アキラのランド節

「魂」なんか知らない  [10/30/2011]


私の好きな日本アニメ映画のひとつに押井守演出の『攻殻機動隊』(Ghost in the Shell:1995)がある。なんで好きかっていうと、いろいろ理由はあるけれども、一番大きな理由は、あのアニメ世界は、ものすっごくロマンチックだってこと。ついでに、あのアニメは究極のラヴ・ストーリーだから。

原作は、士郎正宗(しろう・まさむね:1961-)さんの漫画ですね。題名のGhost in the Shellは、アーサー・ケストラー(Arthur Koestler:1905-1983)のThe Ghost in the Machine(1967:日高敏隆&長野敬訳『機械の中の幽霊』ぺりかん社、1984) から取ったものだそうです。コンセプトは同じだもんな。

アーサー・ケストラーと言えば、この「ランド節」でも前に「文学した新ユダヤ人?」というタイトルで言及したことがある。[01/21/2002]号でした。The Thirteenth Tribe, (1976 宇野正美訳『ユダヤ人とは誰か---第十三支族・カザール王国の謎』三交社、1990)について、書きました。

ユダヤは12支族のはずだけれども、実は13番目の支族がいる。イエス・キリストのような中近東系のサファルディ系ユダヤ人ではなく、途中から「ユダヤ人」になっちゃった「アシュケナージ系ユダヤ人」が。アイン・ランドも血脈的にはアシュケナージ系です。

この『ユダヤ人とは誰か---第十三支族・カザール王国の謎』について、もっときちんと知りたい方は、『副島隆彦の論文教室』という副島氏やお弟子さんたちの未出版の論文がいっぱい収録されているサイトの論文番号[127]と[128]をお読みください。博覧強記の鴨川光(かもがわ・ひかる)氏が、この本の解説を、ユダヤ人問題とともに書いておられる。

このサイトに収録されている論文は面白いですよ〜〜どちらかというと、私は、『副島隆彦の学問道場』より、こちらの『副島隆彦の論文教室』のサイトを開けて読んでいることが多い。すっごく勉強になるから。

ほんと、私もいい年こいて、人さまの書いたものから学ばせてもらうばかりでは、いけないと思う。自分からは、まともなことを何も発信しないのは、情けないと思う。が、頭の悪い奴は、発信する価値ある何かを自ら発信するのに時間がかかる。ずっと、発信できないかもしれない。でも、まだ私は自分自身のことを諦めていない。きっぱり。

この「副島隆彦の論文教室」の管理をしておられるのは、古村治彦(ふるむら・はるひこ)氏である。トーマス・ウッズ著『メルトダウン--金融溶解 』(成甲書房、2009)や、アダム・レボー著『バーナード・マドフ事件--アメリカ巨大金融詐欺の全容』(成甲書房、2010)や、パラグ・カンナ著『ネクストルネサンス--21世紀世界の動かし方』(成甲書房、2011)などの、一連の副島隆彦氏監修本の名翻訳者ですね〜〜

でもって、このサイトの最新掲載文は、古村氏による副島隆彦&SNSI副島国家戦略研究所編著『放射能のタブー』(KKベストセラーズ、2011)の書評だ。新刊本です〜〜『悪魔の用語辞典』(KKベストセラーズ、2010)の第3弾ですね〜〜同じく、執筆者は副島隆彦氏とそのお弟子さんたちです。厚かましく私も書かせていただいた。ほんとに厚かましいよな。

私自身は、脳が頭蓋骨のなかで未組織に散らばっているみたいな「放射脳」であるので、「放射能」のことはサッパリわからない。だから、私でもわかることを書きました。何を書いたかって?? ご興味がおありになる方は、是非とも、お読みください!!税込み1680円でございます!!

みなさま!! 例の歴史的3/11以後、ドドッと放射能関連本が出版されましたが、そんなもん読むことありませんって。この『放射能のタブー』を読めば、いいのです。東京電力核分裂力発電所事故によって、あらわになった様々な問題が、この一冊でクリアに把握できます。ほんと、面白くて、コンパクトな姿の中に知識がいっぱい詰まった本なんです!!

しかしさあ、本は安いよね、ほんと。税込み1680円のランチなんか、ウンチになるだけ。でも、この1680円には、この『放射能のタブー』には、1680円の何百倍以上の価値がある!!

それはさておき、Ghost in the Shellの話に戻ります。このアニメ映画を数秒で説明するとすれば、要するに、「コンピューターに魂が宿っちゃって、サイボーグの電脳と合体して、進化した魂になりました」だ。

「コンピューターも夢を見るでしょうか?」は、スタンリー・キューブリック監督の名画『2001年宇宙の旅』で、HALっていう名のコンピューターが言う台詞だったけれども、無機物であるマシーンが、有機物のような意識を持つにいたる飛躍というのは、とってもロマンチックだ!!ものすっごくロマンチックだ!!

たぶん、こういう感受性は、特に日本人的なのかもしれない。機械も高度になると、そこに魂もどきの、意識もどきのものが宿る、というのは日本人にとっては、理不尽でも荒唐無稽でも何でもない当たり前の自然なこと。

日本人は、鉄腕アトムが「心優しい科学の子」であることに疑いを持たない。鉄腕アトムは、並の人間より、はるかに正義を愛し、道徳心がある。それも、日本人は奇妙なことだとは思わない。鉄腕アトムは、地球を守るために、人類を救うために、死を覚悟しつつ、大量の水爆(だったかな?)を背負って、太陽に向かって飛んで行った。

私は、鉄腕アトムの後ろ姿を思い出すたびに、涙が出る。今でもウルウルしてくる。でも、鉄腕アトムが自分を犠牲にして人類を守ってくれたのは、当然のことだと思っている。

だけど、それは当然のことじゃない。それが当然だと思うこと自体が、かなり、理不尽なことだ。だって、ロボットに心なんかないんだから。無機物の塊なんだから。ロボットが、人間的に反応したとしても、それは、そういう設定が、なされているからだ。そういうふうにプログラムされているからだ。ロボットの鉄腕アトムが清らかな魂の持主だから、じゃない。

しかし、日本人は、たぶん先進国の人間としては例がないほど、万物に霊が宿ることを、無自覚なままに信じている。霊だか魂だか知らないが、そんなようなものが、無機物の中に宿ることはありえると、思っている。人間が、ロボットやアンドロイドに恋する話とか、その反対の話なんか、わんさかある。アニミズムの帝国、日本!

日本には、実験動物の供養をしたり、「針供養」する習慣がある。針一本にも、心があるから、魂があるから、長年働いてくれてありがとう・・・と捨てる前にお礼を言おう!と思う心情は、私は美しいと思う。だけど、それが美しい心情だと思うのは、私が日本人だからかもしれない。

このように、あたりまえのように私たちは、「魂」と口に出すけれども、「魂」って何?どーいう状態?

Ghost in the Shell は、確かに、「機械に魂が宿る」物語ではあるけれども、このアニメを見て、私は、やはり人間は、生きているかぎりは、「モノ」だなと、あらためて感じた。簡単に、「魂」なんて言っちゃいけない、と思った。それは、自己欺瞞であり、自分の認識能力に対する過大評価というか、錯誤であり、かつ「生きてモノである自分がすべきこと」を、おろそかにすることに通じるかもしれない、と思った。

今日は、そのことを書く。私は人文系人間なので、下級学問系人間なので、どうしても話題がこういうことになりがちです。すみません。

さてさて、別にわざわざ、ここで、この有名過ぎるほどに有名な傑作アニメの梗概なんぞ書かなくていいと思うけど、フジモリ流に書けば、以下のようになる。

舞台は、21世紀のどこかの近未来の日本。アニメでは香港か上海みたいに見えるけれども、一応日本。第3次核大戦とアジアが勝利した第4次非核大戦を経て、世界は「地球統一ブロック」となっている。New World Order!!

この世界においては、科学技術は、現在よりも飛躍的に高度になっている。マイクロマシン技術(micromachining)を使用することによって、脳の神経ネットに素子(device)を直接接続する電脳化技術が普及して、久しい。

この世界においては、いろんなタイプの「人間もどき」が共存している。もちろん、大多数は、伝統的な旧来の「生身の人間」(私たちみたいな)だ。しかし、脳だけは、インターネットに直接アクセスできるように手術された「電脳人間」も多い。パソコンも、スマートフォンも必要ない!

電脳人間以外に多いのは、サイボーグ(cyborg)だ。1980年代のハリウッド映画で、『ロボコップ』(Robocop:)ってのが、あったけれども、20世紀のサイボーグは、ああいう、いかにもいかにもごっつい装甲車みたいだった。Ghost in the Shellの世界では、義手・義足にロボット技術を加味した義体化技術が、飛躍的に発展し普及しているので、生身の人間とサイボーグの見分けはつかない。

ついでに、義体は大量生産されているので、同じボディの美女がわんさかいたりする。「アンジェリーナ・ジョリー型」とか「ジェシカ・アルバ型」とか、あるんかな。私は、「マリリン・モンロー型」希望。私って、古風な女なの。

この世界には、アンドロイド(android)もいる。人造人間のことやね。人間を模した機械や人工生命体のことやね。ヒューマノイド(humanoid)と呼ばれることもある。鉄腕アトムは、これだ!

バイオロイド(bioroid)というのも、ある。有機的人造人間のことやね。クローン技術などのバイオテクノロジーで造られたものであります。ややこしいことは考えないように脳の機能が制御されたままに、奴隷労働向きとか、消耗品の兵士用に使うために製造される。Brave the New World!

Ghost in the Shellの主人公たちは、「公安9課」通称「攻殻機動隊」のメンバーたちだ。「公安9課」つーのは、テロや暗殺や汚職などの犯罪を事前に察知して、その被害を最小限に防ぐ内務省直属の公安警察組織のことだ。守るというより、積極的に攻めるから、「攻性」だから、「攻殻機動隊」。なんで「殻」なのか?知りませんがな。

その「攻殻機動隊」の紅一点が、サイボーグ草薙素子(くさなぎ・もとこ)少佐ですね〜〜♪もう、彼女のボディが素晴らしいですよね〜〜♪ 冒頭の全裸シーン(というか、彼女というサイボーグが製造されていく過程)が、素晴らしいですよね〜〜♪

2008年の正月に、何かの雑誌で、スティーヴン・スピルバーグ監督(1947-)が、Ghost in the Shellを、実写映画化するという記事を読んだのだけれども、あの話はどーなったの? ねえ、どーなっているの? 私は、誰がこのナイス・ボディの「草薙素子」を演じるのか、楽しみにしてきたのに。

(草薙素子さんです!! カ・・・カッコいい!!オッパイもお尻も、腰のくびれも、肩も脚もカッコいい!! あ、こういう画像を載せちゃいけないかな?知的所有権の侵害かな?)

ひょっとしたら、スピルバーグさん、資金の工面ができなくなったのかもしれない。例の人類史上最大の金融詐欺事件、被害総額650億ドル(今のレートならば、6兆円やね)の犯人バーナード・マドフ(Bernard Madoff:1938-)さんに、スピルバーグさんも資産運用を任せていたから、かなりの資産が飛んだに違いない。

あ、このことは、前述の古村治彦氏が訳した『バーナード・マドフ事件 アメリカ巨大金融詐欺の全容』に書いてあった。原題は、The Believers : How Americans Fell for Berbard Madoff’s $65 Billion Investment Scam だ。

海千山千の、すれっからしユダヤ人金持ちや、大学とかの機関投資家たちが、同じユダヤ系金融業者バーナード・マドフを他愛なく信じて、詐欺にあったという事件の実録ですね〜〜♪ これ、ほんとに面白い本でした。

マドフさんに資金預けて運用してもらって、年10パーセントの配当があったので喜んでいたら、実は、マドフさんは、まったく運用なんかしていなくて、ユダヤ系金持ちから集めまくったカネから配当金を出していた。ところが、2008年のリーマン・ショックで、金融危機になり、顧客たちが、預けていた元金を返してちょーらい、解約したいのと、マドフさんのところに殺到したら、元金はすでに消えていました〜〜♪ マドフさんは懲役150年(!)の実刑を受け、息子さんは自殺しました・・・

また、話が逸れています。やはり、私は「放射脳」。要するに、Ghost in the Shellの、草薙素子少佐以下のスタッフは、国際指名手配されている「人形使い」と呼ばれるハッカーを追跡してんのよ。この「人形使い」が、いろんな電脳人間やアンドロイドの電脳を乗っ取って、殺人事件だの乱射事件だの起こしてきたので。

実は、この「人形使い」は、単なるハッカーじゃなかった。なんと、人間でもなかった。「ゴースト」だった。不成仏霊じゃないよ。政府が秘密裏に研究開発していたプロジェクトの進行中に、電脳空間に生まれてしまった「ゴースト」だった。「ゴースト」であって、実体がないから、entityでしかないので、この「人形使い」は、いろんな義体に入り込んで、その義体のプログラムを書き換えて、義体を操作して行動するしかない。

この「ゴースト」は、たまたま高度な知性の意識体だった。彼(だか彼女だか性別も、ほんとはない)は、自分を増殖させたい。しかし、単に自分のコピーを生産してもしかたないと、この「ゴースト」は思う。コピーがいくら増えても、そこに何の変化も、発展性も、進化もない。で、人形使いと呼ばれる「ゴースト」は、別の「ゴースト」と合体して、あらたな進化した「ゴースト」になりたいと欲望した。より良いもの、より優れたものは、多様性の中から生まれるから。

で、この「ゴースト」は、草薙素子というサイボーグの電脳に魅了される。彼女の電脳世界こそ、自分が合体するにふさわしいと判断する。草薙素子の電脳と自分をリンクさせれば、新しい、より強力な、より豊かな存在になれるに違いない、と。

もちろん、このふたつの電脳世界の接合は、セックス、性交の比喩だ。「人形使い」と呼ばれるゴーストは、草薙素子を誘惑し、説得しているんですね、進化がどうたらこうたら言いながら。ここらあたり、サイバーにエロチックでございます。

しかし、草薙素子が納得して、「人形使い」と呼ばれるゴーストと電脳組織をリンクさせている最中に、草薙素子は攻撃される。政府の秘密プロジェクトの失敗を秘密にしておきたい勢力の命令を受けた軍から破壊される。

しかし、結果的には、草薙素子は、自らの電脳に、「ゴースト」を迎え入れることができた。まったく違った電脳人間&サイボーグとして再生することができた。なんとなれば、バトウという草薙素子の同僚(電脳人間&サイボーグ)が、草薙素子が破壊されたとき、コアな電脳部分を危機一髪で救出したから。

このアニメ映画は、10歳くらいの少女の義体の中に入った、「人形使いと言われたゴースト」と「草薙素子という名前と警官IDを持っていたサイボーグの電脳」が合体して、さらにグレード・アップした意識(電脳)が、旅に出るところで終わる。最後の台詞がカッコイイ。「ネットは広大だわ・・・」

ぎゃあ〜〜〜〜私もつぶやいてみる。ネットは広大だわ・・・

ぎゃあ〜〜〜〜何度見ても、このアニメは、カッコいい!!

ところで、このアニメ映画を観たときに、私が気になったのは、バトウの心情だ。このお兄さんは、草薙素子が好きだ。だから、草薙素子のナイス・バディの義体が破壊されたら、頭部のコアな部分=電脳部分を、10歳くらいの女の子の義体に接合させて、自宅に匿った。別に、ロリータ趣味というか、小児性愛者ではないです。子どもの義体しか入手できなかったので。

このバトウさんは、すごい。何がすごいか。このバトウさんは、草薙素子のナイス・バディも、クールな顔も、クールな声も、みんな消えちゃっても、草薙素子を、変わらずに恋することができるから。かつては、草薙素子というアイデンティティを持っていた「何か」を、恋し続けることができるから。

そこんところは、Ghost in the Shellの続編の、Innocence(2004)に、より明確に描かれておりますね〜〜♪

ちなみに、この続編Innocenceには、プロットらしいプロットがありません。かつては、草薙素子というアイデンティティと義体を持っていたが、今は、ころころと顔も身体も声も性別も変化させる「何か」になってしまっている、「元草薙素子、現よくわからん存在」を、バトウが一途に追い続ける様が描かれるだけ。

だから、Ghost in the Shellの続編の、Innocenceの主題歌は、Follow Me だ。「アランフェス協奏曲」を編曲して歌詞つけたもので、今では、スタンダード・ナンバーになっていますね。試しに聴いてみてください。(http://www.youtube.com/watch?v=cXGBqe7qHcA&feature=related

しつこく書くが、バトウはすごい。草薙素子というアイデンティティを所有していた身体や声や顔ではない、草薙素子と呼ばれた身体の中にあった「何か」を恋して、求めて、追っかけ続けるバトウはすごい。もう、草薙素子の痕跡なんか、何もないのに。ときには、この「何か」は、奇妙なオッチャンの中に入り込んでいたり、犬の中に潜んでいたりする。

あなたは愛する人の魂(ゴースト)が、犬とかイグアナとか豚の中にいたとしたら、やはり変わらず愛せますか?無理なんじゃない?バトウは、でも平気だ。バトウは、形相は気にしない。本質を求めている。この目に見えない、モノになれない本質こそ、愛する人の魂なのだろう。

これぞ、まさしくプラトニック・ラヴです。バトウは、魂と魂が触れ合う交錯するような関係のありようを求めているのです。愛する人の姿かたちではなく、本質を追いかけているのです。まさしく、バトウは、真の「ソウル・メイト」探究者だ。

つまり、Ghost in the Shellと、その続編のInnocenceは、究極のラヴ・ストーリーなんであります。

おお・・・ロマンチックが足りない私の人生を潤す究極のラヴ・ストーリーよ。

しかし、みなさん!こーいうことが人間に可能でしょうか??人間は、ほんとに「魂」を、恋し愛し、求めることができるのでしょうか?

たとえば、あなたが死んで、あなたの魂が宇宙をさまよっているとしましょう。そのとき、たまたま、あなたが地上にいたとき、心から深く愛した人の魂とすれちがったとしましょう。

さて、あなたは、その魂が、あなたが地上において、心から愛した人物の魂だと識別(identify)できるでしょうか?「あ、ナントカちゃん!ひさしぶりだったね!!どこにいたのおお〜〜?」と、そいつを捕まえて、言えるのでしょうか?

だいたい、捕まえようがないのですよ、魂だから。本質だから。素粒子より小さいかもしれない。

あなたが愛した瞳も、肌も、声も、なんもないです。見えないです。触れることもできません。聞こえません。匂いもありません。舐めることもできません。あなたは、それでも、「あ、これはナントカちゃんだ!」と感知できるでしょうか?

「ソウル・メイト」って、簡単に言うけれども、そんなもん、どうやって、「メイト」だと認識できるのか?魂と魂の触れ合いっていうけれども、この決まり文句自体が、生身の肉体を持つ、物質性を持つ人間の想像力の産物だ。「触れ合い」だもん。魂って、触れることができるようなもんですかね?

私たちの認識は、どうしても物質性から解放されない。私たちは、私たちがこの世で最も愛する人間でさえ、その魂からでは、その人を認識できない(かもしれない)。認識というのは、五感に依存するものだ。

いや、「気配」(けはい)というものがあるというご意見もあるでしょう。「気」なるものが、その人物の持っていた「気」であるから、その魂は、その人物であると、判断できるのではないかというご意見もあるでしょう。その人物を五感では認識できないけれども、第六の感覚で認識できるのである、とかさ。

しかし、その「気」とは、あなたが持っている、その人物に関する記憶が生みだした錯覚かもしれない。記憶の影かもしれない。

私は、Ghost in the ShellInnocenceを見て、思った。気がついた。

実は、私たちは、「魂」なんか知らない。よく口にして、今では存在が常識で前提であると思っているような「魂」というものを、ほんとうは想像さえできない。想像できているつもりでいるだけだ。実は、魂という言葉があるだけだ。

私は、何を言いたいのか? つまり、人間存在は、あくまでも、生きている限り、人間存在のモノ性から解放されないということ、であります。やはり、見えて、聞こえて、触れることができて、匂いを感じることができて、味わえることでないと、実体がないと、理解できない、識別できない、愛せない、ということ。

「私は、あの人の魂を愛しているの、あの人がハンサムだからではないの。後ろ姿の背中あたりに漂う優しさも好きだけど、あの人の心が好きなの」と言っても、やはり、「あの人がハンサムだから、愛しているの」だよ。「優しさが漂っているような気の弱そうな後ろ姿の背中が好きなの」だよ。「見える」ものを愛しているのだよ。

この点は、男性の方が正直なんじゃないかな。彼女の瞳が好き。肌の柔らかさが好き。すんなり伸びた脚が好き。オッパイが適度に大きいから好き。甘い声が好き。料理がうまいから好き。オカネ貸してくれて、返済を催促しないから好き。セックスさせてくれて、あとでやいのやいの言わないから好き。連れて歩いて、友人に見せて、ひそかに自慢できるから好き。何でもやってくれて便利だから好き。

「彼女の魂が好き」なんて言う男性は、絶対に嘘つきだ。「魂と魂が結ばれるような関係」を欲しがり、夢見るのは、女性の方が多いのではないかな。それは、単なる支配欲だよん。自分には見えない、届かない相手の心の奥まで、自分の影響力を行使したいという欲望は、支配欲以外の何ものでもない。

そんなこと言う奴なんか、うざいわ。私は自由。あなたも自由。どこか宇宙で遭遇しても、お互いにわからないままに通り過ぎてしまうかもしれないけれども、いつか、また会えるでしょう。どこかで、地上みたいなところで、物質化して会う日まで。

2012年12月22日に何かが起きるだの、資本主義の崩壊にともない、アセンション(次元上昇)が起きて、魂が綺麗な人間は、今までの地上的なものから解放されて、霊体になるという進化を成し遂げるだの、こーいう先が見えないような気がする時代においては、いや、いつの時代にも、この種のファンタジーが流通する。

だけど、簡単に、「魂」なんて言っちゃいけない。ほんとうは、「魂」である状態なんか、想像もできないくせに。五感から解放された魂になっちゃったら、どうなるのか、ほんとは全くわからないくせに。わからないことを、とやかく言うのは、自己欺瞞であり、自分の認識能力に対する過大評価であり、ついては人間性に対する理解不足を招くよ。

人間は、あくまでも、モノだ。

この地上にいる限りは、人間は、人間存在のモノ性には充分に考慮しなければならない。モノが損なわれないように気をつけなくてはいけない。モノ的に考えて不可能なことを、自分にも他人にも強制してはいけない。「魂」や「霊」の問題を、あくまでもモノである人間の実世界に直接的に関与させてはいけない。スピリッチュアルは、お遊びにとどめておきましょう。

言わなくても、見せなくても、表現しなくても、わかって!!などという無理な要求をしてはいけない。目に見えないものこそ大事で、そこに本質があるから、理解せえなどと無理難題を押しつけてはいけない。触れてはいけないという無理はいけない。触れないとわからない。悪臭があるのに悪臭がないようにふるまう無理はいけない。食べるのならばおいしく食べなければいけない。味わうことができる人間の感覚をないがしろにしてはいけない。モノとしての人の条件を無視してはいけない。

ほら、そこの、あなた!あなたは生きている限りは、モノなんだから、モノでいる間には、大いに、あなたのモノ性を発揮して表現しなければいけないよ。「魂と魂の触れ合い」とかいう陳腐な言葉で、誤魔化してはいけない。ちゃんと、この地上でできることは、ちゃんとして、モノとしての自分自身のもの性充実させよう。いっぱい見て、いっぱい聴いて、いっぱいさわって、いっぱい味わって、いっぱい鼻孔を広げて大気を感じよう。

好きな人や、愛している人や、大事に思っている人には、聞こえる言葉で、自分の思いを語ろう。はっきりと笑顔を見せよう。大事な人にいっぱい見てもらって喜んでもらえるような自分でいよう。おしゃれしよう。身体を清潔にして、いい香りを身につけていよう。おいしいものを共に食べよう。ちゃんと優しく触れてあげよう。脊中をさすってあげよう。足の裏をくすぐってあげよう。怪我して血が出ていたら、その血を舐めてあげよう。

魂なんかになっちゃたら、そうしてあげたくたって、そうしてあげられないかもしれない。魂なんかになっちゃたら、遭遇しても、誰が誰やら、わかんないかもしれない。生きてモノでいる間にこそ、人間の歓びはある。自分がモノであることを徹底的に味わおう。自分がモノであることから快楽を引き出そう。

昔から言うじゃないですか。それとも映画の題名だったのかな。「生きてるうちが花なのよ。死んでしまえば、それまでよ」って。死んでからのことは、死んでから考えればいいよ。今は、モノである自分のモノ性を大いに発揮して、存分に愛そう。大事な人々のモノ性を大事にしよう。

ああ・・・バトウって、かわいそう・・・草薙素子のナイス・ボディがぶっ壊れる前に、あのオッパイを、あのお尻を、いっぱい触っておけばよかったのに。

今回は、また長くなってしまいました。Follow me〜〜〜〜♪♪