アキラのランド節 |
---|
生まれて初めての手術 [09/17/2007]初秋とはいえ、まだまだ高温多湿です。続編の「問題は階級ではなくてカネではなくて、脳の動かし方だなと思った(その2)」を、白内障手術前に書くつもりでしたが、例によって例のごとく、延期されております。すみません。今回は、白内障手術を受けて思ったことなど、つらつら書かせていただきます。お忙しい方は、読まないでください。 手術日の8月23日木曜日の午後に、眼科クリニックに出かけましたら、当然なことなのですが、手術用の薄い水色の洋風浴衣みたいなものに着替えさせられまして、髪もキャップで覆われて、足もシューズ・カバーみたいなもので覆われました。生まれて初めて点滴なるものを打たれて、血圧計を右腕に巻かれて、手術中に心電図とるとかで何本かの管の先端を鎖骨近辺だの胸部だのに貼り付けられました。あれ、ほんとに手術するみたい・・・ 凡人というのは、ギリギリそういうことにならないと、ピンときません。私のような、とりわけ無知で想像力に乏しく鈍い凡人は、どこまで行っても、ピンときません。最後まで穏やかに従容(しょうよう)として、難破船と運命をともにした人々の感動的な話などがありますが、自分が死ぬなんてこと最後の最後まで、最後になっても、最後が過ぎてもピンとこないから、静かにしていられたという方も、中にはいたのではないでしょうか?「某国から名古屋(あるいは南大阪)に向かってミサイルが打ち込まれたって」と知らされても、私などは、「ふ〜〜ん・・・」とか言いながら、ボケッとしていることでしょう。 「ほんとに手術するんだ・・・」と不安を感じつつ手術室に入ったら、もうそこは、『ブラックジャック』の世界であり、『ER』の世界でした。リアルに、ブラックジャックみたいな格好をした丈の長い明るい青色の手術着を身につけたお医者さんや、『ER』のナースみたいなピンク色の上っ張りとズボンみたいな制服を身につけた看護師さんたち計3人の方々の、「お待たせいたしました〜〜♪」と声をあわせた、にこやかで明るいお出迎えを受けたとたん、私は、ガチガチに固まってしまいました。「あ〜〜逃げるなら今だ!このまま行くと、生殺与奪権を取られてしまう!」と、恐れおののきました。しかし、指示されるがままに、処女のごとく可憐に、私は手術台に仰向けに横たわるしかありませんでした。 小林よしのり氏(同い年だ)の白内障体験記である『目の玉日記』(小学館、2006)を読んで、前もって勉強しておいたのですが、自分が体験するとなると、やっぱり違います。お医者さんや病院によっても、いろいろみたいです。明らかに、私は、いい先生、いいスタッフのいいクリニックにあたったと思います。 レーザー使用による現代の白内障手術に要する時間は10分くらいだそうです。上まぶたの中央あたりをレーザーのメスで切開して、そこから超音波によって古いレンズを砕き、それらの破片を吸収して、そのあとに新しいレンズを折りたたんだ形で挿入してから、広げるんだそうです。書くのは簡単ですが、するのは難しいでしょう〜〜小さくバラバラにして取り出し、かわりに折りたたんだ小さいまま入れて、しっかり入れきってから広げる。瞳の中の工事。人間って、すごい。科学技術の発展は、すごい。 手術時間の10分間は、私には、とてもとても長く感じられました。「早く終らないかなあ・・・やっだなあ・・・」と思いつつ、わけがわからないままじっとしているしかありませんでした。何もできなくておとなしく待っているしかない状態って屈辱的なんですよね。無力に待つことと、汚いトイレは嫌いだ! 麻酔をかけられたからなのか、なんだか知りませんが、手術開始から目には台形の形をした黄色いものしか見えていなかったのですが、それがスッと消えて、何も見えなくなりました。ほんのしばらく暗黒。うわっ・・・暗黒。失明状態って、こういう状態なのだろうか・・・しかし、すぐそのあと、何かが暗黒の中に差し入れられ、また台形の形をした黄色いものが見えました。今度の台形は、前の台形に較べて、もっと鮮やかな黄色です。 多分、この台形みたいなのが、水晶体のレンズ。途中に暗黒になったのは、曇ってしまったレンズを超音波が砕いて吸い取った後だったのでしょう。そのあと、明るい黄色の台形が見えた瞬間こそが、めでたく人口レンズが眼の中に挿入されて、あるべき場所に納められ、私が「サイボーグ」になった時だったのでしょう。 まったく痛くありませんでした。痛みがないというのは、恩寵ですね。素晴らしいことですね。病気が苦しいのではなくて、「痛み」が辛いんだから。飢餓と戦争と拷問と強姦と激痛を世界から消せば、この世は天国です。人間が怠惰で水準が低いから、その狭量に偏狭に閉じこもった人間のありようを広く開かざるをえないような契機として、人類が学ぶ契機として、飢餓と戦争と拷問と強姦と激痛は、まだまだこの世にはびこるのでしょうか。卒業までに、あと何単位残っていますか〜〜?留年は避けよう〜〜 手術終了後、「すご〜〜く緊張していましたね〜〜いつもと顔が違ってましたよ〜〜だから話しかけるの遠慮しました〜〜よ〜〜く頑張りましたね〜〜〜♪」と、お医者さんがおっしゃいました。手術中に、いったい医者が患者に何を話しかけるんだ?リラックスして冗談言いながら手術受けるような患者がいるのか?!カラダにメスがはいるんだぞ!5パーセントもの確率で失明するんだぞ!手術台に縛りつけられて(というか固定されて)、いったい何を頑張れるんだ?という暗黙の悪態が心の中に炸裂する元気もなく、たった10分のことなのに、私はぐったりと疲労を感じたのでした。 手の指先が先端まで強張るぐらいに、確かに私はガチガチに緊張していました。手術用キャップを髪からとったとき後頭部のうなじの上あたりの髪が、冷たくベタッと気持ち悪く濡れていたので、「おかしいなあ・・・プールに入ったわけでもないのに・・・」と思いましたが、それは「冷や汗」と呼ばれるものであったようです。「冷たい汗」って、ほんとに出るのですね〜〜 白内障手術の翌日に包帯をとったあとの眼に映る劇的な世界については、みなさんもよくご家族やご親戚の方々から耳にしたことがおありでしょうが、ほんとに、すごいんですよ〜〜世界が、パ〜〜〜〜ッと明るく輝いています。ものの色がメチャクチャに鮮やかです。特に赤色とか青色とかの原色が鮮やかです。クリニックの白い壁に描かれた青いラインなど、濡れたように艶々とエナメルのように光って、周囲の事物から浮き上がって見えました。待合室の椅子の合成皮革(最近は、パテント・レザーと言うのか)の赤色もエナメル状ピカピカでした。空の青色とか、雲の白さとか、木々の緑とか、夕陽なんか、「うわお〜〜」と声をあげるほどの美しさで、見とれました。天国って、こんな世界なんだろうか・・・と思わせました。 生きているうちに天国を見たいのならば、白内障手術をお薦めします。とかなんとか言っておりましたら、懇意にさせていただいているA画伯(2005年アイン・ランド生誕100年記念墓参ツアー&ゼミ旅行参加者であり、2006年ロシア旅行のお仲間)が、「天国見たいので、私も手術を受けたいです」と、おっしゃっておられました。さすがプロの画家さんです。美しいものに貪欲です。視覚的快楽の飽くなき探究者であらせられます。 小林よしのり氏の『目の玉日記』にも書いてありましたが、目を開けたばかりの赤ちゃんのbrand-newなピカピカの使用開始直後の水晶体のレンズには、こういう具合に世界が映っているのでしょうね。だから、あんなにまじまじと世界を赤ちゃんは見つめているのでしょうね。最近のお母さんは、赤ちゃんを背中におんぶしませんが、あの美しき習慣はなんで消えたの?赤ちゃんをおんぶする日本の母の姿は美しい。冬なんか背中にくくりつけられて、顔だけ「ねんねこ」から出してキョロキョロと世界を眺めている赤ちゃんは、とっても可愛い。ああやって、安心しきって背中におんぶされながら、いつまでもまじまじと世界を見つめていたかった・・・って何の話か。 そうそう、臨死体験によく出てくる(とされる)鮮やかに美しい死後の世界の話でした。ひょっとしたら、臨死体験とかで見るという美しい光景というのは、赤ちゃんの頃の新品の水晶体に映った世界の記憶の再生かもしれません。死にかけて脳細胞がぶっ壊れてきて、細胞のどこかに保存されたまま忘却されきっていた乳児期の記憶が漏れ出るのかもしれません。原子力発電所の放射能漏れみたいだな。 私のことを、オカルト大好きな人間で、霊だの前世だの生まれ変わりだの臨死体験だの、そういうことを信じて疑わない人間だとお思いの方も多いと思います。確かに、そういう話題は、私は大好きです。その類の本を読むのも好きです。『オーラの泉』大好きです。しかし、口で言っているほどには、本気の関心はないです。 根本的には、「生死命あり、論ずるに足らず」と思っています。ともかく何だって、人事を尽くして天命を待つしかないんだから、グチャグチャ言うのも考えるのも悩むのも時間とエネルギーの無駄だから、やめておこう〜〜というのが、私の前提です。 わからないことは、わからないままにしておくしかない。否定もできないし肯定もできないから、否定もしないし肯定もしない。現実の世界で生きているんだから、現実的に生きていくしかない。だから、わからないことを言ってもしかたないのですが、臨死体験だろうが、霊体験だろうが、「現象」とか「出来事」ではなくて、脳という(まだまだ未知の)とてつもない(潜在)力をもった器官が意識に映し出す幻想であるという可能性も大きいですよね。 ほら、あの南方熊楠(みなかた・くまくす:1867-1941)という紀州が生んだ日本が誇る天才博物学者&民俗学者&粘菌学者は、博覧強記で語学も異常にできて規格はずれの凄まじい記憶力の持ち主だったそうですが、同時にすごい霊能力者というか、幻視者でもあったそうです。ものすっごくリアルに亡くなった両親とかが見えて、会話もしたそうです。お気に入りの女性芸人(存命中の)なんか、ほんとにリアルに目前に出てきて、ここではとうてい書けないような素敵なことを、南方熊楠さんにしてくださったそうです。で、そういうことは南方熊楠さんにとっては、フツーの当たり前のことだったので、南方熊楠さんは、恐怖にかられることもなく、狂気に陥ることもなく、耽溺することもなく、現象を受け入れていたそうです。さすが天才、瑣末なことにこだわりません。 南方熊楠さんのごとく、すさまじい記憶力の持ち主っていうのは、脳の機能がすさまじく活発ということだから、ある事物や人間を意識すると、すぐに脳が激しく稼動して、脳細胞に保存されていた記憶が超生々しく再生されて、あたかも現実にそこに存在するかのように感じられるのかもしれません。「面影をいだく」なんていう程度では、「想像力」のうちに入らないのでしょう。幻とか妄想とか夢想なんていう程度では、脳の筋肉が弱いのでしょう。すごい天才作家なんかだと、ほんとに目の前で主人公たちが動き語るのではないでしょうか?その声も体温も息遣いも、作家は感じることができるのではないでしょうか? 南方熊楠記念館は、桃山学院大学のセミナーハウスがある和歌山県白浜にあるので、私は何度も訪れたことがあります。展示物見ていると飽きないですよ。南方大博士(正規の大学教育は受けてないけど、実質的には大博士です)は、日本人にもっともっと広く知られるべき人なのになあ・・・今まで何度もゼミの学生と白浜に行ったことがありますが、学生さんは誰も、この天才の名前を知りませんでした。NHKの大河ドラマは、戦国武将なんかどうでもいいから、この明治時代も早くから世界を学問のために渡り歩いて、実家の資産を無茶苦茶に食い散らかした「鬼才天才変人奇人お坊ちゃま」の傑物をこそ、扱ってくれないでしょうか?あ、それと高場乱(たかば・おさむ)さんと頭山満(とうやま・みつる)さんも、よろしく。石原莞爾(いしはら・かんじ)とか昭和天皇も・・・って、またも何の話か。 ともかく、臨死のときは、きっと誰でも脳が天才状態になるのかもしれません。臨死の瞬間が楽しみだわん。そのとき、私は何を見るのか?そのときは、私も天才だ! しかし、まあ、ここで、その内容を書く気はありませんが、私にだって不思議な体験というのは、いくつかはありますので、死後の世界とか、霊とか、生まれ変わりとか、前世とか、そういうことを否定しません。脳による幻視説というか、記憶の再生説だけでは説明しきれないと思います。 しかし、そういうことに過剰な関心を持つことを、私は自分に誡めています。私たちがすべきことは、現実にどっぷり漬かることもなく、かつ現実から逃げることもなく、しかし、めいっぱい力を搾り出して、この現実を生き抜いていくことでありますから、死後の世界だの前世だのに関心を持っている暇は、ほんとのところは、ありません。生霊だろうが不成仏霊だろうが、精霊だろうが悪霊だろうが、霊なんかに構っている暇も、ありません。 メインは「この世」。「あの世」はデザートにもなりません。「前世」はすでに食っちゃったし。本末転倒になることは、警戒しなければなりません。本末転倒になるのは、現実感覚を失うからです。現実から逃げるから、そうなります。現実を受け入れるって、具体的にはどういう状態でしょうか。まずは自分の「生業」において有能であれるように努力することでしょうか。その過程で学んで得たものが、地に足のついた使える知識となり、力となり、自信となり、ひいては現実を受け入れることとなり、いかにたくさんのものが自分に与えられているかを理解することになるのでしょう。それしかないよなあ。 たとえばオウム真理教の信徒には高学歴のお医者さんとかもいましたが、医学や医療の現場で地道に根気よく働くことを通してでしか、あの人たちが救われる道はなかったのです。そこで忍耐強く粘ることでしか、ほんとうの自己確信を獲得できないのです。オカルトによる、あるいはカルトによる、現実における一発逆転、敗者復活、生活一新、二階級特進なんてあり得ません。現実の世界における勝利は、現実的な力の蓄積からしか生じません。宙に浮かんでもしかたない。チベットに行ってもしかたない。オカルト系有名人のセミナー行ってもしかたない。 「生業」は「正業」でもあります。「正業」は、まっとうにきちんと従事しないと勤まらないからこそ、「正業」と呼ばれます。現実から良識から遊離できないのが、「生業」&「正業」です。信仰だの神仏のことを考えるのが好きで口にも出すが、現実的には無能で怠惰で、何年たっても進歩のない人間よりも、神仏に無関心か無神論者であっても、実直地道な働き者で、少しずつできることを増やし進歩しようと志して実行している人間の方が、よっぽど神仏に近いのではないでしょうか。ああ・・・私って神仏から遠いわああ・・・ あ、ここで、「どんな生き方も、みなそれぞれに価値がある」なんて、いい子ぶりっ子の馬鹿優等生みたいな、賢しら(さかしら)で軽薄な突っ込みはしないでくださいね。「世界でたったひとつの花」とか何とか言って、味噌もクソもいっしょにしないでくださいね。ハワード・ロークもエルスワース・トゥーイーもいっしょにしないでくださいね。 みなそれぞれに価値があるなんてこと、あるはずない。貴賎はあります!いまどき、階層としての貴族だの大衆だのの問題を言っているのではありません。生き方の貴賎を言っています。それは、断じて存在します。時間はかかっても試行錯誤しながら人知れず奮闘し続けることは尊いのです。オカルトや超能力開発で、短距離で要領よくナントカしようとすることは卑しいのです。卑しいことより尊いことのほうが「上」です。はっきり「上」です。「あなたは、あなたのあるがままでいい。私は私のあるがままでいい」が通用するのは、かなりの水準の人間どうしの間だけです。凡人が、そんなこと言ってすましていたら、世界は無規範アノミー状態になるだけだよ。生き方における上下優劣の序列。階層はあるのです。それを認め受け入れるのは、まっとうなことです。 「卑怯者差別」「無責任者差別」「加害的変態者差別」「凶悪犯差別」「搾取寄生虫者差別」「怠け狡猾者差別」「巧言令色少なきかな仁の該当者差別」は、あるべき美徳です。「男らしくない奴」は徹底的に軽蔑していいのです。それこそ文明社会です。古い?硬い?時代遅れ?いいですよ〜〜古くて硬くて時代遅れで〜〜そんなこと言われたって、びくともしない。私は、自分自身が過激にも闊達に新しくて柔軟だって知っていますから〜〜私が心底感心するような「新しい発想の持ち主」なんて、今までのところ、私は会ったことないんだから〜〜若い子と話していても、「こいつオジンだな」と思うのが常ですから〜〜♪ ところで、教師って「生業」なのかな?今の日本の学校は一種のデイ・ケア・センターで、教師は介護士みたいなところあるから、きっと「生業」で「正業」。早々と脳萎縮しているらしい学生もいるもんな。はなはだ理不尽な類の同僚や学生さんたちや、大学運営に干渉して現場の仕事を無意味に増やしてくれる文部科学省の暇で無用な役人さんたちは、「生業」&「正業」に地道に務めるべく、人生を堅実に歩き続けるべく、私をお導きくださる、ありがたい天使であらせられます。 まあ、他人のことだから、どうでもいいんですが、生業&正業じゃないことで稼いで食っていくって怖いことだろうなって、同情するところは、ありますね。「ただより高いものはない」って、こういう事柄にも使える諺(ことわざ)じゃないでしょうか。「まっとうじゃないことで稼ぐと、結果としてろくなことになりません。支払う羽目になる犠牲が想定外に大きいです〜〜」という意味もこめられているのではないでしょうか。たとえば、「こういう本書いて稼いでいると、魔が入るぞ〜〜ろくなことにならないよ〜〜」と思われるような、薄っぺらで活字もやたら大きいような、いい加減なこと書かれている本って多いじゃないですか。特にオカルト系著者には、同じことばっかり書いて本を出している人も少なくありません。すでにこの点において、まともじゃない。魔が入っています。邪が入っています。 自慢にも何もなりませんが、私はガキの頃から占いも趣味で、小学生の頃から人相学や手相学の本は読み漁っていましたし、中学や高校時代は四柱推命の本が愛読書でした。ですから、大阪難波は道頓堀のビルの中にある「昭和の町テーマパーク」みたい一角で、出店している占い師さんが言うくらいのことは、私にも、だいたいは言えるのであります。「どれくらいかな?」と思って、試しに見てもらいましたが、「やっぱり、それくらいか」と確認。あのテーマパークの中は薄暗くて、有象無象の不成仏霊がうじゃうじゃいそうです。「気」が悪かったぞ〜〜いずれ火事でも起きるかもしれません。早く生業&正業に就きましょうよ〜〜でないと焼死するよ〜〜危ないよ〜〜と、あそこで占いをしていたおじさん&おねえさん&おにいさんの方々の身を案じ、その安全を祈った私。ラーメン。 ちなみに、私にとって「男前」とは「人相がいい男前」ということです。「人相がいい」という点だけで男を判断するほどには、私は、悟りの境地に達しておりません。すみません。最近の日本の芸能界には、私的意味での「男前」が、あまりいません。残念であります。「なんで、最近の日本の芸能界には男前がいないのですか?みんな品のない貧相なホスト風じゃありませんか?」と、6月に桃山学院大学最後の文学部主催講演会に講師としてお越しくださったエンタテインメント・ジャーナリストの麻生香太郎氏に、私は質問させていただきました。すると、麻生氏は、「今の日本の芸能界は、某事務所の力が非常に強くて、その事務所所属のタレントしか使えないのです。その事務所の社長の好みの男の子しかスターになれません」と、お答えになりました。なるほど。 しかし、その理由ばっかりではなさそうですね〜〜難波は松竹座の7月大歌舞伎で『女殺油地獄』で河内屋与兵衛を演じていたエビゾー(正式な漢字で表記しちゃ漢字に対して失礼である)は、まったく演目内容を理解していないうえに、台詞回しも学芸会で、所作も(演技ではなく)しょうもなく軽薄で、花道から楽屋にひっこむと、すぐに「うがい」しやがって、そのガラガラ、ウゲ〜〜という不快で耳障りな雑音を、客席にまで無神経にとどろかせておられました。ああいう心がけだから、楽屋の風呂場で転倒して足を切って降板となるはめになる。芝居をなめやがって。芝居終了後、私は「なんだ、あれで役者か?!」とブチブチ言っていたのですが、そのとき、いっしょに歌舞伎見物をしたインドネシアからの女子留学生が、こう言って私をなだめました。「あのヒト、まだ若いから〜〜Please give him time(気長に見てあげましょう)」って・・・エビゾー、うんと年下の歌舞伎初めて見た外国人の女の子にかばわれてんの、バッカみたい・・・って何の話か。 どんどん、話が逸れています。そうです、人間は、生業&正業につかないとまずいという話でした。そうでないと、やっぱり、いずれは、ろくなことにはならないのではないかという話でした。そういう意味での、貴賎はあるという話でした。いや、違う、もともとは、白内障手術の後に世界が天国のように光り輝いて見えたという話でした。 閑話休題。白内障の手術後に、世界が天国のように光り輝いて見えた状態は、残念ながら、私の場合は、術後1週間ぐらい続いただけでした。しかも、その輝く光景をたっぷり堪能することも、実はできなかったのです。なぜならば、眼の保護のために、戸外はもちろんのこと、室内でもサングラス着用を強いられましたし、就寝するときは、金属製の眼帯を術後の右目の上に絆創膏で貼りつけなければなりませんでしたから。うっかりと眼をこすったりすれば、雑菌が眼に入ります。目の中がウヨウヨ雑菌だらけになって充血します。 隙あらば、夫の厳しい監視の眼を潜り抜け、サングラスをはずして輝く世界を裸眼で見ようとたくらむ私に、夫は言いました。「サングラスすると、すっごく怜悧そうに見えるよ。香港から来た女スナイパーみたい。数人くらい殺していそう」と。さすが、大昔から、私の馬鹿さ加減を知っている人間です。どう言えば、私がサングラスを着用するか、よ〜〜くわかっています。女優ならば、私がやってみたい役は、ひとつだけです。スタンレー・キューブリック監督のアメリカ映画『フルメタル・ジャケット』(Full Metal Jacket:1987)に出てくるベトコンの女スナイパーの役です。カッコいいうえに台詞がひとつしかないです。たったひとりでアメリカ兵をさんざん撃ちまくったすえに、反撃されて、最後にKill me.と悪態ついて、止め(とどめ)をさされるゲリラの女の子の役です。 この「香港から来た女スナイパーみたい」という言葉は、私に効きました。とても効きました。むふふ・・・気分は、1980年代の香港ノワール『男たちの挽歌』です。原題は『本色英雄』。意味不明。泉北高島屋で10パーセントoffの価格で購入したドルチェ&ガッバーナのサングラスを、ちゃんとずっと私はかけました。1日4回4種類の点眼液に1日3回3種類のカプセルも忘れずに、術後1週間の洗髪、洗顔、入浴禁止、夜更かし禁止など、もろもろを一応(抜け穴は何にでもある)は守りました。そのおかげで、経過も良好、無事に術後の目を刺激から守ることができました。 さて、今や、私は、先端的医療技術を持つ、手術数を誇るお医者さんのおかげで、本も読める状態になりました。右目にかすかな違和感はありますし、長時間眼を使用すると軽い頭痛を感じるようになったのは、これは、もうしかたないです。造花は、いくらよくできた造花でも自然の花には敵い(かない)ません。みなさん、だから、目は、くれぐれも大事にしてくださいね。 秋学期は、学生さんの顔と名前をばっちり一致させることができるでしょう。私語の多い学生さんを名指しで罵倒もできるでしょう。「もっと学生の気持ちを気遣って欲しい」なんて、病人でも老人でも乳幼児でもないくせに、ふざけてふやけた女々しく腐った苦情を出す類の馬鹿の顔を確認し、「若いうちから人相悪い〜〜」と心の中で蹴り上げることもできるでしょう。今年度の1年生は、「ゆとり教育」の最初の犠牲者世代のせいか、今まで会ったこともないようなスペシャルなnuts(日本語で言えば頭がドングリ)が多いです。プライドは18歳で、思考は「そのへんの小学生」だもん。悪口じゃないもん。事実だもん。気持ち悪いもん。「ゆとり教育」って何年続いたの?この年数分の世代の日本人はlost generationだね。追跡調査したほうがいいよ、後学のために。歴史的愚考を繰り返さないために。 しかし、今回の手術初体験において不思議だったのは、お医者さんが、手術のときは、フツーの診断中の態度とはうって変わって、非常にハイであらせられたことです。確かに、あのとき、嬉々としておられました。手術をするのが、すっごく嬉しい〜〜楽しい〜〜みたいな陽気な空気を体中から発散なさっておられました。 私は、常日頃から、「ぶっこわれたカラダなんかいじくって、何が面白いのか?」と、お医者さんなる人々の嗜好に、不埒な疑問を抱いておりました。しかし、今回の手術の件で、医学の発展と健康保険制度には感謝しました(あ、アメリカの医療保険制度批判映画マイケル・ムーア監督の『シッコ』見たいな)。同時に、以下のこともわかりました。少なくとも、手術をする分野のお医者さんは、手術そのもの、その手作業そのものがお好きみたいです・・・人体だろうがナンだろうが、切ったり縫ったり、そのものが、お好きなようです・・・ あの「芸術は爆発だ!」の前衛芸術家の岡本太郎のお母さんの岡本かの子(1889-1939)さんは、戦前活躍した作家で、まったく美人ではなかったけれども、魅力的な女性だったそうで、美男の誉れ高い売れっ子風刺漫画家岡本一平氏と結婚しました。岡本一平さんは姉妹が粋な美人ぞろいだったので、野暮なブスが新鮮だったそうです。その後、かの子さんは、痔で入院したときの担当医の若い外科医さんと恋に落ちました。で、ご主人に懇願して、夫と恋人と息子と、まとめてみんなで仲良く同居したそうです。やっぱり、天才の家系の方々は、瑣末なことにこだわりません。 外科医さんの前には早稲田大学の学生さんとも、みんないっしょの同居をしました。岡本太郎さんの弟さんとか妹さんのお父さんは、実はこの学生さんであったそうですが、みな乳児の頃に死んでいます。執筆に夢中のお母さんに、間違えてよく踏みつけられ、蹴り飛ばされからだそうです。この学生さんは肺結核で24歳で夭逝(ようせい)しておられます。遺伝子が天才一家の破天荒さについていけない質のものだったのでしょう。この情報のネタ元であるところの瀬戸内晴美(寂聴)さん著の『かの子繚乱』を読んだのは、大学時代ですから、細かなところは忘れてしまいました。ただ、いまだに私の記憶に残っているのが、かの子さんの恋人の若き外科医さんは、手術がないときは、手先が寂しくて、手先の器用さを維持するために、ミシンを駆使して、かの子のために、洋服を縫って作ってあげていたという記述です。なんだ、それ? そうだ、NHK大河ドラマに希望する伝記ドラマ化候補者リストに、岡本かの子さんも入れておこう。 |