アキラのランド節

2014年最後の御挨拶  [12/31/2014]


ああああああああ〜〜〜〜忙しかった。2014年を振り返ると、ただそれだけだ。股関節の不調を抱えて、右脚を引きずりながらも、よく働いた。

このウエッブサイトの更新も例年より少なかったと思う。まあ、言いたいことは、その都度、Facebookに投稿して、うっぷん晴らししていたんで、わざわざ、ここに書く前に忘れてしまった。というのが実情だ。

しかし!! 今年の暮れから来年の正月にかけては、比較的のんびりできそうだ。嬉しい!!論文の締切りが正月休み明けに設定されていない年末年始は、数年ぶりだ。

今、私の同僚の多くは、必修「卒業論文」の指導で、冬休みにも出勤して、学生の卒論作成の指導にあたっている(らしい)。

福山市立大学都市経営学部の第1期生2011年度生の卒論提出日は、2014年12月22日と、2015年1月9日である。

遅くとも、来年の1月9日に卒論を提出しなければ、6単位未収得で留年である。

私のゼミ生3名は、すでに12月22日に卒業論文を事務局に提出した。めでたい。その日の晩には「卒論提出お祝い食事会」を開いて、大いに飲んで食った。

だから、今の私は、ラクチンなんである。ほほほ。

3人のゼミ生の卒論題目は、「小沢一郎研究」(50,000字)と、「プロパガンダ」(18,000字)と「農協研究」(17,000字)だ。

それもこれも、私が、今の「ふつうの大学生」の知的水準というものの測定を誤らずに、何の幻想も抱かずに、「卒論みたいなもん を作成するように、ゼミ生のお尻を、まめに軽く蹴飛ばし続けてきた成果である。ときには大きく蹴飛ばしまくった成果である。

そうしないと、いまどきの普通の大学生は、「論文状」のものなんか、金輪際、書けはしない。

私の同僚の多くが、現在の大学生の知的水準の計測に失敗している。

「記憶力の良さ」と「論文状のものをでっち上げる能力」は、必ずしも一致しない。公立大学の学生だからといって、真面目に単位は取っているからといって、頭がいいとは限らない。「小賢しい」とか「小利口である」ということと、頭がいいということも、必ずしも一致しない。

放置しておいても「卒論みたいなもん」を自力で自主的に書き上げることができると思ったら、大間違いだ。

かつての大学生は、テーマを設定して、一応、「論文っぽい文の塊」というか、「論文状の雑文」を書くことができた(と思う)。

学生たちは、自分の力だけで、何とか卒業論文なるものをでっち上げた(と思う)。

私が大学生の頃には、卒論を提出したあとは、「口頭試問」というものがあった。ゼミの担当教員以外の教員も交えて、提出した卒論の内容についての質問に答えるというインタヴューがあった。

私は、その口頭試問のとき、「これアメリカの大学に送って留学したら?」とよそのゼミの先生に言われたんだぞ。あのときは、ちょっと嬉しかった。まあ、留学するような根性も英語力もアメリカ文学研究に対する情熱もなかったけど。

当時は、娯楽が少なくて、学生なんてカネもないので、娯楽と言えば読書ぐらいしかなかった。映画を見るぐらいのことしかなかった。「新聞」を読むというのも、あのころの大学生には呼吸するのと同じくらいの無自覚なあたりまえの習慣だった。

だから、「評論文」みたいなもんの書き方みたいなものは、自然にインプットされていた(と思う)。

私自身、大学で「卒論の書き方」とか「レポートの書き方」なんか指導された記憶はない。キッパリ。

英文科だったので、アメリカの人文系論文の作成法の翻訳書である『MLA---英語論文作成の手引き』を買わされて、見よう見まねで書いた。

MLAつーのは、Modern Language Societyといアメリカの人文学系学会の元締めみたいな「近代言語学会」つー大学会の名前だ。

『MLA---英語論文作成の手引き』というのは、その大学会が指定している論文の書き方のマニュアルなのだ。形式とか注のつけかた、参考文献リストの作成とか、すべて、そのマニュアルに書いてあるのだ。

まあ、何度も何度も更新して、今の『MLA---英語論文作成の手引き』は、私が大学生の頃とは、形式も注も参考文献リストの書式も違っているけれどね。

ともあれ、私の頃は、大学教授に卒論指導を受けるなんてことは、なかった。みな自分でやった。

だいたい、1970年代のころの大学教授というのは、私が通っていた、どうでもいいような私立大学の教授でさえ、えらい権高い人々だった。気楽に質問できるような感じの人々ではなかった。親切なんてことは全くなかった。自分たちのことを「教育サーヴィス労働者」だと自覚している人間など、ほとんど存在しなかった。今思い返せば、馬鹿なくせに、えらそ〜〜な奴ばかりだった。

しかし、今の大学は、1970年代の大学とは比較にならないほど、学生へのサーヴィスは充実している。いや〜〜ほんとよ!!いたれりつくせりよ。

高等教育後進国の日本でさえ、大学における学習環境は、いろいろと整備されてきた。ところが、肝心要の大学生さんたちが、どんどん幼児化している。キャンパスに「反知性主義」が蔓延して、すでに久しい。

国立大学の学生は、私は教えたことがないので、知らない。

しかし、地方の無名の公立大学や、中堅どころの私立大学に入学してくる人々は、私が大学生であったころと同じ類の人間じゃない。

本は読まない。本にカネはかけない。図書館にないなら、はい、それまでよ、だ。読書を数日しないと不安になるということは、サラサラない。

常識や知識がないことを恥ずかしいとは思っていない。

語彙もない。もちろん、定期的に何かを書く習慣などない(おそらく)。自分の脳の中でグジャグジャ動いている何かを整理するには、その混沌を言語化することが必要だが、語彙がないから整理できない。

それでも、パソコンやスマホをいじくることは非常に巧みだ!!すごい!!

それでも、いいのだ。就活して、元気に笑顔で面接試験を突破して採用されれば、給与が入るから、それでいいのだ。それ以上のQuality of Lifeの向上は求めないのだよ、今の若い日本人は。

というわけで、私は、かなり早くから用心をして「卒論対策 をした。おかげで、めでたく3人とも提出ずみだ。良かった、良かった!

が!!!もし、ゼミ生の数が10人だったら、いかに早くからマメにゼミ生のお尻を蹴り上げていたとしても、数人の「逃亡者」は出たかもしれない。

つまりだ!

うちみたいに、身の程知らずにも、現実から遊離して、卒論必修なんていうカリキュラムを組んでいる大学においては、ゼミ生の数が多いと、ゼミ担当教員は、しっかりとゼミ生を把握できずに、卒論が出せなくて留年なんていうケースも出てくるということだ。

良かった〜〜〜私のゼミが極小でええ〜〜〜♪

そうかああ〜〜〜神様は、このことを見越して私のために、ゼミ生は数名という事態をお与えくださったのだ!!

そうかああ〜〜〜数名のゼミ生と丁寧につきあって、心を通わせて、きちんと教師として努力する環境を、神様はあらかじめ与えてくださったのだ!!

と、今秋から私は、しみじみと感謝しているのです。神様と言いますか、ご先祖様と言いますか、何者かに感謝しているのです。

やっぱり、起きたことは正しいのよね・・・

そのときは、「あれ??なんで??」と思うようなことが起きても、時間が経過したら、起きて良かった!!と思えるのね。

はっきり言ってゼミ生が「3名」ということは、3名の学生しか希望者がいなかったということであり、それだけで人気のない、必要とされないゼミと言うことで、同僚たちから馬鹿にされる。

いや、そうなのよ。大学教員というものは、他愛のないもんなのよ。馬鹿で幼稚だからさあ、大学のセンセイなんてのは。

だいたい、現行のカリキュラムは、非常に私に不利である。

私は英語教育の責任者なんで負担が大きい。安月給のわりには負担が大きい。担当クラス数も多いので、1年生の「大学入門ゼミ」は担当していない。だからして、2年の秋にゼミを選択する学生は、1年生のときの必修英語のつまらんe-learningの担当教員としての私しか知らない。彼らや彼女たちが、本物の私を知るのは、つまり私の講義科目を受けるのは3年生の4学期だ。

ということで、私のゼミはずっと希望者は3名か4名どまりだ。

あと、不登校なんで、行くゼミがありません〜〜という類の学生さんの受け入れ先が私のゼミだ。

私は、その種の学生さんは気にならない。大学なんかつまらん場所だもん。不登校で当然だろ。

私は、小賢しい適応者よりも、自分に正直な人間の方が好きだ。

ただし、その種の学生さんを私に押しつけた教務委員の同僚については、しっかり呪っておいた。

私の呪いが効いたのか、そいつは、今年の夏に鬱病でぶっ壊れた。いまだに療養中である。もう治らんでいいよ。

それにしても、桃山学院大学時代は、私のゼミへの希望者は多かったので、最初は、ゼミの希望者が2名とか3名とか知ったときには、びっくりした。

が・・・考えれば当然だ。

かつて私が教員として所属していた「文学部」とか「国際教養学部」なんて学部に入学するのは、だいたいが、悠長な人々だ。人文系分野を選ぶというのは、世間知らずもいいどころか、世間知らずでいられるくらいに生活に余裕のある家庭の育ちの学生だ。

彼らや彼女たちは、法学部とか経済学部とかの類を選ぶほど、就職を考えて進路を決めることに切実になるような頭の動かし方はしない。それだけ余裕のある育ち方をしている。桃山学院大学の年間授業料100万円以上を払える家庭の子弟なのだから、それはそうなのだ。

しかし、地方の無名の公立大学に入学するというのは、はっきり言って、どうしても授業料が安くなければいけない!という事情を抱えた学生たちだ。

ゆえに、非常に世知辛いし臆病である。少しでも就職に有利なことしか、しない。市役所と連携して「町づくり」プロジェクトに参加している教員のゼミならば、市役所に採用されやすいのではないかなどと、小賢しい計算をして、ゼミを選ぶ。

「学部長」の担当するゼミならば、何か得なことがあるのではないかと期待して、ゼミを選ぶ。

彼女や彼らたちを「世間知らずの馬鹿」と笑えない。

若いころは、みな何もしらない。小さい貧しい頭で、一番自分にとって得なのは何かを一生懸命考える。そんなことしたって、考えても休むに似たりの程度のもんであるのだが。

そもそも、田舎の無名公立大学に入学したら、福利厚生もしっかりして、倒産しても系列企業に拾ってもらえる確率も高い財閥系大企業に就職するのは無理である(ことが多い)のだが。

福山市立大学の予算は乏しい。福山市政は、自分とこが史上初めて自前で作った大学をすでに「金食い虫」として邪魔にしつつある。

だから、福山市立大学は、自分とこに入学してきた脳がローカルなまんまの若い人々の殻を打ち破るような機会をいっぱい提供できるだけの原資に乏しい。

また、この大学の組織の患部たちの資質もお役人さんであり、その脳も心も、固い殻に覆われている。

しかしだ、状況がどうであれ、私としては、ご縁があって、私のゼミに来る羽目になった学生さんが、「まあ、このゼミに入ったということだけでも、福山市立大学に来た意味はあったな・・・」と思うようなゼミ運営はしたい。

実際には、それが不可能だとしても、そういう気持ちで事にあたらねばならない。

この長い長い人類の歴史の中、「ご縁」を持つことになった人間どうしだもの、面白い時間を、いっしょに過ごそう。美味しいものをいっしょに食べよう。

ともかくも、2014年は、非常に忙しい年だった。2011年に福山市立大学に来てから、ロクなことはなかったし、ラクなこともなかった。

しかし、起きたことはすべて正しい。

問題山積のしょうもない、何もない新設公立大学に来たからこそ、学べたことは多かった。長い教員生活のなかで、これほどいろいろ考えたこともなかった。

私は、今までの大学教員としての生活の中で、もっとも勤勉に、もっとも心をこめて、もっとも誠実に、教師をしている。ご縁ある学生たちとも丁寧に関わっている(つもりだ)。新設大学で、同じく苦労している同僚たちへの共感や親しみや尊敬も深まっている。

このような教員生活を過ごすことができるように支えてくれている夫への感謝も深まっている。

以前の勤務先の学生さんたちに対して、今のような姿勢で関わることができていたらなあ・・・と、反省する。

ほんと、かつての学生さんたちに、申し訳なく思う。

このように思える自分自身になれて、福山市立大学に来てよかった!!

起きたことは、すべて正しい。

今年の2014年は、「起きたことは、すべて正しい」という真実をあらためて、温かい気持ちで受容することができた。

その意味で、2014年は、とてもとても幸福な年だった。

うん。私は、今、とても幸福だ。

であるからね、「あああ〜〜辛いな〜〜〜」と、思っている方々へ。今、現在、とっても辛い方々へ。

起きていることはすべて正しいのだからね。逃げずに受け止めて進んでいってください。きっと、数年後には、遅くとも5年後には、「あれで、良かったんだ・・・」と思えるからね。

あ!!ところで、みなさん、お気が向いたら、次のYouTubeをご覧になってください!!なんでかって??? それは視聴してのお楽しみ!!

あ、そうだ!!みなさま!!『肩をすくめるアトラス』の文庫版が出版されましたよ!! 一部と二部が発売されましたよ!! これは、電子ブック化もされています!! Kindleで読めます!!

これは、ビジネス社さんが出版したんじゃない。

ビジネス社さんは、アイン・ランドの翻訳本を増刷する予定は、今のところ未定のようである。出版業界は厳しい季節を迎えているからね・・・・

実は、なんと!!ほんとうは、The FountainheadもAtlas Shruggedも、外国での翻訳出版に関して版権はないのだそうだ!!

『肩をすくめるアトラス』の訳者の脇坂あゆみさんは、その事実を知ってしまった。ならばいいんじゃないの?ということで、御自分の訳文の改定をなさり、電子ブック化をなさった。

さすが!立派です。

私が、生活費獲得労働にあけくれて、それだけで疲労困憊くたびれているだけなのに、脇坂あゆみさんは、お仕事のかたわら、訳文の改定をなさり、電子ブック化なさった!そして、文庫本発売も成し遂げた!!

すごい。快挙だ。

すみません。私はそんな元気ない。能力もない。

『水源』の訳文を改定して、電子ブックにして、文庫本にする。このことは、必ず実現させたい。しかし、その前にやり遂げたいことがある。

ともあれ、みなさま!!『肩をすくめるアトラス』の文庫本と電子ブック版が出ました!!是非とも、お買い求めくださいませんか!! まだ未読のみなさま、これを機会に読破してみませんか!!

アメリカでも、日本でも、誤解されっぱなしの批判ばかりされているアイン・ランドの灯を守っていくことにご協力くださいませんか!!

アイン・ランドのこの2冊の長編小説の欠点は、本という物体になると分厚い辞書みたいにかさ張るってことだ。日本語の関係で、翻訳本は、さらに分厚い。だから気軽に持ち運べない。だから、文庫本での発売は、ほんとに長く待ち望まれていたことだった。

それが実現したのです!!

ああ〜〜私も頑張らないとね!『水源』も『利己主義という気概』も絶版のままにしてはいけないよね!

あの・・・『副島隆彦の学問道場』の販売サイトならば、まだ『水源』も『利己主義という気概』も売っていますけど・・・

さて、いつもいつも疲労困憊ばかりしている駄目な私ではあるが、ともあれ2014年も無事に幸せに過ぎつつあるので、嬉しい!!

9月には、みなさまのおかげで、「人生のハイライト」の『水源』についての講演会も開くことができた!! ありがとういございました!!

みなさま、2014年も「藤森かよこの日本アイン・ランド研究会」にご来訪くださり、ありがとうございました!!

なかなか更新できませんが、アイン・ランドの灯はともし続けます!!

みなさま、良いお年をお迎えください!! 2015年に何が起きても、きっと「起きたことはすべて正しい」と、後で思える日が必ず来ます!!

人生は、そう信じて、気にしないで、明るく進むしかないのだよ。他に生きる術はない。それができることが、勇気であるのだよ。

そういう観点に立てば、人生に「失敗」はないのだろう。「私、失敗しないので」と、『ドクターX』のスーパー外科医「大門未知子」のように言ってみよう!たとえ脚は短くとも! たとえ股関節の不調により、10pのハイヒールはいて颯爽と闊歩できずとも! 

ああ・・・米倉涼子さんって、カッコいいわねえ・・・私、あんだけ脚が長くなれるのならば、寿命の10年間くらいは捧げるわん。

まあ、還暦過ぎて脚が長くても、しょうがないけどさあ。

★なんと!暮れも押し迫った夕暮れ近くに、ビジネス社さんから連絡をいただきました!アイン・ランドの『水源』の増刷をしてくださるそうです!!電子ブック化も、してくださるそうです!!なあああんとおおおーーー大感激!! ビジネス社さん、ありがとうございます!!