アキラのランド節

ひとりでも寂しくない人間---散漫助走編  [02/13/2010]


私は、今、ほんの数日間ではありますが、名古屋に帰っております。本日の午後、去年の暮れに更新(?)申請したパスポートの受け取りに名古屋駅前のビルにある旅券センターまで行きました。

10年も経つと、旅券センターのシステムも随分と違っていて合理化されていました。昔は、ごちゃごちゃ混雑していて、窓口には、暗い顔つきの男性がずらりと権高く並んでいたものです。彼らは、愛想も悪く、言葉数も少なかったです。

今は、申請の方法もわかりやすく、待ち時間も短くなり、訪問者の動線も考慮されています。窓口には年若い女性たちが並び、テキパキと感じよく処理してくださっています。多分、アルバイトとか派遣の方々なのでしょう。

窓口に行く前には、記入した申請書を前もってチェックしてもらうカウンターに寄らねばなりません。そこの係りの方々も女性です。発行されたパスポートを引き渡すカウンターの係りの方々も女性です。

これらの係りの女性たちは、窓口にいる女性たちより、かなり年上です。この方々はパートの奥様風ですが、多分、独身時代にはお役所に勤務していたのだろうな、と思わせる方々です。

なんでかというと、親切を通り過ぎてお節介といいますか、瑣末なことにこだわり、かつそれをすぐに口に出すからであります。うわ・・・いかにも日本のお役所的物言い・・・と思わせるような矮小なことを、無自覚な意地の悪さ丸出しで、口に出すからです。

私の場合は、申請書類に書いたパスポート用のサインのアルファベットの一字に問題があるので、窓口でやいのやいの言われるのもいやでしょうから、書き直したほうがいいですよねえ?と、回りくどいクレームをつけられました。Fujimoriの最後のiの上の点が不明瞭だそうです。署名って、signatureって、「楷書」じゃなくてもいいんじゃないの?

しかし、長年、教師やって食っている私は、小役人的姿勢というものには慣れています。「学校」という場所は、私立大学でも半分はお役所みたいですから。小役人的姿勢は、教員にせよ、職員にせよ、珍しくありません。桃山学院大学においては、この種の小役人タイプは、わりあい少数派でありますが、私が、15年前に勤務していた名古屋の某女子大の同僚には、このタイプが多かった。

そのときの体験から、私は、小役人的心性の人間は、事の是非を厳密に明らかにしようとか、書類の不備を是正しようとか、そういう知的理由で、瑣末なことにこだわっているのではないということを、よく知っています。

要するに、この種の人々は、口に出す必要もないことを、大仰にいかにも重要なことであるかのように言い立てて、威張りたいだけなのです。チンケな支配欲を発揮したいだけなのです。無意味で瑣末なことを言い立てて他人に無駄なことをさせることにヨロコビを感じるサディストなのです。忙しそうにしていても、実は、そんな程度のことをして時間をつぶすしかない暇な人々なのです。そんな程度のことをしてでも他人に影響力を行使したい寂しい人々なのです。

その小役人的姿勢が不快であるのならば、同僚ならば、無視すればいいだけのことです。しかし、パスポートを発行できるのは、政府という役所だけです。無視したら、外国に行けないよ。法的に行けないよ。犯罪者になるよ。 小役人&その下請けが、うざいのは、この点でありますよ。 ですから、私は、長期的な自己利益を考えて、瑣末なことを言い立てる係りの女性に、笑顔で、「あ、ごめんなさい、どうもありがとうございます。もう一度申請書類を書き直します」と笑顔で答えました。すると、その小役人風奥さん風係員は、嬉しそうに、満足げに、優しく、新しい申請書類を手渡してくれました。

この種の小役人タイプの共通点は、「他愛がない」ということです。簡単です。シンプルです。チョロイです。幼稚です。全く気難しくないです。たとえ形式でも、内実がなくても、自分に敬意が払われれば、機嫌が良くなります。馬鹿です、要するに。

本日のパスポート受け渡し担当の中年女性も、小役人タイプでした。パスポートの写真と私の顔を見比べて、「あ、眼鏡が違いますね。入国審査のときは、パスポートの写真と同じ眼鏡でないと何か言われるかもしれませんよ」と、のたまいました。

馬鹿か、お前は。パスポートが切れるまで、10年間、眼鏡を全く変えないってことがあるわけないだろーが!何か言われるかもしれないって、何を言われるんだ?言われたら、言われたでいいだろうが。どうでもいいだろーが。眼鏡ひとつくらいで、ゴチャゴチャやってるほど、入国審査は暇じゃないんだよ。まあ、賄賂で動く後進国(発展途上国なんて偽善的なpolitical correct用語は嫌い)なんかだと、そーいう馬鹿役人もいるかもしれんが、そのときは、ちょっとカネでも渡しておけばいいだろーが。その程度のことだろうが〜男の腐ったみたいな無駄口たたいてんじゃないよ〜〜!

とは、私は言いませんでした。この女性も、ただただ、ささやかに威張ってみたかっただけのことでしょう。無駄口とお節介と親切の区別がつかない程度に常時混乱しているだけのことでしょう。可愛いらしくも貧乏臭い権力欲を発揮するぐらいのことはさせておいてあげましょう。

しょうーもな。

女として生まれたのならば、もっとエネルギーを発散できるような健康的なことやったほうがいいのに。

たとえ「聞こえ」は良くても、ラクでも、80歳過ぎの男でも務まるような、テンションの低い類のお役所仕事なんか、現役の女が長くやっていると、還暦過ぎの男みたいに暗くなって、愚痴が多くなって、回顧的になって、性格が悪くなります。心も脳もお肌も乾燥して荒れます。眼に恨みがましさが陰気に陰湿に漂います。

映画俳優や監督のインタヴュー番組として有名な、かつアメリカの映画人や映画人の卵たちの水準の高さを知らしめる「アクターズ・スタジオ」(Actor’s Studio)において、慣例として、司会者であるペース大学の映画部(?)の学部長さんが、インタヴューの最後に、ゲストの映画人に必ず10の質問をします。その質問のひとつが、「絶対に、なりたくない職業は?」です。

スピルバーグ監督は、「連邦職員とか、そういうのは絶対になりたくない」と答えていました。この人、リバータリアンかな?私ならば、「瑣末で矮小なことにこだわり、市民にチンケな嫌がらせする小役人&その下請けは絶対にやだ!」と答えるな。

さて、10年後の2020年、パスポートの更新申請&受け取りに、またも、あの旅券センターに行かなければなりません。さて、その頃には、どう変化しているでしょうか?いちいち窓口まで出向かなければならないシステムが改良されていることを期待します。市民が、小役人的矮小な瑣末な悪意にさらされないですむようになっていることを期待します。申請ぐらいは、ネットでできないのか?

ここまで書いて夕食。ランド節ライティング中断。

夕食終了、ランド節ライティング再開。

昔の教え子で、韓国の大学院を出て、今は韓国語を大学や高校で教えている在日韓国人の美女が、つい最近「タジン鍋」なるものをプレゼントしてくれました。蓋が、私の好きなオレンジ色です。本日は、その「タジン鍋」の試運転でした。初使用でした。

「タジン」ってのは、モンゴル語だという説もありますが、アラビア語が正しいようです。モロッコやチュニジアの伝統的な土鍋のことだそうです。へえ〜〜ほお〜〜我が家に初めてやって来たモロッコの風。

「タジン鍋」を使用すれば、いろいろな料理が簡単にできるそうです。このまま、オーヴンにも入れることができるそうです。よく使用される方法としては、「蒸し器」です。ただし、お水不要です。材料を、このお鍋に入れて、お鍋を弱火にかけておくだけでいいのです。

最近は、ちょっとした「蒸し料理」のブームです。低温で蒸すと材料の旨みが残り、栄養素も破壊されないそうです。昔ながらの大きな蒸し器ではない、もっと扱いの簡単な小型の蒸し器がいろいろ販売されています。私も、2種類ほどの蒸し料理用アイデア調理器を購入し、和泉に借りている部屋の台所で利用していますが、去年の秋は、この「低温蒸し」を試みて、何度、薩摩芋をゆっくりゆっくりとふかしたことか。

しかし、水がまったく要らない蒸し器とは。

私は、この「タジン鍋」に、オリーヴ・オイルをちょっとだけひいて、スライスしたにんにくを炒め、そこに、白菜&もやし&えのき&しいたけ&スライスしたかぼちゃと、ほたての貝柱をいれて、弱火で10分ほど蒸しました。

それらを、ゴマだれやポン酢でいただきました!!お野菜の旨みが生きて、すっごくおいしかったです!おいしいと、夢中になって無心になって黙々と食べてしまいます。私が黙って食っているときは、食うことに没入しているほど、食べているものが美味だと思って下さい。

う〜ん、健康には悪いとわかってはいますが、動物性タンパクが、もう少し欲しいなあ〜〜というわけで、冷蔵庫に残っていたベーコンを入れたら、ベーコンが蒸されて、湯がいた薄切り肉状になりました。それをゴマだれにつければ、擬似しゃぶしゃぶです。

タジン鍋、最高です!便利です!お野菜を、簡単に、おいしく、いっぱいいただけます。これ、どーいう原理?あとでネットで調べよう〜〜♪

明日は、アサリとブロッコリーを蒸してみよう。ソースは、にんにくとアンチョビのみじん切りで作ろう〜〜♪

Rさん、ありがとうございました。また、おいしい韓国料理店で、カン・ジファンさんの話をいたしましょう〜〜♪彼は、最近、所属事務所を急に変えてしまったので、元の事務所から告訴されたそーです。あれ、あれ。

ともかく、便利で安価な調理器が開発されるのは、ありがたい。超簡単な料理法もよくテレビで紹介されているのも、嬉しい。ハンバーグなんか、ひき肉に、カルビーのカッパエビセンを粉々に砕いたものとマヨネーズ混ぜて、焼けばいいそうです。デミグラソースは、お好み焼きのソースにトマト・ジュース混ぜればOKだそうです。

鯵(あじ)や鮭のムニエルなんか、から揚げ粉をまぶして焼けば味付け無用だそうです。塩コショウしなくてOK。ソースは、フライパンに、バター入れてレモン・ジュースぶっかけて熱して溶かしたものでいいそうです。レモン1個を使い切ることができずに、半分ほど干からびさせてしまうことを防げるな。

カッパエビセン&マヨネーズ・ハンバーグを作って食ってみるぞ〜〜と思いつつ、まだ試していません。カネは無駄使いしても後悔はないが、食べ物は粗末にすると悪夢を見そうだからなあ。

ジャガリコを熱湯で溶かしてつぶして、レタスやハムといっしょにパンにはさめば、ポテトサラダ・サンドイッチ。じゃあ、ポテトチップスでも、ポテトサラダになる?

ところで、2月の8日から10日の3日間は、私は金沢にいました。入試会場の責任者としての出張です。私は学会とか出張とか、亡き母との温泉ついでの旅行とかで、金沢には何度も来ています。ですから、金沢市内の観光地について全く知らないわけではありません。

金沢に古くから住む方々ならば知っている、西茶屋町近辺に住んでいた島田清次郎(1899-1930)が、若干19歳で書いた大正期の大ベストセラー長編小説『地上』(季節社, 2002)だって読んでいるんだぞ。

あの小説は、大正時代の金沢にハワード・ロークが生まれていたら、こんなかなと思わせるような少年が主人公の(未完の)傑作であります。金沢以外では忘れられた異色の青春小説です。こんな小説が、大正期の日本で、しかも東京でなく金沢で書かれていたのだなあと驚きますよ。

まだまだ知らない日本がたくさんある。当たり前か。

私は、その映画化作品だって見たんだぞ。名優揃いの大作だったけれども、グチャグチャの駄作になっちゃって・・・あの小説を左翼的物語の中に押し込めちゃいけないって、いくら昭和30年代の映画化とはいえ。

『地上』の話はさておき、だいたいが、尾張の前田家が金沢に行って加賀百万石を作ったのだからさ、尾張に生まれ育った私としては、金沢には親近感があります。前田利家が尾張から連れて行った商人や職人が居住した場所は、今でも「尾張町」と呼ばれています。

寺町(てらまち)と呼ばれる、お寺ばかりが集まった区域もあります。ほんとに、この町はお寺ばかりです。おびただしくお寺が立ち並ぶ隙間に商店や住宅が建てられています。城下町というのは、町の中心からはずれたところ、外郭区域に寺を集めるのが当たり前です。外敵から攻撃されたときに、このおびただしくある寺が防御壁&砦になるからです。

寺町には、有名な「忍者寺」もあります。正式名は「妙立寺」です。内部には敵をあざむく仕掛けがいっぱいあります。自害するための小部屋なんぞは、敵が入り込むことが不可能な作りですが、ついでに、一度入ったら、その部屋の外に出ることも不可能なんで、もうその小部屋に入ったら、自害するしかない。強制的自殺室。

こーいう芸の細かい作業って、いかにも日本人が好きで得意そうです。しかし、私が追っ手ならば、敵がこの寺に入り込んだら、わざわざこの寺の内部を探索するような面倒なことはせずに、サッサと外から火をつけて始末するでしょう。内部の細かな仕掛けなんか、どーでもいいです。

「こーいう仕掛けって、本気の実戦では無意味ですよねえ、これ単なる気休めのお遊びだったのではないですか?機能したことなんかないのでしょう?」と、15年以上前に、この忍者寺見学をした折に、若いガイドさんに質問したら、無視されました。

大昔の日本人は、寺に火をかけるような乱暴で粗雑で冒涜的なことはしなかったそうです。そーいうことをするのは、織田信長と金閣寺に放火した犯人ぐらいだそうです。そうかなあ。本気で敵を殲滅したいのならば、寺に逃げ込もうが、神社に逃げ込もうが、教会に逃げ込もうが、国連に逃げ込もうが、やるだろ〜〜聖域なんて、あるもんか。

というわけで(どういうわけか、わかりませんが)、その日の入試業務が終った夕暮れ近く、コンビを組んで出張に来た20歳くらい年下の女性職員の方を、私は「金沢は京都よりもいいですよ〜〜京都みたいに観光客で混雑していないので、落ち着けますよ〜〜行きましょう〜〜」と言い募り、プチ金沢観光に誘いました。

入試業務で出張した教員と職員は、ホテルの部屋に帰るまでは行動をともにするのが決まりです。食事もいっしょが決まりです。本日の仕事は終ったから、さあひとりで町に繰り出そう〜〜は駄目なのです。相互監視システム。

幸いなことに、職員の女性は、金沢は初めてだとかで、私の誘いに乗ってくださいました。私たちは、浅野川沿いにある東茶屋町(ひがしちゃまち)や、長町(ながまち)や、香林坊(こうりんぼう)とか片町(かたまち)などの繁華街を小雨の中、のんびり、そぞろ歩きました。

金沢は、京都と同じく、第二次世界大戦中に空襲を受けなかったので、古い建築物や町並みが残っています。武家屋敷の長町は、武家屋敷特有の形式の門構えや塀で囲まれた家々が、実際の住宅として残っています。

両側に武家屋敷が立ち並ぶ(江戸時代から変わらないであろう)狭い道を、石畳が雨で黒く濡れる道を、夕闇が濃くなってきた道を、高校生ぐらいの男の子が家路を急いでいました。iPodだかiPhoneだかiPadだか(それはありえないか)何かのイヤホンを耳に差し込んで、制服のジャケットを今風に着崩して、首にポール・スミス風のボーダー柄のマフラーを巻き、背中丸めて歩いていました。映画の1シーンのような光景。

タクシーの運転手さん情報によりますと、江戸時代のたたずまいを残すために、これらの武家屋敷の住人には補助金が出ているので、住民たちは住居を改築しても、昔風の建物にするそうです。補助金の額については運転手さんも知らないそうです。

武家屋敷の長町とは、当然に全く違った雰囲気の東茶屋町は、この名のとおり、江戸時代からの2階建ての茶屋建築が軒を並べる「郭町」(くるわまち)です。文政3年(1820年)創立の「志摩」っていう屋号の茶屋は、内部もそのままに残っていて、公開されています。かつては、中屋と呼ばれた茶屋は、今では「お茶屋文化館」となっています。

お茶屋ってのも要するに遊郭なんだろ〜〜と思ったら、「志摩」の受付の女性から「いいええ〜〜遊郭じゃありません。お茶屋は、遊郭ではありません」と、やんわりと抗議されました。

お茶屋は、芸妓さんを呼び、その芸をだんな衆が楽しむための場所だそうです。純然たる貸席業だそうです。酒や料理すら、仕出し屋に注文して配達してもらうのだそうです。

芸妓と遊女はいっしょくたにされて、外国人からはgeishaと呼ばれますが、芸者さんと遊女さんは、全く違いますよね。祇園と吉原をいっしょにしてはいけません。銀座と雄琴をいっしょにするようなものです。だから、遊郭とお茶屋も、いっしょくたにしてはいけません。

料理は出さなかったそうですが、「志摩」にも旧「中屋」にも、ちゃんと台所も食糧貯蔵庫用の地下の蔵もありました。あれはお茶屋の経営者や住み込みの芸妓さんの生活用だったのかなあ。布団とか日用品を入れるクローゼットといいますか、押し入れや物入れは、あまりないようでしたから、生活は、別のところでしていたのかもしれません。

しかし、「太鼓や三味線や琴を聴いているうちに、踊りを鑑賞しているときに、したくなったら、どうするの?布団とかもどこかから配達してもらうの?この、はなれの部屋なんか怪しい・・・それっぽい・・・やっぱり、遊郭の機能もあったのではない?そのほうが自然でしょーが」と、あくまでも疑う私は、あくまでも下品です。すみません。

それにしても、あの天井の低い、日本情緒漂う、隠微といえば隠微な、湿っぽいといえば湿っぽい風情の、息が詰まるといえば息が詰まるほどに粋な、それぞれ青とか赤とか壁が塗られた部屋を回っていると、時折、なにか背筋がぞくぞくと寒くなります。どうも、往時の、お茶屋さんで働いていた女性たちとか、芸妓さんとかの霊が、まだとどまっているような感じです。

たとえば、「お茶屋文化館」では、こういうことがありました。いっしょに見学している女性の事務職員さんが、まだお若いので、ついつい学生相手の気分になってしまい、陳列されている金や珊瑚の細工の簪(かんざし)や、鼈甲(べっこう)の櫛や笄(こうがい)を眺めながら、私は声高に以下のようなことを、しゃべり散らかしてしまいました。

「昔の女性は、着物の下には襦袢(じゅばん)とか腰巻しか身につけていなかったから、生理のときなんか、どうしていたのか不思議ですよねえ〜〜今みたいな便利なナプキンとかなかったしい。どうしていたかっていうと、昔の女性は、下半身の筋肉がよく発達していて、腰に力を入れて、生理の経血を止めることができたんですよ〜〜そこに意識を集中して血を止めていることができたんですよ〜〜ちゃんと、肉体のコントロールができたんですよ〜〜和紙を小さくちぎって丸めて、あの部分に栓をするように入れていただけで、他には何もしていなくても大丈夫だったそうです〜〜トイレに入ったときに、腹圧かけて経血を放出していたんですよ〜〜お腹にぐっと力を入れて、子宮内の血液を出すことができたので、3日間ですんだんです〜〜ほんとですって〜〜昔の道端には、ときどき、丸めた紙が落ちていたそうですが、それは、そーいう紙がはずれて落ちることもあったということだったらしいですよ〜〜経血駄々漏れ状態ってのは、下半身の筋肉の訓練ができていないからだそうですよ〜〜トイレで腹圧かけて子宮内の血液を出す経血コントロールってのは、大昔の女性にとっては当たり前だったそうですよ〜〜女から女へと伝わった知識&技術だったそうですよ〜〜明治時代には、まだ経血コントロールできる女性は多かったらしいですよ〜〜着物を着るのが当然の花柳界では、戦後でも、そういう女性がいたそうですよ〜〜ほんとですって〜〜お茶ノ水大学の先生が書いていましたよ〜〜三砂ちづるって人の書いた『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』 に書いてあったんですよ〜〜光文社新書ですよ〜〜面白いから読んでみてください〜〜♪」

と、私が、ベラベラしゃべっていたら、私たちしかいない夕暮れ近い時間帯の薄暗い「お茶屋文化館」に、何かが倒れたような音が響きました。ガターンと大きな音がしました。外から聞こえてきた音ではなく、明らかに私たちが立っていた場所近くで生じた音でした。でも、何も倒れていませんでした。

そのとき、私の背筋に悪寒が走りました。あ、ここに住んでいる霊が、ヨソモンが入り込んで大きな声で、尾篭(びろう)なことを声高に言っているので、「うるせえ!」と注意したんだなと、私は咄嗟に感じました。

だから、私は急いで、こう言い加えました。「私たちは、昔の女性は大変だったとか言ったりするけれども、こんな綺麗な簪や櫛を髪にさす喜びもあったし、身体も鍛えられていて、私たちが味わうことができないような種類の充実した生活を送っていたんでしょうねえ〜〜お野菜もお魚も、今よりうんとおいしかっただろうし、空気も水も綺麗で、人の心ももっと素朴で細やかで・・・」と。

そうしたら、悪寒が消えました。ははは。死んだ人間に対しても媚を売る私。生きている人間に対してと同じく、死んだ人々にも褒め言葉は惜しむべからず。

1月に、加門七海さん著の実話怪談エッセイをいっぱい読んだので、私も感化されたようです。この世界は、生きている人間だけのものではなく、物の怪や幽霊や、私たちの目には見えないが、確かに存在しているらしい未知の何か(entity)の住処でもあるらしいから、その何かとも、ふつーに淡々とお付き合いしていこうと、私まで思うようになったようです。

と言いつつ、寝室でも居間でも、なんか気配を感じると、むかついてきて、「うるさい!出てけ〜〜!」と大声で怒鳴ってしまう偏狭で気難しい私。

北陸の古都の金沢は、よそ様の土地だから、私はもっと静かに話すべきでした。東茶屋町の亡霊の方々、失礼をお許しください。

その日の夕食は、2008年の6月に来たときに、たまたま入っておいしかった香林坊の「ごいし奴2」という意味不明&読み方不明の屋号の居酒屋を探し当てて、そこでいただきました。やはり、おいしいお店です。香箱カニも、寒ブリのお刺身も、鯵のお刺身も、加賀レンコンの天麩羅も、金時草のおひたしも、牡蠣フライも、金粉入り時部煮(金沢では冶部煮とは書かない)も、おいしかったなあ〜〜焼きおにぎりと岩のりの入ったお味噌汁もおいしかった〜〜ははは、幸福。

「ごいし奴2」は、居酒屋ですが、微妙に浮世離れした雰囲気があります。私は、お酒が飲めないこともあって、居酒屋はほとんど入りませんが、ここは大丈夫です。おかみさんが美人で感じがいいです。ご主人が不思議系です。おふたりとも無駄口はたたかず静かな微笑をたたえています。ひょっとして、妖精の居酒屋とか。

宿泊場所の全日空ホテルのフロントで、「高くなくて、おいしいお店を教えてください」と頼んで、教えてもらった「主計町(かずえまち)の先のナミキマチのたむら」という居酒屋には、またの機会に行くことにしよう。

金沢は、食べ物がおいしい!日本海のお魚&加賀野菜おいしい!お菓子もいい!「中田屋」のきんつばがいい!「森八家」の黒羊羹がいい!西茶屋町の「かわむら」の甘納豆がいい!

目標体重60キロに順調に接近していたのに、今回の金沢への出張で、到達点から、また遠ざかりました。やはり2010年は、北や東北の方位は凶なんかしらん。北西が吉方だそうですが、北西って、どこ?

はい、そうです。今回のランド節は、「ひとりでも寂しくない人間」がテーマです。じゃあ、なんで、その話が出ないのか、ですか?

すみません。そのつもりで書き始めました。なのに、出張の疲れが出たのか、名古屋に帰って来て緊張が解除されたのか、鼻炎アレルギーの発作が激しく出まくり、くしゃみと痒みの襲来により、顔がボコボコになり、ついでに脳がわけのわからないことになってしまい、こういう状態になってしまいました。

もう寝ます。