アキラのランド節

アメリカ帝国の人民操作法としてのTV番組(その1)  [01/23/2009]


アフリカ系のバラク・オバマ氏がほんとうに実際に、アメリカ合衆国大統領になって、3日間が経過しつつあります。

アフリカ系の人々は、名実ともに、もうアメリカ合衆国の「二級市民」ではありません。「大統領になりうる人間」です。地下鉄の中で、座席に腰掛けている黒人のお母さんが、隣に行儀よく腰掛けている小さな男の子に絵本を見せながら、数字を教えています。簡単な計算も教えています。勉強すれば、努力すれば、ほんとうに大統領になれるんだよ、ちゃんと先例があるからね、勉強しなくちゃね。頑張れ、僕。

バラク・オバマさんが大統領に就任したら、私のような外国人にも肌で感じられるような「変化」が生じています。道を歩くアフリカ系の人々に、前にはなかったような落ち着きがあると、前のランド節で書きましたが、今は、「静かなささやかな自信を抱いている」趣があると言うべきでしょうか。白人の人々と、自然に気負わずに肩を並べる感じです。白人の人々が黒人を差別することは、自分の国の大統領を差別することと同じになり、自分の国に唾(つば)することと同じになります。自らを侮辱することに似たことになります(まあ、こういう国家主義という集団主義はすごく強いですね、アメリカは)。

アフリカ系の人々は、ここまで来るのに、ほんとうに長い長い道のりを辿ってきました。ひとまず、よかった、よかった。おめでとうございます。

バラク・オバマさんが大統領になった経緯については、マスコミが決して伝えないような理由、一般ピープルが知ることができないような「ほんとうの支配層」の人々の思惑があるのでしょう。

オバマ大統領のブレーンの人々(Obama’s People)の思想的人脈的背景や、オバマ政権の政策や準備中のプロジェクトや、そのことのアメリカ政治における布置や、日本に与える影響に関する予測と分析は、「副島隆彦の学問道場」(http://www.soejima.to/)の「今日のぼやき」をお読みください。ただし、会費払った会員限定の「今日のぼやき」です。無料で読める版の「今日のぼやき」では、真に貴重な情報は入手できません。盗み読もうとするというか、貴重な情報をタダで手に入れようとする学生根性を、いい年したオトナがいつまでも持っているのは、みっともないです。

経済危機にあるアメリカ合衆国の大統領にアフリカ系の人が選ばれたということには、大きな意味(必然性)があるに決まっています。会社だって、倒れかけると、社長になってもウマミがないんで、野心もなく真面目に働いていた女が担ぎ出されて社長になり、マスコミの注目を浴びたりします。そして、会社が立ち直ると、静かにこっそり、また男がチャッカリと社長におさまったりします。そんなものかもしれません。それでも、「社長なんか女でも務まる。女の社長も当たり前」という事実は残ります。実績は残ります。

やっぱり、アフリカ系のバラク・オバマさんが、まあ、衰退気味にせよ何にせよ、「世界のアメリカ帝国の大統領」に就任したということは、すごいことです。この事実が現実を変える力は、長期的に観れば、決して小さくはありません。

1月20日のバラク・オバマ大統領の就任式は、The Capitol からThe Lincoln Memorialまでの約5キロの長さのいわゆるMallと呼ばれる場所を埋め尽くした人々の歓喜し感動する姿とともに、日本でも延々と生放送されたそうですね。

就任式前の3日間ぐらいの、アメリカのマスコミが展開した、オバマ大統領就任フィーヴァーの煽り立てようは、すごかったです。新聞とかテレビ報道だけからですと、ものすごいことがこの国に起きているのかな〜〜と、空恐ろしく感じられるような騒ぎでした。

ブッシュ前大統領が就任した2001年1月20日も、勤務先の桃山学院大学から研究休暇をいただき、ニューヨーク市立大学大学院の「女性と社会研究所」というところで研修中だった私は、ニューヨークにいました。しかし、これほど大げさな報道をテレビも新聞もしていませんでした。

ひたすら何かを忘れさせようとしているような、覆い隠そうとしているような加熱した報道ぶりでしたが、あのモールを埋め尽くしていた人々の中のアフリカ系の人々の歓喜と感動は本物でした(白人系ももちろん多かったですが)。

遠い日本の日本人から見ると、火曜日で仕事もあるはずなのに、厳寒なのに、簡易トイレしかないのに、就任式は朝の10時始まりだけれども、朝の8時前には集まらないと立つ場所もないのに、遠すぎて実物のオバマさんを見ることは無理なのに、あちこちに設置されたスクリーンを通してでしか見ることができないのに、アメリカ国旗を笑顔で振りながら、オバマさんの顔がプリントされた帽子をかぶりながら、元気一杯の、あの人々はなんだろーか?と、ちょっと不思議に見えるかもしれません。暇なんかな?動員かけられたのかな?と。

あそこに集まった100万人とも数えられる多くの人々は、中産階級のきちんとした真面目な方々ばかりです。アル中や薬中や麻薬の売人やチンピラさんや子ども虐待のお母さんでは、朝の早くからあそこで寒さに我慢して式を待つような忍耐力はありません。

「私、死んだ家族や親戚や、みんなの写真をポケットに入れてきたの。だから、ポケットがこんなに大きく膨らんでいるでしょ?今日のことは、死んだ家族や親戚にも見せてあげたいの!いっしょにここにいたいの!」と、アフリカ系のTVニュース・レポーターに、毛皮のコートを身につけた同じアフリカ系老婦人が陽気に答えていました。その言葉に、レポーターが、ぐっと喉を詰まらせ、眼をうるませる姿に、TVを観ていた私も少しもらい泣きしました。

「おばあちゃんが生きていたら、どんなに喜んだことか。見せてあげたかったわ!私が博士号取ったときよりも、喜んだと思います!」と胸を張って、晴れやかに答える中年のアフリカ系の女性もいました。

「今日は、学校を休んで来ちゃった!はい、私は教師なんです。ナントカ小学校のみんな〜〜見てる〜〜?!」とか言いながら、カメラに両手を振る若い女性もいました。

みんな、チャーターしたバスやアムトラック(鉄道)や飛行機でワシントンDCに駆けつけて、笑いながら涙を流していました。あの就任式フィーヴァーは「やらせ」ですが、あの人たちの涙は本物でした。

オバマさんは、若くて長身でハンサムで、優秀なばかりでなく、カリスマ性はあるし、演説はうまいし、声はいいし、マナーはいいし、奥さんを顔や姿かたちで選ばずに、優秀さと有能さと人柄の魅力で選んでいるし(そこが並の男じゃないのですわ)、ふたりのお嬢さんは子どもらしく可愛いい(10歳ともなると、アメリカの特に白人の女の子は色っぽくセクシーで品がないのも多いが・・・あれは親の程度が低いのだろ〜)。

スピーチライターが若くてハンサムらしいが、どっちにせよ、あの「地味な就任演説」を選んだように、大向こう受けする調子のいい就任演説はしなかったように、オバマさんは、はったりかまさない真面目な人柄です。私がガキの頃から知る限り、今までのアメリカ合衆国大統領の中でも、非のうちどころがありません(と、思う)。

前のクリントンさんもブッシュさんも、最初から、いかにも性悪で軽薄な感じでしたが、今度のオバマさんは、ほんとに良心的な感じです。

「こんなに人柄が良い人がアメリカ合衆国大統領なんかになって、大丈夫かな〜〜かわいそう〜〜アメリカの経済立て直しのために、何でも冷酷にやらないといけないのに〜〜かわいそう〜〜お体に気をつけてください。奥さんのミシェルさんも大変だなあ〜〜惚れ抜いている3つ年上のハンサムで立派なご主人が傷ついて疲れてボロボロになるのを傍で冷静に見守ってないといけないなんて、かわいそう〜〜しっかり支えてさしあげてくださいね〜〜」と、私のような関係のない外国人が、そう思ってしまうほどに、この御夫妻は自然で豊かな魅力を発散しています。

「アメリカ合衆国の大統領」というのは、日本で言えば、「皇室&首相&映画スター&宗教的指導者&ロック・スター」を、まとめて一身に体現する存在です。超ウルトラ・スーパースターです。これほどの立場のスター性を身につけるのは、生身の人間には無理に思えますが、今回のオバマ大統領は、十分に、その種の「超ウルトラ・スーパースター」をやっています。すごいです。これほどのスター大統領は、JFK以来です。最初の黒人大統領という点から見れば、JFK以上です。ほんとうに、オバマさんは空前絶後の大統領です。

私は、バラク・オバマさんに特に関心はなかったのですが、今回の就任式の姿をTVの生放送で見ていて、この方が好きになりました。いい人じゃないの〜〜♪奥さんのミシェルさんも好きになりました。情のある度胸のすわった女性です(と、思う)。カメラに映し出されていた、オバマさんのその大きな手のひらに刻まれた運命線が、手相学的には50歳あたりで切れているのが気になりますが、占いなんかお遊びだからさ・・・

しかし、ニューヨークの街を歩く人は、いつもと同じでした。就任の日には、ロックフェラーセンター前にも、大きなDisplayと言いますかモニターが設置されていましたが、そこで立ち止まって、ワシントンで行われている就任式の行事を見ている人は、あまりいませんでした。ふつーにスタバでコーヒー飲んで、そこの無線ラン使ってパソコン仕事して、仕事済ませたら、足早にサッサと立ち去るニューヨーカーの姿に、特別に変化はありませんでした。

ところで、私は、昨日22日木曜日の昼下がりには、『ジャパン・ハンドラーズ---日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち』(日本文芸社、2005)や『世界を動かす人脈』(講談社現代新書、2008)の著者の中田安彦氏の薦めもあって、レキシントン通りと三番街の間に位置する146 East 64th Streetにある、アメリカの真の支配者、いや世界の帝王(?)らしいDavid Rockefeller氏のマンハッタンの住居を見物に行ってきました。屋根裏部屋(attic)入れて4階建ての赤煉瓦の上品な格調のある瀟洒な建物でしたが、いかにもいかにも成金的ゴージャスというわけでは決してない点が、ロックフェラー氏のマンハッタンの公然の隠れ家(?)らしくて、良かったです。

Rockefeller

写真をご覧下さい〜〜これが、1915年生まれの世界の真の帝王(?)デイヴィッド・ロックフェラー氏のマンハッタンの住居です〜〜ちゃんと監視カメラが設置されています〜〜♪★

欧米のお金持ちは、大都市の高級住宅街に住居を持つと同時に、郊外にカントリー・ハウスと呼ばれる別宅を所有するのが習慣ですが、ロックフェラー氏もニューヨーク郊外のWestchester CountyにHudson Pines Farmと呼ばれる、国立公園みたいにメチャクチャに広い敷地に邸宅を構えています。Sleepy Hollowの伝説で知られるTarry Townが近いです。ここは、お金持ちの住居が集まるんで知られる美しい町です。ロックフェラー氏所有のHudson Pines Farmのなかには、川も湖も森も教会も、Farmですから、もちろん牧場もあります。ここで伸び伸びと(?)育てられた牛の肉ならば、塩コショウして焼いただけでも、ソースなんかなくても、うまいだろうな〜〜と思わせるような清潔で美しく広い牧場です。

なんで、そんなことを私が知っているかといえば、このHudson Pines Farmというのは、観光客に開放されているので、私も、ハドソン河北上クルーズとセットになった観光バスでのTarry Town中心財閥邸宅見学ツアーに参加したことがあるからです。今は昔の2000年夏のことでした。

ハドソン河北上沿岸の高台には、だいたいが、お金持ちの広壮な邸宅や、大学卒業後に令嬢たちが入学するFinishing School(花嫁学校)のお城のような豪華な建物があったりしまして、船から見える風景も飽きさせません。アイン・ランドの『水源』にも、ハワード・ロークがハドソン河北上沿岸の高台に立つ邸宅の設計を依頼されたのはいいが、依頼主の奥方と馬鹿娘の度重なる干渉のために苦労するというエピソードがありましたね。ロークの恋人のドミニクは、非社交的で変人すぎて、お嬢様学校Finishing Schoolを退学になりました。『肩をすくめるアトラス』のヒロインの家族が代々居住してきたカントリー・ハウスもハドソン河沿岸にありました。

アメリカのお金持ちは、広大な敷地の中に別に新しいお屋敷建てると、古いお屋敷は、カーテンからクッションからベッドのシーツまで、家具も調度品も日用品も装飾品も、テキトーにそのままにして博物館にします。入場券とって観光客に開放します。なかにカフェやカフェテアリアや土産物店を作って、観光客の便宜をはかります。税金対策でもあるらしい。で、そのお屋敷内をガイドするオバハンに率いられて、観光客がぞろぞろと、広壮な家の中をあちこち上下へと、ウロチョロするわけです。

英米の小説を呼んでいると、drawing roomとかlibraryとか reception roomとかhallとかsitting room とかfamily roomとか住宅内名称が出てきますが、現物を見ないとピンときません。Hallは「広間」だと機械的に思うと、小説の登場人物の動線がわからなくなります。玄関を入ったところにある広いスペースがhall(hallway)であって、パーティで踊る部屋は、ballroomです。パーティの最中に、若い恋人たちが二人きりになりたくて、こっそり逃げ込むのが蔵書室のlibraryです。

今は懐かしき英文学者になろうとしていた昔の私は、こういうツアーに紛れ込んで、玄関から入ったところのスペースにある椅子は、どうでもいい客を待たせておく場所なんだな〜〜とか、居間といってもいろいろあって、お客接待用と家族づきあい親しい客接待用と、ほんとに内輪の家族用と、食後のお茶のみ用とか、いろいろあるんだ〜〜とか、こういうお屋敷の一階には、使用人たちが住んで、正規の住人は2階以上に居住するんだな〜〜とか、屋根裏は居候か、ちょっと困った家族用の部屋なんだな〜〜とか、この種のツアーに紛れ込んでは、熱心に眺め見つめ勉強したものでした。

この種のツアーには、外国人観光客はあまり参加していません。いかにも田舎から出てきました〜〜というアメリカ人ばかりです。ガイドさんも「どこから来たの〜〜?」と質問し、観光客は「オハイオから〜〜」とか「ヴァージニア〜〜!!」とか、それぞれに手を挙げて答える、そんなツアーです。

ガイドさんは、非常にもったいぶって説明します。この肖像画は先々代のナントカさんの美人の誉れ高かった最初の奥さんで〜〜でも若くして肺炎で亡くなってしまって〜〜とか、このキャビネットは、ナントカさんが小さいとき、ここに隠れるのが好きだった場所で〜〜とか、これは、かのアンドリュー・カーネギーからの贈り物の花瓶で中国の皇帝が使っていたらしいです〜〜とか、昔は寝室にバス・ルームがなかったので、こういうオマル(pot)を使っていたんですよ〜〜優雅なオマルでしょ〜〜とか言いながら、ガイドさんが、古ぼけた(蓋つき)洗面器みたいな形の黄ばんで細かなひびが入っている陶器の尿瓶(しびん)を指差し、観光客はうんうんと感心して、うなずきます。

19世紀ぐらいは、まだまだアメリカ人の体つきもでっかくなくて、ベッドも部屋もそんなに大きくも広くもありません。第二次世界大戦前のアメリカ人の家族の住居の平均的面積は84平方メートルぐらいでして、これは現代の日本の普通の家族用マンションの3LDKの広さと同じようなものです。アメリカの住宅やアメリカ人の体格が本格的にでっかくなったのは、1950年代以降です。ですから、18世紀や19世紀に建てられたお屋敷は、日本の地方の旧家のお屋敷の趣に似ていて、どこか懐かしい感じもします。

何の話か?今回のランド節は、そのロックフェラーさんとか、世界を牛耳る人々の思惑どおりに、この世界はOne World Orderへと進み、一般庶民の人畜化は着々と進行しているかもしれない〜〜まず、その人類牧畜化プロジェクトの一環として、前衛的試みとして、アメリカのTV番組は、すごいぞ〜〜ということを、書きたいのであります。

アメリカのTV番組は、「小うるさくて文句は多いが頭は悪い一般庶民をして、退屈させずに死ぬまで、おとなしく暇つぶしさせておく装置」として、非常に巧妙にできているなあ〜〜と、私が大いにあらためて感心したことを書きたいのであります。

アメリカでも2月の17日(だったかな?)からTVはみなデジタル放送になり、全米2000万人がTV視聴できなくなるから、今のうちにケーブルTVを契約しましょう〜〜安いですよ〜〜とCMが、さかんに言い立てていますが、ここまで面白いTVは危険だ、見ないほうが脳のためには絶対にいいんじゃないか・・・と思わせるほどに悪魔的に面白いのが、今のアメリカのTVです。

しかし、前置きが、あまりに長くなりすぎました。本日は、ここまでにさせていただきます。題名と関係ないこと、散々書きやがって〜〜と怒らないでください。申し訳ありません。私だって、はるばるニューヨークまで来ているのです。部屋にこもってのパソコン仕事だけには集中していられません。悪しからずご了承ください。

さて、今朝は、桃山学院大学OGの女性から、「結婚します〜〜大学のチャペルでお式しますから、センセイも出席してください〜〜」というメイルが届いていました。お相手はイタリア人の方で、コミュニケーションは英語だそうです。4年生の学生さんからは、学内の論文コンテストで、「アメリカ支配終焉後の国際社会のヴィジョン」という題目の30ページ以上の英文論文で、優秀賞取りました〜〜しかし、なんで最優秀賞の学長賞(賞金20万円)じゃないのですかね?〜〜というメイルが届いていました。

日本の若い人々も、どんどん変わっていますね。