アキラのランド節 |
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ニッポン・ロリータの掟 [09/29/2006]みなさま、やっと、あのしょうもなく暑く不快な夏が過ぎまして、おめでとうございます。ああ〜〜今年の夏は長く辛く苦しかったです。思秋期だから、いろいろと。 実は、中国に行かなかったのですよ。当日キャンセルしたのですよ。オプショナル・ツアーの代金も含めて25万円ほどが東シナ海の空の彼方に消えました。中国行くまでに書いてしまうはずだった論文が全然形にならなくて、もう頭がそれだけになってしまいまして、正気になったときには、関西国際空港に存在していなければならない肉体が、まだ名古屋の自宅にあったのであります。 今回、生まれて初めて、私は文学研究ではない分野の論文書いたのですが、他人が書いたテキストをたたき台にできる文学研究の論文書きというのは、私のようないい加減な人間の場合は、要するに他人が書いたテキストを読んで、ひっかかった点を考えて、その自分の考えを補強するようなこと書いてある論文なんかを探しあてて、辻褄あわせておけば、できあがりという作業であります。この作業も何年もやってきたので、だいたい、ここらあたりでナントカなるなと目算がつきます。で、実際に、いつもは目算どおりにできてしまうのですが、今回は狂いました。 何事も、初体験というのは、思うようにはいかないものです。生まれて初めて論文なるものを書く法学部の政治学科の修士課程に入りたての大学院生みたいな気分でありました・・・ 今回の中国旅行は、A画伯(2005年2月アイン・ランド墓参ゼミ旅行参加メンバー&2006年8月ロシア旅行メンバー)の作品の油絵が何点も、天津博物館で開催される国際絵画展に推薦を受けて展示されるということで、ではドサクサ紛れにA画伯の「秘書」をさせていただこうと、私は、プロの画家さんたちの団体旅行に参加申し込みをしたのでありました。 しかし、キャンセルせざるをえなくなって、A画伯にご迷惑をおかけしてしまい、ほんとに申し訳ないことでありました。「秘書」といっても、荷物は持てない&根性はない&面白くない名古屋人が面白い大阪人に張り合って下手な突っ込みだけはいれる&つまり何の役にもたたない・・・の四重苦のバカ秘書しか私にはできないので、行っても行かなくても大差はなかったでありましょうが。日本やスイスやアメリカやフランスやスペインの画家の方々が集まり、大使だの大臣だのがパーティに参集する華やかな催しだったそうでありますから、私には大いに場違いであったでしょうが。 ともあれ、前世の国に私は行きそびれました・・・・楽しみにしていたのでありますが・・・本場の北京ダック・・・ しかし、今では行かなくて良かったと思います。否定的言葉は決して発することのないA画伯が、物に動じないA画伯が、モンゴルの大草原の風がお尻を心地よく撫でるままにまかせて、トイレの設置されていない場所で、おおらかに晴れ晴れと用を足した体験を、かつて明るく語ったA画伯が、「やはり・・・トイレのエチケットは・・・中国は・・・まだまだですねえ・・・・」と、言葉少なめに、おっしゃったのでありますから。 私が、今世、これほどにトイレの清潔さにこだわるのは、前世に生きていた中国で、もう骨身に沁みるほどトイレの汚さに悩み、便秘&その結果の痔に苦しみ抜いたからではないでしょうか。お願いです、中国さん、トイレは綺麗にしてください。トイレ毎日掃除すると、仕事とお金には困らないと小林正観先生も、雑誌『ゆほびか』で語っておられます。貴国の発展と繁栄、ひいては世界平和のためにも是非。トイレを綺麗にしてくれないと、私は、あなたの胸に届かない。永遠に。 ちなみに、私が好きな小説のひとつに、浅田次郎さんの傑作『蒼穹の昴』(そうきゅうのすばる)(上下巻・講談社)というのがあります。中国清朝末期の動乱時代を背景に極貧の環境から抜け出すべく宦官となり、天性の聡明さと高潔さによって西太后に仕えるまでになり宮廷政治を左右していく立場になる男性が主人公のひとりです。この小説には泣かされました。なんで、この小説を映画化しないの?登場する男も女も、みんなカッコいいのに。 あの悪名高き強烈悪女&苛烈女帝(みたいなもんだ)の西太后が、新生中国の誕生のためには旧弊な中国は滅びなければならないと考えて、清王朝滅亡を図り遂行するという荒唐無稽な設定なんか、ほんとに面白いですよ。まあ、日本人の想像力の範囲内の中国人像でしかないでしょうが、いいじゃないの、それでも。志高い青年群像を描いた清々しい小説なんて、めったにない。運命は自分で造るんだというテーマの日本製の小説なんて、めったに出会えない。 某霊能者の方は、前世の私は中国の皇帝のそばにいた官僚だったとおっしゃいましたが、官僚ではなくて、「宦官」だったのではないかと勝手に私は推測していますね〜だって、私が科挙の試験を通るはずがない。それに昔から私は、やたら「宦官」なるものに関心があったし。なんでそういうことができるんじゃ?といぶかしんできたのだし。だけど、『蒼穹の昴』を読んで、科挙の試験勉強ができるような環境に生まれ育つどころか、もう何にもない最下層の男にとっての立身栄達の道への唯一の糸口が、「宦官」になることだったと知って、納得しました。あの自らの手で自らに施術した春児(ちゅんる)という清冽気丈な天涯孤独な少年は、私にとっては、もうひとりのハワード・ロークであります。 でもこの話を男性にすると、すっごく痛そうな顔する・・・男子学生なんか顔を歪める・・・ははは。春児(ちゅんる)を見よ!そんなもの無くたって、男は男だ!ヨーロッパの大航海時代に先駆けて世界の大海原を渡った鄭和も、宦官だったぞ!何の話か? ところで、今日は、あの嶽本野ばら氏の傑作『下妻物語』をランド節で絶賛したら、こういうことがあったという話を書きます。 あれは、秋学期が始まってまもない晴れた午後のことでした。というか、おとといのことですが。私が大嫌いな退屈で長い教授会が開かれる予定の水曜日の午後、私の研究室のドアをノックする音が聞こえてきました。「は〜〜い、どうぞ」と答えて、ドアの方を振り返った私の目に、会ったことのない女子学生の姿が飛び込んできました。赤と紺のボーダーのポロシャツに、赤と紺のグレン・チェックのスカートに、紺のハイソックスに赤の革靴を身につけて、明るめに茶色に染めた髪にはストロベリーの髪留めをつけ、化粧はしていないが肌は綺麗な、全体の統一感はあるが、決めすぎてはいない、品のいいおしゃれをした目の大きな綺麗な女の子でした。その女の子は、礼儀正しく一礼をして、しっかりと私の目を見て、こう話しかけてきました。 「フジモリ先生、私は、先生のゼミ生のYの友人でSと申します。文学部の国際文化学科の3年生です。Yが、先生は嶽本野ばらサンのファンみたいだから、是非、会ってくるといいよと前から言ってくれていたんですが、なかなか・・・先生、私も嶽本野ばらサンのファンなんです。野ばらサンのサイン会は必ず行くんです。この前、野ばらサンのことを検索していたら、どっかで見たような名前の人のホームページが出てきて、先生が『下妻物語』について書いておられるのを知りました。是非、先生とお話させていただきたいと思いまして、突然ですが、今日、来てしまいました!」 昔、名古屋の女子大で教えていた頃、授業中に『モーリス』というE・M・フォスターが書いたゲイの恋愛を描いた小説の映画化作品の素晴らしさについて熱く語ったら、研究室に「先生もゲイですか!?私も、レズビアンなんです!」とカミング・アウトしながら入ってきた学生がいて、びっくりさせられたことがあったが、今度も驚いた。その、いかにも少女っぽい甘い格好には似合わない、今時の女子学生には珍しいしっかりした日本語や堂々とした確信的態度に気圧されたからでした。「な・・・な・・・なんだ・・?」と、私は、一瞬うろたえたのでありました。 以下は、私が彼女から拝聴したお話であります。そのまま記述します。 「あの『下妻物語』というのは、野ばらサンの作品としては異色の部類に入ります。でも、一つの作品に一つ実際のブランドやショップをあてはめて書くというスタイルは同じです。私たちは、あの『下妻物語』が映画化されると聞いて楽しみにしていたのですが、観てびっくりしました。だって、あそこで深キョンが着ているBabyのお洋服は、みな売れ残りのものばかりだったからです。ショップの方に確かめましたら、売れ残りのお直しばかりだったそうです。はい、恭子ちゃん、お直ししないと、Babyのお洋服着れなかったんです。はい、ロリータ着るには、恭子ちゃんは骨格が立派すぎます。」 「あの映画のおかげで、ロリータ関係のショップは、すごく迷惑しました。ほんとは、ロリータを着てはいけないような人たちが、ドッとやって来るようになったからです。だいたい、ロリータ着て、自分のこと可愛いでしょう〜〜なんて言う人たちは、ロリータ着る資格がありません。ロリータ・ファッションなんて、日本じゃ絶対に浮きます。日本の風景には絶対に似合いません。日本人には絶対に似合いません。当たり前ですよ。似合うはずがないんです。それなのに、私はロリータ似合って可愛いわ、なんて本気で思えるのは、頭が悪いんです。頭の悪い人は、ロリータ着ちゃいけません。」 「はい。そうです。ロリータは、みんな性格は全然ロリータじゃありません。みんな、すっごいオヤジです。男っぽいとかじゃなくて、もろオヤジです。ケーキより、ビールに焼肉のほうが好きなオヤジばっかりです。だからこそ、ロリータ着るんです。自分が、もろオヤジだから、バランス取るために、もろ女の子の格好したいんです。男っぽい格好の女の子は、自分の中の女っぽさが嫌だから、ああいう格好するんです。でも、私たちは、心がオジサンで女っぽいところがないから、それが嫌で外見だけでも女の子でいたいんです。え?ゲイのドラッグ・クィーンみたいですか?あ、そうですね、ドラッグ・クィーンって素敵!はい、そうです。私たち、女装趣味なんです。」 「はい。気の弱いロリータっていません。だって、ああいう格好していると、ものすごく世間から敵意を向けられるんです。存在自体が許されないって顔されます。すれ違いざまに、『よくやるよなあ〜〜』とか言われたり、馬鹿にされたり、冷笑されたり、酔っ払いのオッサンにからまれたりします。そんな時、ドスの効いた声で、『死ねば!』と言ってやったり、バッグで殴ったりできるようでなければ、ロリータは務まりません。パニエ(藤森注:ペチコートの何重にもなったフワフワしたやつ)仕込んでスカートふくらませていると、そのスカートに触ったり、お尻触ったりするオッサンがいるんですが、先輩の中には、そういうオッサンの顔を張り飛ばした人もいます。はい、みんな、ギョッとして固まります。反撃なんかしてこないですよ〜〜。だって、女の子に嫌がらせするぐらいしかできない人たちですから。」 「はい、私たちは、わりと声は低いのが多いんですが、努めて声のトーンを上げて話します。ロリータですから、女の子ですから。ロリータには、いろいろ掟がありまして、まず、ロリータらしくない下品な振る舞いとか、言葉使いはしちゃいけないんです。礼儀を知らないと、私たちの間では、相手にされません。礼儀正しく言葉使いもきちんとしないと、先輩に仲間にいれていただけません。ちゃんとルールがあるんです。ルール守ってこそ、いろいろ教えていただけるんです。ショップなんかで、店員さんに断りもせずに、お洋服にベタベタ触ったり、勝手に試着するのもいけません。ちゃんと、店員さんにご挨拶できないようじゃ、いけません。」 「え?なんでロリータ・ファッションを着ていないのかってことですか?違うんですよ〜〜私は、中学からロリータ大好きで、大学に入ったら、あれ着よう、これ着ようって、すっごく楽しみにしていたんです。だけど、この大学の人たちって、すっごくあたりまえの格好しか駄目なんです。一度着て来たら、回りが引いているのがビンビン伝わってきました。顔がひきつってましたもん。目立たないだろうと思って、レースいっぱいのブラウスをジャケットの下に着ていたときがあったんですが、教室が暑かったからジャケット脱いだんですね。そしたら、教室中にどよめきが波のように広がっちゃって・・・私、前の方の席にいたものですから・・・もう・・・友だちが、急いで『ジャケット着とき』って言うもんだから、急いでジャケットを着なおしたんです。ここの大学の人たちは、全然、個性的じゃないです!ものすっごく型にはまっています!」 「数年前に、ピンクハウスのお洋服着ていた先輩がいらしたそうですが、すっごく浮いていたそうですよ。え?目撃したことないですか?でも、ピンクハウスのお洋服は、お高いから・・・Babyのお洋服ならば、上から下まで全部揃えても、10万円以内でおさまりますから。はい、今度着てきますね!お見せしますね!」 「え?ロリータ系のお店は、Babyばかりではありませんよ。いろいろありますよ。大阪にも10店はありますよ。はい、確かに、サイズは限られていますが・・・でも、先生だって着れるサイズのお店もありますよ。試しに、是非、メタモルフォーゼっていうお店を検索してください。そこの店長さん、相当なもんですが、ちゃんとそこのお店のお洋服をお直しなしで、着ていますよ。だから、先生も大丈夫です!あの、シャーリングってわかりますか?シャーリングのものならば、伸びますから、大丈夫です!でも、シャーリングの糸をはずして着るのは、駄目なんです。お洋服をそこまで崩して着るのは、デザイナーの方に失礼ですから。ロリータならば、ちゃんと体の線を保っておくってことも、ルールのひとつなんです。」 「え?いえ、お店は、難波(なんば)ではなくて、アメリカ村(藤森注:大阪の御堂筋近辺にある若い子向けのお店が集まる一大エリアのこと)にかたまっています。あ、先生、ひとりでは行かないほうがいいと思います。イチゲンさんは基本的に相手にしませんから、ショップの方々は。なんでしたらば、ご一緒しましょうか?そうしたら、ショップの方々からも、いろいろお話を伺えると思います。ネットだけでは駄目です。ちゃんと自分の目で確かめないといけないんです。是非、アメリカ村に行きませんか!」 というわけで、私は、来る10月10日が桃山では休日になるので(月曜日のクラス開講数確保のために、体育の日の10月9日にちゃんと授業をやるかわりに、翌日が休日になる)、この日に、この「桃山ロリータ」さんと、彼女の友人で私のゼミ生でもあるY嬢といっしょに、大阪は「アメリカ村」に出かけることになりました。待ち合わせ場所は、難波の高島屋のルイ・ヴィトンの前ということになりました・・・私は、ロリータ・ファッションの取材をする必要はないのであるが・・・しかし、好奇心がうずく。 面食らったのは、その「桃山ロリータ」さんが、「先生、その日に何を着ていきますか?お色は?」と確かめてきたことだ。複数でいく場合は、ちゃんとお洋服のトーンを統一させていくのが、ロリータのルールなんだそうだ。うわっ・・・大変だなあ。私は、口ごもりながら、必死で「えっと・・・黒いパンツに薄紫のコットン・ベルベットのジャケットにしようかな・・・」と答えたら、「じゃあ、そのトーンに私もしてきますね!」と「桃山ロリータ」さんが、明るく答えた。なんだかなああ・・・・ ともかく発見!『下妻物語』の「竜ヶ崎桃子」は、架空の人物ではなくて、ロリータ・ファッション文化とその掟を共有する「女ではあるが、男の心を持っているがゆえに、それを意識しているがゆえに、それでは人生がつまらないわ、オッサンなんかやっていてもエレガントじゃないわ、下品だわ、臭いわ、だから、思いっきり女の子演じるんだわ精神共和国」のメンバーの最大公約数的人物像だったのですね〜〜 私は、大いに感心した。フェミニズムなんて言っている間に、若い女の子はここまで来ているのだということに。ジュディス・バトラーがジェンダーの演技性(performability)について書いた本を日本フェミニストが読んでいる間に、すでにして、生身の若い女の子たちは、とっくの昔に、「女であること」を演劇遊戯としてとらえて実践していたのですねえ!「女らしさ」を、世間から強いられる媚態ではなく、男捕まえるための擬態ではなく、自分のキャパシティを広げたり、自分が人生を楽しんだりするための女装プレイとして対象化していたのですねえ! すごいじゃありませんか・・・こりゃ、従来の伝統的女性でもなく、もちろん男でもなく、自分の中の女性を嫌悪する=照れてしまうある種のフェミニストでもなく、なんか別種の人間存在じゃありませんか。ジェンダー・トラブルならぬ、ジェンダー・プレイ。新人類って、彼女たちみたいな女の子のことかしらん。 今でこそ、私も、「男と理屈で本気でやりあったら、頭のいい男ほど引かないから、泣いとけばいいよ〜〜涙ポロリと流しておきなさいよ〜〜好きな男ぐらいチヤホヤしときなさいよ〜〜え?好きだから意地はっちゃう?違うって〜〜それは好きが足りないって〜〜もっと好きになると、いくらでもチヤホヤできるって〜〜チヤホヤしたって、別に何も減らないんだしい〜〜私なんか、好きな男には、ほんっと甘いからねえ〜〜」とか、「あなた〜〜下着ぐらい派手なのにしときなさいよ〜〜無印良品の下着なんて20歳過ぎた女が着るもんじゃないよ〜〜白い下着なんて、あなたグンゼじゃあるまいし〜〜まさか濃紺のスクール水着まだ着てないだろうねえ〜〜わたしい?私はネットでピンクや赤いの探して通販で買ってるよ〜〜探せば、結構売っているのよ〜〜まだ、還暦じゃないよお!!でも、ヴィクトリア・シークレットなんかのは、いくら何でも風邪引きそうだし、サイズないから無理だけどね〜〜」と、女子学生とくっちゃべっている。アホや。 しかし、若い頃の私は、無駄に硬派でしたからねえ。ナヨナヨした格好なんか絶対にできない内気な照れ症の女の子でしたからねえ。アクセサリーつけるのも軟弱な気がして、地味な色ばっかり選んで着たりして。若き日に素直に自分が女の子であることを面白がることができなかった理由は、私がその頃に精神的にモロ女の子であったからなんでしょうねえ。だからこそ、女の子であることを遊戯として楽しむ余裕がなかったんでしょうねえ。今は、かなりオヤジだからな、そのへんのハンパなオヤジより男っぽいからな、素直に、女装できるようになりつつあるのかもしれない。だから、ロリータに関心あるのかもしれない。 やっぱり21世紀なんだわ〜〜女の子も変わったよね〜〜♪日本の女が、実質みんな「女装趣味のオカマ」になったときこそが、日本のフェミニズムの完成かしらん。 ということは、日本の男が、自らの中の「小うるさいくせに見てくれ構わない厚かましいオバサン性」をもっとはっきり自覚したら、日本の男は、男を遊戯的に自覚的に演じることになり、もっとほんとうにダンディになるのではないでしょうか?みんな、小林旭さんになるのではないでしょうか?小汚い臭いオヤジのまんまでいるってことは、それで平気でいるってことは、気がついていないんだよね、自分が「心あるオバハンからは軽蔑されるお尻の重い小汚い口だけ達者のオバハンやっている」ってことに。せっかく、男に生まれたんだから、カッコ良くしてればいいのに。 最近の私は、200人近く受講生のいる講義で、「男の子は男らしくね〜〜カッコいい男の子でいなさいよ〜〜でないと単位あげないからね〜〜」って話しています。ためになる授業ですね。あ、セクハラって言われるかな。 はい、今日のランド節は、ただこれだけのお話でございます。これから、イギリスはヨークでの短期語学研修をすませてきた学生さんからお土産でいただいたフォートナム&メイソンのお紅茶をいただきますの。赤いさくらんぼの絵が描かれたティー・カップで。ほほほ。 |