アキラのランド節

日本から「建築家」が消える?-----後編!第4回「東京アイン・ランド読者会」報告  [10/16/2013]


相変わらず更新が滞っておりまする。

 無事にニューヨーク3泊5日のAnthem the playの観劇連続3回を済ませ、大いに刺激を受けて帰国したのが、9月28日。

それから福山市立大学の3学期が始まって、ドタバタと過ごしてきた。3学期は大学祭があるので、「英語プレゼンテーション・コンテスト」もある。その裏方の仕事がある。10月末締め切りの原稿もある。いろいろいろいろある。

ここに、Anthem観劇記も書きたいのに、日々は虚しく去り、すでに10月も半ばが過ぎた。やるべきこともせずに、今日にいたったのは、実は、以下の動画を見てしまったからだ!!
http://www.youtube.com/watch?v=PMZr74ifTi4

Facebook友だちのひとりである児童文学者であり、ライターでもある4人美少女姉妹の母でもあるM.さん(「アキラのランド節」[10/12/2008]に登場)が、この動画をFacebookに投稿しておられた。

何の気なしにクリックして、この動画を視聴した私は仰天した! 

すごい!!

知る人ぞ知る、この動画は、2012年4月から6月にかけてフジテレビ系列で放映された『リーガル・ハイ』の第9回目の一場面だ。これは、日本のテレビドラマの歴史を塗り替える名場面だ!!名台詞だ!!素晴しい!!

それまで、私は、このドラマについては何も知らなかった。2012年のこの時期は、私は、理由不明の眩暈(めまい)に悩まされていた。最低限の仕事だけして、ひたすら休養し、食生活の改善などでジタバタしていた。

この『リーガル・ハイ』は続編ができて、今年の10月9日水曜日夜10時から放映が始まった。タイトルは『リーガルハイ』となり、「・」が取れている。

『リーガル・ハイ』には原作がなく、古沢良太(ふるさわ・りょうた:1973−)氏のオリジナル脚本である。手段を選ばない戦いぶりで、全戦全勝の辣腕弁護士・古美門研介(こみかど・けんすけ)と、彼の事務所に雇用されるはめになった新米弁護士・黛真知子(まゆずみ・ まちこ)の2人が様々な訴訟事件に取り組むコメディだ。

前述のFacebook友だちであり、かつ「東京アイン・ランド読者会」の会員(会費はない)でもあるM.さんに教えられたYouTubeの映像にびっくりした私は、生まれて初めて「オンデマンド」(On Demand)で、『リーガル・ハイ』11回全パックを30日間視聴できる権利を購入した。1500円でっせ〜〜♪

でもって、これを繰り返し視聴した。

ついでに、中学生の苛め問題を扱ったスペシャル版107分の『リーガル・ハイ』も300円で買って視聴した。購入後8日間は何回でも視聴できる。

特に好きな俳優なんか出演していないのに、繰り返し視聴してしまった!それぐらいに、脚本が非常によくできている!!

『リーガル・ハイ』を繰り返し視聴すればするほど、私の確信は深まった。

この脚本家の古沢良太氏は、副島隆彦氏の著書の愛読者だよ!もしくは、「副島隆彦の学問道場」の読者だよ!!

ひょっとしたら、古沢氏は、アイン・ランドも読んでおられるかもしれない・・・私の妄想かしらん・・・

堺雅人が演じる古美門研介という弁護士は、NHK「朝の連続ドラマ」的なものを徹底的に馬鹿にしている。偽善に綺麗事は大嫌い。「絆」とか「ふれあい」なんて言葉も大嫌い。そういう言葉で現実逃避する人間は、もっと嫌い。貧乏やしみったれたこと大嫌い。無駄な贅沢大好きな、わがままもん。

古美門さんは、私利私欲やカネで人間が動くのは、自然で当たり前と主張する。自分も、手付金1000万円を積まれれば、明々白々な有罪も無罪にしてしまう。手段を選ばぬ有能な頼りがいのある「悪徳弁護士」だ。

善意を信じ、正義の実現こそ弁護士の仕事と思っている新垣結衣が演じる黛弁護士は、古美門弁護士のやり口に呆れ辟易している。

しかし、カネとモノと女に弱いその通俗な低劣さを軽蔑しながらも、人間の本質を暴き立て、法廷闘争の裏の裏まで知り尽くした古美門弁護士の洞察力と有能さとファイトに、黛弁護士は脱帽せざるをえない。

真面目な社会派ドラマでは扱えないような「危ない言葉」を、『リーガル・ハイ』は、ふざけたオチャラケのドサクサに紛れこませる。テンポのいい早口の応酬の中に、差別用語が満載だ。特に「馬鹿差別」「純粋まっすぐ君差別」は、あからさまだ。ははは〜〜!!

このドラマの展開のテンポの早さと過激さには、偽善にしっかり洗われた類の視聴者は、ついていけないというより、そもそもが何を言っているのか理解もできないだろうから、かえって安全だ。

まず、脳の緩い類の老人や、亜人間のガキは見ないだろうしなあ。

いやあ、何回視聴しても飽きない面白さだ。

私は嬉しい! 日本のテレビドラマってつまらんな〜〜アメリカの悪魔的なほどに面白いテレビドラマに比較したら、ほんとに日本のそれは、程度の低い「愚民の暇つぶし」だわ・・・

と思っていたら、愚民に向かって、はっきりと「あんたらは愚民だ」と言うドラマが出現した。

去年の『平清盛』といい、今年の(会津戦争終結までの)『八重の桜』といい、『半沢直樹』といい、『リーガル・ハイ』といい、何かが変わってきている。

と、思ったら雑誌『AERA』の43号10月14日号の大特集は「ドラマが面白い」だった。最近は、雑誌を買うこともほとんどなかったけれども、福山駅のキオスクで購入して、名古屋で3連休をすごすために乗った新幹線の中で読んだよ。

ここで、『リーガル・ハイ』の脚本家の吉沢良太氏は、『リーガル・ハイ』の脚本を書いて、「意外に誰にも怒られないんでということに気がついて」(p.38)、今までのドラマは作り手が勝手に自粛しているんであって、これからは「怖がらずに、どんどん攻めていった方がいい」と思ったそうである。

吉沢良太氏は、「こういうふうにすれば視聴率が取れるという幻想が完全に崩れたから、もう自分たちが面白いと思うものを信じて作るしかなくなったんですよ、きっと」(p.38-39)とも語っておられる。

「日本のドラマ自体、人の善意を信じれば何でも解決するんだというところで、いつでもクライマックスを作って、“いい話”で終わらせていました。見ている人も『そうだよね』って。なんだかそれが、定型になっていて。そうでないことをすると視聴率でコケる。僕にはそんな視聴者への怒りみたいなものもあって。震災後、世の中が“絆”と言えば解決するみたいな雰囲気があったけど、そうじゃないってことをみんなも考えていたんじゃないかと思うんです」(p.39)とも、吉沢良太氏は語っておられる。

いや〜〜こういう鋭い新しい才能大歓迎!! 刺激されていいわああ。

というわけで、本日の「ランド節」も前置きが長くて、すみません。

本題に入ります!!

本日は、9月15日に開催された第4回「東京アイン・ランド読者会」の後半のハイライト、建築家神谷武夫氏の御講演の内容を、紹介いたします!!

そのときの様子などは、こちらをご覧ください!

神谷武夫氏は、長身の美丈夫(びじょうふ)です。俳優さんでもおかしくない端正な容貌をお持ちの方だ。女優の草笛光子さんを男性にしたような感じ。

(神谷武夫氏である。どうだ!素敵だろう!!)

草笛光子さんって、ご存知ですか?元宝塚スターの。今は、NHK大河ドラマの『八重の桜』のナレーターをしておられますね。

神谷武夫氏の御講演「『摩天楼』と『水源』の建築的背景」は、まるっきり建築について知らない人間に対して、アイン・ランドの『水源』を読むにあたっての基礎的知識を提供するものであった。

しかしだ、私の講演内容ではなく、人さまの講演内容である。何でも、ここで書いていいってもんじゃない。

実は、あまりに神谷武夫氏の御講演が面白かったので、主宰者の佐々木一郎氏は、予定していた映画『摩天楼』の上映をカットした。神谷武夫氏に、もっともっと忌憚なくお話していただくということにした。

その佐々木氏の賢明な判断のおかげで、第4回「東京アイン・ランド読者会」の出席者は貴重な情報を得ることができた。それは、ほんとにラッキーなことだった!

しかし、ここで全部書いてしまったらさ、あの日の出席者の方々が、わざわざ交通費と参加費を出して会場にいらしたからこそ獲得できた貴重な情報を、私は無料で拡散することになるね。

そーいうアンフェアなことは、私はできないっす。

であるからして、ここはみなさんに、これだけは情報拡散しておかねば!!と私が強く考えた1点のみ、紹介させていただく。

その1点とは、これだ!

“architect”という言葉に対して日本人が思い描く「建築家」と、欧米圏、特にアメリカ人が思い描く「建築家」とは全く違う。ついでに、日本において、「建築家」という職業は滅亡寸前である!

では、神谷武夫氏の御講演の、とびっきり重要な一部を紹介いたします! 

<赤字の部分が神谷氏の言葉を私が記述したものです。括弧内の黒字は私のコメントです。>

欧米では、建築の様式に詳しい人や、建築家の名前や作品に詳しい人が多い。建築というものが、「芸術作品」として認識されているからだ。つまり、建築家=architectは、「芸術家」として認識されているからだ。

日本では建築学科といえば工学部に属すると、通常は考えられている。東京芸術大学に建築科があるのが、奇異な目で見られるのが日本である。

ところが、「建築」は芸術系の学科であるのが世界基準である。工学部の建築学科より、「芸術大学の建築科」出身のほうが世界基準としては、正統なのである!

(そうか!やっとわかった!うちの大学の副学長兼都市経営学部長は、丹下健三氏のもとで仕事をしていた建築家であるが、東京芸術大学の建築科出身であるということで、一目おかれている。「だって、あの方は芸大の建築科出身だもの」と言う具合に言われる。その意味が私にはわからなかった。建築学会の常識なんか、知りませんがな。しかし、やっとわかったぞ!!ちなみに、講演者の神谷武夫氏も東京芸大の建築科のご出身である。)

英米において建築を学ぶ学生で、優秀な場合は、奨学金を得てパリのエコール・デ・ボザール(Ecole des Beaux-Arts= Ecole Nationale Superieur des Beaux-Arts)に留学する。

「エコール・デ・ボザール」と言わずに、「ボザール」と言うのが普通であるくらいに、この国立(もとは王立)芸術院は、芸術分野においては、最高峰の難関である。350年以上にわたる歴史があり、ドラクロワ、ルノワール、モネ、ドガなど、美術史を飾る巨匠たちが、この芸術院の出身だ。現在でも、建築、絵画、彫刻の各分野で、トップアーティストを目指す若者たちがここで学んでいる。

(『水源』においても、マサチュセーッツ州にあるスタントン工科大学(MITガモデル)をピーター・キーティングが優等で卒業するときに、このエコール・デ・ボザールに留学する奨学金を授与された。キーティングは、パリに行くか、ニューヨーク第一の建築事務家の名声を誇るガイ・フランコンの事務所に就職するかで迷うのだが、ハワード・ロークが「ほんとに建築をしたいのならば、サッサと実際の仕事を始めるべきだ」みたいなことを言ったので、パリには行かなかったね〜〜)

(でも『水源』翻訳時の私は無知で、よく調べもせずに、この「エコール・デ・ボザール」を「美術学校」と訳してしまった。それも含めての誤訳を神谷武夫氏に指摘されたのが、そもそもが、この講演が起きる契機だったのであります。)

ちなみに、欧米においては、建築家というのは、医者と弁護士と並ぶ「三大独立独歩のプロ職」である。

それはなぜか?

たとえば、あなたが家を建てるとする。欧米では、まず建築家に設計を依頼する。建築家は、あなたの意見や希望を確認して、設計案を提示する。で、あなたは気に入る。

そのあと、建築家は、いくつかの信用できそうなbuilder(建築業者)数社に見積もりをとらせる。

提出された複数のbuilderの見積もりを建築家は丹念に検討する。「ちょっと、こんなに高いはずないでしょ〜〜」とか、「ここのコンクリートの量だけど、こんなに少なくては強度が保てないでしょう??」とか、「ここの梁はもっと厚くないといけないでしょう〜〜これではいざというときにまずいでしょ〜〜」とか、「なんで、こんな材質を使うの??こんな質の悪いもの使う割には、価格が高いのはなんで???」とか、建築のプロフェッショナルとして、builderに駄目だしをする。

つまり、顧客とbuilderの間に立って、適正な価格、適正な材質、適正な建築法で、顧客の住宅が建てられるかどうかをチェック、監督するのが、「建築家」だ。

だからこそ、顧客は、安くはない設計料(commission)を建築家に支払う。支払うだけの価値があるのである、「建築家」には!!

「建築家」architectという言葉は、だから、少なくともアメリカ人にとっては特別な響きがある。

アイン・ランドの小説『水源』においても、ピーター・キーティングが入社するガイ・フランコンの事務所の扉には、”FRANCON & HEYER, ARCHITECHTS”と記されている。あくまでも、「フランコンとハイヤー、建築家」であって、どれだけスタッフがいようが、主たる建築家の名前が扉には記される。あくまでも、個人の「建築家」の名前が来る。

(私は、翻訳するさいに、これでは日本人読者にはわかりづらいと思って「フランコン&ハイヤー設計建築事務所」(建築設計事務所だったか?)と訳した。しかし、それは、日本人読者にはわかりやすくとも、建築家という言葉の意味の欧米的理解においては根本的に間違っていたんですね〜〜すみません。)

だから、主人公のハワード・ロークが自分の事務所を持ったときに、その扉に描かれたのは、”Howard Roark, Architect” なのだ、当然。

(映画『摩天楼』の一場面より)

英語における”architect” という言葉には、それだけの意味と重みがある。独立独歩の芸術家であり、顧客とbuilderの中間に立ち、顧客の利益を守り、builderの仕事を監視するという役割を持つプロフェッショナルが、「建築家」なのだ。

もともと、こういう共通理解があるので、欧米において「建築家」は、とても尊敬される職業である。ベストセラーになり、映画化もされたアイン・ランドの小説『水源』が、そのような独立独歩の建築家像というものを強化したということも事実であるが。

(みなさま、Twelve Angry Menという劇を御存知ですよね?日本では『怒れる12人の男』という題で、その映画化作品が有名だ。アメリカでは、1957年に上映された。)

(この劇内容は、どうみても有罪にしか見えない父親殺しの少年を、12人の陪審員たちが、きちんと審議して、この少年の無罪を晴らすというものだ。12人の喧々諤々の口論&激論&喧嘩と推理の展開が、非常に面白い。)

(陪審員たちは、最初のうちは検察官の言うとおりに、この少年を有罪にしそうになる。しかし、ひとりの陪審員が、それに抵抗する。もっとよく考えよう!事件の検証を始める。その勇気ある陪審員の職業は、「建築家」なのだ。)

(上の写真の真ん中の人物が、勇気ある建築家を演じたヘンリー・フォンダね。この映画は、今でも、ときどきニューヨークのブロードウエイで上演される。必ず、ある程度の観客が見込める有名な古典的法廷劇だ。)

(映画『12人の怒れる男たち』(1957)の一場面より)

(という具合に、「建築家」というのは、ある種スッペシャルな職業と、特にアメリカ人は感じているらしい。この劇は、アイン・ランドの『水源』に影響を絶対に受けていると、私は勝手に思っている。)

(ついでに『リーガル・ハイ』の脚本家古沢良太氏は、この映画を絶対に知っている。うん。なぜならば・・・いやいや、神谷武夫氏のお話に戻らねば。)

ところで、日本において、「建築家」という職業は滅亡寸前である!なぜか??

たとえばアメリカでは、「建築家」はbuilder=建築業界に雇用されてはいけないという法律がある。建築家は、独立独歩でなければ、顧客の利益を守れないからだが、日本では、「建築士」は、ゼネコンに入社していい。Builderの従業員であっていい。

しかし、アメリカには、ゼネコンに勤務する「建築士」は存在しない。そもそも「ゼネコン」というものが存在しない。コンクリート会社はコンクリート会社。塗装会社は塗装会社。木材会社は木材会社。

日本において工学部の建築学科を卒業して、「建築士」の国家資格を得て、ゼネコンに入社するのが通例であるかもしれないが、そーいうことはアメリカでは、ありえない。

なんとなれば、ゼネコンに雇用された「建築士」では、顧客の利益を考えた設計などできないからだ。自分を雇用しているゼネコンの利益を考えた設計しかできないからだ。それでは、独立独歩のプロの専門職としての「建築家」ではありえない。顧客の利益も守れない。

今でこそ、欧米でも「建築家」=architectは法定資格であるが、かつては、そうではなかった。『水源』のハワード・ロークは、大学を退学になり、学位はないが、ヘンリー・キャメロンの事務所で実務を学び、自分で事務所を立ち上げた。ちゃんと「建築家」になった。

つまり本人が自分を「建築家」と考えて、顧客がそれを認め、それだけの能力、技能があれば「建築家」なのだ。

「建築家」はそういうものであったのに、いつのまにか「建築家」は、「法定資格」になってしまった。なぜならば、建築家たちが集まって結成した団体が、排他的特権的圧力団体になったからだ。つまり、自分たちの競争相手を少しでも少なくしようと思って、建築家を「法定資格」がなければ、なれないものにしてしまったのだ。

(そう、この法定資格化というのが、どの職業においてもネックだよね。国家が認可した大学とか専門学校とか出て、国家資格試験に合格しないと、その職業につけないって、変じゃないか??憲法が認める職業選択の自由に反しないか?)

(たとえば、教員資格がなければ、教師になれないとか、教師やっちゃいけないとか、おかしなことだ。誰がやってもいいわ、教師なんか。教えを受ける者が教師と認めれば、それで教師だ!)

(かつて、お産婆さんとか、そのへんの年輩の奥さんが薬草についての知識があるからということで、病気の人に薬草とか処方していた。民間に伝わる治療を施していた。しかし、今それをしたら違法だ。国家資格のある医師や看護師や薬剤師が関与しなければだめだ。こうして、伝統的民間医療は駆逐されて、ほんとは得体のしれない石油化学合成系薬品こそが<正統で安全な薬品>として流通するようになった。ほんとに正統で安全なのか??)

ともあれ、顧客や消費者のほうは、そんな建築家の義務と、ゼネコンに雇用されている「建築士」の胡散臭さについての情報など持っていない。だから、住宅を注文する場合に、ゼネコンから「設計もこちらでやりますから」と言われると、「設計料」を払わなくもいいかな・・・と思って、ゼネコンのいいなりになる。

しかし、タダより高いものはない。

「設計料」を払わなくていいかわりに、不当に高い建築費を課せられる可能性がある。

また、アマチュアの自分とゼネコンの間に立って、自分の利益を守ってくれるプロの、独立した建築家という守護神を、顧客は確保する機会を失う。

かくして、日本から「建築家」は消え、ゼネコンに雇用される「建築士」ばかりが跋扈し、ゼネコンに都合のよい(ひょっとしたら不良)建築物ばかりが、日本に氾濫する可能性は、どんどん高まりつつある・・・

率直に言って、私は、日本から真の意味での「建築家」は消える運命にあると考えている。

ということは、日本における建築の良心というものも、良質な建築というものも消えるということである・・・ゼネコン支配体制から、建築を守ることは、市民を守ることは、今や不可能になりつつある・・・

<以上が、神谷武夫氏の御講演の要点の要点であります!>

実は、神谷武夫氏は、もっといろいろ危ないことをおっしゃった。

が・・・まあ、このあたりにしておきまする。

「もっといろいろ危ないこと」は、出席者だけのものさ!!

というわけで、第4回「東京アイン・ランド読者会」は、実に実に充実した有意義な体験と情報を出席者に提供して、終わったのでありました・・・

みなさまも、出席なされば良かったのにい・・・・ほほほ・・・・

さあ!今日は水曜日だ。『リーガルハイ』の第2回目が午後10時から始まるぞ!! ほほほ・・・・