アキラのランド節

加藤君  [06/12/2008]


みなさま、お元気でお過ごしのことと存じます。お久しぶりです。研究休暇期間だから時間があるからランド節にも沢山書けるかなと思っていましたが、貴重な研究休暇の日々だからこそ、読みたい本ばかり、やりたいことばかりで、時間が足りません。充実しているからこそ、時間が足りません。幸福ですみません。

5月最後の日曜日に広島大学であった日本英文学会は無事に過ぎました。アイン・ランドのことしゃべり倒しました。翌日は世界遺産の宮島厳島神社に行き、大阪の勤務先に寄って用事をすませて名古屋に帰って来て、その後もイロイロ細々ありまして、すでに6月も半ばに達しつつあります。やれやれ、もう梅雨かよ。

今日は、6月8日に秋葉原で起きた通り魔事件のことを書きます。

犯人の加藤君は25歳です。セクハラで自滅するオッサンの年齢は55歳というのが私の観察ですが、25歳、35歳、45歳、55歳というのは、確かに実体験から見ても、節目ではあるなあ〜〜ではありますが、今日は、あくまで25歳の話です。

今、中年以降の方々のほとんどの方には思い当たると思いますが、普通は25歳あたりというのは人生で最悪に辛い時期です。「いや、僕はすっごく楽しかった!もてたし〜〜」という奴がいたら馬鹿である。あとが怖いぞ・・・きっと中年期以降、ろくでもない人生が展開していくよ。

多くのふつーの人間にとって、20代は人生の中で一番辛い!!25歳は、そのど真ん中だ!

劣等感ばかりで、将来に対する不安と恐怖ばかりで、そのくせ、くだらないプライドばかりが高くて過敏で、気が小さいから素直になれなくて、金もなくて、頭も悪くて、日常の実践に転化しないような空疎な知識はあっても、ものの言い方もわからなくて、できないことばかりで、あらぬ誤解も受けやすくて、親密な絆とか人間関係求めてるけど、なんか傷ついてばかりで、つい引きこもるけど、だけど寂しくて寂しくて、これ以上孤独が続くと病気になるな〜〜吐き気がするぞ〜〜と自覚できるぐらいの、もうズタズタの踏んだり蹴ったりの時期であります。

私が、大学院に入った理由は、それも将来キャリアに結びつきそうもない田舎のノン・ブランドの母校の大学院に入った理由は、いろいろあったけれども、「適齢期のプレッシャーをやり過ごしておく場所に簡単に手っ取り早く入りたい」ということも大きな理由でした。私の若い頃の名古屋というのは、実に旧弊なところでした。また私が生まれ育った家庭&階層は、まことに平凡でフツーで保守的でした。ボケッと暇そうにしていると「お見合い」させられて「嫁に行かされる」はめになることは眼に見えていました(私は最初のお見合い相手から、「怖い」という理由で断られたんですが)。

第二次世界大戦後の平和な繁栄日本に生まれて普通にいい加減に甘やかされて育った知能程度も普通未満の凡人未満人(私だ!)は、大学卒業する年齢になっても、当然に馬鹿です。人生を自分で歩いていく自覚などサラサラないです。自分の人生なのに当事者意識ないです。頭も感情も混乱しています。

大学卒業したときに、私は愕然としました。「あたいは、馬鹿だ、無能だ、最低だ、何もできない!」と、やっと自覚しました。私は、「正気にならなあかん!」と思いました。「馬鹿を治さないといけない!時間がかかるぞ!」と武者震い(?)しました。結婚なんて、とんでもないです。ガキなんか生まれたらアウトです。私の治療されない馬鹿状態は増幅し、伝染し、再生産され、取り返しがつきません。

ですから、結婚適齢期に嫁に行かされずに、「頭と感情の整理」のために逃げ込んでおく場所が、私には必要でした。マイペースで考えて本読んで放置してもらえる場所が必要でした。馬鹿頭のすみっこに賢い細胞が育つのを待つ場所が必要でした。それが、私にとっての大学院でした。

あの当時は、私立大学の大学院でも授業料(金額忘れた)は、アルバイトで稼いで払える程度の額でしたから、入学金と前期の授業料だけ親に出してもらって、あとはナントカなりました。私は、アルバイトを自分で探したことがありませんでした。話が来たときに、「やります〜〜」と何でも引き受けていると、折に触れてアルバイトを先輩や友人や知人が持ってきてくれます。それをきちんとやっていればいいのです。

親も、「あとの学費は自分で出す?あ、そう、ならば好きにして。世間体があるから1980年(私が27歳になる年)までには結婚するか自立するかどちらかにして家を出て行って。そこんとこ、よろしく」というノリで、私に干渉しませんでした。これはありがたかったです。

ともあれ、その先のことは、その先になったら考えればいいだろ〜〜という行き当たりばったりのいい加減さでした。大学院に入ることを冗談で「入院」と言ったりしますが、確かに日本の大学院は「精神病院」に近いかもしれません。私の場合は、正真正銘の「入院」でした。馬鹿を治すための入院でした。「避難所」が必要でした。英語で精神病院をasylumといいますが、この単語には、「隠れ場」「避難所」の意味もあります。なるほどね〜〜

その「精神病院」は決して居心地のいい場所ではありませんでした。はっきり言ってかなり不快な人々に会った場所でありました。私は、まったく自分の母校の大学も大学院も懐かしくありません。どーでもいいです。はっきりと「嫌い」です。

しかし、あそこに入ったからこそ、独りでいろいろ考え、本を読み漁り、アルバイト以外では世間になるたけ関わらないようにする立場を確保することができました。3B(馬鹿&貧乏&ブス)脱出を切実に望み、自己啓発本の類も大量に読んで、孤独にジタバタしているうちに、だんだんじょじょに心にも頭にも体力がついてきました。「出会い」にも恵まれてきました。退院して外海に泳ぎ出て行くスタミナがついてきました。そのときは、すでに30歳近かったのです。

つまり、私が言いたいのは、日本で生まれて育つ凡人未満人にとっての25歳は、まだ何ものでもないので、「亜人間」なので、それは正常に当然のことなので、ゆっくりゆっくり自分で自分を育ててあげよう、ということなのです。世間一般の尺度で自分を測ることはない!ということなのです。自分の中の体内時間と世間の時間がずれているのならば、自分の体内時間に沿って生きていくしかないということなのです。

社会とか世間とか言うけれども、そんなものの実体はありません。多数の個人の集まり(アイン・ランドのThe Virtue of Selfishnessの受け売り)があるだけのことです。そして、個人は個人個人で、それぞれに違う。それぞれに違う時間感覚、空間感覚、感情の幅を持っています。一般世間に伝播される25歳の生活パターンがどうであれ、程度がどうであれ、平均値がどうであれ、個人は、自分の感覚で、自分のペースで生きていくしかありません。犯罪に触れないかぎり、他人に大きな迷惑を及ばさない限り、個人は個人の内部のリズムに即して生きていけばいいのです。それ以外に生きようがありません。

25歳よ!ふつー未満の25歳よ!アホな25歳よ!不器用でドジな25歳よ!自分で自分を守って、自分で自分を可愛がって大事にして育ててあげなさい!自分を「自分という赤ちゃんを育てる愛情いっぱいのおっぱいの大きいママ」だと思って、自分にせっせとミルクをあげなされ!「私はアッタマ悪いし不器用だから、他人より時間がかかる!それはそれで現実だから引き受けよう!だからって自分をないがしろにしちゃいけない!私の財産はこの私自身の人生だけなんだから!!」と現実を直視して引き受けて、かつ素直に自分を愛して伸ばしてあげよう!周りなんか黙って無視しちゃえ!周りの人間に敵意を振り向ける感情量があったら、自分を愛することに注ごう!

親御さんも、お子さんが「精神病院で自己治療中」のときには、しばらく黙って遊ばせてあげてください。メシぐらいは食わせといてください。小遣いまでやる必要はありません。キッパリ。

別居しているのならば、少しでも余裕があるのならば35歳くらいまでは、出せる範囲のカネぐらいは時に渡してあげてください。成人後に、様子を見て黙って「カネくれる親」は、ほんとうにありがたいです。「生きるのに不器用だけど、見込みのありそうな若者」だと思って、カンパしてあげてください。

お子さんがいない大人の方々にお願いします。そのへんに「見込みのありそうな若者」が棲息していたら、時にはカンパしてあげてください。あなたが、今まで無事に生きてきたことを何ものかに感謝しているのならば、その何ものかの使者だと思って、その若者にお供え(?)してください。ひょっとしたら彼や彼女は「お地蔵さん」の化身かもしれません。

そのほうが、ユネスコに寄付するより意義があるような気がしませんか。そういう人がいるということだけで、若い人は自暴自棄にならずにすみます。大人や世間を蛇蝎視するような無意味な、時間とエネルギーの浪費的消耗を控えるでしょう。

あなただって、若いとき、ごく少数のまともなオトナに遭遇したことによって救われたことがあったでしょう?または、まっとうに生きて、くたびれているのに、子どもの心配を静かにする親の背中を見ることによって、ぐれずにすんだでしょう?そうじゃありませんか?

「加藤君」がいたら、ちょっと「お節介」やいてあげてください。私は学生から「お節介だ」って馬鹿にされます。そう言って私を馬鹿にする学生の幼さを、私はひそかに黙って馬鹿にしています。「ガキだよな・・・」って。「人間」はお節介やくの!!お節介をやくのがオトナなの!

あ、カネ出すときは、静かにお説教していいですからね。カネ出さずにやいのやいの言うのは、やめてください。若い人の神経は、ただでさえひ弱で無駄に傷つきやすいです。無駄に刺激しても、うざいだけです。何の利益もありません。立派なオトナは忙しいですから、「精神病院で自己治療中」の若者に嫌味なんか言って威張っている暇はないはずです。

「精神病院で自己治療中」の若者は、脳の器官系病気でない限りは、遅くとも35歳までには退院します。同じことやっていると飽きますからね。細胞は5年間で全部新しいものに変わるそうです。25歳も30歳になれば、自分を信じ、人を信じ、世界を信じるスタミナがついて、広い世間に飛び出してゆきます。

加藤君。かわいそうに。

加藤君、あなたは理科系だから、しょうもない「占い本」だの「スピリッチュアル本」だの「自己啓発本」だの「出世道本」だの「俗流心理学」の本だの、そういう「子どもの成長に絶対に必要な糖度の高いお菓子」系本を読む習慣もなかったのだろうね。そういう本だって、必要なんだよ。子どもには、「おしるこ」とか「チョコレート・パフェ」とか「キャラメル」とか「カステラ」が必要なんだよ。オトナになっても、心の底には「ひ弱な子ども」がいるから、オトナにも必要なんだよ。馬鹿にしちゃいけないの!私は55歳の現在でも、せっせと、その「内なる子ども」にお菓子をあげています。おかげで、私の中のガキは、肥満しちゃっているが。

加藤君。あなたも、あなたなりの「精神病院」に5年間ほど入っていることができたのならば、一見無駄な時間をゆっくり過ごすことができていたら、自分で自分を育て直していたら、あんな悲惨な殺人を犯すほどに追い詰められなかったろうにね。ゆっくりゆっくり自分の人生のかけがえのなさを実感できるようになったならば、他人の人生の重さにも想像力がはたらいて、殺人なんか、頭の中で空想するだけですんだのに。

若い頃の私だって、空想の中では何人殺したかわかりません。頭の中では、機関銃を何度ぶっ放していたことか。名古屋駅で(みじめ・・・)。うざい奴の頭を、何度白い壁に打ちつけたことか。そいつらの脳髄からほとばしる血の色を見て、「こんな奴の血も赤いんだな・・・ふっ・・・」とハード・ボイルドに何度つぶやいたことか。

加藤君。かわいそうに。怒りが充満した25年間だったのだね。自分の心に甘いお菓子をあげることを習慣にする余裕もないほど、あなたは干渉ばかりされ、過酷に扱われてきたのだね。「復讐」は、自分をも傷つける「刺し違い」だから、ゆっくりのんびりできていたのならば、正気になっていたのならば、復讐の「payしないアホらしさ」に気づいたのに。

この事件は、加藤君に関わってきたオトナたちにも大きな責任がある。そりゃ、絶対に加藤君は悪い。しかし、まったく教えられなかったこと、モデルがなかったことを独学で腑に落ちるまで考え学ぶには、あまりに孤独すぎた。あまりに孤独だと脳も動かない。

加藤君の場合、はっきり親が悪い。周りにいたオトナが悪い。会社が悪い。オトナならば、もう少し若い人のことを考えなさいよ。そのようなオトナをやれないオトナも生育歴の中で、周りのオトナに大事にされてこなかったのでしょう。ならば、それを自覚して、自分のところで、その寂しさや怒りを断固としてストップさせて再生産しないこと、伝播しないこと、それを断固としてやり抜くのがオトナなのです。身体張って、自分のところでストップさせるのです。

もう少し加藤君の周りのオトナがオトナやっていたら、あの多くの人々は歩行者天国の街中で殺されずにすんだのかもしれない。

若い人を利用するだけ搾取するだけの経営をするようなオトナは、その「不道徳」の代償を払うことになります。「不道徳」なことは、しちゃいけないのです。こういう形でツケを払うことになるのです。不道徳なことは間違っているから、してはいけないのではないですよ。代償が大きくてpayしないから、自分を大きく傷つけるから、してはいけないのです。損だから、してはいけないのです。長期的視野に基づいた合理的自己利益に反することは、してはいけないのです(またアイン・ランドの受け売り)。

こういうことを書くのは問題かもしれませんが、殺されてしまった若い人々の関係者の中には、その若い被害者を愛する人々の中には、そのような類の理不尽極まりないことを、幾多の若い「加藤君」にしてきたオトナが、まったく混じっていなかったとは言えないのではないでしょうか?その方々は、「もし自分が、あのときに若い人に理不尽な行動をとっていなければ、この子は殺害されずにすんだかもしれない。これほど辛く悲しい思いを自分はしているのだが、まるっきり私に責任はなかったろうか?」と思い、想像する義務があります。そういう想像ができるのがオトナなのです。

この世に起きることは、どこで、どう繋がっているのか、私たちの肉眼に見えることはないかもしれないけれども、どこかでちゃんと繋がっているのかもしれない。あなたのすることは、あなただけのことですまない。だから、気をつけないといけない。それが「責任」というものでしょう。

私は、私が出会う若い人たちを絶対に「加藤君」にしちゃいけない。私自身のために。