アキラのランド節

私の「大運天中殺を乗り切りました!」報告  [03/06/2011]


みなさま、おひさしぶりでございます。更新が滞り、申し訳ありませんでした。さぼっていたわけではありません。Twitterを読んでくださっている方は御存知でしょうが、いろいろ、いろいろ、あったのです。

ところで、唐突に、本日3月6日は、アイン・ランド(Ayn Rand:1905-82)の命日です。77歳でした。私も77歳までは生きる。あと約20年か。やばい。すぐ来るぞ。

本日のランド節は、桃山学院大学の正規教員として書く最後のランド節です。大阪府和泉市で書く最後のランド節です。だから、何?いや別に。

1月の学期末、学期末試験、補習、2月の採点、入試、会議、会議、会議、しょうもない会議、ろくでもない会議、とんちんかんな会議、と、ドタバタしている間を縫って、福山に移るための、もろもろの作業をしているうちに、3月に突入しました。

3月11日に、和泉市に借りていた住居を福山市に移すための引っ越しがあります。建設されたばかりの新品ピッカピカの福山市立大学のオフィスで、15日から仕事が始まる。まだ正式に採用されていないのにね〜〜時給でないよね〜〜♪

翌日16日は、桃山学院大学に帰ってきて、研究室の引っ越しがあります。引っ越しの2乗。疲労困憊消耗の2乗。

ダンボール箱にちょっと本を詰めただけで、心臓が痛くなり、腰が痛くなります。長年の間、無視され忘れ去られ、ついには捨てられようとしている大量のモノの霊が、私に邪気を発しているらしい。

公立大学に移ると、給与もガクンと低くなるので、生活をダウンサイジングするしかないです。借りる住居も、3LDKから2LDKにしました。うんと狭くなります。だからね、みんなのこと持っていけないの。ごめんね。私の甲斐性がなくて。

特に何も知的生産物を生み出さないまま、最低のコスト・パフォーマンスのまま、無駄に蓄積されてしまった書籍も、古書店経営者の友人(http://www.duckbill.co.jp/)のおかげで、整理&処分できます。助かりました。一時は、どうなることかと思った。空っぽになりつつある本棚の、なんと清々しいこと!

学術書でも、文学理論系なんかだと、古書店さんも、要らないみたい。そーいう本を、古書店界用語で、「再販性(売れる可能性)がない」と言う。1980年代のニュー・アカデミズムの潮流に乗って、21世紀初頭ぐらいまでは、けっこう出版されていた文学理論系文献は、すべて廃棄。『構造と力』・・・これ、すっごい評判でしたよね〜〜

脱構築だの、マルクス主義批評だの、新歴史主義だの、カルチュラル・スタディーズだの、ポスト・コロニアニズムだの、ジェンダー理論だの、クイア理論だの、みな廃棄。さようなら〜〜中国人に紙資源として買われて、今度こそは、人類のために役にたつんだよ〜〜〜♪

学会誌、紀要、論文の抜き刷り(研究者は専門雑誌や紀要に論文載せると、そのコピーが数十部もらえる)、雑誌のバックナンバー、みな廃棄。ファイルも廃棄。みんな、みんな廃棄。どいつも、こいつも、オランダも廃棄。この作業には、前のランド節で言及した時給5000円のアルバイトの学生さんが、孤軍奮闘してくれました。ありがとうね。就職、早く決まるといいね。

自分の年齢や体力も考えずに、何とかなる気でいた梱包(こんぽう)&荷ほどきも、引っ越し作業で失語症になった経験のある友人の忠告に素直に従い、業者の方に依頼することにした。失語症どころか、死ぬ羽目になるかもしれないもんな〜〜

ガスも電気も水道も電話もインターネットも、引っ越し手続き完了。古いプリンターも捨てよう。古い手紙よ、さようなら〜〜悲しい夢よ、さようなら〜〜♪って、知らないよな、『青い山脈』って古い日本映画の主題歌です。 

白虎のでっかいぬいぐるみはどうするか。捨てると、たたられそうで怖いから持っていこう。テディ・ベアもどきの不細工な熊のぬいぐるみは捨てる。若い時から集めていた銅版画などの類は、どうするか。昔は、人並に私にも芸術趣味があったが、今は消えた。芸術作品なんて、飽きればゴミです。捨てちまえ。集めまくった水晶や鉱物は捨てない。

アリストテレスいわく、魂は、最初に鉱物に宿る。次に植物。それから動物。次に雲!雲になりたい・・・そこまで経験して、やっと魂は人間に宿る。つまり、水晶には、魂の1年生がいる。ほんまかいな。嘘ですがな。

とにもかくにも、引っ越し作業というのは、「過去の整理」でもあるので、ついついこの15年間を振り返ってしまいます。

柄にもなく、思い出にふけりつつ、引っ越しのために書籍の大整理をしていたら、1970年代後期に一世風靡(ふうび)した和泉宗章氏の大ベストセラー『算命占星学入門――自分を知りつくす中国最高の占法』(青春出版社、1978)に、ひさしぶりに会いました。

この本によると、私は40歳から60歳まで「大運天中殺」だ。別の本では、38歳から58歳まで「20年間空亡」と出ていたな。何だよ、それ?どっちにしろ、ともかく私の中年期はろくでもないらしいと、早々と素直に覚悟したのは、この本を熟読した20代も半ば過ぎた頃。

ただし、40歳前(38歳前?)に運気停滞していると、「大運天中殺」に入ると運が良くなるそうだ。急上昇して大成功をおさめるそうだ。反対に、40歳前(38歳前?)に、すっごくラッキーだと、「大運天中殺」に入ると不運続きになるそうだ。

私の場合、40歳前(38歳前?)の状態は、特に不運ということもなかった。特にラッキーということもなかった。そのころに勤務していた名古屋のキリスト教系女子大の短大部の所属学科には、ろくでもない同僚が多くて、さんざん迷惑かけられたし、軽度の嫌がらせもあったが。でも、そんな程度のことは、よくあることです。馬鹿は、どこにでもいるからね。

つまり、私の場合は、「大運天中殺」に入る前の運気の状態は、可もなく不可もなし。こういう人間の場合は、「大運天中殺」に入ると、どうなるのか。その場合は、「特にこれといって運が急上昇することもなく、急降下することもない。ただ、孫悟空の輪っかが頭にはめられているがごとく、頭が締めつけられているようで、スッキリしない」そうだ。何だよ、それ?

では、「大運天中殺」を無事に乗り切るには、どうしたらいいのか?@孤独になる。A研究とか発明とか、カネにならないことに集中する。B破産しない程度に、カネ使う。浪費する。C損得考えずに、奉仕する。この4つしか乗り切る方法はない(キッパリ)。

面白いもんだ。自分で決めて選んだわけでもないのに、私は、40歳に入ってから、この4つの「大運天中殺を乗り切る方法」を、実践していた。正確に言えば、実践するはめになっていた。

まず、@の孤独になること。私は、ここ15年間、大阪和泉市に居を構え、名古屋には休暇中か、月に一度くらいしか帰らなかった。忙しくて、帰ることができなかった。週末は、へばって寝込んでいることが多かった。

私が、名古屋から離れて大阪の桃山学院大学に移ったのは、なぜか。それは、地元の国立大学で助手していた夫が、私が勤務していた大学の別の学部に採用されたからだ。このとき、東大出ハーヴァード大学留学元国際基督教大学(ICU)教授の馬鹿クリスチャンの学長が、「この大学では夫婦が勤務することは伝統的に許していない」と、私に言った。「ならば、なんで教授会や理事会が採用を決めたのですか?今頃いったい、あなたは何を言っているんですか?」と、その軽薄で卑しい顔つきの、私が大嫌いなタイプのプライドばかりが異常に高い学長に、私は喧嘩を売った。1995年のことだった。

ついでに、助手なんかやっていたくないという理由で、私の反対を押し切って、私が勤務している大学からスカウトされて承諾した夫も、はり倒しておいた。

ともかく、こんなしょうもないところは辞める!と決心して、私は、東京方面の大学と、大阪方面の大学の教員公募に応募した。そしたら、桃山学院大学が採用してくれた。

桃山学院大学は、学長と大喧嘩してまずいことになっていた私を救ってくれた。そのことに、私は、ずっと恩義を感じている。命の恩人なんです、桃山学院大学は。ほんとに、あのとき桃山学院大学が私を採用してくれなかったなら、どうなっていたんだろう。福山に行っても、桃山学院大学のある南東の方向には、足とお尻の穴を向けて寝ないようにしよう。

というわけで、私は、1996年の春、43歳にして生まれて初めて一人暮らしを経験することになった。それから15年。大運天中殺の間は、まずは孤独になるべし。そうなると不運が軽減される。確かに、これは、あたった。

「大運天中殺を無事に乗り切る方法」の2番目は、「研究とか発明とか、カネにならないことに集中する」こと。 これは、一応は私も研究者だからね、カネにならない読書とか論文書きとか学会発表とかは、セッセとしましたよ〜〜♪まあ、勉強しているのが、一番の暇つぶしだから。それでもって、不幸も軽減されるならば、いくらでも、あなた勉強しますがな。

「大運天中殺を無事に乗り切る方法」の3番目は、「破産しない程度に、カネ使う。浪費する」だ。これも、しっかり実践した。ははは。これは苦もなく実践できた。はい。

なにしろ、カネにもならん論文書きとか学会発表は、ストレスがたまる。研究が好きで好きで好きでたまらないような類の頭脳の持ち合わせは、私にはありません。面白いようなもんでもないしさ、文学研究なんてさ。専門雑誌に依頼された原稿なんか、ちょっとした短いものでも、きちんと書くには、資料がいっぱいいるので、それをザザッと読みとおすだけでも疲れて、ストレスがたまる。

だから、「論文を書いたご褒美に、これ買っちゃおう! そうだ、あれも買っちゃおう!」であります。デブでチビだから、何着ても似合わないのに、衣類もよく買いましたわ。それも、これも、みな資源ゴミと化した。ああ・・・

ついでに、私の働きのわりには、桃山学院大学はいいお給料を出してくれたので、「無能な私にとっては貰い過ぎですね〜〜」という罪の意識から、学生さんとのコンパとか食事会とかでは、私が全額お支払いさせていただいた。学生さんをアルバイトで雇う時は、破格の時給で雇用させていただいた。

育ちの悪い遠慮のない類の学生さんたちだと、チェーン店ではない類のこじゃれた居酒屋あたりに連れて行って、「さあ〜〜好きなもの頼みなさい」と言うと、ほんとに、あいつら食べきれないくらいに注文して、飲みまくって、騒いで、食べ残して・・・お店の人に、支払い額を多めに渡して、謝ったりしたことが何回もあったな。

ただし、お行儀のいい学生さんたちの場合は、懐石料理店とか、フランス料理店とかで御馳走した。日本料理をいただくマナーを学ぼう〜〜とか、フレンチのフルコースをいただくマナーを学ぼう〜〜とか、ゼミ生にきちんと背筋伸ばして行儀よく食べることを強制した。

私は、いつもいつも論文や翻訳や原稿書きで忙しかったし、いつもいつも疲労状態で、ついつい授業で手抜きすることも多かった。「こんなクラスサイズが大きいのでは、英語教えても効果ないよ・・・」と、テキトーにやることもあった。もう、今日は、DVD見せてごまかそう〜〜とか。

ぶっちゃけて言うと、大学の教員にとって一番苦手なのは、「授業」だ。「教える」というのは、相手があることなので、その相手の状態を考えなければならない。だいたい、研究者とか大学の教員になるようなタイプの人間は、相手のことを考えたり想像したりするのは苦手だ。はっきり言って、ほんとは、あんまり学生に関心がない。というか、自分の好きなことしか関心がない。いや、ほんと、そーいうもんなの。だから、一番苦手なのは「授業」。これが、大学教員の真実の掛け値なしの姿ですのよん。

でも、給与は、「教えること」によって、得ている。にも関わらず、ひどい教え方なのに、私は、そこそこ、いただいていた。貰い過ぎだった。だから、私は、「これは、やばいことである」と判断して、機会があれば、学生さんに御馳走して散財することにした。厄落とし、厄落とし。保身、保身。自己防衛、自己防衛。安全保障ですがな。なんか、文句ある?

このような「損の貯金」の御利益にちがいない、私が国内外にゼミ旅行で学生さんたちを引率したり、交換留学生を観光に連れ出したりしても、事故は全く起きなかった。現地でテロが起きたり、地震が起きたり、学生さんが犯罪に巻き込まれたりということは、なかった。よかった、よかった。

学生さんによる授業評価アンケートの自由記述欄には、「口が悪すぎる」「毒舌が過ぎる」「暴言ばかり」「人間性を疑う」とか、ムチャクチャに批判されたが、直接的な学生さんとのトラブルはいっさいなかった。冷戦はあった。私が自由競争の能力主義のアメリカよ。みんないっしょにアホでいましょう〜の学生さんはソ連よ。あるいは中共か。でも、熱戦はなかった。

サイコ学生さんに悩まされることもなかった。幼児を殺害して遺体を川に投げ込む類の精神病系学生さんとか、引きこもって、ある日ドライヴに出かけて北陸は東尋坊の海にダイビングとかの学生さんが、ゼミにまじっているってことがなかったのはラッキーであった。そんなのいたら、かなわんわ。

今どきの、意味なく甘やかされて育った一般ピープルのお宅の気の小さい王子様や王女様であらせられる学生さんたちは、何かあっても、直接に、その場で教師に、きちんと意見を言うことはない。かわりに教務課に告げ口したり、親が電話で抗議してくる。そのために、管理職から問いただされるはめになる教師もいるのだが、私には、そういう経験はない。

そういえば、あれだけムチャクチャ書かれても、「授業がひどい」とか「無駄な講義だ」とかの類の、授業内容そのものに対する批判は、書かれたことないなあ。そういえばそうだなあ。授業内容には関心がないんだろうなあ。

ともあれ、「大運天中殺を無事に乗り切る方法」の3番目の、「破産しない程度に、カネ使う。浪費する」を、ちゃんと実践したので、おかげさまで(?)、この15年間、私の身は守られたようだ。

「大運天中殺を無事に乗り切る方法」の4番目は、「損得考えずに、奉仕する」だ。働く現場では、損も得もなく、やらなければならないからやるしかない。ついでに、私は頭が悪いので、損とか得とかの計算ができない。奉仕したかどうかは、わからない。やれるだけのことは逃げずにやったけれども。ただし、会議はさぼることもあった。

送別会で、同僚が、「フジモリさん、義侠心があるんやわ。人間が古すぎるわ。しょいこまんでもいいことばかり、しょいこんできたんやわ。次に行くところでも、便利にこき使われるんやないかな。あっちは、手ぐすねひいて待っとるわ。そこんとこ気いつけんと、早死にしまっせ。わたし、年下のあんたの葬式に出たくないわ」と、言ってくれたから、ひょっとしたら、私は、ご奉仕していたのかもしれない。

そうなのであります。図らずも、私は「大運天中殺を無事に乗り切る」ための4つの方法を実践するはめになったので、しかたなく実践し、おかげさまで、無事に、この大運天中殺を乗り切ることができたのですね〜〜♪

まあ、デブになり、白内障になり、白内障に気がつかずに数回こけて、ねん挫したのに、放置していたので、歩き方が変になっちゃったことぐらいで、すんだのは、幸運でありました。

ただし、可もなく不可もなく大運天中殺を乗り切っても、やはり「大運天中殺」だから、「頭に孫悟空の輪っかがはまったような、頭が締めつけられているような感覚」は、やはりあったなあ。脳が十分に稼働していないような不全感というか、残尿感というか。今ひとつの充実がないというか。

これも、還暦にでもなれば、スカッ〜〜〜とするのでしょうか。期待しよう。

さてさて、実は、「大運天中殺を無事に乗り切る」ためには、もうひとつ重要なポイントがある。大運天中殺が終わる5年前とか、3年くらい前から、「それまでとは生き方を変える」こと。でないと、死んでしまう(そうだ)。

だから、桃山学院大学を卒業して、広島県の福山市立大学に入学する私。私が福山市立大学に移るのは、そういう訳だ!!

ああ・・・和泉宗章氏の『算命占星学入門――自分を知りつくす中国最高の占法』に再会し、読み返し、感慨の深かった私。

ところで、ここだけの話ですが、私は、悪戯心で、某日出国(ひいずるくに)の皇太子夫妻を、この本で占ってみました。なんと、おふたりとも最晩年の20年が「大運天中殺」です。

大丈夫でございます!さきの「大運天中殺を無事に乗り切る方法」の4つ---@孤独になる。A研究とか発明とか、カネにならないことに集中する。B破産しない程度に、カネ使う。浪費する。C損得考えずに、奉仕する---を、実践なさればいいのです!

特に、Cの「損得を考えずに、奉仕する」を、実践なさればいいのです!それこそ、ノブレス・オビリージュ(noblesse oblige)で、ございます! もう、「ロイヤル・ニート」なんて、下々の者に言わせません! え?大きなお世話? ですよね〜〜♪

みなさま。次のランド節は、備後の国から、お送りいたします! 鞆の浦もあるでよ。 Bingo!