アキラのランド節

福山市と福山市立大学について  [08/22/2011]


これからは、もっと短く書き、頻繁(ひんぱん)に更新すると誓いながら、やっぱり、更新が滞る相変わらずのダメな私。今回のランド節も、短くないです。どうやったら、短く書けるのか。手足は短いのに。

今回は、奇しくも3月11日以来、私の新しい拠点となった福山市のことと、新しい勤務先となった福山市立大学(以後FCUと記す。Fukuyama City Universityの短縮形ね)のことを書く。

そんなもん関心ない?ま、ま、ま、そうおっしゃらずに。

私は、自分が深く関わるはめになった場所や環境は、だいたいの場合は、好きになる。好きでいられない場合は、好きでいようと無理な努力はしない。

さいわいに、福山は好きになった。FCUも、なんか好きだ。はっきり言って、いろいろ問題はあるのだけれども、それでも、なんか好きだ。なんでかわからないけど、なんか好きだ。そーいう気持ちって、あるでしょう?

だから、福山のことも、FCUのことも、宣伝する。私が関わることになったのだから、福山市とFCUが有名になるようにする。郷土愛?職場愛?いーえ、単なる自己愛の拡大です。私が関わることになったのだから、いいに決まっている。そーいう根拠なき確信です。はい。

福山やFCUのことは、Facebookには、ちょこまかと書いてきた。4学期制の福山市立大学の2学期が8月9日に終わり、それから成績報告を提出し、それから福山に江戸時代から伝わるサムライが始めた鎮魂の踊り「二上がり踊り」の練習をして、福山市立大学の1年生の「連」に加わって、「福山市立大学」のロゴが背中に染め抜かれた法被(はっぴ)を着て踊ったことなんか、書いてきた。

福山のお盆には、福山市が企画する夏祭りがある。その初日は「二上がり踊り大会」だ。それには、「広島銀行」だの「中国銀行」だの「ウエスギ」(地元の大雑貨店やね)だの、地元の民謡教室だの、日本舞踊の会だの、古典芸能伝承会だの、老人大学だの、30近くの連が参加する。

今春に創設されたFCUも、連を作り参加することになった。で、私も参加することにした。

なんでか? 単なる「ヤケクソ」ですがな。くたびれて体調が悪かったので、もっとくたびれたかっただけですがな。

しかし、それにしても、18歳の集団に58歳がついていくのには、非常に無理があった。あと5キロは体重を減らさないと、来年は踊りきれないかもしれない・・・とかいうことも、写真付きでFacebookに書いた。

どんな感じの「連」かというと、ここをクリックしてください。(http://www.fcu.ac.jp/forstu/2011/08/fs20110813.html)これは、FCUのウエッブサイトの「福山夏祭り二上がり踊り大会」情報コーナーです。

小さな都市(人口48万ほど)が初めて創った公立大学の第一期生による「連」であります。記念すべき歴史的「連」だ!!!

今年度は、来年3月に閉学される福山市立女子短大(の発展形がFCUです)との合同連で、教職員も入れて、60名くらいの連だったが、どんどん参加者が増えて、ついには、総勢200名ぐらいの連になったら、さぞかし壮観だろうな。福山の毎年の「二上がり踊り大会」も、めちゃめちゃに賑やかに、若々しくなるだろう〜〜♪ けけけ。

まあ、私の大好きなk-popのKaraや「少女時代」(SNSD)の美脚には負けるかもしれないけれども、女子学生たちがスパッツから出す生足は、若々しく健康的でいい!法被を帯できゅっと縛るウエストのくびれがいい!むふふ。

くびれがあって、いいな・・・

江戸期から伝わる「二上がり踊り」の「おとこ踊り」をする男子学生たちの姿には、21世紀の男子学生ながら、昔の若衆の風情が漂う。むふふ。

桃山学院大学時代には、「泉州のだんじり」。福山市立大学時代には、「二上がり踊り」。祭りって、いいね。むふふ。

福山市は、徳川家康の従兄弟の水野勝成(かつなり)が備後(びんご)に開いた「福山藩」から始まっている。だから、広島市のことなんか、なんとも思っていない。「安芸(あき)なんか外様(とざま)じゃないか」と思っている。

広島市内だと、お好み焼きは「広島風」(お好み焼きの中に焼きそばも入っている)だけだけれども、福山市内だと、「大阪風」も「神戸風」も、「広島風」と並んで売っている。この点においても、福山のほうがグローバル。広島ローカル度が低い。

ちなみに、福山藩初代藩主の水野勝成の菩提寺は、私が福山市内に借りている部屋から徒歩ですぐに行ける場所にある。もっとも、私が住んでいる部屋からは、JR福山駅も、福山市役所も、福山郵便局も、福山税務署も、福山保健所も、福山年金機構も、天満屋デパートも、イトーヨーカ堂福山店も、福山東警察署も、映画館も、みな歩いてゆける。コンパクトな町なんよ。

福山藩初代藩主の水野勝成の話に戻る。彼は、徳川家康の従兄弟だから、愛知県出身。勝成さんと私のご先祖様は、きっと何らかの親和関係があったに違いない・・・と勝手に決めつける私。

新幹線やJR在来線は、水野勝成が築城した福山城の外堀を埋めて造られた。だから、新幹線のホームから、非常に近くに福山城が見える。というか、お城の敷地の中に鉄道が走っている風情だ。こんな、わけのわからん城下町は、福山だけだろう。

なんで福山市に新幹線「のぞみ」が止まるのか?新幹線は、岡山に止まって、10分もしたら、またすぐに福山に止まる。だって、ここは、元首相の宮沢喜一氏の地盤だからね。その地盤は、今は、甥の参議院議員の宮沢洋一氏が継承している。この方の事務所(=自民党福山支部)も、歩いて行ける。

福山市は、中国地方では4番目に大きい都市だ。広島、岡山、次はどこだ?知らない。それから福山。名古屋からは2時間かかる。大阪からは1時間。宮崎駿監督のアニメ『崖の上のポニョ』の舞台となった海は、福山市の鞆の浦(とものうら)がモデルである。瀬戸内海が、あのアニメの海なんだよ。

鞆の浦に行ってみたが、波の上を走る女の子はいなかった。

ついでに、これは私見でしかないが、福山市内の大黒町(だいこくちょう)とか戎町(えびすまち)あたりは、『千と千尋の神隠し』で、千尋が迷い込んだ不思議な町の雰囲気と、そっくりだ。

私は、宮崎駿氏は、福山の大黒町や戎町のあたり(いいレストランもあるよ)を散策して、ヒントを得たに違いない!と推測している。ちょっと、ご紹介しましょうね〜〜♪

(ここは福山市大黒町。レトロな奇妙な雰囲気が昼間から漂います。この写 真では、よく伝わっていないかもしれないけれども、ほんとに『千と千尋の神隠し』で千尋が迷い込んだ町のムードが漂っています。ほら、千尋の両親が豚になってしまった、あの町です!)

(ここも、福山市内の不思議な町である大黒町。これは、「菊屋」という不動産会社の持ち物のアパートメント。「菊屋」系不動産物件は、みなこの明治村風デザイン。このアパートメントに入居したい気持ちもあったけれども、勤務先まで距離があるし、1980年代の建築だから、設備が古そうだったし、耐震基準が緩いころに建設されたので、入居は諦めた。でも、素敵でしょ?こーいう建物が福山城近辺には、多くある。)

福山市には、「日本鋼管」や「福山通運」や「洋服の青山」だけでなく、規模の小さな都市のわりには、多くの企業や工場がある。一部上場企業も少なくないので、財政的には豊かである。だから、このご時世に、小さいとはいえ公立大学を創ることができた。

「あとは発電所さえあれば、福山は日本から独立してもやって行ける」というのが、私が敬愛する福山市立女子短期大学学長の安川悦子氏の弁である。安川氏は、井上ひさしの傑作SF小説=東北が日本から独立しようして戦争が始まる物語『吉里吉里人』(きりきりじん)をこよなく愛している。だから、独立国家「福山共和国」を夢想なさるのであろう。The Republic of Fukuyama! そうなると、福山市立大学、FCUは、福山の東大になる!じゃあ、私は(福山国の)東大のセンセイだ!!だから何?いえ、別に。

ぶっちゃけていうと、名古屋のフェミ仲間(フェミニスト仲間)の先輩である安川氏の誘いに、よく考えもせずに乗って、私は、(大学教員としては)高給&研究費潤沢の桃山学院大学から、縁もゆかりもない、その地理的位置すら知らなかった福山の新設公立大学にやって来た。

税込年収は、500万円ぐらいは減ったんじゃないかなあ。正確には、よくわからん。そのかわり、収奪される税金は減った。当り前か。

それでもさ、お誘いあるのは嬉しいじゃん。なんでもいいじゃん。ご縁じゃん(「少女時代」のRun Devil Runの歌詞のパロディ。でもないか)。

福山市は、「フクヤマ?フクシマじゃなく?どこにあるの?」と問い返される程度の知名度しかない。でも、町というのは、暮らしてみないとわからない。暮らしてみたら、福山は暮らしやすい。

物価が安い。食いものも安くておいしい。やたら居酒屋が多い。港町だから、歓楽街もしっかりある。歓楽街の中に、歓楽街のワーキング・ママ(私の観察によると、ロシア系、中国系の女性が少なくない)のための24時間営業の「託児所」もある。夜間保育園もある。福山市は、保育園待機児童ゼロの町だ。

もちろん、飲食店の多くは、瀬戸内海のお魚料理が売り物だ。海産物を利用してのイタリアン・レストランの味の水準も高い。だから、福山にお寄りになる機会があり、お気が向いたら、私に連絡してください。おいしいお食事ができるお店にお連れしますよ。むふふ。

先日も、「東京アイン・ランド読者会」主宰者の佐々木一郎氏が、広島県内での仕事の帰りに福山に立ち寄ってくださったので、同僚の超グルメ教授(おいしい食品開発、マーケティングの専門家でもある)ご推薦の料理屋さんで、大いに食べて大いに歓談した。最後の「うに飯」美味しかったなあ〜〜♪

食べ物がうまい町は、それだけでいい町である。うまい料理が出せるというのは、うまい料理を出せるだけの能力のある人々がいるということだ。うまい料理をきちんと評価できる人々がいるということだ。うまい料理の材料が整う流通システムと、その流通システムを支えている人々がいるということだ。

つまり、福山の人は、礼儀正しく律儀で勤勉である。真面目であり、節度がある。名古屋によく棲息している種(たぐい)の人間に見られるような、しょうもない計算高い小狡さはない。大阪によく棲息している類の人間に見られるような、声高に無駄口たたく軽薄さはない。福山の人々は、古き良き日本人の清廉さを保持している。

そのかわり、1970年代の日本人のような趣もある。そこそこ優等生で、堅実ではあるが、こじんまりとまとまるあまりに、チマチマしてしまって、自分を開いていこうとしない消極性や、真面目に気遣うあまりに大局が見えない視野狭窄の面もある。

私が4月から勤務している福山市立大学ことFCUも、福山市が初めて作った四年制大学なので、ついつい「福山市という地域に根ざし貢献する大学」という枠組みにこだわる。なにしろ、「街はキャンパス、学ぶのは未来」が、FCUのキャッチ・コピーだから。ここは、ハッタリでもいいから、「世界がキャンパス」と言いたいところだが。

FCUは、新幹線福山駅から徒歩で25分から30分くらいの港町(みなとまち)という地区に位置する。福山港が近いです。教育学部と、(私が所属する)都市経営学部の2学部だけで構成されている。1学年2学部計250名だけの小さな大学だ。

「福山市という地域に根ざし貢献する大学」とはいえ、学生の8割以上は福山市以外の地域から来る。学生の7割は下宿生である。みな自転車通学だ。授業開始9時に遅れじと、学生たちが大量に自転車でキャンパスに向かう姿には、まさに「青春」が凝結している。21世紀の「青い山脈」である。

だから、ほんとうは、「福山市という地域に根ざし貢献する大学」という枠組みの中に縮こまっているわけにはいかない。しかし、外に開いていくには、カネもかかる。カネは、福山市民から徴収する税金だ。税金という公金を浪費するわけにはいかない。

だから、FCUは、市民の声に敏感だ。オープン・キャンパスには、高校生ばかりでなく、近所の市民も遊びに来る。市民のガキも遊びに来る。市会議員もお忍びでやってきて、自分のブログにFCU見学記を書く。通常の日だって、市民は、大学のカフェテリアで、ご飯が多いかつ丼など食って、いや食しておられる。へたすると、福山48万市民、みなFCUの小姑になりかねない。

だから、「遅くまで大学の建物の電気がついている。税金の無駄使いではないか」などと市民から苦情の電話があると、「市民から、これこれこーいう苦情がありましたので、先生方も気をつけてください」というアナウンスが、教授会でなされる。

アホか、そんなもん教授会で言うようなことか。大学の研究室で夜遅くまで、教員が勉強したり仕事したりするのは、珍しくもなんともない当り前のことじゃないか。理学部や工学部なんか、夜遅くまで実験していて、電気が一晩中ついているのなんか普通だろう〜〜

だからといって、「そんな電話してくるのは、どうせ定年退職後の暇なジジイですよ。そんな奴に限って、現役のころだって、大した額の税金も払ってなかったんですよ。まともな人間が、そんな電話をしてきますかねえ?暇を持て余している老人の嫌がらせですよ。ガンガン生きている若い人々への嫉妬でしかない。そんな呆けたジジイなんか相手にしなければいいですよ」と、言ってはいけません。

前の勤務先の桃山学院大学ならば、みんなが爆笑するような発言が、FCUでは、みなが凍りつく。特に職員(福山市役所のお役人)の顔がひきつる。

そーいう時は、桃山学院大学の自由で大らかで陽気な空気が懐かしくなる。

どんなに暑い日だろうが、福山市役所の冷房設定が28度だから、教員の研究室も絶対に28度だ。6階の南向きの研究室の窓辺のデスクあたりでは、エアコンの設定が28度でも、実際の体感気温は30度を超える。仕事にならない。研究室でデスクワークしていると、ふら〜〜〜と目まいがする。軽く熱中症になる。それでも絶対に28度だ。

そーいう猛暑の日は、桃山学院大学での快適な研究室が懐かしくなる。

FCUの学生は、どうかな?

FCUの学生さんたちは、私が今まで教えてきた大学生たちより、はるかにお勉強ができる。

私が統括責任者であるところの、コンピューターを使用したe-learning(アルク教育社のNetAcademy2というシステム利用。アウト・ソーシングやね)の英語の授業では、10分前から、学生さんたちは、スタンバイしている。毎回小テストがあるので、そのテストも成績評価に加味されるので、欠席しない。遅刻すると、小テストの聴解テストを受けることができないので、遅刻しない。

このe-learningによる英語の授業というのは、学生さんが、自分の進度と理解度によって自学自習するシステムだ。かつ、自学自習する内容の分量は週2回のクラスで毎回決まっている。自分で黙々と学習する習慣がない学生だと、この種の授業はこなせない。寝てしまうか、私語するか、インターネット・サーフィンを始めてしまうだろう。

1年生の英語授業に、FCUが、伝統的な対面型の授業を採用しなかったのは、英語教師の人件費削減のためであるが、伝統的講義スタイル授業の欠点を回避するためもある。伝統的スタイルのクラスでは、学生が眠っていても、何とかなってしまう。誰かが当たっているときは、誰かはあたっていない。暇だ。

しかし、e-learningだと、各自の課題が決まっているし、その課題がこなせないと次の段階に進むことができない。否が応でも、このシステムになると、勉強するしかない。さぼれない。ごまかせない。

小テストも、復習テストも、学期末テストばかりでなく、出席、遅刻、早退、進捗率(しんちょくりつ:ちゃんと課題をこなしているか)も、すべて、コンピューターに記録管理される。もちろん、自宅のパソコンからでも、大学のウエッブサイトのポータルから入り、IDとパスワードを入力すれば、学習できる。その学習量もコンピューターに記録される。

ここまでくれば、なにも大学に来なくても、自宅学習だけでOKなんじゃないか、schoolingなんか必要ないだろうと、私ばかりでなく、学生さんも思う。しかし、科目によっては、インターネット大学でかまわん・・・と思って実践するほど、FCUは前衛的じゃない。どうしても伝統的通学スタイルにこだわる。「街がキャンパス」なんでしょ?文部科学省がうるさいのかな。

実際、英語で必要なことは、みな高校で教えてしまっている。大学ですべき英語教育というのは、専門書の講読(外書講読)とessay writingくらいなんだけどね、ほんとは。

ちなみに言えば、e-learningになると、教師のほうも、試験問題もインターネットで作成する。私は、このWebclassというシステムで作問する方法に慣れるのに、ちょっと苦労した。何につけても、新しいことを学び始めるのは、しんどい。慣れるまでは、くたびれる。そのかわり、採点はコンピューターがやるので、成績報告を提出するのは、楽チンであるよ。

新しいことと言えば、私は生まれて初めて、チームワークで仕事している。今年度は、英語の正規教員は私のみである。英語のクラス管理運営は、ロンドン大学を出た女性の契約常勤講師と、アルク教育社の「TOEIC 970点取得」のふたりの女性たちとの共同作業なのだ。試験問題も、私がたたき台を作成し、みなで検討する。英語力そのものは、私よりかなりある人々の、形式的リーダーであるのが、私なのだ。面倒くさいよ〜〜この立場。

私の苦戦苦闘はさておき、ともかく、e-learningシステムは、自分を律することができる学生でないと活用できない。

FCUの学生さんは、この厳しいシステムに、ほとんど私語もせずに、適応している。

FCUの学生さんは、だからといって、決められたことに従うだけではない。自主性もある。行動力もある。

時給もなんも出ないのに、オープン・キャンパスでは、素晴らしい活躍をしてくれた。ワーキング・グループを結成し、ブログを立ち上げ情報発信し、高校生のための情報ガイドをパソコンで作成し、お遊び的ではあるにせよ、「大学のCM」まで作成した。そのCMを、YouTubeに投稿した。それも、「通常編」と、「ワイルド編」のふたつを。

やるよなあ・・・若い職員には、東京の国立大学を卒業した優秀な人たちが多いので、まあ、彼らから教えてもらって作成したのかもしれないけれども、ともかく、すごい!

彼らや彼女たちは、オープン・キャンパスの「打ち上げパーティ」として、大学の調理室(教育学部に保育学科があるので、調理室はある)で、自分たちで4種のカレーライスを作り、バケツで巨大なカスタード・プリンを作り、切り分け食べていた。

なんだろね、この人たち。何でもできるね。

教師がやいのやいの言う必要は、まったくなし。教師が手伝う必要は、まったくなし。非常に優秀。資質から言えば、同世代だったならば、私などは、彼女たちや彼らから、相手にもされないだろう。

次なる彼ら彼女たちの目標は、11月の大学祭の成功だ。今から、どんどん準備を始めている。目玉のひとつは、「男装女装コンテスト」らしい。

彼女たちや彼らは、礼儀正しく明るく挨拶はするが、教師にため口きいて軽口をたたくようなことは、いっさいしない。馴れ馴れしいことは、しない。

こういうタイプの学生さんたちと接していると、不躾でうるさい学生たちとギャアギャアやりあっていた桃山学院大学時代が懐かしくなるぐらいだ。

FCUの学生さんたちは、授業評価アンケートの自由記述欄において、授業に関係ない批判要望は、いっさい書かない。つまり、教師と学生という抽象的で機能的な関係について、ちゃんと理解している。教師を、教師として、査定する。

自分にかまってくれる教師だから、いいセンセイ、自分にかまってくれないから、悪いセンセイ・・・と、感情で教師を判断する幼稚さはない。

そのかわりに、FCUの学生さんは、何考えているか、私には見当つかない。とても堅実である。危なげがない。地に足がついている。身の程知らずの夢を大言壮語するなんて、ことはいっさいない。というか、夢なんて不確実で不安定なものは見ないタチであるようだ。

たとえば、教育学部は、文字通り教師の養成が目的だから、みな教員志望者ばかりだが、私からすると、こんなに優秀な人たちが、なんで真剣に教師になりたがるのか、理解できない。他にいくらでも面白いことができる能力のある人々だ(と思う)。とんでもない夢を持ってもいいよ、この人たちならば。

教師とは、なんのかんの言っても、伸びていく人間の「足ふきマット」である。また、そうであらねばならない。そんなもんになることのどこが面白い?マゾか?「なんで先生になりたいの?」と、質問すると、「子どもが好きだから」という答えが返ってくる。本当かねえ?

私が、教師になったのは、教育に興味があったからではない。子どもが好きとか、人間が好きということもない。教師という職業は、同一労働同一賃金であり、男女差別があまりない。夏季休暇があり、学校空間にいれば、あまり世間と関わらないですむ。真面目にやっていれば、勤まる。要領が悪くても、愛嬌がなくても、社交性がなくても、何とかなる。

私にとっては、教師という職は、主としては、自分の気質を変えずに、自分のペースをなるたけ変えずに、生活費を稼ぐための手段でしかなかった。今でも、基本的には、そうである。

そうではあるが、教師になったことで、うんと若い人と触れ合えることの恩恵は、随分と受けることができた。だから、今では、教師として食べることができてこれたのは、まことに幸運なことだったと思う。1000人にひとりの幸運だったと思う。

それは事実ではあるが、私が教師になった動機は、かなり不純であり、同業者が教師になった動機も、不純なものに違いないと思っている。だから、「子どもが好きだから」という理由を、私は疑う。「小児性愛者」(pedophilia)かよ。

ま、学生さんに関しては、まだ1年生だからな、これからだよね、自分の欲望を直視できるようになるのは。自分の内面と、生きていく外部の世界の折り合いに意識的になるのは。

それとも、こーいう頭のいい子たちは、私みたいな脳タリンとは違って、すでに高校生時代あたりから、自分の内面をカッチリ持って、それはそれとして、外部世界とうまく折り合いをつけていく訓練ができているのだろうか。そのための技術も身につけているのだろうか。本音など口に出してもしかたないと、聡明なる諦念を抱いて久しいのであろうか。

う〜ん、そうかもしれない。私みたいに、いい年になっても、不用心に何でも口走るような間抜けでは、ないのかもしれない。私みたいに、やりたいことだけして、気ままに流されているようでは、公立大学に合格するためのセンター試験を受けることさえ、覚束ないよね。

ともかく、私が、教師としての義務をきちんと果たし、まっとうな教師として自身を律していれば、FCUの学生さんたちとは、ちゃんとやってゆけるだろう。

そういう信頼感を、私は、FCUの学生たちに持つことができる。この学生たちから、教えられることは多くなるという確信もある。

この人たちの中から、アイン・ランドの小説を読んで感動してくれる人が出るかなあ。『水源』や『肩をすくめるアトラス』を読むことによって、自分の生き方が変わったと、本気で言ってくれる人が出るかなあ。

私がFCUを退職するまでに、そういう人たち10人に出会うことができれば、もう望外の幸福だね。

さて、あなたは、福山市について、もっと知りたいと感じていらっしゃいますか?でもない?知りたくない? ま、ま、ま、そうおっしゃらずに。

福山について、もっと知りたい方は、成海璃子ちゃんや、忽那汐里ちゃん(グリコのポッキーのCMで躍動していた髪の長い女の子。新垣結衣ちゃんじゃないほうの)が主演している映画『少女たちの羅針盤』(公式サイトは→http://www.rashinban-movie.com/index.html)をご覧ください。草刈正雄さんのお嬢さんも出演していますね〜美人ですね〜〜♪

福山市について知りたい方にとって、この映画は必見です!なんでかっというと、『少女たちの羅針盤』のほとんどの場面は、福山市内で撮影されているから。この映画が封切されたのは、今年の4月23日だった。私は、福山の自宅近所の映画館で、この映画を2回観た。地味ではあるが、丁寧に作りこまれた、いい青春映画です!また観る予定だ。

何よりも、あの映画の中には、福山という、「隠れ里」のような風情のある、小さな城下町の空気が横溢(おういつ)している。

自分が、いつもほっつき歩いているアーケード街や、通勤のとき通る地下道や、散歩したことがある神社(福山八幡)などが、映画の中に出てくるのって、面白いよ。

この映画のポスターを、私は福山の自宅の玄関の壁に貼り付けてある。福山に住み始めた頃の気持を、その初心を忘れないために。

引っ越し疲れや、3月11日震災ショックと、その後の東京電力核分裂発電所事故ショックで、ズタズタになった私の心と身体が、福山という町の穏やかさによって、いかほどに慰められてきたことか。

みなさま、私の福山市と福山市立大学を、よろしくお願いいたします!

ネット界の噂によると、放射性物質汚染は拡大するばかりだそうだ。将来の日本は、「政府管理一般人立ち入り禁止区域」の東北・関東エリアと、「エゾ共和国」として独立する新潟北海道エリアと、「ヤマト皇国」となる伊豆から西のエリアの3つに分離するそうだ。

「ヤマト皇国」の新しい首都は岡山になるそうだ。そのときの、岡山は、「岡京」と呼ばれるそうだ。となると、福山は首都「岡京」の隣だからさ、福京になるんかしらん。フッキョウ。Fukkyo! ラッキョウじゃないよ。

ところで、福山市内の映画館では、大ヒットでもないのに、4月以来ず〜〜と、延々と、『少女たちの羅針盤』が上映されている。たぶん、福山では、この映画は、永遠に上映されるのであろう。なにしろ、福山を舞台にした映画って、映画史上始まって以来、この『少女たちの羅針盤』だけだから。なんか文句ある?

(戦国武将マニアの管理人より補足)
水野勝成は小大名家の生まれなのに訳あって若い頃は様々な大名の家来として転々(父の家来を斬ってしまって出奔「兼」おそらく家康のためのスパイ活 動)として活躍していますが、一時期、備後の三村家の家臣をやってた時期もあったので福山に入府した時点で土地勘があったはずですので福山の街造りにも彼自身のアイデアが相当反映されているはずです。