アキラのランド節

「共生の思想」に御注意!(その1)  [12/05/2010]


みなさま、おひさしぶりでございます。くたびれきっている藤森でございます。消耗している自分を励まそうと、もっぱらYouTubeで、韓国でも日本でも大人気の女性ダンス・グループKARAの映像視聴している週末であります。

Hey,Mister! いますぐに、ミスター、抱きしめて、ミスター、その腕で、ミスター、捕まえて、ミスター〜〜♪ラララララ、ラララララ、ラララララ〜〜♪

ああ、あんな風に、ヒップ・ダンスをカッコ良く踊れたらいいな。

私が、授業中に「私がアイドルのファンになったのはKARAが久しぶりです。薬師丸ひろ子以来です」と言ったら、なにゆえか爆笑された。なんで爆笑されたのか。おかしいですかねえ?

それにしても、本ウエッブサイトの更新が随分と滞ってしまっています。すみません。

ただでさえ学期が始まると、怒涛の労働であります。いろいろなことがありました。そのつど、Twitterに書いてきました。ほぼ毎日、つぶやいてきました。お気が向いたら、読んでやってくださいまし。でも、まとまった文章はなかなか書けませんでした。

11月に入って、同僚の急病のために、今まで教えたことがない専門科目を週2回教えるはめになりました。「英語の歴史」という科目です。英語史というのは、英語という言語の誕生や、その衰退と復活と拡大や、文法や発音や語彙の変遷などを扱う科目です。資料はいっぱいありますから、学部学生相手の「英語史」くらいは何とかなります(と、最初は思った)。

しかし、やっぱり、まずかったですね〜〜♪ なんとなれば、もともと、私は「言語学とか英語学って何だ?そんな学問が何の役に立つ?しょうもない。そんなくだらないこと教えてないで、英語を教えろよ!英語学概論とか語用論とか意味論とか変形生成文法とか音声学なんぞ、どうでもいいんだよ!くっだらね〜〜お前らが大学院でやったことじゃなくて、英語を教えろよ!ちっとは、学生の身になれよ!お前らの下らない趣味を満足させるために、大学が在るんじゃないんだよ!」と思っている人間です。

ですから、「英語の歴史」ではなく、ついつい「英国の歴史」みたいな話ばかりをしています。人間や社会の記録としての、事実(らしき出来事)の集積としての歴史は学ぶ価値がありますから。生きていくための参考になりますから。

たとえば、1066年にノルマン人(現在のフランスの北西部にいた人々)に占領支配されたイングランド(ゲルマン民族のアングロ族やサクソン族やジュート族が、ケルト族を追い出し、バイキングの襲来から守った地域)の公用言語(王様が勅令出す言語)は、300年間ほどフランス語だったのですが、やっとこさ英語が国語の王座を奪還できた理由のひとつは、ペストの大流行でした。

ペスト(Pasteurella pestis)は、またの名を黒死病(the Black Death)と言います。ペストは齧歯類(特にクマネズミ)に流行する病気です。人間に先立ってネズミなどの間に流行します。

齧歯類は、「げっしるい」と読む。「げっぱるい」ではない。リスとかネズミとか前歯が大きい小動物のことですね〜〜

菌を保有したネズミの血を吸ったノミに人が血を吸われた時に、その刺し口から菌が侵入し、感染者の血痰などに含まれる菌を吸い込む事で感染します。人間、齧歯類以外に猿、兎、猫にも感染します。ペスト菌が血液によって全身をめぐり敗血症を起こすと、皮膚に出血斑ができ、全身が黒いあざだらけになり死亡します。だから黒死病。

中世には、ヨーロッパの人口の少なくとも3分の1は、ペストで死にました。教会の聖職者はラテン語を使用していたのですが、彼らや彼女たちは修道院などで集団生活し、かつ貧民救済に尽くしたりしていましたから、簡単にペストに感染して死にました。

つまり、教会からラテン語ができる聖職者が消えたんですね〜〜しかたないんで、教区の信者が英語で何やらかんやら教会活動に従事するしかなくなった。でないと、赤ちゃんの洗礼も葬式もできない。結婚式も日曜日の集団礼拝もできない。英語は、こうして教会で、まず復活しました。

英国における、地域共同体の相互扶助組織結社(フラタナティー)の起源は、聖職者が死んじゃった教区で、俗人が協力し合って冠婚葬祭を取り仕切るようになったことから生まれたのです。日本で言えば、「講」(こう)みたいなもんです。講ってのは、「神仏を祭り、または参詣する同行者で組織する団体」(広辞苑)です。

たとえば、「女人講」(にょにんこう)というのは、宗教的集まりでありましたが、江戸期の庶民の女性にとっては、女だけで気楽に集まって談笑飲み食いできる貴重なるコミュニケーションの場でもありました。

「女人講の闇を裂く」なんて巻が、笹沢佐保氏の時代小説『木枯らし紋次郎』にありましたね〜〜って、関係ないか。

ともかく、聖職者がペストにより死亡後の俗人教会自治組織こそ、英国における庶民レヴェルの自治組織の始まりだったのです〜〜アメリカの大学の入会審査のあるクラブ、友愛会(fraternity)の起源は、これらしいです。

ペストによる人口減は、英国においては英語の復活だけではなく、労働者階級の待遇改善を促進しました。労働力不足になり、賃金を上げないと、人がやってくれなくなったから。王様が、いくら「賃金上昇禁止令」出したって、誰が従うか。

ついでに、一家全滅した農場とか家屋を、生き残った人々は得ることができました。つまり、社会の空気が活気に満ちて、希望が出てきたのです!チャンスがいっぱいになりました!いや、ほんと。

ついでに、労働集約型耕作栽培に従事できる人々の絶対数が減ったので、英国に産業構造の変化が起きました。人手のいらない放牧業が広まりました。ようするに羊毛業が発展しました。毛織物(もちろん、まだ手織だ、homespnじゃ)は当時は贅沢品だったし、羊毛は、中世ヨーロッパではスペイン(メリノ・ウール!!)と英国ぐらいでしか盛んではなかったので、そのおかげで、英国では、羊毛の交易によって富の蓄積を可能にした人々が出現しました。英国における郷士階級(紳士階級)の誕生ですね〜〜♪

英国の産業革命というのは、直接的には、毛織物産業の工業化から始まったのだから、ペストという伝染病の蔓延による人口減が、実は、近代を生み出したとも言えるのです。

ルネッサンス〜〜〜(と、ワイングラスを上に掲げる真似をして)は、ペストによる人口減が生んだのだよ〜〜だから、みんな、少子化なんか怖くない!鳥インフルエンザだろうが、どこかの細菌研究所製のウイルスだろうが、怖くない!もし、生き残ったら、おもろい時代が待っているぞ〜〜就職難も、住宅ローンもないぞ〜〜♪是非とも、何としても、生き残ろう〜〜♪

と、自分が関心あることだけを、学生さんに言い散らかしていていいのだろうか。

中期英語と現代英語の文法や発音の違いなんか話しません。話せと言われても、話せません。知りませんがな、そんなこと。今更、文献読んでも、頭に入りませんがな。

ジェオフリー・チョーサー(Geoffrey Chauser:1342-1400)の『カンタベリー物語』(The Canterbury Tales:1387-1400)も、中英語オリジナル版テキストと現代英語訳テキストの比較なんぞ、しませんでした。できないのよん。

映画版『カンタベリー物語』を学生さんに見せるしかなかったです。イタリアの鬼才変人奇人映画監督のパゾリーニ版を。パゾリーニですから。パゾリーニ。全裸シーン、陰毛シーン、おっぱいシーン、性交シーン(男女のも、男男のも)、スカトロジー(糞便趣味)、同性愛者火あぶり死刑など、非教育的悪趣味言語道断場面満載の映画です。イタリア映画ですが、英語吹き替え版もあります。イタリア人が演じる、イタリア人監督による、英国中世を舞台にした、英語音声によるハチャメチャ猥褻卑猥(わいせつひわい)小話集。

見よ、これが中世だ(と思う)!人間というのは、いつの時代もろくでもないわ!今の時代と同じだ!食って、寝て、排泄して、性交して、不倫して、騙して、騙されて、他人の死刑は楽しい見物で、残酷で、不公平で、不条理で、滑稽(こっけい)だ!

『カンタベリー物語』つーのは、ロンドンの場末の旅籠(はたご)に宿泊している、カンタベリー寺院へ巡礼に行く途中の人々が、退屈だから、自分のとっておきの伝聞とか体験を披露しましょうや、ということで24の話が集められた「中世英国噂の真相!」みたいな物語集です。英文学史においては、中世英文学の代表的作品ということになっております。

なんで、ケント州のカンタベリー寺院に巡礼に行くかといえば、中世庶民にとって許される旅行は聖地への巡礼だけだったから。ヘンリー2世の部下の騎士4人によって、祭壇に向かって祈り、膝まずいている時に、剣で背後から頭をかち割られて殺されたカンタベリー大寺院大司教のトマス・ベケット(Thomas Becket:1118-70)のお墓(廟)参りという大義名分は、たぶん、単なる大義名分。王に抵抗したベケットに、ひそかに庶民たちは共感していたのかもしれないです。

来週あたりは、近代英語文学の華ウイリアム・シェークスピア(William Shakespeare:1564-1616)に入りますね〜〜何を話そうか。

「この時代の英語は、形容詞と副詞の区別がついていませんでした」なんて話は、私にとっては面白くもなんともないから、四大悲劇のひとつマクベス(Macbeth)の日本映画版黒沢明監督の『蜘蛛の巣城』でも見せようか。マクベス夫人(にあたる)役の山田五十鈴が、すっごくいいですよ〜〜シェークスピアの四大悲劇『ハムレット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』ぐらいは翻訳でもいいから読んでおかないと、先進国の中産階級の人間とは言えませんよ〜〜大学生とは言えませんよ〜〜でも、私が一番好きなのは、ゲイ風味政治劇の『ジュリアス・シーザー』だけどね〜〜♪

と、言っていて「英語の歴史」になるのか? まったく、なりません。しかし・・・まあ、いいだろう。

しかし・・・大学院生の頃に、ちょっとだけ齧った英国史や英国の文学が、この期(ご)に及んで役にたつとは。雑学は身を助ける。

この「英語の歴史」に加えて、留学希望なのに、どうしてもTOEFLの点数が伸びない学生さん用の英語補習クラスも週2回入れてしまいました。

みなさま、桃山学院大学の国際教養学部は、1年生と2年生に限って、旧式TOEFL(paper-based TOEFL ITP)で400点取れば、桃山学院大学が提携しているアメリカやオーストラリアやカナダの大学に付属する英語学校に、半年間留学できます。成績が良ければ、学部の授業も受けていいのです。留学先での授業料は桃山学院大学が払います。同時に15万円ほどの奨学金も出します。半年留学だと、航空運賃に寮費に食費などで、100万円近くが個人負担になります。ですから、少しでも負担を減らすために、同窓会が出してくれるのです。

すごいでしょう。

はあ、そうです。旧式TOEFL(paper-based TOEFL ITP)400点なんて英語力のうちには入らない点数です。他大学ならば、大学派遣の留学なんか、とうていさせてもらえない点数です。最低500点くらいはないと、させてもらえません。

しかし、あえて、英語はできるようになりたいけれども、英語力が決定的に足りない学生さんだからこそ、半年語学留学してもらい、刺激を受けてもらいたい!帰国したら、今度は長期留学をしてもらいたい!半年留学は、その前哨戦にしてもらいたい!ということで、そういう制度を、国際教養学部は作ったのでありますよ。

なのに、5点や10点足りない程度で留学したいのにできない学生さんがいます。そんなもん、ちょっと頑張れば、旧式TOEFL(paper-based TOEFL ITP)ならば、点数を伸ばすことは簡単です。だから、補習です。

来年の5月に、またTOEFL ITP(paper-based TOEFL ITP)を受験したときには、めでたく楽々と最低450点は取って、留学してちょーらい。21世紀は、ビジネスも学問の世界も、はっきり共通語は英語だぞ。

もう、やけのやんぱちの2010年の「師走」であります。ほんとに藤森センセイが、ジタバタドタバタ走っています。肉体労働で忙しいので、食欲旺盛になり、ついつい過食してしまいます。恐怖のデブリングです。常時臨月妊婦体型に逆戻りです。ワンピースは、マタニティ・ウエアから探すしかなくなります。

なんで、そうまでして、私は怒涛の労働に身を投じるのか?急病の同僚の担当科目なんか、請け負わなくても構わないのです。知らん顔していれば逃げることができます。英語の補習もしなくてもいいです。勝手に私がやっているだけのことです。

唐突に告白しますが、今年度の秋学期は、私にとって桃山学院大学の専任スタッフとしての最後の学期なのです。来年4月から、私は新設の福山市立大学(広島県)の都市経営学部というところに転出します。だから、桃山では、悔いのないように、自分にできるだけのことをしておきたいのです。毎日授業でくたびれまくっても、いいのです。

ですから、先日、あるご婦人から、「10月の桃山学院大学の公開講座でセンセイのお話を聞きました。私の友だち集めますから、同じ内容をお話していただけませんか」というお電話をいただいたときも、「げっ・・・この忙しいのに・・・」と思いつつ、「これが最後だ!」と思い、お引き受けしました。

10月の桃山学院大学の公開講座というのは、毎年、順番に各学部から5人のスタッフが出て行う連続講演会です。誰でも聴講可能&無料です。今年は、国際教養学部の担当になり、テーマは、「メディアがなんたらこうたら」という、どうでもいいような類のものでした。その2回目を担当した私は、「陰謀論をめぐるメディアの攻防」という御大層な物騒なタイトルの内容を話しました。「聞いてくださる方が退屈しなければ、いいだろ〜〜退屈な講演を聴くのは拷問だからな。既成のマスゴミ報道は信用できないという例を、いっぱい出しておこう〜〜」と思い、そういう話をしました。

そのときの100人くらいの(年輩の方々が中心の)聴衆のおひとりから、電話をいただいたのであります。正直言いまして、私はこう言いたかった。「公開講座のときに配布したハンドアウトに、世にはびこる<陰謀論>ならぬ、<エリート共謀仮説>(『ジャパンハンドラーズ』(日本文芸社)著者中田安彦氏の造語。もとは副島隆彦氏の指摘)なるものを知るための文献やウエッブサイトのリストを載せておいたので、そちらをご覧になったほうが、ずっと、いいんじゃないでしょーか、いい加減な私の話よりは」と。

しかし、いまどきの年配の女性は好奇心旺盛です。大阪の女性ですから、なおさら積極的です。「センセイのお話聞いて、やっと私、腑に落ちたんですう。中川昭一さんが、G7でローマかなんかに行ったとき、グデングデンに酔っぱらって、支離滅裂に記者会見してるのにい、横にいた人たちが、大臣のこと、な〜んも気にかけずに、シレッとした顔していたのを見てえ、なんかおかしいなあ〜と私は思っていたんですけどお、やっぱり、裏があったんですね!!やっぱり、日本のマスコミ報道は、おかしいんですねえ!?だから、そーいう話を、もう一度していただきたいんですう!」と、熱心におっしゃいます。

とうわけで、近日に、その御婦人のお友だち12人か13人の方々(50代半ばから60代半ばだそうです)と、ランチをご一緒した後に、大阪市内の某マンションの集会室でお話しさせていただくことになりました。

草の根のリバータリアンとして、草の根の女性たちに、「大手新聞とかTV局の報道を鵜呑みにしないほうがいいですよ」と伝えることも、意義のないことではないかもしれないと、思うからです。日本版Tea Partyというのも、こういう小さな集まりから生まれるものかもしれません(かなあ)。

アメリカの11月の中間選挙を揺り動かしたティー・パーティの原動力となった、リバータリアンのテキサス州選出下院議員のロン・ポール(Ron Paul:1935-)と、その息子さんのケンタッキー選出上院議員のランド・ポール(Rand Paul:1963-)の活動については、「副島隆彦の学問道場」の「今日のぼやき」のNY州在住の佐藤研一朗氏の報告をお読みください。公開版ですから、非会員でも読めます。

このランド・ポールさんは、本名はRandal Howard Paulです。やはり、アイン・ランドにあやかって名付けられたし、アイン・ランドの精神の後継者だって宣言しているのだろうなあ、自らを「ランド・ポール」と称するのは。

先月、TVで東京大学の政治学の教授さん(名前忘れた)が、アメリカの中間選挙(an off-year election, an interim election:大統領選と大統領選の間の4年間の真ん中で下院議員と上院議員の選挙をするので、そう呼ぶ。アメリカの下院議員の任期はたったの2年だから)リバータリアンについて、ほんの一瞬だけ言及していました。

「リバタリアンっていうんですけど、極端な人たちがいまして」と、わけのわからん説明にならない説明をしていました。ごまかしたのか、無知なのか、悪意なのか。まあ、税金で学び、税立大学で教えて糧を得て、税金(科研費と業界用語では呼ぶ)で研究用費用をまかなってきた人であろうから、「減税」だの「小さい政府」だの「反官僚制」だのと言うリバータリアンなんかに関心はないよね。

というより、この人にとっては「敵」かもね。日本に波及するのは絶対に困る政治勢力だと思っているのかも。いや、特に関心もないのだろう・・・政治に関心のない政治学者もいるさ。文学センスのない文学研究者なんか掃いて捨てるほどいるように。

そういえば、9月に、私が河村たかし名古屋市長を支援して、市議会解散リコールの署名集めをしていたときも、名古屋在住の私立大学勤務の友人は署名に賛同してくれましたが、名古屋在住の国公立大学勤務の知人からは、賛同を得られなかったなあ。河村市長はインテリに人気がないそうだが、日本にインテリっているの?

ともかく、いろいろありますが、そういうわけで、本年の秋学期は、私にとって、特に特に特に感慨深い日々なのです。一刻一刻を惜しむように味わいつつ、私は働いております。15年間にわたる桃山学院大学での日々を振り返りつつ。

ああ・・・楽しかった。ああ・・・忙しかった。ああ・・・くたびれた。

あ、そういえば、「脳萎縮促進性習慣としてのポジティヴ・シンキング」の続編(完結編)を、まだ書いておりません。すみません。しかたないです。書きたくなる気になるまで書きません。わがまま?いい加減?違うよ。能力がないだけだよ。

でも、WEBマガジン『出版翻訳』2010年9月号には、「私は憂鬱な英語教師だったけれども、希望が出てきた(その1〜2)」という文を書きました。お気が向いたら、読んでやってださいって、関係ない?

本題に入る前に、非常に非常に遅れてしまいましたが、第2回「東京アイン・ランド読書会」報告をさせていただきます。9月17日に東京は御茶の水のスター研修所で、午後6時半から開かれた佐々木一郎氏主宰の第2回「東京アイン・ランド読書会」はね〜〜楽しかったんですよ〜〜♪ すっごく楽しかったんですよ〜〜♪

9月17日といえば、名古屋の市議会解散請求(リコール)の署名集めの受任者となった私は、署名集めのために、近所を戸別訪問していたので、ついでに今年の猛暑の疲れも出て、疲労困憊(こんぱい)していたのですが、参加して良かったです。

第1回の出席者は7名でしたが、今回は15名でした。わざわざ京都から泊まりがけでいらした方もおられました。その方は、ただ「アイン・ランドの作品は美しいと思った」という理由だけで、いらしたのです。素晴らしい!

夕方にお仕事を終えてから名古屋から東京にいらしたOさんは、お疲れに違いないのに、得意のカメラの腕を生かして、会場の撮影をしてくださいました。

その写真の一部を、「「東京アイン・ランド読者会」のウエッブサイトで、見ることができます。主宰者の佐々木一郎氏のインタヴューの撮影もしてくださいました。

このインタヴューはYouTubeに投稿されまして、「東京アイン・ランド読者会」のサイトでも、視聴できます。インタヴュアーは、撮影者のOさんです。いい声です。硬質な色気のあるお声ですね〜〜♪Oさん、ありがとうございました。

出席者の方々との歓談も楽しく、『肩をすくめるアトラス』翻訳者の脇坂(わきざか)あゆみさんの講演「アイン・ランドの思想と作品」も情報満載で充実していました。

脇坂あゆみさんの講演「アイン・ランドの思想と作品」の内容は、We Publishという電子書籍店で販売しています。読むことができるのです!!無料です!!ここを、クリックしてください。脇坂さんのお書きになった論文をダウンロードなさってください。脇坂さんは、アイン・ランドのアメリカ政治思想界における布置を簡潔に整理なさっておられます。

今回も、やはり、「アイン・ランド読者」は、アイン・ランドっぽいと再確認しました。日本社会の中では、微妙に、何気なく、さりげなく、静かに浮いている感じの方々ばかりでした。しかし、「だから、それがどうした」という感じで、気負うこともなく淡々と、ご自分の人生を引き受けている風情の方々ばかりでした。

御存知のように、世間で、自分のことを「変人奇人」とか「個性的」と称する人間で、変人奇人であったためしがないです。個性的であったためしがないです。その類の人々は、実によくある、退屈で、かつ無駄にうるさい人々だったりします。しかし、「アイン・ランド読者」の方々は、ふつーに見えて、かなり変人奇人度が高いとお見受けしました。

その後の懇親会も盛況でした。話が尽きないという感じでした。アイン・ランドの作品の話だけで、数時間以上も延々と話していられる集団って、何だ?

あらためて、「アイン・ランド読者会」を立ち上げて、第2回開催のために、いろいろな手配をしてくださった佐々木一郎氏に感謝いたします。佐々木さん、ありがとうございました!

佐々木一郎氏は、12月12日(日曜日)に関西在住者でアイン・ランド読者の方々とお会いしたいとお考えです。関西在住のアイン・ランド読者の方々、「東京アイン・ランド読者会」のサイトをご覧になり、佐々木さんにご連絡ください。

「東京アイン・ランド読者会」のメンバーで、『水源』を再読しながら、心に残る部分の引用文を、ほぼ毎日、私に送信してくださるTさんという方もおられます。私は、アイン・ランドの作品からの引用文ばかり集めたブログを立ち上げることを、Tさんに、たきつけました。みなさま乞うご期待!

  こうして、アイン・ランドが、日本語のネット空間にも、多くの拠点を持つのです!いつまでも「日本では未知の作家」と思うなよ。

第2回「東京アイン・ランド読者会」に出席していらした政治学者のIさんが、おっしゃいました。「アイン・ランドが作品で称揚した精神が、もっとも理解され共感され、生き残るのは、この日本なのではないか」と。同感です。

だって、日本人は、奴隷制度を持っていた諸外国に比較すると、他人に働かせて、その果実は自分のものにして、実際に働いた人間に報いないという、「やらずぶったくりの搾取的寄生虫的心性」に対して、生理的に嫌悪感を持つ国民性を持っていると、私は思うからであります。

それだけ、日本の階級格差は、歴史的に相対的に、小さい。江戸時代から明治大正昭和に至るまでの京都や大阪の大店(おおだな)では、主人や、後継ぎの息子や娘が、トイレ掃除をしたそうです。トイレは大事なところなので、主人が掃除する。それが、主人や後継ぎの覚悟にもなる。身をかがめて、トイレの床を拭き、こびりついた汚物を取り除くことによって、労働の大切さを学ぶ。いい気に増長したり、傲慢になったり、「何様のつもり」にならないように、油断したりしないように、正気になっているために、リアリティから離れないために、トイレ掃除をする。

いい話です。出典?忘れました。

近年までカースト制度があったインドあたりとか、衛生に大らかな中国とか、奴隷のいる歴史を持つ欧米で、こんな話をしても、理解できる人は限られていると思います。どうも、あっちの人々は、日本人より搾取気質なのかもなあ。他人の労働にあぐらかいて生きていることを恥ずかしいと感じるセンスが希薄なのかも。

桃山の交換留学生の外国人学生の言動を眺めていても、日本人学生に比較すれば積極的で活気があるのはいいけれども、「こいつら、人は悪いよなあ・・・だから、ヨーロッパやロシアや中国で革命が起きたのだろうなあ・・・」と思いますからね。

日本ならば、どれほどにお嬢さん育ちでも、お嬢さん育ちだからこそ、料理とか家事の訓練は受けるでしょう(と、思う)。掃除や整理整頓や後片付けができない女性って、いくら美人でも軽蔑されるでしょう?自分でできないということは、恥ずかしいことだというセンスがあるでしょう?でもない?

一方、欧米やアジアでは、働かなければ働かないほど、いい人生、高級な人生っていう価値観があるのではないでしょうか?なぜでしょうか?その理由が知りたい私。

だから、「アイン・ランドが作品で称揚した精神が、もっとも理解され共感され、生き残るのは、この日本なのではないか」なのです!

そして、いくら内部崩壊の噂が大きくとも、アイン・ランドの小説を愛読する人々がアメリカに多くいる限りは、アメリカは持ちこたえる・・・と、私は信じています。

さて、やっと本題です。今日のお題は、「<共生の思想>に御注意!」です。

とはいえ、本題に入る前に、すでに力尽きてしまいました。本題は、続編で書きます。

いい加減にしろって?誇大広告だって?しかたないんですよ!長く更新できなかったので、積もる話があったんですよ!

さ、さ、お気を悪くなさらずに、みなさま、KARAのダンスでもご覧ください。5人とも可愛くてカッコいいでしょう?これぐらいの容姿、技術、気合、ガッツの持ち主が、プロフェッショナルです。これが真の芸能人だ!

さて、「東京アイン・ランド読者会」のメンバーであるT夫人から送っていただいたローズヒップでお茶しましょう。最近の私が、くたびれつつも、元気で戦闘的なのは、このビタミンCの爆弾、鉄分&カルシウムたっぷりの、南米チリのローズヒップのせいであります(と、思う)。ありがとうございます、Tさん。

ラララララ、ラララララ、ラララララ、Hey,Mister!! ♪友だち以上恋人未満〜〜曖昧な関係は飽きたわわ〜〜♪ 57歳のオバハンの心に火をつけたKARA、恐るべし。