アキラのランド節

ひとりでも寂しくない人間---完結編  [03/02/2010]


前からの続きです。その前に大切なお知らせと、懺悔(ざんげ)をさせていただきます。

元旦のランド節において、佐々木一郎氏主宰の「アイン・ランド読者会」が今年から始動することをお知らせしました。で、いよいよ「第1回アイン・ランド読者会」が開催されます!日時と場所が決まりました!ご関心のある方は、「アイン・ランド読者会」のサイトをご訪問ください!

カネにもならないし、実利的な情報交換会でもないし、ただアイン・ランドの作品について話し合うだけのために、貴重な土曜日の午後に、人が集まるのかな?と実は、私は危惧しておりましたが、楽しく歓談できるだけの数の方々が関心を持ってくださったようです。

「アイン・ランド読者会」にご参加予定のみなさん、私も参加いたします。楽しく、おしゃべりいたしましょう!他の方々は、どのようにアイン・ランドの作品を考えているのか・・・私は興味津々です!

去年アメリカで出版された2冊のアイン・ランドに関する評伝のうち、Anne C. Hellerさん著のAyn Rand and the World She Madeのほうは、アメリカだか英国だかの有名新聞か雑誌の「2009年に出たノン・フィクションのベスト1」に選ばれたほどに、「知られざる」アイン・ランドの人間像を描いて面白いです。今まで出版された評伝にはない情報満載でした〜〜時間があったら、「アイン・ランド読者会」では、そんなお話もできるかもしれません〜〜

しかし、Anne C. Hellerさんが調べて描いたアイン・ランドの人間像って、微妙〜です。「自分の才能と未来の成功については絶対的に誇大妄想的に確信、だけど他人や世界については猜疑的で悲観的で残酷で意地悪でサディストで、そのくせ被害者意識が強くて、人見知りで、ついでに空気読めない典型的お騒がせ身勝手&度し難い面食いのナルシストB型タイプ」なんです。

私は、アイン・ランドって、「血液型なら女傑O型タイプ」って思い込んできました。もしかしたら、「意外にも万年少女清冽知的ジャンヌ・ダルク風A型タイプかも・・・」とか愉しく想像してきました・・・

よりにもよってB型タイプとは・・・なんかなあ・・・ちょっと、興ざめ。まあ、いいや。天才だから、ハチャメチャでも許す。

ちなみに言っておきますが、ここで書いているB型タイプとかO型タイプっていうのは、世にはびこる根拠なき「血液型人間類型」のことであります。あくまでも「タイプ」であります。実際の生身の血液型B型の人間とは関係ありません。あなたの血液型がB型でも、あなたは手塚治虫のような天才ではありません。あなたが、血液型A型だからといって、清楚な品のいい美女や男前でないのと同じことです(それにしても、A型って美人とか男前が多いよな・・・なんで?)。

すぐに話が逸れますね。「第1回アイン・ランド読者会」の日は、ピクニックするわけではありませんが、お天気がいいといいですね〜〜今年の方位では、名古屋や大阪から東北の方角にある東京は、凶方向なんですね〜〜〜!!だから今年は何にしても、東京宿泊はやめておこう。ニューヨークも今年はやめておこう・・・韓国も中国も、今年は方位が悪い。いいのは北西のヨーロッパか、東か南東の南アメリカだな・・・って、また話が逸れます。

みなさま、佐々木一郎氏主宰の「アイン・ランド読者会」で、お会いいたしましょう!

次には、「懺悔」をさせていただきます。前回のランド節において、実は、私はとんでもない恥ずかしい間違いを書いたところを、読者の方の親切で速やかなるご教示のおかげで、すぐに是正できました。

前回のランド節で、私は、頭山満と、彼が頭目であった玄洋社と、玄洋社にゆかりのあった人々の何人かについて言及しました。その何人かのひとりが、神道家の葦津耕次郎(あしず・こうじろう)でした。

私は、最初、以下のように書いたのです。

「日本政府は、天照皇大神を祀る神社を、朝鮮のあちこちにも建立して、朝鮮の人々に神社への参拝を強要しましたが、葦津耕次郎は神道家として、それに反対しました。ただし、それは朝鮮の主体性、朝鮮の人々の信仰に敬意を払ったわけではなくて、アマテラスを祀るのではなく、ダンコン(男根です。はい)を祀れと主張しました。このことは、同僚の日帝支配の時代の朝鮮の歴史の研究者である同僚から聞きました」と。

私は、日本語、英語ともに聴覚能力が特にひどいです。大学院の入試のあった日に、教員スタッフ集合場所で、葦津耕次郎について、その「日帝支配の時代の朝鮮の歴史の研究者」である同僚に、「アシヅコウジロウって、どんな人?」と、私は質問しました。

同僚は、「葦津耕次郎は日本が神道を朝鮮に押し付けることに抵抗したのではない。ダンクンを祀れと主張したのであって、朝鮮支配そのものについて疑問視はしていなかった。支配の道具として宗教を利用する姿勢は同じだった。まったく、あいつら、とんでもない」と話してくれました。

そのとき、同僚が「ダンクン」と発音したつもりの音声を、私は「ダンコン」と聴き間違えたのであります。

そのとき、いくらなんでも、よそ様の国に対して、ダンコンを祀れ、はないだろう〜〜いくら何でも、あまりにひどいぞ・・・と、私はショックを受けました。

しかし、道祖神の例もあるから、そういうことは神道的にはありえるのかもしれない・・・下品にも程があるってほど無茶苦茶な姿勢ではなかったのかもしれない・・・それにプロの研究者が言っているのだから、確かなんだろう・・・「ダンコンって、あのダンコンですかああ?」と問いただすのは、ここは、淑女としては避けたいところだ・・・

と、いろいろクヨクヨ考えているうちに入試の仕事が始まってしまいました。「ダンコンとは、あのダンコンですか?」と、同僚に問いただす機会を逸したままに、帰宅してから、裏も取らずに、私はランド節にサッサと書いて、本サイトの管理人さんに原稿を送信したのでありました。で、ランド節は更新されたのでありました。

そうしたら、まもなく、京都の公立大学で教えておられる某宗教学者の方が、「葦津耕次郎は、ダンクン(檀君=朝鮮の始祖神)を朝鮮の産土神として朝鮮神宮で祀れと主張しました。ダンコンではありません」と、Twitterのダイレクト・メイルで教えてくださったのです。

そのときの私の恥ずかしさと狼狽(ろうばい)をご想像ください・・・

私は、自分がスケベであることを認めます。「あなたはターミネーターではなく、シモネーター。ただし、中学生なみのシモネタ」と、常日頃から、夫は私の下品さを諌(いさ)めます。確かに、ダンクンと耳にして、ダンコンと思った私は、あまりに幼稚にスケベで、「中学生なみ」です。しかし、「大学院生なみのシモネタ」とは、いかなるものか?

まずかったのは、それをプロの歴史学者の同僚が言った、と私が書いたことでした。あ〜〜た、もし、万が一あのランド節を、その同僚が読んだら、私は殺されてまっせ・・・「僕が、そんなアホなこと言うか!」と、同僚が怒りのあまりに、私を張り飛ばして蹴飛ばして大阪湾に沈めても、文句は言えない・・・と思えるような、とんでもない間違いですからね。

ほんとうに、私のとんでもない間違いを速やかに指摘して正しい知識を教えてくださったKさん、ありがとうございました。ありがとうの3乗でございます。助かりました。

葦津耕次郎氏の霊にも陳謝です。申し訳ありませんでした。ダンクンですね。檀君。姉のアマテラスオオミカミと喧嘩して高天原から出て、朝鮮半島に降り立ったというスサノオノミコトを祀れと葦津氏は主張したのですよね。

私の間違いを正し、同僚と葦津氏の名誉を守ったこの某公立大学の宗教学者であるKさんは、同僚情報によりますと、東大出の俊英だそうです。お若くして、単著もある優秀な方だそうです。

「へ〜〜そうであるか」と、私はKさんのウエッブサイトをチラッと覗いてみました。お写真で判断する限り、いかにもいかにも秀才的上品な面立ちの白皙の美青年です。ランド節を読んでくださっているのですから、単なる秀才ではなく、面白い方に違いないと勝手に推察しております。

懺悔を終ります。いよいよ本題です。「ひとりでも寂しくない人間」について、です。

ひとりでも寂しくない人間でいることが必要になるのは、修行期間の若いときではありません。

若い頃は、ひとりでいるのが寂しかろうが、恋人や友人が何人いようが、もてようが、もてなかろうが、不器用だろうが、社交的だろうが、まずは、この社会の中で居場所を確保するために、経済的にも精神的にも自立するために、いろいろ学ばなければならないことが多いです。習得しなければならないことが多いです。自分の感情につきあっている暇がありません。

また、若いときは、世間の常識や一般通念に翻弄されがちです。「こんなこと、したくない!こんなこと、どうでもいいと思う!捨てていい!」なんて確信して実行に移すほどに迷いがなくなるに至るまでの蓄積された体験とか観察がありません。

「見るべきものは見たよ〜〜」といえるほど、まだ現実を見てもおりません。無意味なことを無意味なこととして愛想をつかすだけの場数を踏んでおりません。だから、したいことをするのではなく、「しなきゃいけない!」「しないと、とんでもないことになるんだ!」という切迫感と不安と恐怖に駆り立てられて動きます。

それでいいのです。だからこそ、いろいろ勉強できます。

私も、若い頃は、「人脈を広げないといけない!」とか、「学会はまめに出席して、まめに発表して、いろんな人に知ってもらわないといけない!」とか、「私は、南山大学出でコネもヒキもないから、自分から売り込まないといけない!」とか、気にしていました。

「年賀状は元旦に届かないと失礼だから、必死で書いて出さないといけない!」とか、「献本していただいた本は必ずサッサと読んでお礼状を書かないといけない!」とか、「でも、あの人たちみたいに、卑怯で下司なことはしなくても大丈夫!かなあ・・・」とか、いろいろ気にしていました。

どこかの短大か大学にポストを得るためには、寂しいことを忘れざるをえないほどに、忙しく活動せざるをえませんでした。大学院の馬鹿教授の嫌がらせなんかに構っていられませんでした。駄目でもともとで、できることは手当たり次第にやっていました。

そのドタバタの過程で、学んだことは数多いです。痛い思いしないと学べないことも多いのであります。

それから、やっとなんとか職を得たら、つまり食ってゆけるようになるまでの闘争が終ると、次は、確保した職の領域で居心地のいい場所を確保するための闘争が待っていました。職に就いたら、その職が要求するいろいろな仕事をこなしてゆかなければなりません。

私の場合は、若い頃には、90分の授業1クラスの運営に非常に無駄に緊張していました。リラックスしながら、全体を見て、学生さんの反応を観察しながら・・・なんてできませんでした。突っ走るばかり、落ち着きなくしゃべり倒すばかりでした(やっと、ふつ〜に教師になってきたかも・・・と思えるようになったのは、つい最近です)。

会議に出席するに際しても、「会議用日本語」と、その修辞法に慣れるのに難儀しました。正論だから通るってものじゃないですからね。筋が通っているから同僚が同意するわけではないですからね。発話の内容ではなく、発話者が自分に敬意を払っているかどうかだけを気にする馬鹿も多いですからね。

同僚に対するスタンスにおいても、「この人は、頭悪くないから、ビジネスライクに接してもOKだな、でも、こいつは馬鹿だから、世間話でもしないと、オトモダチごっこしないと、しょうもない敵意をこちらに向けて、仕事がやりにくくなるから、ちょっとお守りしておくか・・・あ〜〜面倒くせえ〜〜」とか、いろいろ「仕分け」が必要です。

そうしながら、どうでもいいような論文でも本数を増やしてセッセと作文しなければなりませんでした。徹夜でも何でもしなければなりませんでした。

学会の発表だあい〜〜原稿だあい〜〜翻訳だあい〜〜出張だあい〜〜また新設科目かよお〜〜カリキュラムの改定なんか無意味だよ〜〜スタッフ同じじゃねえかよお〜〜と、ドタバタと各種の仕事しながら、TVも映画もアニメも見て、評判の本は読んで、あちこち旅して、花粉症対策して、ローン組んで「自分のウチ」買って、多忙からのストレスで食いまくって太って、親を見送って、冠婚葬祭つきあって、何着ても似合わないのはなぜ?〜〜やはりデブでブスだからよね〜〜こんなカラダになっちゃって、もう恋はできないわん、でも大丈夫だわん、私には想像力があるから・・・と、愛してえわあ〜〜愛してえわあ〜〜いけない人なんだあ〜〜〜♪と大昔の流行歌を口ずさみながら妄想に励み・・・

アホで平々凡々な人生であっても、ともかく若い頃から中年にかけては、忙しいです。また、そうでなくては、いろいろ実地で学べません。Training on the jobです。

ところが、中年のある日に、ハッと気づきます。誤魔化しようがないほど、はっきりと気づきます。仕事にせよ、私生活にせよ、だいたいこんな感じですればいいなあ〜〜と落ち着きだしたあたりから、気づきます。この世界の片隅で、そこそこ快適な居場所を確保して、安定したあたりから、気づきます。

ちゃんと、うまくいっているのに、私は、なんでこんなに不機嫌か?寂しい。空しい。面白くない。退屈。だから、いつも、どこか遠くへ行きたいなあ〜〜って言っている。今は醜いアヒルの子だけど、いつか飛ぶんだ、大空を〜〜白鳥になって・・・って思ってきたけど、私はまだアヒルだ。それにしても大空を飛ぶ白鳥って何か?私は、どんな白鳥になりたかったのか?で、私は、飛んで、どこに行きたいと思っていたのか?ほんとに、そこに行きたかったのか?ほんとに白鳥になりたかったのか?どんな白鳥になりたかったのか?

とうとう、自分の感情やほんとうの欲望を真正面から見つめる時期が来たのであります。自分を誤魔化すことができなくなる時が来たのであります。それは、私にとっては、40代の半ばあたりでした。

あのあたりからアイン・ランドに出会い、ランドの日本伝播を開始する48歳までは、私はほんとうに寂しかったです。ほんとうに空しかったです。私は、以下のような思いで悶々としていました。

文学作品は素晴らしい(ものもある)が、文学研究なんか趣味でしかないだろ〜〜そんなもん学問でもなんでもないのに、世の中の役に何もたたないのに、こんなことでドタバタしてきたなんて、なんと愚劣な人生だったのか・・・こんなことは仕事ではない、こんなことで安易に食っていては、いつか大きな罰が当たる・・・その実例は、学会に行けば、わんさか目撃できる・・・老いて幼稚な文学青年&文学少女ばかりだ。いつまでたっても成熟しないで、箱庭でブンガクごっこのおままごとしている醜い皺だらけのガキたちだ。そりゃ、みなさん「いい人」たちだ。でも、私には必要のない「いい人」たちだ!はっきり言って、私は、こーいう場所にいる自分は好きじゃない!ここで、私がしたいことなんか何もない!でも、じゃあ、いったい私は何がしたいのか?

あの苦しい迷走から、はや幾年(いくとせ)。私は、2月初旬に57歳になりました。そうよ、私は水瓶座の女。アイン・ランドと同じだよん。

星座はどうでもいいのですが、今は、ひとりでいても寂しくないか?と問われれば、「うん、ひとりでいても寂しくない」と答えることができます。なぜか?

まず、この10年間かけて、私は、何事も、自分の心にとことん問いただすことを徹底してするようになりました。そうすると、生活費獲得のための賃労働が求める以外のことでは、自分がしたくないことは、興味がないことは、だんだんと、しないようになります。何で、したくもないことを、しなきゃいけないのか?と思うと、しなければいけないことなんて、どうしてもしなければならないことなんて多くないと気づきます。

しなくたって、どうってことない・・・と判断できるだけの経験&観察も、すでに蓄積されてきました。無意味な怖れや不安に翻弄される無意味な繊細さも、年取ると磨耗します。ははは。

それから、将来のための打算とか計算から、人と会うとか、関わるとか、そういうことも、しなくなりました。ご縁があるのならば、会うことになるでしょう。ご縁がない人と、無理にご縁を作る必要もないでしょう〜〜人脈なんか、どーでもいいわ・・・と、人間関係の維持とか強化に努めることも、しなくなりました。

どんなエライ人でも、自分が尊敬できないのならば、どうでもいいです。一方、まだ何ものでもない若い学生さんでも、光るような資質を見出したら、本気で真剣に関わります。

つまり、私は、自由(liberated)になるにつれて、自分に嘘をつかず、心の命じるように行動するにつれて、ひとりでいても寂しくなくなったのです。

それから、ひとりでいても寂しくなくなった理由が、もうひとつあります。それは、「他人との絆を感じる」か、どうかに関わります。他人との絆を持っているかどうか、ではありません。「絆を感じる」ことです。あなたが他人に対して、です。他人があなたに対して、ではなく。

たとえば、ちょっと昔の私は、仕事が終って、ひとりで帰るとき、寂しさを感じると、ついつい夫とか友人に携帯電話をかけることが多かったです。ひとりでいる自分に心細さや寂しさを感じるから電話したのであって、夫や友人のことで気になることがあるから電話をしたのではありませんでした。単なる人間依存症でした。

いつも、親しい人と物理的に、つながっていないと不安になり、かたときも携帯電話を離さないメイル中毒&Twitter中毒になる若い人が多いそうですが、まあ、その心理状態のいくばくかは、だから、私にも見当がつきます。

しかし、今の私は、そういう状態には陥りません。なぜかといえば、私は、私の心の中で、私が、今まで関わり、多少とも敬愛した人々すべてに対して、絆を感じているからです。離れていても、死ぬまで会えないとしても、私は、その人々に対して絆を感じているからです。その「感じ」は、ひとりのときの私を温かく包んでくれます。

たとえば、学生さんなど、卒業してしまえば、もうほとんどの場合、二度と会えません。それでもいいのです。「あいつら元気かな・・・頑張るんだよ〜〜いろいろあるから・・・」と思えるだけで、私は、彼女たちや彼らと繋がっている感じがします。子どもはいなくとも、若い人たちと関わることができる職に就いている幸福を感じます。

「あいつ、今年は教員採用試験に合格したのかなあ・・・たとえば3年間、きちんと常勤教師を務めることができた人間は、無条件で採用してよ〜〜お願いしますよ〜〜和歌山県教育委員会!」とか、「彼女、結婚したんだ、よかったな〜〜多分、この相手だと離婚することになるな・・・でも好きならばしかたないよね!また、やり直せばいいんだよ!」とか勝手なこと思いながら、絆を感じます。

また、私は、今は亡き人々にも絆を感じています。私は、1992年に父を亡くし、1998年に母を亡くしましたが、父母が生きているときよりも、父母は私の身近にいます。おいしいものを食べると、いっしょに食べている気がします。旅に出て美しい景色を見ると、いっしょに眺めている気になります。名古屋大空襲で19歳で亡くなった伯父や、50歳前や還暦前で早々と亡くなった叔母たちの人生の分も、私はきちんと生きないと申し訳ないと思います。

日本史上空前絶後なほどに恵まれた平和な時代、政治的自由が憲法で保障されている時代、女も好きに勉強し職につける時代に生まれたのだから、この恩恵を徹底的に活用しないと、私は、この日本列島で延々とDNAを伝えてきてくださった御先祖様御一同に顔向けできません。御先祖さんって1億人以上はいるんだよな・・・は〜〜

もちろん、アイン・ランドを始めとして、いささかにせよ、多大にせよ、ともあれ私の認識を広げてくれた書物の著者すべてに絆を感じています。もう勝手に、自分の家族にしています。

私は、残業を終えての帰宅途中に入る「大阪王将」のオヤジさんに絆を感じます。五目ラーメンと餃子ときゅうりの漬物にぱくついていると、ラーメンの湯気によって、疲れて縮こまっていた心が、ふんわり膨らんでいきます。

最近、桃山学院大学正門前に小さなカレー・レストランが開店しました。そこで、ルー大盛90円増しの「カキフライ・カレー」を食っているときに、そのレストランを開店した若いご夫婦に絆を感じます。あの・・・ご飯は、発芽玄米混ぜて炊いたほうがいいよ・・・

先日は、懇意にしているA画伯(史上最年少17歳で日展入選(元)天才少女の洋画家)の、素晴らしい作品ばかりの個展に陣中お見舞いした折に、画伯にご馳走になりました。大阪は江坂(吹田市江の木町17-37)のイタリア料理店「サレンティーノ」でした。私は、そこのシェフ&マスターに絆を感じます。彼が男前だからではありません。そのお店の料理は、ほんとに、すっごくおいしいのですよ!

みなさん!この「サレンティーノ」っていう伊食屋さん、いいですよ!パスタも、ピッツアも、パエリア風お米料理も、みなはずれなし!今度、卒業する学生さんたちを連れて行くつもりです。あの味を再度確かめねば!火曜日定休ね。大阪市営地下鉄御堂筋線江坂駅8番出口から徒歩8分くらいかな。

私は、いつも宅急便を配達してくれる佐川急便やクロネコヤマトやペリカン日本通運の配達員の方々にも絆を感じます。ちょっと前までは、名古屋ー大阪間移動でも、スーツケースだの、4輪キャリーバッグだの、重い荷物持って運んで平気だったのですが、最近はもう重いものを運ぶが辛い。ですから、スーツケースや本が入ったバッグは、みな宅急便に依頼します。重いのに配達料は安い。申し訳ないです。

さらに、私は、見たことも、会ったこともないような人々にも絆を感じます。いや〜〜ほんと、私は何もしていないのに、世界中のいろいろな方々が、知恵をしぼって、便利で素晴らしい物を開発してくださって、私はとっても快適に楽しく暮らしております。

そうです、「絆を感じる」ってのは、「ありがとう、おかげさまでいい毎日です!って、感謝する気持ちを持つ」ってことと同義です。人間、まともにちゃんと生きていますと、自分自身がちゃんと働いていると、他人がしてくれることに想像力が働くようになります。

この講演会は実に楽しいものだったが、誰かが、ちゃんと、きちんと背後でお膳立てをしてくれたからだ・・・時刻表通りに電車が来るという現象は、断じて自然現象ではない、すごいことである、人間の知恵の結晶である・・・私がバーゲンで購入したこのブーツは、実に縫製が丁寧だ・・・誰かが手を抜かずに縫ってくれたんだな・・・

私の研究室のフロアーには、どうも馬鹿で幼稚な同僚が数人いるらしい・・・書籍通販アマゾンの段ボール箱をちゃんと分解してヒモで縛って出さずに、そのまんまボックスのまんま廊下に積み上げて出している・・・こんな馬鹿な連中が大学の教師では、今どきの若い学生がおかしいのも無理はないと、清掃会社から派遣されたあのオジサンは思っているに違いない・・・でも、朝出勤すると、いつも廊下は綺麗なんだ・・・

とか、なんとか、いろいろ想像力が働くようになってきます。そうすると感謝の気持ちがわいてきます。いや、ほんとなのよ。いいオバサンぶっているわけじゃないって。

そうなると、もう、ひとりでいても寂しくない人間になるのですね〜〜自分は、ひとりぼっちで孤島にいるのではない、いろんな人々の努力の上に生きていると思えてくると、もう寂しくないのですね〜〜

「ひとりでいても寂しくない人間」になるには、まずは、自分の心に正直に生きること。自由に生きること。同時に、自分は、自分の生を支えるすべての人々や事柄に、つながっているという思いを持つこと。絆を感じること。つまり、感謝することです。

そういえば、みなさん、自由には英語で二つの単語があって、それはliberty とfreedomであるってことは、ご存知ですよね?「ひとりでいても寂しくない人間」とは、libertyを実現させたliberatedな人間であり、かつfreeな人間です。どーいうことでしょうか?

liberty とfreedomは、日本語ではどちらも「自由」ですが、英語においては、語源が違います。今は、テキトーにゴッチャに使用されていますが、ほんとうは、違います。

リバティとフリーダムの語源について、アメリカの歴史学者デイヴィッド・ハケット・フィッシャー(David Hackett Fischer)の研究(Liberty and Freedom, 2005)から確認しましょう〜〜って、つい教室でしゃべっている気分になるな、こういう話題になると。

リバティ(liberty)という言葉の語源は、ラテン語のlibertasです。束縛のない、制限されない、圧制から解放されている状態を意味します。古代ローマにおいて、libertasを有する人間とは、「自主性(autonomy)を与えられている人間」のことです。

古代ローマにおいては、人間は、前提として、桎梏(しっこく)に満ちた不平等な世界に生まれます。その世界の中のどの階層に属するかによって、与えられる自由の量と範囲が違う。最下層にいるのが奴隷です。リバティの語源たるlibertasが意味する自由とは、獲得するもの、闘って得る立場です。

一方、フリーダム(freedom)の語源は、北ヨーロッパの古代語です。その起源は印欧祖語(the Indo-European Language)です。英語のfreeの語源は、印欧祖語のpriya、もしくはfriya、もしくはriyaです。その意味は、「いとしい人」(dear)であり「愛されし者」(beloved)です。だから、英語において、freeとfriendの語源は同じなのです。

簡単に言えば、freeな人間とは、部族や家族や人々と絆を結んでいること、仲間のひとりであること、なのです。フリーダムの語源が意味する自由とは、他者との絆がある状態なのです。

頭山満が定義したところの「ひとりでいても寂しくない人間」の内容については、私は知りません。この人は、チマチマ雑文書いて稼ぐ類の人ではなかったから。自分所有の炭鉱を売却したカネを、たかってくる弟子や知人や食客に、全部くれてやった人だから。中村天風氏のヨーロッパ放浪の資金だって、実は頭山氏が都合つけてきたカネだったそうです。

でも、頭山満氏の「ひとりでいても寂しくない人間」とは、やはりliberated でfreeな人間だったんじゃないのかなあ。だからこそ、若い頃は、自由民権運動に東奔西走し、後には、いろいろな人々をつなぎ、アジア諸国と日本を結ぶネットワークの要となったのではないかなあ。まさに、liberated でfreeな人間であろうとしたのではないかなあ。

そりゃ、そのlibertyなんて、頭山氏の時代にせよ、今の時代にせよ、まだまだほんとうには実現していないということはわかっていますが、せめて、できうる限り、自分が本当には望んではいないことをしないという自己解放ぐらいは、自前で試みないと、若いときはいいですが、中年過ぎて、老いていくにつれて、どんどん寂しくなるでしょう。

前にも言いましたが、自分が自分を解放しようと懸命に生きていると、他人の人生にも想像力が働くようになりますから、「こんなことしてもらえるなんて、ありがたいな〜〜」と思えるようになります。

かつ他人の人生と自分の人生が、おびただしく豊かに交錯しているという実感も得るようになります。他人との絆を感じるというのは、そういうことです。

そうなると、自分の内部から、他人や社会や世界に向かって、心が開かれていくのです。誰かが自分に好意を持ってくれるから・・・ではなく、自分自身から発信できるようになります。自分自身の中に光源ができるようになります。

寂しさや空しさを誤魔化すために、アル中などになるのは、実は引退退職後の男性が多いそうです。それは、現役の頃から、自分を会社の中に埋没させて、たまたま生活費を獲得するために従事しているだけのことと自分の人生をゴッチャにして混乱したまま生きて正気にならず、人様に感謝することもなく過ぎてきたからだよ〜〜奥さんに感謝することさえなかったから、退職したら、自分自身からすることが何もなくて、家族にも相手にされなくなり、孤独感と空虚感に苛(さい)なまされるのさ〜〜

本格的買い物依存症になるのは、子どもが成長して取り残され、社会で鍛えられてきた夫の水準にはついてゆけず、取り残された感がある老いた専業主婦に多いそうです。それは、自分の人生から逃げて、夫だの息子だの娘だの、他人の人生に過剰に関与することで、暇つぶしをしてきたことのツケですよ〜〜人の褌(ふんどし)で、相撲を取ってきたからだよ〜〜自分の人生を真正面から受け止めて生きるよりも、他人に注文つけて、他人を叱咤激励しているほうがラクだからね、そりゃ。臆病で怠惰で狡猾な女のやりがちなことだよ〜〜

みなさま、中年時代もある程度が経過しましたら、liberated でfreeな人間であること=ひとりでいても寂しくない人間であろうとしないと、まずいですよ〜〜〜「ひとりでいても寂しくない人間」でいないと、他人に求めるばかりのうざい人間依存症老人になりますよ〜〜もしくは、アル中か買い物中毒か、もしくは年金からさえ貯金したがるオカネ中毒になりますよ〜〜ほんと。

しかし、まだ非常に若いのに、孤独と空虚からの逃避であるところの様々な嗜癖(しへき)であるところの、アル中、ヤク中、セックス中毒、テレビ中毒、買い物中毒、過食症に、メイル&Twitter中毒も含む人間依存症(恋愛依存症とか友人依存症とか)などになるのは、はっきり言って、おかしい。なんで、そんな暇があるのか?

そーいう人々は、社会の中で、なるたけ快適な居場所を確保するべく奮闘努力することから逃げたい人間です。もっと、はっきり言えば、そういう闘争は他人にやらせて、自分はその分け前だけクスネたい類の人間です。もしくは、そういう闘争に参入するのが面白いと思えない頭の弱い、かつ好奇心の足りない、気概のない人々です。

もし、あなたが若くて、かつ自分で食ってゆくこともできず、一人前でもないのならば、寂しいとか空しいとか言うのは、まだ早いです。そんな感情はぶっ飛ばして、ひたすら闘争してください。やれるだけのことやって、あがいてください。

トコトン現実の中で苦戦しないと、したくもないことをいっぱいしないと、会いたくもないし話したくもない嫌な下劣な卑怯な人間ともいっぱい関わらないと、liberatedされたいとか、freeになりたいとか、切実に感じることができません。

寂しくても空しくても頑張った日々がないと、Liberatedであることの素晴らしさや、ありがたさが感じられません。Freeでいること、他人や世界に感謝して、他人や世界との絆を感じることの温かさにひたることはできません。

そうか、私は、いつか大空を飛ぶ白鳥になりたかったのだけれども、白鳥になんかならなくたって、私は私の人生を好きに生きるんだと決めて、それを実行して、かつ、いろんな人々とつながっている自分を感じて、ネットワークの中にいる自分を感じて、感謝して、どこに行っても自分の街だと思って、見知らぬ国の見知らぬ街の通りを、脚が短かろうが、膝が痛くなろうが気にしないで、屈託なく上機嫌でふつ〜〜に歩いている人間でいるほうが、はるかにいいじゃないか。

あれ?「ひとりでも寂しくない人間」って、『水源』のハワード・ロークに似てるかもなあ・・・やっぱりなあ・・・