アキラのランド節

見捨てよう [12/09/2007]


今日のランド節は短いです。

最近、医療機関で患者が看護士さんとか訓練士さんとか職員さんに暴言を吐いたり、暴力をふるうことが増えているんだそうです。こういうのを、Monster patiensというんだそうです。原因は「医療不信」だそうです。

最近、学校で教師や職員に暴言を吐いたり、暴力をふるう親(子どもじゃない)が増えているんだそうですね。原因は「学校不信」だそうです。

こういう患者とか親って、不思議だ。不信があるのならば、近寄っていかなければいいではないの。他人を信用していなければ、自分で何とかするしかないのだから、他人に「ああせい、こうせい」と、ガチャガチャ言っている暇とかないんじゃないの。暴力なんかふるっているだけ時間とエネルギーの無駄なんじゃないの。信じていないのならば、積極的に関わりを持たないんじゃないの。

つまり、こういう患者とか親っていうのは、医療機関や学校を愚弄しているようだけれども、実は医療機関や学校に対して、すっごく依存している。無自覚ながら、ものすっごく期待している。「相手して、相手して!」と甘えている。それも、医者とかトップの責任者じゃなくて、末端の職員にね。

こういう事件は、ちょっと前まではなかった。メディアが医療機関とか学校批判をしなかった時代には、こういう人々は、医者や看護師さんや教師に卑屈にふるまって、顔色をみていた連中だったのだろう。医療機関や学校が、メディアからいろいろ責められて、そこに働く人々にサーヴィス労働が要求されるようになって、サーヴィスが向上してから、つまり医療機関や学校が、患者や親とか学生に、厳しいことをはっきり言えないようなムードになったから、急に居丈高になってギャアギャア騒ぎだした連中なのだ。自分の相手をしてくれるであろう場所に行って騒いでいるだけであって、自分の正当な権利を行使すべく、あえて事挙げするという人々ではないのだ。

気が小さい卑しい連中だな・・・愚民だな。

まあ、こういう人間は、必ず生まれてしまうので、こういう人間の発生事態はとめることができないから、暴力沙汰になったら、警察に連絡するなり、警備員に取り押さえてもらったりするしかないのだけれども、まずは、もう、はっきり認めましょうよ。現実を直視しましょうよ。「世の中には、見捨てるしかない人間がいる」っていう事実を。「誰も、そういう人間を助けることはできない。その人間本人しか助けられない。本人に自分を助ける気がないのならば、成人しても、その能力がないのならば、もう放置しておくしかない」ということを。

医療機関にしろ学校にしろ、きちんと冷静に苦情を申し出てくる相手には、きちんと対処しないくせに、こういう対処する必要もない凶暴な亜人間には、なすがままに翻弄されているのは、どうしてかなあ?そういう姿勢だから、亜人間に、見透かされるんだよなあ。

やるべきことをやっていないから、腰砕けになるんだよ。「やるべきこと」のなかに、「凶暴な亜人間のお相手」なんか含まれていない。「きちんと保険料も払って、普通の礼儀と敬意を持って、適切な医療を求める人々への普通の礼儀と敬意をともなった医療行為」だけ、してくださればいいですから。「子どもの苛めに対処してくれ、苛める側にペナルティを課してくれと要求する、ちゃんと子どもの給食費を払っているし、税金も払っているまともな親」だけ相手にしてくださればいいですから。

普通の礼儀と敬意を払わずに、ギャアギャア騒ぐ暴言人間ならば、黙って確信犯的に見捨てて、「患者」をやめてもらうしかない。「生徒の父母」をやめてもらうしかない。転院先や(子どもの)転校先がなくたって、しかたないよ。

まあ、そういう親のもとに生まれた子どもで、見込みのある子どもならば親元逃げ出すし、見込みのない子どもは虐待されて殺されるんだろう。しかたないよ。

暴力ふるうのならば、警察に通報するしかない。この国の法律は、「自己防衛の暴力」の行使を認めるのに、ものすっごくケチだから、私たちは自衛手段を奪われているから、警察呼ぶしかない。その場合、警察が手荒なことをしても、「そこまですることは・・・」なんて、「いい子ぶりっ子」しないことだよね。その場で起きる暴力に対して、「対話」だの「話し合い」だの言っている余裕はないのだから、そこで仮に警察の発砲がおきても、グチャグチャ言わないことだよね。暴力ふるう奴は射殺されるがままに捨て置きましょう。当座の暴力は暴力によってしか、とめることはできないよ。

見捨てるなんて、かわいそう?うん、かわいそうだよね〜〜あわれよね〜〜〜♪そう思うあなたは、全身全霊かけて、そういう連中を更正させたいと思ってんの?更正できると信じているの?覚悟あるの?ないならば、見捨てよう。かわいそうでも見捨てよう。それ以外、あなたに何ができるの?何もする気もない人間が、何もできない人間が、安全地帯で「かわいそう〜〜」なんて、いい子ぶりっこしてんじゃないよ。自分の持ち場の責任はたして、人様に迷惑かけないように生きるだけで、まっとうな人間は、手いっぱいなの!

そういえば、NHKの『クローズアップ現代』っていう番組を夕食とりながら見ていたら、「定年後に、フィリピンとかにある、日本語サーヴィスつきの生涯介護付ケアハウスの入居金を払って、物価も安くて老後も安心だと思って、日本の自宅を処分して来てみたら・・・綺麗な浜辺ではないゴミだらけの汚い浜辺沿いのアパートメントで・・・騙されていたとわかった」という中高年対象の詐欺事件を紹介していた。

もと国立大学の先生が、出版社にすすめられて、「日本中の有名書店にならぶ」という触れ込みに惹かれて、139万円出して、500冊刷ったのに、書店に並べられていないことでがっかりしているという、「詐欺事件」も紹介されていた。その番組は、こういう高齢者相手の「詐欺事件」はどんどん増えているそうで、どうにかしましょう〜〜という内容のものだった。

びっくりした。NHKって、頭がおかしくなったのかな?前からおかしいの?これ「詐欺事件」?どこが詐欺?

「日本語サーヴィスつきの生涯介護付(美しい浜辺沿いのゴルフ三昧)ケアハウス」が、なんで2800万円くらいで手にはいるの?そんな虫のいい厚かましい甘い話は世界中探しても、ないでしょ〜〜が。それに、いくら人件費が安くても、フィリピンやタイの若い人々が、なんで日本語勉強して、日本人の老人の介護するの?そんな、面白くもなんともないことを誰がやるよ?500部刷ったぐらいで、なんで全国の有名書店に並ぶの?出版事情に全く無知なはずはないのに、もと国立大学の先生ならば。どーゆう国立大学の先生?

その番組にコメンテイターとして出演していた男性のコラムニストが、「よほど苦労してこなかったんでしょうね。ラクに生きてきた方々なんでしょうね」と、「詐欺の被害者」に対するまっとうなコメントをしたら、女性アナウンサーがあわてて、話題を変えていた。あ、そうか。あの番組は、「詐欺とも呼べないような他愛ないことで被害者ぶっている馬鹿がいますから、みなさん真似しないようにね〜〜」と視聴者に知らしめていたのね。ありがとうございます、NHKさん。気をつけます。

別の話題。めったに読まない新聞を流し読みしていて、「ふう〜〜ん、で?」と、口に出してつっこんでしまった記事がありました。

引きこもりの人々が高齢化してきたんだそうです。40代だそうです。引きこもりの子どもを面倒見ている親も高齢化してきたそうです。当然。そのために、親が、経済的にもうやっていられないと高齢化した引きこもりの子どもに文句を言ったりして、その高齢化した引きこもりの子どもが切れ、親を殺害する事件が起きているそうです。親が死んで、経済的にやってゆけなくて衰弱して孤独死する高齢化した引きこもりの人々も出ているそうです。だから、高齢化した引きこもりの人々への救済を急がないといけないんだそうです。その救済策を論議しあうシンポジウムが盛況だった、という記事であります。

引きこもりの人々って、確かに、私も病気だと思う。脳の病気だと思う。だって、親の人生をそうも長々とつぶしていて平気という神経は、病気に決まっている。大宮殿でもあるまいし、庶民の狭い住居の中に閉じこもっていて平気という神経は、病気にきまっている。引きこもりっていうのは、「人間じゃなくて、ペットとして生きて行きたい」と欲望している人々なんでしょう?絶対に精神病だよ、それは。

「ペット」は、飼い主の手厚いケアがあってこそ、「ペット」やっていられる。「ペット」の存在様式は、すべて飼い主次第。「ペット」ってさあ、ひどい食糧危機にでもなったら、すぐに食われるよな。運動不足だから、家畜の肉よりは、うんとまずいだろうけれども。「ペット」ってさあ、飼い主の生活が不如意になったら、すぐに捨てられるよな。その「存在論的絶対的哀れさ」によって飼い主の支配欲を満たすことによって、ペットは、情をかけられ、世話され、食わせてもらう。奴隷は働くし、働くという能力があるから、叛乱する可能性があるけれども、「ペット」には働く能力も、叛乱する能力もない。もう、絶対的にかわいそう〜〜で哀れな存在が、「ペット」です。「ペット」とは、奴隷以下の生き物であります。

でも、「引きこもりでいたい人々」は「ペット」ですらない。自分の飼い主を慰めることすらしなくて、搾取寄生するばかりだもん。こういう状態を延々とやっていられる人間というのは、そりゃ病人ですよ。

こういう脳の病気って、治せるの?今の医療水準では治せない病気は、どうするの?麻薬を投与して苦痛を緩和して、隔離病棟でうすらぼんやりウツラウツラしたまま死ぬまで過ごしてもらうしかない。だから、不治の病にかかった高齢化した引きこもりの人々に対して、行政に、この種のターミナルケアをさせようということなのならば、わかるけれども、なんか、そのまんま、自宅で飼い主のいない「ペット(じみたmonster)」でいられる状態を維持して強化してさしあげたいみたいですね、そのシンポジウムを企画した方々は。

人間だって動物です。自然の摂理の中で生きて死んでいく人間です。弱くて愚かなままで済ませて平気な、生きることをなめている無用心な人間ならば、滅んでゆくしかない。それが自然の摂理です。自然の摂理は厳しくて避けがたいものなので、人間は、弱くたって懸命に生きていくべく、知恵を働かせました。愚かでもなんとかもうちょっと賢くなろうと試行錯誤してきました。そうやって、人間は進歩してきました。

この「高齢化した引きこもり人間救済」が法制化されて、「うまく」機能したら、生き物のなかでも最もあわれでみっともない「ペット」よりも、わけのわからんmonsterになっても、それも税金で面倒見ます、ということになるわけです。

凄いなあ・・・そうなると、日本って、自然の摂理を克服できた人類最初の国家になるわけですね〜〜♪めでたいですね〜〜♪生まれてから死ぬまで、なんの葛藤も不如意も克己もしなくてすむような、自分が生きるためにしなければならない労働だの活動だのを、すべて、親とか国家とかの他人にしてもらって、まだ不満げにじゃれているような「ペット」以下のなにか気持ちの悪い生き物monsterを、「ゆりかごから墓場まで」面倒見る天国に、日本がなるんですね〜〜うわああ・・・どんだけ〜〜♪

日本は、自然の摂理を超えた素晴らしい新世界をこの世に立ち上げつつあるのでしょうか?弱くて愚かなままですませて平気で、結果的に強烈搾取的な寄生虫になっているmonsterに、あくまでも優しい世界を作ろうとしつつあるのでしょうか?

そういう社会に、私は住みたくないね。だって、私は人間だもん。

人間の生が退屈しなくて面白いのは、この「弱くて愚かなままですませて平気な、生きることをなめている無用心な人間ならば滅ぶ、という自然の摂理」があるからですよ。この自然の摂理にはまらないように生きていくのが、スリリングなんだから。「ここまで馬鹿やるとやばいな」と考えたり抑止したり、「ちょっと3ミリくらい強くなったな」とか発見するのが面白いんだから。人間の尊厳って、そういうところにあると思うけど。

生き物が自然の摂理に反したら、衰退&滅亡は目前。みなさま、見捨てましょう。生き物の摂理に反して、「弱くて愚かなままですませて平気で、結果的に強烈搾取的な寄生虫になっているmonster」は見捨てるしかないのです。他に手はありません。見捨てよう。