アキラのランド節

アメリカ帝国の人民操作法としてのTV番組(その2)  [01/29/2009]


前回の続きです。というか、やっと本題です。今回のニューヨーク滞在で、私が確認したことのひとつは、今のアメリカは、TV観ていれば時間がつぶせて人生をそこそこ退屈せずにすごせるようにできているので、TVを見せておきさえすれば、人民操作は簡単だという話です。

TVがなかったら、人々はカネがかからず、努力もしなくていい暇つぶしがなくなって、不満をためて世情不安定になるので、テキトーに食えてTV観て時間過ごせば人生が終わるようにしておくことは、ややこしいこと考えずにのんびり漂流させておくことは、人民操作の有効な方法であり、かつ高度な福祉活動なのであります。

だって、そこそこテキトーに食べてゆける先進国の場合は、ほとんどの人間は、自分の生をもてあましています。どうやって生きていったらわからない人々が多いです。衣食足って礼節を知るのはいいのですが、衣食住足って、寿命も延びて、小人閑居して不善をなすとなるのが、現実です。

特に、家庭に入っている子育ての終わった女性と老人と、キャリア形成レースに参加できない人々の多くは、暇つぶしに困っています(と、思う)。残酷にはっきり言って、そうです。趣味なんか、所詮は趣味でしかありません。ガキは物心つくのに忙しく、物心ついたら、学校に行って、その中の生存競争、友人の中での位置獲得にいそしんで忙しいです。

食べていくのに精一杯の後進国の人々は辛いでしょうが、暇つぶしに悩むことはありません。だからといって、生きがいを得るために、もう一度貧乏になろう〜〜というわけにはいきません。

まあ、近く到来する大恐慌のおかげで、みんな必死で頑張らないと食ってゆけなくなるでしょうから、今の日本の「衣食住足って、寿命も延びて、小人閑居して不善をなす」現象の心配などしなくてもいいでしょう。しかし、15年もして、経済が安定したら、「衣食住足って、寿命も延びた人民の暇つぶし」に関する問題は、再び浮上します。

ニューヨークみたいな後期資本主義が生んだ、地縁血縁共同体から解放された都会のサンプルみたいな街にいますと、「ドルさえあれば猿でも食ってゆけるニューヨークって、いいな〜〜」と、短期滞在者の私などは喜んでいますが、しかし、自分で自分を管理できない人間(=自分の人生の暇つぶしを自分で見つけることができない人間)にとっては、この種の街ほど、寂しく、寄る辺なく感じられる場所もないでしょう。

しかし、TVさえ面白ければ、大丈夫なのです。死ぬまでの暇つぶしが、できます。ミステリードラマ見ている間に犯人をあてて、「やった〜〜!!」と興奮するあまり、心臓マヒで死ねば、万々歳です。大往生ですわ。いや、ほんと。

その状況は、日本も同じだという意見が返ってくるでしょうが、それは違います。今の日本のTVなんか、めったに面白くないです。あんな程度で面白いとは言えません。

私は、日本で初めてTV放送が始まった1953年生まれです。死後に天国か地獄の門で、鬼か誰かに、「生きているときに、あんた何やった?」と尋問されたら、「テレビ見てました〜〜」と答えてもいいぐらいTV漬けの人生を過ごしてきました。そのTV大好き人間の私が、「つまらんから、勉強でもしよっと」と思う程度のものでしかないです、今の日本のTVは。TVのほうが面白かったら、私はアイン・ランドやらないです。はい。私は、その程度の人間です。なんか文句ある?

日本のTVの幼稚さのおかげで、まだまだ日本は「健康」なのかもしれません。ありがたいことです。これが、本格的に日本のTVが面白くなったら、ヤバイです。日本の危機です。支配層の人々(誰なんだろう、支配層の人々って?)が、悪魔的な確信犯的意志と人民への愛情(?)を持って人民操作の必要性と手段を考え抜いて、実践をし始めたということですから。日本における人民操作の完成が近づいてきた、マトリックスが揺るがなくなったということですから。

アメリカは、中途半端なインテリなら負けるほどに、悪魔的にTVが面白いです。前からだって、アメリカのTVは面白かったのですが、最近の面白さは、「これはまずい・・・」と思わせる面白さです。グレン・グロースがニューヨーク法曹界をかきまわす有力弁護士事務所のトップを演じるDamagesなんか、シナリオの洗練度が、前衛的文学作品並みにすごいです。テーマは、”Don’t trust anyone”です。あそこまで洗練され複雑な構成になると、ふつーの視聴者がついていけないのではないか?と思わされますが、それぐらいの、似非インテリをぶちかます水準の作品でなくては、アメリカのTV界では認められません。

今のアメリカのTV番組の目玉は、大雑把に言って、視聴者参加番組とシナリオが実に巧みに洗練されて良くできているミステリー系連続ドラマです。スタジオで収録されて笑い声まで放送される類の昔ながらのsitcom(situation comedy)も人気がありますが、やはり目立つのは視聴者参加番組と連続ドラマです。

何シーズン(1シーズン半年間24回ぐらい)も続いている人気連続ドラマだと、日本でも放送されていますし、DVDも発売されています。ですから、皆さんも、以下のことは、良くご存知でしょう。アメリカの連続TVドラマが、並みの映画作品なんかよりも、いかほどに脚本がよくできていて、テンポも良くて、情報も豊かで、キャラクターも魅力があることか。また製作費も日本のドラマ制作費とは桁違いに潤沢なので、才能のある人材を、いかほどに世界中から集めていることか。DVDセットなど見始めたら、もう・・・

たとえば、日本でもブレイクした『CSI』です。CSIというのは、ご存知Criminal Scene Investigationの略です。警察の犯罪現場科学捜査班のことです。この番組は、CSI: Miami (マイアミ警察の科学調査班)のシリーズと、CSI: New York (ニューヨーク警察の科学調査班)のシリーズと、単にCSIとだけあるシリーズがあります。もともとは、単なるCSIでした。人気があるし、他局が真似することは目に見えているから、ならば、マイアミ版とニューヨーク版作っちゃえ、というわけで3種類あります。曜日を変えて放送されています。この3つとも、非常に面白いです。

アメリカでも日本で人気があるのは、CSI:Miamiです。その大きな理由のひとつは、チーフのホレイショーを演じるDavid Carusoという中年の男優さんが、渋くてカッコいいことです(最近、来日したそうですが?)。いかにもアメリカ南部にいそうな物静かで地味な小柄なオッサンですが、いかにもアメリカ南部的な温かみと優しさを感じさせるオッサンでもあります。と同時に、犯罪捜査に関しては冷徹な頭脳を見せます。

CSI:Miamiにおいては、他の登場人物も、みなキャラ立ちしています。これも、私の好きなアメリカ連続TVドラマのひとつThe West Wing(『ホワイト・ハウス』)に登場していた、「民主党政権のホワイト・ハウスに、その頭脳明晰さと議論力を買われ採用される共和党員の若き女性」を演じた女優(Emily Procter)さんが、ホレイショーの部下役で出ています。声の甘さと金髪のcool beautyのギャップがいいです。この人、好きだわん。

この番組は、ハードに非情に銃を操るタフな体育会系警官が、次のシーンでは白衣を着て実験検査する科学者になり、次のシーンでは子どもや被害者の家族の心情を気遣います。文武両道のヒーローなんて、もう古いのです。今は、文も武も理もクリアしているヒーローかヒロインでないと駄目なのです。

このCSIシリーズの亜流にNCIS(Naval Criminal Investigate Service)があります。こっちは、国家的犯罪捜査を扱います。国際スパイとかペンタゴンの情報漏洩とか外国勢力と上院議員の癒着とか国家機密の売買とか、そんなトピックです。犯人は、中国系だったり、ロシア系だったり、アラブ系だったり・・・真の愛国者が冤罪で射殺されたりします。こっちのほうが、扱うトピックのスケールが大きいから面白いはずですが、シナリオが、CSIのシナリオほどには、うまくできていません。

ともかく犯罪科学調査系番組は、ドキュメンタリーも入れて、めちゃくちゃにアメリカには多いです。手を変え品を変え放送されています。物質をして事実を語らしめる科学調査以外の犯罪解決法&犯人割り出し法はない趣です。刑事の勘とか推理力関係ないです。なかには、The Mentalist(心理透視者とでも訳すのか)のように、科学捜査に超能力を組み合わせた犯罪捜査番組もありまして、「息抜き」させてくれます。

科学調査資料としての焼き焦げ死体や腐乱死体や死体解剖シーンがバンバン出ます。爆破事件でバラバラになった焼き焦げ死体の断片にナイフ入れて、小片を切り取って、火薬の種類を特定し、爆弾の種類と流通経路を特定します。こういうシーンが、変態的なほど頻繁に出ます。私は、両手で顔を覆って、指の隙間から、この種のシーンを見ます。人間ってのは、死んじゃえば、腐敗して悪臭を放つ生ゴミ以外の何ものでもないな、と思わされます。監視カメラ映像の分析などは感心します。ぼやけた小さい映像の精度を上げて、明確な像を割り出します。

前科は、(不起訴の)万引きも交通違反も記録され、全米ネットワークのコンピューターの端末を操作すれば、みな出てきます。social security番号とか納税者番号(国民総背番号制ですね〜〜)で、国民個人の生活は連邦政府のコンピューターにみなデータベース化されています。

(日本でも、行政に保護を求めれば、国民総背番号制にして、個人情報の管理を国家的に一元化する方向に行くしかないです。ならば、年金不払いということも起きなくなります。官僚に仕事期待すれば、管理されます。)

当局がその気になれば、指紋やDNA鑑定や骨格分析に、話し言葉のアクセントからの出身地居住地特定に、署名筆跡の分析に、銀行証券口座調査に、ATM使用場所の特定に、クレジット・カードの使用記録に、借金記録に、医療機関での治療記録に、銃購入記録に・・・みな、バレバレです。

あの種のドラマは、視聴者をして「おとなしく生きていくしかないな〜〜」と思わせます。「警官という公務員は頑張っているな〜〜この人々を敵に回すと厄介だな〜〜」と思わせます。視聴者は、自分がコンピューターのデータベースのネットワークに捕獲された情報の一片でしかないことを知らされます。自由もプライヴァシーもありません。民主主義なんか、ありません。この構造からの逃げ道などなさそうです。あの手のTVドラマは、国民管理組織&操作を国民が内面化して、引き受けることに、大いに貢献しています。すごいですわ・・・

それはさておき、しかし、私は、アメリカ連続TVドラマについてではなく、「視聴者参加番組」の方に関心があります。視聴者参加番組と言えば、クイズ番組とか、オーディション番組とか、トーク・ショーとかが代表的ですが、日本にはないが、アメリカには「TV裁判」という視聴者参加番組が多くあります。私は、そこに登場する視聴者たちの姿に、ふつーのアメリカの人々の姿に、関心があります。

アメリカ社会の姿は、20年先の日本社会の姿だといわれたりします。となると、アメリカの視聴者参加番組に登場するアメリカのふつーの国民の姿は、20年先のふつーの日本人の姿に近いのでしょうか。ちょっと、考えてみたいと思います。

「TV裁判」ですから、「ほんとうの法的に有効な裁判」がTV放送され、公開されます。日本では考えられませんが、法律にのっとって裁定されるのですから、公開でも問題はないと、アメリカでは考えるようです。スタジオが法廷になり、視聴者が傍聴席を埋め、原告も応募してきた視聴者です。被告は視聴者の原告に訴えられた視聴者です。裁判官は本物の裁判官です。

日本人的感覚からすると、「裁判沙汰」という言葉があるくらいに、裁判なんてものは、たとえ原告であっても、生涯関与したくない「おぞましきもの」です。ましてや、「被告」なんて立場になって、その自分の姿をTVで放送されたら、「ああ〜〜俺の人生もここまで落ちたか・・・TVの見世物になったか・・・・」と当事者は思うでしょう。

裁判官とか弁護士とか検事とか警察とか軍とか医師とか、人間のマイナス面や不幸に付き合う仕事というのは、社会に必要不可欠な大事な職業ではありますが、できることならば、なるたけ係わり合いになりたくはないというのが、敬して遠ざけたいというのが、私の本音です。

しかし、アメリカの視聴者は、ためらいもなくTV裁判に出演します。恥ずかしそうでもなんでもない。アメリカ人視聴者は、弁護士に依頼するとお金もかかるし、TV裁判ならば安上がりなので、気楽にTV裁判に依頼するようです。「Judge Judyに出るのは嫌だから、借りたカネは返すよ」と、友人同士で言う冗談の定番があるくらいです。

原告にせよ被告にせよ証人にせよ、参加者に出演料とか交通費が出るのかどうかわかりませんが、私は、出ると思います。言うまでもなく、告訴内容は、あらゆる類の「カネ返せ&損害賠償しろよ〜〜系」事件ばかりです。原告も被告もカネに困っている人々ばかりですから、いささかでも出演料が出なければ、出演しないと思います。

アメリカのTVの昼下がりは、この「TV裁判」番組が各局で花盛りです。私が知る限りでもJudge Judy(熟年ユダヤ系白人叱咤激励系女性)に、Judge Karen(中年にさしかかり風アフリカ系人情母性系女性)に、Judge Pirro(中年ヒスパニック系キャラ立ち不足系女性)に、Judge Mathew(中年アフリカ系温厚系男性)があります。Fox5局なんか、Judge Hatchet(若いアフリカ系キビキビ・ギャル系女性)にChristina’s Court(熟女美人白人女性) にJudge Alex(元警官で裁判官になったイケメンWASP系男性) にJudge Joe Brown (アフリカ系ユーモア親父系男性)と4番組も、立て続けに昼間に放送しています。さすが、右翼系保守の牙城的テレビ局だけのことはあります。健全な国家は、法の遵守から。

多分、この種のTV裁判番組は、テレビ局の数も多い広いアメリカですから、まだまだ他にもあると思います。

事の起こりは、1996年9月に始まったJudge Judyが国民的人気番組になったことでした。DVDになっているくらいです。ベートーベンの「運命」をテーマ曲にして始まる番組です。番組開始当初は30分番組でしたが、現在は、週日のほぼ毎日午後4時から5時までの1時間番組になっています。この番組の成功のかなりの部分は、Judith Sheindlinという、風貌&名前から見てユダヤ系以外にはありえない女性裁判官のジュディさんの魅力に負っています(http://www.judgejudy.com/#)。

ジュディさんは、番組が始まった頃は50代半ばくらいでしたが、今は、60代終わりくらいです。しかし、顔は昔よりも若々しく肌もなめらかそうで綺麗です。美容整形手術で皺とって、額にも頬にもボトックス注射しているのが、明々白々です。歯も審美歯科製の真っ白な入れ歯っぽく美しいです。そのせいか、昔よりも、笑顔が、少しだけですが引きつって不自然に見えます。

このジュディさんの魅力は、低い声でズケズケしゃべり倒す、キッパリと厳しく辛らつでありながら、サバサバしていて、情も温かさもあるインテリのオバサンの魅力です。小柄なので、威圧感もあまりないのもいいのでしょう。

たとえば、こういう事例がありました。原告は若い女性で、被告はその女性の父親の元交際相手の中年女性です。原告は、原告の母親の形見であるキャビネットを返して欲しいと、被告を訴えました。被告は、原告の女性の父親のガール・フレンドであったときに、この父親に多額のカネを貸しました。関係が決裂したあとに、この父親に被告はカネの返済を求めましたが、父親は返済しませんでした(その父親も出廷していましたが、いかにもいかにもの駄目男)。

ならば・・・ということで、被告は、原告の父親が住んでいた家にあった目ぼしい家具などを持ち去りました。少しでもカネに替えようというわけです。その中には、原告の母親(被告の元交際相手の亡き妻)のキャビネットも含まれていました。原告にとって、そのキャビネットは唯一の母の形見であり、亡き母の私物が入っています。そのキャビネットは、原告の父親の家にある家具の中では最も上質であり、原告の母親が「嫁入り道具」で持ってきたものです。原告の母親は、5年以上も前に癌で亡くなっています。

ジュディさんは、原告と被告の言い分を聞いて、それぞれに質問します。原告の父親であり、被告の元交際相手&ヒモであったオッサンも質問されます。要するに、このオッサンが駄目男だから、こういう事件が起きたわけですから、原告は被告を訴える前に、自分の馬鹿父親を訴えてもいいような気がしますが、原告は母の形見のキャビネットを取り戻したいだけであって、父親なんかには、すでに愛想を尽かしている感じです。だよなあ・・・

このとき、事実だけ簡潔に答えないとジュディさんは怒ります。質問されてもいないのに言葉を発すると、原告だろうが被告だろうがオッサンだろうが、大声で叱ります。質問されたことに答えずに、他のことを話すと、「シ〜〜ッ!!質問されたことだけに答えなさい!」と怒ります。無駄口たたかず、事実だけ当事者から集めて、法律どおりに裁定します。そのスピーディーな採決は確信に満ちています。「私が法と秩序よ!」という断固とした姿勢です。

この「母の形見のキャビネット返せ」事件では、被告が原告の父親がいかにカネにだらしないか、いかに自分に寄生してきたかを声高に話しました。すると、ジュディさんは、「それと、これとは関係ない!このキャビネットは、あなたの所有物ではない!あなたにキャビネットを持つ権利はない!原告に返しなさい!」と命じます。「私は被害者ですよ!カネを返してもらっていないんですよ!このキャビネットを持つ権利が私にないなんて、そんな理不尽なこと、誰が決めたんですか!」と被告が言うと、ジュディさんは「私が決めたの!はい、終わり!Dismissed!」と、サッサとガンガン槌をたたいて閉廷します。

こういう事例もありました。原告は、小学生の男の子の父親でアフリカ系です。被告は、原告の息子と同じ小学校に通う男の子の父親で白人です。原告は、息子が被告の息子に、スクールバスの中で乱暴されて怪我したので、治療費の支払いを被告に求めました。しかし、被告は、原告の息子が、被告の息子をからかったことがガキの喧嘩の原因なのだから、治療費など支払う必要はないと言い張ります。

被告の息子は、行動が粗暴で成績も悪く、小学校で同学年を2回もやっているので、体はデブで図体は大きいのですが、まだ小学校5年生です。白人の鈍そうなデブとなると、黒人のお利口さんの男の子は、からかいたくなるでしょう。

この事例など、法的には、正当防衛と納得される事情がなければ、暴力を行使して怪我させた方が支払う、これで決まりのはずです。しかし、裁判官のジュディさんが、ただ法に忠実なだけの人ではないということは、こういう事例のときにわかります。

ジュディさんは、原告の息子を裁判官席に呼び寄せて、椅子に座らせ、「ねえ、名前は何?フランクね、ねえフランク、私に、ほんとうのこと言ってくれる?どうして、あなたは怪我するはめになったの?何が起きたの?」と経緯を尋ねます。フランクちゃんは、きちんと説明します。なるほど、そうかと納得したあとに、ジュディさんは、被告の息子も呼び寄せて、同じく椅子に座らせて、目線を同じ高さにして、優しく被告の息子に尋ねます。「ねえ、ケヴィン、どうして、学校で暴れるの?誰か、嫌なことをあなたに言うの?」と尋ねます。決して、詰問したりはしません。おばあちゃんが、孫に優しく訊いている姿勢です。

すると、被告の息子のケヴィンちゃんは、「なんか、わからないけど、むかむかするんだ。むかむかすると、食べるんだけど、それでもおさまらないときは、モノを壊したりするんだけど、それでも苛々するんだ。いつもなんか怒ってる気分なんだけど、何に自分が怒っているのか、わからないんだ」と、緊張しながらも答えます。この被告の息子は陰鬱な暗い感じのデブです。食生活も含めて生活全般が乱れている子どもだな、とわかります。つまり、家庭に問題があるのが一目瞭然です。

ジュディさんは、被告に生活状態を質問します。被告には3人の息子がいますが、母親はどこかに行ってしまったそうです。被告は、なかなか美男子ですが、情緒不安定で、偏狭頑固で、家庭内暴力系で、抑圧された怒りを長年の間に抱え家族に当り散らしてきた感じです。いかにも奥さんに逃げられそうな感じです。しかし、自分まで息子を遺棄して逃げることはしない、根っこが生真面目で不器用な感じの孤独な感じの中年男性です。彼なりに不器用なやり方で息子を愛しているのかもしれません。息子たちに心理的に依存しているのかもしれません。そういう未熟な親は多いでしょう。

質問の過程で、被告が男手ひとつで3人の息子を育ててきたこと、問題の息子は末っ子で、お母さんのケアを受けることが一番薄かったことが、わかってきます。ジュディさんは、「あなたの息子さんの状態は病的です。カウンセリングが必要です。あなたは、息子さんの状態にもっと注意を払うべきです。息子さんは、苦しんでいるのですよ」と被告に言います。被告は、「そんな余裕はないですよ。息子3人育てるために働くだけで精一杯です。そういう苦労を知らない人間に、とやかく言われたくない」と答えます。

ジュディさんは、大きな声を上げて被告を叱ります。「みんな、子育てには苦労しています!働くのに苦労はつきものです!カウンセリングを受けさせなさい!あなたは、息子さんの人生をどう思っているんですか!こんなに大きくなって、まだ小学校5年生でいなければならない息子さんの気持ちを、あなたは考えたことがありますか?!彼は、馬鹿じゃありません!この子には知能の遅れなんてありません!さっきの私の質問にも、きちんと答えていたことが、その証拠です。この子は、いい子ですよ。彼は、心の問題があって、勉強に集中できないのです!だから、乱暴してしまうのです!取り返しがつかなくなる前に、息子さんの心の病気を治すのが、親としてのあなたの義務です!まず、ともかく、息子さんの病気を治しなさい!はい、被告は原告の治療費2000ドルを支払うこと!閉廷!」

この種のTV裁判番組が、法律情報提供教育番組であると同時に、それ以上であることは、こういうときに、はっきりします。ジュディさんは、最初は単なる法律情報教育番組として企画された番組を、自分の個性と毒舌で、一種の「身の上相談&自己啓発説教番組」に変えたのです。

ジュディさんの人気は一時期はすごくて、「ジュディさんこそ、アメリカ合衆国最初の女性大統領になるべきだ」という視聴者の意見もあったぐらいです。

このジュディさんに迫る人気を獲得しつつあるのが、2008年9月に始まったJudge Karenです。ジュディさんの姿勢は、あくまでも正統な裁判官スタイルで決着をつけて、そこに温かい人情味を、少し加えるというものです。一方、カレンさんのスタイルは、いかにも情の厚そうなホットなアフリカ系女性らしく人情味を前面に出しています。特に「女性の味方」という姿勢を打ち出しています。

裁判官のガウンは黒色のはずなのに、カレンさんは、赤のガウンを身につけ、イヤリングにネックレスジャラジャラ着けて、つやつやのルージュをつけて化粧も濃いです。ジュディさんは、あまり笑わないのですが、カレンさんは、クネクネと体を動かし、表情も豊かで、よく首を傾げて色っぽい甘い笑い方をします。

私は、ハード・ボイルドで怜悧なジュディさんも大好きですが、体クネクネの色っぽい系カレンさんも大好きです。ジュディさんが「(森光子風味)野際陽子」さんならば、カレンさんは元祖巨乳アイドルの「(市原悦子風味)かたせ梨乃」さんです。って、若い人にわかるかな。

こいつは、仕事もしないで、ニューヨークまで行って何をしているのか?と、この文章を読んで思う方もおられるでしょう。私は「TVを観て、新聞読んで、街をふらついています」としか、答えようがないのですが、私としましては、20年後の日本を予測するためのフィールド・ワークをしているつもりです。はい。