとスペインの名誉市民にするっていう約束もあったらしい。

そういえば、私の昔の教え子の結婚相手はメキシコ人だった。頭のいい気持ちのいい品のいいラテン系美男子だった。この事実をその頃に知っていたらなあ、彼にきっといろいろ質問できたのに。「アメリカによってメキシコがいかにひどい目にあってきたか」について、結婚のお祝いの席で、彼は私に熱心に語ってくれた。彼が26歳の若さで、まだ日本の国立大学に留学中の大学院生のときに、急死してしまったのは、実にもったいなかった。若くてハンサムで頭がいい男が早死にするのは、かえすがえすも残念だ。不細工で馬鹿な男は早く死んでいいの?はい、そうです。

いや、私はさあ、英語教師として食ってきたから、つくづく感じてきたのだけど、英語が世界の支配的言語になったのは、日本人にとってほんとうに不幸なことだったって。だって、英語なんて共通言語になるには不備すぎる言葉ですよ。外国人にとっては、不完全すぎる言語ですよ。だって、発音とスペルは乖離しているし、熟語ばっかりだし、ひとつの単語の意味は重複しているし、(ひとつの単語にひとつの意味にしておけって!)、発音は日本語音にはないものばかりだし・・・発音できない音は聴き取りもできんのだよ。格変化が代名詞以外はないところは、いいんだけどさ。

スペイン語が支配的言語だったら、もしくは、せめて発音が日本語と似ている言語で、英語のように動詞とか名詞とか前置詞の組み合わせで意味が共時的にも通時的にもコロコロ変わる「勝手気ままな」熟語のすこぶる多い言語じゃなかったら、日本人は今ほどには「共通言語」学習に苦労しなかったろう。普通程度の記憶力でマスターできる構造の言語じゃなければ、「共通言語」ではありえないでしょうーが?! そしたら、私が嘆いてきたことと同じようなことが、この本にも書かれているではないですか!たとえば、10人の人間を並べて、順にある文を耳打ちで伝達させると、イタリア語やスペイン語は、最初に伝えられた文章が最後までそのまま伝えられるが、英語はそのまま正しく伝えられることはないとか。英語は発音が曖昧だから、熟語が多いから、伝えられる過程で、必ず狂うんだって。英語国民の間でそうなんだからね!この話ほんとうだ思うよ。

うちの学生の中には、英語で自己紹介してもらうと「僕はアメリカが嫌いだ。だから英語も嫌いだ」って言うのがいる。私は、「たまたまイギリスがアジア支配の主流だったから、英語はアジアの共通言語でもあるんだからさあ、アメリカが嫌いでも英語はやっておいたほうが便利だし、文学部出たって食っていけないからさあ、せめてどこかの外国語ぐらいはやっておかないと食えないでしょう。それが面倒ならば英語くらいはさあ・・・」と答える。まあ、この「英語支配」は30年後には崩壊しているかもしれないから、今の若い子は、英語以外のスペイン語とかもやっておいたほうがいいよね。 ところで著者のロベルト・F・藤沢さんは、旧朝鮮の興南(どこ?)生まれで、土建業や貿易業経営しながら、ラテンアメリカ交流会を主宰して、ラテンアメリカに進出する企業のコンサルタントもしてきた方である。曾祖父以来四代にわたって、一族の方々が、ハワイ、カナダ、南米、旧朝鮮、満州に居住していたので、日本人というより「和僑」の意識で生きてきて、英語とスペイン語とポルトガル語ができるんだって。日本系ユダヤ人みたい。ユダヤ人は(というかロスチャイルド家は)、外国語習得に努めてきたからこそ、汎ヨーロッパ的にネットワークを築くことができたとか(ゾンバルトの『ユダヤ人と経済生活』に書いてあった)。いつまでもあると思うな、親と日本! 外国語が3つできれば、それは行動範囲が広がるよねえ。自動車免許と飛行機操縦免許と船舶操縦免許持っているみたいなもんだ。いいなあ〜〜♪ 私は金がある人よりも、語学がいっぱいできる人のほうが羨ましいよ。いや、やっぱり金と語学能力のどちらも要るな。金がないと旅もできん。

ともかく、この『世界史の欺瞞』(明窓出版、2001, 1200円&TAX)の一読をお奨めします。「日本人よ、英米中心の世界観から抜け出そう」とは、よく指摘されてきたことではあるが、この本は、そうしたら?と気楽に気軽に適当に誘ってくれる。なによりも、読後、爽快な開かれた気分になれる。世界は広い! 知らないことばかりなんだ!知らずして死ねようか!

日本人は、19世紀半ばの新興国家のアメリカに強姦的開国をさせられ、インドを拠点にアジアを手中に収めつつあった大英帝国によって武器弾薬を売りつけられた薩長土肥の藩士たちによるクーデター=明治維新によって、近代の世界史のなかに押し出された。その後も、英国から(投資としての)資金援助を受けて、近代的軍隊だの鉄道だの郵便だのと、西洋のインフラを真似て、社会を整備してきた。別に、そんな物騒な世界に押し出されたくもなかったのだけれども。文明開化なんか、したくもなかったのだけれども。

だから、それ以来、英米中心の世界把握しかできていない。英米という吸血鬼に噛まれて、自分まで吸血鬼になってしまって(これは『裏切られた三人の天皇』の中の鹿島茂さんの言葉)、アジアの生き血まで飲んでしまった。あ、今の中国は、最初は英国に、次は弟分の日本に噛まれた傷がじわじわ効いてきて、吸血鬼になっているのかも・・・まあ、それはともかく、日本は、なんでもかんでも英米の真似してきてしまった。

この傾向は、アメリカに原爆を2発も(どうアメリカ寄りに考えても、1発は絶対に余分だ!)落とされて以来、もっともっと強固になってしまった。英米に逆らうと、別の道を行くと、ほんと身の毛のよだつ目にあうぞっていう恐怖が体に染み込んでしまった。家庭内暴力亭主にさんざん殴られて蹴られた被害者の奥さんみたいに、もう体が麻痺してしまったんだよね。逃げる気力も喪失してしまったんだよね。

その暴力亭主も加齢のせいかアル中か薬中かなんか戦争中毒かしらんが、だんだん認知症の気味も出てきましたから、じわじわそろそろと撤退いたしましょう。義理堅く介護なんかしてやらなくてもいいよ。今までだって、そいつのサラ金のローンは全部かわりに払ってきたんだからさ。どうせ、そいつのことだから、また別口で、誰かを脅して面倒見させるよ。間の抜けた女は、どこにでもいるからさ。だから、さりげなく家出して旅に出ましょう。自分に敬意を払ってくれる男を発見できるかもしれんし、ひょっとしたら、あの亭主にも意外といいところがあったな、と思えるようになるかもしれないし。何の話か?

まあ、南大阪のはずれに位置する、いろんな対策が後手に回りやすい、文部科学省の言いなりに翻弄されやすい中堅私立大学の大学院においてでさえ、英米文学専攻が消えて、なんでもありみたいな英語圏文化学専攻なんてものが出てくるなんてさ、「脱英米文化崇拝教」現象は、さしもの日本でも、もう自然になりつつあるのかもしれない。でもない?

ところで、金曜日の夜10時からやっている『タイガー&ドラゴン』っていうドラマは、かなり相当に面白いね。関係ないか。