アキラのランド節 |
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『山陽新聞』備後版のコラム原稿です(その9) [04/22/2013]時間がないんで、コメント短いです。最近、必死で生きてますんで、忙しいんです。 還暦過ぎてから、一層に忙しくなるのかよ。過ぎてきた日々を振り返るような優雅な晩年はないのね、私には。 お気が向いたら、読んでやってください〜〜〜!! <第25回 2012年12月19日掲載 「義務教育が危ない」 の元原稿 > 12月10日の『山陽新聞』朝刊の第一面に、元鳥取県知事で、今は慶応大学法学部教授の片山善博氏が、「見識問われる分権改革」というタイトルの文を寄稿しておられた。 片山氏の御意見の趣旨は、「国から義務教育に使うようにということで得た交付金を、義務教育費に使わずに、小学校や中学校の先生を非正規雇用にしている地方自治体が少なくないという実例を見ても、地方に見識ある人材が少ないようであるから、安易な地方分権には危険が伴う」というものであった。 国から地方に出す補助金は、自公政権時代に、一般財源化した。かつては、「義務教育教職員財源」として国から交付されていたお金が、他のものといっしょになった。それで地方自治体はどうしたのか? 片山氏の言葉をお借りすれば、「国は、教員が正規であることを前提に算定した義務教育費国庫負担金と地方交付税交付金を配分しているのに、いくつかの府県では正規教員を相当数減らし、それを非正規教員で代替させている」のだそうだ。 いじめ、不登校、学力低下、学級崩壊、こども虐待に、モンスターペアレントなど、義務教育機関がかかえている問題は山積している。なのに、教師の非正規雇用が増えている。非正規雇用では、教師はじっくりと教育活動に従事しがたいのではないか。それは、何よりも、教育現場に、生徒である子どもたちに、悪影響を与えるだろう。 前任校の大阪の私立大学のときの私の教え子は、卒業後に小学校教員の資格を得たのだが、今は、週に1回「無給」で、大阪府の小学校で教えている。そこの校長に「予算がないので、無給で教えてもらえないか」と依頼されたからだ。その小学校では、ボランティアで、定年退職後の複数の教員が教えている状態だそうだ。 このような「義務教育費の事実上ネコババ」している率が高い地方自治体は、文部科学省の調査によると、「沖縄県、埼玉県、兵庫県、福岡県、大阪府、岡山県、広島県」である。福山市は大丈夫だろうか? <コメント>のちに、調べてみましたら、まあ、福山市は、毎年100名は新人を採用していて、状況は、かなりましなようです。うちの教育学部の学生さんを、いっぱいいっぱい採用してちょーらい。
<第26回 2013年1月6日掲載 「福祉国家は国民を選ぶ」 の元原稿 >
「デンマークに行きたい。デンマーク人になりたい」と、しきりに言っている学生が、私が前に勤務していた大阪の私立大学にいた。
この学生が、なぜデンマーク人になりたいのかといえば、デンマークは世界最高水準の社会福祉国家で、国民の所得格差が世界で最も小さいからだそうだ。児童福祉も高齢者福祉も手厚く、学費も無料で、医療費も無料で、生まれてから死ぬまで、国が国民の面倒を見てくれるので、生きるのにラクだから、デンマーク人になりたいのだそうだ。
彼は、高福祉社会は「成員」を選ばざるをえない、ということに思い至らないようだった。高福祉社会を実現・維持するためには、原資というものが必要だ。原資は税金である。勤労者年齢の国民が勤勉で、高税を支払うことができるからこそ、児童福祉も高齢者福祉も教育費無料、医療費無料も実現できる。
つまり、高福祉社会の恩恵を受けたいがためにだけ、デンマークに貢献できるような技術も知識も何もないのに、デンマークに入り、デンマーク国家に面倒みてもらおうと思うような外国人など、デンマークにとっては、お荷物であり迷惑であり邪魔である。
デンマークの移民法が厳しいのは当然である。「高福祉社会」を維持するためには、福祉を支える税金を支払うことができないような人間を大量に受け入れるわけにはいかない。
また、デンマークにおいて、医療費が無料であるのは、医師や看護師など医療に従事する専門職の給与が低いからでもある。そうなると、どうなるか。医療専門職の人々は、高い報酬を求めて外国に行ってしまう。だから、デンマークでは医師や看護師不足は慢性的だ。おかげで、経済的余裕のある国民は、より良い医療サーヴィスを求め、歯の治療のためにでさえ外国に行くはめになる。
このような事実を、デンマーク人になりたいと言った学生に、私は伝えた。権利を享受するには、義務を果たさなければならないということが、ちゃんと理解できたろうか。
最近、北欧もガタガタだよね。ノルウェイーなんか、実体経済でなく、金融操作で儲けて、国を支えてきたけれども、ユーロ危機もあり、ダメになりつつあるらしい。 政府に「ゆりかごから墓場まで」人生の面倒を見てもらいたいなんて思うのは、奴隷根性の最たるものだ! そんな人生のどこが面白いんだ。ならば、オカンの子宮から、やっこらせと産道を潜り抜けて、この世に出てきた意味がない。ずっと、オカンの子宮の中にいろよ。一番、平和で静かで、なんもリスクがないわ。 怖くて、崖っぷちで、どうなるかわかんないから人生はおもろい。自由は、だから面白い。 桃山学院大学勤務時代に、交換留学生で、北欧から来ている若い子たちをけっこう見物したけれども、特に男がダメだ。若いくせに、芸術家になりたいんなんて、しょうもないこと言っていた。ああいう「若年寄」みたいな覇気も生気も性器もないような奴を生産するんだよ、高度福祉社会つーのは。 でもって、その社会福祉目当てに流入するアフリカとか中近東からの移民に悩んでんの、スウェーデンも。 ソ連がこけて、中国が資本主義になった後の日本の「クズレアホ左翼」は、北欧がどうたらこうたらと騒いでいたけれども、ほんとに人間と人間社会への洞察がないわ。 大学ってさあ、その種の「クズレアホ左翼」みたいな人間が多いんで、こーいうことは、勤務先では言えないけどね〜〜♪ <第27回 2013年1月13日掲載 「女性は3人分生きよう」 の元原稿 > 大阪市内のホテルのカフェにいたら、午後3時頃に、60代くらいの女性たちがどんどん店内に入ってきて、カフェ内の喧騒が大きくなった。午後3時からケーキ・バイキング・タイムが始まるからだった。いくつケーキを食べても1個分のケーキの代金でいいのだ。 アメリカはシアトル発のカフェに入ったら、6人ぐらいの女性の高齢者が一角を占拠し、声高に延々としゃべっているのに出くわした。彼女たちには、他の客がどんどん入ってくるのに、遠慮して席を立とうとする気遣いはまったくないようだった。 女性は、自覚しているよりも、はるかにエネルギーが多くて強い(と私は思う)。60代ともなると、ほとんどの男性は、仕事の疲れも蓄積され、くたびれてくる。家庭回帰し、ぼんやりテレビ画面を眺めているだけになりがちだ。しかし女性は反対だ。子育てが終わった更年期過ぎの女性たちは、ますます元気になり、じっとしていられなくなる。 女性は、おおむね長生きである。生来エネルギーが強く、生命力が豊かであるようだ。だから、たったひとり分の人生を生きるつもりでいては、中高年あたりから、確実に時間を持て余す。たったひとり分の人生を生きるつもりでいると、物見遊山遊興と美味しいものの食べ歩きぐらいしか、やることがなくなるかもしれない。もしくは、家族に干渉して口やかましくなるかもしれない。すでに大人である夫や子どもに過剰に世話を焼き、彼らや彼女たちが自立した大人でいることの邪魔になるかもしれない。 女性は、若い頃から、本気で「3人分の人生」を生きる覚悟をして準備をしておこう。高齢になっても経済的に余裕がなく、労働しなければならないのは、かえって恩寵ではないか。親族に病人が出て看病しなければならなくなり、もうひと頑張りもふた頑張りもしなければならないのは幸いだ。そのほうが、暇を持て余し、カフェに長居して、ケーキだけは3人分食べて騒いでいるより、はるかに有意義ではないか。 <コメント>勉強せず、向上心なく、ただただ享楽に生きている類の女ほど、うざい生き物はない。カネも出さずに、人を使おうという根性も、こいつらには根深い。3分黙っていると、喉が腐るらしく、無駄口も多い。 最近は、「男のオバサン」のみならず、「男のオバアサン」も多い。私は、「日本人の馬鹿女化」を憂う。 |