アキラのランド節

幽霊の日々です  [06/07/2009]


みなさま、おひさしぶりでございます。ずっと更新が滞ったままです。申し訳ありません。

しかたがないのであります。去年度の研究休暇があまりに天国の日々だったので、3月末あたりから地上に降りて仕事再開したものの、天国から世の中を眺めているような、天国からちょっとだけ地上見物しに来て、ボケッと回りを眺めている「老けたプチデブかぐや姫」みたいな気分が、6月になっても続いているのです。幽霊の日々が続いているのです。

幽霊に書きたいことが、あるはずありません。

何事についても、「ふ〜〜ん・・・そう・・・」と淡々と眺めている感じです。「どうだっていいやん・・・」と突き放して退屈しながら眺めている感じです。しかし、不機嫌というわけでもないです。

地上の暮らしは、天国にいるよりは、くたびれるから、単に疲れているだけなのでしょうか。秋にでもなれば、地上に慣れて、幽霊状態から脱することができるのでしょうか。

小食の効果が出てきて、パンツのサイズが46号から、らくらく42号になり、15年間ほど使えなかったベルトが再び使えるようになったのはいいのですが、着ることができなかったシルクのワンピースなんか着ることができるようになったのはいいのですが、だから何だ。So what?

仕事はふつ〜〜にやっております。授業開始10分前には教壇に立っているセッカチは相変わらず。尋常でなくハイテンションな講義中のしゃべりも、相変わらず。これで今年も学生による授業評価アンケートの自由記述欄にメチャクチャに書かれるなと思いつつ、私語している男子学生に、「サルは出てけ〜〜!帰れ〜〜!!」と怒鳴るのも相変わらず。私語がしつこい女子学生たちに、「ちょっと、ちょっと、そこのキャバクラのオネエチャンたち、ここはお店じゃないから」と言うのも相変わらず。「馬鹿とセックスすると、馬鹿が伝染するから、やめときなさい」と親切な助言を学生さんたちに与えることに躊躇(ちゅうちょ)しないのも相変わらず。

会議をサッサと終わらせるべく、事務職員の女性たちがお茶を淹れようとするのを阻止するのも相変わらず。なんで彼女たちがそんなことをしなくてはならないか。お茶なんか出したら、会議で無駄口たたくしかやることのない暇なスタッフの話が余計に長くなるだろーが。年配のオッサンなんか家庭にも居場所はないし、家族からも嫌われているから、家に帰るよりも会議が長引くほうがいいんだぞ。お茶なんか出したら、ジジイたちの思うつぼだ。私なんか、自宅から水筒持参だぞ。だいたい会議なんか、立ってやればいいのだ。立ちっぱなしの会議だと、みんなくたびれるから、早々と終わるだろ〜〜♪

しかし、今年度は、学生さんたちも、同僚も、なぜだか、遠く遠く〜〜とおおくううう〜〜感じます。薄い紗を通して接しているような、おぼつかない感じです。Emotional detachmentといいますか、情緒的に遊離しているといいますか。かといって嫌悪感とか反感があるとか、そういう否定的な感情もないです。

唐突ですが、思い出しましたので、ちょっと報告させていただきます。2008年12月に出版されましたアイン・ランドのエッセイ集の拙訳『利己主義という気概』(ビジネス社)の書評が、私が知る限り、今まで活字媒体で3つ出ました。無視されないで、よかったなあ〜〜♪

船井幸雄氏発信の『月刊ザ・フナイ』の2月号において、船井氏が最近読んで面白かったものの一冊として『利己主義という気概』に言及してくださいました。船井幸雄先生、ありがとうございます。つい、私は『ザ・フナイ』1年間分の予約購読の手続きをしてしまいました。

『週刊ダイヤモンド』の3月14日号において、大和総研の原田泰氏が書評をしてくださいました。原田さま、ありがとうございます。この方のお名前をネットで検索して、某サイト掲載の写真を拝見したら、原田さんという方は、私より数歳上の上品な渋い男前の方でありました。そーいうことに、すぐに関心が行くというのが、私の知能程度の低さというか、正直さというか。

『東洋経済』の4月11日号においては、北海道大学准教授の橋本努氏が、森村進氏編著の『リバタリアニズムの多面体』(勁草書房、2008)と並べて、書評してくださいました。教授会のときに、「載ってたよ〜〜」と、同僚が教えてくれました。『水源』のときも、橋本氏は『東洋経済』や共同通信社配信の記事などで、書評してくださいました。橋本さん、また今度もお世話になりました。ありがとうございます。

話をもとにもどします。幽霊状態の私は、アイン・ランドに関しても開店休業状態です。研究室の壁に貼ってあるアイン・ランドの写真を見つめながら、昼食用にテキトーに作ってきたハムと卵焼きを食パンにはさんだだけでバターも芥子も塗っていないサンドイッチをぱくつきながら、あるいは、テキトーに大きめに握ってきた塩昆布入りオムスビ2個にぱくつきながら、心がチクチク痛む私。ごめんなさい、ランド先生。ランド先生のすごさを日本に伝播できる人間は、私だけなのに。ごめんなさい。

幽霊状態ですから、当然のことですが、地面にしっかり足をつけて生きている感じがしなくて、頼りない状態です。大人気なく、気まぐれになるときもあります。

4年生の学生さんが、某公的機関の職員に応募するのに推薦状が必要ですから書いてくださいと研究室に依頼しに来た時は、「はい、はい」と、すぐにキーボードたたいて推薦状を作成したのに、懇意にしている卒業生が、留学したいので推薦状書いてくださいと依頼してきた時は、「いやっ!忙しい!」と答えました。うそ、うそ。ちゃんと100年に一度くらいの立派な推薦状書いてあげる。

何をやっているのですかね。若い子に感情に任せて気ままにふるまうようになっては、人間もおしまいでっせ。「老化」でっせ。

かと思えば、多幸症気味になるときもあります。天国状態の記憶が濃厚なので、発作的に天国にいるような臨場感に支配されるのかもしれません。

たとえば、まるで初めて目にするかのように、「うわ〜〜大学って若い子が多いなあ〜〜やっぱり若い子が多いのはいいよね〜〜」と、放課後のキャンパスにあふれる学生さんたちを眺めて幸福を感じます。4限目が終わる4時30分から5限目が始まる4時40分までの10分間のキャンパスが放つ解放感あふれる喧騒って、すっごくいいのですよ〜〜♪

遅くまで研究室で仕事しなければならない日は、、大学正門近くの「大阪王将」で焼き飯&餃子&きゅうりのキムチ=お会計860円で夕食すませて、ルンルンと研究室に戻るべく歩を進めるこぶしの木の並木道に吹き渡る初夏の風や、夕暮れる寸前の大気の香りに陶然として、幸福を感じます。

研究室にもどって授業中に配布するハンドアウトの原稿を作成して、誰もいないコモンルームで、プリントアウトした原稿を受講生の数だけ印刷し終わったあと、窓から、とっぷりと暗いキャンパスを見下ろしているとき幸福を感じます。そんな夜は、私の教師生活も、そろそろゴールが見えてきたな、最後まで悔いのないように働こう〜〜だけど教師で終わるのは退屈だな、冗談じゃないぜ、と思います。そう思うのも幸福です。

幽霊の日々なんですが、人生で今が最高に幸福だと感じるのも事実なのです。

でも、人間として必死に懸命にイッパイイッパイに生きていない状態なので、イラついているのも事実です。忙しいとは言っても、ルーティンな生活だと、やはり生きている感じにはなりません。

というわけですので、みなさま、今の私の幽霊状態をご容赦ください。きっとまた元気になります。きっとまた人間になります。早く人間になりたい。妖怪人間ベムか。

サルも木から落ちる。弘法も筆のあやまり。Britain’s Got Talentsの予選で天使の歌声で観客や審査員を仰天感動させたスーザン・ボイルさんも、準決勝や決勝でこける。キムタクが嫌いだったフジモリも、キムタクを好きになる。

だって、36歳のキムタクが、東京の50(ごじゅう、でっせ)の坂を全部、一日でダッシュして走り切ったのですよ。そーいう番組を深夜やっていました。すごいでしょう?ガッツあるじゃないですか。単なるスペシャル・イケメンさんではなかったのですね〜〜♪何事も、やるだけのことをやっている人間に対しては敬意を惜しまない私。好き嫌いを超えて好きになる私。

そのキムタクが、『Mr.Brain』では、海老蔵や水嶋ヒロ(だっけ?)に食われ気味です。負けるな、キムタク!やっと私がファンになってあげたんだから。サーフィン控えて肌荒れを直しなさい。造顔マッサージしなさい。顔のラインにシャープさがないぞ。皮膚がふやけて、むくんでいる感じ。髪の艶がないよ。染めるのは控えなさい。スターは外見がすべてだぞ。外見さえ美しければいいのだ!何の話か。

つまり何が言いたいかといえば、生きているのに死んでいるゾンビー人間が嫌いなフジモリも、生きているのならば徹底的に生きたいと思っているフジモリも、ときにはゾンビーになってしまうということです。

ところで、思い切り話が飛びますが、『タイムスクープハンター』みたいなメチャクチャに面白いタイム・トラベル歴史番組をNHKが作るとは、嬉しい予想外でした。みなさま、あれは面白いですね。ものすっごくいいですね。水曜日の零時10分から40分に放映されています。昨日、BSで一挙に6話分(5話だったかな?忘れた)を再放送していました。やっぱり、良かったです。

『タイムスクープハンター』は、最近の日本のTV番組の中では出色です。制作側の志もいいです。脚本も時代考証も素晴らしいです。起用されている無名の俳優さんたちの演技も素晴らしいです。再放送見て元気が出たので、スーパーマーケットまで買い出しに行く気になりました。お野菜たっぷり買ってきました。DVD化されたら買うぞ〜〜1972年の市川昆監督演出の『小枯らし紋次郎』に似たリアル感のある日本の風景と古き日本人の映像がいいです。

あのタイムスクープ社から派遣されているジャーナリスト役を演じている要潤(かなめ・じゅん)さんという男優さんに、私は全く関心がありません。しかし、なのに、ここだけの話ですが、『水源』がTVドラマ化される時に、この男優さんがハワード・ローク役になる・・・という予感が数年前に、唐突に、私の心によぎりました。うっそ〜〜!!そのとき、慄然(りつぜん)としました。なんで、この人よ??!

私からすれば、ハワード・ロークに関しては誰が演じても、気に入るはずがありません。「こんなロークはいやっ!!」って文句ばっかり言うに決まっています。しかし、要潤さんとは、あまりに想定外でした。万が一に、この予感が実現したら、要さん、俳優さんとして「出世作」を得ることになるでありましょう。スターになれるでしょう。ははは・・・勝手に言ってろ。

あ、今の幽霊状態は、最近、熱田神宮参拝も、川原神社参拝も、お墓参りもしていませんから、スピリッチュアルが足りないのが原因かもしれません。神様も霊魂も、物理空間には存在しないと思いますが、私の情報空間(脳)には存在しますからね〜〜♪私は「無神論的信仰者」です。はい。神様も永遠の魂も存在しないだろうけれど、私の心の中には(=脳の中には)存在するんだよ、それでいいの!その方が面白いからいいの!その存在は、いつも私といっしょにいてくれる仲間なの!旅の仲間なの!という立場です。現在の状態は、その「旅の仲間」と疎遠になっているから陥っている魂の孤独状態なのかな。

いえ、そうではありません。要するに、この期に及んで、どう生きたらいいのかわからなくなってしまったというのが、真相です。行きたい道が見えなくなったというのが本当です。

56歳だって、道に迷うのですよ!夕焼け雲を見ながら、途方にくれるのですよ!かなりお腹のデッパリが解消したので自分でできるようになった足の爪切りをしながら、ため息つくのですよ!この年になって、「どうやって生きていこうか」と悩むはめになるとは、思ってもいなかったんですよ!洗脳が解けてしまうと、幻想が全部ぶっ壊れてしまうと、夢も怖れもなくなると、幽霊になってしまうのですよ。

こうなったら、自分で創造した夢の中で生きる、自家製洗脳を自分にしないといけません。いい夢を創らないといけません。生き直さないといけません。いよいよ、他人(文化が伝統が学問が常識が・・・)が作ってきたヴィジョンの中で生きるのではなく、自家製物語を紡(つむ)がねばなりません。もう、生き方のモデルも、教えを乞う先生もいません。私の前に道はないのです。私の前に「先人」はいないのです。誰もいません。

アイン・ランドでさえ、私のモデルにはなりません。ごめんなさい、ランド先生。私は、ナサニエル・ブランデンみたいな弟子がいても、破門しないから。「好きな女ができたのならば、なんで正直に私に言わなかったの?そんなの、あなたの自由だから好きにしていいの。なんで、そういうことをコソコソ隠すの?そーいう心情が情けないの、私は。そんな浅い人間関係なの、私たちは?女なんか何人できても、いいじゃないの。男なんか何人できても、いいじゃないの。そんなこと関係なく、私たちには絆があるでしょ?そうじゃないの?」と言うもん。

あ、でも、アイン・ランドも同じ思いだったのかもしれません。それがブランデンさんに通じていなかったことに、あまりにあまりに激しく深く傷ついて、2度と関係が修復できないような怒りをぶつけてしまったのかもしれません。アイン・ランドは私みたいなemotional detachment傾向に陥るのが常の人ではなく、ひたすら人間的に生きることができる稀有な人だったのでしょう。本気で激しく怒ることができるのは、「才能」だと私は思います。

それはさておき、ああ・・・迷走の青春だわん。ほんとの青春が、ほんとに来ちゃったわん。今は、生まれなおす前の産道にいるのだわん。夜明けはきっと来るわん。産道の闇の向こうに光輝く円形の小さな出口があるわん。あそこまで行くしかないわん。

今朝、珍しく私はお昼近くまで眠りこけて夢を見ました。私は、外国の見知らぬ街の高い階段を昇って行く途中でした。もう、これ以上昇れない、こんな高い階段は怖い〜〜と思ったとたん、何者かに右の二の腕を力強くつかまれて、なにやら乗り物の座席に、ふんわりと座らされました。それはセスナみたいな小型の飛行機の座席でした。その飛行機は街の上空高くをめざしていきます。眼下に、ビルや尖塔や時計台とかの街の風景が広がります。古い東欧あたり風景みたいです(東欧に行ったことないけど)。

そのとき、前の座席で飛行機の操縦をしていた白人のロシア人みたいに見える太ったおじさんが、「運賃表」を私に肩越しに無言で手渡しました。飛行運賃は6800ドルでした。70万円くらいか。飛行時間の記載は見えませんでした。「た…高い!!法外に高すぎる!!1000ドルに負けろ!あ!今日はクレジットカード持ってきてないぞ!うわ〜〜現金そんなにないぞ!どうしよう〜〜!!」と、あわてたところで、目が覚めました。

これは、どーいう夢か?この数字は、何を意味するのか?どなたか、夢占いできる方がおられますか?でも、まあ飛行機で上昇し、街や海や港や河を眼下に眺めるのだから、吉夢ですね、きっと。

幽霊とはいえ、スランプ気味とはいえ、何でも自分に都合よく解釈する私の根性は変わらないようです。さあ、来週の週末は、久しぶりに名古屋に帰って、味噌煮込みうどん食って、『ターミネーター 4』を観るぞ。I’ll be Back!! ダンダダンダンダンダン♪

みなさま、お元気でお過ごしください。意外と早く元気になっているかもしれませんから、時々は、このサイトを覗いてやってください。御来訪、ありがとうございました!