アキラのランド節

<損の貯金>があなたを守る [12/12/2005]


12月も、もう中旬になりました。「サンクト・ペテルブルク旅行記」の続編も書かず、「アイン・ランドとネオコンの関係」についてもまだまだ書き足りないですが、すみません。おいおい書きます。

前の「ランド節」を書いていた11月27日に、肌がカサカサ乾燥するんで、洗面台の棚に捨て置かれていた化粧品の試供品のクリームを、顔に適当に塗たくりました。気がついたら、しっかり赤く腫れてかぶれて痛くなり、ぼろぼろの発疹が顔中に広がっていました。賞味期限切れというか使用期限切れの古い試供品を使ってしまったのか?あとで、試供品がはいっていた袋の中の「使用注意書き」を読んだら、そのクリームは塗って数分したら洗い流さなければならないタイプのものだったんですね〜そんな、ややこしいもの作るな!

「体調が悪い」は休講理由になるが、「顔が悪い」は理由にならない。だから出勤はしましたが、同僚が挨拶するなり、やけに静かに、いかにもさりげなく目をそらしたり、学生が会うなり、かすかに顔をひきつらせたりで、私は、人それぞれの反応が面白く感じられましたです。

「センセイ、顔おかしいですね」とストレートに尋ねてきた男子学生は、早々と今年6月に結婚して、もうすぐ奥さんに赤ちゃんが生まれる私のゼミの学生ひとりだけでした。さすが、彼女と事を成しまして、その結果が出たら、若いながらも、ちゃんと男としての責任を果たすという選択をしただけの学生である。彼は、まだ大学3年生にして、すでにバイト先のファースト・フード店の店長(代理)をこなしています。レポートも、ちゃんと小論文になっているものを提出できる学生です。

なんと、うちのゼミには、妊娠5ヶ月の女子学生もいて、彼女は来年の1月に結婚します。来年3月の卒業式にはお腹も目立って大きくなっているだろう。めでたい。この少子化の時代に、実にありがたいことです。このふたりには、お祝い以外に、例の名著『究極の免疫力』の著者であらせられます西原克成医師の『赤ちゃんの進化学?-子供を病気にしない育児科学』(日本教文社、2000)と『お母さんは名医』(東洋経済新報社、2001)を贈呈する。絶対に絶対に読んでもらわねば。

事実から観察から学ばずに、教科書の記述を信じて疑わない馬鹿優等生型小児科医の言うこと真に受けて、離乳食を生後半年目から与えて赤ちゃんを育てると、大事な可愛い赤ちゃんがアトピーとか小児癌とか白血病になるぞ〜〜2年間ぐらいは母乳かミルクでいいんだぞ〜〜腸がまだ弱い赤ちゃんに離乳食なんか与えると、腸が苦しいから、赤ちゃんは横寝で体を丸めてお腹をかばってしまうんで、おかげで鼻呼吸ではなく口から呼吸して、顔の骨が歪み、背骨も歪んで、顎が後退して顎の成長がうまくいかなくて、歯並びが悪くなり、下唇がやたら厚くなり、受け口になったり、出っ歯になったりして、不細工で貧相な顔つきになるんだぞ。

だから、最近の日本には、不細工で下品な顔つきが増えて、口をぽかんとあけているような馬鹿顔ばかりが増えて、美女&美男子生産率において韓国に大負けするはめになるんだぞ。韓国の美女&美男生産率の高さは、整形手術が一般的であるという理由だけからでは説明できない。絶対に、日本の「何か」がおかしいんだ。昔に比べると、ジャニーズ事務所も不細工下品顔の男の子しか輩出できていない。環境汚染もはなはだしいわ。

みなさん、赤ちゃんに離乳食を早く与えて口呼吸にすると不細工になるだけではないんですよ!頭も(ということは、真の知性に裏打ちされた人格も)悪くなるんですよ!口呼吸のせいで、口から雑菌が入り込み、虫歯や歯周病になり、歯の咀嚼ができなくて、脳の機能に支障をきたし、長じて男は家庭内暴力を始め母親をぶん殴り、引きこもりとなり、ニートとなり、そのために社会的訓練を受けられず無知無能となり、ついには変態となり、大人の女性は怖いから、小学生の女の子に甘えようとして、女の子を待ち伏せして、その甘えを拒否されると逆切れして殺害するような、5回死刑にしても処理できないような類の「リサイクル絶対不能のゴミ」になるんですよ。

女の赤ちゃんが早すぎる離乳食による口呼吸によって頭がいかれると、長じれば、地下鉄の中で厚化粧を始めるようなぶっとい神経なくせに、無駄に神経質に苛々して挨拶もろくにできず、使用済みナプキンを包まずにそのまんま汚物入れにつっこんで捨てて恥じず、うっかり母となれば子ども虐待に走る鬼畜になるんですよ。日本にまっとうな人間を増やすためにも、これ以上「日本人崩壊」を促進させないためにも、「人権」なんか、どう考えても付与する価値のない亜人間を増やさないためにも、西原克成医師の本を読み、実践いたしましょう〜〜

ところで、今日は、私の強迫観念のひとつである<損の貯金>について書きます。ある観念といいますか妄想といいますか思い込みが、私にとり憑いています。そのことについて書きます。

私は、平和な戦後日本に生まれまして、生まれた落ちた家庭も家族も、平々凡々で食うに困ったわけでもなく、日本の高度成長にあわせて、つまり私の成長にあわせて、家庭の中でも外でも生活水準は目に見えて向上しました。どんどん「楽に」なっていきました。うちわから扇風機に、扇風機からクーラーに代わり、こたつと火鉢から石油ストーブに、石油ストーブからエアコンに代わりました。ホット・カーペットなんてものも出てきました。冬は冷たい水で洗いものをしなければならなかったのが、瞬間湯沸かし器がつき、ついには赤の色の蛇口をひねればお湯がいつも出るのが当たり前になりました。トイレは汲み取り式から水洗になり、ウォッシュレットがつくようになりました。冬でも便座が温かくなりました。電灯は天井からつるした傘に電球ひとつ状態から、天井に設置された蛍光灯に代わり、ついには「ガイコク」みたいな間接照明になり、部屋のあちこちにスタンドとか置くような、ホテルの部屋みたいになりました。

衣類は母親が洋裁で作ったり編んだりした不恰好な野暮ったいものしかなかったのに、「よそ行き」の晴れ着は、近所の仕立て屋さんにお願いするしかなかったのに、昭和30年代の終わりには、デパートに「ジュニア・コーナー」なんてものができて、「ガイジンの女の子が着るみたいなワッペンつきの金ボタンつきの紺色のブレザーと赤と緑のタータンチェックのスカート」を買ってもらったときは、もう嬉しくて嬉しくて、母親が止めるのに断固として毎日毎日それだけ着続けて、小学校に通ったものです(アホや)。

しかし、あっという間に衣類は既製品があたりまえになり、商品は街にあふれました。バーバリーのトレンチコートの裏側の、あのチェック柄は、1970年代初頭に10代後半だった女の子にとっては、憧れでした。「いつかは持つぞ、ほんとの(英国製の)バーバリーのトレンチコートとバレンタインのカシミアのアンサンブルとルイ・ヴィトンのバッグ」というのが、1970年代中頃の大学生の女の子の気持ちでした。シャネルやセリーヌやカルティエなんてのは、まだほとんどの娘は見たことも聞いたこともありませんでした。ましてや、グッチやロエベやブルガリなど。せいぜいが、ピエール・カルダンとかクリスチャン・ディオールです。「昭和元禄」なんて言われていた頃です。

世の中は、ベトナム戦争だの学生紛争だの公害問題だの、石油危機だのニクソン・ショックだの、いろいろありましたが、60年代末から70年代は、女の子にとっては、なんか生き方の可能性が広がりつつあるような感じがありました。アメリカの第2次フェミニズム運動の余波で、日本にもウーマン・リブの運動が起きましたから。私は、高校の3年の夏までは「金持ちの男と結婚して、家事はお手伝いさんがするような結婚をするんだ。安月給の男の女房になってやり繰りするなんて冗談じゃない。ただ働きの女中になんかなってたまるか」と堅く思っておりました。しかし、鏡に映った自分を冷静にチェックしましたら、「玉の輿に乗る」のは無理だとわかりましたので、急遽、「経済的自立」を目指すことにしまして、受験勉強を遅ればせながら始めました。ともかく女の人生の選択肢が増えつつあるというのが、この時期の空気でした。

地元の新聞に「愛知女性研究者の会」というのが結成されたと書かれていまして、設立者の中心的人物である社会思想研究者の水田珠枝氏(岩波書店出版のリベラル・フェミニズムの古典『女性解放思想の歩み』の著者。アダム・スミス研究の第一人者である水田洋氏夫人)のインタビューが掲載されていまして、なにゆえか、私はその記事に心惹かれましたが、まさかそれから10年後に、自分がその会に所属しようとは夢にも思っていませんでした(今は脱会)。

1980年代にはいると、世の中は、ますます豊かに物があふれ、日本は「エコノミック・アニマル」として繁栄し、母校の南山大学に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者のエズラ・ボーゲルが講演に来ました(当時のヨハネス・ヒルシュマイヤー学長のハーバード時代の友人とかで)。(できのいい)学生がどんどんボーゲル教授に英語で質問しているのを見つめているヒルシュマイヤー学長の嬉しそうな温かい表情は、大学院生だった私にとって印象的でした。あの日以来、いろんな「学長」を見物してきたが、あの学長は、とっても「学長」らしかったな。それなりの地位にある人には、それなりの品とか風格とかが、ちゃんと備わっていた時代の話です。

1986年に私は地方の某公立女子短大に職を得て、その年の夏のボーナスでビデオデッキを買って、念願の「家でソファに寝っころがって映画を見る」という少女時代の夢をかなえて、あの頃は5泊1000円のレンタルビデオで映画を見まくりました。その年の冬のボーナスでワード・プロセッサーを買いました。タイプライターよ、さようなら。悪筆コンプレックスよ、さようなら。

1988年には名古屋の女子大の短大部に移り、時代はバブル期にはいり、学生をアメリカ研修旅行に引率すると、学生たちはニューヨークはマンハッタンの5番街を買い物のために疾走しました。「おじいちゃん」からお小遣い「10000ドル」もらったから、いっぱい買わなくっちゃ!と声高に言っている学生もいました。日本全体が浮かれている時代でした。

バブルがはじけて、90年代にはいりますと、ソ連が崩壊し、湾岸戦争も始まり終わり、会社の倒産や銀行の破産も新聞を賑わすようになり、景気が悪くなって失業率が増え、中高年の自殺者が増え、大学新卒者の就職率も悪くなりました。ではありましたが、私個人は、父の入院だとか、職場での同僚のケチで頭の悪い嫌がらせとか、花粉症を始めとする体調のひどさとか、などのささやかな不如意は、いっぱいありましたが、おおむね、つつがない毎日を送っていました。

1994年あたりから職場に学内ランが敷かれ、個人研究室にコンピューターが設置され、「電子メイル」で連絡しあうのが面白くて、ネットサーフィンが面白くて、学生や同僚が来るのが邪魔なので、私は研究室のドアをロックして、パソコン遊びに熱中するようになりました。私にとっては、仕事の機器というより、明らかに「玩具」でしたねえ、あの頃のパソコンは。

しかし書籍代が、その頃から激増しました。ネット通販で本が簡単に検索し注文できるし、クレジットカードで精算できる便利さのために、ろくに考えもせずに、どんどん本を買い込むようになってしまったからでした。もう丸善や北沢書店に注文しなくても、原書はアメリカのアマゾンから買えるし、価格も日本の洋書店で買うよりも、かなり安かったので、たまりません。ニューヨークの古書店で埃を吸って、くしゃみをしながら本を捜さなくても、古書店ネットを検索すれば、日本にいながら絶版書も手に入ることができるようになりました。

1996年には、めでたく大阪府の桃山学院大学に移り、同僚たちも、知能も人格もまともな人々に恵まれ、これでやっと落ち着いて働ける場所にたどり着いたなと思いました。もう世の中には、すっかりインターネットが普及して、私もノート・ブック型やデスク・トップ型など、複数のパソコンを所有するようになりました。下着から靴から健康食品から毛布から家具に至るまで、何から何までネット通販で買うようになりました。サイズのないものは、アメリカのネット通販で取り寄せるようにもなりました。ブランドものなども、いくらでもネットで購入できるようになり、一般的になって久しくなりました。保険は審査のいらない外資系の掛け金の安い掛け捨て保険が主流となりました。

その頃でしょうか、私はあることに気がついて愕然としました。個人的な不如意はたくさんあれど、しかし総体的には、私自身は、何の苦労もしていないのに、何も生み出していないのに、世の中がクルクルと回り、便利になり、私はその恩恵をたっぷり浴びて、快適にのうのうと暮らしてきたということに。それに無自覚で感謝もなかったということに。

文学系の論文を書いたりする努力など、いくら努力しても、その生産物が世の中に役立つようなものでもないので、個人的にはしんどくても、客観的には何もしていないのと同じことです。教師という仕事も、学生は行くところもないし、やりたいことも当座はないので大学に入学するのだし、一応卒業しておかなければ不便だから単位を取って卒業するわけで、教育サービス労働など、はっきり目に見える「成果」の出しようがないし、その成果を厳しく問われることもないので、これもまた個人的にはしんどくても、客観的には何もしていないのと同じです。資質のある人間は、教師なんか関係なく学び伸びていきます。ありていにいえば、受けた教育を有効に有意義に活用できる質の人間にとっては、教師なんて、いてもいなくてもいいです。受けた教育を有効に有意義に活用できない質の人間にとっては、学校とか教師というのは、時間つぶしの座興提供所でしかありません(それも大事な機能ですが)。

つまり、私は、世の中から受け取るばかり、もらうばかりで、この世の中に寄生しているだけ、「地球のお荷物」やっているだけの存在だということを、はっきり認識してしまいました。つまり、自分が努力して獲得したわけではないものに、「理不尽にも」「不当にも」いっぱい私は恵まれてきたということを、認識してしまいました。牛を殺してもいないのに牛タンを食べ、羊を飼ってもいないし羊毛を刈り取ってもいないのにウールのセーターでぬくぬくとし(この時期から高価だったカシミアのセーターもモンゴル兼中国製の比較的安価な商品が出てきたな)、米を作ってもいないのに、魚沼産のコシヒカリでないといやだとかほざき、漁などしていないのに、ほたての貝柱の粕漬けが好きだとかほざき、私自身は、なんもしていないのに、それほどの価値もないのに、空恐ろしいほどに、ラッキーだということを、認識してしまいました。

私は、恐怖にかられました。こんな「もらってばかり」では、罰が当たる。きっと当たる。人間の人生が、こんなラクチンであっていいはずがない。(今のところは)現在の日本は、いわばこの地上に実現した天国みたいなもんだ。私は、その天国に住んでいる天使みたいなもんだ(まあ、老けた汚い天使ではあるが)。しかし、私自身は、ラクチンな天使やっているのがふさわしいような苦労もしていないし功績もない。

もし、幸福な天国の天使で、ずっといたいと思うのならば、私が、これからも平々凡々でも安穏に生きるためには、その恵まれている分をチャラにするぐらいの「損」を引き受けないとまずいのではないか?「得」ばかり取ると、まずいのではないか?

ならば、これからは、どうってことがないのならば、無理のない範囲で、どんどん損をしていこう。努めて、<損の貯金>をしていこう。世の中からもらうばかりでなく、もらいっぱなしですますのではなく、借りばかり増やすのではなく、世の中に目に見えない貸しを作っていこう。どんどん貸していこう。どんどん貸し付けて、回収することは忘れよう。もともと、もらいすぎているのだから、回収なんておこがましい。どんどん下積みの雑用をやろう、誰も見ていないところで手を抜かないようにしよう。でないと、死ぬときに気分が悪いのではないか。納得して死ねないのではないか。老いて人生をふりかえったときに、ひどく惨めな情けない心細い思いをするのではないか。「試されていない魂」を持ったまま、幽体離脱するわけにはいかんよ。

不思議なものです。面白いものです。皮肉なものです。私が、このままの人生では借りっぱなしになるから、自分が無理なくできる範囲で、どんどん損をしよう、回収せずに貸していこうと、いや、正確に言えば、今まで借りていたものをどんどん返していこうと、ささやかに私なりに<損の貯金>を意識的に始めて実践して、それが習慣になって以来、私は、仕事面でも、人間関係でも、嫌な思いをすることが目立ってなくなりました。嫌な程度の悪い奴と関わることがなくなり、嫌な人間たちとは、どんどん縁が切れ、まともな人々とのご縁がいっぱいにでき、良書にもどんどんめぐり会うようになり、やっと本気で勉強できる研究対象も見つかり、「あのときは危なかったな」と後で振り返るとヒヤッとするような、なにゆえか守ってもらって無事にすんだな〜〜と、しみじみ思えるような出来事に何度も遭遇するようになりました。

なんとなくではありますが、鈍いことこのうえない頭も、少しは回るようになりましたし、情緒も安定し、脳波も安定したような感じです。肌荒れも少なくなりました。体調も良くなってゆきました。

そして、ついには、私が<損の貯金>をし続けることが、私ばかりでなく、私の家族や愛する人々を守ることになるし、ひょっとしたら、私の職場や学生を守ることになるかもしれないと深く深く思い込み、私が目先の損得で動いて、小狡くも、セコクも、得を選ぶと、ろくなことが起きないそ〜きっと災難が来るんだ〜という強迫観念が断固として、私の中に巣くってしまうようになってしまいました。

私を守っているのは、<損の貯金>だ!しょうもないことで得なんて、怖くてできんわ。くじなんか当たりたくもないわ。宝くじなんか当たったら、80%は寄付でもしないと怖いぞ。ただより高いものはない。損せずして獲得した幸運ほど怖いものはない。

ですから、思いやり予算とかで米軍に日本の税金が食い散らかされようと、ODAで食い散らかされようと、「金でナントカなるのならば損をしておいたほうが、日本のためにいいんじゃないの」と思うようになってしまいました。やたら恵まれて、得ばかりしているように見える天下り役人や、責任を負わずに食い逃げしている類の特権的人々の話を聞いても、「いずれ、ろくでもない目にあうわさ。<損の貯金>しか、いざというときに身を守ってくれるものはないぞ〜〜」と思い、むかつきもしなくなりました。

教師や公務員の老後に痴呆が多いと聞いても、「それはあたりまえじゃ。<損の貯金>ができない小賢しい奴が多いからじゃ」と、納得がいくようになりました。

尊敬する方が、税務署の理不尽な攻撃にあって、不当な税金を支払わされたと聞いても、「あ、よかったですね。これで大きな災難を免れましたよ、先生。これからもっといい仕事ができますよ。先生の真価が発揮されるのは、これからですよ」と思ったのでありました。

悪事をしてばれなくたって、そのかわりにとんでもない災難が来るんだわさ。いざという肝心要のときに、ミスをするはめになり、またその結果がほんととんでもないことになるんだわさ、と思うようになりました。だから、小さな失敗をして、ペナルティを課され、辛くて学習せざるをえないはめになるのは、恩恵ですよ。殺人で時効になっても、どっちみち、殺人犯はろくでもない人生しか送らないよ。

仕事は出来るし愛想もいいけれども、人望がない同僚についても、なんでかしらね?と不思議に思うこともなく、「こいつは人から見えることしかやりたがらなくて、チヤホヤされるのが好きで、下積みの地味な仕事はしないから、あかんのじゃ。いい年して、いつまでも他愛なく浅はかで、気取りたがるばかりだから、嫌われるんじゃ」と判断できるようになりました。この手の奴は、男女問わず老けるのが早いね。年齢のわりには、肌もカサカサじゃ。人目につかない仕事でも、手を抜かずにきちんとやって、ケロリと飄々としている同僚は、いつまでもユーモラスな稚気にあふれ、ちっとも老けないのにね。

一見恵まれてばかりいて、そのまま亡くなった人は、きっと人知れず誰もできないような苦労を重ねたのだろうなと、きっと果敢にも涙ながらに捨てて諦めたものが多かったんだろうなと思うようになりました。もしくは、どれほどの空虚で孤独な思いをかみ締めて亡くなったのだろうかと、想像するようになりました。昭和天皇は、どんな思いで、下血しながら、死の床に横たわっておられたのでしょうかね?

どうしたって「男の子」を産まなければいけない立場の娘を持つ親は、ドカーンと不動産処分して寄付でもして、「それに値する努力もせずして付与されたもの」に匹敵する「損」を享受しないと、孫に男の子は生まれないのではないでしょうかね?ヘラヘラ薄ら笑い浮かべて、公的な晴れがましい席にしゃしゃり出て、成果も責任も問われない仕事をして偉そうにしているだけでは、娘は女の子(それも、ちょっと足りないみたいな)しか生まず、うつ病になるんじゃないでしょうかね?それだけですまず、嫁いだ家の存続が危ぶまれるような騒ぎを、心ならずも、善意であるのに、引き起こすはめになるのではないでしょうかね?

Noblesse obligeっていうのは、能力のある身分のあるエリートは、それなりの義務があるってことだけれども、それは能力があるから、その能力を社会に還元せい、ということではなくて、能力がある人は、それだけ目先も良く見えるし、有利な場所にも容易に立ちやすいのだから、それだけだと得ばかりもらって、恩恵ばかり手にすることになるんで、それは人間としていびつになりやすいから、また頭のいい地位ある奴がいびつになると害毒を流しやすくなるから、その社会的損害は大きいので、あえて損を引き受けないと、個人としても社会としてもバランスがとれないよ、ということではないだろうか。「情けは人のためならず」って、よく言ったもんだ。つまり、Noblesse obligeっていうのは、「義務」ではなくて、「保険」とか「備え」みたいなものなんだよ。好むと好まざるとに関わらず、社会に大きく影響を与えるはめになってしまうエリート個人の災難を防ぐための。そう、Noblesse obligeこそ<損の貯金>。

でも、この貯金は、エリートでなく庶民でも実践したほうが、身を守ってくれると思うよ。すでに、私が10年間実践して効果は証明済みですから。

そういえば、無責任で冷たい愛に欠けるが(エリートの)夫との離婚に悩む友人に、「そういう夫を持っているというその損が、他のさまざまな災難から、あなたを守っているのかもしれない。今の不幸のタネが夫だけなのならば、そのタネぐらいは持っていていいのではないか。人間として、ひとつぐらいの不幸を持っているぐらいが健康で、まっとうではないかなあ?」と言ったことがあるな。若い頃の私なら、即座に、きっと離婚を薦めたでしょうが。

なんで、こんなことを、ここでふと書く気になったかというと、「構造計算書偽造事件」とかで国会の委員会で証人喚問を受けている人々がテレビに映っているのを眺めて、「なんで、この人たちは、そんなに<得の貯金>ばっかり、やっきになってしてきたんだろう?それほどに<得の貯金>にこだわるほど、恵まれずに生きてきたとも思えないが。ちゃんと今まで、<損の貯金>してこないから、いい年して、家族もいるのに、こんなテレビに顔をさらすなんて下品なみっともないことをするはめになるんだよ〜〜でも、これで、いっきょに<損の預金>を、まとめて盛大にするはめになるから、もっと大きな決定的な災難からは免れたんじゃない?よかったね〜〜みなさん。これからは幸福だけの人生よ〜〜子孫にも難は及ばないよ〜〜」と、思ったからだった。

そういう欠陥マンションを購入してしまった方々も、この一件で、心ならずも、多額の<損の貯金>をなさったわけで、これで、ありがたいことに、みなさんは生涯に蒙る災難の全部を逃れることができたのですよ。そうなんですよ。あとは、いいことしか残っていませんから、雄雄しく進んで行きましょう。

だから、私は、例の化粧品の試供品の誤った使用によって顔が赤く腫れてかぶれて痛んでも、その不注意による損は、私が蒙ることになっていた災厄の小さいものをチャラにしてくれたと信じることができたんで、へこみもしなかったのさ! それよりも、「短期間顔面皮膚崩壊」というアホなことになったのは、何かの警告に違いない、くたびれて掃除をさぼっていたからかな?もしくは、自分の興味関心ばかりを追いかけて、機械的に仕事して心をこめていなかったからかな?と反省しましたです。

だから、まずは掃除をしたのであります。トイレと玄関は念入りに水拭きをして床を磨き、研究室も掃除したのであります。トイレは、私たちの排出する汚いものを、しっかり受け止めてくれるありがたい場所=最大の損を引き受けてくれる場所なんだから、特に掃除しないとね。というわけで、顔の皮膚のほうは、1週間もしないうちに、もとにもどりました。

いや、まったく、<得の貯金>ばかりして平気でいるような、空恐ろしい厚かましいことができない私は、ほんとうに小心者ですね〜〜でも、事故にも会いたくないし、通り魔にも会いたくないし、テロにも会いたくないし、大病にもなりたくないし、程度の低い人間と関わるはめにもなりたくないからな〜〜<損の貯金>は、やっぱりやめられません。