アキラのランド節

日本人学生たち [03/27/2008]


前のランド節で、留学生たちのことをもっと書くと予告しましたが、今日は日本人学生さんのこと書きます。

(1)「桃山ロリータ」の場合

ランド節2006年9月29日号に紹介した「桃山ロリータ」は、今春めでたく卒業しました。卒業式の彼女は、頭のてっぺんから足のつま先まで、ピンクのロリータ・ファッション全開でした。卒業式後に体育館で開かれる卒業祝賀立食パーティの中で、宝塚歌劇団の附属学校みたいな袴姿が圧倒的に多い女子学生の中で、彼女のフリフリヒラヒラは目立っておりました。

私は、今でこそ、50歳過ぎてこそ、ド派手な真っ赤なドレスも臆さずに着ることができるようになりましたが、この「桃山ロリータ」は他人の眼など関係なく、「私は着たいものを着る!」という確信と自己肯定を、幼いときから保持してきました。私が、彼女と同世代であったのならば、とうてい彼女の相手などできなかったでしょう。その堂々とした姿勢には、若いながら風格さえ漂っています。

女の子というのは男の子と違って、ごく幼いときから安定感があります。一国一城の主(あるじ)といいますか、最初から人格を持った「女性」です。生き物としての完成度が高いです。ですから、私は、女子学生に対しては、対等のオトナの女どうしのお付き合いをします。

しかし、だからこそ、女の子は、たまたま頭が悪かったりすると、育ちが悪かったりすると、安定しすぎて、世界内存在にとどまり、抽象性や飛翔性のない、若くして「思い込みが強くて頑固で視野が狭いが、根拠のない自信だけはある、やたら計算高いオバサン」になりがちです。この種の女の子は、口は達者で愛嬌だけはありますから、間抜けな男性大学教員をだまくらかして、AO入試で入学してきたりします。

こういう「若い自信たっぷりのオバサン」みたいな女子学生がゼミに混じると、うっとうしいですよ〜〜同じゼミの、永遠にオバサンにはならないタイプの品のいい、観念的なこと考えることができるだけの知的な育ちのいい美人学生なんかを苛めたりします。

教師(つまり、私だけど)が、つい自然に素直に当然のごとく、こういう美人学生を可愛がったりすると、機嫌が悪くなります。だって、しかたないよ、私は教師だもん。趣味悪くないもん。すれっからしの「チーママ」みたいな子より、大学生らしい子のほうが可愛いよ。厚化粧より、素顔のまんま綺麗な子の方が、可愛いよ。文句ある?

でも、「桃山ロリータ」は、この種の「若い自信たっぷりのオバサン」ではないです。小賢しくなく、賢いです。小利口でなく、聡明です。無駄口たたかず、コミュニケーション能力に秀でています。そういう点も、立派な女性です。

「桃山ロリータ」は「成績優秀者」のひとりとして、表彰されました。桃山学院大学では、卒業式が始まる前に、チャペルで「成績優秀者」を表彰します。「成績優秀者」は各学部から3名ずつ選ばれまずが、「桃山ロリータ」は文学部選抜3名の「成績優秀者」のひとりだったのです。

私はびっくりしました。だって、彼女は、いつも好きなアーティスト(歌手って言うと怒られます)のコンサートの追っかけに忙しくて、ロリータ衣装一式ガーメントケースに入れて、東奔西走することが多くて、けっこう授業も休みがちでしたから。なんか彼女の好きなアーティストが、ロリータ・ファッションの偏愛者なんだそうで。

私は、「単位は大丈夫かいな」と心配していましたが、無用なことでした。彼女は、ふわふわ浮遊しつつも、同時に足を地に着けてもいたのです。確実に単位は取り、テキトーにかたはしからAを取りつつ、「ロリータ道」を邁進(まいしん)し、かつ就職活動もこなしていたのです。一応、大手保険会社に就職するそうです。やはり、大会社の人事担当の方々は、見るべきところを見ています。

「日本ロリータであること」を楽しむ美意識豊かな「地頭の良さ」(ジトウじゃないですよ、じあたま)と、学校などでテキトーにノルマをこなしてゆく「お勉強頭の良さ」のふたつを持っているのですから、彼女は無敵です。ビジネスや現実的社会では、どちらも必要です。彼女は、世界がどうなっても、きちんとサヴァイバルできます。実にあっぱれです。息子がいたら、嫁に来てもらいたいですわ、ほんと。

パーティ会場で、彼女は、ピンクや赤色のフエルトとビーズで作った可愛らしい甘い雰囲気の携帯電話ストラップを、私にプレゼントしてくれました。彼女お手製のストラップです。「桃山ロリータ」、ありがとうね〜〜大阪アメリカ村探訪は面白かったよ〜〜大事に使わせていただきますね。

(2)「元だんじり」の場合

私がちょっとの間だけ、英語の特訓をした経営学部の男子学生さんがいます。だんじり祭りで知られる岸和田市在住で、高校の2年生の秋までは熱心な「だんじり少年」でしたが、その後、「考えるところがあって」、だんじりに関与するのはやめたそうなので、「元だんじり」と呼ぶことにします。この「元だんじり」も、めでたく卒業しました。

彼は、就職することが決まっていた会社を断って、ニューヨークにある日本人向けホテルに就職するそうです。このホテルは、初めてのニューヨーク個人旅行に戸惑う日本人観光客の無知に付けこむ類のところだそうです。うさんくさいホテルだそうです。そこの社長も、はっきりうさんくさい人物だそうです。なんだ、それ?

この学生さんは、面識も何もないのに、私の研究室にやってきて、唐突に「ボクに英語の特訓してください。夏にニューヨークに行って、英語が全然わからなくて恥かきました。リヴェンジしたいです」と依頼してきました。誰にrevengeするんじゃと思いつつ、私は彼と少し話してみました。で、この学生さんは、一般教養も英語力もないが、頭は悪くないし真面目だと、私は思いました。ですから、週に1回から2回ほど、毎回2時間ぐらいの英語の特訓を、秋から始めました。

この「元だんじり」は、礼儀正しく明るいのですが、私からすると、年齢にしては屈託がなさすぎて、身体だけでかい中学生みたいな感じがしました。しかし、いまどきの大学生は中学生みたいなくせに、やるだけのことはやっています。やるだけのこととは何かといいますと、そういうことです。どういうことか言えば、そういうことです。

「こんな中学生みたいな男の子と、そういうことする気になる女がいるのか?お医者さんごっこかよ」と、私は思いつつ、休憩時間に彼が語る「彼女との遭遇と交渉と別離」の顛末(てんまつ)を、「ふ〜〜ん」と、聞き流しておりました。

「あなたが彼女に逃げられた理由はねえ、あなたが、そういうことばかりしたがって、長くてしつこいからではなくて、話をしても退屈だからだと思うよ〜〜教養がないでしょ〜〜無知でしょ〜〜会ってメシ食ったら、そんなことばっかりでは、他にやることがなくたって、いくらなんでも女の子も退屈でしょう〜〜まともな女の子ならば、なおさら、こいつアホかいなと思うよ〜〜あなたは男前でもないんだし、カネもないんだから、せめて面白い男になりなさいよ〜〜ああああ〜〜傷ついた??あのさあ〜私は忙しいんだからさあ〜〜この特訓やめたくなったら、いつでも言ってね〜〜即やめようね〜〜♪」と私は、その当時, 失恋したばかりの「元だんじり」の心の傷に、せっせと塩をすり込んでさしあげました。ほほほ。

「英会話??ええかいわああ??話す内容がないのに会話もないだろ〜〜会話なんて、アメリカの連続テレビドラマのDVDを毎日数時間字幕なしで見てればいいよ〜〜懐かしのFull Houseなんかいいよね〜〜日常の会話表現多いし、中産階級のホームドラマだから品の悪い英語はないし〜〜あ、それは自分でやってね〜〜毎日聴いてね。わかってもわからなくてもいいんだよ!英語の音にさらされるの!字幕見ちゃ駄目よ!とりあえず、ここでは、その無知から直そう〜〜〜見栄をはらずに基本からやりましょう〜〜」というノリで、高校ドロップ・アウト組の人々が高校の学位を取るために読むHigh School Self-Taught本の社会科学のところを読み始めました。

ところが、これが難しかったのです。やむなく、テキストをアメリカの中学校の教科書に変えました。ところが、これも難しかったのです。で、とうとうアメリカの小学校の教科書にしました。これで、やっと落ち着きました。

しかし、特訓を始めたといっても、そう簡単に英語力がつくわけではありません。特に成果が見えることもなく、秋学期が終わりました。「まあ、あとは彼のやる気次第だけど、でも就職したら、忙しさにかまけて英語の勉強もせずに、本も読まずに、テキトーに彼女見つけて結婚して子どもが生まれて日常に埋没していくんじゃないの〜〜それも幸福な人生だよね〜〜」と私は、勝手な冷淡なこと考えながら、特訓を終了しました。

ところが、「元だんじり」は、マンハッタンで働くというのです。ほんまかいな。ほんとうみたいです。「センセイの影響大きいです。センセイに英語教えてもらっているうちに、仕事の価値観が変わったと思います。仕事ならなんだって人のためになると思いますが、自分がやりたいことや、できることして、人喜ばせればいいなぁって思うようになったら、いてもたってもいられなくなりました。かなり悩んだ結果ですが」と、彼は言うのです。

人間って、わからないものですね〜〜アニメ・キャラみたいに屈託のない笑顔の何も考えていないように見えた中学生みたいな男の子は、「仕事をして生きてゆくこととはどういうことか?」という問題について真剣に考えていたのです。それが、なんで「マンハッタンのうさんくさいホテル」に帰結するのか、よくわかりませんが・・・

まあ、いいいでしょう。外国で苦労することは、確実に彼にとって貴重な学習体験となるでしょう。日本で生まれて育って、お姉さんと妹さんにはさまれて育ってきた一人息子という生育歴では、「女に立てられて、やっと立っていられる駄目男」になる確率が超高いですから、外国にでも行ったほうがいいでしょう。しばらく孤独に苦労したほうがいいでしょう。とんでもない人間たちに遭遇するのも勉強です。彼は、人相学的に非常にいい顔の持ち主で、手相は「ますかけ型」ですから、ホテルのオーナーぐらいにはなるでしょう。宿泊料金を割り引いてもらうぞ〜〜〜♪

「彼女ができたら、連絡しますね〜〜」と、「元だんじり」は、パーティ会場で握手して別れるときに、私に言いました。なんでやねん。そんな連絡いらんわ。

そういえば、去年の卒業祝賀パーティで、牧師の息子さんで、卒業後に東京の神学校に進学する学生さんが、「今度センセイが結婚するときは、ボクが司式しますから、ちゃんと連絡してくださいね」と言いました。なんでやねん。誰が連絡するか。

(3)「ギガパタリロ」の場合

漫画の『パタリロ』の主人公は小さいですが、このパタリロに顔がそっくりの1年生の文学部男子学生は、水平にも垂直にもでっかいです。だから、こっそり心の中では、「ギガパタリロ」と、私は彼のことを呼んでいます。

彼は、2007年度に私が担当した文学部1年生の基礎演習のクラスのメンバーでした。この基礎演習というのは、昔の大学生ならば、大学に入った時点では、すでになんとなく身につけていたもろもろのことが、最近の大学生は身についていないから、最初の段階で教えておきましょう〜〜という趣旨の、1クラス20人ほどで構成された演習クラスです。

「大学に入った時点では、すでになんとなく身につけていたもろもろのこと」とは、課題の提出方法、書式作成とか、図書館での資料検索の方法とか、読んだものの内容と自分の意見は区別して考えることとか、それを前提としたブック・レヴュー書きとか、基本的な小論文の書き方とか、プレゼンテイションとか、そういう類のことです。

以上のようなことは、実は、「昔の大学生ならば、入学時点で身につけていた」というようなものではありません。昔の大学生だって知らなかったです。ただ、昔の大学生は、見よう見まねで、自分でナントカしていただけです。

1970年代や80年代に比較すれば、今の大学の教育サーヴィスの「量」は素晴らしい。「いたれり、つくせり」です。サルでも卒業可能ですよ、はっきり言って。

それはさておき、私は、この「基礎演習」の最後の日に、「テーマは何でもいいからさ、ほんと何でもいいからさ、内容も出典さえ明らかにしてくれれば、パクリでいいからさ、1ページ40字X30行で5ページの小論文をでっちあげて、私のメイルアドレスまで、2週間以内に送信してください〜〜」と、最後の課題を受講生にアナウンスしました。

そうしたら、「ギガパタリロ」は、「投資と運用」について書いてきたのです。

「日本の経済状況はこれからもっと悪くなる。しかし、政府は税金という国民からの収奪以外に何も打つ手を考えない。超低金利の銀行預金など馬鹿らしい。年金など破綻が必至。誰が年金保険料を支払うか。自己防衛のために、金融知識を身につけて、自分のカネを守ろう、殖やそう。投資には、いろいろあって、こういうのもあるし、こういうのもある。元手が100万円を1億円にした人が現実にいる。僕は投資で財産を作る。子どもの頃から貯めてきた貯金を元手に投資を始める。そのための勉強と情報収集と実地の運用で忙しい」という内容の小論文を書いてきたのです。

彼はカネのことしか考えてないようなタイプでは全くありません。彼がブック・レヴューで取り上げた本は、他の学生と違って硬派系社会問題系です。第二次世界大戦関係の本とかです。文章力も確かです。また、おうちの宗教の関係なのか、池田大作氏の著書なども愛読し、人生論系もよく読んでいます。

従来ならば、こういうタイプの学生が「投資」に関心をもつことはありえなかったでしょう。しかし、今の時代は、こういう学生だからこそ、現在の社会状況の中で、自力で生きていくことを真面目に現実的に考えるからこそ、「投資」を考えるのです。「自分の人生は自分で守らないといけない、そのためには経済的自立だ、真面目に働いて貯金していればいい時代ではなくなった、自分のカネは自分で運用して増やさないと守れない!」と考え、実践しようとするのです。

1970年代前半あたりに大学生だった私の無意識の前提は、「経済的苦闘や責任は、他の誰かが請け負ってくれるものであり、自分には関係ないこと」でありました。もう、あの頃の私は、犯罪的なほど、人生に対して当事者意識がなく幼稚でした。当時の私に比較すれば、「ギガパタリロ」の姿勢は、立派なものです。

「あ〜〜もう、ここでも始まっていたか!」と私は思いました。

日本の同世代の大学生の中でも、比較的のんびりとした、社会状況などに危機感も感じないようなタイプの学生が多い桃山学院大学の、そのなかでも無気力なタイプが多い男子学生の1年生が、「自立自衛のための投資」を真剣に考えているのです。

一般的には日本人は、投資とか運用とかに関する金融知識がなく、政府や銀行に好きにされるがままだとは、よく指摘されてきたことです。「カネ」の問題を、はっきり語ることは、はしたなくて卑しいと蔑む(さげすむ)価値観が染み付いていて、きちんとお金の問題を直視して、冷静に議論することをしないとは、よく言われてきたことです。

しかし、最近、いろいろな投資関係の本が出版され、よく売れています。勝間和代さんの『お金は銀行に預けるな---金融リテラシーの基本と実践』(光文社新書、2007年)とかは、その代表的な優れた入門書です。

投資とか株式でもうけることは、額に汗して稼ぐことより道徳的に低く、魂が汚れるといった言説も、かつてはありましたが、投資とか運用というのは、高度集約頭脳労働ですから、ちゃんと脳に汗をかいているのですから、こういう批判は無意味だということも、もうすでに若い人々には浸透しつつあります。つまり、日本人のカネのセンスは、じょじょに確実に変わりつつあるのです。

また、高岡壮一郎氏の『富裕層はなぜYUCASEE(ゆかし)に入るのか』(幻冬舎、2008年)も、よく読まれています。YUCASEE(ゆかし)とは、金融資産1億円以上の持ち主だけが入れる、高岡氏主催の会員制ネット・クラブのことです。高度な質のいい情報と人脈を求めて入会する富裕層の人々は、「持っていない奴」の嫉妬とか僻みにさらされることもなく、富裕層どうしで、伸び伸びと交流を楽しむそうです。文字通り「金持ち喧嘩せず」です。

このYUCASEE(ゆかし)の会員は、志の高い人が多くて、ボランティア活動とか寄付活動にも意欲が高いようです。そうだよね、どうせ税金で持っていかれて役人に無駄使いされるぐらいならば、目当ての機関に寄付したほうがいいよね。日本の税制では、寄付控除があまりないようではありますが。まったく、所得税なんか非道徳的だぞ(と、アイン・ランドはAtlas Shruggedで言っている)。相続税なんておかしいよ。住民税と消費税は、納得せざるをえないけどさ。

今の世界で一番カッコいいのは、いわゆる「ビル・ゲイツ」ですよね?自分の才能の生み出したものによって、とてつもないお金持ちになって、あらかたの贅沢を体験して、超多額の寄付をできる位置に立つというのが、最高にカッコいいですよね?YUCASEE(ゆかし)に入会する富裕層も、またプチ・ビル・ゲイツらしいです。自分の才覚や知識やアイデアでカネを稼ぐ「インテリッチ(intelligent&rich)」が多いそうです。100万円を投資によって4億円にした20代の女性もいるそうですよ。すごいなあ〜〜

いわゆる「相続リッチ」は少ないようです。「相続リッチ」は、カネを騙し獲られることを恐れてばかりいて、富裕層にふさわしいエネルギーがなく、解放的な心も知性も持っていないし、精神的余裕がなく、クラブでの交流も苦手のようです。自分では何も生み出さずに、消費とお遊びに走って、大富豪の祖父から遺産はやらないよ〜〜と言われて、うつ病になりかけているという噂のパリス・ヒルトンみたいなもんでしょうか。

うわあ〜〜日本も変わった!!こういう「インテリッチ(intelligent&rich)」って、昔の日本人ならば、「成金」とか呼んで馬鹿にしたでしょう。血筋とか家柄とかを重んじる傾向にあったでしょう。ところが、今や「(知的)成金」「インテリッチ(intelligent&rich)」こそ、カッコいいのです。

「ギガパタリロ」よ、頑張ってね!「インテリッチ(intelligent&rich)」になってね!いつか「富裕層」になったら、本物の富裕層らしく社会貢献してね!桃山学院大学に「パタリロ基金」を作って、後輩たちに奨学金を出してあげてね!

ここ5年ほど、「文学部の学生の文学部離れ」の度合いが、ドンドン進行しています。どういうことかと言いますと、文学部の学生が文学部の教師担当のゼミを選ばずに、経済学部や経営学部のゼミを選ぶようになってきているのです。桃山学院大学は、学部の壁を取り払う方向に進んでいて、ゼミに関しても、どの学部のものも選択できます(法学部だけは鎖国)。しかし、他学部から文学部のゼミに来る学生より、文学部から経済学部や経営学部のゼミに行く学生の数の方が圧倒的に多いのです。それも真面目な女子学生が、そうする傾向が大きいのです。就職を考えて2年生の秋に、経営学部のゼミを選び、3年生の晩秋から始まる就職戦線に備えるのです。

私の知っている文学部の男子学生は、「株の運用」に関する経済学部のゼミに行って、パソコン前で株の売り買いに夢中になって、授業に出ずに留年しました。何をやっているんだか。授業料分は稼ぎなさいよ〜〜

こういう世の中の動きや若い人たちの心理を一番理解できていないのは、「世捨て人」の大学の教員かもしれません。文学部系で、文学部の教員が研究している類のテーマで、ゼミを開講しても、どんどん受講生は減るのは、あたりまえなのではないでしょうか。いっそゼミなどやめたらどうかと、私は教授会で提案したことがありますが、無視されました。

だって、私が、現代の大学生ならば、文学部系テーマのゼミなんか、どうでもいいですよ。教授と懇意になりたいなんて思いませんよ。教授が話せる程度のことなど、本にいくらでも書いてあるでしょう。帰属場所といいますか、IDと、情報検索センター(図書館とかメディア・センター)と、同世代の人間集団との交流だけ確保できれば、それでいいでしょう。そうじゃありませんか?

まだ、今は、就職の面接のときに、人事担当者に「大学はゼミだ!」と思っている方々が残っているから、ゼミに入らないといけないかなあ〜〜でないと「大学で何を勉強しましたか?」と質問されても、答えられないしなああ・・・と学生も思うのでしょうが、それも時間の問題でしょう。そんなこと、ゼミに入っていなくても、テキトーに答えることができるんだから。

う〜ん、アイン・ランドゼミを諦めた私のゼミの次なるテーマは、「ビジネスと健康とスピリッチュアル」にしようかなあ。今、売れる本は、「健康系」と「ビジネス系(お金儲け系)」と「スピリッチュアル」だと、もれ聞きました。「スピリッチュアル」というのは、前世がどうだの、オーラがどうだの、霊がどうだの、いわゆるオカルト系&占い系の別名です。健康とカネと運(luck)は、現代人が切実に欲しいもの3点セットだから、この方面の本だけが売れるのは当然ですね。成功した人生とは、健康で心のコントロールができて、「幸運」で、お金持ちであること、と考えれば、当然にそうなります。

このテーマは、それなりに現代文化研究になりそうですね〜〜「運」なんてない。やってきたことの結果が出るだけ、と適切妥当に判断して実践できない奴が、「スピリッチュアル」に走るんだ〜〜と言いながらも、水晶(ルチル・クウォーツ)のブレスレットをはめて、「トイレを綺麗にしていると仕事とお金に苦労しないんだって〜〜」とか言いながら便器をピカピカに磨いている馬鹿がいます。それは私です。ははは。

それとも、アメリカ文化研究の一環として、アメリカのself-development、自己啓発本の売れ線あたりの本を、古典から新刊まで、かたはしから分析してみるとかさ。

「ギガパタリロ」の登場によって、私は、あらたな講義戦略、ゼミ運営について、大きなヒントをもらったのでありました。

2007年度も、学生さんには悩まされつつ、教えられたことも多かった年でした!さて、私は、2008年度は研究休暇をいただきます。授業と会議出席を免除されます。このsabbatical leaveが終れば、定年までノン・ストップの怒涛の労働の再開です。さあ、10年間分ぐらいの勉強をする1年が始まります!