アキラのランド節

『山陽新聞』備後版のコラム原稿です(その12)  [12/27/2014]


「自立は食生活から」
2013年8月27日「山陽新聞」朝刊備後版(藤森コラム番号34)

私は、スーパーマーケットで、他人の買い物籠の中身を観察するようになってしまった。意外と、砂糖や防腐剤など添加物いっぱいの菓子パンや、防腐剤入りの総菜や加工食品ばかりの籠が多い。新鮮な野菜や、生の魚や肉が入っていない籠が多い。

今年の3月に、私の体調は最悪だった。しかし病院には行かなかった。私は、亡き両親の闘病の観察と友人知人の体験談から、「現在の医薬業界の目的は、病人を増やして儲けること」だと、独断と偏見を持って判断して久しい。

もちろん、現役の医師たちが書いた医学界告発本や、現代医療の歴史の暗黒面や、医薬品の副作用に関して書かれた本も何冊も何冊も読んできた。

病院や薬品に頼る気がないならば、食生活を改善するしかない。適切な運動をするしかない。というわけで、3月は、健康を回復し維持強化できる食事法を求め、関連本を読みあさり、インターネット検索に励んだ。

その結果、健康に悪い食品添加物が野放し状態であることを知った。また、かつては非常に推奨されていたが、栄養学の発展のために、今では摂取は避けるべきと分類されている食品も知った。

最先端の健康的食事法は、以下のことを勧める。穀物の摂取は控える。糖分や添加物だらけの菓子パンやスナック類は控える。加工肉(ハム、ソーセージ、ベーコンなど)や加工魚(缶詰め、魚肉ソーセージ)やインスタント食品は控える。乳製品は控える。高温の油による揚げ物は控える。味付けはハーブやスパイスを利用し、塩分や人工調味料に頼らない。などなど。

というわけで、炭水化物も甘いものも大好きだった私の食事は、今は野菜と動物性たんぱく質がメインだ。お弁当を作り、コンビニで買わない。食料品店では、商品パッケージの添加物表示を読むのに目を凝らす。自分や家族の健康は自分で守る。自分の食生活を自分で管理することこそが、真の自立への第一歩だと、遅ればせながら、私は思い知った。実践と継続は容易ではないが、頑張る!

上記の原稿は、担当記者の方から、「もっと穏便に書いてくれ」と書き直しの指令を受けた。私は、十分に「穏便に書いている」つもりだったけれども、加工食品やジャンクフードばかり買っている奴は困ったもんだ・・・的な、」少しでも「上から目線風」の物言いは、まずいらしい。で、以下のように書き直した。新聞に掲載されたのは、以下の文である。

改訂版「常食より雑食が安全」

猛暑の夏だから、私の体調も良くはない。健康のためには、食生活の改善と適切な運動だ。というわけで、健康を維持強化できる食事法を求め、関連本を読みあさった。

栄養学も日進月歩なので、どんどん学説が変化している。たとえば、私が子どもの頃には、牛乳を飲むことは大いに推奨されていた。しかし、最近は、放牧で自然の草を食べて育てられた牛由来のもの以外の乳製品の摂取は控えた方がいいようである。

一時期、大豆は健康にいいと評判であった。しかし、健康にいいのは発酵した大豆のみであるという見解もある。発酵した大豆であっても、原料の大豆が遺伝子組み換えであっては、意味がないらしい。

肉食はいけないという説もよく聞いた。しかし、狩猟採集時代の縄文時代の人々は、現代日本人に比較すると、長命で病気も少なく、身体も大きかったという調査結果がある。つまり、農業が始まり、穀物に食生活を依存するようになってから、病気が増えたというのだ。だから、肉や魚や野菜を大いに摂取して、米や小麦や蕎麦などの穀物を食するのは最低限にするという原始時代のような食生活を実践するのがいいという説もある。

玄米が健康にいいという説もあれば、悪いという説もある。緑茶がいいという説もあれば、蒸留水の白湯がいいという説もある。バナナがいいという説もあれば、バナナやブドウは糖分が多いから控えたほうがいいという説もある。

調べれば調べるほど混乱してくる。ともあれ、どの健康食事法にも共通することは、添加物だらけの菓子パンやスナック類や、加工食品やインスタント食品は控えたほうがいいということである。この点だけを守るのも、なかなかに大変である。

要するに、常食を避けることだ。食材にはいいところも悪いところもあるのであろうから、限られた食材だけやたら摂取するのは危険なのだろう。満遍なく、いろいろ雑多に多様に食するのが安全なのだろう。食べることができることに感謝して、雑食しよう。


「21世紀の国民文学」
2013年9月8日号「山陽新聞」朝刊備後版 (藤森コラム番号35)

世の中には、暇つぶしにしかならない小説の方が多いが、真に素晴しい小説というものも存在する。読めば顔つきが変わるような、こんな生き方をしていてはいけない!と読者を鼓舞し、人生を変えるような、そんなパワーのある小説がある。

百田尚樹(ひゃくた・なおき)氏の『海賊と呼ばれた男』上下巻(講談社、2012年)という歴史経済小説に出会えたのは、私にとって非常に幸せだった。百田氏は、『永遠の0』で、2006年に作家デヴューした放送作家である。

主人公のモデルは、出光興産の創業者出光佐三(いでみつ・さぞう1885-1981)氏である。出光氏は、一代で石油会社を興した。第二次世界大戦敗戦で会社の資産は消えたが、社員を解雇することなく、社員と一丸となって戦後の混乱を切り抜けた。GHQ(日本占領軍司令部)にも臆することがなかった。

1953年には、自前の石油タンク船「日章丸」をイランに派遣した。当時のイランは、英国からやっと独立したものの、諸外国はイランの石油を買ってくれなかった。イラン経済は困窮を極めた。諸外国は、英国を敵にしたくなかったのだ。しかし、出光氏は、資源のない日本こそ自前のエネルギー確保が必要と判断し、イランから石油を購入することを決断した。「日章丸」は、英国海軍の攻撃をかわし、日本にガソリンと軽油を運んだ。

出光氏は、欧米の巨大石油会社からの迫害にも屈さなかった。欧米の巨大石油会社と結託する日本の同業者や政治家とも闘った。民間企業の自由な経済活動を統制しようとする役人たちとも闘った。実にあっぱれな日本人だ、出光佐三氏は。

私は、『海賊とよばれた男』こそ「21世紀の日本の国民文学」だと思う。この小説は、2013年の「本屋大賞」を受賞した。客が店頭で選び、読み、感激し、感想を書店員に話してしまうような作品が、この賞を獲得する。この小説に、これほどふさわしい賞はない。

ところで、この小説は、某大新聞の書評欄で酷評を受けたそうだ。あの、つまらない某大新聞のつまらない書評欄にけなされるとは、実に名誉なことではないか。

★このコラム原稿は、新聞掲載されたときに、最後の文章が削除された。やっぱり、『朝日新聞』様の御神経を逆なでにすることはできないそうである。

★2014年12月時点において、百田尚樹氏は、『殉愛』のモデル問題で、ややこしいことになっている。癌で亡くなった「やしきたかじん」氏の末期を看取った女性がややこしい女性であるらしい。せっかく『海賊とよばれた男』を世に出したのだから、つまんないことに関らないでくださいね。



3 ここに36番目のコラムが来るはずなんですが、データが消えてしまった。見つかり次第、ここに掲載します。すみません。何を書いたかも忘れた・・・