アキラのランド節 |
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硫黄島の米兵を支えた(かもしれない)『水源』 [09/04/2014]とうとう9月になってしまった。 8月は、忙しかった。 8月半ばまでは勤務先の仕事があった。2学期の成績報告をすませた私は、福山市の盆踊り「二上がり踊り大会」に参加した「福山市立大学連」の応援で騒いだ。 それから呉市の向こうにある江田島(えたじま)の旧海軍兵学校(今は、海上自衛隊第一術科学校&幹部候補生学校)に行った。地図だと近いのに、すっごく遠かった。呉の「大和ミュージアム」なんかには用はないよ。一度もまともに戦わずに沈んだ巨艦なんか、どーでもいいわ。 それから出雲に一泊だけの旅に行った。素晴らしく充実した旅となった!! 出雲は素晴らしい!! 素晴らし過ぎたので、ここで書くのはもったいない。だから書かない。また行こ。 それから静岡県御殿場に行き陸上自衛隊富士総合火力演習というものの見学に行った。戦争の実戦の練習であって、「戦争ごっこショー」じゃないのだから粛々と見学すべきなのに、軽薄に騒いでいる見学客が多かった。老若男女、なんか深く勘違いしていた。日本人愚民化計画は、ひょっとして、すでに完成しているのだろうか。 それから、スサノオを祀る日本総本店みたいな愛知県の津島神社に行った。なんと愛知県生まれで育ちの私なのに、この神社に参拝したことがなかった。還暦過ぎて初めて参拝することができた。ご縁というのは、ご縁が結べる時期にならないと、いただけないのね。 8月後半のこれらの行動には何の一貫性もない。意味もない。私の行動に一貫性とか意味があってたまるか。 Facebookには、8月後半の怒涛の行動に関して、写真ともども、毎日いろいろ投稿していた。まだまだ右脚の調子は悪いのに、歩き回ったものだから、整体師の先生に、「悪化している・・・筋肉が硬くなっている・・・また歪んできた・・・どうすんの・・・」と怒られる始末だ。 ところで、みなさま、9月の三連休の真ん中の9月14日(日曜日)大阪で開催される「東京アイン・ランド読者会」の私の講演会への申し込みは、すでにおすみになりましたか? 当日でも、ふらっと来てくださっていいのですよ。席なんか、いくらでもあるんですから。はい。 今のところ、なんとか、会場のレンタル代は出せる、つまりギリギリ赤字にはならないですむくらいの人数の方々が参加を申し込んでくださったそうだ。ありがたいことです。カネにもならない講演会なのに。 どなたがいらして下さるかな??桃山学院大学時代の教え子さんたち、来てくれるかな?? って、誰にも連絡していないんですが。 今のうちから、私は、ものすっごく緊張してる。 ぶっちゃけて言えば、私は、アイン・ランドが好きなのではなく、アイン・ランドが書いた『水源』(The Fountainhead)が好きなんだ。この作品を長い時間かけて構築したアイン・ランドへの尊敬の念は、大きいぞ。 30代のおねえちゃんが、移民のおねえちゃんが、これだけの作品を書いたんだぞ。 まあ、『水源』に関するamazonのレヴューを読んでいると、「こんな程度のものが・・・」と馬鹿にしきって書いているレヴューアーがいる。じゃあ、あんたは、これ以上の作品が書けるというのか。自分では何も生み出せなくて、他人が生み出してきたものに依存して生きるしかない無能な人間が、何をエラソーに書き散らしているのか。 すみません。また、本当のことを言ってしまった。私は、アイン・ランドや『水源』についてとなると、冷静ではいられない。 私は、実は、論文にも『水源』については、あまり書いたことがない。 シレッと、論文用日本語で淡々と分析なんぞできんのよ、『水源』については。 ほんとうに大事なことは書きたくもないし、人前で話したくもない。 そーいうもんじゃないですか? ほんとうに大事なことは、心の奥の奥の奥に大切にしまっておくものだ。他人にペラペラしゃべってたまるか。もし、それを開陳するとなったら、よほど相手を選ばねばならない。150年生きても、わかんない奴にはわかんないよ。 と思っている私であるからして、私は、ものすごく嘘つきだ。本音なんか他人に話さない。馬鹿に何を話すんだ。挨拶だけでいいわ。「おっはようございます〜〜〜」と「おっつかれさまでした〜〜〜」でいいわ。それだけでいいわ。 でも、そろそろ、今の私にできる限り、わかりやすい形で、『水源』について話しておきたいと思うようになったのよ、そんな私も。 なにしろ、天変地異の時代だ。日本列島、どこだって、何が起きるかわからない。『水源』という商品そのものが製造されないし、流通しない事態が起きるかもしれない。戦争もあるかもしれない。 「善」は急げ、である。 2001年6月から2003年の6月までの『水源』を翻訳していた期間は、「この本の翻訳を出版してもらうまでは死ねない」と、私は思っていた。今は、『水源』の改定訳を出版してもらうまでは死ねない、と思っている。 あのね、みなさんね、小説ってね、時間つぶしの現実逃避の装置としての小説ではなくね、ちょっとだけ時代の雰囲気を伝えた小粋なオシャレなファッションみたいな小説じゃなくてね、ほんとに凄い小説ってね、読んだ人間の人生を決定的に変えてしまうような、とんでもない小説ってね、作家だって完成させるには、とんでもない苦労するのよ。 『水源』はね、1935年に構想された。最初は、Second Hand Lives(『セコハン人生』)というタイトルにするつもりだった。ルーズリーフのノートに、コンセプトやキャラクターやプロットを書いたのが1935年12月から1937年3月までだった。だいたいのアウトラインは、そこで決まった。 1935年から構想すると同時に、建築に関する関連資料を読み始めた。主人公たちは建築家にすることにしたから。アイン・ランドが伝えたいメッセージに適した職業は、「建築家」だと判断したから。 そこで、ルイス・サリヴァン(Louis Henry Sullivan, 1856-1924)とかフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright, 1867-1959)について知った。サリヴァンは、『水源』のヘンリー・キャメロンのモデルになった。ライトは、ハワード・ロークのモデルと言われるけれども、違うよ。それについては、今度の講演会でも言及する。 アイン・ランドは、ニューヨークの実際の建築家の事務所に「ファイル係」として半年間、無休で勤務した。実際の設計建築事務所というものが、どういうものであるか取材だけではわからないと思ったから。 それからA4用紙に2,300枚(!)の手書きの原稿を書いた。手書き原稿の全部を書き終わったのは、1942年7月だった。 アイン・ランドは、総じて機械つーのが苦手で、だから自動車の運転もできなくて(そこは私も同じ)、最初の原稿は、いつも手書きなんよ。それからタイプを打って完成原稿にする。 『肩をすくめるアトラス』執筆時は、すでに作家として成功していたので、自分が手書きした原稿をタイプに打ち直してもらう女性を雇うことができたけれどもさ。 そのあとは、手書き原稿の推敲作業が始まる。アイン・ランドは、どんどん無駄なエピソードや登場人物を削った。ものすごく削った。小説の形式で伝えたい自身の哲学を表現するのには余分であると思う部分をガンガン削った。 どこをどう削ったかなんか、ここで書かない。知りたかったら、講演会にお越しくだされ。無料で情報を得ようなんて、卑しい姿勢だよん。無料で容易に得られるもんなんて、ろくなもんじゃないよん。 Second Hand Lives(『セコハン人生』)というタイトルも変えた。だって、自分が否定する生き方をタイトルにするのは変だものね。 ならば、The Prime Movers(『動かす人』)にしようかと思った。しかし、moversだと「引っ越し業者」とか「発起人」とか「セックス狂」なんて意味もある。 じゃあMainspring(『推進力』とか『何かを動かす主ぜんまい』)にしようかと思ったけれども、すでに、そういうタイトルの本があった。 このように、タイトルが、The Fountainheadに落ち着くまでにも、紆余曲折があった。 アイン・ランドの経済状況は、『水源』執筆に集中できる余裕のあるものではなかった。生活費獲得労働もしなければならなかった。映画になりそうな目ぼしい小説を読んで、その粗筋(synopsis)を書いて映画会社に提出すると、ひとつの粗筋作成で25ドルもらえた。 1930年代の25ドルって、現在の貨幣価値でいくらくらい?? 第二次世界大戦中の1.22ドルは、2008年には0.08ドルになっている(http://gigazine.net/news/20090901_rise_fall_dollar/)。 ということは、ざっくり言って、1930年代の25ドルは、今の貨幣価値でいけば約390ドルぐらいなんじゃないの?私は数学どころか算数に弱いんで、この数値がだいたいのところ正しいのかどうかについては自信がない。でもまあ、そんなもんでしょ。かなあ? ランドは、映画の原作本(になるかもしれない)粗筋を毎週提出していたようなので、一か月で100ドル稼いでいたことになる。当時の100ドルは、今の1,600ドルくらいということで、ギリギリ食ってはいけるだろうなあ。 ご主人のフランク・オコーナーさんは、映画のエキストラとかチョイ役で多少は稼いでくれてはいたけれども、アイン・ランド夫妻の暮らしは、余裕のあるものではなかった。 アメリカの作家(とか、その卵)は、原稿がかなりできあがると、出版社に送る。エージェントを雇って交渉してもらう。原稿を読んで、出版社がOK出すと、契約する。何年何月何日までに完成原稿を出版社に提出すること、という契約をする。契約したときに、前金を作家に支払う出版社も多い。その前金を生活費にあてて、作家は作品完成に集中する。 現在はね、財閥が作家にfundを出すんで、作家はそこに作品の梗概なんぞ送って、合格すると、お金が出るんで、作家はそれを生活費にあてて、作品執筆に集中する。そーいう例が多い。 さすが、アメリカは、芸術活動にカネを出す志の高い財閥がいるんだね〜〜と感心したあなた! あなたは甘い!!これ、つまり一種の手の込んだ検閲制度なんよ。ただより高いもんはないんよ。 だから、最近のアメリカ文学って、おもろない。毒にも薬にもならん小説が多い。生活費出してもらって書く作品になんか、リアリティがあってたまるか。財閥に飼育されて、どんな精神の自由があるというのか。 現在の財閥のヒモつき作家活動の話はさておいて、『水源』出版事情だな、ここでの問題は。 アイン・ランドはいろいろ努力したけれども、ニューヨークに本社があるような大手有名出版社は、『水源』出版を引き受けてくれなかった。12の出版社に断られ続けた。その理由が、「すごい作品ですが、売れそうもない」とか「知的過ぎる」とかだった。 アイン・ランドは落ち込んだ。作品の質が悪いから出版してもらえないと言われるのならば納得できる。しかし、「いい作品ですが、売れないですよ、こんな知的な論争的なものは」では、どうすればいいのか? しかし、やっと、インディアナポリスにあるボブズ=メリル社(Bobbs-Merrill Company)が引き受けてくれることになった。アイン・ランドが正式の契約書に署名したのは1941年の12月の始めのことだった。契約日は、真珠湾を日本軍が奇襲(?)攻撃した日のすぐあとだった。 実は、もし、契約の話がまとまるのが一週間遅れていたら、ボブズ=メリル社は『水源』出版を控えるところだった。 戦争が始まるとなれば、紙を含む物資の供給が制限され、あのような長編小説を出版するための紙を入手するのが困難になるからだった。 しかし、もう契約することに決まっていた。だから、ボブズ=メリル社は、ちゃんとアイン・ランドと契約した。完成原稿提出日は、1943年1月1日となった。 契約の条件として、アイン・ランドは1,200ドルの前金を要求した。あと1年で原稿を完成させるためには、生活費獲得労働に時間を割くことができないから、生活費が欲しかった。 ボブズ=メリル社は、1,000ドルなら出すと言った。それは、今の貨幣価値で15,600ドルだ。今の日本円ならば、160万円ぐらいだ。1,000ドルあれば、1942年の12月の完成原稿提出日までは、生活費獲得労働をしなくていいということだ。ギリギリ食ってはいける、ということだ。アイン・ランドは合意した。 出版社が決定して、前金を得てから、アイン・ランドは原稿を完成させる作業を急ピッチで進行させる。アメリカにおける出版社と作家の契約は、絶対だ。締め切りを遅らせるということは、ありえない。 不眠不休の原稿完成作業のために、アイン・ランドはアンフェタミンという覚せい剤の一種を使用した。ドクター・ストップがかかるまで常用した。疲れたから休養します・・・では、間に合わなかったから。絶対に1942年中には原稿は提出しなければならなかったから。 『水源』を出せなければ、アイン・ランドには、もう何もなかった。もう後ろがないという崖っぷちに、アイン・ランドは立っていた。薬だってなんだって飲むしかなかった。 アイン・ランドは1942年12月31日大晦日に、完成原稿をボブズ=メリル社に送ることができた!! 1943年4月15日にThe Fountainhead『水源』は発表された。公式には5月10日だった。 ボブズ=メリル社は、初版は7,500部を印刷した。アイン・ランドは、『水源』は爆発的に売れるような類のものではないと認識していた。売れればいいとも思っていなかった。質のいい読者に届かなければ意味がないと考えていた。アイン・ランドは、自分が書いた小説で世界を変えるつもりだったので、小説の思想を理解できない読者が読んでもしかたがないと思っていた。 1943年の秋までに初版7,500部は売れきった。担当編集者はさらに5,000部の増刷を会社に提案した。しかし、ニューヨーク支店の担当者は、「この小説は、10,000部以上は売れないよ」と反対し、増刷数2,500部でいいと言い張った。 ところが、The Fountainhead『水源』は、11月の感謝祭までに18,000部売れた! 1943年中には50,000部売れた! しかし、アイン・ランドは、「質のいい読者」に届くには、少なくとも100,000部は売れないと意味がないと思っていた。 アイン・ランドが目標とした販売数は、1945年までには実現した。100,000部売れたのだ!!1945年8月のニューヨーク・タイムズ(New York Times)のベストセラーリストの第6位にThe Fountainhead『水源』は、躍り出た!! 比較的小さな出版社のボブズ=メリル社は、十分な宣伝活動、広告活動をできないとアイン・ランドは知っていたので、非社交的な彼女には珍しく、声をかけられたのならば、どんな集会にも出席して、自著の宣伝に努めた。 「口コミ」(word-of-mouth)の力をアイン・ランドは確信していたので、読者からの手紙には返事を書いた。ひたすら書いた。極力書いた。届けられるファン・レターがあまりにも膨大になってきたので、アイン・ランドは、ついにひとりひとりの読者に返事することを諦めた。 届けられるファン・レターの中で、アイン・ランドを特に喜ばせたのは、太平洋戦争に従軍している兵士から来る手紙だった。 ある兵士は、航空隊の戦闘機乗りだった。「任務を終えた夜の休憩時間に、ろうそくの明かりを頼りに、戦友たちとThe Fountainhead『水源』を輪読しています」と書いていた。 あ〜〜た、こんなことを書かれたら、作家たるもの、涙がブワッと湧き出て、もう収拾がつかなくなるでしょーが!!その手紙を読んだときのアイン・ランドの気持ちを想像すると、私も涙が出るぞ!! ろうそくの明かりを頼りに、The Fountainhead『水源』を、順番に声に出して読みあう若い兵士たちの姿を想像したら、大泣きするぞ!! この兵士は、南の海で、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)と戦ったのかもしれない。アメリカ版『永遠の0』だってある。アメリカ人の「宮部久蔵」だって、いたかもしれない。 なかには、「この戦争が、The Fountainhead『水源』に書かれているような理想のための戦争だったならば、よかったのに」と書いてくる兵士もいた。 こんなこと手紙に書いたら、日本軍ならば検閲後にリンチだよな。もしくは、黙って廃棄されちゃうんじゃないか。 こんなこと書いたくらいだから、現場の戦場で苦労している兵士たちには、太平洋戦争の大義は理解できなかった。まあ、ほんとうのところは、戦争に大義なんてないけれども。 その兵士が送られた戦場は、「硫黄島」だったかもしれない。彼の背嚢の中には、戦死するまで、アイン・ランドのThe Fountainhead『水源』が入っていたのかもしれない。 神道系某霊能者によりますと、昭和天皇は、まだ昇天なさっていないそーだ。なんとなれば、硫黄島で戦死した日本兵の人々の霊が、ひと柱残さず、成仏するまでは、昭和天皇は昇天できないそーだ。硫黄島の戦闘があまりに過酷であったので、戦死者の魂があまりに深く傷ついていているので、成仏を拒否しているそーだ。 そりゃそうだよな・・・ 日本兵のおびただしい遺骨の上に米軍はコンクリート流してアスファルト敷いて、滑走路として使ってきちゃったけれども、硫黄島が日本に返還されたのちも、自衛隊は、日本政府は、遺骨収集しなくて、滑走路はそのまんま使用してきたもんな。 まあ、2010年の菅政権のときに、やっと滑走路をはがして遺骨収集することが決まった。でも、その作業はまだまだ終わっていない。 そのようなこの世の現実の慰霊事業も必要だけれども、霊的世界における特別な鎮魂作業も必要なのだろう。それほどに硫黄島の戦闘は凄惨を極めた。硫黄島を奪われるということは、米軍の飛行機が楽々と日本本土を空襲するために発ち、楽々と帰ってこれる基地を米軍が持つということだ。だから、兵士たちは必死になった。敗北はわかっているのだ。それでも、自分たちの降伏が1日延びれば、日本に住む家族や愛する人々への空襲が、本土決戦が1日延期される。 数日で片がつくと思っていた米軍は、日本軍の頑強な抵抗に、トコトン手こずった。食糧も弾薬も尽きているのに、日本軍は36日も粘った。現代の日本人とは同じ民族とは思えないな、当時の日本兵の方々は。 というわけで、昭和天皇は、神龍のお姿になって、成仏できない日本兵の御霊を説得し、天に連れていくお仕事をなさっておられるそうだ。敗戦後70年近くも放置されてきた日本兵の御霊に納得していただくには、さぞかし時間もかかるに違いない。 昭和天皇の御霊も、まことにお忙しいとは存じますが、よろしくお願いいたします。毎朝、私も南東に向かって、日本兵のみなさまの御霊に感謝の念を送らせていただきますから。冷たいお水をお供えいたしますから。 また話が逸れているな。 ともあれ、兵士たちが、戦場でのつかのまの休息時間に手に取ったThe Fountainhead『水源』は、1967年までには、452,000部売れた。 The Fountainhead『水源』は、New American Library(Penguin社の一部門)が権利をボブズ=メリル社から買って、ペーパーバック(日本で言えば文庫本だな)にして売った。それは、1967年までに、1,424,182部売れた。それから、大手出版社のマクミランも権利を得て、ハードカバー版を出して、1985年までに29,632部を売った。 さて、今までに、この小説は、翻訳も含めて、何人の人々が読んだのだろうか。今までのところ、アメリカでは、だいたい700万部は売れたことになっている。 日本では、『水源』は、2004年7月出版以来、5,800部しか印刷されていない。図書館で借りて読んだ人もいると計算しても、まだ読者数は10,000人にも達していないと思う。5,000人ぐらいの方は、読んでくださったのかなあ。ちょっと多すぎる?日本人の5パーセントが読んでくれれば、日本も変わるんじゃないか。日本人の5パーセントって、何人? 日本人口1億2000万人として、その5パーセントだと・・・600,000人!!!! 道は遠いわああああ・・・・ ああ・・・これも私の翻訳がまずいせいだろうか・・・ 先日もTwitterで検索をかけたら、匿名の人物が、私の名前を挙げて、『水源』の翻訳がひどいと書いていた。それに対して、別の匿名の人物が、「大目にみてあげてよ、あれだけ大部の翻訳をしたんだからさ」と、軽薄な偉そうな調子で答えていた。 私は思った。「こういう軽佻浮薄で卑しい無駄口というのは、匿名でコソコソと書き散らす無責任さというものは、まだ何ひとつ自分でそれなりの仕事を完遂させたことがない人間だからこそ、できるものだなあ・・・」と。 私は、アイン・ランドのThe Fountainhead『水源』を読み、この作品が生まれる過程を調べて、かつて深い感慨に打たれたものだった。 人間が、世に問う価値のある仕事を完遂させるには、いかほどのエネルギーと時間が費やされることか。どれだけの思いと祈りが込められていることか。 The Fountainheadを『水源』にする翻訳作業を通して、私は、さらにアイン・ランドの苦労を想像した。アイン・ランドは、この作品を構想してから完成させるのに7年かけている。 すごいよなあ・・・まだ30代だったのに。 ロシアの移民の女の子がさあ・・・アメリカを、世界を変えることを志して、自分の思想を体現した人物を造形し、世に問うなんて。 私は、それ以来、研究書にしろ、小説にせよ、翻訳にせよ、何にせよ、気楽に軽薄に批判はしなくなった。できなくなった。それらを完成させた人間の努力と思いと時間とエネルギーのなにがしかは、いくら脳タリンな私でも想像できるようになったからだ。 長々と私は何を書いているのだろうか? 要するにさ、9月14日の講演会に来てね!!と言いたいわけですよ!! いっぱいいっぱいいっぱい『水源』について話すから、聴いてください!!と言いたいわけですよ!! 3時間以上も『水源』について語るなんて、最初で最後の試みですよ、もう〜〜〜!! ちなみに、Twitterで、私の翻訳についてひどいと言い合っていたふたりの人物には、しっかりと「呪い」をかけておいた。名前も顔も知らないが、この二人には、私は、しっかりと「呪い」をかけておいた。こういう馬鹿は男に決まっている。女は、グチャグチャ批判してるほど、他人のことに関心ないからね。 自分が、自分なりに何かをしようと日々努力している人間は、匿名でSNSにしょうもない批判を書き散らしているような暇はない。具体的に何かを実行するために、具体的に形にするために努力している人間は、自分自身が、いかに無数の人々の努力の産物に依拠して生きているのか、認識できるからな。 原書でサッサカ読めもしないような人間が、翻訳の悪口を言ってんじゃねーよ。 日本の将来についてビジョンもなんも持てない人間が、時の首相の批判なんかしてんじゃねーよ。 自分では何も生産できない寄生虫が、amazonのレヴューに偉そうなこと書いてるんじゃねーよ。何でも、ありがたく読ませてもらえ、馬鹿!! ところで、今までに私が呪いをかけた奴は、ほとんどが不幸になっている。健康しか取り柄がない奴は癌で死んだ。口だけは異常に達者で要領だけで世渡りしていた不細工なピーター・キーティングみたいな奴はセクハラで失脚した。鬱病で職場復帰できないのもいる。異常な虚言癖だが、いかにもいい子ぶりっこの奴は、偽善が大量の皺となり厚化粧の顔を覆って、正視に絶えない姿になっている。 まあ、まだピンピンと無駄に長生きしている奴もいるけれどもね。そいつの場合は、家族や周囲の人間から憎まれつつ、おぞましいと思われつつ延々と長生きすること自体が罰なのだからして、私の呪いは効力を発揮しているのである。ほほほ。 世の中をなめんじゃないよ。死んだら終わりじゃないんだよ。人間一人一人が、自分の生き方に責任を持って、卑しいことをしなければ、この社会は、もっとよくなるんだ。お前らみたいな、セコイ保身のためには、心でも何でも売るような臆病で小賢しく狡猾な奴がいるから、この世の中はややこしいことになるんだ。誰が悪いんでもないんだ。普通の平凡な人間の自己不信と恐怖から来る迷妄が、この社会を歪ませるんだ!! もう〜〜『水源』に描かれているようなハワード・ロークを迫害するような類の人間なんて、ほんとに、この世の中には多い。この小説を読んだとき、私は仰天したもんね。この小説に描かれているような人々を、私もいっぱい見てきたって。このような人々が存在するという事実に、私もいっぱい傷つけられてきたって。 で、この小説を読んでから、私は、無駄に傷つかなくなったんだ。ハワード・ロークの生き方から、私は教えられたんだ。 『水源』への私の思いは、3時間や4時間では話し尽くせない。また上手く話せるとも思えない。でも、できる限り、心を尽くして話します。 では、みなさま、9月14日の午後、大阪でお会いいたしましょう!!講演会に申し込んでくださった方々、ありがとうございます! また台風が来るかもね・・・台風が来たって開催します!! |