アキラのランド節

究極のSelf-Development本 [03/04/2006]


最近のランド節は長いから短かくせい、ややこしいことなんか書かんでいいからと、ある人に言われたんで、今日は短く書きます。自分が金を出して開いているウエッブサイトで、購読料とっているわけでもないんだから、どう書こうが勝手じゃないかと思うのだが、でも長くて読んでもらえないと、アイン・ランド伝播のためにならんから、頻度は高くして短く書くのは大事なんかなと、あらためて思い返した。

今年の2月から3月は喪中ということもありまして、静かに過ぎました。特に、この1週間は、アイン・ランドのThe Virtue of Selfishnessの翻訳だけに集中できて、とても嬉しかった。去年は、大学の委員会仕事のせいで無駄に無意味に時間とエネルギーをとられた。ああいう会議の不快さって後々まで残る。半分はすでに死体みたいなオッサンたちの邪気にやられる。だから、つい帰宅してダラダラしてしまったのかもしれない。2002年と2003年の天中殺とか2002年から2004年にかけての大殺界の疲労もたまっていたのかも。しかし、今年は邪気払いも完璧にして、必死でこの仕事を完成させる。哲学的エッセイですから、私の解題もつけます。

The Virtue of Selfishnessの翻訳が出版されたら、みなさま是非とも読んでやってください。アイン・ランドがいかに見事にまっとうで素直で、夏の少年のごとく向日的でまっすぐな人か、よくわかります。アイン・ランドを「カウボーイ資本主義の提唱者」として、馬鹿にする奴は多いけれども、あのね、ランドはね、「資本主義はまだ地球に実現されていない未来のもの」って言っているの!いまだこの世界に、自由市場なんて実現されていないって言っているの!ランドはアメリカの「資本主義の邪魔する資本家」のパシリじゃないの!読んでから批判せい!

アイン・ランドは豪腕直球速球の星飛雄馬みたいです。だから、しょうもない似非インテリたちに嫌われ馬鹿にされてきたんだろうな。似非インテリの暗〜い、いじけた連中ってさ、ほんとうにまっすぐで明るいものを嫌うでしょう。ほんとうに明るくてまっすぐで率直なものの鋭さや迫力が煙ったいんだ。文化左翼的リベラルな「明るい優等生」みたいな程度の貧乏臭い明るさならば認めるんだろうけどね。蛍光灯の明るさはいいんだけど、太陽の明るさはイヤなんかね。暗いよね〜〜

ところで、この1週間ほどは名古屋の自宅にいたんで、「自称私のテリトリー」内に開店したばかりの「たこ焼き屋」で大好きなたこ焼き2箱買って、ちょっと書店に立ち寄ることができた。そこで私は、「ああ〜日本も、いよいよアメリカになったなあ。アメリカ以上かもね〜」と思うことに遭遇した。

ニューヨークの有名書店のBurns & Nobleみたいに、カフェが店内にあるばかりでなく、ソファもデスクも椅子も設置されていて、じっくり座って拾い読みができるようになったな、だから朝から晩まで座り込んで読んで買わずに帰っていく客(?)がいるな、という意味ではありません。名古屋には、そこまでの書店は、まだまだ少ないです。私が言うのは、いわゆる「人生向上ハウ・ツー本」と言いますか、アメリカ的Self-Development本のコーナーの充実のことです。

人生論や「きちんとしたマナーを身につけよう。マナーの背後にはこういう意味があり伝統があり美意識があります〜」本は、昔からありました。亀井勝一郎氏とか草柳大蔵氏とか曽野綾子さんのエッセイは、私の学生時代には、書店の一角に必ずありました。特に、草柳大蔵氏の一連の若い女性向けエッセイは、20代前半の私にとっては、「偉大なる家庭科のテキスト」でした。男性で東大出の品のいいインテリの博識の「細木数子」の役割を、70年代の草柳大蔵氏は活字世界で果たしておられました。ただし、現在の私には、草柳氏の薫陶の影(光か)は微塵もないですが。

しかし、私が言うところのSelf-Development本というのは、その類の正統なる人生論とか、教養を身につけましょう〜啓蒙本ではありません。ともかく願望をかなえるためには、どうしたらいい?何やったらいい?長年の努力なくしてサッサと成功するには、どうしたらいい?という要求に答えようとする本の一群のことなのであります。

そういえば、『努力なしで成功する方法』っていう、大ヒット・ブロードウエイ・ミュージカルがありましたな。How To Succeed In Business Without Really Trying ね。映画版もあったな。

この種の本は、80年代くらいまでは、翻訳本以外はあまり出版されていなかったです。少なくとも、日本人が執筆者の本は、あまりなかったと思う。ところが、今や!!

アマゾンとかの書籍ネットがない80年代や90年代初頭に、私はアメリカに行くと、書店や古書店で時間をすごすのが常だったので、一角に「ゲイ・レズビアン本」が占めているのを見て「ほおお〜」と感心し、「フェミニズム本」が非常に大きな一角を占めていることには大いに満足した。アメリカは何につけても実際的で、フェミニズム系の本でも「女は金銭の計算と管理がほんとうは苦手だ。中流階級の娘は生育過程で経済的責任は男の仕事だと無意識に刷り込まれる。だから男に会計まかせて金を持って逃げられたり、借金作られる女は多い。女が解放されるには、まず財務を学べ!」みたいな本が売っていて、私は愛読したものだ。確かに私も、ずっとかなり長い間、自分の給料を「自分が好きに使えるお小遣い」であって、「生活費」だとは感じていなかったもんなあ。馬鹿だよねえ。私の世代の普通の女の子って実にのん気に育てられていたからねえ、そんなもんよ。あの本はどこに行ったのか。愛読しただけで、「成果」はなかったなあ・・・

そして、フェミニズム系の本のとなりの一角を占めているのが、「更年期対策本」だった。今は亡き母親の更年期障害がひどかったんで、また前の勤務先の名古屋の女子大で女性の同僚たちの更年期障害の迷惑を蒙っていたので、まだ30代そこそこだったのに、私は更年期問題には大いに関心があった。だから結構その方面の本は買って読んだ。日本では、その種の本は、あまり出版されていなかったしね。当時の日本女性は、アメリカの女性ほど老いることに恐怖感はなかったのだろう。いつまでも若くてキレイでいなきゃ!なんていう強迫観念も希薄だったのだろう。だけど、日本も、あの数ばかり多くてうるさいベビー・ブーマーが更年期になる頃には、書店の一角が更年期本で埋まるだろうと私は予想した。当然、そのとおりになった。

しかし、なんと、なにゆえか、今の日本女性は、30代から更年期障害に悩む人が多いそうです。なんで?まず内臓体温を高めましょう。「にんじんジュース」と「生姜湯」と「ゆる体操」でありますよ。パパイアの発酵物「カリカセラピ」もいいよ。

そのアメリカの膨大なる「更年期対策本」の中でも、私が読んですごく面白かったのがGermaine Greer(1939-)のThe Change:Women, Aging and the Menopause(Alfred A. Knopf, 1992)だった。ジャーメイン・グリアさんは、オーストラリア生まれで、女優さん並みにゴージャス系美人なのだけど、英語圏では有名なフェミニストです。でも日本ではほとんど知られていない。この前亡くなったThe Feminine Mystiqueのベティ・フリーダンなんかより、よっぽど面白いんだけどね。フェミニズム本も文化左翼系&学術系じゃないと日本ではなかなか翻訳されない。

ジャーメイン・グリアさんは、street-smart feministといいますか、率直でアイン・ランドみたいな性格です。「小説のヒロインで更年期障害で悩んでいるのはいない。更年期のヒロインがいないから、私らのモデルがいなくて困るよね」とか「女は年とると解放されるぞ。男が気にかけてこないから、せいせいするぞ。男のお守りなんかしなくてすむぞ。自由になれるぞ」というようなこと書いていて、楽しいです。

グリアさんの言ったことは本当でした。痴漢の心配をしなくてすむ、露出狂が立って見せていても平静に無視できる、独り旅ができる、男ばかりの中にいても我慢すればいいのは加齢臭と邪気だけというのは、ほんとうにいいもんだよ。

このジャーメイン・グリアさんの出世作は、The Female Eunuch(1970)という評論でした。これは今でも英語圏ではロングセラーです。日本では1976年に日向あき子さん&戸田奈津子さん訳『去勢された女』上下巻(ダイヤモンド社)って題で翻訳が出たが、日本では全く評判にならなかった。タイトルは直訳でズバリ『女の宦官』の方がよかったんじゃないかなあ。あの時代の文脈としては、メチャクチャに面白かったのになあ。日本においては、読書を習慣とする知的で主体的なstreet-smart系読者の層が薄いんだろうか。大新聞の書評欄でチシキジンとか大学のセンセイが褒めるような本しか買わんし読まんというという、幼稚な学生根性の奴が多いのだろうか。

当時、私はこのThe Change:Women, Aging and the Menopauseの翻訳を出したいと強烈に思って、出版社にあたったけれども、すでに版権が取られていたのは残念だった。なのに、ちっともこの本の翻訳は出版されなかった。それから10年以上が過ぎた。まあ、今の私は、もう更年期なんかどうでもいいわい、忙しくてそんなもん気にしていられるかという状態になってしまっているので、その翻訳が去年に出版されていたことに、やっとやっと最近気がついた。おお懐かしのThe Change:Women, Aging and the Menopauseよ!寺澤恵美子さん&山本博子さん訳で『更年期の真実』(パンドラ刊、現代書館販売、2005)というのが、それであります。ご興味のある方はどうぞ。面白いです。

ジャーメイン・グリア様は、アメリカで評論活動後は、イギリスの大学で文学を長く教えて、今は大学は退職しています。某少年に家宅侵入されたことがきっかけだったのか、なんでだか、2003年には「美少年」関係の本(The Beautiful Boy)を出しました。自分で食ってゆける女というのは、「男は清々しくキレイならばいいです。黙ってなさいよ。しょうもない理屈なんか言わんでよろし。そんなもん不細工な男にまかせときんさい」というのが本音ですから、やはりジャーメイン・グリア様も、この話題に行きついたか。ははは・・・あれ、何の話か?

昨今の日本の書店におけるSelf-Development本のコーナーの充実ぶりの話でした。この種の「ともかく願望をかなえるためには、どうしたらいい?何やったらいい?長年の努力なくしてサッサと成功する方法教えます本」は、80年代くらいまでは、翻訳本以外はあったけれども、日本人執筆者の本は、あまりなかったが、今ではその充実ぶりは凄いという話でした。

たとえば、私が80年代最初にアメリカで買って読んでどこかに行ってしまって、今ではタイトルすらわからないSelf-Development本の中身は、以下のような内容のものでした。「幸福な人生を送りたい?幸福な人生というのは、あんたの願望や夢がかなう人生だよね。じゃあ、まず新品のノートを用意しようね。40歳までにかなえたいこと全部そこに書きなさい。あ、具体的に書きなさいよ。ポルシェが欲しいでは駄目なの。車体の色は真っ赤で、シートの色はピンクで、助手席に乗せる女の子はどんな子がいいか具体的に想像して書きなさい。それから、そのポルシェでどこに行くか決めなさい。ホテルはリッツ?ヒルトンなんてせこい、せこい。レストランは5つ星だよね?で、40歳になったら、それを読み返しましょう。あなたは、それらが実現されているのにびっくりするでしょう!」とか何とか。

アメリカのこの種の本の、即物的な安直にむきだしの具体性に、その臆面のない俗物性に、私は感動しました。で、安易というか馬鹿というか素直というか活字に騙されやすいというか、さっそく私は実行しました。前にもランド節で書いたように、私は3B(馬鹿でブスで貧乏)ですから、素直にそこから脱出したかったんで、そのためには犯罪以外は何でも試みてきたんですよ、若い頃から。

で、実現したか?実は、よくわからないのであります。40歳までにかなえたい願望を書き連ねたノートを紛失してしまいましたし、何を書いたかもよく覚えていないので、実現したのか実現しなかったのか、厳密には判定できないです。しかし、「書いたぞお!」と記憶にちゃんと残っていた願望は実現したんであります。40歳までではなく、時間のズレは多少ありましたが、ともあれ、実現したんですね。

何でもやってみるもんですねえ・・・

私の鳥頭(3歩進むと忘れる脳の具合。西原理恵子用語)でさえ忘れなかった願望とは、切実な願望だったのであり、だから努力もしたんだろうから、実現したのだと言うのは簡単です。確かに、実現したのは、ノートに書いたせいではないかもしれません。しかし、書くことによって、その願望が意識に深く深く深く刻み込まれて、無意識に信じ込んだというのは、やはり効くんではないでしょうか。

40歳過ぎたときは、「あなたの死亡記事を書いてみましょう」という某Self-Development本の助言に従い、自分の死亡記事を書いてみました。アメリカ人は、日本みたいな大都市に本社のある全国区型大新聞は読まず、だいたいがローカル新聞を読みます。だから、コミュニティ欄の死亡記事とか結婚記事も有名人じゃなくても結構詳しいです。学歴職歴賞罰趣味はもちろん、家族構成から両親の学位、祖父母の経歴まで、書いているのがあるくらいです。だから、「死亡記事」を書くというのは、アメリカ人にとってはリアリティがあるんですよ。

しかし、またも私は、それを書き留めたノートを紛失しました。私が大事にしまうと「隠す」ことと同じになってしまいます。鳥頭で、かつモズ頭です(モズはとった餌を木に刺しておいて、それを忘れてしまうそうだ)。今では、何を書いたか覚えていません。また、あらためて書かないとなあ。享年何歳にしようかなあ。死因は何がいいかなあ。やっぱり心臓麻痺がいいなあ。「急性心不全」と新聞では書くのかな?

こういうわけで、私は、この種の「ともかく願望をかなえるためには、どうしたらいい?何やったらいい?長年の努力なくしてサッサと成功する方法教えます本」といいますか、アメリカ的Self-Development本を馬鹿にしていないです。大好きです。

先日もたこ焼きの箱の入った袋を大事にかかえて、ブラリと立ち寄った書店で、私が発見したのが、望月俊孝さん著『図解本当にあった!世界一簡単に夢を実現する宝地図---「幸せのチャンス」が1000倍!』(三笠書房、2005、1000円&税)でありました。タイトルからして、安直で恥ずかしくも欲望むきだししょう?この素直さがいいのですよ。

この本は、日本人の独創による究極の「ともかく願望をかなえるためには、どうしたらいい?何やったらいい?長年の努力なくしてサッサと成功する方法教えます本」であります。「アメリカ的Self-Development本」の乱読雑読をしてきた私は、自信を持ってそう判定いたします。この「世界一簡単に夢を実現する宝地図」は、日本人によるアメリカの欲望達成法の技術(?)の日本的改良版であり、かつそれを凌駕しています。いわば、「Self-Development本のウォークマン」ですね。

「宝地図」というのは、簡単に言えば、自分の願望を書くだけでは忘れちゃうし、記憶や潜在心理に刻み込む能力が低い人の場合は効果がないから、写真とか絵とかビジュアルなものをベタベタとコルク・ボードに貼りましょう、それがあなた自身のあなただけの「宝地図」になります、ということです。願望に関係した写真を貼り付けたコルク・ボードを部屋に飾り、毎日見ていれば、そのイメージが深く深く深く潜在心理に刻み込まれ、あなたの行動が夢の実現に向けて変わります、ということです。コルク・ボードは、A1サイズ、つまり90cmX60cmぐらいの大きさがないとインパクトに欠けるそうです。

移動が多くて、家にじっとしていない人は、「携帯用宝地図」といいますか、手帳なんかに写真貼り付けてもいいそうですよ。宝地図を携帯のカメラにおさめて待ち受け画面にしてもOKらしいです。その作り方のウエッブサイトもあったよ。あんな小さい画面で見えるのか?ちなみに、私の携帯電話の待ち受け画面は我が愛する聖獣ゴジラです(ゴジラのテーマの作曲者の伊福部昭様は義父と同じ日に亡くなりました。合掌)。

はい、そうです。私はさっそく「宝地図手帳」を作成いたしました。めくって眺めては、ニタニタとヘラヘラと笑っております。愉快です。寝るときは枕元に置いています。幸福に眠りに入ります。やる気のないときは、「宝地図手帳」をめくってやる気を奮い立たせます。こういう効用があるだけでも、このアイデアは優れているのではないでしょうか。何を貼ったか?個人情報保護の観点から、それは申し上げられません。

邪魔なほどでっかいコルク・ボードも名古屋用&大阪用&予備としてカーマ・ホームセンターで3枚購入してきました。私が作成したいのは、著者の望月俊孝さんのアイデアである「賢人会議」です。これは、自分が憧れる人の写真をずらりと円の形に並べて貼り付け、自分の笑っている写真を真ん中に貼り付けるというものです。楽しいですね〜〜前述のジャーメイン・グリアにアイン・ランドにハンナ・アーレントにメアリー・マッカシーにカミル・パーリアに、あ、大前研一さんもいいな、天照大神もいいな、織田信長もいいかもしれん、と写真集めを、これからします。アイン・ランドのは特別に大きくしたいから、The Ayn Rand InstituteがやっているAyn Rand Bookstoreにランドの肖像画のプリントを2枚注文しました。

この『図解本当にあった!世界一簡単に夢を実現する宝地図---「幸せのチャンス」が1000倍!』は売れているようです。とうとう、日本人もここまで来たのでありますね。アメリカ人並みに、「ともかく願望をかなえるためには、どうしたらいい?何やったらいい?長年の努力なくしてサッサと成功する方法教えて!!」という姿勢が強力にむきだしになってきました。恥も外聞もなくストレートに願望実現を求めるようになりました。

いいことであります。ぼお〜〜とゾンビーみたいに漂っているのは死んでからでいいんであって、俗物のくせに気取ってすかしているのは似非インテリさんだけでいいのであって、まっとうな人間ならば、生きているうちは、どんなに馬鹿にされても嘲笑されても、欲望の実現を素直に欲望して、生き生きと突っ走るべきではないでしょうか?むふふ。

あんまり、短くならなかったですね。すみません。