アキラのランド節

『山陽新聞』備後版のコラム原稿です(その6)  [09/23/2012]


今回の「アキラのランド節」も、『山陽新聞』の朝刊「備後版」に寄稿させていただいているコラム「芦田川」の元原稿掲載で、ごまかす。

いやいや、ちゃんと「書き下ろし」する気はありますって。ネタもありますよ。ネタは寝ている。ははは。

ところで、ほんと、今日は、実に爽やかな、気持のいい日曜日だった。窓を閉め切って冷房をかけなければ呼吸も苦しいような猛暑は過ぎた。最高気温が30度程度ならば、なんてことはないんだね。

ほんとは、地球全体としては寒冷期に向かっているそうだ。インターネット界に数々ある予言サイトによると、日本は、一日のなかで寒暖が無茶苦茶に激しくなるような気候になるそうだ。昼間は、摂氏35度で、夜は零下になるような、そんな気候に。ゴビ砂漠かよ。

災害とか、経済危機とか、いろいろな理由で、真冬でも暖房が使えなくなる。電気も灯油もガスも使えなくなる。薪があっても暖炉がない。炭はあっても七輪がなくて、一酸化炭素中毒になる。でも、夜はマイナス何度かの寒さになる。

なんていう冬を迎えるはめになるかもしれない。だから、何でも備えておくのが趣味の私は、マイナス25度でも暖かく眠ることができる寝袋も購入したよ。真冬のアルプスでも大丈夫なやつさ!顔だけ出していたら、顔だけ凍死かな。

私は経験上知っている。想定して備えておくと、起きない。起きても、動揺せずに対処できる。若いころに、いろいろ想像して心配して備えたことはいろいろあったけれども、その心配事は、ほとんど起きなかった。

しかし、想定しなかったことは起きる。思いもしなかったことが起きる。

まさか、私は若いころ、自分が将来、肥満に悩むなんて夢にも思わなかった。反対に、年とったら、魔法使いの老婆みたいに痩せこけて、目が落ちくぼんで険しい顔つきになるんじゃないか・・・と心配していた。まさか、職場で毎年受けなければならない健康診断で、「何も問題はないですよ、体重以外は・・・」と医者に言われるはめになるとは思っていなかった。

若いころの私は、痩身で、色白というよりも顔色が悪く、なにゆえか汗をかかなかった。いかにも「薄命」そうだった(らしい)。いかにも、「はかない顔つき」をしていた(らしい)。

肥満と同じく、まさか、私は大阪で働き、次には広島は福山で働くとは夢にも思っていなかった。瀬戸内海でっせ〜〜〜しまなみ海道でっせ〜〜♪ 福山って、倉敷と尾道の中間地点にあるんでっせ〜〜♪・・・って、何を言っているかわかりませんが。

いろいろいろいろ、想定外のことが、起きただよ、還暦寸前まで生きてくると。

だから、みなさん、うんとうんと天変地異も想定して生きましょう。太平洋岸は津波の危険はついてまわるので、内陸部の標高の高いところ(海抜20メートル以上希望って・・・)に住み替えましょう。住み替えが無理ならば、避難場所は何度も家族で確認しておきましょう。

今からここ数年の間は、太平洋岸の大都市で、特に東京あたりで、新規に住宅ローンなんか組んで、わざわざ住宅買わないほうがいいんじゃないの。賃貸でいいんじゃないの。

銀行の方々、ごめんなさい。住宅会社の方々、ごめんなさい。それから、今から、大都市での不動産投資したい方々、ごめんなさい。

諸外国からの干渉も敵視も想定して生きましょう。軍事衝突も想定して生きましょう。一時的な外国による占領も想定して生きましょう。戒厳令も想定しておきましょう。

外国旅行とか外国滞在というのは、日本国内にいるよりは、はるかに緊張や油断のなさを要求するものでありますが、あの状態は、世界基準では、あたりまえの日常なんだな。

想定しておけば、大したことはない(かもしれない)。対処できる(かもしれない)。うまくいけば、起きない(かもしれない)!

だって、3.11 以来、もう何度も何度も、もう何回も何回も、インターネット界では、大地震の予言がされてきたよ。原発崩壊の予言に、富士山噴火の予言もされてきたよ。でも、今までのところ起きてない。よかった、よかった。

身構えていると、起きない(かもしれない)。ならば、永遠に油断せずに、身構えていよう。

2014年が正念場らしいよ。まあ、普通に考えても、2013年、2014年、2015年なんて、きつそうだよな。

ここは、スッパリと潔く、これから20年は 、もう今までの「ゆるゆるの日本人」では生けてゆけないような日々になると思っておきましょう。日本人(も)、ひどい目にあうと覚悟しておきましょう。

しかし、そのあとにまたJapan Risesよ。

私は、そのRising Japanを見てから、死ぬことにする。そこんとこ、よろしく。

「日本は可哀想だね〜〜〜国土が活断層の上にあるんだもんね〜〜〜アメリカと中国とロシアに囲まれて、ついでに韓国と北朝鮮がいつも噛みついてくるしねえ・・・」と同情している、そこのアメリカ人!ちょっと、そこのヨーロッパ人!ユーラシア大陸人!

油断しきって安心しきっていると、事が起きたときのダメージがすごいですわよ。カリフォルニアなんか危ないですわよ。地殻変動は、ユーラシアでも起きるんだぞ。

まあ停滞はするが、観光で食ってゆけるだろう〜〜〜ギリギリぐらいは・・・と思っても、ご先祖様の残してくださった壮麗なる教会もお城も宮殿も博物館もコロシアムも、廃墟になる未来だってありえますわよん、そこのヨーロッパ人!ユーラシア大陸人!

どっちみち、長い目で見れば、アジアの時代ですから。西洋と東洋をつなぐ日本の時代ですから。

なにしろ、ロックフェラーも、ロスチャイルドも、ビル・ゲイツも、ほんとうは日本にこっそり住居を所有しているという噂もある。

なんでかって?長い目で見れば、日本が安全だからよ・・・

と、根拠なく、日本の未来を信じる私。信じるくらいタダですがな。

ということで、今回も3回分掲載でございます。

第16回 9月2日掲載  「環境は変えるもの」の元原稿

ある種の自己啓発本は、「与えられた環境に感謝して、愚痴を言わず、その中で、できるだけのことをして生きていこう」と説く。確かに、現状の環境の中で我慢しなければならない時期もある。また、過度に甘やかされてきた人々にとっては、こういう見解は有効である。

しかし、生来無欲で忍耐を趣味とする人々や、どんな変化も大嫌いな人々にとってならばいざしらず、ほとんどの人々にとっては、このような見解は有害であると、私は思う。無駄な不便さと理不尽を人々に強制するような社会の現状を、無意味に長引かせるだけだと思う。

もし、「与えられた環境に感謝して、愚痴を言わず、その中で、できるだけのことをして生きていこう」とする人間ばかりならば、人類史は、まだ今も原始時代のまま、狩猟採集時代のままであろう。

いつどこで出会うかわからない鳥や獣を狩って食べるのではなく、動物を囲い込んで育てて食べれば、食糧確保ができると思いついた人間は、ものすごい。森の中を歩き回って木の実を集めずとも、実がなる草や木を植えて育てればいいと思いついた人間は、とんでもない天才だ。

「家畜」や「農業」を発明することによって、人類は「定住」もできるようになった。狩猟採集社会では、食糧を求めて絶えず移動しなければいけないので、女性はいつも妊娠しているわけにはいかなかった。自力で歩いて移動できない人間は餓死するしかなかった。しかし定住によって、人口が増えた。「家族」が「部族社会」になり、ついには今の多彩多様なる人間社会ができた。

「与えられた環境に感謝して、愚痴を言わず、その中で、できるだけのことをして生きていく」人間ばかりでは、社会は停滞したままだ。環境に適応するのではなく、自分に都合がいいように環境を変えるべく、思考・行動する人間がいなければ、世の中は進歩しない。環境は、我慢して適応するためにあるのではなく、人間の創意工夫発明によって変えられるためにある。

<コメント>

アイン・ランドは、自らが立ち上げた「客観主義」(Objectivisim)という哲学において、「現実は、あなたの思惑や希望では変わらない」と言った。

しかし、だからといって、アイン・ランドは、「諦めて、現実に適応して、おとなしくじっとしてろ」とは言わなかった。

つまり、「思惑」や「希望」や「祈り」では変わらないから、よ〜〜く考えて、長期的に自分に利益になるように、現実に働きかけろ、と言ったのであります。あくまでも、動くのは自分だ。

そうすることが、「コントロールする」ってことだ。自分が主体となって、状況をコントロールすることと、他人にああせい、こうせい、ああしてくれ、こうしてくれ、とやかましく言いたてることとは違う。

そういう行為は、「支配欲」の産物ではあるが、状況に主体的に責任をもって関与しているとは言えない。

天変地異と激動の時代に、政府がどうたら、こうたら〜〜政治家がどうたら、こうたらと言っていてもしかたない。ぶっちゃけて言えば、政府も役人も何もしない。何かしないといけないときに限って何もしない。一般庶民のためには、何もしない。

怠慢とか悪意から、しないのではない。できないのよん。単に、ほとんどの人間は、そこまで他人のことを構っていられないのよん。ただ、それだけの普通の素朴なこと。

自分で、状況を見て、判断して決断して行動するしかない。そして、その結果を引きうけて生きるしかない。

去年の3.11のあとのTwitter界には、放射能汚染がどうたらこうたら、政府は何をやっているのかとか、子どもを守りたい母親の気持を考えろ!とか、かなりヒステリックな趣のつぶやきが多かった。

どうも書き手は、30代から40代はじめくらいの(暇な)男性とか、(働いてはいなさそうな)若いママみたいだった。

あのさあ、ほんとに追い詰められているのならば、なんか自分でするでしょーが。Twitterに書いている暇なんかないでしょーが。

あのさあ、女だから、母親だから、子どもだから、老人だから、弱者でうつ病だから、大事にされて当然とか、特別扱いされて当然とか、守ってもらって当り前とか、あんたら以外は、誰も思っていないからね。

Twitterで愚痴っている愚民なんか、どうでもいいんだからね。そーいう愚民の子どもも、どうでもいいからね。ほんとうは、そうなんだからね

偽善と綺麗事は、必要なの。いつもいつも真夏の太陽のようなギラギラとまぶしい真実なんか直視できないからさ。

だけど、しょせんは、偽善と綺麗事は、偽善と綺麗事なの。そんなもん本気にしてはいけないの、14歳過ぎたら。

この大天変地異時代、大経済危機時代、大困難期は、恩寵かもしれない。ゆるゆるにゆるんで、何でもかんでも人のせいにして依存性の塊になってしまっている日本人が再生する、いい契機になるよ。

第17回 9月9日掲載  「本は買うのが大人」の元原稿

最近、図書館から借りた本なのに、いっぱい書き込みをしたり、ページを破ってしまうような、マナーのとてつもなく悪い利用者が多いそうだ。本に書き込みされている筆跡は、明らかに大人のものであるそうだ。

思わず書き込みをしたくなるような本ならば、思わず破り取りたくなるほどに大事なことが書かれている本ならば、大人ならば、あらためて自分で購入するはずである。購入してから、心おきなく線を引きまくり、書き込みしまくり、破りまくるはずである。その本の正規価格が高いのならば、古書店を探し回るはずである。今は、インターネットのおかげで、日本にいながらにして、外国の古書店の商品を検索し注文することさえ容易にできる。

また、本の価格というものは、他の商品に比較して法外に安い。著者が、数十年の研鑽を積んで得た知識や見識のエッセンスを、2000円程度で手にいれることができる。古書店ならば、さらにさらに安価だ。かつ、本という商品の中身は、時間の摩耗に負けない。繰り返しの使用にも耐える。

私は、大人は図書館で本を借りるな、と言っているのではない。図書館は、現代社会では、必要不可欠な学習施設である。個人では所有できない高価な希少本とか、全巻揃っていないと意味がない辞書とか事典とか、一度読めば事足りるような娯楽小説やエッセイ集とかの暇つぶし用本を借りるには、図書館はたいへんに便利だ。しかし、基本的には、大人ならば、これぞと思う本は自分で買うものだと、私は思う。

話を戻そう。大人になっても、公立図書館の本を損傷させて平気な人間というのは、脳のどこかが損傷を負っているに違いない。このような人々に、公衆道徳の順守を求めてもしかたがない。出版社は、サッサと「図書館用本」というものを開発生産販売するべきだ。書き込みができない質の紙や、破ることができない質の紙や、耐久性にきわめて優れた質の紙やインクを開発して製本すべきだ。それしか打つ手はない。

<コメント>

実際に新聞に掲載されたときは、上記の原稿文の最後のパラグラフの中の「大人になっても、公立図書館の本を損傷させて平気な人間というのは、脳のどこかが損傷を負っているに違いない。このような人々に、公衆道徳の順守を求めてもしかたがない」という文章の、「脳のどこかに損傷を負っているに違いない」という部分は、記者さんによって削除された。

書き方が悪かったね。「大人になっても、公立図書館の本を損傷させて平気な人間というのは、人間に見えるだけで、実は爬虫類人である。このような人々に、人間の公衆道徳の順守を求めてもしかたがない」と書くべきだったな。

第18回  9月16日掲載  「属国・日本は当然?」の元原稿

今夏、友人たちの間で評判になった本は、孫崎享氏の『戦後史の正体』(創元社、2012)だった。孫崎氏は元外交官で、防衛大学教授でもあった方である。この本は、7月に出版されて以来、今までに14万部売れたそうである。この出版不況の時代に、すごいことだ。

『戦後史の正体』は、太平洋戦争敗戦直後から現在に至るまでの、アメリカの属国としての日本の軌跡を描いている。どの政治家が「対米自主派」として奮戦し失脚させられたか、どの政治家が「対米追随派」として栄達を極めたかが実名で記されている。いわば、この本は、新聞やテレビが報じてこなかった戦後の対米外交の裏面史である。ほとんどの日本国民が知らないことばかりが書かれていて、面白い。

一般的には、吉田茂はGHQ相手に一歩も引かずに、戦後の日本の平和の礎を築いた名宰相ということになっている。ところが、『戦後史の正体』は、売国政治家としての吉田茂像を提示している。一方、金権スキャンダルにまみれて首相の座を追われ逮捕された田中角栄を、『戦後史の正体』は、独立国家日本として中国との自主外交への道を開いた政治家として高く評価している。

実は、このような種類の本は新奇わけではない。すでに1997年に、副島隆彦氏が『属国・日本論』(五月書房、改定版2005)を発表している。しかし、『属国・日本論』は、知る人ぞ知る隠れた名著として、ずっと読まれ続けてきてはいるが、『戦後史の正体』のように、大手メディアに取り上げられることはなかった。

この『戦後史の正体』ベストセラー現象を、どう考えればいいのだろうか?メディアや日本国民が、やっと自分たちの政府の現実を直視するようになったのだろうか?それとも、すでに日本のアメリカの属国ぶりは揺るぎようがないので、どれだけ多くの人々に読まれたとしても、アメリカにとっても日本政府にとっても何の脅威にもならないから、『戦後史の正体』は、売れるがままに放置されているのだろうか?

<コメント>

2012年9月23日現在で、『戦後史の正体』は、20万部突破だそうだ。快挙だ。確かに名著だ、この『戦後史の正体』は!

しかし、本来ならば、ここまで売れるような類の本ではない・・・おかしいい。

この現象の背後には、共産党系の方々の「買い占め」が背後にあるという噂もある。

まあ、「反米」「アメリカ帝国主義反対!」っていうのは、昔から左翼系のスローガンだったけれどもさ、必ずしも、「反米」=「親中国」「中国の犬」ではない。しかし、人は、必ずふたつに分けたがる。

孫崎氏は、事実を伝えたかっただけでも、どうしても利用されてしまうんだろうなあ、ちょっとでもメジャーになると。

メジャーにならずに、変に政治的に利用されずに、カネが入って、自由で、命が狙われることもなく、事実と真実を伝えるという生き方がいいけど、そういうわけにはいかないんだよな・・・

さて、福山市立大学の3学期の授業も、いよいよ9月28日から始まる。桃山学院大学時代は、ここで必ず「また、怒涛の労働が始まる」と、書いていたが、今は、そう書くと嘘になる。

なにしろ、2011年春に開学したばかりだから、3年生と4年生がいないので、担当科目もまだフルに始まっていない。「怒涛の労働」は、来年度から始まる・・・再来年度は、もっときつくなる。

ま、しかし、今のところは、忙しいとはいっても、まだまだ余裕ある日々を愉しめる。

秋だ、秋だ、秋だ、秋だ、秋だ、秋だ、秋だ〜〜〜〜〜!!冬だ、冬だ、冬だ、冬だ、冬だ、冬だ、冬だ〜〜〜〜!!

世界は美しい。この心の平安、この調和・・・・

嵐の前の静けさ、かしらん・・・A storm is coming....I know that.