アキラのランド節 |
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ゆるゆるタイ旅行覚え書き(その1) [05/05/2008]4月6日から10日まで短いながらタイ旅行しました。といっても、行ったのは、バンコックとアユタヤーだけです。高温多湿大嫌いの私が、1985年のシンガポール滞在体験以来、東南アジアは二度と行かないと決めていた私が、なんで、そういうことになったのか?いきさつは、以下のとおりです。 私が懇意にさせていただいているA画伯(日本史上最年少の16歳で某超有名審査つき展覧会に入選なさって以来、画業に従事しておられる60代の女性)のお弟子さんのひとりは、世界第一位の企業である某石油会社の日本支社(というのかな?)の社員であります。その方は、タイ出張のときは、同じ石油会社のタイ支社の管理職のS氏にいつもお世話になっておりました。 そのS氏が日本に出張でいらっしゃるときに、ご自分の弟子がお世話になっているからということで、その弟子の方を通訳にして、A画伯はS氏のお世話を、いろいろしてさしあげてきました。S氏(現在40代半ばくらい)は、「タイの東大」チュラロンコーン大卒のエリート・エンジニアで、英国留学経験者ですから、英語は堪能です。 ちなみに、この「チュラロンコーン大学」というのは、タイの近代化に尽くした「チュラロンコーン大王」(King Chulalongkorn the Great:1853-1910)を記念しているんだか、この大王が設立したんだか、どちらにせよ、王室と関係する名誉ある大学なのです。 よくわかんない方は、ユル・ブリンナーとデボラ・カーの古いアメリカ映画『王様と私』をご覧ください。最近のアメリカ映画のチョウ・ユンファとジュディ・フォスターの『アンナと王様』をご覧ください。「チュラロンコーン大王」とは、ユル・ブリンナーやチョウ・ユンファが演じた「モンクット王」(ラーマ4世)の長男にあたります。映画の中で、デボラ・カーやジュディ・フォスターが演じた英国人家庭教師をてこずらせつつ、大いに感化されている皇太子その人なのであります。この皇太子を、『アンナと王様』では、いかにも利発そうな品のいい可愛い少年が演じていました。 つまり、あのふたつの映画は、東南アジアで唯一西洋の植民地にならなかったタイの英邁なる指導者は英国人女性の教育によって生まれたと、言っているのです。やっぱり西洋の教育は優れているんだよ〜〜と、言っているのです。 多分、幼き少年時代の「チュラロンコーン大王」さんは、その英国人家庭教師とつきあいながら、西洋列強に対する面従腹背(めんじゅううふくはい)の方法を学んだのでしょう。王宮に行きますと、いくつかの宮殿がありまして、そのひとつが、チャクリー・マハ・プラサート宮殿です。途中まで白亜のビクトリア朝様式であり、最上階と極彩色の屋根はタイ様式です。美しい宮殿です。このタイと英国折衷様式の宮殿こそ、「チュラロンコーン大王」が建てさせたものであります。この折衷ぶりに、面従腹背のしたたかさといいますか、物柔らかさの底にある芯の強さといいますか、外国の事物をテキトーに受け入れてテキトーに無視するタイの外交政策の巧妙さが表現されております。 話は逸れますが、ミュージカルの『王様と私』は、そこそこ楽しいですが、『アンナと王様』のほうは、金をかけたわりには、しょうもないですね。シナリオが変です。史実無視のデタラメぶりは映画だからそんなもんでしょーが、「多文化主義」という建前と、「やっぱり西洋近代でしょ〜〜」という本音の分裂を隠す努力すらしていないという点において、「芸不足」です。というか「横着無作法」がすぎます。タイで上映禁止になったのも無理ないです。タイを馬鹿にする気ならば、もうちょっと巧妙に馬鹿にしなさいよ。ガキじゃないんだからさ。嘘と偽善でいいから、異文化に敬意を払う真似ぐらいはしなさいよ。礼儀正しくするくらいタダでしょーが。 また、ヒロイン役のジュディ・フォスターが全然いけてないです。女優のくせに情感がまったく出せないです。ヒロインのくせにロマンチックでないです。皮膚がカサカサに乾いて皺が出るままに放置している感じです。ちゃんとローション・パックして保湿成分含有美容液塗りなさいよ。アメリカの大学院あたりにゴロゴロしている感じの青筋たった「神経症白人インテリ鳥ガラ女」みたいな女優を相手役にして、チョウ・ユンファも楽しくなかったろうな〜〜 ラーマ1世が1782年に開き、「チュラロンコーン大王」という名君を生んだチャクリー王朝は現代にまで続いております。現在のタイ王国の王様は、ラーマ9世プーミポン王であらせられます。1927年生まれで今年81歳。この方の在位60年記念の祭典が去年タイで開かれた折には、世界中の王室が集まり、それはそれは華やかだったそうです。我が国の天皇陛下と皇后陛下も出席なさいました。街角の写真屋さんのウインドウに、「世界王室集合記念写真」が飾ってあったもん。最前列真ん中のタイ王と王妃のそば近くに着席しておられましたよ、わが日本の天皇と皇后は。だから何?いえ、別に・・・ 現国王ラーマ9世プーミポン王には、王子がひとり、王女が3人いらっしゃいます。国民的人気は王子(といっても53歳だ)よりも、2番目の王女(といっても52歳だ)の方が高く、しかし、皇位継承権はやはり王子様でしょう〜〜でも王女様のほうが優秀で聡明で慈愛深く国民の支持は高いのですね〜〜最近は、王子様の巻き返しもあって王子様の存在感が高まっているけども、この問題は決着がつかないから、国民の総意は、「とりあえずは、今の王様になるたけ長生きしていただくしかないです〜〜」というところにあるそうです。 どこでも後継者問題は大きいようです。難儀なようです。日本の天皇陛下にもお元気に、なるたけ長生きしていただきたいものです。美智子様にはいつまでも皇后陛下でいていただきたいです。 閑話休題。そのタイはバンコック在住の、世界第1位の企業の管理職の「タイの東大卒」のS氏は、お母様を早くに失くしたので、A画伯を「日本の母」として慕うようになりました。何年も前から、「タイにいらしてください。ご案内いたします」という誘いを、何度もA画伯になさってきました。 しかしながら、A画伯はタイ行きをためらってきました。S氏は日本語を聴き取ることはある程度できますが、話すのはカタコトであるのが、A画伯にとって難点でした。A画伯はS氏が送ってくる英語の手紙は読めますが、英語だけでコミュニケーションはきついです。 とうとう、「なんでタイに来てくれないんですか。来る来ると言いながら、来ないですね〜〜」と、S氏はA画伯をなじるようになりました。困ったA画伯の目に、「今年の4月から1年間研究休暇です〜〜授業と会議ありません〜〜」と、ニヤニヤと嬉しそうに間抜けた顔で言うフジモリが眼に入ったのでした。で、「飛んで火に入る夏の虫」状態になった私は、タイに行くことになったのであります。人生は想定外。 ここ数年の労働で、ほんとうに私は疲れていました。この際、「リゾート」したっていいじゃないかと思いました。仕事や勉強がらみでない海外旅行など、ここ30年ほどしたことがありません。メンバーは、A画伯とお友だちのB画伯と、夫と私の4名です。 私は、タイ旅行に備えて、本ウエッブサイトの掲示板登録者のおひとりで、タイに駐在体験のあるI氏にお時間をいただき、おいしい韓国料理をご馳走になりながら、タイ事情についてレクチャーしていただきました。ははは。ご馳走になって教えていただいちゃいました。申し訳ないです。タイに行く前に読んでおくべき本なども教えていただきました。日本ではもうすでに絶版になっていて入手が難しい本などは貸していただきました。Iさん、ほんとうにありがとうございました。おかげで、有意義な旅になりました。(あ、まだ御本をお返ししていません。申し訳ありません)。 ここでタイ道中について詳しく書いてもいいのですが、観光ガイド本の内容とさして変わりがありませんので、省きます。西原理恵子氏のタイ旅行記の漫画をお読みください。そのほうが面白いです。ここでは、私の観察&印象をメモすることだけにとどめます。
(1)タイ航空のスタッフは感じがいい! 帰りの便のフライト・アテンダントの女性は、ふつうにスーツ姿で、バリバリ厚化粧で態度も多少アメリカ的だった。
(2)タイの国際空港の設計は素敵!
(3)バンコックは超近代的!
(4)バンコックは外資ばっかり!
(5)世界第1位のThe Oriental Bangkokは、やっぱり1番! 全く期待ははずれませんでした。私の貧しいホテル体験から判断しても、「第1位」でした。機会があったら、何でも見てやろう、世界第1位!! ロビーのあちこちに、例のタイシルクの民族衣装を身につけた美しく上品で若いスタイルのいい女性のホテル職員たちが、さりげなく立っています。彼女たちは、客と眼があうと、合掌しながら、優しく「サワデッカー」(こんにちはの女性語)と微笑みます。おお、さすが、「微笑みの国」タイの名門ホテル。 あとで漏れ聞いたところによりますと、彼女たちは「ロビーのお客様とお話しをする係り」だそうです。ロビー係。文字通りロビースト。そんな係りまであるのか。ともかく、このホテル、「上品な趣味の良さ」と「接客サーヴィスの質の高さ」に定評があるだけのことはあります。 宿泊した部屋の窓からは、チャオプラヤー河が一望できます。この通称「メナム河」(メナムってのはタイ語で河の意味らしいです)沿いには、大きな有名ホテルがいくつも立っています。そのメナムの水面を、ホテルを結んだりするシャトル・ボートや観光船が、のんびり行き来きします。まさに国際的な、贅沢感漂う「リゾート」の景観です。
(6)タイのジェンダー・ギャップは小さい! 警察と軍人さんは、知りませんよ〜〜タイは、はっきり軍隊あります。王子様は軍人ですから。 タイは、ニュー・ハーフの本場とはよく耳にしてきたことです。確かに、歩道で物売っているお兄さんにも、ニュー・ハーフがけっこう混じっています。いつでもどこでもニュー・ハーフ。もともと人間の原型は女性。男が女になるのは自然で簡単なことです。 タイダンサーにもニュー・ハーフは多いようです。The Oriental Bangkok系列の有名レストラン(チャオプラヤー河をはさんだ対岸にある)でタイダンス見ながら夕食をと思い予約の電話をしましたら、満員と言われましたので、近所のシェラトン・ホテルのタイダンス付バイキングのレストランを予約しました。ホテルのテラスにある桟橋から船でそのホテル近くまで行けます。チャオプラヤー河の風が気持ちよかった!予約したレストランは、これも河沿いのテラスにありました。外気にあたりながらの食事は楽しいです。 そこで見物したタイダンスのダンサーは、みな可愛いらしくて綺麗でした。タイダンスは、ゆるゆるゆるゆる、ゆったりのんびり踊ります。ダンサーの背後には、タイ音楽の生バンド(楽器は各種民族打楽器)が、懐かしいような、どこか大昔に聞いたようなメロディを、これもゆるゆる、のんびりゆったり奏で続けます。同じメロディを奏で続けます。起承転結とかサビとかクライマックスがない。いつまでも、同じメロディをゆるゆるのんびりゆったり。 そのタイダンスの踊り子さんの中で一番綺麗なスターは、ニュー・ハーフでした。私は、こういうことには目ざとい。そうなると、他のダンサーもニュー・ハーフに見えてきます。もっとも不細工で愛嬌のないダンサーは、明らかに正真正銘の女性です。 そうとは気がつかない夫は、その一番綺麗なダンサーのことを、「あの子、可愛いね〜〜肌がキレイ〜〜足がキレイ〜〜」と、しきりに感心していました。「あの子は男の子だよん」と、私は親切に教えてあげました。「それでもいい!僕は構わない!」と夫はきっぱりと言いました。何が構わないのか? 翌日、ガイド役のS氏に、タイにおける女性の社会進出について質問してみました。女性の社会進出は相当に進んでいて、S氏のようなエリート・エンジニアの半分が女性だそうです。専門職の半分は女性が占めていますが、国会議員だけは20パーセントだそうです。政治の世界だけは、最後まで獰猛なる男の世界かなあ。権力闘争だもんなあ、権力ないと変えられないもんなあ、悪しきことを止めることもできないもんなあ、やっぱり。馬鹿は無責任に口だけ達者だから、そいつらの口を封じるのは「力」だけだもんなあ。 タイでも、2世議員とかはいますが、厳しい世界だから、「世襲」なんてことにはなりようがないそうです。国のリーダーになる資質や能力は、歌舞伎だのの伝統芸能とは、また違います。幼い頃からの訓練でナントカなるというものではありません。学校の勉強とも違います。知力、体力、胆力、忍耐力、運、もろもろの生まれつきの「資質」(gift)がまずは必要なのでしょう。タイは、やったらクーデターも多いからなあ。小さいクーデターでもクーデター。中村敦夫さん(私の初恋の方ですね〜〜)の小説の『チェンマイの首』に描かれていたような、王族いっせい粛清して共和国タイを立ち上げるというような本格的革命のクーデターみたいな規模はないです、もちろん。 タイの大学進学率は20パーセントなので、大学に行って専門知識と技術を得れば、就職において男女差はあまりないとのことです。大学は、人文学系は人気がなく、職業に結びつく実業系、特に理系の工学部系が多いそうです。確かに、Technical Collegeは多いみたいでした。ただし、就職は非常に難しくて、大学卒でも非熟練職に従事せざるをえない人々も多いそうです。 大学は私立大学ばかりだそうですが、授業料は安いそうです。教授陣は男女半々。大学教授の給与が比較的低いので、男性にとっては魅力ある職業ではないそうです。多国籍企業に勤務するS氏のほうが、はるかに収入は高いそうです。 ちなみに、このS氏は中国系タイ人です。華僑の末裔です。華僑は東南アジアのどの国でもビジネスを制覇しています。しかし、あくまでも、その国では「中国系ナントカ人」であって、政権に肉薄はできますが、首相や大統領になるのは無理です(シンガポールみたいな、もともと土着も何もないような都市国家は別ですよ。リー・クワンユー元首相は明らかに華僑ですよね?)。「アメリカ合衆国におけるユダヤ系」と同じ布置です。微妙な立場ですね〜〜 このS氏に、「あなたはエリートなんですよね?」と質問したら、S氏は「イエス」と即座に無造作にお答えになりましたが、眼鏡の奥の細い目がキラリと、そのとき光りました。S氏の名前は、姓もファースト・ネームもタイ風です。タイは、華僑たちが名前をタイ風に変えて、中国語話さないで、中国系学校作らなければ、それでOKなんだそうです。チャイナタウンはありますが、住民はタイ語を話します。そこんところが、他の国のチャイナタウンとは大違いです。マンハッタンやサンフランシスコのチャイナタウンなんか英語を話さない人も多いもの。 華僑系タイ人も、特に「ルーツは中国!!」なんて言い張りもしないようです。次の帝国といわれる中華人民共和国とのパイプになっているのかなあ?タイに住み続けると、そういう「プライド」とかこだわり(?)は溶けていくようです。タイは脳が溶けると感じるほどに暑いです。民族のアイデンティティに固執する感情なんか、溶けてあたりまえかもしれません。 こういうあたりにも、タイの「ジェンダー・ギャップ:の小ささが垣間見えます。だって、民族の純潔がどうのこうのとか、「攘夷!」とか、ナショナリズムに走るって、すっごく男的ではないですか?(貧乏くさく)男っぽくないですか?女は、自分と自分の半径2メートルぐらいが快適ならば、基本的には国のアイデンティティなんかどーでもいいですわ〜〜という健康な自己中心主義&個人主義で生きていますが、男って、わりとこだわりませんか?国がどーの、民族がどーのって・・・ひとりで立てない連中だぜ。 そういう観点から見て、一国の首都を、あれだけ外資だらけにして平気な国の男というのは、かなり柔軟です。ジェンダー的にゆるんでいます。水平思考です。女的に強靭で、面子(めんつ)なんかより必要に迫られれば何でもやる、受け入れるという姿勢において、根っこのところでタフです。タフにアバウトです。タイの繁栄と生き残りの原因のひとつを垣間見た思いがしました。 ちなみに、男性が女性に養ってもらうのは、タイでは特に不名誉なことではないそうです。やっぱりね〜〜タイの「ジェンダー・ギャップ」は小さい。
(7)タイ料理は、おいしい! あのメナム河沿いの汚いうるさくて暑い食堂で食べた、地元で大人気メニューの大量の「ムール貝のフライ」と「牡蠣入り卵焼き」は絶品だったなあ。牡蠣の季節になったら、作ってみるぞ〜〜ヌードルに野菜たっぷり、もやしたっぷりの炒めたヌードルも良かった。タイでは同じメニューでも、ヌードルを客が選びます。アメリカのレストランでパンを選ぶみたいに。私は、「バミー」という黄色い小麦麺と「センミー」というビーフンみたいな細い麺が好きになった! タイスキ(タイのしゃぶしゃぶみたいなもん)も、本場のトム・ヤン・クンもおいしかったなあ。魚のすり身を丸めて揚げたトート・マン・プラーは、薩摩揚げそっくりで、薩摩揚げよりもおいしかったなあ。マンゴスチンもおいしかった!ランプータンもおいしかった!ランプータンというのは、赤いイガイガトゲトゲの分厚い表皮の中にライチーに似た爽やかに甘い白い実がはいっている果物です。20バーツ(約80円くらい)で、袋いっぱいに買えます。 タイの初日に夕食をとったシェラトン・ホテルにおいて、何事においても果敢で、人生を貪欲に楽しむA画伯が、ダンサーさんたちに誘われて、ステージに上がり、ダンサーさんたちとタイダンスに興じるという一幕がありました。そのダンスは、その所作から判断して、豊作を祝う踊りであったようです。A画伯は「日本の盆踊りと同じです。稲刈りの動作です。<風の盆>のふりと似ていますから、踊れます」とおっしゃいまして、器用に、タイダンサーの方々の所作に合わせておいででした。 けっこう乗りやすい私なのですが、そのタイダンスの輪に参加できませんでした。うまいタイ料理を食いすぎて身体が重かったからです。食いすぎで苦しかったからです。苦しいくせに、もっと食べたいと思うほど、タイ料理は、日本人が「はまる」味なのです。 タイでは、あまりお家で食事を作らないみたいです。外食が安いようです。大通り沿いには大きな近代的なビルが立っていても、裏の小道にいりますと、狭くて小さな店舗の食堂が並んでいます。店内のみならず、店の外の道端にも安い簡易テーブルや椅子が並べられて、そこで客がプラスチックのどんぶりや皿をかかえて食べています。タイでは、ナイフとフォークではなく、スプーンとフォークです。そうだよな、確かに「スプーンとフォーク」の方が便利だよな。
(8)タイの人は暑いのが嫌い! 暑い国のタイの人々は、とても「暑がり」です。冷たいものが大好きです。ショッピング・モールでもレストランでも、冷房は寒いほどに、ガンガンキンキンに効いています。冷たい飲み物の大きなコップに入れられた氷の量はハンパではないです。もう、頭がズドーンと痛くなる冷たさです。脳が急速冷凍されるような生理的不安を感じるような冷たさです。 でも、「暑い国の人が暑がり」って、なんか納得いかないですよねえ?暑い国の人なんだから、暑いのには慣れていて、暑さは平気なんじゃないでしょうか?ところが、タイの人はそうじゃない。暑い国のThailand(「自由な土地」という意味)に住むタイ人は、「暑いのが大嫌い」なのです。変な人々です。 ガイド役のS氏は、バンコックから自動車で1時間半くらいの古都アユタヤーまで、私たちをドライブがてら連れて行ってくださいました。このS氏は自動車の冷房を、ガンガン効かせてくださいました。私たちが「寒すぎる」といいますと、「え?寒い?うっそ〜〜」という感じの反応です。 アユタヤーは、河や水路に囲まれた一種の島です。17世紀初頭あたり、アユタヤー王朝の王宮の傭兵隊長だったのが山田長政ですね〜〜この島の一角には、1610年から30年ぐらいまで、3000人の日本人が住んでいたそうです。この日本人村跡地は、今は記念公園みたいになっています。今回は、同じアユタヤーにあるバン・パイン離宮で遊びすぎて、日本人村訪問はできませんでした。まことに残念でした。遠藤周作の『王国への道』を読んで、勉強しておいたのになあ・・・徳川時代初頭の日本人たちが、なぜ、こんな暑い国に来たのか・・・ アユタヤーには、隣国ビルマに襲撃されて破壊されたアユタヤー王朝の遺跡がいっぱいあります。きわめて面白い遺跡ばかりです。あれは面白いです。ところがS氏は、遺跡の前まで来たものの、「暑いから降りるのやめましょう〜〜車の中から見えるからいいよね〜〜窓から写真撮れるよ〜〜」と言いました。何のために来たのか? 冷房ガンガンで、冷たいものばっかり食し飲むタイ人の内臓体温は大丈夫でしょうか?内臓体温が低いと病気になりやすいですよ〜〜免疫力が弱くなりますよ〜〜って、余計なお世話か。 ゆるゆるタイ旅行覚え書き、まだ続きます。ほんとに、ゆるゆるですね。前にも書きましたが、タイは脳が溶けるほど暑いです。「こういう暑さってあるんだ・・・」と地球の神秘に沈思黙考するほどの暑さです。タイのこと思い出すと、どうしても脳が溶けるようです。この覚え書きを書いている最中に、私の手首や指は、タイダンスのごとく、何度もゆるゆると揺らめき踊り始めました。コップンカー! |