アキラのランド節

韓国の大学に行って思ったこと(前編) [11/13/2007]


おひさしぶりです。みなさま、お元気ですか。秋もやっと深まってきました。高温多湿な夏が苦手な私にとっては、毎日が天国であります。枯葉が風の中で舞っているのを見るだけでも幸福感があります。世間にはいろいろ起きているらしいのですが、私は新聞も読まないし、雑誌も読まないし、テレビも見ないので、心は安らかです。これって現実逃避かなあ?でも関心がないんだから、しかたないよ。

このランド節も、自分が、ほんとうに書きたいときだけ書くというスタンスです。すみません。ウエッブ世界には、ネット世界には、あれだけ「おしゃべり」が充満しています。そこにわざわざ私の無駄口まで、頻繁に加えることはないです。きっぱり。怒涛の労働の日々ですからね、ほんとに書きたいことしか書きません!

11月5日月曜日から9日金曜日まで韓国にいました。勤務先の桃山学院大学は、韓国は釜山(ブサン)市から車で2時間あたりに位置する大邸(テグ)市の啓明大学校(Keimyung University)と提携しています。韓国では、日本でいう大学が「大学校」であり、日本の大学で学部と呼ぶものを「大学」と呼びます。「学」の字は、韓国では旧漢字の「学」です。もっと立派でややこしい「学」の字です。今使用中のパソコンでは、この字が出せません。すみません。

なんでこんな大きい大学とうちの大学が「縁組」できたの〜〜?と思わせるほど、啓明大学校は立派な総合大学です。キリスト教はプロテスタント系の私立大学です。医学部もあります。キャンパスが3つあって、学生数は25000名です。教授陣は700名で、非常勤講師だけで1000名以上います。大きな森と丘を切り開いたキャンパスは、あくまでも広く美しく瀟洒で上品です。遠くにチャペルの尖塔が見えます。桃山は、学生数は7000名ぐらいで、教員数は150名ぐらいで、理科系学部はありません。どう見ても、啓明大学校のほうが大学としては格が上です。

桃山は、世界20カ国にある提携大学からの留学生に奨学金を出して、積極的に受け入れております。月に8万円とか4万円とか。この啓明大学校からの留学生に関しては、特別に(なんで特別か知りませんが)月に12万円の奨学金を出しています。条件がいいですから、とても優秀な学生さんが桃山に留学に来ます。きちんと挨拶してくれるなあ、礼儀正しいなあ、いまどき珍しい学生だなあ・・・と思うと、その学生さんは、だいたいが韓国からの留学生ということが多いです。また、とびきりの美女が多いです。ほんと。

ちなみに中国からの留学生は、つるんで集団で傍若無人でパワフルです。ヨーロッパからの留学生は、つるんでいても静かですね〜〜日本人学生なみに、活力もなく漂っているみたいなのが多いです。先進国の若者って、ハングリーじゃないから、どうしてもそうなる傾向があるのかな。でも、オーストラリアからの留学生は、そこそこ活力ある。あと東欧からの留学生はいいですね。知的好奇心が旺盛です。アジアにほんとうに関心ある。DNAに親アジア要素が刻まれているんかしらん。

閑話休題。この啓明大学校の「産業経営研究所」(The Research Institute for Business and Entrepreneurship)と、桃山学院大学の「総合研究所」は、1982年以来毎年、たがいの国でかわりばんこに、「国際学術セミナー」というものを開いてきました。韓国側から2名、日本側から2名の研究発表をして議論しあう会です。聴衆は学生や教師やいろいろです。その発表にはコメンテイターがつきます。もちろん、互いの発表には通訳がつきますし、発表原稿は前もって翻訳されて、セミナー会場で配布される冊子に掲載されています。

その2007年第28回目のセミナーの発表希望者がいないから、あんたやりなさい、日本のアニメの話でもしなさい、という指令が上司から来たので、じゃあやろうかと、私は発表することになりました。私は、天性怠惰です。進取の気性に欠けます。アホです。だからこそ、私は来る仕事は拒みません。特に関心がないテーマでも、発表報告仕事や原稿の仕事は断りません。自発的に何かする能力に欠けていますから、外部から要請があることに応じて、何かするという形で、無理に自分に勉強させます。そうやって、自分の引き出しを増やし、体験を増やしてきました。ハワード・ロークならぬ凡人は、こういう形式で自分の潜在能力を搾り出していかねばなりません。

「来るもの拒まず」でいると、多忙になりすぎるかも・・・という危惧は、私の場合にはないです。仕事を回しあうネットワーク形成ができるような学歴は私にはありませんし、人脈作りコネ開拓に熱心でもないし、なによりも「売れっ子」になる才能もありませんから、来る仕事の量は、前提として多くなりようがありません。ですから、来る仕事は断らないというスタンスでも、大丈夫なのでありますよ。

この「国際学術セミナー」というのは、1982年に始まったことから見ても、最初は、日本の目覚しい経済成長から学ぶというスタンスでスタートしました。80年代から90年代にかけては、韓国で開催する場合は、日本人研究者の話、特に日本経済に関する話を聴こうと、広い会場に聴衆がギッシリ集まるような大盛況ぶりだったそうです。でも、しだいに聴衆は減っていき、今では、日本で開催する場合のほうが、聴衆がうんと集まる状況なんだそうです。韓流ブーム以降は、特に。

ですから、はっきり言って、今回の「国際学術セミナー」にも、韓国側には、なんとなく、今まで続けてきたからやっている・・・という感じの温度の低さがありました。今の韓国の本音は、「もう、日本のことはいいよ・・・」という感じではないかなあ。

それでも、韓国側の担当の先生方は、そんな本音はおくびにも出さずに、ほんとうによくしてくださいました。ありがとうございました。研究所の先生方は、いつもの仕事の上に、日本からのお客さんの接待をしなければなりませんから、さぞかし、大変だったでしょう。申し訳ありませんでした。

啓明大学では、大学の授業は50分で、午前8時から始まります。午後10時くらいまで講義が開かれます。ですから、夜でもキャンパスは煌々と明るく、学生はあちこちにいます。私たちが宿泊していた大学のゲストハウスの中のラウンジには、パソコンが10台くらい置いてあるのですが、夜間は、そのPC席は学生さんでいっぱいで、私が使用したくてもできませんでした。携帯電話で話しながら、キーボードをチャカチャカ操作するという実に器用なことをしていましたね〜〜みな。

午前8時開始の講義が早い?いいえ、午前8時からでも、早すぎません。自宅が遠い学生は寮で寝泊りしていますから、大丈夫です。出席できます。通勤に90分以上かかるような学生は寮生活でないと、大学生活は、ほんとは無理でありますよ。ほんとうに、勉強するつもりならばね。午前9時20分からの授業でさえ、早すぎるといって遅刻する学生が多いのが日本の大学ですが、まあ、寮も完備していない大学なんて、ほんとは大学じゃないよなあ・・・

さすが総長には授業の義務はありませんが、副学長や学部長には、50分クラスふたつの授業義務があります。管理職とかの役職者でなければ、最低50分12のクラス担当の義務があります。会議や委員会仕事も、日本の大学と同じく多いです。そこに外国からの客人の接待仕事が入れば、実に迷惑ですね。すみません。

私たち桃山組4人は、啓明大学の方々の礼儀正しい御接待とお気遣いに大いに恐縮し感謝しました。いたれり、つくせりでした。そのhospitalityは徹底的でしたね。韓国の大学の組織力、大学人の優秀さなどが強く印象づけられました。隣国への敬意を深く感じて帰ってきた、初めての韓国への旅でした。と同時に、「これだけ大学人が優秀でいなければならない国の厳しさ」も、少しだけですが、感じることができた旅でした。

今日のランド節は、この「国際学術セミナー」のことではなくて、私が垣間見た「韓国の大学人」について、書きます。

まず、びっくりしたのは、韓国の大学人が、とても語学に堪能だ!ということです。

韓国の大学内ならば、ハングル語できなくても、英語さえできれば大丈夫です。少なくとも教師は、最低限、みな英語は話せます。英語以外に、別の外国語ひとつがOKというのが平均のようです。「どの分野」の先生でも英語を話します。なんでかというと、20年近く前に、韓国の大学では、「英語で授業ができない人間は採用しない」と決まったからだそうです。いまどきの話ではなく、20年近く前ですよ・・・

だからといって、すべてのクラスが英語で講義されているわけではないのですが、ともかくそういうことになっています。ですから、教授陣は、だいたいがアメリカの大学でPh.D.を取得した人ばかりです。イギリスとかカナダとか他の欧米諸国での学位取得者もいるでしょうが、だいたいがアメリカだそうです。

この「国際学術セミナー」において日韓の語学教育の実態と展望について発表し、韓国に9ヶ月ほど滞在してリサーチしていたこともある同僚からの情報によりますと、韓国は、「日本に例えれば、東京はあるが、横浜も大阪も名古屋もなくて、東京の次には仙台しかない極端な一極集中国家&中央集権国家」なんだそうです。人口の40パーセントが首都のソウルに集中しているそうです。「ソウル行かないと韓国の活力はわからない」というのが、英語もハングル語も堪能な彼女の弁であります。

今回は、私たちはソウルには行きませんでした。しかし、その同僚は言います。リドリー・スコット監督の近未来SF映画の傑作The Brade Runner(1981)の世界を髣髴(ほうふつ)とさせるような街が、現在のソウルなのだと。それならば、私は絶対にソウルに行かねばなりません!歌舞伎町の比ではないそうですよ、そのキッチュぶりは。The Terminator(1984)と同じく、The Brade Runnerを、私はこよなく愛しております!

ところで、韓国のまさに中心地、一流大学が集中するソウルの大学の中でもトップのソウル大学の博士号でさえ、韓国の大学では神通力が、あまりないそうです。ともかくアメリカの博士号でないと駄目だそうです(ただし、日本語学とか日本文学とか日本史とかは別ですよ、当然)。事務職員でも、課長クラス以上は、博士号所持が普通だそうです。なんという学歴社会。なんという学位尊重。なんという大学序列社会。

というわけで、啓明大学の大学人も、自分の子どもたちを地元のテグ市ではなく、ソウル市内の大学に進学させて、その後は、アメリカの大学の大学院に進学させるのが普通だそうです。韓国の中心地のソウルの地方蔑視は、東京の地方蔑視とは比較にならないほどに露骨だそうですよ〜〜

なかには、高校から息子さんとお嬢さんをアメリカに送り、大学院まで進学させた先生もおられます。息子さんもお嬢さんもアメリカで就職し、結婚し、家庭を構え、韓国には帰ってこないそうです。その先生は、1年に1度アメリカを訪れ、英語でお子さん方やお孫さんとお話をなさるそうです。「別にいいの。僕は息子嫌いだから。もうひとり娘がいて、彼女は韓国にいるから」と、その方は、お話しておられました。この方は、英語のほかに、日本語を聴き取ることができます。

「産業経営研究所」(The Research Institute for Business and Entrepreneurship)所長の教授も、お嬢さんがニューヨークはマンハッタンのジュリアード音楽院に留学中だそうです。すごいなあ〜〜

ご自分の奥さんが、留学中のお子さんの世話のために韓国にいない先生も多く、みなさんは家事から何から自分でこなして、お金をセッセとアメリカの妻子に送っていらっしゃるそうです。それができるだけの経済力と体力と精神力と生活力があるということですね、韓国の大学人には。日本の大学の給料に比較すると、サラリーがいいみたいだな、韓国の大学人は。また、そうやって気楽に妻子をアメリカに送っても大丈夫なような、Korean communityがアメリカにはしっかりとあるようです。アメリカ国内には、そういう韓国人ネットワークが張り巡らされているようです。ロスアンジェルスのリトル東京は寂れるばかりなのに。

アメリカの大学に留学している桃山の学生さんからのメイルによると、彼が留学している大学のそばには、大きなKorean communityがふたつもあるそうです。彼が仲良くなった韓国人女性の夢は、子どもにアメリカの有名大学を卒業させて、アメリカの大企業に就職させることだそうです。それが、その女性のAmerican Dreamなのだそうです。つまり、この女性は、そのお子さんともども、韓国には帰る気はないということですね〜〜

ちなみに、大学人のみならず、韓国では、妻子をアメリカに留学させて、セッセと働いて送金している父親が多いそうです。韓国の政治家たちも、企業家も、子弟はアメリカに留学させている例が多いようです。

「なにが、韓国の父親をそこまでの厳しい状況に耐えさせるのですか?子どもへの愛情ですか?韓国とかアジアの未来への危機感ですか?」と私は質問してみましたが、質問された教授は、「息子や娘のためです」ときっぱりとお答えになりました。

ふ〜〜ん・・・このあたりの家族愛や家族への責任感は、存在感が薄くて、子どもを叱ることもできないみたいな昨今の日本の父親とは、かなり趣が違います。そこまで韓国の男性が、父として夫としての責任を全うしようとするのは、なるほど、家族愛の強さのせいであり、かつ男としての矜持のせいではありましょう。しかし、つまりは、家族とか親族ネットワーク以外は信用できない現実があるからではないでしょうか?

大方の人間は、楽な環境ならば、どこまでも甘えてだらしなくなるものであります。日本のように、「男」やっていなくても食ってゆけるのならば、男は「男」になんかならない。だいたいが、人間の基本形は「女」なんだからさ。「男」は自然からちょっと離れている。「男であること」は、人工的な文化的な存在様式だもん。「男」やっているのは、大変だもん。だから、男が「男」やっている社会は、男が「男」やるしかない厳しい社会なんだろう・・・

あ、これは中産階級からの男性に関する話ですからね。下層階級の男は、アジアだろうが、欧米だろうが、アフリカだろうが、いつの時代だろうが、女房とか女に食わせてもらうのが慣習でありますよ。少なくとも、女房に支えてもらうことが圧倒的に大きいと思います。「じゃりん子チエ」のオヤジさんみたいなもんですね。井筒和幸監督の傑作『岸和田少年愚連隊』の主人公のリイチのオヤジさんとおじいちゃんみたいなもんですね。

そのかわりに、下層階級の男は、セクシーなんだと思います。「可愛げがある」のだと思います。だって、セクシーでないと、可愛いげがないと、女が「この男のひとりぐらい私が食べさせてあげる!」と思えないでしょーが。まあ、そのあたりは、よくわかりませんが。私には、男を食わせてやるほどの気概や気風(きっぷ)はないからなあ・・・ついつい最近は亭主にたかること多いしなあ・・・年とって、私は、ますます、ハンパな中産階級の根性のない甲斐性のない女になりつつあります・・・別に反省もしませんが・・・

以下は、後編に書きます。