アキラのランド節

アメリカ帝国の人民操作法としてのTV番組(その3)  [02/20/2009]


ニューヨークから帰った後の時差ボケと35年間に渡るアメリカ合衆国への片想いが終った後の脱力感に花粉症が加わってウジウジウカウカしているうちに、2月も下旬になってしまいました。

本題に入るまえに、お知らせいたします。

(1)『利己主義という気概』の書評が、『WEBマガジン出版翻訳』の「エッセー:一冊の本」というコーナーに掲載されました。書評者は、吉田祐二さんという方です。簡潔で面白い書評をいただきました。吉田さん、ありがとうございました。

このウエッブ・マガジンは、出版翻訳関連の情報を提供すると同時に、名翻訳家の藤岡啓介氏を中心に運営される翻訳者養成講座も提供しています。外国語ができる人間が社会に貢献できるとしたら、まずは翻訳ですよねえ。人文系&社会科学系後進国の日本人研究者にとっての主たる仕事が、欧米の研究の正確な紹介ならば、本人以外は誰も読まない論文書くよりは、まっとうな翻訳して解説書くほうが、はるかに意義があります。

私も、「エッセー:翻訳の海から」というコーナーに、拙文を掲載していただきました。3回連続の「人生は想定外---私がロシアに行ったわけ」と、5回連続の「アイン・ランドに正面から衝突するとのゴリヤク」です。お気が向いたら、読んでやってください。

(2)『利己主義という気概』の書評が、『副島隆彦の学問道場』の「今日のぼやき」に掲載されました。書評者は、副島隆彦氏のお弟子さんの吉田祐二さんという方です。とても優れた書評を書いていただきました。吉田さん、ありがとうございました。はい、そうです。『WEBマガジン出版翻訳』の書評者と同一人物の方です。はい。仲間内でやっています。何か問題でも?

(3)アイン・ランドのお墓参りに行く予定のある方に、「便利な行き方」をお知らせいたします。

ランドのお墓のあるsect free(宗教宗派こだわらず)の広大なる霊園Kensico Cemeteryが位置する場所は、グランド・セントラル駅から各駅停車の電車で40分ほどのところにあるValhalla(Westchester County)です。この町は、アメリカの郊外地がみなそうであるように、自動車がないと、ニッチもサッチも行きません。バスは本数が極度に少なく、タクシーはありません。私が2001年8月最初に行ったときは、この霊園に行くのにも、そこから帰ってくるのにも、大いに苦労しました。駅前のデリ(コンビニ)のお兄さんに20ドルお礼するから霊園まで乗せて行ってくれないかと頼み込んで、やっと到着できました。2005年2月に行ったときは、ゼミ旅行の引率でしたからバスをチャーターしましたが。

3回目のアイン・ランド墓参は1月30日でした。初回の体験に懲りて、今回はValhalla駅より2駅前のWhite Plainesという比較的大きな駅で降りました。そこならばタクシーもバスもあります。駅前のタクシーのアフリカ系の運転手さんに事情を話しまして、霊園まで行き、管理事務所で地図もらって、地図をたどって、ランドとご主人のフランク・オコーナー氏のお墓まで乗せてもらって、運転手さんには待っていただき、お墓のお掃除とお参りをすませて、同じタクシーでWhite Plaines駅に戻りました。そこから、電車に乗ればマンハッタンに帰れます。この行き方が最も時間の節約になる!

アメリカの郊外地のタクシーの運転手さんの中には、アメリカでは、だいたいの州で禁じられている「乗り合い」(同じ方向の複数の客を同時に乗せること)を実行する人がいます。車の中に料金表示の機械がなく、口頭でチップ込みの料金を提示します。この種のお客さんぎっしりの「乗り合いタクシー」は、実は珍しくありません。私も別のお客さんと同乗しました。そのお客さんは、Valhallaにある、外壁が墓標のごとく異様に真っ白なターミナル・ケア用老人病院の前で降りました。幽霊みたいに物静かでほっそりとした若い女性でした。運転手さんが9ドルと提示したのに応じて10ドル札出して、ちゃんと1ドルお釣り受け取っていたから、幽霊ではなかったのだろう。

そのタクシーの運転手さんは、とても親切で感じが良くて、私は大いに助かりました。料金は、運転手さん提示価格では、チップ込み45ドルでしたが、私は60ドル払いました。運転手さんは、アイン・ランドの本は読んだことないが、名前は知っているそうです。あの運転手さん、積もった雪に短い脚をとられながらキャアキャア騒ぎながらお墓の掃除していたジャパニーズの、小さくて変ではあるが気前はよかった客に遭遇したことがきっかけで、The FountainheadやAtlas Shrugged読んでくれないかなあ〜〜♪?★

cemetery

アイン・ランドの愛弟子だったバーバラ・ブランデン(Barbara Branden:1929-)は、1986年にランドの評伝The Passion of Ayn Randを発表しましたが、そのTV映画化作品は、1999年のエミー賞(TV番組のアカデミー賞ですね)を受賞しました。ランド役は、ロシア系英国人の名女優ヘレン・ミレン(Helen Mirren:1945-)さんが演じました。そのTV映画The Passion of Ayn Randの最後のシーンは、バーバラさんによるランドのお墓参りです。バーバラ(役の女優さん)がランドのお墓の向こうに見えるマンハッタンの摩天楼を望み、師を思い涙を流す・・・そこに劇的な音楽が流れるというものです。

あのシーンを真に受けてランドのお墓参りした若者がいたら、さぞびっくりしたことでしょう。ランドのお墓は、あんなに大きくありません。慎ましいもんです。あそこからマンハッタンの摩天楼など絶対に見えません!見えてたまるか。

さて、やっと本題です。アメリカのTV番組の話です。これは、一種の巧妙な人民操作だなあ〜〜と思わせる、現代のアメリカのTVで花盛りなTV裁判バラエティ・ショー(としか言いようがない)の話です。長くなりますが、今回でも完結しませんが、気長に読んでやってください。

ユダヤ系ハード・ボイルド風正統派初老女性裁判官のJudge Judyではなく、今回はアフリカ系スイート風人情派ちょっと中年さしかかり女性裁判官のJudge Karenの話です。

こういう事例がありました。原告は白人の中年女性です。仕事は音楽スタジオ経営者です。元は美人だったみたいですが、今はやつれています。被告は、彼女の元同棲相手で、彼女より8歳ほど年下の男性です。ミュージシャンだそうです。ジョン・トラボルタを細くして、もっとニヤケさせて、もっと軽そうにした男性です。この二人は、風貌雰囲気からすると、いかにもミス・マッチです。「生真面目思い込み中産階級神経症女」と「のん気遊び人風下流気まま男」の組み合わせです。

原告の女性は、被告の男性に貸したカネの返済を要求しています。被告は、あれは彼女から僕への「ギフト」であって、借金じゃないと主張します。

こういう事例の場合、ジュディ裁判官ならば、「xxxドルを借ります。返済は、こうこうで、x月x日までに月賦で・・・」とか書いた署名つき借用書とかEメイルとか携帯電話のメイルとか録音テープとかの証拠がなければ、「借金」とは見なしません。道義上に問題があっても、法的には問題がないからです。裁判所は、既成の法律条項に照らし合わせて違法かそうでないかを選別決定する場所であって、正義を実行する場所ではありません。

仮に、稼ぎのある女が稼ぎのない男に何がしかのお金を渡したという事実が証明できたら、男が女に何がしかのカネを返すのは道義上当然のことであるから、何がしかは返済すべきであるという程度の判決は出るかもしれません。しかし、その場合でも、原告の女性が被告の男性に出したカネを、全額取り戻すことは不可能です。

ジュディ裁判官ならば、原告の女性に対して、「関係がうまく行っているときは男にカネ出して、関係がうまく行かなくなったから、カネ返せ〜〜は、通用しません。もっとオトナになりなさい!」と原告に言って、サッサと告訴を却下するでしょう。

また、ジュディ裁判官ならば、被告の男性が、パナマ帽みたいな浮かれた帽子をかぶって派手なアロハ・シャツみたいなもの着て出廷していることについて、「あなたの格好は法廷に出席するのにふさわしくありません」と、最初に注意するでしょう。法廷においては、男性ならばスーツにネクタイが普通です。

ジュディ裁判官は、胸の谷間を見せつけるような肌を大胆にさらしたミニ・ワンピースなんか着て出廷する女性にも、ちゃんと同じ注意をします。この種のTV裁判に出廷する女性のうち、若い女性のかなりが、この種の、ほとんど下着みたいな「売春婦さん風スリップ・ドレス」を身につけています。アメリカの流行なのかな。日本でも、そう?「階層」ということかな。

また、ジュディ裁判官ならば、「体をまっすぐさせなさい!ここは法廷です!私は、あなたのような、だらしない態度は好みません!」と、まっすぐきちんと立っていられず、絶えずユラユラ体を動かしている、この能天気な被告の男性を叱りつけるでしょう。

しかし、カレン裁判官は、何につけても、ジュディ裁判官ほど「お堅く」ないです。カレン裁判官は、まず原告の女性の心の傷を癒すべく努めます。

「そうなのおお〜〜あなたは、彼を自分のアパートメントに住まわせて、生活費も全部出していたのですね〜〜あなたが経営する音楽スタジオも、彼や彼の仲間に無料で使わせていたのですねえ〜〜彼が演奏旅行のツアー中にも毎日彼に電話したのですね?クリスマスや誕生日にも彼に必ずプレゼントしたのですね?で、彼はあなたに毎日電話してくれたのかしら?クリスマスや誕生日に、彼からプレゼントはあったのかしら?えええ〜〜???そお〜〜?そうなのお〜〜?!プレゼントしてもらったことがないのお〜〜〜まあ〜〜あなたは、自分を愛するよりも、彼を愛してしまったのですねえ〜〜」と、カレン裁判官は首を傾げながら、細かな質問を原告女性にして、同情を惜しみません。

それに対して、被告の遊び人風オニイチャンが、「僕だって、ちゃんとプレゼントしましたよ。歌を作って捧げましたよ」と、抗弁(?)します。背後の傍聴席から失笑がもれます。

「アホか」という感じでカレン裁判官は、彼の顔を呆れたように眺めつつ、にっこりと笑って、「へ〜〜どんな歌かしら〜〜?ちょっと、ここで歌ってくださる?」と被告をからかいます。あいにくと、被告はその歌を忘れてしまって、歌えませんでした。またも、背後の傍聴席から失笑がもれます。冷笑かな?

しかし、この被告にも優しいところはあって、原告が乳癌で入院していたときは、ほぼ毎日見舞いに行ったし、電話もした、ということは、ちゃんとカレン裁判官は聞き出します。生活費全部面倒見てもらっているからこそ、アーティスト(?)活動できるのだから、その同棲相手が大病のときの支援(無料の「心の支え」)など当たり前のことなのに、この被告の男性は、そこを主張します。「アホか、こいつは。当たり前のことして大げさに自慢するな!ボケッ!!」と、観ている私は、ついTV画面につっこんでしまいます。

カレン裁判官に何言われても、傍聴席から失笑されても、あくまでも、この被告は、始終にたにたヘラヘラ笑っています。陽気で憎めないオニイチャンです。

こういうところに、神経質そうな被告の白人中年女性は、癒されたのかもしれません。信頼できるパートナーにはなれない、ペットにしかなれない程度の男ならば、ドッグ・フードだけ与えておけばよかったのに〜〜♪と、思う私では、永遠に「男女の機微」はわからないのでしょう。ははは。わかってたまるか。

私の英語聞き取り能力の貧しさから、カレン裁判官が、被告に命じた損害賠償の金額と内訳が正確にはわからなかったのですが、8000ドルくらいしか認められなかったようです。原告女性が乳癌で入院中に彼女の部屋の留守を預かっていた被告が家具や設備を壊したりした損害賠償金だけが認められたみたいです。しかし、ともかくも、原告女性の勝訴でした。

カレン裁判官は、最後に原告に、こう言いました。「あなたは、御自分を、もっと大切にしなきゃいけませんよ〜〜他人を自分と同じくらいに愛するのはいいけれども、自分より愛しては駄目ですよ〜〜せっかく癌も治ったのですからね〜〜今度は、素晴らしい人と出会えますよ〜〜」と。

この原告女性は、アメリカ人のくせにAyn Rand読んだことがないみたいです。

被告のにたにたヘラヘラ軽薄男には、「あなたの将来のために言っておきますね〜〜人との関係を、もっと大切にしなくてはいけませんよ。他人からもらうばかりでなく、ちゃんと与えることも学んでください」と、カレン裁判官は言いました。相変わらず被告はにたにたヘラヘラ笑っていました。こうして、この事例は決着(closed)しました。

これって、裁判?

まあ、男に貢いだ女が、男と決裂してから、貢いだ金を返せ〜〜と男に要求したり、男を恨んだりということは、日本でもありがちですし、アメリカのTV裁判でも、その種の事例は多いです。自分にも責任があるのに一方的に被害者顔したがるのは、「伝統的女性」から「真性フェミニスト」になる途上でウロウロしている中途半端な女性の慣習です。しかし、アメリカの場合、関係が破綻してから、女に貢いだ金を返せ〜〜と男が女を告訴する事例も多いです。TV裁判では多いです。もちろん、ゲイ同士の、その種の金銭トラブルの事例もあります。金の切れ目が縁の切れ目どころか、憎悪と裁判の始まり。

男が別れた女に、それまでに貢いだ金を返せ〜〜と要求して告訴するなんて、私にすれば、非常にみっともない光景に見えます。こーいう男らしくない男だから、男にたかるだけの女に利用されたのだろう、自業自得じゃ・・・と、思ってしまいます。しかし、現代アメリカでは、そーいう行為は、特に恥ずかしいようなことでもないようです。

それはさておき、「男女の機微」に理解があるカレン裁判官ですが、親子関係には厳しいようです。

次の事例は、アフリカ系56歳の女性が原告で、被告は、その女性の息子でした。息子は、母親が得た税金還付金(身体に障害ができて、その医療費の控除)の25000ドルを借りました。ちゃんと借用証書があります(ここあたりが、日本の親子には考えられないところです)。15000ドルは母親に返したのですが、残金の10000ドルを、この息子は母に返済しません。「母親の葬式の前払い」に10000ドルは使用したから、返す必要はない、と息子は主張します。

いつもは、温かく優しいカレン裁判官ですが、その事例では、息子と息子の嫁に非常に厳しく応じていました。激怒していたと言ってもいいです。

カレン裁判官は、息子に「あなたのお母さんは、いいお母さんでしたか?」と質問します。息子は「いい母でした。ひとりで働いて僕を育ててくれました。愛情も深かったです」と答えます。「そんな母と息子の関係が、なんでこんなに悪くなったのですか?最近は会ってもいないようようですね?」とカレンさんが質問すると、息子のほうが、「母が僕の妻のことを好きになってくれません。妻と距離を作るんです。ですから、僕もいやになって母と会わなくなりました」と答えます。

カレン裁判官は、「そうなのですか?」と、原告である母親に質問します。原告である母親は、「あの人[息子の妻]は、信用できません。あの人の人柄が嫌いです。ただそれだけの理由です」と、きっぱりアッサリ即答します。

女房と母親が嫌いあっている程度のことで、神経まいらせている男って、何だろうか?気の小さい幼稚な男だな。母親には「僕にとっては、ママが一番。ママ以上の女性はいない。あいつのこと我慢してやってよ。僕の子どもを生んでくれたんだからさあ。僕だけじゃ子どもできないんだもん。ママのDNAを残したかったんだよお〜〜」とでも、言っておけばいいのだ。

女房には、「君だけが頼りなんだよお。君の大きなオッパイのある大きな大きな心で、ママのことは大目に見てよ。ママは苦労して僕を育ててくれたんだからさあ〜〜ママは、君みたいに幸福な奥さんじゃなかったんだからさあ〜〜オヤジは僕らを捨ててどこかに消えちゃったんだしい〜〜」とか言って、女房をチヤホヤしておけばいいのだ。

女は馬鹿だから、まともに相手にしてもしかたないと見定めて、テキトーに調子よく全方位外交しておくのが、息子であり夫である。

姑嫁不仲はさておき、まだ56歳の母親の葬式にかかる費用を将来負担したくないので、借りた金から10000ドルを先に葬式の前払いに使おうと提案して、自分の友人が経営している葬儀屋と掛け合ったのは、息子の奥さんでした。ですから、その奥さんも証人として法廷に出てきました。

カレン裁判官は、10000ドルの内訳を被告の奥さんに質問します。「そう〜〜棺おけの色は白で、中は黒いベルベットになっているのですね〜〜お花は薔薇ね〜〜へ〜〜薔薇が、あなたのお姑さんの好きなお花なのですね〜〜〜?ええ、違うの?へ〜〜ああ、あなたが決めたの〜〜?薔薇は、あなたが好きなお花なのですか〜〜あなたの葬式でもないのにね〜〜〜あなたのお金でもないのにね〜〜♪」と、被告である頼りない男の、いかにも気の強そうな奥さんを、カレン裁判官は、からかうように問い詰めていきます。

どう観ても、この息子の奥さんは、自分の友だちにいい顔したくて、姑さんのお金で、姑さんのお葬式の段取りを決めてしまったようです。まだ56歳の姑さんの、多分30年以上も先になるであろう葬式の段取りを、です。気は強いが、思慮はない女性のようです。

原告の女性が、うんざりするだけのことはあります。この嫁さんも、この嫁に唯々諾々の原告の息子も、かなり非常識なアホです。

この手のTV裁判の場合、裁判官そっちのけで、原告と被告が声高にののしりあうことが多いです。特に、親族間だと多いのですが、この事例の原告である母親は、ずっと平静でした。しら〜〜と醒めていました。「私の生活もありますので、10000ドル返してくれさえすれば、いいのです。私が要求するのは、それだけです」と、静かに言います。それ以外の無駄口は、たたきません。

一方、息子のほうは、ずっとビクビク落ち着きがありません。この母と息子は全く似ていません。原告は、この息子の母親とは思えないほどに、聡明そうな顔つきの品すら漂わせる女性です。この息子は、実子なのか?お産のときに病院で間違われたんじゃないの?妻子置いて蒸発したという父親のDNAだけ、この息子は引き継いだのか?

ここで、いつも微笑みを絶やさないカレン裁判官の怒りが、被告と被告の妻に対して炸裂しました。

「母親の葬式費用を出すのは、息子の義務です!それを、母親が生きているうちから、しかも母親から借りた金で前もって注文しておくなどということが、まともな品位ある(decent)行為ですか?私は、そうは思いません!誰も、そうとは思いません!そんな馬鹿なことが正しいと思うのは、あなたと、あなたの妻ぐらいですよ!あなたは、さっき言ったでしょう!原告が、いい母親だったと!愛してくれたし、慈しんでくれたし、ひとりで頑張って働いて学校の費用も出してくれたって!なのに、あなたは何ですか!その母親の苦労に報いもしないで、何をやっているのですか!恥を知りなさい(Shame on you)!即刻、10000ドルを原告に返済しなさい!閉廷!!!!」

息子がカレン判事にガンガン怒鳴られている間も、原告の母親のほうは、無表情でした。息子と息子の嫁のアホさ加減に愛想をつかして久しい様子です。愚痴言っても始まらないし・・・ま、私は私でやってゆけばいいのよ・・・と覚悟を定めた顔つきです。

これって、裁判?

私の観察によると、Judge Karenを数回見た範囲で言いますと、アフリカ系のカレン裁判官は、同じアフリカ系の男性に厳しいです。

アフリカ系のカレンさんが、法科大学院まで出て、法曹界に入り、TV裁判で人気の裁判官になるまでの道のりは、平坦ではなかったと思います。中産階級に成り上がるまでのアフリカ系アメリカ人の家庭の多くがそうであるように、おそらく、カレンさんの育った家庭も、実質的には家計稼ぎ手(breadwinner)としての男が不在だったか、もしくは身近な親族にそういう家庭が多かったのではないでしょうか。祖母や母親が苦労して家族の面倒を見て、働いて、子どもや孫を育てている家庭を、痛ましい思いで見てきたのではないでしょうか。だから、つい、アフリカ系のだらしない男を見ると、怒りをあらわにしてしまうのではないでしょうか。

ハーレムに住むアフリカ系の女性は、自分の子どもを母親に預けて、自分はアッパー・ウエストやアッパー・イーストの高級住宅街に住むエリートのキャリア・ウーマンの子どもの子守り(baby sitter)をするのです。週日の昼間のセントラル・パークを歩くと、白人の赤ちゃんや幼児をお守りするアフリカ系女性を、よく見かけます。もしくは、いかにもお金持ちらしき風体のご老人が腰掛けた車椅子を押しているアフリカ系女性を、よく見かけます。

南北戦争前の南部の黒人女性の仕事は、乳母に育児に介護に家事労働でしたが、今も、本質的には、状況は変わっていないのかもしれません。南部貴族の奥様が家事や育児を黒人奴隷の女性に任せていたように、現代マンハッタンの華麗なるキャリア・ウーマンも黒人女性がいなければ、家庭と仕事の両立はできません。

アフリカ系の女性は、白人の子守りや介護や、ホテルのハウス・キーピング仕事や、ファースト・フードの店員をしながら、男が遺棄した家族の家計を支えるのです。

下層階級には、気は良い男はいても、「しっかりした男」はいません。「しっかりした男」は、いずれ下層階級から抜け出し中産階級の一員になります。アフリカ系アメリカ人で中産階級化した人々も、もうすでに層は厚いです。このように成功したアフリカ系アメリカ人は、同じアフリカ系の人々の「だらしなさ」に厳しいです。

下層階級の男は、技術や学問習得の機会に恵まれませんし、仕事や職業で男としてのプライドを満たすことができません。ですから、離職率が高くなります。失業しやすいです。仕事に向かうことができないエネルギーは、酒やギャンブルや女などの遊びごとに費やされます。もしくは麻薬や精神病などの現実逃避に向かいます。犯罪などの反社会的行動に向かうことも多いです。

しかし、女は、男ほど空虚な類のプライドにこだわりませんし、子どもに食べさせるためならば何でもやる姿勢が定まっていますから、低賃金の仕事でも、いくつも掛け持ちして、家族を養います。そこに依存して、駄目男は、もっと駄目になります。そういう家庭が、カレン裁判官の子ども時代には、多かったのではないでしょうか。

アフリカ系やヒスパニック系の女性で家庭内暴力にさらされている人は、どんなに殴られても、警察には通報しない傾向が大きいです。なぜならば、警察が、自分の夫や息子や同棲相手をどう扱うか知っているからです。公務執行妨害で射殺されかねません。そういう女の愛情に報いることもできない自分自身の非力に対する自己嫌悪から、家族を遺棄するという現実逃避に走るのは、アフリカ系男性には、ありがちなことです。

今、アフリカ系のインテリ女性の独身率は非常に高いそうです。なぜならば、学歴や職業などにおいて、彼女たちに釣り合う同じアフリカ系の男性が少ないからです。また、ただでさえ少ない成功したアフリカ系の男性は、白人系女性と結婚したがるという理由も、アフリカ系インテリ女性の未婚率の高さの一因だそうです。貧乏から抜け出した成金男が、美人であることだけが取り柄のクルクルパーの「お嬢さん」に憧れて結婚したものの、生まれた息子が母親似の馬鹿で、せっかく築いた財産は息子の代でパーになる・・・というのと、どこか似ています。

ともかく、アフリカ系男性は、アフリカ系女性より「ぐれやすい」。粘って頑張らない。アフリカ系男が頑張らないのは、アフリカ系女の情が濃すぎて、男の面倒見てしまうからでもあります。成人男性との愛情ある交流に飢えた母親が、息子に固着して、息子をまともな男に育て損なうからです。もう、こーいうのは、さんざん人類史が見物してきた、「ありきたりの陳腐極まりない家族の問題」ですねえ〜〜

息子だろーが娘だろーが、他人でしかない。自分の人生を創るという一番の問題から逃げて、他人の世話焼いてきた私が悪いんだわ〜〜息子が馬鹿なのは私のせいだわ〜〜と、考えることができるには、知性が必要です。そういう知性が育まれるには、天性の聡明さか、経済的精神的余裕のある環境が必要です。それらの、どちらもない人々とその家族は、そういう「ありきたりの陳腐極まりない家族の問題」を、性懲りもなく、繰り返します。世代から世代へと、駄目男を生産します。駄目男のお守りをする女を生産します。

というわけで、母親に告訴されたアホ息子に対するカレン裁判官の怒りの背後には、まだまだ根強い「アフリカ系アメリカ人家庭の母と息子の問題、男と女の問題」があるのでした。

TV裁判バラエティ・ショーは、まことに現実のアメリカ社会の縮図であり、同時に、現実のアメリカ社会を「生産する」ものでもあります。次回は、このTV裁判バラエティ・ショーの、どこが人民操作的なのかについて、書きます。

ところで、今年のピン芸人コンテストの『R−1ぐらんぷり』で、「中山功太」さんが優勝しました。私は、中山君のファンです。この人は、すれっからしの下司な感じの芸人が多い吉本興業系には珍しく清潔感のある知的な美男子です。「あなたの美男子の基準がわからん」と夫は言いますが、無視無視。中山君は、いいセンスしています。よく勉強しています。You Tubeで、決勝のときの彼のtalkを何回も見直して、何回も笑ってしまいます。

2008年去年の『R−1ぐらんぷり』決勝にも、中山君は出場しました。去年も、すっごく良かったです。一番よかったです。しかし、審査員が馬鹿ばかりでした。去年までは、このコンテストの放映は深夜放送枠だったので、制作費の関係で安いギャラのしょうもない芸人たちしか審査員として呼べなかったのです。チンピラ芸人たちが、中山君を素直に評価できるわけがない。今年は、ゴールデンタイム枠に放送されて、審査員の水準が格段に上がりました。だから中山君は優勝できました。よかった、よかった。

私は嬉しい!中山君には、「お馬鹿低脳バラエティ・ショー」なんかに毒されず、話芸と知的ネタ研究だけで、日本のお笑いのセンスを向上洗練させていただきたい!みなさま、中山功太さんを、よろしくお願いいたします!何の話か?