アキラのランド節

私には敬老精神がありません [7/9/2005]


明日の7月10日は母の命日なので、昨日の8日の金曜日の夜に名古屋の自宅に帰ってきた。11日の月曜日に高校への出張講義があるので、ほんとうはこの週末は大阪にいるはずだったけれども、あわやのところで母の命日を思い出した。うっかり忘れるところだった。明日は、お墓参りに行く。

新幹線の中で、大前研一氏の『遊ぶ奴ほどよくデキる!』〔小学館、2005年〕を読んだ。この人は、いつもカッコいいよね。60代にして、休日にはオフロードバイクを乗り回し、釣りを楽しみ、世界中を講演し、著書は出せば必ず売れる。固定客がいるからね。私も、昔からの固定客のひとりです。境遇や才能が違いすぎるから、私がこの方の本など読んでもしかたないのだし、参考にもならないのだけども、まあ、なんか、煮詰まっているときは、空元気が出るようなものを読みたくなるではないの。まあ、私にとっては、読んで快適なおとぎ話みたいなものなのですよ、大前さんの本は。

なんで、この本を読んだかといえば、私の研究室にやってきたゼミの学生が、忙しそうな私に、「センセイって遊ぶことあるんですか?」と尋ねたからだ。やっぱり、私が、余裕がなくて、どこか殺気立って疲れているのがわかるんだろう。楽しそうでないことも、わかるんだろう。オバハンかわいそう〜と思ったのかも。

はっきり言って、教えるのも、会議も委員会も、すべてにうんざりしている。将来性とか意義なんか全く感じられない。面白くもなんともない。かなり憂鬱な日々が継続中。来週の月曜日と木曜日の出張講義を最後に、もういっさいこの種の仕事は引き受けないことにした。入試課にもそう伝えた。

最近は、この種の「大学の講義ってどんなだか試しに聞いてみましょう〜〜」行事も、高校が受験指導として主体的に企画するということは減ってきた。期末試験あとの気の抜けた時期用に、業者にその種のイヴェントを丸投げする高校が多くなっている。高校の先生方も忙しいし、どこの大学を呼ぶかとか考えるのも面倒くさくて、外注する。業者にしてみれば、おいしい話である。模擬授業会みたいな企画は、やって来る大学の教員に交通費もギャラ(?)も支払わなくていい。みな、送り先=売り手の大学が宣伝のために進んで教員を送り込むのだから。材料費も加工費も要らずに製品ができあがって、輸送費もいらずに商品を市場でさばけるようなもんだ。そんな虫のいい商売の商品になってたまるか。

『遊ぶ奴ほどよくデキる!』を途中まで読んで、新大阪駅の構内の売店で買ったちらし寿司を食い、ペットボトルのお茶をごくごく飲みながら、やっぱり、来年の2006年度で大学は辞めよう、でないと心身ともに病気になるな、と考えているうちに、名古屋駅に着いた。

同僚から言われた言葉を、改札口を出たところで思い出す。「フジモリさん、お金のことだけ考えてやっていればいいのよ。全部をきちんとやろうとするとつぶされるよ。いい加減でいいのよ。私は、もうこれだけしかできませんと、開き直ればいいのよ。授業なんて手抜きでいいのよ。どうせ学生も大学も何も真剣には考えちゃいないんだから」という言葉を。そうなのかもしれないなあ・・・

夜の9時半近くでも、駅の構内は混雑している。タクシーの車窓から見える公園には、若い子達がたむろしている。集団で踊っているのもいる。「ヨサコイ」の練習か。金曜日の夜だもんね。

ところで、6日の水曜日の教授会ではむかついた。「2004年度社会人聴講生アンケート調査」というのが回覧されて、そこには、勤務先の大学の「地域に開かれた大学」活動のひとつである社会人聴講生の受講した感想が、原文のまま紹介されていた。関心もなかったし、〔会議中ではあるが〕採点で忙しかったので、私はペラペラとめくって拾い読みしただけで、隣の同僚にその書類を回した。「楽しませていただいています」とか「いい機会をありがとうございます」という礼儀正しい回答が多いのは不思議ではないし。

そしたら、しばらくたってから、同僚が、その「2004年度社会人聴講生アンケート調査」について、話しかけてきた。「『モモヤマガクインダイガクは教師1.5流、学生3流、学長4流』って、書いてあったね」と。え?!と私はびっくりした。「教師1.5流」なんて、えらく褒められちゃったわ!という驚きではない。その書き方の、物言いの「邪気邪気した悪意」に驚いたのだ。

なんだ、この感想は?半期一科目9000円の低料金で、講義の聴講はもちろんのこと、図書館も使えるし、ラウンジも使えるんだぞ。ウォッシュレット装備トイレも使っていいんだぞ。感謝されこそすれ、そんなこと書かれる筋合いはない。聴講生だから、教師の批判はしたくなるだろう。しかし、学生のことなど書く必要はない。えっらそうにさあ。

確かに、最近の学生は、授業中の私語を厳しく注意されたぐらいのことで、いちいち教務課に訴えたり、匿名のメイルを大学に送りつけたりと、やることがセコイ。当該教員にきちんと抗議するとか、実名をはっきり書いて構内に設置されている「意見箱」に書面で苦情を投稿するということはしない(そういう制度がちゃんとあるのに)。皮肉なことだが、もしくは予想のつくことだが、授業熱心な、きちんと叱ることができる教師が、その種の小心なセコイ卑怯な学生の苦情の的になりやすい〔私も、的になるかもね〕。だから、教師は、本気で指導なんて怖くてできなくなる。だって、客の苦情には、誠意を持って対処しなければならないし、客に向かって「あんたが馬鹿なんだよ」とは、言えないし。だから、たかが、机の上に置いた筆箱をはたかれた程度のことで、メソメソする「お子ちゃま」の激増に、教師はなすすべがない。

まあ、こういう「お子ちゃま」は、就職も決まらないし、就職しても一年以内に離職する類の連中だけれどもね。

しかし、それにしても、学生が社会人聴講生に害を与えているなんてことはないんだからね、社会人聴講生がとやかく言うことはない。私語している学生に「うるさい!邪魔だ!出て行け!」と怒鳴る元気もないくせに。彼らや彼女らの視野には、そりゃ、あなたがたは、まともに入っておりませんよ。そりゃ、礼儀もマナーもわきまえておりませんよ。しかたないよ。甘い親に育てられて、大人一般をなめているし、何よりもまだ人間の水準に達していない亜人間が多い。自尊心はないけれども、プライドだけは肥大しているのが多い。授業中に私語も多いし、黙ってトイレには行くし、携帯が無神経に鳴ることも日常だ。だけど、学生の親の世代の親は、あなた方なんですよ。あなた方が、親として根性なしだったんで、孫世代に駄目さ加減が増幅されて出てしまっているんだ。

とにもかくにも学生は、その保護者が年間100万円の学資を支払っているのだから、9000円ぐらいしか出していない聴講生より圧倒的に偉いのだ。ましてや、学長がどうのこうのと部外者が何を言っているのか?そんなこと匿名で書いているお前は、100流だ。「2ちゃんねる」だ。他人の書いた本やウエッブサイトの批判ばかりしている凡百の「匿名身元不明Blog」だ。他人主催のパーティに無料で招待されて、客や料理の悪口をネットの掲示板に長々と書いている馬鹿と同類だ。

こういうことを書くのは、絶対に男だ。多分、有名大学を出て、定年になって、やることもなく、家にいると女房に嫌がられているか熟年離婚を迫られていて、行き場もなくて、公立図書館で独自に勉強するほどの真の知的好奇心もなく、カルチャー・センターではプライドが許さず、自慢といえば、お勉強ができたんで有名大学を出たということだけだったが、企業では自分で期待していたほどには出世もしなければ尊重もされず、どこか不完全燃焼のまま、欲求不満と怨念と僻みと嫉妬が骨身に沁み込むあまりに、皺とシミに肌を占拠されているジジイだ。間違いない。

しっかり燃焼した人間は、自分のテリトリーでもないところで無駄口はたたかない。ちゃんと自立した人間は、近所の中堅私立大学に入り込んで、ひがんだ視線を送りながら、アンケートにしょうもないことは書かない。そんなこと書くならば、来るな!お前なんかに、ウォッシュレット装備トイレは使わせない。

いるんだよ、こういうジジイの聴講生が。誰も訊いていないのに、「京大だったもんですから」とか言うんだ。私は、内心、「へえ〜京大まで出て、いい年して、学生ごっこなんか、なんでやってんの?頭がいいんだろうから自分で勉強すればいいだろうが。こんなところで、何をしょうもない質問しているんだ、馬鹿。早く死ねよ」と思っている。「今のうちならば、家族も泣いてくれるよ、寝込まないうちにさ、でも、あんたは絶対に無意味に無駄に長生きするだろうね」と思っている。

案の定、10年前に私のクラスを聴講していた有名大学出身自慢ジジイが、10年後もまだ構内をうろちょろしている。ひょっとして書いたのはあいつかも・・・

はっきり言って、私には敬老精神が欠如しております。

私の両親は、どちらも60代で亡くなっている。だから、長生きの老人見ると、「安易にずるく生きてきたから、その罰で長生きしているんだ」と、私は思い込むのであります。要するに、私はひがんでいるのであります。嫉妬しているのであります。「うちの親は老後をのんびり楽しむこともなく死んじゃった。長年払い込んだ年金は国に寄付してしまったようなもんだ。しかし、こいつらはノウノウと生きていやがる。国にぶらさがっていやがる。きっと現役の時も公務員だったんだな。それか特殊法人に勤めていて長年の間、税金を浪費していたに違いない。だからストレスがなくてダラダラ長生きできるんだ。ふん、その長生きこそが天罰なんだよ〜〜」と、毒々しく思っているのであります。

だから、「おれおれ詐欺」〔振り込み詐欺か〕とか「訪問販売」に騙される老人にも同情心はないのであります。「どうせ安易に生きてきたんだろう。だから騙されるんだ。いい年して、他愛がないんだ。苦労も修行も足らんのじゃ」と思っている。

カール・ヒルティの『幸福論』にも、「長生きは神に愛されていない証拠である」と書いてあったもんね。

というようなことを、うっかり他学部の英語の授業中に話してしまったら、そのクラスで実施した「春学期の学生による授業評価票」の自由記述欄に、「悪口を言い過ぎる。老人に死ねなんて、私には言えない」と書かれていた。わ、田舎の国公立大学にいそうな「口先ばかりが優しい偽善的な頭の硬い小ズルイ小利口お嬢ちゃん」の口調だわ。県立(あれはどこの県?)尖閣列島大学にでも転学しろ。宮古島には行くな。あの美しい島が汚れるわ。何の話か。

まったく、文学部の学生ならば、ブラックユーモアとして大笑いするのになあ〜〜法学部って文字通り解釈するんだから、もう。行間を読むなんて、高度なことはできないんだから、もう。「法学はdisciplineがはっきりしている学問ですから・・・」と文学部を馬鹿にするほど、賢くもなんともないんだから、もう。副島隆彦氏と山口弘氏の共著『法律学の正体』(洋泉社、新版2002年)は、ちゃんと読んだの?読んでいないよな、きっと。

あのね、行政書士とか司法書士とかなんてさ、いいソフトが発売されれば、無用の職業なんよ(税理士も会計士もそう)。弁護士の仕事のかなりの部分は、書類作成でしょ?いいソフトが発売されれば、よほど付加価値のついた弁護士でないと、司法試験の勉強の苦労のわりには、恵まれないということになりますよ。大前研一さんが前に、そう書いていらしたもんね。親が亡くなったとき、実家の土地の登記申請書類作成を、司法書士に頼むのもあほらしくて、私は自分で書式どおりに作成して法務局に提出したけどさ、そのとき、私は思ったよ。こんな程度のこと、なんで市民の誰もができるようにしておかないんだろ?ただの書類作成仕事じゃないの。何をえらそうに「士」なんてつけているのかと。仰々しくして、一般市民にわかりにくくしてハッタリかましているだけで、実は単純なことなんじゃないか?と。

大前さんの書いていたことって本当だよ。あんなのワープロでできる。しかし、いまだにいいソフトが発売されないのは、語尾に「士」がつく業界連合の陰謀でしょうか?法曹界の陰謀でしょうか?まあ、せっせとえらそうにしていろ。

疲れると、私ってほんとうに口が悪くなるんだよね。反省はしておりません。

ところで、名古屋に帰宅してから、テレビつけたら、金曜日夜10時からの新ドラマの第1回『ドラゴン桜』をやっていた。おもろい。破産寸前の馬鹿駄目高校に弁護士が乗り込んで、高校再建のために、「東大合格」をめざす特進クラスを設けて、高校生を鍛える話。「馬鹿とブスは東大に行け!」と、弁護士役の阿部寛が吼えていた。今年の夏は、このドラマを見ることに決めた。『チャングムの誓い』の後編はいつやるんかな。