アキラのランド節 |
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『山陽新聞』備後版のコラム原稿です(その5) [09/11/2012]おひさしぶりです〜〜♪ またも更新をさぼってしまいました。なんと、今や、9月も半ばに入ろうとしています。 8月は、もう消耗しきって、死んでいた・・・ 8月10日に2学期を終えて、8月13日に福山の夏祭り「二上がり踊り大会」の「福山市立大学の連」の先頭に立ってプラカード持った。 くたびれまくっていたんで、今年は、踊りには参加せずに、見物だけしようと思ったら、「福山市立大学の連」のプラカード持ち担当だった小学生女児(事務局の方のお嬢ちゃんらしい)が逃亡したとかで、じゃあ、代わりに私が持ちましょう〜〜♪オバハンでもいいよね〜〜♪ということになった。プラカード持ちだけでも、十分楽しかったでありますよ。やはり祭りはいいですね〜〜♪ それからは、ひたすら2学期のテストの一部である150語英作文の268名分の採点だった。成績報告が終わったのは8月の17日。 8月17日以降は、読書以外にめぼしいことは何もしなかった。メシ作るくらいだった。あとは、お盆のお墓参りをして、神社行って、映画見た。 クリストファー・ノーラン(Christopher Nolan:1970−)監督のバットマン三部作の最後の作品The Dark Night Rises(http://www.youtube.com/watch?v=pk2IteR2QxQ)は、2回観た。最高だった。だって、アイン・ランド精神が横溢していたから。 前作のBatman Begins (2005)もThe Dark Knight (2008)も、そこそこ、よくできてはいた。しかし、アイン・ランド精神については、ほとんど影も形も感じなかった。単なるハリウッド・アクション映画でしかなかった。 なのに、どうでしょーか、最後のThe Dark Night Risesにいたっては、もう「二階級特進」みたいな進化を遂げていた!! もう、やたらアイン・ランドくさい。 この映画のどーいうところが、アイン・ランドくさいかって? それは、御自分でご覧になり、確かめてください。そのうえで、考えてください。何でもかんでも質問すれば答えてもらえると思う「万年学生根性」は、アイン・ランド精神からは、ほど遠いんですよ。 ちょっとだけ言わせてもらうと、The Dark Night Risesには、どんな状況であろうと、状況を打開するために、自分ができることを、自分で考えて実行する人々が登場する。 アイン・ランド愛読者であるアン・ハサウエイ(Anne Hathaway:1982-)が、インタヴューで「愛読書は、アイン・ランドのThe Fountainhead」と来日のインタヴューで答えたアン・ハサウエイが、キャット・ウーマンで登場する。この作品の彼女は、最高だ!! お尻の形が素晴らしい!! The Dark Night Risesは、救ってもしかたないような愚民でも、ひとりひとりにはかけがえのない人生があるんだぞ・・・ということも考えさせる映画です。 そうこうしているうちに、暑さがしつこく続くままに、9月に入った。 9月の最初の週末は、「副島隆彦の学問道場」の熱海合宿に参加した。参加者計18名が、最低30分から1時間ぐらいの口頭研究発表をするということで、2泊3日の合宿は、「会議室」にこもっているだけというものだったのだけれども、大いに勉強になった。久しぶりに、実に実に充実した時間をすごすことができた。 何年ぶりかなあ〜〜♪ 楽しかったなあ〜〜〜♪ こういうこと言うと「何様のつもりだ!!」と思われるだろうけれども、はっきり言って、私は、だいたいどんな会合でも研究会でも退屈に感じる。社交にはまったく関心がない。話がつまらないならば、他人といっしょにいるよりは、ひとりでいるほうがいい。 はあ、私は、すっごく非社交的で偏屈で気難しい人間です。すみません。 でも、こういう研究発表だけガンガンと朝から晩までします〜〜♪という合宿だと、楽しんだよね。しかも「副島隆彦の学問道場」文脈の発表ばかりだったから、非常に楽しかった。 私がかつて文学系学会で聴くはめになるのが常だったような、自らの論の前提を問わず、「制度としての学問分野」の中に閉じこもった「しょーもない無駄に衒学的おしゃべり」は、ひとつもなかったので、さらにさらに楽しかった。 なんで熱海かといえば、副島隆彦氏の仕事場が熱海にあるので、熱海で合宿することになったのだ。 その熱海で、観光地の歴史が古い熱海で、限られた予算内で合宿できる宿泊所といえば、「いまどき、こんなんでも客が来るんだね・・・さすが熱海だね・・・」と、参加者どころか、宿を決めた幹事までが感心するような類のホテルしかない。 でも、それがよかった。あれだけ、古くて、なんもないホテルは、勉強にはもってこいだ。人さまの発表を集中して聴いていることしかやることないもん。 もう、火災でも起きたら宿泊客全員死亡するのは確実だろうと思うほどに設備も古かった。階段は傾斜がきつかった。エレベーターはいつ故障するかと思えるほど、ギシギシゆっくりと昇降した。内部の通路は狭くて、迷路みたいだった。トイレはシャワレット付きではなかった。「会議室」といっても座敷に横長テーブルが並べられているだけだった。温泉も小汚なくて、清潔な感じではなかった。 しかし、その古くて設備の悪いホテルでの合宿を私は大いに楽しんだ。私が、「副島隆彦の学問道場」に入れていただいたのは、2001年だったので、副島隆彦氏やお弟子さんたちとも、もう10年以上のお付き合いになるのだなあ・・・・ 熱海合宿から帰ってからは、念願の、名古屋の自宅の「管理の悪い古書店状態」の改善を一挙に敢行した。 名古屋の自宅のマンションは、1993年の秋に購入したもので、最初は、どの部屋もモデル・ルームみたいに綺麗だったのだが、私が読みもしないままに買い込む書籍や、ビデオやDVDの山にじょじょに、夫の寝室以外は、じわじわと浸食されていった。 21世紀にはいり、アイン・ランドを知って、英米文学研究は棄てて、政治思想系本を集め始めると、本は、椅子の上といわず、テーブルの上といわず、どこにも積み上げられていった。床にも積み上げられていった。ついには、和室の畳も、板葺きの部屋の床も、見えないような状態になってしまった。 掃除機をかけても、積み重なった本の山にぶつかり、難儀難儀。客など呼べる状態ではなくなって、久しい年月が過ぎた・・・・ このままではいかん!!これでは人間の住みかとは言えない!!マンションの住宅ローンは完済した(万歳〜〜〜万歳〜〜〜万歳〜〜〜!!)が、これでは、肝心の住人である人間が寛げるスペースがないではないか!!私は、1平方メートルにいくら払ってきたんだ?!?! と、名古屋の自宅に帰るたびに、悩む私・・・ しかし、去年は、勤務先の変更に伴う研究室や、大阪府和泉市の住居の引っ越しや、新しい勤務先での新しい労働形態に慣れるのにせいいっぱいだった。とうてい、名古屋の住居の整理までする気力も体力も残っていなかった。 しかし、今年こそ! で、やっと、めでたく、段ボール29個分の専門書系本を処分し、厚紙袋12 袋分の雑本をBook Offに売却した。 (浅はか系)自己啓発本、(近視眼的)ビジネス本、(霊能力者がパワースポットで霊を見た、だからどうした・・・系)オカルト本、(爬虫類人がどうたらこうたら系)陰謀論本、(効果なし系)ダイエット本は、Book Offさんが、一冊150円や100円で、引き取ってくれるから、嬉しいね。 Book Offさんは、古書店ネットで500円で購入したThe Dark KnightのDVDなんて、500円で購入してくれました〜〜〜♪ 韓国時代劇の傑作『太王神人記』DVD全巻セットは、3500円で購入してくれました〜〜〜♪ はあ・・・ともかく、引き取っていただいただけでも、嬉しいですわ。ありがたいです。 もう・・・今回の大整理大処分にも、ほんとうに非常に消耗した・・・本に積もった埃で鼻炎アレルギーになった。くしゃみ連発しながらも、ともかく私は頑張った!! マッサージ師の資格をもっている(中学時代からの)友人に、全身リンパマッサージをしてもらって、頑張った。出腹の脂肪もしっかりマッサージしてもらった。リンパマッサージは、減量にもいいそうだ。ほんまかいな。 読みもしない本類の大処分のついでに、水晶とか、開運グッズとか、なんたらスピリッチュアル・ペンダントとかの類も捨てた。開運にまったく効果なくても、手元に置いておきたいお気に入りのもの以外は、全部、感謝して廃棄した。 スッキリした〜〜〜〜♪♪♪ 徒手空拳って、なんて清々しいのかしらん。あと捨てるべきは、贅肉よん。ゼイニク。 「断捨離」ですがな。 Facebook友だちのおひとりによると、「人間は60歳過ぎると物を捨てることができなくなる」そうだ。 ならば、還暦前の今こそが、「断捨離」のチャンスだ!! というわけで、やっと15、6年ぶりくらいに美しくなった居間で、スッキリと片づいた居間(兼私の書斎)のデスクの上で、ノート・パソコンを開いて、ひさかたぶりに、「ランド節」を書く私。 おお・・・美しい居間(兼私の書斎)の私。 みなさま、長い間、更新もせずに、すみませんでした・・・ もう、その都度感じたこと、読んだ本に関するコメントは、毎日毎日Facebookに書いていますから、御関心のある方は、Facebookにご登録してくださいませんか。そして、Kayoko Fujimoriで検索して、「友だちリクエスト」してくださいませんか。 Facebookは、Twitterと違って実名主義で、身元を明らかにして参入します。しかし、mixiのように推薦者が2名必要とかの「うざい」ことはありません。使い方については最初のうちはまごつきますが、すぐ慣れます。ほんと。 さて、今回のランド節も、またも『山陽新聞』朝刊の備後版のコラム「芦田川」の元原稿の掲載でごまかす。 <第13回 7月21日朝刊掲載 「人間依存症」の元原稿> 去年、大津市で中学生が自殺した。その原因は、複数の同級生による「いじめ」と呼ぶには悪質すぎる行為だったのではないかという疑惑が、メディアを賑わせている。 このような問題が起きるたびに、私は不思議に思う。しつこく他人に嫌がらせをするような暇が、どうして中学生にあるのだろうか? 誰でも、中学生ともなると忙しい。学校の宿題や試験もあるし、クラブ活動もある。読みたい本や漫画や雑誌はいっぱいだ。見たいテレビドラマもある。聴きたい音楽もある。その一方で、友人関係の悩みや、受験や自分の未来に対する不安や期待がある。中学生なりに、いろいろ考えることは多い。 だから、中学生にもなって、ひとりの同級生に対して、毎日毎日、暴行に似た嫌がらせをするような否定的な関心を持ち続けることができるというのは、非常に奇妙なことなのだ。 一般的に、他人に対して、無駄に過剰な関心を持つ人間は、「人間依存症」にかかっている可能性がある。「人間依存症」とは、他人に関与していることによってでしか、自分の時間がつぶせないほどに、人間関係に依存している状態のことである。このような人間は、他人の言動に左右されすぎるので、簡単に傷つく。だから攻撃的にもなりやすく、否定的な人間関係にも執着する。 なぜ、このような状態になるかといえば、自分ひとりで集中できる何物も持たないからである。人間は、黙ってひとりで何かに集中する時間の中で、考える。自己省察や自己分析する内面世界というものは、黙って集中する時間の中で育まれる。 子どもを、他人を傷つけるような人間依存症にしないために、大人は、子どもが、ひとりで何かに集中しているときは、黙って見守っていよう。そのとき、子どもは自分の内面世界を構築する作業をしている。子どもは、大人の人生の空虚さを埋める道具ではない。あなたが、自分のことを「人間依存症」だと自覚したら、責任を持って、その世代間連鎖を断ち切ろう。 <コメント>さて、あの「大津市の皇子山中学校の(いじめと呼ばれる)暴行脅迫殺人教唆事件」は、どうなったんかしらね? 最近は、女優の黒木瞳の(青山学院中等部在学中の)娘が、いじめの首謀者で、同級生の女子中学生をトイレに監禁してどうのこうのという情報もネットでは流れていた。 この種の「人間依存症」を克服するのは、大変だろうなあ・・・・いじめる方も、いじめられる方も、どちらもひとりになれないんだねえ・・・ 「友だちといっしょでないとダメ」とか「仲間といっしょでないとダメ」とか、そんなのただの思い込みだから。つまんない人間と「友だち」やっていることない。いっしょにいると脳が溶けるだけみたいな「仲間」なんか、無用だ。 だけど、どうも幼稚園や保育園あたりから、「友だちといっしょでないとダメ」とか「仲間といっしょでないとダメ」幻想で、個人を抑圧することやっているみたいだよね、日本は。貧乏なんだなあ、まだまだ・・・・ <第14回 8月3日朝刊掲載 「歓楽街と大学」の元原稿>私は、去年の3月に福山市に引っ越してきた。その頃は、もの珍しくて、市の中心街や福山市立大学近辺を、よく歩きまわったものだ。ところで、当初、かなり不思議に感じたことがある。大学から歩いて10分もしないところに、歓楽街があるということに。 教育機関が、バーやキャバレーやクラブが軒を並べる地区のそばに建てられるということは珍しいと、私は思った。だから、最初は違和感があった。こういうロケーションを選んだというのは、事情があったとはいえ、良識がない行為に思えた。 しかし、そう考えた私は間違っていた。教師という職に長く従事してきた人間にありがちな、「無駄な神経質さ」に陥っていた。なぜ、そう思うようになったかといえば、勤務先に徒歩通勤するのに、その歓楽街を通ったほうが近道だとわかって、そこを通勤路にするようにしてからだ。 朝や昼間のうちは、シャッターを下ろした歓楽街の各店も、夕暮れともなると、灯りがともり、玄関あたりにスーツを着た男性たちが立つ。今は、条例で客引きは禁止されているので、男性たちは立っているだけだ。自動車から降り立った若い女性たちが、玄関に立つ男性たちと、ビジネスライクに挨拶をかわし、店の中に入って行く。みんな働いている。その歓楽街には、24時間営業の託児所がある。お母さんもたくさん働いているのだ。 どんな都市にも歓楽街はある。人間社会には歓楽街が必要だ。それは事実であり、真実である。そういう現実の様相から、非常に若い人たちの目を逸らしておきたいと思うのは、善意ではあるが、たくましさに欠ける「老婆心」というものだ。人間は、事実から学ぶしかない。 福山市在住ではないが、広島県内に自宅があり、福山市立大学に通う学生の多くは、福山駅からは自転車で大学まで来る。この歓楽街を通過して、大学に来る。そのほうが近道だからだ。その歓楽街の風景からも、学生たちには、いろいろ学んでもらいたいと、私は願っている。 <コメント>私は、福山に来て、初めて「歓楽街」というものを、まじまじと観察することになった。 名古屋時代も、大阪和泉市時代も、歓楽街なんて、ほとんど行ったことがない。体質的に酒は飲めないし、夜は家にいるもんだと思っている。 しかし、まあ、やっと、この年齢になって、歓楽街にも、ふつーの生活があるんだなあ・・・と認識できるようになった。 とはいえ、私の学生たちには、「歓楽街」なるものには、生涯、あんまり本気で関わりあいにはなってもらいたくいはない・・・というのが、本音ではあるけどね。 偏見?? 偏見に決まっているでしょーが。水商売は、水商売だよ、所詮は! <第15回 8月19日朝刊掲載 「日本衰退説なんて」の元原稿>「日本は衰退しつつある」と言う人々がいる。羨ましい。「日本衰退説」など口にする人々は、「繁栄している日本」を体験したに違いない。ところが、長く大学に勤務してきた私は、「繁栄している日本」など見たことがない。少なくとも、高等教育の観点から見れば、日本は衰退するような贅沢など許されない後進国だからである。 よく、日本の大学生は勉強しないと言われるが、こういう発言は「アンフェア」である。なぜならば、日本のほとんどの大学生は、勉強にのみ集中できるような環境を与えられたことなど一度もないから。劣悪な環境をものともせずに勉強するタフなエリート秀才は、もちろん存在する。しかし、現代の大学のほとんどは、大衆のための高等教育機関である。 まず、日本のほとんどの大学には、下宿をしなくてすむような、遠距離通学をしなくてすむような、学生寮がない。朝食から夕食まで3食を、栄養も味も考えて、安価に学生に提供する食堂を持つ大学もない。 勉強にのみ集中する学生時代を可能にするような経済的支援(奨学金)を提供する大学も少ない。たとえ奨学金を得ることができても、有利子であり返済しなければならない。これは「奨学金」ではなく、「学生ローン」である。 さらに、24時間オープンの図書館を持つ大学は、私が知る限り、日本では、秋田の国際教養大学だけだ。図書館には、学生がよく使用する文献ならば、少なくとも5部は蔵書されていなければならない。 学生は、疲労のたまるアルバイトをせずにすみ、通学途中に立ち寄るところがなく、いつでも静かに集中できる図書館があれば、勉強せざるをえない。他にすることなどない。いやというほど勉強させられたら、早く世の中に出て働きたくなる。 というわけで、私は「日本の衰退」など、まったく心配していない。ともかく、高等教育に関しては、日本は立派な「後進国」だ。「先進国」になったことがない国が、衰退しようがない。昇ってゆくしかない。 <コメント>いや、ほんと、冗談じゃないわ。昇ってもいないのに、何で下がれるんだ。 日本が「先進国」だと本気で思っている人間は、無知で低能なんだよ。もしくは、育ちが、よっぽど悪いんだよ。よっぽど貧乏で育ってきたんで、くだらない悪趣味な物があふれている日本の現状を、「繁栄」だと思っていられるだけのことなんだよ。 は?東南アジアの某地域やアフリカの某地域と比較すれば、日本は天国だって?ほんとうの貧乏を日本人は知らないって?? そんなカスやゴミと比較してどーするんだ。そんな貧乏なんか、知らんでいいわ! このままの日本のままに、日本が衰退したたまに終わるのならば、そんな程度の国ならば、そんな程度のことでウカウカと「白鳥の歌」うたっている程度の日本人ならば、今すぐにでも、天変地異で日本沈没しても構わんわ。あほくさ。 大きく大きく見れば、人類の歴史は、いい方向=少しでも多くの人々の人生に自由と豊かさがもたらされる方向に進んできているんだ。 反動はあるし、後退もあるけれども、大きく大きく見れば、人類は、少しで も多くの人々に自由と豊かさがもたらされる方向に進まざるをえないんだ。そ うであること以外に、人類は生きようがないの! だから、そうするの! |