アキラのランド節

続・留学生たち [06/17/2007]


週計11クラス担当の超怒涛の労働の今春学期も、はや9週目が過ぎました。学期15週の折り返し地点は過ぎました。あとはたゆまず脚を動かし続けさえすれば、ゴールに到達できます。テキトーに手抜きしながら走り切ろう。タラタラでもいい、ダラダラでもいい、クタクタでもいい、ボロボロでもいい、完走すればいいのだ。

白内障は一層に進行しております。先日も大学内の通路で、去年教えた学生が、「センセイ〜〜ハクナイショウだってええ???なんで言ってくれないの〜〜僕に〜〜水臭いな〜〜もう〜〜!!」と話しかけてくれましたが、「ハクナイショウ」の意味がわかっているのでしょうか?なんか、彼の言い方では、私が、まるで「実は、ほんとは男だったのだけど、性転換して女になったことを、ずっと黙っていた」みたいじゃないですか。

夏季休暇中の8月は、私は、あちこちの高校を訪問する予定です。私が所属する文学部が、来年度から「国際教養部」となるので、その宣伝売り込み活動のためです。いまどきの高校の先生方は、ちゃんと8月も出勤しておられるのです。推薦入試などの実務作業が始まるのは高校では9月からですから、高校への働きかけは、8月が勝負なのだ。こうなったら、8月のお盆前に集中的に出張しまくって、お盆過ぎには必ず白内障手術を決行するぞ!

何事にも大雑把でズボラな私も、8月くらいには処置しないと危ないかも・・・と、感じるようになりました。階段が怖い。段差が怖い。しばらく読書すると、細かな活字がぼやけて読めなくなります。漫画のネームでさえ読めなくなる。冗談じゃないよ〜〜もっと光を。昔ならば、失明するんだよな・・・現代に生まれてよかった。ありがとうございます。合唱・・・じゃない合掌。

ところで、前のランド節で紹介したインドはコルコタ(カルカッタのこと)の有名国立大学からの交換留学生カップルは、6月の9日に急に帰国しました。

懐かしの日本映画『若者たち』で東大の左翼系学生を演じた若き日の「山本圭」似の(雰囲気が)インドの彼は、桃山に来てから、一般学生といっしょに受けた健康診断で異常が見つかりました。で、病院で再検査をさせられて、やっぱりおかしいね、というわけで薬を処方されたのですが、その薬の副作用で彼はずっと気分が悪かったのでした。私は、「日本の医者なんか、データとマニュアル見ているだけで患者なんか診ていないから、薬なんか素直に飲んじゃ駄目!飲んだふりしてなさいよ。だって別に体に異常は感じないのでしょう?ならば、平気平気」と乱暴なことを言っていたのですが、素直な優等生である彼は、素直に医師の処方に従ったのでありました。で、ある晩に、とうとうぶっ倒れたのでありました。いったいどんな薬を飲まされたのやら。

その「インドの山本圭さん」は、たたでさえ細いのに、一層痩せてしまいました。「うわ〜〜強制収容所から出たばっかりみたい〜〜」と、つい私は悪い冗談を言ってしまいました。そのうちに故郷はインドで医師をしている彼のお兄さんが、心配して、「サッサとインドに帰ってこい」と矢の催促をするようになりました。アメリカの有名工科大学のMITは、放置しておくと入試の合格者はインド人ばかりになるという話が示すように、インドは科学教育先進国&医学先進国です。彼のお兄さんは、「医学後進国の日本の病院に通えば、病気にされる!」と心配なさったのであります。

あなた、今の日本は、そういう位置づけなんだよ!中国からの留学生だって、「アニメ大国日本といっても、昔の話ですね。若いクリエイターは出ていないですね。技術面でも遅れだしているみたいですね」と、言っていた。私は、「うん、そうだよ。今は、日本は国も国民も引きこもり状態だから。引きこもって、ニートやっていられなくなったら、また打って出るから大丈夫。今は、引きこもりやっても、まだまだ食ってゆける中途半端な状態だから、アホやってるの」と、答えておきましたです。

というわけで(どういうわけだか、わかりませんが)、帰国する6月9日の前々日の7日の夕方に、ささやかな「お別れのお食事会」みたいなものをしました。同席していたポーランドからの交換留学生の女性と「大昔の日活青春映画時代の和泉雅子インド風」みたいな自分の奥さんと、私の女性計3人から、インドの山本圭さんは責められました。「こういうはめになったのは、健康診断なんか学部の学生といっしょに受けたからよ。あんなの形式でしかないのだから、受けなくてもよかったのに。受けたから、どうでもいいような異常まで見つけられて・・・それだって、ほんとに異常なんだか・・・」と言われたのでした。ははは。

どの国でも、女性は「専門家」という者に対して、健康で、まっとうなる猜疑心を抱いているようであります。本能的右脳的直感的猜疑心というものでありましょうか?メニューにはない「スパイス抜きお米チキンスープ煮」をレストランに作ってもらい、そのboiled riceを静かに少量ずつ口に運びながら、インドの山本圭さんは、真っ白な綺麗な歯を見せて苦笑しておりました。

帰国する日の関西空港では、インドの山本圭さんは、体調の悪さで元気がないままではありましたが、表情は明るかったです。なんのかんのといっても、国へ帰ることになったことで、ホッと安堵できたのでしょう。握手とhugをかわしての別れ際に「あのエクスカーションが、僕にとって日本での一番楽しかった日でした」と、彼が言いました。

この「あのエクスカーション」とは、5月の19日の土曜日に、山本圭さんと和泉雅子さんとポーランドさんと、韓国からの交換女子留学生と、台湾からの交換男子留学生と、ドイツからの交換女子留学生と、オーストリアからの交換女子留学生と、私と私の夫の計9人で、10人乗りのワゴン車のでっかい奴みたいな、ミニバスみたいなレンタ・カーで伊勢神宮まで出かけた日帰りツアーのことであります。

私は21世紀に入ってから伊勢神宮に一度も行ってない。ついでだから留学生も連れて行っちゃえと思いたちまして、テキトーに希望者を募って行きました。桃山学院大学には留学生が300人以上いますが、交換留学生(桃山が提携している大学からの留学生のこと。桃山からも留学生を送り出しています)は40人弱ほどいまして、彼らや彼女たちは、大学が借りているアパートメント・ハウスに暮らしています。レジデント・アシスタントという日本人学生2名が、交換留学生たちの日常生活の相談に乗っています。ゴミの出し方とか、洗濯物の干し方とか、銀行の利用の仕方とか、荷物の送り方とか、美容院での注文の仕方とか、いろいろあるじゃないですか、日常のいろいろが。そのかわりに、彼と彼女の部屋代の半分は、大学が出します。

そのアパートメント・ハウスには、桃山関係者ではない方々も入居しています。ポーランドからの女子大学院生が、「日本の若い男性には挨拶する習慣ないのですか?アパートのホールで朝にあったときに、おはようございますと言っても、知らん顔です。返事ないです」と言いました。「日本の若い男性にはサイコが多いから相手にしちゃ駄目!最近では、英会話の先生しているイギリス人女性が殺されたんだよ〜〜犯人まだ逮捕されていないよ〜〜」と、私は、いつものごとく親切に脅かしておきました。

留学生は、元気がいいですから、誰かの部屋に集まって騒いだりしますが、そんなとき、入居者の男性が窓を開けて、「うるさ〜〜い!」と怒鳴るそうです。「ね、だから、私が日本の若い男性にはサイコが多いって言ったでしょ。ちゃんと静かに抗議できないのよ。言語能力がないの。相手にしちゃ駄目!無視無視虫虫」と、私は、あくまでも親切に助言しておきました。日本の若い男性の国辱ものの社会性の欠落の釈明なんか、面倒くさくて、したくもないよ、もう。あの人間としての可愛げのなさには、ほんとあきれますわ。あれ、何の話か?

そうそう伊勢神宮行きの話でした。この「伊勢神宮エクスカーション」では、外宮を回り、内宮に行き、正式参拝をしてお神楽を奉納し、五十鈴川のほとりで遊び、「おかげ横丁」で「赤福」を食するという、「伊勢神宮参拝フルコース」を、きちんと実行いたしました。

「レディース&ジェントルメン〜〜伊勢神宮の外宮では、個人的願いを祈ってもいいですが、内宮では、世界の平和とか国家安泰とか、そういう次元の高いことを祈ることになっています〜〜」と、私はテキトーに説明しました。みんな、ちゃんと、そうしたかな?

「鳥居をくぐるときは、真ん中を通っては駄目です〜〜そこは神様の通り道ですから、私たちは、端っこを通ります〜〜神道の根本は自然崇拝のアニミズムです〜〜ここの神様は、女性の太陽神ですから〜〜神社の構造は、女性の肉体の比喩です〜〜この鳥居はvaginaの入り口です〜〜この道は長いbirth canalです〜〜はい、これからwombまで行きます〜〜大きな立派なwombです〜〜」と、テキトーな説明に、私は忙しかったのでした。「そういういい加減なこと言っていいの?」と、夫が心配しましたが、日本の神道には、「聖書」も「教理問答」もないんだから、いいんだよ。あたらずとも遠からずだって。鳥居をくぐって、大いなる女神の大いなる体の中にはいっていくんだ。懐かしいではないの〜〜大いなる御母様よ。檜(ひのき)製の聖なるでっかいwombよ。我らが故郷よ。

しかし、20年ごとにお宮が再建されて場所も変わるのはなぜか?なんて理由は知りませんがな。拍手(かしわで)が2回なのはなぜかも、わかりません〜〜御札(おふだ)とは何か?と質問されても・・・御札(おふだ)は、個人宅用もしくは携帯「寄代」(よりしろ)でありまして、「寄代」とは、つまり・・・と、私は下手な英語で説明するのに苦労しました。ちゃんとにわかガイド用に英語の神道の本を買っておいたのだけど、読む時間がなかったのであります。

留学生みなが感心したのは、内宮での厳粛なる正式参拝でした。神楽殿に入り、「お神楽バンド」の雅楽演奏と、優雅清浄なる巫女さんダンスを堪能しました。古式豊かで、とても雅やかで、心が沈潜して鎮(しず)まっていきました。

受付で、「外国人でも正式参拝できますか?留学生なんですけど」と質問したら、「いいですよ〜〜」とのことだったので、留学生一同の日本での安全と幸福と勉学の向上を前提として、あらかじめ感謝するということで、「神恩感謝」の祝詞(のりと)も、あげていただきました。前もって、実現したものと仮定確信してお礼を申し上げておくといいそうですよ。神様は時間も空間も自由な存在なので、要するに時間感覚がないので、「あれ?お礼言われちゃった。変だな・・・なんか私してあげたっけ?あ、しまった、ちゃんと加護するのを忘れちゃったみたい。急いで加護しておかなくちゃ!」と勘違いしてくださるそうです。皆さん、前もって勝手に強引に、時制を無視して、お礼を申し上げておきましょう〜〜♪つまり、「東大に合格しますように」じゃなくて、「東大に合格いたしました。ありがとうございました」と祈るべきなのでありますよ。

私は、参拝祈願申込書に留学生全員のファースト・ネームと出身国を書いたのに、祝詞をあげてくださった神官さんは代表者の私の名前しか読み上げてくださいませんでした。留学生たちは、「もろもろの国より来たりし若人(わこうど)たち」と一括されました。残念。しかし、「もろもろの国より来たりし若人たち」という言葉には、古風ながらも、実に清々しい響きがありました。

気のせいでしょうか、古代日本の白い衣装に身を包んだ神官さんがあげてくださった祝詞も、深く言霊がのっているという趣の、おおらかにも格調高いものでした。雅楽演奏も巫女さんダンスも、実に「気合」がはいっていました。歌舞伎でも、外国人を連れていき、舞台の役者さんからよく見えるような席に座っていますと、なにやら、役者さんの演技に気合がはいっているように感じられることが多いのですが、やはり、外国人に見せるとなると、張り切るのかな?だよね、やっぱり。

しかし、なんで、こうも最近は神社にこんなに参拝客が多いのか?若い人もほんとに多い。正式参拝したときも、他のグループの方々とごいっしょさせていただいたが、その方々は関東の会社の男女とりまぜての若い社員の方々であった。「システムナントカ」という、カタカナ名前の会社だった。私たちの一行は、代表者の純粋日本人の私からして正座ができない、いい加減な一行だったが、その若き会社員の方々は、とても静かにきちんとみなさん正座をしていらした。日本人の若い男性にもまともな方々は多いのであるなと、爬虫類(はちゅうるい)ばかりではないなと、見直した。

私は、正式参拝の順番待ちの待合室で言いました。「日本人は、今まで西洋の真似事で忙しかったのだけれども、最近になって正気になって、伝統回帰を始めた。仏教は形骸化しているし、キリスト教は、ほんとのところは理解できない。とすると神道しか残っていない。グローバリゼイションの影響もあって、どんどん伝統的日本の慣習が消えつつある。そうなると、なお一層、どこかに<日本>を残しておきたい。Shintoismは、日本人にとって心の砦、サンクチュアリであって、そこだけは、英語も外資も入れたくない。そこだけは、しっかり鎖国しておきたい。グローバリゼイションが進めば進むほど、ローカリズムは残る。ただ、この伝統回帰が、日本人が前進するための基地になるのか、単なる退行現象なのかはわからない」と勝手なことを言いました。

こういう話になると、交換留学生でも、まだ学部の学生あたりだとボ〜〜とした顔で聞いているだけですが、さすが大学院生だと、のってきます。インドの山本圭さんは、「伝統回帰自体は悪いことではない。新しいものも、伝統とか既成のものの上に作られていく。無からは何も生まれない。でも変容はせざるをえない。科学技術を西洋から取り入れても心は日本のままだというのは、日本人の伝統的な姿勢だと思うけど、心は伝統的日本のままって、ありえるのかな?」と言いました。ポーランドさんは、「その伝統的日本というのも幻想なんじゃないの?黒澤明の映画みたいなもんで。宮崎駿のアニメみたいなもんで。あそこに描かれている日本は、ほんとうの日本じゃないでしょう?」と言いました。「表象というものは、いつだってそういうものだよ。現実ではない。でも、その幻想の表象が現実を作っていくんだ。表象しかないんだ」と、インドの山本圭さん。

さすが、この人は、インドでは演劇活動を活発に行い、劇の製作やら演出をしてきただけのことはあります。「表象」の話になると、俄然と活気づきます。大学院のクラスで、日本のジェンダーについて、日本の少女マンガの源泉である手塚治虫の『リボンの騎士』に影響を与えたものとして、俳優が全員女性である宝塚歌劇版『ロメオとジュリエット』のビデオを、このインドの山本圭さんに見せたときにも、なかなか批評が鋭かったです。「あのロメオは、ひどいですね。なんで、主役の女優が一番ヘタなんですか?」と。ははは・・・宝塚歌劇ファンに聞かれたら、ぶっ飛ばされるよ〜〜そのとき、ポーランドさんが答えたものです。「スターはヘタでいいの!だからスターなの!主人公ってのは、人物造形が曖昧なものなの!だからこそ、観客が好き勝手に感情移入できるの!」と。

ところで、インドの山本圭さんと和泉雅子さんのカップルは、神を信じていません。宗教的感情はあるけれど、神は信じていないと断言しました。さすが、科学先進国インドの若き人々。そこを敬虔なカトリックのポーランドが突きました。「宗教的感情があるってことは、神を前提としているんじゃないの?」と。「宗教的感情と宗教は違う。宗教というのは、体系がきちんとあって、教義がきちんとあって、世界観が確立している。宗教的感情は単なる感情」とインド版山本圭さんが反論しました。

「あ〜〜ならば、日本の神道は、あなたの言う宗教じゃないかも〜〜素朴な始原的宗教的感情を、そのまま尊いものとして認めているだけだから。日本の神道の体系というのも、あることはあるけど、仏教が入ってきたり、キリスト教が入ってきたり、外来の宗教が入ってきたときに、ちゃんと教義をはっきりさせないと負けるから、急いで体系をでっちあげたらしいよ。アマテラスオオミカミという女性最高神も、キリスト教の唯一絶対男性神を意識したからこそ、強調されたらしいよ、江戸期の国学者によって。だけど、その体系のなさが、神道の弱みであり、かつ逆説的に強みでもあるのだけど」と、私は言いました。

まさか、5月の風薫る土曜日の昼下がりに、伊勢神宮の内宮の正式参拝順番待ちの清浄なる待合室で、こんな話を、インドやポーランドから来た若い人たちと話すとは、私は夢にも思いませんでした。幸福な時間でした。

こういう、学生と教師ならば本来するであろうような議論は、例のアメリカに留学した「ゲイの恋人たち」とは、よくしていました。私は、あの子たちがカッコよくて男前だから、ひいきしていたのではないです。あいつらが頭が良くて、関心の幅も広くて、話していて面白かったから、ひいきにしていたのです。議論という言葉のやり取りだけに集中して、まったく退屈しないですむ人間関係こそが、学生と教師、または学生間、研究者間の、あるべき関係だよね。私は、労働に追われて、それにずっと飢えていました。その飢えを、あの子たちは満たしてくれたのでした。彼らがアメリカに行ったので、私は、学生さんと、そういう話をする機械がなくなって寂しい思いをしていました。思いがけなくも、その空白を、この留学生たちは埋めてくれたのです。

正式参拝を終えて、おかげ横丁で食べた「赤福」は、しかし、彼らの口には合わなかったようです。「おいしい?」と聞くと、「日本の味ですね。材料は豆ですか?」とか「典型的な日本のスウィーツの味ですね」と答えて、「おいしい」とは誰も答えない。なんで・・・??すっごく「赤福」おいしいのに!それでも、台湾から来た男子留学生だけが、お土産だと言って、「赤福」12個入り箱をひとつ買っていました。誰にあげるのかな?私ならば、ひとりで一箱食っちゃうぞ!

大阪は和泉市の桃山学院大学まで帰るべく車に乗り込んだときには、すでに午後6時半近くでした。ふつう、日本人学生ならば帰りの車の中では眠ってしまうでしょう。日本人はどこでも車の中で寝る。ニューヨークに連れて行っても、バスの中で寝ている。寝ているのは死んでいることと同じだから、私なんか、ほんとは睡眠なんかもったいないなあと思うけど、眠らないと体がもたないので、夜は眠るしかない。しかし、旅行に行ったときぐらいは、しつこく目をランランと光らせて観察に集中するもんであるが・・・なのに、日本の学生は眠っている。う〜ん・・・なんで?

しかし、留学生たちは眠らない。あくまでも、いつまでも、どこまでも話しに興じ、笑い声が絶えませんでした。行きも帰りも陽気に、ず〜〜と話している。元気だ・・・タフだ・・・韓国から来た女子留学生と台湾から来た男子留学生は、共通言語の日本語で話している。互いの国語を教えあっている。オーストリアから来た美人女子留学生と、ドイツから来た金髪美人女子留学生は、ドイツ語でおしゃべりしている。ポーランドとインドは、英語でしゃべっている。私と夫は日本語名古屋弁なまりでしゃべっている。だから、車内は、うるさい、うるさい。初夏の近い晩春の宵の名阪高速道路を、レンタ・カーは、ひたすら桃山学院大学に向かって走ります。

最初の予定では、大学で彼らや彼女たちを降ろして、解散のつもりでした。しかし、急に思い立って、私は携帯電話で、大学の近くにある元ハンガリー料理店で、今は「無国籍料理店」(ということは多国籍料理店)に「9時近くになりますが、9人予約させていただきます〜〜お願いします〜〜」と連絡しました。このお店は、真夜中の1時まで開いているので、助かります。会議がどれだけ長引いても、私が夕食を食いはぐれる心配がないのは、このお店のおかげです。安くておいしいです。ウエイターさんとかウエイトレスさんは、桃山の学生さんです。私にとっては、身内みたいなレストランです。と、勝手に思っています。支配人の女性が美人です。

このレストランで、よ〜〜く私はわかった!やっぱり、留学生たちは、日本食が苦手なんだ。長いテーブルに座って、好きな飲み物を注文したあとは、私がテキトーに料理を注文して、みんなでshareするということにしましたが、ここでは、「おいしい!」の連発だったもの。チーズの盛り合わせとか、ハムやソーセーッジの盛り合わせだと、ドイツ美人やオーストリア美人の反応は、Fantastic!だったもの。伊勢神宮は、「おかげ横丁」で食した遅めのランチの「伊勢牛どんぶり」や「赤福」には、こういう反応はなかったぞ。ポーランドさんが、「結婚式みたい〜〜」と笑いながら言いました。なるほど、ポーランドの結婚式の食事は、長方形のテーブルをいくつもつないで、こうやってみんなでキャアキャア言いながら、食べるのか。みんな、体がリラックスしています。ナイフとフォークの使い方が、とっても自然です。「伊勢牛どんぶり」や「赤福」のときは、箸を持ちながら、ちょっと緊張していたくせに。

そのレストランに入ったときに、私は、先客に、桃山が提携しているウィーン大学のアジア研究科の日本文化研究者で『拳の文化史』(角川書店、1998)という本を以前に出版した方がおられるのに気がつきまして、ご挨拶しました。「拳」とは、「こぶし」のことです。花柳界で客と芸者さんたちが、野球拳とかで遊ぶじゃないですか。あの拳です。この拳遊びというのは、江戸期にはもっといろんな種類があって、教養人が集まるお座敷の遊びとして、洗練の極みに達していたそうです。「野球拳」なんてのは、そのお座敷遊びの断片が粗野な形で残っているものであって、ほんとうの拳遊びは、そんな下品なもんじゃないそうです。

その方は、サバティカルで日本に来られました。主に関西で研究資料を集めるために、桃山に滞在しておられるのです。宿舎は、桃山の「ワレン館」というゲスト・ハウスです。日本語は私よりはるかにお上手です。母国語のドイツ語以外に、日本語、英語、フランス語をお話になります。江戸期の研究を主にしておられるので、古文書もお読みになれます。この方の奥様も日本文化研究者で、日本の「鬼婆」の研究をしておられます。これは、ジェンダー的に面白いテーマなんでありますよ。「鬼ジジイ」ってのは、いないでしょ?なんで?鬼みたいな奴は、男女問わずいるのにさ。男はすぐ死ぬからってのは、十分な理由にならんよ。無駄に長生きする男だって多いのだからさ。

私たちのテーブルが、あまりに賑やかだったので、好奇心が刺激されたのでしょうか、食事をあらかた終えられたその方が、ワイングラスを持って、私の隣の席に椅子を持って移動なさってこられました。私は、その方の研究分野などに関して質問したりしまして、その方とも話が弾みました。私は、たまたま、同じウィーン大学の日本文化研究者のアレキサンダー・スラビック博士の著作である『日本文化の古層』(未来社、1984)を読んだことがあったので、その話題を出しましたら、奇遇なことに、そのスラビック博士は、その方の先生だったのです。で、一層に話が弾みました。

話は飛びますが、この『日本文化の古層』という本は面白いですよ。「雨の夜に、長いマント(蓑)を着て笠をかぶった異人が訪問してきて、一夜の宿を請うが、そのかわりに貴重な技術を教えてくれる」という秘密訪問儀礼を祭りにしている現象はユーラシア大陸全体に見受けられるそうで、その基本的原型は、天照大神に反抗して悪行を重ねたスサノオノミコトが懲らしめられて、みっともなくなった姿を笠や蓑で隠して夜にやってくるという日本神話だ、ということを書いた論文が、この『日本文化の古層』に収録されていました。

どーいうこと??神話というのは似たものが多いのですが、どこが発祥で原型なのかは、専門の研究者にはわかるそうです。ユーラシア大陸に広がる古代の伝承の原型が日本の古事記の神話らしいのです。ということは日本発??日本は、世界の事物の流れ着く最果ての地ではなかったということ?まさか?

ところで、そのスラビック博士のお弟子さんの、日本の拳遊びの研究をなさった方は、おっしゃいました。「日本人だけですよ、日本文化がつまらないと思っているのは」と。私は、「エール大学の歴史学の教授だったトマス・キグリーが、日本文明の最高点は江戸期だった。それ以降の日本は、西洋に侵略されて西洋文明の周辺となったと書いていました。先生も、そうお思いになりますか?」と質問してみた。「江戸期で日本文明が最高?そうかもしれませんね」と、その方は静かにお答えになりました・・・

そうか・・・我々は、ある文明の衰退期の下り坂の下のほうにいるのか・・ヨーロッパのインテリはそう思っているんだな・・・・

私は、その方と、私がその方の著作の『拳の文化史』を読んだら、またごいっしょにお食事いたしましょうと約束しました。でも、忙しくて、まだ『拳の文化史』を拝読しておりません。しかし・・・なんで、オーストリアはウイーンの人が、江戸期の日本を・・・人間って面白いですね・・・って、ロシア人やアメリカ人から見たら、ロシアに生まれてアメリカに移民したユダヤ系女性作家アイン・ランドに、肉親に対するよりも愛着を持っている日本人の女というのも、奇妙に見えるかもしれませんね。

話を、うんと先に戻します。つまり、6月9日土曜日早朝の関西空港で、インド版山本圭さんが、言った「日本で一番楽しかった思い出」とは、この伊勢神宮に出かけた日のことだったのです。

ほんと、あの日は、神様から祝福されているような、そんな気持ちのいい土曜日だったね。空も青くて、風が爽やかで、五十鈴川の水は心地よく冷たかったね。あのレストランでの夕食は、ほんとにみんな笑ってばかりいたね。あの日は、私の人生の中でも「光るような一日」でした。死ぬときに、きっと思い出すよ、あの日の伊勢神宮の空の色と緑の山々と夕暮れが近づいている雲にさす光と風は。

実は、あの5月19日は、急死した同僚の「お別れの会」が開かれた日でした。その同僚は、国際センター長を勤めた3年間のあいだに、いっきょに28も提携大学を増やしたのです。海外出張から帰った翌日でも授業はちゃんとこなしていました。私より少し年下の明るくタフな人でした。研究室が隣同士だったので、その同僚の激務状態は、私には容易に推測できました。私が帰宅する夜の8時過ぎでも、その同僚の研究室には明かりがともっていました。同僚の死が知らされた日の午後は、大学内に激震が走ったものでした。それぐらい存在感の強い人でした。国際センター長としての3年間で、その同僚は10年分の仕事をしたのかもしれません。

しかし、その激務の3年間が、その同僚の健康を、ひそかに蝕んでいたのでした。毎年、ちゃんと人間ドックで見てもらっていたのに・・・だからさ、健康診断とかあてにならないって言うんだよ、私は。それにしても、残念なことでした。もっと先に逝ってもいいような同僚は他にもたくさんいるのですが・・・って、そんな本当のこと言っていいのか?すみません。

私は、伊勢神宮に留学生を連れて行くべきか、その同僚の「お別れの会」に参列すべきか真剣に迷いました。今年にはいってから、4月からインドからの交換留学大学院生のアカデミック・アドヴァイザーをやってくれと依頼したのは、その同僚でした。だから、留学生の相手をするほうが、その同僚は喜んでくれるのではないかと思い、伊勢神宮行きを、あえて選びました。亡くなられてから、まだ49日経過していないから、その同僚の霊は、今でも、隣の研究室を、しばしば訪問しているのかもしれません。Bさん、いつも、ガンガンCDかけてうるさくて、すみませんでした。今でも、私はガンガン音楽かけて、残業しています。相変わらずうるさいでしょう。私たちくらいの年齢になると、音楽聴くのもipodですませるわけにはいかないのですよね。イアホンとかヘッドフォンが煩わしいのだよね。

ということで、あの5月19日は、複雑な気持ちで伊勢神宮に行ったのであります、私は。インド版山本圭さんにとっての「日本で一番楽しかった思い出」は、同時に、私にとっても、忘れられない日にならざるをえなかったのです。

短いおつきあいでしたが、インド版山本圭さん、インド版和泉雅子さん、楽しかったですよ、ありがとう。インド版山本圭さんは、「あなたは、僕たちにとって、日本のguardian angelでした」と言ってくれた。うまいこと言うなあ。守護の天使か・・・でも、ほんとにそうだったのならば、よかったのに。新婚のあなたたちを、日本の医者が出した薬の副作用なんかにさらしたくなかったよ。歌舞伎も狂言も能も、見てもらいたかったよ。私は、役にもたたない老けた天使だったね。翼も羽が抜け始めている天使だったね。でも、そう言ってくれてありがとう。

留学生たちは、大学の駐輪場に置いた自転車でアパートメント・ハウスに帰ります。だから、解散は、大学の構内でした。最後まで、留学生は明るく賑やかで、かつ礼儀正しかったです。

帰り道で、夫が私に言いました。「かよちゃん、留学生さんたちに遊んでもらって、よかったね。あなたと遊んでくれる学生さんたちには、僕はほんとに感謝するよ」と。どーいう意味だ??しかし・・・ほんとにそうです。心から、楽しい週末をすごすことができました。とても幸福でした。とてもありがたかったです。

そうか、この手があったか。この手があったのだ。日本人学生は活気もなくて、反応も鈍くて面白くないから、これからは、留学生に遊んでもらおう〜〜

というわけで、インドの大学院生カップルを空港で見送った日の午後は、6人の留学生(ポーランド、インドネシア、韓国、アメリカ)と留学生の友だちの2人の日本人学生の計9名で、堺市は市民会館で催された「市民歌舞伎鑑賞教室」に行きました。出し物は「恋飛脚大和往来新口村の場」(こいびきゃくやまとおうらい・にのくちむらのば)でした。これも、とっても楽しかったです!帰りには、仁徳天皇御陵も見てきました。しかし、この話は、別の機会に、させていただきます。

インドに帰ってから、インド版山本圭さんは、お兄さんの病院に入院して再検査を始めたようです。奥さんのインド版和泉雅子さんからは、博士論文のことで、質問メイルが来ます。日本のSF小説についての質問です。

「だからさ〜〜日本SFっていっても、すっごく多岐にわたるんだからさあ〜〜英訳の日本SF読んだだけで、日本SFについて書こうと思っても無理だって〜〜無謀だって〜〜日本語できないと駄目だってえ〜〜せめて、安部公房のSFとか、対象をしぼりなさいよ〜〜あなたの大学院の指導教授は、何を考えてんだよ〜〜??よく、そんな杜撰(ずさん)な論文計画を許可したよなあ〜〜?!」と、ここで日本語で罵倒するのは、いとも簡単ですが、若い人を傷つけないように、前向きに、インドと日本が談判決裂しないように、おだやかに、「おたいら」に、論理的に、説得力を持って、英語で、私の考えを彼女に伝えるのが、一苦労なんだよなあ・・・・

私は、アメリカに留学中の「ゲイの恋人たち」とのメイルのやりとりは、英語であります。英語でやり取りしようと言い出したのは、彼らのほうです。さすが、あいつらは賢い。彼らの申し出の理由のひとつは、「センセイの毒舌も、英語ならば少しは和らぐだろうから」だったのであります。賢くても、まだまだ若いね・・・甘いね〜〜甘い〜♪