アキラのランド節

前編! 第4回「東京アイン・ランド読者会」報告  [09/23/2013]


みなさま、あのすさまじい猛暑が終わり、やっと爽やかな秋が来ました。いやあ〜〜秋が来て、気温が下がれば、私は生き返る。

私は、「杖」を買った。こーいう杖を買った。初体験だ。いろんな初体験があるもんだ。

おっしゃれな杖でしょう?かの有名なブライダル・デザイナーの桂由美デザインの杖でございます。『杖・ステッキ販売センター』ってとこで、18,900円だった。

案配が良かったら、別のブランドの赤いのも欲しいと思っている。全部キンラキンラとスワロフスキーで飾っているという杖もある。これはなんと126,000円だ。誰が、そんなもん買うのか?でも、素敵だわん・・・

去年の秋より不調が始まった右脚は、より不調になってきた。調子が悪い時は、歩くのが不自由になる。「身体障害者」になる。だから、「転ばぬ先の杖」で、杖を購入した。

最近の私の「マイ・ブーム」は、「杖」だ!まさか、こんなことになろうとは。

私は、明日から3泊5日で、マンハッタンに行くから。かなり歩かないといけない空港の中で、ひっくり返っても困るから。28日に帰るから。30日から三学期の授業が始まるんで、帰ってくるしかない。

なんでマンハッタンに行くか??なんで、たったの3泊か?

無事に帰ったら、その理由ともども報告させていただきます!!

って、その理由は、Facebook友だちならば知っている。ほほほ。

最近は、Facebook友だちの助言もあり、医者嫌い、病院大嫌いの私も、腰と脚のレントゲンくらいは撮ろうかなあ〜〜の気分になってきた。

右の股関節(a hip joint)んとこの軟骨がすり減っちゃっているみたいだ。日本人女性は、遺伝子的に、股関節の軟骨がすり減りやすいそーだよ。腰骨と脚の骨の接合部が、生来ずれているみたいな人が日本人女性には多いそうだよ。

うううう・・・「股関節弱者」になっちゃった・・・

「貧乏ゆすり」をいつもいつもいつもいつもすると、軟骨が再生されるそうだ。いや、ほんと。

「貧乏ゆすり」は、脚のうっ血も防ぐので、飛行機でエコノミー症候群を避けるために、まめな水分の補給と、この「貧乏ゆすり」がいいらしいですよ。

疑うならば、このYouTubeの映像を凝視してくださいまし。もう、「貧乏ゆすり」って言っちゃいけないのだよ。「軟骨再生ゆすり」って呼ぶべきなんだよ。もしくは、「希望ゆすり」とか。

というわけで、私も気が向けば、右脚のかかとを上下に揺らし、トントンとかかとを床につけている。身体全体も揺すればいいのかもね。ゆらゆらゆるゆる。

みっともない?? そんなこと構っていられませんって!股関節の軟骨が欲しいのよ!

あと、これは年上の友人に教えてもらったのですが、「ふくらはぎのマッサージ」も、いい。眠れないときは、これをやると眠れる。いや、ほんと。

眠れぬ寂しい空腹な夜は、ふくらはぎをモミモミよ。夜に喰うと、太るからね。体重増加は、脚に負担をかけるんよ。

この「ふくらはぎのマッサージ」について、御親切に教えてくださったS.T.さん、ありがとうございます。あれから、毎日、私は、ふくらはぎをアキレス腱のところから膝に向かって、ゆっくりグイグイ指で押しております。

今の私は、ふと気がつくと、貧乏ゆすりか、ふくらはぎモミモミ。

そこのあなた!試しに、ふくらはぎを触ってみてください!!

ふくらはぎが冷たかったら、あなたの血液が心臓まで届いていないかもしれない!すでに、おまえは死んでいる!古いな・・・

不調が出ると、ふつうに機能していた身体のありがたみがわかる。長年の間、私と私の身体は仲が悪かった。正確に言えば、私が、勝手に自分の身体を嫌っていた。自分のイメージどおりに動かない自分の身体、自分の好みのイメージとは正反対の自分の身体を嫌悪していた。

なのに、私の身体は、黙々と私を支えてくれてきた。60年支えてきてくれた。毎日毎日働いてくれてきた。

が・・・いかに忠実勤勉な「糟糠の妻」といえども、60年間も感謝もせずに、こき使えば、病気にもなる。

というわけで、最近の私は、自分の身体にとっても優しい。老後に反省する馬鹿横暴亭主みたい。

この世の中を、私の魂が渡っていくための船といいますか、ハードスーツである私の身体。いつかは脱ぎ捨てていくものではあるが、スペアのない私のハードスーツ。かけがえのない私のハードスーツ。

「こーいうハードスーツだったら、よかったのになあ〜〜」なんて、『攻殻機動隊』の草薙素子少佐のボディをアニメで見ながら、思ってもしかたない。今さらもう愚痴らずに、仲良くいっしょに行こう。あの空の果てまで。

ところで、最近は、根をつめたデスクワークを長くすると、やばいのでっす。姿勢が悪いままパソコン仕事を長時間すると、股関節に負担がかかるらしく、歩くのが不自由になるんで、このあたりも気をつけないといけない。

というわけで、今回の「ランド節」は短い。と言いながら、前置きは長い。

9月15日の日曜日に、予定どおり、「TKP目黒ビジネスセンター」にて、佐々木一郎さん主宰の第4回「東京アイン・ランド読者会」は開かれた!

これは、会が始まる前のショット。持参したiPad miniで撮影した。主宰者の佐々木一郎さんは、大忙しだ。今回もいろいろお世話になりました。ありがとうございました!

2010年3月に第1回が開かれたけれども、あれから3年・・・いろいろあった・・・世界にも、日本にも、読者会のメンバーの身の上にも私にも・・・って、読者会のメンバーの身の上に何があったかなんて知りませんが。

あいにくと、9月14日から16日の三連休は、台風18号襲来のせいで、15日から16日は、東京の天候も穏やかではなかった。

特に、16日の朝なんか、すっごい暴風雨でしたからね〜〜新幹線も止まりましたからね〜〜で、東京駅八重洲口の改札口で朝の9時から午後1時半くらいまで待っていた私も根負けした。ホテルを予約して、サッサとホテルにチェクインして、ベッドの上で「台風18号のために浸水した京都は嵐山の渡月橋」の映像を何度もテレビで、読者会のメンバーにお土産で拝領した「うなぎパイ」をいただきながら、ボケっと見ているしかなかった。

それはさておき、ともかく、台風18号のおかげで、第4回「東京アイン・ランド読者会」に出席できない方もいらした。残念〜〜♪

しかし、主宰者の佐々木一郎さんの運の強さのせいか、私の先祖供養のせいか知らないが、15日のお昼あたりから、雨がやんだ。午後1時半から、無事に会は開かれた。私の講演も始めることができた。

第1部の私の講演の聴衆は、主宰者の佐々木さんをいれて10名だった。少ない? 

いいえ・・・この数字は、すごいことだ。

お越しくださったみなさま、ありがとうございました。私は、嬉しかったです!

台風だし、「カネにはなんもならない会」だ。アイン・ランドを読むことは、「生きる糧」にはなるけれども、預金通帳の残高は増えない。

ついでに講演者は無名だ。いや、ほんと、アイン・ランド伝播者としては、申し訳ない。

今までの「東京アイン・ランド読者会」に出席してくださった方々も、遠方に居住していたり、いろいろ御自分の御都合がある。それに今回の講演は、『肩をすくめるアトラス』についてだ。読んでないと、行ってもしかたない・・とお思いになった方も多いと思う。

今の日本に、原作にしろ翻訳にしろ、『肩をすくめるアトラス』を完全読破した人は何人いるのだろうか?

おそらく、1000人もいないと思う。

この作品を書評したり、批判している人間だって、完読していないと思う。

きちんと読んでいたら、あんな批判ができるはずないからね。

アメリカ人でも読まずに批判する奴は、いっぱいいる。私の桃山学院大学時代の(元)同僚もそうだった。

小説は、「筋」を知っていたって、なんにもならない。優れた小説ほど、細部がものを言う。ともかく、全部きちんと読まないと、なんにもならない。

というわけで、私の講演「アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』と百田尚樹『海賊とよばれた男』-----日本人にとってのアイン・ランドの意義」に、数人しか参加してくださらなくても、しかたないと私は思っていた。

だって、『肩をすくめるアトラス』ばかりでなく、『海賊とよばれた男』も読んでおかないといけないんじゃないかと勘違いされかねない講演題目だ。

こんな題目つけたのが間違い?? まあ、そうかもしれんが。

しかし、ともあれ、10人もの方々が来て下さった!

(あのとき数えたら、12人いたように思った。でも今思い返すと10人だ・・・なんでだろう・・・? 座敷わらしか?)

しかも、今回初めて参加してくださった方が5人もいらした!

東京にお住まいの女性のOさんは、『WEBマガジン出版翻訳』2007年8月で、私が書いたエッセイ「私がロシアに行ったわけ」(その1〜その3)を読んでくださってから、アイン・ランドに関心をお持ちになったそうだ。

Oさんは、『肩をすくめるアトラス』は、最初に読んだときは、それまで読んだ小説の中で、「ワースト5」に入ると、お思いになったそうだ。

はい・・・決して読みやすい小説ではないです、『肩をすくめるアトラス』は・・・しかし、そのとっつきの悪さを突破したら、そこには新しい地平が開けている・・・

残念ながら、この『WEBマガジン出版翻訳』は閉刊されたが、コンテンツはウエッブ上にありますので、ご興味がおありになる方は、私のエッセイを読んでやってください。

同じく東京におすまいのA さんという女性は、派遣のお仕事の中で、「それなりの立場に立っている人間が、その立場に立っている人間がするべきことをせずに、下の人間に、責任を押しつける日本の労働現場の搾取的ありよう」と、『肩をすくめるアトラス』に描かれている「働く人間のモラル・ハザードが進行した末に起きるアメリカ崩壊」のありようが重なると、おっしゃっておられました。

御意でございます。いや、ほんと、今の日本も同じだよ、「肩をすくめるアトラス」と。

半沢直樹が最終回で銀行の取締役会で、無気力、事なかれ主義、保身だけの取締役たちに怒りをぶちまけたでしょうでしょう。あんなシーンは、原作にはないが、「部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下のもの」が不思議ではない銀行の世界は、銀行だけの現象じゃない。

だいたい、あんな事件が銀行内に起きるのは、頭取が馬鹿だからだよ。トップにたっている人間が、するべき仕事をしていないからだよ。

頭取がすべき仕事はしたくないが、頭取でいたい。ずっと、そのままでいたい。社長がすべき仕事はしたくないが、社長でいたい。ずっと、そのままでいたい。学長がすべき仕事はしたくないが、学長でいたい。ずっと、そのままでいたい。

なんだ、それ? いやいや・・・私も青いな。こんなことで怒っちゃいけない・・・自分だって、きちんと教師やっているのか?

他には、Facebook友だちのバイオリニストの女性のMさんも来て下さった。お弟子さんのレッスンとかで、お忙しかったのではないかなあ。初めてお会いしたような気がしなかったなあ〜〜♪

バイオリニストのMさんは、お弟子さんにバイオリン演奏を教えて月謝をいただくということに、「お金をいただいていいのだろうか・・・」という気持ちがあったそうだ。

しかし、『肩をすくめるアトラス』を読んだことで、御自分が本気で真剣に教えることへの対価として、お金を得るということの「正当性」「神聖さ」というものを、あらためて認識なさったそうである。

Mさんは、お嬢様です〜〜〜「お金をいただいていいのだろうか・・・」なんて、そんなこと私なんか考えたこともないぞ。ははは。

男性のMさんは、私より、5歳ほど年下の方である。3月3日の「副島隆彦の学問道場」主催講演会の私の講演を聴いて、アイン・ランドを読み始めてくださったそうだ。嬉しいことではないですか!!

この方とは、のちに懇親会で、「真実暴き系言論」の元祖とも言うべき、「会田雄次」(1916-97)氏の『アーロン収容所---西欧ヒューマニズムの限界』(中公親書、1962)についての話で盛り上がった。

この会田氏は、当時の日本にはびこっていた「西洋近代礼賛」風潮に冷ややかな「夢も怖れもない」現実主義者の眼を投げかけた異色の研究者だ。

お若い方へ・・・この『アーロン収容所』は、是非ともお読みになってください・・・第二次世界大戦後のフィリピンの英軍の日本人捕虜収容所の体験記だ。

小室直樹氏にせよ、副島隆彦氏にせよ、「真実暴き系言論」に、Mさんや私がたどり着いたその原点は、会田雄次氏の『アーロン収容所』だったのかもしれない・・・と、Mさんと私は意見の一致を見た。

同様に、初めて会っても、初めての気がしない、これまたFacebook友だちのおひとりである男性のSさんは、なんと札幌から来て下さった!飛行機代がかかるのに・・・

帰りの飛行機に間に合わないと困るからということで、S さんは第2部の懇親会途中でお帰りになったが、Sさんは、『肩をすくめるアトラス』のサイエンス・フィクション要素に特に関心を持っておられる。

『肩をすくめるアトラス』には、静的エネルギーを動的エネルギーに変換して、車両半分くらいの大きさで、一国の全エネルギーをまかなうことができる「夢のモーター」が登場する。

天才発明家のニコラ・テスラ(Nikola Tesla:1856-1943)の「フリー・エネルギー」とかアイン・ランドは知っていたのだろうか?と、Sさんは疑問に思われたらしい。

う〜ん・・・同時代のアイン・ランドは、エジソンの共同研究者でもあったテスラのことは、ちょっとは知ってはいたんじゃないかなあ。

美男の科学者で、モルガン財閥から財政的援助を受けていたけれども、モルガン家の令嬢との恋愛などで、モルガン財閥から切られたんだよね、この人。

テスラは、地震発生機みたいなもんも作れた人だからなあ・・・アイン・ランドは、ヒントは得ていたのではないかなあ・・・

第3回読者会から参加で、今回も参加してくださったMさんは、製薬会社の研究所勤務の女性化学者である。英語通訳ガイドの資格も、なんと中国通訳ガイドの資格もお持ちの才媛だ。

Mさんは、『肩をすくめるアトラス』の中では、ヘンリー・リアーデンに、肩入れして、お読みになったそうである(もちろん原書で)。

そう、この一代で大製鉄会社を作り上げ、自分自身が科学者で、奇跡の合金リアーデン・メタルを発明する傑物ヘンリー・リアーデン(アンドリュー・カーネギーがモデル)は、家族の無理解に悩まされていた。

ヘンリーの働きによって、母親も弟も妻も生活できるのに、ヘンリーがいなければ生きていけない無能な人々なのに、彼女たちや彼は、ヘンリーに感謝するどころか、憎んでいるのだ。なぜか?

ヘンリーに全身全霊を賭けることができる何ものかがあるということに、母も弟も妻も嫉妬しているからだ。生き生きと生きている人間に嫉妬しているからだ。自分の生の空虚さをこそ直視しなければならないのに、彼女たちや、彼は、そのかわりに自分の保護者を敵と定めて嫌がらせをする。

実に気味の悪い倒錯的現象だ。

言うまでもないが、親(子)が子(親)に、妻(夫)が夫(妻)に、弟(兄)が兄(弟)に、嫉妬するってことは、現にある。

でも、それは認識したり、口に出したりしちゃいけないってことになっている。家族は愛しあって支え合うものであるのだから、親が子に嫉妬して、子の脚を引っ張るとか、妻(夫)が夫(妻)に嫉妬して、夫(妻)の勤勉さや努力を冷笑するとかいうことは、あってはならないのだから。

自分が子どもに嫉妬している、兄弟に嫉妬している、夫(妻)や妻(夫)に自分が嫉妬しているってことを自覚すらできない脳タリンも多いしね。

『肩をすくめるアトラス』には、「愛という名の搾取」の例が、いっぱい提示されている。

けっこう、この「愛という名の搾取」に足を取られている人は多いのではないかな? 特に、家族はねえ・・・場合によっては、こんな鬼門も地獄もないぞ。

さて、第1回読者会から欠かさず参加してくださってきたNさんは、今回も参加してくださった。ありがとうございます〜〜♪

看護師のNさんは、医師とか看護師とか利他主義を要求される職業の人間への患者や世間の理不尽な期待=搾取の問題は、『肩をすくめるアトラス』に非常に鋭く描かれていることを指摘なさっていた。

同時に、利他主義で動いているはずの職種の人間が無自覚に持っている「支配欲」「権力欲」の問題についても指摘なさっていた。

うんうん。わかる、わかる。

『肩をすくめるアトラス』に描かれている「寄生虫」や「たかり屋」は、とんでもないからね。

彼らはこう思うんだ。「あいつらは能力があるから、させておけばいいんだ。あいつらは、生来、無理して頑張るんだ。ついつい責任を果たそうとしてしまうんだ。そうようにできているんだ。だから、いいんだ。あいつらにさせておけばいいんだ。あいつらは、おれたちに奉仕せざるをえないんだ」と言って、無責任を決め込む。

アトラス(責任をはたすべく頑張る人たち)たちが消えれば困るのは自分たちなのに、宿主を追い詰める寄生虫ってのは、ほんとに頭が悪い。しかし、そーいうことをするからこそ、「虫」なんだよな。

その「虫」たちには、人間への嫉妬があるのかもね〜〜一度の人生であるからこそ、自分の持ち場ですべきことは、きちんと果たしたい、誰に知られなくても、自分自身で自分に納得したいと努力する人間の輝きに。

映画に関しては、とんでもない博覧強記の男性Mさんは、第2回読者会参加に続いて、今回も参加してくださった。この方のすごさを知った佐々木さんは、なんとか、電子ブックでもいいから、この方の知識と見識と美意識を公開できないものかと思案なさっているようである。

去年の12月に出版された脇坂あゆみさん御翻訳のWe the Living『われら生きるもの』の映画版に、やっと日本語ヴァージョンができる。その字幕翻訳を担当なさったのは、脇坂あゆみさんである。

脇坂さんも、このMさんのすごさに注目し、日本語字幕版DVD『われら生きるもの』の解説を書いていただきたいと依頼なさっているようであるが、謙虚なMさんは、逡巡なさっているようである。

Mさん、なんで、逡巡なさるのでしょうか?素晴らしい見識ですよ。すごいですよ。本なんか、すぐに書けるんじゃないかな。

第2回読者会、第3回読者会と参加してくださった男性のYさんは、私の講演の結論で、私が指摘したことについて質問してくださった。

「一般的に日本人は、自分個人の人生をどう構築するか考える習慣もないし、そもそも自分が何を求めているか考える習慣もない」と私は話した。『肩をすくめるアトラス』は、そういう日本人だからこそ、読む意義があるという文脈でそう指摘した。

Yさんは、具体例を示してくださいと、おっしゃった。

私は、このように説明した。

日本では「勉強ができること」が頭のいいことになり、勉強ができれば、もうそれ以上のことは無用ということで、それ以外に頭を使うことはない。考えない。考えることができること=頭がいいこと、とは考えないのが日本人だ。勉強できないが、考える人間は、無駄なことに頭を使っている変人であり、勉強ができない=頭が悪い人間というのが、日本である。

私は、たまたま学校秀才が多い業界に入り込んでしまったので、学校秀才の人々が、いかに軽薄で、薄っぺらで、俗物か、いろいろ目撃してしまった。ところが、ふつうの旅館の女将さんとか、ふつうの主婦とか、無名の職人さんに、こちらが怖くなるみたいな、聡明さや観察力を感じることがある。

ものを考えないが、記憶力だけはすさまじい学校秀才に社会を牛耳られてしまっていることが、日本の問題なのかもしれない・・・

う〜ん・・・私の答えは、Yさんの質問への回答になっていなかったな・・・

今回の講演では、私は、ともかく、「原作に触れよう!!原作と、しっかりつきあおう!」ということで、脇坂あゆみさん御翻訳の『肩をすくめるアトラス』から、Power Pointのスライド26枚分の引用文を紹介した。

今回の講演のために用意したスライドは40枚であったけれども、その半分以上を原作の翻訳からの引用文にした。

原作のAtlas Shrugged(1957)を日本語に翻訳するという偉業を成し遂げてくださった脇坂あゆみさんには、あらためて感謝した。脇坂さん、ありがとうございます。

この仕事は私の能力ではできなかった。絶対にできなかった。

大学の仕事をしながら片手間にできるようなことじゃないのだ、Atlas Shruggedを翻訳するということは。

それだけ、すごい作品なのだ。それは、スライド26枚分の引用文、原作で語られる言葉の何千分の一にもならない引用文を読んだだけでも、わかることなのだ。

だから、講演としては、いささか退屈な、地味なものであったかもしれない。しかし、私としては、『肩をすくめるアトラス』のすごさを、いささかでも伝えるためには、この方法がもっとも確実で誠実だと、思った。

この講演を聴けば、『肩をすくめるアトラス』を読んでいない人が、じゃあ読んでみようかなと思えるような講演内容にしたいと、私は思った。

さて、その目論見は、成功していたのかな?

主宰者の佐々木一郎さんが、この講演をDVD化して販売する計画をお持ちかどうかは、私にはわからない。佐々木さんが、「これじゃビジネスにならんわ」とお考えになったら、DVD化はされない。

心を込めて話したからといって、面白い商品になる講演になるとは限らないからね。でも、もし商品化されたら、みなさま、ご購入くださいまし。

そのときは、『肩をすくめるアトラス』をよりよく理解するために、百田尚樹さんの『海賊とよばれた男』に言及した私の意図は、適切なものであったのかどうか、御判断ください。

さて、本日の「ランド節」は、ここまでです。ここから先は、第4回「東京アイン・ランド読者会」報告の後編は、マンハッタンから無事に帰ってきたら、書きます。

さてさて、無事に行って、帰ってこれるかな? たった3泊だから、荷物はこれだけだ。いつも名古屋と福山間を行き来しているときのRemowaの小型軽量スーツケースと、TUMIのバーゲンで買ったリュックと財布だけだ。これならば、機内持ち込みでいいだろう。

ぐふふ・・・しゃべってしまおう!!

実は、Ayn RandのAnthemが劇化されて、Off Broadwayで上演されるんだよ!! 9月25日から8週間だけ、上演されるんだよ! 私は、初日から3回観るんだよ!!

贈る言葉。私が帰ってくることができなかったら、みなさま、アイン・ランド伝播の仕事を、よろしくお願いいたします。