アキラのランド節

小林旭さんのコンサートに行った  [10/12/2008]


秋です。爽やかな秋の日々です。昨日の10月11日土曜日は、愛知県は刈谷市中央図書館で開かれた「第2回森三郎童話大賞」の授賞式見学に行ってきました。本ウエッブサイト読者の前野章(ペンネーム)さんが、最優秀賞を受賞なさったので、勝手にインタヴューのつもりで行ってきました。受賞作の『いっちゃんのケータイ』は、ポプラ社から出版され、全国の公立図書館に寄贈されます。

刈谷市長さんとか市議会長さんとかのご挨拶や森三郎童話の実演(story tellingのパフォーマンス)などがあった式終了後、上品な美女の刈谷中央図書館長さんが「どうぞ」と誘ってくださったので、私は厚かましく「受賞者控え室」に入り込み、厚かましくコーヒーなんぞいただき、厚かましくおしゃべりしてきました。

新聞記者さんやカメラマンさんで賑わう受賞者控え室で、私は、ドサクサに紛れて、準優秀賞の方の受賞品のひとつである(まだ市販されていない)『いっちゃんのケータイ』を、黙ってこっそり拝借し読ませていただきました。「あ、日本の児童文学も、とうとうこの水準に来たか。新しい世代の書き手は、今までのようなガキをなめた、うっかり読んだガキが人生を間違えるような馬鹿甘ったれオトナの自己満足お茶の間道徳偽善物語は書かないな」と、私は思いました。やっぱり時代は進んでいくのだ。

森三郎童話大賞の審査委員長であらせられる高名な児童文学者の浜たかや氏は、私が日本児童文学会の会員だったころにお会いしたことがあります。20年ぶりの再会です。浜先生は、「あれ〜〜変わったね〜〜昔は戦闘的な感じでキュートだったのに〜〜」と、おっしゃいました。55歳にもなって、「戦闘的でキュート」だったら変態ですわ。成熟しそこないですわ。平和的な緩んだオバサンでいいのですわ。

浜先生に、「フジモリさん、あなた、なんで児童文学評論、書かなくなったの?」と質問されたので、「あ、私、文学関係の学会は、みなやめました。政治思想のほうに興味が行っちゃいました」とお答えしたら、「あなたがそっち方面に行くのはわかる」と、浜先生が即座におっしゃいました。さすが、『龍使いのキアス』や、いわゆる『ユルン・サガ』5部作など、骨太な構想の日本児童文学離れした物語の作者であらせられます。

その後は、第2回森三郎童話大賞最優秀賞受賞者(しつこいね)の前野章さんとお茶して、しゃべり足りずに、夕食もごいっしょしました。前野章さんが繰り出すお話は、とても面白かったです。やはり、創作する人というのは感性が違う。視点や観察が違う。前野章さんは、大きな瞳が印象的によく光る魅力的な女性です。アイン・ランドの大きなよく光る瞳を思わせました(って、実物のランドに会ったことないんですが)。まだお小さい3人のお子さんを育てながらの、近隣親族とかかわりながらの多忙な主婦生活の中で、書く時間を確保することは大変ではないかとお察ししますが、書ける人は書く。

秋です。爽やかな秋の日々です。『日経WOMAN』11月号の特集「この秋読みたい最高の120冊」のアンジェラ・アキさんご推薦10冊の中に、アイン・ランド『水源』が入りました!ありがとうございます、アキさん。そういえば、いかにもランド好きな感じです。スカッと知的でしょ?ほほほ。

私は、日本ではアイン・ランドの読者は、特に『水源』の愛読者は女性が圧倒的に多くなると予想しております。女が変われば、男が変わる。男が変わると、日本が変わる。女の影響を受けない男は見たことないですから。男の影響を受けない女はワンサカいますが。ゆりかごを揺らす手は世界を変える。どんどん激しくゆりかごを揺らそう。

秋です。爽やかな秋の日々です。調子に乗って知らない町まで散歩に来てしまって、脚が痛くなって、タクシーで自宅に帰るという馬鹿をやっています。あんまり食わないと、身が軽くなった気がして歩きたくなります。夕食から昼食までは、朝食代わりの「にんじんジュース」&「生姜湯」以外は何も食さず、昼食と夕食の間に間食はしない。これやっていると、身だけでなく心も軽く脳も軽い。発芽玄米を白米に混ぜて炊いていただくと、よく噛まざるをえないので、食べ過ぎません。よく噛むと味がわかって、おいしい。

「あなたはデブだ。現実を直視しよう」と夫に言われて以来、発作的にダイエットに勤んでは、ずっとデブのままだった私も、西原克成医師や石原結実医師や甲田光雄医師の著作に触れて、大食&過食の弊害を知りました。昔の人間の病気の原因は栄養不良。先進国の現代人の病気の原因は栄養過多。食事は一日2食で十分。私は、じわじわ小食になり、と同時に健康になり、花粉症の症状も軽くなってきました。あとは痩せるだけ、と。

特にマキノ出版から出ている甲田光雄先生による一連の小食健康本(『食べ方問答』とか『甲田式健康法』とか)の影響は大でした。「人間は他の生き物を食して生きるのだから、感謝して食べなさい。他の生き物を食らって生きていいほどの意義ある人生を、あなたは送っているのか?感謝して食べれば大食などできるはずない」という内容は、間食しそうになる私のブレーキになっております。

江戸時代の有名な観相家の水野南北が「運を変えたいのならば食を変えること。運を良くしたいならば粗食にすること」と言ったそうです。この言葉の趣旨は、きっと甲田先生の趣旨と同じに違いない。「天の恵みである食べ物を粗末に無駄に食って糞便にすることしかできない類の人間は、天に対して無礼であり冒涜的であるので、天が味方しない」ということなのでしょうね、きっと。

今は外食が2日続いて、動物性たんぱく質摂取が多くなりますと、倦怠感とやる気のなさに襲われて数日を無駄にするはめになっております。「うわ〜〜いっぱい肉食ったからだ〜〜殺された豚と牛の呪いだ〜〜鳥の呪いだ〜〜小魚ならば、脳が小さいから恨みも小さいはず〜〜♪」と、丸ごと食べられる小魚系をマーケットで物色するはめになっております。生ハムとベーコンとソーセッジぐらいはいいかな〜♪駄目?

秋です。爽やかな秋の日々です。7月に翻訳をすませたThe Virtue of Selfishness: A New Concept of Egoismは、最初の校正が先週に終りました。出版社のビジネス社の編集者の方の助言により、読みやすくするために、原書テキストにない「小見出し」をいっぱいつけました。小見出しつけ作業してみると、ガチガチ近代西洋合理主義啓蒙精神のモンスターみたいなアイン・ランドでも、書いていることがトッチラカッテいることもあると、わかります。「どう見出しつければ、いいんじゃ?何でもいいか・・・」と悩みました。

秋です。爽やかな秋の日々です。9月26日は金曜日の午後、旭さんの「歌手デビュー50周年記念コンサート」のために京都に行ってきました。ほんとは、7月4日の茨城市民会館のコンサートに行く予定だったのですが、何ゆえか、その日は行く気がしなかったので行きませんでした。やっと今回、実現しました。

平安神宮近くにある会場の京都会館第一ホールは、1階席1562、2階席443の合計2005の座席があるのですが、座席は、ほぼみな埋まっていました。ここはコンサート会場としては小さな部類に入るらしいのですが、2000人ほどの客を集めることができるなんて、すごいことではないでしょうか。お昼の部ですから、お客さんは、ほとんどが現役引退組らしい御年輩の方々が多かったです。

旭さんは、昭和13年西暦1938年寅年(とらどし)11月生まれで、今年で満70歳におなりですから、ファンも、その年代が中心です。ご夫婦に、女性のお友だち連れが最も多く、次いで老母&中年娘という組み合わせが多かったです。まれに、年配の女性に30代くらいの男性という母&超希少孝行息子の組み合わせも見かけました。中年の母&ギャルという組み合わせも、極めて少ないながら見かけました。ご家族に付き添われた車椅子に座ったお年寄りの方々も結構いらっしゃいました。車椅子でも来たい!旭さんに会いたい!ということです。素晴らしい!!年配男性の友だち連れっていうのは、全く見かけませんでした。すでに死んでいるのでしょう。

どこかで無料の券をもらったから来たという風情の「気のない客」はいないようでした。みなさん、ほんとうに旭さんのファンであり、旭さんを見たい、旭さんの歌を聴きたい、旭さんと共有した青春を振り返りたい、いや旭さんとともに過ごしてきた昭和の日々を振り返りたい・・・という風情でありました。そのためか、開演前の会場を素朴な真摯さと静かな興奮が支配しておりました。この種の会場によくあるギャアギャア騒ぐおしゃべりとか、そういうものがありませんでした。みな、心に秘めた思いを見つめながら、旭さんを待っているという趣でした。京都という土地柄のせいかな?大阪難波の会場あたりだと、たこ焼きが飛び交ってうるさいのかも。

開演予定時間午後2時きっかり幕が上がると同時に、イントロもなく「熱き心に」が、あの旭さんの声で流れてきました。突如、「オーロラの空の下〜〜〜♪」です、来た〜〜〜!!という感じで客席が、静かにどよめきました(としか言いようがない)。

舞台装飾は、きわめてシンプルです。旭さんのバックには、約20人編成のバンドと指揮者がいます。舞台の真ん中で朗々と歌っている今年70歳になる旭さんは、ぱっと見には50代後半です。さすが、見られてナンボのスターさんです。この世代の日本人にしては、とても顔が小さく、かつ四肢と胴体の均整が取れています。ああいう男性が、堺は鳳だんじり祭りなんかで、痔車じゃない地車(だんじり)の後部に乗って浴衣着て団扇持って立っていたら、「あれっ?あのオッチャン男前やんか、なんで?」と視線が釘付けになるでしょう。

ただし、1960年代初め頃の日活アクション映画「渡り鳥シリーズ」でギターを背負っていた頃の20歳過ぎたばかりの頃の旭さんの惚れ惚れするようなカッコ良さと比較してはいけません。確かに、今の旭さんはデブっています。皮膚もたるんでいます。皺もあります。体のキレも鋭くありません。スタントマンなしでアクションこなしていた昔の能天気な屈託のない軽やかさはありません。それでも、やっぱり旭さんは、驚異的に若い!

コンサートの40パーセントぐらいは、旭さんの「語り」です。司会者は最初のアナウンスと最後の挨拶だけで、あとはすべて旭さんの語りで進行します。旭さんの声は、話すときも歌うときも、実に魅力的です。ほんとにいい声です。さすが、長年商売になってきた声です。じかに聴くと、あらためてすごいと思います。また、話がうまい!どんな話をしても、ファンにとっては、面白いものでありますが、旭さんには独特の語り口があります。歌もTalkもアキラ節です。お客さんは、みな、旭さんの語りに耳を傾け、笑い、うなずき、拍手します。私は、まっさきにギャハハと大声で笑いました。旭さん、あれっという感じで、何度も私のほうを見てくださいました(ような気がする)。

スターとファンが一体化した充電された空間。じっと見入り聴き入る2000人の客を相手にして=2000人の客のエネルギーを受け止めて微動だにしない旭さんの集中力と緊張の持続。この人は、やっぱりすごいなあ〜〜と私は思いました。はっきり言って、この日の旭さんの体調は、お悪いように、私はお見受けしました。そう言う根拠は何かと問われても、困ります。好きな男のことならばわかるのよ、とでも言いましょうか、ほほほ。体調が悪いのに、なおかつ、2000人を相手にしてびくともしないスターの輝き&スタミナ&意地。

私がいくら頑張っても、2000人の学生が黙って私を見つめて集中するような講義ができるとは思えないもんね。20人の学生でさえ、誰かが寝てますわ。

旭さんのお話の内容は、「万家(よろずや)錦之助とか勝新太郎とか昔の祇園遊び仲間がみんな死んじゃった」とか「宍戸錠とか長門裕之とか山城新吾とかの昔の仲間がボケちゃった」とか「どの世代もみんなで歌える歌が平成になってから消えた」とか、「僕の映画デヴューは京都に修学旅行に来た高校生の役で17歳でした」とか「美空ひばりと結婚はしたけど、ひばりのお袋さんが籍入れなかったんで、戸籍上は今の奥さんと結婚するまで独身でした」とかの話です。回顧的です。

「男ってのは、ほんとに馬鹿で、このままおとなしくしていたほうがいいのに、安定した穏やかな日々の中で、ついヤンチャ心が出てきてしまって、自分から幸福を壊してしまうのでしょうねえ」というお話もされていました。回顧的です。

「平和な日常に飽きて恋でもしたいと思っても、綺麗なおねえさんだなと思い、年齢をたずねたら26歳で、こりゃうちの娘より下かあ〜〜と思って諦めたこともありました」というお話もされていました。回顧的です。

「ついわけのわからん事業に乗っちゃって巨額の負債をかかえちゃって、こうやってコンサートやって稼ぐしかないんですよ、僕。今までに2回あった大借金返済作戦は、<昔の名前で出ています>と<熱き心に>のヒット曲があったんで成功しましたが、今度はヒット曲なくて、自宅抵当に入りました〜〜でも、借金かかえているからこそ、70歳でも、こうやって元気に歌えます。みなさん、いつまでも現役でいたいのならば、借金しましょう!借金!借金!借金!後期高齢者医療保険の天引なんか気にする余裕もなくなって、いいですよ〜〜♪働くしかないから働いていると脳も活性化して、綺麗なおねえさんにでも、カッコいいおにいさんにでも恋できますよ〜〜恋するぐらいタダですからね〜〜痴漢&セクハラしなければいいんですよ〜〜やっぱ、若い人はよろしおますなあ〜〜巨乳やまっすぐ伸びた長い脚見ているだけで寿命が延びますねえ〜〜」とは、決しておっしゃいませんでした。

旭さんは、やっぱり若い頃からカッコよさが身上だから、今更、吉本の芸人さんみたいな自虐ネタが売りの三枚目になれないし、ファンもそれを望んでいないのかもしれません。私は、もう正直に率直に、ぶちまけて言っちまえ〜〜と思うのですが。「僕のほうがいっぱい仕事していたのに、石原裕次郎よりも僕のギャラは少なかったです。裕ちゃんは不当に儲けましたから、大病ばっかりで早死にしましたね。だいたい、あそこの一家はタチが悪いですね」とかさ。ははは。

コンサートの楽曲は、「昔の名前で出ています」とかの系統の歌が多かったです。私が知らない曲が多かったです。この種の歌は中音でスローですから、歌うのがラクなのでしょう。しかたありません。若い頃の、とんでもなく張りのある澄んだ高音を、今の旭さんに期待するのは酷です。いいのよ、いいのよ、昔の旭さんの天に晴れ晴れと届くような高音は、私のiPodに入っているから。あの歌声は永遠です。

それでも、しかし「しみじみ系夜のお仕事ソング」は、はっきり言って私は嫌いです。「しみじみ系夜のムード演歌」みたいなもんは、幽霊の石原裕次郎にでも歌わせておけばいいのだ。ジメジメしているのは、しみじみ過去を振り返るのは、考え深げに回顧的なのは旭さんらしくない。旭さんは、やっぱり能天気で陽気で大陸的にアッケラカンとしていなくっちゃ。

この私の気持ちは、他の観客の方々も同じだったようです。だって、「アキラのヒット曲メドレ〜〜」とアナウンスがあって、「ダイナマイトが150屯」のイントロが始まったとたんに、客席がドドオオオ〜〜とざわめき、いっきょに活気づき、わくわくと手拍子が始まりましたから。やっぱりね〜〜♪やっぱりね〜〜♪やっぱり、旭さんは、能天気で陽気で大陸的にアッケラカンとしていなくっちゃ。

「ダイナマイトがあよお〜〜〜おおおっ〜〜ダイナマイトがあ、ひゃくごじゅっうとおん〜〜チックショウ〜〜恋なんかぶっ飛ばせ〜〜♪♪」と旭さんが舞台狭しと動き回って歌っているときに、なにゆえか私の前の座席のオッサンがいぶかしげに私のほうを振り返りました。なんで?

「アキラのズンドコ節」とか「アキラのダンチョネ節」などの民謡アキラ節系ソングにも、大いに客席が沸きました。「街のお〜〜みんながああ〜振り返るううう〜〜〜♪君とお僕とをおお〜〜振り返るううう〜〜〜♪」と、旭さんが歌っているときに、またも、私の前の座席のオッサンがいぶかしげに私のほうを振り返りました。今度は、責めるような眼差しで。あ、そうか。

私は、旭さんの歌に合わせて、自分も声を出して歌ってしまっていたのでありました。初期の頃の歌なら何度も聴いてきたので、歌詞を覚えていて、うっかり、いっしょに歌ってしまっていたのでありました。ひょっとして声が大きかったのかも・・・昔風の、ちゃんと座席に腰掛けて静かに拝聴するスタイルのコンサートですからね。客が立ちっぱなしで騒ぐ今どきのコンサートではありませんから、うるさいよな、すみません。

コンサートは予定の正味2時間ではなく、1時間40分くらいでした。とうとう結局、私が聴きたかった「北帰行」や「さすらい」などの名曲は、歌われませんでした。やっぱり、この日は旭さんは体調がお悪かったようです。動物性たんぱく質の摂取過剰だって。70歳ならば、一日の必要カロリーは1800カロリーで十分すぎるほどだって。

最後の歌は、最初の歌と同じく「熱き心に」です。「熱き心に」は、ほんとうに名曲です。コンサートが終りに近づいてきたと知ると、観客席からバラバラと、いそいそと、花束とか、大きな箱やら、中くらいの箱やら、プレゼントを手渡したいファンとか、握手したい方々とか、ファン・レターかなんか手渡したい方々が、舞台に走り寄って行きました。中には、ヨタヨタと足取り不安定ながら時間をかけて舞台下まで歩き、旭さんと握手した髪の真っ白な非常にご高齢そうなご婦人もいました。ご家族の方々に付き添われつつ歩き、旭さんに握手を求める、これまたご高齢のご婦人もおられました。ひたむきな姿でした。スターに対する一途な恋でした。いいなあ。

舞台に駆け寄ったファンのほとんどが女性でしたが、中には旭さんと同年輩らしき男性の方々も握手を求めておられました。中に、ひとりだけ、紅白の水引きのついた金一封を旭さんに手渡した男性がおられました。私は、中央三列目の舞台間近で見ていたから、旭さんの表情がハッキリ見えたのですが、旭さんはちょっとだけ、ほんの一瞬だけ微妙な表情をなさいました。

ああいうのは、どうかなあ。あの男性ファンに悪意はないのはわかっていますが、もうちょっと考えて欲しかったなあ。あの金一封が、100万円は絶対に入ってないことは明々白々の薄さだったから失礼だと、言いたいのではないですよ、当然。別に1000円札一枚でもいいですよ(よくないわ!)。

ただ、旭さんは、気さくに見えながら、ブルーカラーっぽく庶民的でいながら、野暮ったいことや田舎臭いことや馴れ馴れしい振る舞いは嫌いなシャイな方です。旭さんのファンならば知っているはずなのに。旭さんは、「大衆演劇の白塗りのスター」じゃないんだからさ。コバヤシ・アキラなんだからさ。旭さんは気取ってはいないし、上品に見せようとはしないけど、下品なことは嫌いな方なんだから、あからさまなことは、しちゃいけないって。

今回、初めて、生(なま)の旭さんを見て、よくわかったことがあります。この方、すごく生真面目です。乙女のごとく少年のごとく実直です。仕事仲間に気を配る方です。プロレタリアートの品位がある方です。後ろのバンドのみなさんや、指揮者や司会者の方に丁寧に接しておられましたし、またバンドや指揮者や司会の方々が、旭さんのことが好きで、気遣っているということが、よくわかりました。

舞台の緞帳が降りきる寸前に、舞台床と緞帳が作る10センチくらいの隙間から私は見ました。旭さんの両脚が、かすかに、ぐらりと揺れるのを。司会者が、あわてて旭さんを支えようと動いたのを。やっぱり、この日の旭さんは調子が悪かったんだ。2時間の予定のコンサートが早く終ったのは、そのせいだったのかもしれない。夜の部も控えているしね。

旭さん、旭さんは、借金というマイナスかかえてきたから、大病もせずに、そのお年になっても歌えて働けるのですよ。ファンがこれだけ集まるんですよ。この会場の外では、すでに夜の部のお客さんが列を作っています。すごいことですよ。無茶苦茶にすごいことですよ。キムタクが70歳になって、こんなコンサートできるとは思えません。嵐の二宮君や大野君(この子、演技うまいね〜〜テレビドラマの『魔王』は意外だった)が、70歳でTruthを歌って踊れるとは思えません。

旭さんは、稀有にカッコよく生まれちゃったし、美声にも恵まれたのだから、今でも全国津々浦々にファンがいて愛されているのですから、どこかでマイナス引き受けないと、不細工な呆け呆けうつ病風味日本老人男になってしまいます。スターって、孤独で不幸でいるか、それか借金抱えていないと、スターの輝きが保てません。「もう〜〜まったく、私たちがついていないと、どうなるのよ!ほんとに、この人ったら、生きるのが不器用なんだから!」とファンに思わせないと、ファンはついていきません。

旭さん、借金を返済したら、また元気に借金作ってください。そうしたら、いつまでも旭さんは、永遠にカッコいいです。暴力団のパーティに出席して歌って、NHK出演停止でもいいじゃないですか。歌手が営業して何が悪いんじゃ。関節が痛くても、「ダイナマイトが150屯」を踊りながら歌ってください。加治将一氏の『借りたカネは忘れろ!---誰にでもできる合法的借金帳消し術』(幻冬舎、2003)を、いつでもお貸しいたしますから。

秋です。爽やかな秋の日々です。冬が来る前に、日本でも銀行の取り付け騒ぎがあるのでしょうか。解散&総選挙はあるのでしょうか。10月の末に、旭さんが名古屋の厚生年金会館でコンサートを開きます。行こうかなあ・・・今度こそ、「さすらい」と「北帰行」歌ってくれるかなあ・・・

ところで、昔好きだったロバート・ダウニー・Jr.が、『アイアンマン』でブレイクして私のもとに帰ってくるとは思わなかったなあ。品がよくて頭が切れそうなのに、もろ不安定でクレージーで、すぐに苛々して手に負えなくなるよな、こいつ・・・って感じで、別れた男の子が、カッコいい43歳のオッサンになって帰ってきました。いい秋だなあ・・・