アキラのランド節

一応ちゃんと生きてます [03/24/2007]


ごぶさたしております。みなさま、お元気でお過ごしのことと存じます。ひとまず、近況報告だけ、させていただきます。

いや〜〜2月に入って、学期末試験だの入試だの成績報告だの、やいのやいのと過ごしているうちに、ひょんなことから右目がほとんど見えていない状態であることに気がつきました。それをきっかけに、ひどい体調の不良に見舞われ、ここ一ヶ月ほど、出勤も最低限にして、休養をとっておりました。「ああ〜〜今回は駄目かもなあ・・・病院に行かないといけないかなあ・・・でも病院に行っても、さんざん検査をされるだけで、何もわからなくて、薬をうんと出されて、副作用で本格的病気にされるだけだしなあ・・・」と思いつつ、じっと、おとなしく耐えておりました。重度の花粉症だか、更年期障害だかアトピーだか心臓痛だか霊障だか、もうわけがわからん状態でした。

事の発端は、A画伯(2005年2月アイン・ランド生誕100年記念墓参ゼミ旅行メンバー&2006年8月ロシア旅行メンバー)と2月の半ばあたりにランチをごいっしょしていたときのことでした。A画伯のお友だちが白内障のレザー光線(?)手術を受けて、いっきょに世界が明るく輝いて見えるようになったけれども、あまりにまぶしくて、サングラスをかけているという話題が出ました。和泉市には、実に評判のいい眼科医のクリニックがあって、そこでの手術は2ヶ月先まで予約でいっぱい・・・とかいうお話もうかがいました。

そのときの私は、「へえ・・・白内障と禄内障は違うんだよなあ・・・」とか思って聴いていただけでありました。それから数日後、台湾からの留学生の大学院生の樋口一葉に関する面白い修士論文の口頭試問の副査(人手不足なんで、アメリカ文学専攻の私も日本文学や映像作品に関する論文の審査をします)を終えて、その日の昼下がりに、「留学生の論文、立派な日本語だなあ〜〜私の書く英文とは段違いだなあ〜〜」と感心しながら研究室のソファで寝転がっていたときに、ふと試しに、戯れに左目を左手で覆って、右目だけで室内を見てみました。

そしたら、あなた、すりガラスを見ているみたいなんですよ!研究室の本棚がほとんど見えないんですよ!「ぎゃあ〜〜!」と飛び起きて、パソコンを起動して、Googleで検索したら、どう考えても、私の症状は「白内障」そのもの。

「うっそ〜〜」と、今度はA画伯からうかがった眼科医院のウエッブサイトの検索をしまして、診療時間をチェックしましたら、閉院時間まであと10分。タクシー呼んで飛ばしても間にあいません。翌日は休院日。翌々日の朝一番に出かけて2時間以上待って検査だの何だの受けまして、はい、まごうことなき「白内障」と診断されました。

そういえば、私は去年の夏から3回こけているのでした。それも変なこけ方でした。転倒するとかそういう具合ではなくて、右側にクタッと倒れたのですね。一度は出勤途中、2度目は、入試ででかけた京都は四条河原町の真ん中で、3度目は自室でクタッと右側こけました。いくら、私が散漫で、頭の中に妄想が渦巻いていて心ここにあらずの人間でも、1年に3回もこけませんよ。変だな?とは思っておりました。

それから、眼鏡を洗ってレンズを綺麗にしても、右のレンズに汚れがついている感じがしておりました。曇っていたのは眼鏡ではなく、右目の水晶体のレンズだったのですね〜〜

それから、階段を昇降するときに、なにゆえかイラッとした感覚がありました。右目が見えていないので、足元がはっきり見えなくて苛々していたんですね〜〜うわ〜〜階段でこけていなくてよかった。階段を踏みはずせば、捻挫どころか骨折しかねませんでした。

ずっと左目だけで仕事していたのですから、どうりで疲れがひどいはずでした。肩こりなんか経験なかったのに、やたらこのごろ肩が痛いなあ〜〜女性で左肩が痛いというのは水子霊がついているからだとか聞いたことがあるが、私は妊娠すらしたことないぞ〜〜身に覚えがないぞ〜〜とか、しょうもないこと思っておりました。

しかし、原因ははっきりしました。白内障・・・

で、プツンと糸が切れました。今までの疲れが一挙に台風の泥水のごとく出ました。私の免疫力の堤防が決壊しました。私は「廃人」のような日々を送るはめになりました。いくら眠っても眠い。いくら眠っても疲労感がある。内蔵の隙間からこれでもかこれでもかと疲労感より深い「疲弊感」が出てくる。食欲もない。ややこしい本は読めない。テレビなんかうるさいだけ。なんにもやる気がない。ゴミでした。ボロボロの雑巾でした。せきとくしゃみと眼のかゆみとアレルギー症状で腫れ上がった顔がかゆくてかきむしったおかげで、顔面ボコボコ状態になりました。午前中は、まだいいのですが、午後から症状がひどくなります。夜の9時ごろにはフラフラでした。3週間は、この状態が続きました。春なんか知るか。サクラの開花なんか知るか。

それでも、3月16日の金曜日は、大阪に出かけて、1年生の女子学生と前から約束していた難波は「baseよしもと」の漫才を見学しました。若手のお笑い芸人さんたちの活動&実地訓練劇場です。観客200名ちょっと入る会場は、ほとんど中学や高校の女子学生や、大学生でも1年か2年くらいの女子学生です。そこに、彼女たちのお母さんかボーイフレンドが少々混じっています。女の子たちは、みなお洒落で可愛い。一目瞭然なのは、その女の子集団の「いかにも処女率が高そうな健全清潔なまっとうさ」です。

これは、どーいう意味かといいますと、その「baseよしもと」に出場する若手お笑い芸人さんたちは、彼女たちの擬似恋人の機能を果たしているということであります。つまり、「baseよしもと」に出場する若手お笑い芸人さんたちは、その種の清潔なきちんとした女の子たちの空想の中で擬似恋人が務まる感じの男の子たちということであります。キャンパスの中でも人気者になれるような魅力的な面白い「わかりやすい」男の子たちということであります。

はっきり言えば、20年後の芸能界に生き残っているような「凄み」とか「常軌を逸したエネルギー」とか「わけがわからんが、なんか眼が離せない変人奇人の才気」は、その男の子たちには、あまり感じられませんでした。そこが、真面目な10代の女の子たちに受ける点なんだろうなあ。

ほら、学生なんかを見物していても、こういうことってありますよ。私から見れば頼もしいような、見込みがありそうな頭もきれるし本もよく読んでいて弁も立つような男っぽいカッコいい男の子は、同世代の女の子から見ると、迫力があって、プライドも高そうで、ちょっと怖いのですね。甘やかしてくれない感じです。だから、ほんとにカッコいい男の子は、意外と「彼女なし」です。しょうもないバラエティ系タレントみたいな軽薄な男の子の方が気楽で話しやすくて御しやすい感じがするわけです。

ほら、女の子でも、もてているのは、オネーチャン系でしょう。オジサン&オバサンあたりから見て、マナーもできている端正な女の子は、「彼氏」いないこと多いですよ。男性のみなさん、端正系美人は狙い目です。処女率も高いです。こういう女の子は、「baseよしもと」に通っています。図書館にいます。臆せずに、紳士的に話かけてみましょう〜〜って何の話か?

しかし、ああいう世界は厳しい!私は、「baseよしもと」のステージで熱演する若手お笑い芸人さんたちを見つめながら、「私のいる業界なんて気楽なもんだな、この若い子たちの必死さを見習わなくっちゃ!!授業もこれくらい面白くしなきゃ駄目なんだ!!」と思いました。体調がまだまだ悪くはあったのですが、しかし、そのとき、私の心の奥からは、フツフツと闘志がわいてきたのでありました。ライバルは「baseよしもと」!お客さん(学生さん)を絶対に退屈させないぞ!

翌日の3月17日の土曜日は卒業式でした。今年の卒業生は1年生の基礎演習のときから教えている学生が多かったのです。ありがたいことに4年間ずっと私の担当科目の追っかけをしてくれた学生さんたちもいました。だから、今年の卒業式は、例年よりも格別な思いがありました。だから、式後の体育館での卒業お祝い立食パーティでは、ドサクサ紛れに、彼らや彼女たちに「抱きついて」、写真撮影しました。随分、いろんな子に抱きついちゃったなあ〜〜♪お気に入りの子たちには、複数回抱きつきました〜〜♪

きゃあきゃあ笑って騒いで写真撮影している私の眼の隅に、心なしか羨ましそうに、こちらを見ている男性の同僚の姿が映りました。あ〜〜そうねえ、男性のセンセイはできないかもね〜〜男子学生にも女子学生にも抱きつける、これは、女性教師だけの特権ですね〜〜♪

卒業式後ですから、学生さんたちは卒業証書をすでに受け取っています。もう在校生ではありません。ですから、もうセクハラで私を訴えることができません。ははは。(女)教師のみなさん、セクハラと批判されずにお目当ての学生さんに抱きつくチャンスは、1回だけです!卒業式後の立食パーティの喧騒の中の写真撮影時です!

欧米の生活習慣で取り入れてありがたかったのは、私にとっては「水洗トイレ」と「テーブル&椅子」と「簡便なる洋服&下着」。そこにプラス、hugの習慣を、日本に定着させたいものであります。そう思いませんか?人生の過程で、素直にhugしあいたい気持ちになれる(家族も含めての)他人との出会いは、そう多くはありません。お互いが生きているうちに、肉体の温もりがあるうちに、明るく楽しく心をこめてhugしあっておきたいと思いませんか?死んでから千の風になって大空を飛び回ってhugしあっても、肉体がないので、顔がないので、乱交みたいなもんで、誰が誰やらわからないでしょうが。

立食パーティのあと、研究室にもどって片付け物をしていたら、ゼミの男子学生がひとりで、やってきました。お茶を飲みながら、少しおしゃべりをしました。彼にとっては、大学時代の3年&4年の2年間は怒涛でした。3年生のときにガールフレンドに赤ちゃんができて、責任とって結婚しました。赤ちゃんが生まれてから、いろいろ奥さんのご実家との軋轢もありまして、離婚しました。離婚後の彼の夢には、毎日、(元)奥さんと赤ちゃんの笑顔が出てきたそうです。やっと笑っているふたりの夢を見なくなった頃に卒業です。21歳から22歳の1年ちょっとの間に、人生のフルコースの半分くらいを経験してしまったので、若くても、彼は疲れているはずです。それだけの感受性のある子です。

正直言うと、私は、彼の離婚を聞いて、ホッとしました。「生活する」ことだけで生きていける人間もいますが、この学生はそういうタイプではありません。読書家で頭がいいです。卒論もいいものを書きました。単に「生活する」だけで、DNAを残していくだけで、充実を感じていられないのです。そういう意味では、気難しいです。だから、結婚したと聞いたときは、心配でした。「生活するだけが人生の目的みたいな女につかまったかな?気が優しいから断れなかったんだなああ・・・」と。

残酷なようですが、彼が「逃げる」ことができて、良かったです。少しでも知的生活を送りたい男性は、女性の選び方を間違えると、人生をつぶされます。同じく、少しでも知的生活を送りたい女性は、男性の選び方を間違えると、人生をつぶされます。まあ、女性の場合は、結婚となると、かなり気をつけますから、少しでも知的生活を送りたい女性は、携帯電話サイトや野球やサッカーに夢中な男など、まず選びませんが。

ともあれ、この子の人生がつぶされないでよかった・・・私は、つくづくそう思いました。

卒業式のたびに、私は思います。「桃山学院大学に来てくれて、ありがとう。だけど、私は何にもできなかった。ごめんね」と。 やはり、同じことを思いながら、研究室を出て廊下を去っていく卒業生の背中を見ながら、私は彼の幸福と健康と幸福な再婚を祈りました。彼の門出を祝福しました。彼の赤ちゃんが生まれたときに私が差し上げたお祝いのお返しに、彼からいただいた「バナナ持っている猿」のストラップは、私の携帯電話にまだついています。

翌日の18日の日曜日は名古屋におりました。夕方から、母校の南山大学の大学院で指導教授をしてくださったアメリカ人神父の先生の退職記念謝恩会が、再開発著しい名古屋駅前の豪華超高層ビルの中にある高級懐石料理店(なだ万)で、開かれました。私は発起人&会計&写真撮影班&先生の送迎係りでしたから、とても忙しかったです。このビルの近くに、ミッドランド・スクエアという「世界のトヨタ」が入っているビルが完成したばかりです。いかにもテロリストの格好の標的になりそうな、ゴジラが崩壊させるのにふさわしいような超高層ビル群が、最近の名古屋駅周辺には立っております。名古屋も変わった!

この謝恩会は、私的には、「さようなら、南山大学。さようなら、学会的文学研究。さようなら、大学院の同窓の方々。私は、別の道を行きます。世の中の役にもたたないことやって食ってこれた幸福に感謝いたしましょう!いい年して、文学研究がどうたらこうたらという幼稚な御託を言うのはやめましょう!大人として恥ずかしいですから。みなさま、ほんとうに今までありがとうございました!お元気でお過ごしください」と、心の中で別れを告げた日でした。今度会うときは、誰かの葬式だな。冠婚葬祭には義理堅い私。

翌日の19日の朝には、また大阪にいました。文学部の1年生に「2年になってからの履修のこころえ」を説明するガイダンスを担当しました。「センセイの定年後、センセイの研究室にいるのは僕ですから〜〜」といつも私に言っている男子学生は、成績が全科目Aでした。うん、私の「後釜」になるよ、あなたは。実現するよ、きっと。

午後に法学部の2年生の学生さんが研究室にやってきました。『水源』を読んでくださった彼のお母さんが、アマゾンにレヴューに書いてくださるとかで、彼が代理でネットに書き込むんで、その前に、その手書き原稿を私に見せに来てくれたのです。「小説なんか読んでもしかたないですよ」と言っていた彼も、お母さんの賞賛(?)に引きずられて、ついに降伏して、『水源』を読んでいる最中だそうです。もう〜〜立派なお母様です!

彼は言いました。「何かすべての小説の役割を一冊で具現してて、何通りかの読み方ができますね。しかしながらやはり『水源』は政治思想小説でありまするな。アイン・ランドという人はかなりradicalistであるように僕は思いますね。最初の100から400ページぐらいを読んだ時のfirst impressionとしては、初期つまり本来の理想型のプロティスタントの精神と、まさにそれが現実に産み落とした近代化以降のプロティスタントの精神、つまりは堕落あるいは俗化した精神という対立軸が浮かびましたが、まぁこれはあくまでも僕の軽率な推論ですがね〜〜」と。

丸山真男とかヘーゲルとか読んでいるような、いまどき異常に奇特な学生なんで、言うことが違いますね〜〜かなり的確!

『水源』と言えば!書くのを忘れておりましたが、おかげさまで、『水源』が、2004年7月出版以来、初めて「増刷」されました。みなさま、ありがとうございました。みなさまのご協力のおかげです。残念ながら、改訳改訂版を出せるまでには、まだまだ時間がかかりそうですが、必ず改訂版を出していただけるよう、私は努めます。

この知らせを出版社の方が、私の携帯電話に知らせてくださったのは、奇しくも2月2日のアイン・ランドの誕生日でした。そのとき、私は(地方)入試会場設営のために、会場としてお借りした京都の某予備校の教室の机の端に受験番号票をはりつけている作業の真っ最中でした。嬉しかったですねえ・・・・静かな感動・・・

話はもどって19日のこと。その日の夕方は、台湾からの留学生の女の子たちふたりと、大学近所の創作日本料理のお店で、「お別れ会」がわりに夕食をいっしょにしました。文学部の大学院で修士課程を終えた女性(前述の樋口一葉論の・・・)と、経営学部で会計学の修士号を取った女性です。樋口一葉さんのほうは、博士号を取るべく、横浜の大学の博士課程に進学します。会計学さんのほうは、台湾に帰り就職します。ふたりとも可憐で可愛いんで、デジタルカメラで何枚も撮ってしまいました!

樋口一葉さんからは、眼にいいといわれる乾燥した「クコの実」がいっぱい入った袋をいただきました。会計学さんからは台湾のお茶をいただきました。で、その台湾のお茶を熱く淹れまして、クコの実に注いで飲み食するのが、ささやかな今のmy boomになっております。お茶でふやけて柔らかくなったクコの実は、ほのかに甘く、おいしいです。本土中国のトイレは汚くても、台湾のトイレなら綺麗なんじゃないかなあ〜〜台湾に行こうかなあ〜〜♪

実は、「おかゆ」もmy boom。今日のブランチは、後輩と後輩の親友のおふたりから贈ってていただいた「静岡の釜揚げシラスと桜海老」を乗せた熱いおかゆでした。おしいかったなあ〜〜♪油まみれの「かき揚」なんかにしないぞ。もったいない。

肉なんか生涯食わなくてもいいですわ、もう。日本人も外国も、主食は「米」にしよう。狂牛病とか鳥インフルエンザとか心配するのはやめよう〜〜死んじゃった動物の肉ならいざしらず、生きている動物をわざわざ殺して食うのは、やっぱりまずいんじゃないか・・・マンションのローンが終ったら、数人分の米が取れる水田用の土地を買おう。何坪くらいならできるのかな?なんも経験のないオバハンでも実行可能なお米の栽培法を誰か開発してよ。もう、できているんだけど、どこかの連中が明治維新以来、着々と進めてきた日本人愚民化政策、日本人全員病人化政策、日本人食料自給率ゼロ推進政策のために、一般公開されていないのかも。

さて、また名古屋に帰って数日後の今。体調はまだまだですが、来週は新入学生用の英語能力別クラス分けテストとか会議があります。いつまでも、タラタラしていられません。明日は、眼科医と会いまして、白内障の手術のことを決めてきます。

今回の不調の間に、私はいろいろ考えました。自分の欲望の整理をしました。きちんと仕事ができる期間は、長く見積もっても、私にとっては、あと20年しかありません。この時代に生きている間に、しておきたいことは、どうしてもしておきたい。いよいよ、それに集中する時期だなと、私は決意をあらたにしました。

白内障発覚から始まった「廃人の日々」は、私にとって大きな恵みの日々となりました。これで近況報告を終ります。

ところでさ、例のSterling &Peggy Seagraveの The Yamato Dynastyの翻訳が出版されたでしょう。『ヤマト王朝---天皇家の隠れた歴史』とかいう邦題で。オーストラリアでは、Princess Masakoに関する本が出たとか。

だいたいさ〜〜まともな外国人が、日本の皇室について調べて書きたがると思う?まるっきり異文化の特定の一家のことなんかに、なんで関心を持つ?自分の頭の上のハエを追っていればいいじゃないの。なんで縁もゆかりもない極東の日本の旧家のことを、いじいじと書きたがる?まともな学問的探究心から書いているのではないことは、はっきりしている。何らかの邪気があるに決まっている。知的好奇心なんてもんじゃないよ。大きなお世話ならぬ、干渉だ。なんで、そうまでして、わざわざ、自分とは関係のない外国のことに介入したいのか?なんで、日本の皇室なのか?

そんなに、日本の皇室の存在が邪魔?なんで気になるの?なんで貶めたいの?あいつらには、関係ないでしょーが。ここらあたりが気になるよね〜〜皇室廃止論者が、「あいつらは働かずして食って贅沢しているから、許せない!」という、下司な幼稚な嫉妬心から、無駄口たたいているとしたら、問題の本質を見誤るよ。

馬鹿な下品な類の外国人の、しょーもない金儲け主義のヘボ文章の塊なんか、どうでもいいんだけど、問題は、それに乗っかる日本人だよね。あんな本を翻訳する気が知れないわ。黙殺が正しい対処法である。なんで、そんなしょうもないことに、生きている貴重な時間を注ぐ気になるのか?

ひょっとして、それほど日本の事物が嫌い?そんなに日本がイヤならば、亡命すれば?移民すれば?亡命しないってことは、移民しないってことは、本音のギリギリのところでは、この国を肯定しているってことでしょう?ならば、素直に肯定しなさいよ。素直に自分の幸福を認めなさいよ。素直に受け入れて愛しなさいよ、日本を。

外国に関して、実態を知りもしないくせに、賢しらに事実でもないようなこと書いて金を稼ぎたい卑しい人間たちなんかに、なんで、わざわざもっと稼がせる必要があるのか?ほんとに、わけがわからん世の中だ・・・あ!こうやって、怒りが出てくるというのは、ちょっとは元気になってきた証拠かな?