アキラのランド節

つまらないことが支えになる  [10/16/2011]


あ〜〜気持ちがいい。素晴らしい日曜日の昼下がりだ。

北の山里に住む友人から贈っていただいた栗が美味な季節です。サツマイモのおいしい季節です。風の音が聞こえる・・・正確に言うと、風が木々の枝や葉を揺らし、木々の枝や葉が互いにこすれあう音が、風の音なるものですが・・・って、うるさいわ!

先週末に出かけた日本政治学会の国際フォーラムに関する長めのランド節を書いていて、ちょっと疲れた。とりあえず、短いのを書いて気分転換する。ははは。

人間の頑張りや努力を支えるものは、何か?

立派な優秀な人は違うのだろうけれども、私みたいな凡人以下だと、非常につまらんことが支えとなる。

若い頃、大学院生の頃は、だいたいが本来から文学研究に関心があったわけでもないのに、内情も知らずに、うっかり大学院に入ってしまったものだから、たまらなかった。人品卑しい教授はいるし、大学院生仲間は足を引っ張りあっているし、こんな名古屋みたいな田舎で何をやっとんじゃ、馬鹿か、こいつら・・・ほんとにコップの中の嵐だな・・・というわけで、「ああ〜〜もうやめたい」と毎日思っていた。

そーいうときに私を支えたのは、買い込んでしまった大量の文献だ。それらの読んでもいない文献を眺めると、「これだけ投資したんだから、回収しないといけない!元を取らないと、いけない!!」と、強く強く思った。

つまらん理由だ、ほんとに・・・

でも、このつまらん理由が、あのしょうーもない大学院生活と、その後の数年間の非常勤講師時代の私の支えになった。

それから、女性は、やはり結婚して専業主婦になって生きるという選択肢があるから、私も、そーいう誘惑にかられたことがあった。

そーいうときに私を支えたのは、ガキの頃から、冠婚葬祭で眺めてきた親類縁者のおばちゃんたちを観察したことから得た知見だ。知見というより恐怖やね。

私がガキだった頃の1960年代は、女性の人生は、結婚した男の経済力に左右された。その女性自身の資質は関係なかった。1960年代の日本の地方の性文化は、まだ明治時代のそれの延長であった。

アッタマの悪いおばちゃんが、たまたま結婚した男に甲斐性があったんで、いいもの着て、えらそーな顔をしていた。気立てのいい優しいおばちゃんが、つまんない御主人のために苦労していて、肩身の狭い思いをしているように見えた。ついでに、その御主人のお母さんはいつまでも生きて、そのおばちゃんを苦しめていたようだった。

老けて容姿が衰えるかどうかも、結婚した相手の経済力に左右される。年をとると、安物は似合わなくなる。年とったら、上質なものを着ないと、年齢がもろに出る。若い子みたいな恰好している中年女性がいるけど、かえって老けが目立つ。

そういう実例をたくさん見物すると、「やっぱり、男は選ばないといけないね〜〜結婚は経済よね!男は経済力よね!」と信じ込む場合もあるのだろうけれども、私の場合は、「自分で働いて食ってゆけないと、他人の人生によって自分の人生が規定されてしまう〜〜〜」という恐怖が、しっかりと心に刻み込まれた。

ここらあたりが、私の気の弱いところなんよ。気の強い女性ならば、ポジティヴ思考で、「私は、絶対に経済力のある男を捕まるわ!私は、男運が絶対にいいわ!」と信じて疑わないのだろうけれども、私の場合は、そこまで、やみくもには、ポジティヴにはなれない。ちゃんと「リスク管理」しちゃうのよね〜〜♪

つまり、1960年代や1970年代においては、女が自分の人生の「リスク管理」を意識したら、フェミニストになったんよ。ならざるをえなかったんよ。

別に、自己実現をめざすとか、男女の対等な人間関係を構築したいとか、社会に参画したいとか、そんな高尚な理由はない。実現したいほどの御大層な自己など持っていません。対等な人間関係なんて、この地上にあるのか??必ず、どちらかがどちらかを制しているんだよ!そーいうもんよ!社会への参画?社会は、私がいなくても、回っていきますがな・・・

ただただ、「私生活まで、人さまの顔色みて生きたくはないし、人さまの人生に左右されたくない。自分の甲斐性で生きて、失敗したら、身から出たサビだから納得できるけど、人さまの人生に組み込まれて生きて、結果がまずいと、その人さまを恨むはめになるから、そーいうのは面倒くさい!あたいは頭が悪いから、なるたけシンプルに生きるしかない。面倒くさいことができるだけの能力は、私にはない!」という、切迫感が、私を支えた。

のわりには、あんまり本気で勉強もしなかったけどね。そこんとこが、私のアホなところよ。だいたいが、血液中の勤勉濃度が低いから。本気で、人生のリスク管理をしたら、東京大学か、せめて地元の国立大学に行くのが道理だったのにね。

でもまあ、ともかく、「他人をあてにすると、やばい!」という思い(恐怖?)が、私の経済的自立への苦闘を支えた。

今でも、つまんないことが、私を支えている。

たとえば、私も今年で58歳だから、なんか何でも面倒くさくて、新しいことに挑みたくなくなる。ラクに走りがちになる。

でも、そういう私を支えるのは、つまんない恐怖だ。

うんと自分に負荷かけて一生懸命生きないと、ヘトヘトになるまで、一生分のエネルギー出して頑張らないと、生命力が無駄に残って長生きするはめになる。そうなると、デイケアセンターというか、老人幼稚園といか、保育園というか、強制収容所みたいなところで、オハジキやらされたり、お歌を歌わせられたり、おむつを替えられたりするはめになる。

この恐怖が、私を支えております、はい。介護なんか、されてたまるか。

3/11以来、日本にも、いよいよ現実的になってきた「大天変地異時代」も、今の私を支えてくれている。明日、大地震が起きても不思議ではない。明日、死んでも不思議ではない。だから、「明日死んでも悔いがないように生きよう!!」という恐怖に裏付けされた覚悟が、私を支えてくれている。

この覚悟だか恐怖だかわからない思いが、私を支えるだけでなく、矯正までしてくれている。

セコイことをしそうな自分、さっさと書くべきメイルの返信を延ばしてしまう怠惰な自分、なんの工夫もせずにルーティンで教師という仕事をしてしまう自分、口に出す必要もないネガティヴなことを言いそうな思慮のない自分、いつ別れることになるかもしれないのだから、時間と場所を共にする人々に対して真剣に対するべきなのに、敬意も礼儀もなく、心なく接しがちな自分。今、自分に与えられた環境の中で最善を尽くすことしか、できること、すべきことは他にないのに、安易に過ごしてしまう自分。

これらのダメダメな自分を、「明日死んでも不思議ではない大天変地異時代に私は生きている!」という恐怖と覚悟が、いつも、戒めてくれている。

それと、もっとつまんないことも、私を支えてくれている。

「海外旅行とか出張に行くのならば、もうエコノミー・クラスはいやだ。出張で行く場合でも、自分でカネ出して、ビジネス・クラスで行ける自分にしよう」という思いも、私を支えている。

ほんとに、つまんない思いだよな。

だけど、あなた国際線の飛行機のエコノミー・クラスって、60歳近くになったら、きついよ。はっきり言って、50歳過ぎでも、あれはきついよ。若いからこそ耐えることができる狭さと不便さだよ。

だから働かないとなあ〜〜公立大学の教員の給与じゃ、どうしようもないけどね。何とかしないといけないなあ〜〜このままで終わったら成仏できないなあ〜〜という思いも、私を元気にする。

Stay Hungry, Stay Foolish!で、ございますわよ。

そうです!!つい最近亡くなったアップルのSteve Jobs(1955-2011)が、スタンフォード大学の2009年の卒業式に招聘されたときの名スピーチの最後の言葉ですね〜〜♪(http://video.google.com/videoplay?docid=9132783120748987670#

別にジョブスさんに教えられなくても、私は、いつでも「飢えていて、アホ」だったけれどもねえ・・・

ビジネス・クラスだなんて夢がセコイ??貧乏くさい?なんで、ファースト・クラスでないかって?

あのねえ、誰を搾取するわけでもなく、自分の労働で獲得したカネを差し出すには、ファースト・クラスのチケットは高価過ぎる、と私は思います。最低、100万円以上はするでしょう?

あれ、やっぱり、不労所得がいっぱい入る人間でないと、使う気になれないと思うよ。「自分の労働の成果」ならば、購入するのは、ビジネス・クラスが妥当だと思うよ。

ほんとに、つまんないことが昔の私を支え、つまんないことが、今の私を支えているなあ・・・

でも、これが私の人生の真実。カッコつけても、しかたがない。

他にも、まだつまんないことが私を支えている。それは内緒。むふふ。

一般会計予算ばかりでなく、特別会計の中身をオープンにするべきだ、日本国憲法のどこに特別予算は国民に知らしめてはいけないって書いてあるのか、そんなもん違憲だろ〜〜日本の国家予算は、おおざっぱに言えば100兆円(2011年度は92兆円)だけど、ほんとうは300兆円ぐらいはあるんだぞ〜〜残りの200兆円はどうなっているんだ、何に使っているんだ、年金原資もパーにしやがって、そのうえ増税とは、ほんとに国民を収奪の手段としてしか考えていないな、他人のカネを好き勝手に浪費したがる日本の官僚というのは、鬼畜にも劣る〜〜中央集権国家やめよう〜〜いっそ国家破綻宣言しろ!そうしたら国家の会計帳簿(?)全部を明らかにしないといけなくなるから、どれだけ無駄使いしてきたか暴露されるだろう〜〜っもう!!日本の寄生虫官僚支配が終わる日までは、日本の政治風土に、精神風土に、アイン・ランドの精神が加わるまでは、リバータリアニズム風味が加わるまでは、死ねない!!

と・・・いう正義の怒りが、大義への希求が、私を支えているとは言い難い・・・

面倒くさくて野菜サラダ作る気にならない時や、あと30分ベッドの中にいたいと思う時や、トイレ掃除さぼって寝っ転がっていたいと思う時や、その他のもろもろのときに、私を支えるのは、ほんとに、こーいう、つまらないことばかりです。

こーいうのは、簡単に書けるな。この調子で、ゆるゆるで書いていこう。いいかな?いいとも!って、あまりにも古すぎる・・・