アキラのランド節

『山陽新聞』備後版のコラム原稿です(その2)  [06/03/2012]


6月が来た。大嫌いな夏が来た。

とはいえ、まあ、やっと還暦寸前になり、このしょーもない日本の高温多湿の不快な夏にも慣れてきた。「勝手に照りつけていれば、いいじゃん・・・」と、無関心に夏の風景を眺めている心境にもなってきた。

ふつう、女性というのは、環境にすぐ順応するらしいが、私の場合は、何につけても、順応するのが非常に遅い! つまらんところで、男並みだ。

他人にも全く慣れない。人見知りするというより、前提として、仲のいい親しい状態というのが、どういうものであるのか、よくわかんない。相手が、親兄弟親族ですら、そうだ。まあ、それでも、生きてこれたんだから、いいんだろう、これで。

本日の「ランド節」は、『山陽新聞』備後版のコラム「芦田川」に掲載されたエッセイの元原稿3回分掲載の第2弾です!

あくまでも、これは元原稿です。

以下の文章と、実際に『山陽新聞』備後版に掲載されたものとは、ちょっと違う。新聞社の福山支局のデスクの方が、誤字を訂正してくださったり、漢字をひらがなにしてくださったり、難解な漢字にふりがなをつけて下さったり、「このままだと、問題がありますので・・・」と書き直してくださったりしたものだ。

「新聞」の読者には、いろいろな人がいる。無駄なことを考える暇だけには、非常に恵まれている人も多い。いや、いまどき、新聞を熱心に読んでいるというのは、だいたいが、そーいう人々である。

だから、読者のコンプレックスを刺激するような言葉は使っちゃいけないそーです。決めつけたりするような言い方も、してはいけないそーです。

会ったこともない他人が「決めつけて」書いているからといって、「決めつけはいけない〜〜〜」と騒ぎたてるなんて、なんて暇な、肛門の開き具合が小さい奴なんだろ〜〜〜♪と私は思うが、確かに、そーいう変な人は多い。

昔、私が日本児童文学会とかの類の学会の例会で発表すると、必ず、憤懣やるかたないといった風情で、怒る人々がいた。

なにやら、恨めしそうな顔つきをしたダサダサのオバハン・アマチュア・児童文学者とか。いかにも頭の堅そうな偏狭そうなオジョウチャン児童文学者とか。そういう人たちが、「センセイは、そう決めつけますが・・・・・」と、意味不明の抗議とも愚痴ともつかない、要領のえない見解を、私に訴えた(?)もんだ。

いくら児童向けの文学の学会といえども、脳までガキにして、どうするんかしらね?

他人がバッチリ断言すると、自分が侵略されたように感じるって、不思議な脳だ。私は、他人が断言しても、「ふ〜〜ん・・・」と思うだけだけど。

そんなもん、関係ないじゃん。人それぞれの考えじゃん。

たとえ脳タリン系文学系学会であれ、仮にも「学会」でそうなのだから、「新聞」ならば、なおさらに、決めつけ口調は、まずいらしいよ。

新聞に書かれた不特定多数の人々が読む記事を、「私にあてつけに書いたのだわ!」と、法外な勘違いができる読者というのは、脳がこわれている。だから、実社会では無能であることが多い。だから、仕事を任せてもらえず、暇を持て余している。ゆえに、新聞社に、グチャグチャと苦情の電話をかけてくる時間は、たっぷりある。

そうなると、ただでさえ忙しい新聞社は、対処していられないので、事前にそーいう「不穏な物言い」を、「さしさわりのないニュートラルな表現」に取り換える。

つまり、役人さん答弁風日本語やね。

こうやって、媒体というものは、メディアというものは、むきだしの真実から、ストレートな事実から、遠ざかるのだよ。

大手メディアが、嘘とデタラメを垂れ流して、読者を洗脳すれば、ついには洗脳されてクルクルパーになった読者が、今度はメディアを監視規制するんだよ。「クレイマー」になるんだよ。

マインド・コントロールされた読者は、自らの妄想の安定調和をかき乱す言葉に出会うと、やっきとなって、その言葉を排除しようとするのだよ。

新聞も大変だね。

ではでは、みなさま、お気が向いたら、読んでやってください。赤字が元原稿です。

<第4回: 2012年5月15日掲載 「なって、何をするの?」の原稿>

「国会議員になりたい」と学生が言う。「なって、何をするの?」と質問したら、絶句された。「公務員になりたい」と学生が言う。「なって、何をするの?」と質問したら、また絶句された。

なんで、そこで黙るのか。何かしたいことがあるからこそ、それを実現しやすい職につきたいのではないのか。国会議員や公務員にならなければ、できないことをするために、国会議員や公務員になりたいのではないのか。

と、怒ってはいけない。国会議員志望の学生は、「選挙にさえ勝てばいいし。公約を守る必要ないし。待遇もすごくいいみたいだし。のわりには、志望者が少ないみたいだし」と、思っただけなのだろう。

公務員志望の学生も、「売上達成目標も競争もないし、倒産もリストラもないし」と思っただけなのだろう。

若い頃の私も似たようなものだった。自由に本を読んで、自由に考える暮らしができれば、仕事は何でも良かった。「自由に本を読んで、自由に考える暮らし」を容易にする職は、何だろうか?

私が学生時代の1970年代は、民間企業では露骨な性差別があった。だから、「教師」が妥当であると思った。特に、大学教員は気ままに見えた。で、大学院に行った。やっと32歳にして、某公立女子短大に採用が決まった。これで、自由に本を読み、自由に考えて、食ってゆけると喜んだ。その後は、教師になったものの、単に教師のふりをしていただけだった。

しかし、47歳のとき、気がついた。教師になったのならば、きちんと教師をしなければ、生きている死体である、と。生活費獲得のためにだけ教師をしていると、退廃する。人間として矮小になる。どんな職だろうが、絶えざるイノヴェーションをしなければ、劣化する。何事にも迎え撃つ気持ちでいないと、面白くない。

まあ、国会議員志望学生も、公務員志望学生も、晴れて「なって」から、しばらくは、そのふりをして、それから、国会議員や公務員を「する」に違いない。

<コメント>

この原稿は、「福山市役所付属大学もどき」が現状である福山市立大学への、あてこすりでは、断じてありません!!

アイン・ランドの小説を読んだ47歳から、私の脳は動きだしてしまったので、ただ、そのことを書いただけです。はい。

<第5回: 2012年5月23日掲載 「利己主義のすすめ」の原稿>

私は、常に、徹底的な利己主義者でありたいと思っている。

理由は、こうだ。利己主義者は、自分にとって損になることはしない。人間は、ひとりで生きているわけではないから、どうしても自分以外の人間とのあいだで利害の調整を図らなければならない。他人の利益と自分の利益のバランスを考えずに、自分勝手な行いをすれば、他人の敵意や攻撃を招くことになる。

要するに、他人の利益を考えないと、自分が損をするはめになる。だから、利己主義者は、自分の自分勝手さを、家族に対しても、抑制するようになる。

かくして、利己主義者の言動は、合理的になる。ほんとうに損得を考えたら、長期的視野で自分の利益を考えたら、目先の打算や享楽で動けなくなる。情報収集も怠らなくなる。事物や社会の動きへの観察と分析にも努力する。犯罪など問題外だ。つまり、利己主義者は、どんどん頭が良くなる。

一方、どんどん頭が悪くなるのは、利他主義者である。彼らや彼女たちは、損得抜きで、他人のために、もしくは自分が属する共同体のために、行動する。自分は私利私欲で動いているわけではないという自負が、彼らや彼女たちを不用心にする。自分ではなく、他人のためにしているのだから、自分は正しいと思う。正しいことをしているのだから、別の考え方を検討する努力を怠る。かくして、彼らや彼女たちは考えなくなる。思考停止するので、ついには愚劣になる。

愚劣になるので、正しいことをしている自分に対して、人々の理解や共感や称賛が足りないと嘆き、社会に敵意をいだく。ひどい場合には、被害者意識に満ちた自爆テロリストになる。

ほんとうの利他主義者は、自分がしたくて、人のためにやっているのだという、自分の利己的動機を認識しているので、自分の善行を言いたてたりはしない。

ほんとうに、人のため、社会のために生きたいのならば、徹底的に利己的にならねばならない。真の利己主義は、利他主義に反転する。

<コメント>

御存知、これは、アイン・ランドの見解のぱくりです。『利己主義という気概』のポイントです。

この原稿の、5番目と6番目のパラグラフは、そのまま掲載されなかった。記者さんが書きなおしたのを、私がまた書き直して、新聞に掲載された。

「一方、どんどん頭が悪くなるのは、利他主義者である」は、いけないのだそーだ。それだけで、カチーンと来る人がいるそうだ。「思考停止するので、ついには愚劣になる」のも、駄目だそうだ。それこそ、「愚劣」な人々が、新聞社に電話してくるそーだ。

掲載された5番目と6番目のパラグラフは、以下のようになった。

「一方、利他主義者は損得抜きで、他人のために、もしくは自分が属する共同体のために、行動する。自分は私利私欲で動いているわけではないという自負があるので、利他主義者は、つい不用心になる。他人のためにしているのだから、自分は正しいと思い込む。そうして、別の考え方を検討する努力を怠る。かくして、利他主義者は思考停止に陥りやすくなる。」

「正しいことをしている自分に対して、人々の理解や共感や称賛が足りないと嘆き、社会に敵意をいだく人が出てくることもある。ひどい場合には、被害者意識に満ちたテロリストになる。」

なるほど。訂正版のほうが、あたりが柔らかになりましたね。

言葉の使いかたというのは、どれだけ気をつけても、気をつけ過ぎることはない、のかもしれない。

ところで、去年の11月に私が担当した福山市立大学の公開講座、今でもUstream (http://www.ustream.tv/recorded/19046305)で流している講演が開催される数週間前のある日の午後のことだった。大学の事務局が、講演チラシに、私が書いた文の一部を削除してくださいと、言ってきた。

日本はアメリカの属国ですから、宗主国のことを、ちゃんと理解しておかないといけません」という一文が、問題だと言うのだ。

「いろいろな市民がいるので、大学に非難の電話が来るかもしれない」と言うのだ。

私は、仰天した。なんで、非難の電話があるの? こんなこと常識なんじゃないの?

福山は人口38万人の地方都市だから、一般的な文化程度が、大都市圏に比較すれば、低いかもしれない。しかし、日本が独立国家でないことは、外国人はもちろんのこと、日本人だってみな先刻ご承知のことなんではないの??

でも、そのことを、わざわざ研究室までやって来て、私に告げた慶応大学出の中間管理職の福山市役所職員さんは、「いやあ、このままでは、センセイに御迷惑がかかりるかもしれませんから・・」と、重ねて削除を、私に「お願い」した。

どうせ、講演のときに言うことなんだから、まあチラシには、テキトーなこと書いとけばいいよ・・・と思い、「私は削除してくださっていいです」と答えた。

で、私は言った。本番の講演の後の質疑応答の時間に、「みなさん、私は大学の事務局から、日本はアメリカの属国ですから…云々という文章を削除しろと言われたんで、私は削除しました。ですが、うちの大学の事務局は、福山市民の知的レヴェルを低く見積もっているんじゃないでしょうか?みなさん、そんなこと御存知ですよねえ?そんなこと、当たり前ですよねえ?日米関係なんか存在しないですよねえ? アメリカの「東アジア管理日本対策」があるだけですよねえ?」と。

そのときの、みなさんの反応は・・・・

う〜〜ん・・・・うちの大学の事務局の判断は、的確だったかもしれない。

<第6回: 2012年5月29日掲載 「寂しくない人間」の原稿>

私が、「ひとり暮らし」をするようになったのは、中年になってからだ。生れ故郷の名古屋で育ち、そこで結婚し、そこで就職したのだが、43歳のときに大阪の某私立大学に採用され、単身赴任することになった。その頃から、よくテレビを見るようになった。間食も多くなった。週末はサッサと名古屋に帰った。寂しかったのだろう。

ところが、10年くらい前から、私は寂しさを感じなくなった。そのころ、ある日突然に、気がついたからだ。自分が、空前絶後に、メチャクチャなほど法外に、人さまから、この社会から、この世界から、いろいろもらってきたし、もらっているということに。

起床してトイレに行く。私は、水洗トイレを作らなかったのに、水がほとばしり出る。顔を洗う。私は、水道もタオルも作らなかったのに。お湯を沸かす。私は、ガスが、どうやって家庭で使用できる状態になるのかさえ知らないのに、あたりまえのようにガスを使う。洗濯する。私は、電気も発見しなかったし、洗濯機も発明しなかったのに。洗濯バサミですら発明しなかったのに。

私は、インターネット中毒であるが、パソコンもインターネットも、どこかの誰かが作ってくれた。私ではない誰かが栽培してくれたお米を、私は炊いて食べる。おいしい!私ではない誰かが考案してくれた餃子を作る。うまい!

ゴミは所定の日に所定の場所に出せば、処理してもらえる。切手を貼ってポストに投函すれば、手紙は必ず届く。宅急便は時間指定で配達してくれる。新聞は、毎朝、いっぱいの情報を運んでくれる。

暴風雨の夜、私は幸福感でいっぱいだ。雨風しのぐ屋根と壁があって、布団にくるまっていられるなんて、なんてありがたいのだろう。

私が、「ひとりでいても寂しくない人間」になり、いつでもどこでも機嫌がよくなったのは、人さまの作ってくれたものに囲まれ、その恩恵をいっぱいいっぱい受けて生きているので、私はひとりぼっちではないと、知ったからだ。

<コメント>

これは、ほとんど、このまま採用された。こーいう「癒し系」は、いいらしいです。

ところで、私が属する福山市立大学の都市経営学部の学部長(有名建築家でもある)が、ある日、私を呼びとめて、こう言った。

「フジモリさん、講師控室にさあ、『山陽新聞』置いてあるから、いつも読んでるよ〜〜コラム。あれ面白いね〜〜〜でも、この前のは、よくわからなかった。何書いているのかよくわからなかった。あれでは、結婚して、離婚したから大阪に赴任したのか、今は、どうなっているのか、全然わかんないじゃないの?なんか、フジモリさん、結婚しているなんて、おくびにも出さないような顔してさ〜〜〜」と言った。

「この前の」というのは、この「寂しくない人間」のことだ。

このコラムのポイントは、そーいうことか?

いろんな読み方があるものである。

あ、もうすぐ午後8時だ!日曜日の午後8時だ!『平清盛』始まるぞ!!

ここずっと、わけのわからなかったNHK大河ドラマが、俄然と面白くなりました!!

平安末期の朝廷の為政者としての機能不全のすきまに入り込み、実権を握って行く武士勢力の台頭。面白いです〜〜〜!!保元の乱が終わった。いよいよ、平治の乱だぞ〜〜〜♪♪♪

こんなに面白いのに、視聴率は悪いそうだ。

なんで?? 『平清盛』視聴率低迷は、事実なのでしょうか?真実なのでしょうか??まさか、またCIAの陰謀ではないでしょうね?

ところでさあ、私は、特に主役の「松山ケンイチ」さんのファンでも何でもないのだけれども、この俳優さんが、女優の「小雪」さんと結婚したというニュースを聞いた時に、なにゆえか、ムカッとした。

それから、しばらくしてから、小雪さんが赤ちゃんを抱いた写真を見た時も、なにゆえか、イラッとした。

なんで?? なんで、私が、ムカッとして、イラッとするのよ。

これ嫉妬??うっそ〜〜〜!!